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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第一章 ~上洛~
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第十二幕 幻の論功行賞 -邪心に芽生えた凡将-

十二月朔日。

京・旧三好長慶邸


連日、届けられる戦勝の報せに義輝は上機嫌であった。特に摂津一国が既に平定されたことは、京に安寧が戻りつつあることを意味しており、洛中の活気は湧く一方である。


ここに至って義輝が考えなければならないことがあった。


「諸大名に宛がう恩賞を如何にするか……」


既に戦は終わりかけている。それは義輝の帰洛のために集結した連合軍の解散を意味する。しかし彼らも義挙とはいえ恩賞目当てに働いているところもある。勢多の合戦においても所領を持たない義輝は軍忠状一通すら発することが出来ず、功を立てた者は義輝からではなく各大名より当座の褒美が与えられている。義輝としては、その大名たちに然るべき恩賞を武家の棟梁として授けなければならない


ただここで問題があった。


義輝の周りには未だ幕臣の多くが戻ってきていない。論功行賞を行うに当たっても誰がどの様な戦功を挙げたかを纏める者がいないのだ。


「やはり左衛門督(朝倉義景)を頼るしかないか……」


概ね義輝の意向を反映させるつもりだが、論功行賞を纏めるに当たっては他家を頼るしか方法がなかった。そしてそれを担うことの出来る大名家は、大名としての組織が完成されている朝倉家以外にない。


「式部少輔(一色藤長)、左衛門督を呼んでくれ」

「畏まりました」


そう言って義輝は深い溜息を吐いた。必要なこととはいえ、義景に頼むのは本意ではないのだ。義景は上洛して以降、義輝のところへまともに出仕しようとせず、都で有名なや歌人を呼んでは歌会を催し、夜は猿楽を楽しんでいる。つまり遊び呆けているのだ。未だ輝虎や信長が戦に励んでいるというのに、義景は一人京の都を楽しんでいた。


これには義輝も呆れ果てている。だからこそ義景に頼る気にはなれないのだ。


この義輝の判断が後に大事件に発展することになるだろうとは、義輝自身も気が付いていなかった。


=======================================


十二月十三日。

河内国・若江城


三好義継の本拠地を織田・松平連合軍二万五千が包囲して十日が経った。未だ城方は頑強に抵抗する意思を崩していない。そこへ先んじて京に入っていた村井貞勝より急使がもたらされる。


「京で何かあったか?」

「はっ。まずはこれをお読み下さい」


使者が一通の書状を手渡す。そこには此度の上洛戦における論功行賞の中身について記されていた。それを見た信長は激昂した。


「義景の痴れ者めがッ!!」


その様子に驚いたのが隣にいた松平家康である。


「織田殿!?如何なされた」


家康の問いかけに対し、信長は握りつぶした書状を乱暴に手渡した。見ろ、ということである。


「これは……!?」


家康は目を丸くして驚いた。信長が怒る理由も分かる。それほどまでにこの論功行賞は酷かった。


まず上杉輝虎が侍所所司に抜擢されている。当人は喜ぶかも知れないが、関東管領として在京できない立場にある輝虎としては名誉職であることは明白である。他人にとっては恩賞がないも同然である。しかも所領は一切宛がわれていない。


次に信長であるが、これがさらに酷い。尾張・美濃の二カ国の守護、つまりは現状で信長が支配している領国だが、その領有権を認めているだけである。上洛戦で勝ち取った南近江は全て浅井家に宛がわれることになっており、摂河泉の平定に対する恩賞はまったく考慮されていない。


武田、松平、畠山などの大名も現状を追認しているだけである。では三好を倒して手に入れた所領をいったい誰が治めるのか。


朝倉義景である。


ただ義景も露骨に摂河泉の守護にはなっていない。表向き、幕臣が守護である。しかし先の管領・細川信良の弟である晴之(細川晴元の次男)を次の管領とし、義景は管領代に就く。既に細川京兆家は没落しており、管領に就こうが実権は持たない。つまりは管領代である義景が全てを取り仕切ることになる。


かつて三好長慶が幕政を牛耳った手法とまったく同じである。


「何故にかようなことになった!」


何も事情を知らない信長が使者を問い詰める。


「義輝公が此度の論功行賞の取り纏めを朝倉殿に命じたようにございます」

「それで義景の阿呆が調子に乗って管領代に就こうとしているのか」

「そのようにて……」

「己の身の丈がわかっておらぬのか!あの阿呆めッ!!」


信長が吐き捨てるように言った。使者もまるで自分が怒られているかの如く、信長の声に反して頭を地面に擦りつけた。信長も怒りで我を忘れかかっているようで、目は血走っている。


「京へ入り、義景めを討ってくれるわ!」


ついには突拍子もないことを言い出した。義景が如何に考えているとはいえ、一応は味方である。それを討つというのは余りにも拙い。


「お待ちあれ、織田殿」


そんな中、松平家康は冷静だった。


「朝倉殿が取り纏めを任されたとはいえ、これを上様が御認めになるとは思えませぬ」


僅かな期間ではあるが、家康は家康なりに義輝という人物を見ていた。将軍家に生を受けていることで野心に溢れる人物であるが、その本質は武人であり不公平を嫌い、忠功忠節を重んじる性格だ。今回の戦で朝倉勢が殆ど戦っていないことは理解しているはずであり、主力である織田と上杉を差し置いて朝倉に大領を与えて重用することはないと考えていい。


「ならばこれを上杉殿に報せるのがよいかと」

「ん?」


信長の怒りが一気に冷めていく。家康の言に興味を持ったのだ。家康は信長が落ち着いたのを見計らい、話を続ける。


「この事を上杉殿が知れば、先の織田殿の如く怒り狂いましょう」

「で、あろうな」

「義景を討つ、と言い出すかもしれませぬ」

「…あり得ん話ではない」

「もし上杉と朝倉の間で一悶着あったのなら、上様はさぞかしお困りになりましょう」

「そこを儂が仲裁する…と?」

「左様」


信長と家康が視線を交わし合う。家康の策を理解し、その有用性を見抜いたからだ。そして家康も、信長が何を求めているかを察していた。


上洛戦での義輝方の主力は上杉と朝倉である。遅れて織田が参じてきた。その上杉と朝倉が争いを始めれば、止めることが出来るのは織田しかいなくなる。となれば、織田の立場は両者より自然と上になる。


「松平殿、礼を申す」


その後、上杉輝虎の陣へ向けて織田陣内より使者が遣わされた。


=======================================


同日。

大和国・信貴山城


「京へ戻る!」


いきなり、上杉輝虎が高らかに宣言した。これに家臣たちは慌てた。まだ信貴山の松永久秀は健在だというのに、京へ戻るとは一体どういうことなのか。


「京で変事が起こった。どうやら左衛門督殿が三好に成り代わる気らしい」

「なんと!?」


これには上杉の家臣たちも筒井の家臣らの一斉に驚きの声を上げる。


「されど、その様なこと何故に分かるのでござるか」


誰もが思うようなことを、島清興が輝虎に訊いてくる。


「先ほど織田殿が報せて参った。論功行賞の取り纏めを任された左衛門督殿が我らを虐げ、己が幕府を牛耳る気らしい、とな」

「それで、織田殿は何と?」

「いや、それだけだが?」

「それだけ?」


清興は腕を組んで考え込んだ。普通、これだけの重大事を報せてきたならこの先の行動について何かしらの言及があって然るべきである。


「解せませぬな。織田殿には何かしらの意図があるように感じられます」

「何の意図があるのじゃ。織田殿は我らと同じく上様のために骨を折り、汗を流されておる。京で遊興に耽っておる不忠者とは違うわ」


輝虎は信長の行動に何の疑念も抱いていなかった。


「杞憂じゃ。そなたは織田殿を知らぬからそう思うのであろうが、織田殿はそのような人ではない」


輝虎の行動の規範は“義”であり、誰もが“義”を尊ぶものだと考えているし、そうあって欲しいという願いを強く持っている。故に輝虎から見た信長評は、“上様の御為に大兵を率いて駆けつけてきた義将”に他ならない。


「それよりも左衛門督殿じゃ。急ぎ京へ戻らねば……」

「我らは如何に致しましょう」

「久秀めを城の外へ出すわけには行かぬ。儂と京へ戻るのは供回りの者だけでよい。残りはこのまま城を囲んでおれ」

「畏まりました」


その日のうちに、輝虎は京へ戻っていった。


=======================================


十二月十四日。

京・三好長慶邸


この日、義輝は朝から険しい顔をしていた。


「で、どういうつもりじゃ。左衛門督」

「どうもこうも、某は上様の言いつけ通りに論功行賞の取り纏めを行っただけにございます」

「命じはした。されど、誰をどのような職に就けるか、また所領を宛がうかは余の決めることぞ」

「承知いたしております。故にこれはただの草案、某の意見と考えて頂ければ結構にございます」


義景は(うそぶ)く様に言った。このようなことで、何故に呼び出されねばならないのかと思っている。その態度が輝虎の感に障る。


「と、いうことだが、輝虎」

「納得が行きませぬ!どういうつもりで自身を管領代としたか、訳を訊かせて頂きたい!」


強い口調で輝虎が義景を問い詰めた。対する義景は悪びれもなく(まく)し立てるように反論する。


「これまで上様を守護し奉ったは儂じゃ。如何に上洛が叶ったとはいえ、今後も上様を守護せねばならぬ。されど上様を守護する者はそれなりの職が必要となろう。故の管領代じゃ。それよりも松永攻めは如何なされた。まさか放ったまま戻ってきたのではあるまいな」

「城は…包囲してござる」

「包囲じゃと?ならばこのようなところで油を売ってないで、早々に久秀めの首を獲って参られよ。上様に献上するとの言葉、まさか偽りではないでしょうな?」

「偽りなどではない!久秀の首などすぐに獲ってくれるわ!」

「おおっ!流石は上杉殿じゃ。楽しみにしておりますぞ」


義景の人を小馬鹿にしたような態度に、輝虎の怒りは募っていく。義輝の目の前でなければ、刀に手をかけていたところだ。


「止めぃ!」


義輝が一喝し、場を収める。


義景の態度は気にくわないが、役目の途上で戻ってきた輝虎も悪い。どちらかを咎め立てすることは出来なかった。


「上様。織田上総介様、松平家康様がお戻りのようです」


そこへ、信長と家康の帰還が報せられた。


「あやつらが?まさか同じ用件ではあるまいな」


うんざりするような声で、義輝が言った。しかし、戻ってきた以上は会わないわけにはいかない。義輝は二人をこの場へ呼ぶように指示をする。


「これは上杉殿、朝倉殿もご一緒か」


信長は何食わぬ顔で入ってくる。後ろで家康はその光景を窺うように一礼し、信長の隣へ座る。


「で、何故に戻った。そなたも輝虎と同じ用件か?」

「同じ?…ああ、朝倉殿が論功行賞を進めているという…」

「おおっ、それじゃ。織田殿も儂と同じ用件で参ったのであろう。報せてくれたのは織田のであるしな」


輝虎の言葉に反応し、“お前の所為か”と言わんばかり義景が信長を睨み付ける。対する信長は義景を一瞥することもなく、


「差にあらず、我々は摂河泉の平定が済んだことを上様に御報せに参っただけにて」

「何じゃと!?」


これには義輝を含め、輝虎も義景も驚いた。織田軍が摂津へ侵攻してまだ一月も経っていないのだ。


「そもそも戦が終わってもいないのに恩賞の話など不謹慎極まりない」

「で…では、織田殿は何故に儂に報せたのだ?」

「大事ではあると思ったからこそ、御報せ致した。されど我らが任務は三好・松永の討伐。上杉殿ならばそれくらいの分別があると思っていたが……」


信長の言に、輝虎は言葉を失った。血の気が上って我を忘れ、主命を軽んじた己を恥じたのだ。


「上総介。義継は…三好三人衆は如何した」

「三人衆は恥も外聞もなく四国へ逃げたようにございます。義継めは、降伏いたしました」

「降伏しただと!?」

「はっ。我が陣内にて預かっておりますが、お会いになりますか?」


信長は京よりの報せを受けた後、すぐさま総攻めに懸かった。また佐久間信盛を和泉より呼び戻し、若江城へ使者を送って開城を迫った。信長は佐久間勢を帰還させることで三好方へ和泉の平定が終わったと勘違いさせ、戦意を削ぐ作戦である。これが、功を奏した。


その日のうちに、義継は助命を条件に降伏した。


「助命じゃと!?上様に諮りもせず何を勝手な!」


自身が勝手に論功行賞を進めたことなど忘れたように、義景が信長に噛み付く。これには先ほどまで義景を糾弾していた輝虎も同調する。義継は三好の当主であり、助命など以ての外と考えているのだ。義輝もそう思っている。


「義継にはまだ使い道がある」


信長は反論する。


「三好・松永らは未だ健在。四国の領土が手付かずなのをお忘れか。義継が我らの掌中なれば、三好を割るなど造作もなきこと」


確かに此度の義輝の上洛で三好家の版図は大きく失われた。山城、丹波、大和、摂河泉の六カ国だ。ただ天下人の地位にあった三好家の版図は広大であり、本貫の阿波に讃岐、淡路の三カ国は保持している。信長はその三好領を討ち平らげるのに、義継が使えると主張した。


先々まで考えている信長の言葉は、幾度となく義輝の心を打った。


「上様。いくら京畿の安定に力を注ごうとも四国に三好がある限り、上様の御命を脅かすは必定にございます。近いうちに海を渡り、これを誅伐すべきと存じますが」

「よう申した!まったくもって上総介の申す通りよ」


義輝は膝を打って喜んだ。三好が滅びることこそ、長年に亘って義輝が願ってきたことなのだ。


「義継が事は構わぬ。当面は生かすこととしよう」

「御意のままに」

「輝虎。こうなれば大和の平定、急がねばなるまいぞ」

「はっ。すぐに陣へ立ち返り、信貴山を攻め落とします」


輝虎は慌ただしく退出する。


「左衛門督。論功行賞の件はやはり余が行う。今まで取り纏めたものだけ、提出せよ」

「はっ、お役に立てますのであれば……」


不快げな口調で義景が渋々返事をする。そのまま信長の方を見ることなく、義景も退出していく。


「まったく、困ったものよ」


義輝が大きな溜息を吐く。せっかく上洛したというのに身内で諍いが起こっては堪ったものではない。


「上総介。そなたの働きには感謝しておる。輝虎が戻るまでの間、暫し洛中にて(くつろ)ぐがよい」

「はっ。では洛中の警護に当たらせて頂きます」

「うむ。頼んだぞ」


義輝は満足そうに頷いた。信長が輝虎と義景の二人より優位に立った瞬間であった。


この三日後のことである。信貴山城と多聞山城が落ちたのは。自落であった。本家の三好が降伏し、勝つ見込みがなくなったからである。これは上杉勢が落としたと言うより、先んじて義継を降伏させた信長の功であるとも取れた。


ただ松永久秀親子はどういう手を使ったのか、城内から姿を消していた。しかし、これにより上方一帯から三好・松永の勢力が一掃されたことになる。


義輝の完全勝利であった。




【続く】

次話投稿です。


年末のバタバタで書き上げるのも大変です。(まぁ好きでやっているのですが)上洛編は残り一話、ぎりぎりになるかもしれませんが、今年中に更新します。また本編中にもありますが、次章は「三好征討編」(タイトルは変更するかもしれません)です。義輝が海を渡ります。


また前回、家康の名を元康と記述していましたが、現時点(1565年)で既に家康の名乗りであったために修正しました。

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