第十五章 軍師の戦 ー勝利への軍略ー
九月二十六日。
筑前国・博多
博多に於ける姫路公方・足利晴藤率いる幕府軍と道意こと松永久秀が操る大友親貞の戦いは、中盤に差し掛かっていた。
合戦は序盤から幕府方が優勢が続いている。尼子勢が蒲池宗雪を討ち破って前進し、龍造寺隆信は幕府方へ寝返り、吉川元春は筑紫衆に対して兵の数で劣りながらも力強い勢いで中央突破を図った。どの戦線でも幕府方が大友方を圧倒し、押しに押しまくっている。ただ流石に大友も未だ兵の数は多く、親貞の本陣にも一万以上の兵が残っていることから戦線が崩れるまでには至っていない。
だが誰の目にも後一押しあれば、幕府方の勝利は間違いないように思えた。だからこそ幕府軍の副将・毛利輝元が出撃を決めたのは、そんな頃だった。
(九州攻めの大戦、このまま動かず終われば毛利の名に傷が付く)
稀代の英傑・元就から大毛利の家督を引き継いだ輝元は、吉川元春と小早川隆景ら叔父たちから何かと師事を受けることが多かった。文武に励む輝元は教えに従順ではあったものの“祖父・元就の様に在りたい”という気持ちは少なからずあった。
勝利が目の前にある中で、自身が参戦していないという事実が我慢ならなかったのだ。
「戦局は我らが優勢、公方様の手前もある。叔父上の作った勢いを殺さぬ為にも我らが出撃すべきと思うが、どうか?」
「はっ、それが宜しいかと存じます」
「某も賛成いたします。博多には一隊を残せば充分かと」
それが若さと言えばそれまでだが、この時ばかりは状況から傍に仕える福原貞俊、口羽通良の両人が賛意を示したことで、毛利全軍を挙げて出撃することが決まった。博多には二〇〇〇ばかりを残し、残る一万一〇〇〇を投入しての参戦だ。
幕府軍の主力たる毛利勢の出撃は、戦局を大きく後押しした。本家の出撃を確認した元春は冷静に功を逸らず、疲労した部隊を下げて休ませて道を譲ると兵力に劣る大友方は連戦を強いられることになり、更に後ろ後ろへと追い込まれていく。
そして戦線がかなり博多から離れた頃、幕府軍本陣では大友方の異様な様子に黒田官兵衛孝高が一抹の不安を抱いていた。
(……本当にこのまま勝てるのか?)
一見すると味方が圧倒的に敵を押している。大友方は蒲池宗雪が意地を見せた以外に際立ったところがなく、龍造寺の寝返りも重なって幕府軍の優位は揺るがない。もちろん日ノ本の過半を治める幕府が大軍を擁して攻めて来たのだ。このような戦いになることは多くの者が予想していることでもある。
(久秀にとって勝利は絶対だ。此度の優位も久秀の策を打ち破っての勝利なら判るが、策を仕掛けてきた様子すらないとはどういうことだ)
そもそも攻めて来たのは大友方だ。勝つための策があるからこその攻勢であるのは間違いない。なのに大友勢の戦意は低く、緒戦から幕府方が押しに押しまくっている。これではまるで敗北する為に攻めて来たとしか思えない。
(そうか!久秀にとって先鋒の敗戦は策の内ということか!)
だからこそ孝高は、久秀が味方の敗北すら想定して策を練ったと考えた。
(寝返りも想定内で、味方が敗れて後退することは初めから予定されていたこと。となれば、久秀が策を仕掛けてくるとしたら……)
この後、と孝高は断じた。
(敗戦からの後退……、久秀が仕掛けてくる策とは……)
今まで久秀が主導してきた吉野川合戦や山﨑の合戦を孝高は思い出す。孝高自身はどちらの合戦にも参加していないが、経緯は聞いて知っている。そこから導き出される久秀の策は、本陣から味方を引き離しての急襲だ。
吉野川合戦で久秀は義輝から味方を引き離して本陣を手薄にし、伏兵による奇襲を仕掛けて来た。この時、久秀は味方の劣勢を作り出すために岩成友通の暗殺まで行っている。また山崎の合戦でも街道沿いに布陣する幕府方の将を囮を使って排除し、自ら背中を見せることによって義輝を京に誘き寄せて暗殺を謀った。
二度の決戦で、手法は違えども不利を強いられた久秀は敵の総大将を討つことに集約して策を練っている。それが今回も同じと見るならば、久秀の狙いは総大将の足利晴藤ということになる。
(姫路大納言様が撤退すれば、いくら押していたところで我らの負けだ。追撃となれば、幕府方にも大きな犠牲も出る。さらに我らは遠征軍、兵の逃散も避けられぬとなれば、この一戦の敗北で中国勢が崩壊することも有り得る話だ)
そして中国勢が潰えれば、門司にいる四国勢だけで戦線の維持は不可能となる。もちろん義輝の本隊が渡海すれば状況は一変するが、その危うい状況で幕臣たちが義輝の渡海を許すかと言えば疑問が残る。
幕臣たちにとって幕府を建て直した義輝は唯一の希望だ。ここで九州攻めを諦めても次がある。ならば義輝を失う危険を冒すよりは、次に賭けた方がいい。恐らく万全を期す為に力づくで義輝を京に連れ戻すだろう。
(晴藤様を討つか撤退させ、幕府に九州攻めを諦めさせる。これだけの大軍を擁した幕府が息を吹き返すには、少なくとも数年は要するはずだ。その間に大友を牛耳った久秀は疲弊した毛利に攻め込んで反転攻勢に出る)
そんな事が本当に可能なのかという疑問は尽きない。確かに幕府に比べて遠征軍ではないが、疲弊するのは大友も同じだ。そして久秀が親貞に近づいて力を付けたにしろ大国である大友を牛耳ることなんて出来るのだろうか。大友は守護大名で、鎌倉の頃より豊後を治める古い家だ。古い家には古い家臣もおり、そう易々と新参者が大きな顔を出来る訳がない。小寺を通じて赤松という家を見てきた孝高は、それを嫌というほど知っている。
しかし、そんな荒唐無稽な話であっても何処か否定できないのは、それだけの実績と能力が久秀に備わっているからだろう。
(されど本陣の背後には未だ味方の兵ばかりで、本陣も動いていない。引き離されたとはいえ、それは本陣より前にいる兵だ。どうやって晴藤様を襲うのだ?)
そう言って孝高は周囲を見渡す。本陣が据えられた箱崎八幡宮からは海がよく見えた。
「しまった!海かッ!」
そう孝高が大声を上げた時、玄界灘から博多湾へ突入してくる船団が見えた。かなりの数だ。
この瞬間、形勢が逆転した。
「くっくっくっく!今ごろ敵も慌てふためいていよう」
奇襲の船団の突入を見て、道意の口角が怪しく歪む。この男ほど笑みというものが似合わぬ者はいないだろう。どう考えても良からぬことを考えているとしか思えないあくどい表情で、慣れぬ者が見れば恐ろしさしか感じない。
「ど……、道意?」
大軍の総大将でありながらも権謀術数の世界を未だ知らぬ大友親貞が初めて道意に恐れを抱いたのは、そんな時だった。
(おっと、儂とした事が勝利を前に気を抜いていたようじゃ)
親貞に見られていた事に気が付いた道意は、掌で口元を覆って表情を元に戻すと、素知らぬ顔で以前の様に振る舞った。
「御味方の到着にございます。肥前・壱岐の水軍が博多湾に突入、今に上陸して敵の背後を衝きましょう」
「おおっ、真か!もしやこれが道意の策か!」
「はっ。味方の後退も策の内、秘事中の秘事であったが為に御伝えも出来ず申し訳ございません」
「な……なに、気にするな。儂もそうではないかと思っておったところよ」
「見抜かれていたとは畏れ入ります。流石は肥前守様にございますな」
虚勢を張る親貞にいつものように大仰に応じて見せる道意だったが、一度でも恐れを抱いてしまったなら中々に忘れることが出来ないのが人である。
(道意はなんと恐ろしい男なのじゃ。戦場の全てを見通しておる。九州を平定したら考えることが色々とあるな)
そうして親貞の脳裏には今まで思いもしなかった道意の排除が頭をよぎった。だが親貞は権謀術数の世界も知らない若輩者であることに変わりない。そんな変心に道意が気が付かないはずがないのだ。
(どうせ今は儂を頼るしかないのだ。どうやら宗麟も死期が近いようだしな。適当なところで親貞ともども始末して、跡目を継ぐ五郎を儂が傀儡としてくれる)
阿呆の親貞が何をたく企んだところで怖くはないとして、今は目の前の戦いに専念することにした。
まだ合戦は終わっておらず、肥前水軍が博多湾に上陸するとはいえ万を超す兵を擁している訳ではない。挟撃して幕府軍を潰すには、こちら側からも攻勢に出る必要がある。
「さあ肥前守様、反撃の時は今でございます」
「うむ。全軍に伝令じゃ、我が策は成れり。敵の背後に味方が上陸する。今こそ反撃に出て挟撃するのだ」
道意に促され、親貞が気焔を吐いた。同時に親貞の本陣からは大きな歓声が上がった。
突然の水軍出現に幕府方にも動揺が広がる。
「背後に敵だと!?何故に気付かなかった!警護の水軍は置いておったはずじゃ」
そう誰もが疑問を呈した如く、もちろん幕府側にも水軍があり、中国勢の警護に玄界灘や博多湾周辺に配置していた。だが義輝が渡海するかもしれず、大半が門司に移動していたことに加えて大友水軍の主力は村上水軍と何度も干戈を交えてきた豊後水軍であり、どちらかと言えば主力を周防灘に置いていたのだ。
そこへ肥前・壱岐の水軍が総力を挙げて迫った。彼らは道意の援助を受けて船を増やしており、三五〇艘を数えていた。水軍の中心を担う松浦党は明国との密貿易で利益を得ていたので、道意は幕府が九州を支配すれば利益を失うことになると囁いて味方に取り込んでいる。松浦党にとって明との貿易を失うことは死活問題であり、その事はかつて明貿易を牛耳っていた大内家が細川家と対立していたことからも判る。大内が滅んだことで明との貿易は密貿易が中心となり、松浦党も盛んに船を出していたのだ。幕府が出てくれば、その権益は確実に失われるという話は真実味のあるように聞こえ、道意の巧みな弁舌が加われば味方に取り込むことは造作もなかった。
故に松浦党を始めとする明との密貿易で利益を得ている肥前・壱岐の水軍衆は道意の援助を受け入れ、この合戦の勝利へ全力を挙げることを約束した。
一方で幕府の水軍を構成する大半が筑前や毛利に属する者で当初は二〇〇艘ほどいたが、大半が門司に戻っていた事から半分の一〇〇艘ほどに減っていた。道意が用意周到なのは、義輝の動きを予測していたことだろう。金に糸目を付けず小早を中心に数を増やし、一〇〇艘ほどを殆ど人が乗っていない空船として、義輝の到着で船の数が減る瞬間に戦線へ送り込んだ。これに驚いた筑前の水軍衆は揃って逃げ出し、流石の毛利水軍も共に撤退するしかなかった。これを追撃せず、大友方の水軍は博多湾に雪崩れ込んだ。
「どうする?上陸を防ぐ手立てはないのか」
このまま見過ごせば味方が一斉に不利になることは戦に疎い晴藤にも判った。敵は嫌らしくも晴藤の本陣を狙うのではなく、いま闘っている尼子や上野、吉川などの背後を衝こうと少し離れた位置に上陸を考えていることは、その進路から窺い知れた。
味方は浜から遠ざけられ、目の前に敵がいる状態で反転するのは自殺行為に等しい。如何に屈強な尼子や吉川とはいえ、挟撃されれば一溜りもないだろう。
「吉弘、高橋の部隊が動きました。吉弘勢は吉川勢と、高橋勢は島津勢と戦闘中!」
「敵の本陣に動きあり!阿蘇勢を後援し、龍造寺勢は押し返されております」
「上野備中守様より伝令!至急、敵の上陸を阻むようにとのことです」
矢継ぎ早に晴藤の許には前線より早馬が飛び込んでくる。
敵の変化を感じ取った前線は、それが船団を上陸させての挟撃によるものだと悟った。だが交戦中の尼子や上野勢に背後の敵に備える余裕はなく、兵を多く抱えている毛利や細川に対して身動きを封じ込めるように久秀は予備選力を投入してきた。そこへ大友水軍の船団が一部、晴藤のいる箱崎へ向けて接近。ギリギリまで近づくと砲撃を開始した。
ズドンッという轟音が晴藤の耳にも聞こえてくる。
「あれは何じゃ?鉄砲か?」
「鉄砲にしては音が大きゅうございます。恐らくは石火矢と思われます!」
織田信長が使用した大筒は今のところ一般的ではなく、九州では南蛮船が所持している石火矢が主流だった。それでも石火矢は鉄砲よりも遥かに高価で一部の者しか所有しておらず、存在を知られている程度で、合戦で使用される事は珍しい。
だが大友家は、かつて毛利元就と門司で戦った際も南蛮船による砲撃を行っており、今回も石火矢を船に積んで砲撃を行った。肥前では南蛮貿易が盛んだと聞く。恐らくは金に糸目を付けず、南蛮人から石火矢を買い集めたのだろう。
効果覿面だった。千代の松原に布陣している石谷頼辰の陣が狙い撃ちされ、石火矢による砲撃など受けた事のない石谷勢は一瞬にして大混乱に陥った。
石火矢という武器を用いて、久秀は石谷勢四二〇〇の動きを封じたのだ。
いよいよ孝高の決断が迫られる。
現状、幕府が投入している戦力は四万余に対して、大友勢は三万余にいくらか判らないが、水軍に兵を乗せている数が加わることになる。数の上では若干は幕府が有利だが、挟撃されていることを考えれば、劣勢を強いられるのは幕府側だ。もちろん時間が経てば石谷勢の混乱も収まることだろうが、その間に敗走する味方が出てくるかもしれない。
ここで兵を投入しなくては、敗戦も想定できた。
「……勝つには、本陣が前に出るしかありませぬ」
それが孝高の考え得る勝利への道だった。
前線の味方とは距離が離れているが、いずれも小勢ではなく、数千を数える部隊だ。すぐに敗れるということはなく、一時は持ち堪えるはずだ。本陣には八〇〇〇の兵がおり、後備えに赤松広貞もいるし、暫くすれば石谷勢の四二〇〇も動かせる。
「拙者に本陣の半数を御預け下さい。さすれば味方を救い出してみせましょう」
と孝高は決断、晴藤に願い出る。自ら血路を見出そうとしたのだ。自ら采配できる兵がいれば、前線で立ち回ることにより状況を打破する自信はあった。
だが晴藤の反応はいつもと違った。
「……それしか方法はないのか」
一時、ほんの僅かな間だったが、晴藤は黙した後に口を開いた。
「率直に尋ねるぞ。官兵衛、私を気遣っておらぬか」
足利公方だから故にこそ、晴藤は周りの気遣いを感じて生きてきたからこそ判る。味方の誰もが必要以上に自分のことを気遣う。それは義輝に対しても同じだと思うが、追い詰められた場面でも義輝は自分の意志で最善の手を打ち、苦境を乗り越えて来た。
「味方を助けるならば、本陣の兵を全て引き連れていった方がよいのではないか」
四〇〇〇の兵より八〇〇〇の兵、誰もが当然に思うことを晴藤は軍師殿へぶつけた。
「お主が兵を分ける理由は、私の命を慮ってのことだろう」
足利公方に危険は冒せさせられない。だからこそ最善の手が打てない。
(余呉合戦で伊勢右中将を動かす為に土岐左少将も苦労したと聞く)
武田信玄を討った余呉の合戦は、決して最初から幕府勢が勝っていた戦いではなかった。どちらかと言えば敗戦となっても不思議ではなく、最大戦力であった伊勢公方こと足利義氏は、味方の苦戦にも動かずに左近衛少将光秀は義輝から預かった鬼丸国綱を掲げて説得に当たったと聞いている。
もし義氏が最初から動いていれば、光秀はもっと違う戦術で闘えていたはずだったのでは、と合戦の様子を聞いた晴藤は率直に思ったものだ。
(……私は足枷ではない)
何も知らなかった頃とは違う。もう一人の兄・義昭と約束したのだ。義昭の代わりに義輝を支えると。ならばここで最善の手を採らずして何とする。
ただ晴藤には最善の一手が何かは判らない。しかし、最善の一手を持つ人物は傍らにいる。
「兵を二つに分けるのは下策と兵法書で読んだことがある。ここは本陣総出で前進し、事に当たるべきだと思うが、違うか?」
「然様にございますが、御身が危険にございます」
「何を今さら申しておる。戦場にいて危険ではない場所はない」
「突き進んだとして、味方は救えましょう。されど勝てる保証はありませぬ」
「ならば勝つためには如何にすればよいか、軍師殿の考えを聞きたい。あるのだろう、勝てる策が。私の役割は、それを許すことだ」
晴藤は気持ちのいいほど堂々としていた。いきなりの変わり様に妙な気分でもある。
(いや妙でもないか)
晴藤と孝高の付き合いは短いようで長い。孝高にとって晴藤は足利公方の一人に過ぎないが、晴藤は還俗してからこれまでの間、孝高と多く関わってきた。だからこそ孝高には判る。晴藤は義輝のように皆が付き従いたくなるような人物ではない。義輝と違い他者から羨望されるような稀有な才能を有していないからだ。ただ義輝は有能な為に、義輝と同等の才能を有す者は反発してしまう者もいる。武田信玄という男が義輝の器量を見誤ったのももそういう一面があったからこそだ。
その点、晴藤は有能とは言い難い。しかし、上に立つ者に相応しい度量を備えている。有能なものであればこそ、晴藤の下で働き、その才を揮ってみたいと思うだろう。
今の自分がそうなのだから。
孝高は覚悟を決め、最善の一手を打つ。
「我らが役割は上様に勝利を献上することにございます。その為には、この博多での合戦で勝利は絶対ではありません」
「戦に勝つ必要がないと申すか」
「上様の勝利と合戦の勝利は同じではございませぬ」
「……聞かせてくれ」
「はっ。まず敵が何故に攻めて来たかをお考え下さい。敵は我らを討ち破り、幕府軍を撤退に追い込むことこそ狙いにございます。それ故に渾身の策を練り、水軍による奇襲を仕掛けて参りました。恐らくこれ以上の策はないものと思われます」
「尤もじゃ。だがこのままでは負ける可能性もある」
「然様にございます。故に敵へ博多をくれてやりましょう」
として孝高は現状、敵味方の布陣に合わせた絵図を晴藤の前に広げ始める。
博多をくれてやるとの言葉に、晴藤は度肝を抜かれた。博多の死守は主命である。その大前提から外れて物事を考えられる柔軟性に晴藤は舌を巻く。古き仕来りに囲まれて育った晴藤には、ない発想である。
「いま味方は博多を中心に二つに分かれております。その間隙を敵の水軍に衝かれておる訳ですが、まず急を要するのは前線の味方を救うことです。その為に我らは本陣全軍で敵勢に突っ込みます。味方を後詰し、上陸してきた部隊を阻む形で遮二無二、水城を目指します。恐らく敵は勝つために水城を空にして出て来たはずです。労せず奪えば、水城は敵を阻む防壁として我らに為に機能いたしましょう」
「されど敵もそれを阻んで来よう」
「故に突き進む事だけに全精力を費やすのです。それであれば必ずや無事に辿り着けます」
「無茶で無謀な策だ。反対する宰相の顔が目に浮かぶわ」
「ご安心ください。大納言様がいる以上、味方は従うしかありませぬ」
一昔前の幕府ならいざ知らず、日ノ本の過半を制した今の幕府では義輝の手前、足利公方が戦陣にいる以上は見捨てる行動は確実に家を滅ぼすに値する。確かに孝高の言う通り晴藤が南に進むなら、諸将は従うしか選択肢はなくなる。
(そういえば官兵衛の奴、最初に会った時も主の御着城に兵を入れろとか申しておったな)
晴藤の初陣で播磨を平定する時に晴藤は孝高と出会った。その席で孝高は守護方に付いていた当時の主君・小寺政職を無理やり幕府方に転じさせたことがある。
目的を達する為ならしがらみ等に拘らず最善の手を打てる。黒田官兵衛孝高という人物が当初から何も変わっていない存在だと晴藤は改めて知ると、思わず可笑しくなった。
「うむ、相判った。して後備えの者どもはどうする」
「博多に残った毛利勢と石谷殿、赤松殿らを合わせれば一万程になりましょう。彼らには立花山に籠って街道を押さえて頂き、敵の北上を防いで貰います。尼子勢にも高祖城に退いて頂き、籠城して包囲の一角を担って貰います」
「さすれば敵は南に我ら四万余、西に尼子勢の七千、北に石谷ら一万に囲まれるという訳か」
「敵は根こそぎ兵を動員しているはずですので、援軍はありません。包囲を破ろうと動きを見せれば、各自が呼応して阻めばよいのです」
「なるほど、流石じゃ。されど、それからどうする?勝つ手立てはあるのか?」
「道意が松永久秀であることを敵は知りませぬ。広めてやれば、自ずと敵は減りましょう」
と指摘され晴藤は思わず“あっ”と口にしてしまった。
決して忘れていた訳ではないが、合戦が始まった事で道意が久秀であると敵陣へ広めることは後回しになっていた。確かに孝高の策が成立すれば、大友を見限ろうとする者は増え、家中にも動揺が走るだろう。疑心暗鬼を生み、結束に綻びが出る。
「そこへ久秀の首を差し出すなら所領をいくらかは安堵すると申し伝えれば、敵の戦意を完全に挫けましょう」
「所領を安堵など、上様に諮りもせず約束は出来ぬぞ」
「本当に約束せずともよいのです。そう仄めかしただけで敵はもう戦えませぬ」
絶望の中から見出した光明を人は簡単に捨てる事など出来ないと孝高は知っている。ましてや松永久秀という存在は敵味方の中で大きい。義輝が求めて止まないものを差し出すのだ。所領が安堵されるかもしれないという不確定要素に信憑性を持たせるには充分だった。
「ならば善は急げじゃ!官兵衛、供をせい!」
「ははっ!」
博多湾より大友の水軍が迫る中、晴藤は孝高よりの献策を全軍へ通達した。
「誰も止め立てする者はいなかったのか!」
「ええい!この忙しい時に、誰ぞ本陣まで赴いて公方様に諫言いたせ!」
幕府方の諸将は当たり前の如く揃って下知に異を唱えるも、肝心の晴藤が既に出陣して南下しているとの報に接すると諦めたようにして目の前に大友勢に大攻勢を仕掛ける。
それに窮したのは、必勝の策を練り上げたと思っていた道意である。幕府方が混乱すると思いきや、それは一時だけで先ほどよりも強く攻勢に出ている。
「いま少しで味方が敵の背後を襲うのだ。何としても押し止めよ!」
いつになく声を張り上げて兵を叱咤する。本陣の慌てふためく親貞に構っている暇はなくなり、何としても水軍が上陸する時間まで戦線を維持するべく、本陣にいる一万の兵を割り振って後詰に送り込む。
(敵の狙いは何だ?何故に兵を退かぬ)
道意の思惑通りなら、幕府勢はここで兵を退くはずだった。義輝なら前に出てくると思うが、他の足利公方は守られるだけの存在であり、前線を見捨ててまで撤退しても許される。その存在が窮地を前にして出て来た。
「変なところまで兄に似おって!」
道意が迷惑そうに悪態を付くと、即座に頭を切り替えた。ここで堪えれば挟撃策は機能する。今後を考えれば、博多合戦での勝利は絶対条件である。その為に必要なことは一つ。敵の求心力を失わせ、瓦解させることである。烏合の衆となれば、後は容易い。戦国大名の利害とは、常に相反するものでしかなのだから。
「公方を狙え!公方さえ討てば勝ちは揺るがぬ!」
その下知が前線の吉弘鎮信と高橋鎮種兄弟に届いたのは、僅かに後のことだった。
「公方を討つのか?」
足利将軍ではないにしろ、武家という身に生まれれば流石に敵として相対していても抵抗を感じる命令である。
とはいえ鎮信も寡兵で吉川勢と闘っている以上、限界はある。
「対等には闘えている……が、これに公方の手勢を加えるとなると、流石にキツイな」
愛槍を揮って敵の足軽を一人、あの世に送りながら鎮信はぼやく。
後方が襲われるかもしれないという動揺が鬼吉川と称される精鋭部隊の足を鈍らせている。だが足利公方の出陣により、それは緩和されて元の勢いを取り戻しつつあった。
出撃を許されて吉川勢に猛然と襲い掛かった鎮信であったが、寡兵である以上は何処かで限界に達する。これは弟の鎮種であろうとも同じはずだ。如何に島津家久の兵が少ないにしろ、大兵を揃える細川藤孝の後援がある。道意が何処まで本気かは判らないが、所詮は謀略でのし上がってきた人物である。合戦での地力が何処まであるのかには疑問は残る。
「俺も雑念が残っているな」
そう言って鎮信はまた一人と敵を斬り倒す。道意が何であれ、自分の成すべきことは“御家を守ること”だ。やるべきことは変わらないとして、雑念を振り払う。
だが、鎮信の働きが大勢を覆すには至らなかった。
大軍を擁する幕府軍の猛攻は、策では上回っていたとしても結束で劣る大友方の勝利には結びつかなかった。幕府の南下を必死になって止めようとする部隊が限られていたからだ。
「進めーッ!突き進めーッ!!」
脇目も振らずに走り去っていく足利晴藤の部隊を止められる者はおらず、大友勢は目の前の部隊に対処するしか術はなかった。それでも大友水軍は大半が上陸を成功させ、後方を襲われて被害を出した部隊は当然いたが、初動が早かったことから損害は抑えられた。それでも大友方に優勢だった幕府方の方が被害が大きかった結果を踏まえれば、道意の戦術は一応の成果を上げたと言えるだろう。
「久秀め、大納言様だけに捉われたのが貴様の敗因よ」
全てが終わった後に孝高は、そう呟いたという。
確かに足利公方の存在は大きい。しかし、それは義輝の存在があってこそのものだと孝高は見抜いていた。仮に策が成らず晴藤が命を落としたとしても、南に抜けた幕府方は毛利輝元を中心に結束を保つだろう。中国の雄として君臨する毛利の家督は、それだけの影響力はある。また輝元ではなく、義輝の側近たる細川藤孝も幕府の副将として一定の求心力を得ている。
もちろんそれも義輝という存在があればこそだ。義輝が生きて安芸にいる以上、仮に晴藤が死んだとしても幕府を裏切る事を大名たちは許されない。嫌でも一塊になっておくことが求められるのだ。
そこを道意、いや久秀は見切れなかった。それこそが久秀が古い時代の人間であることの証とも言える。公方を巡って離合集散してきた世界で生きてきた乱世の梟雄には、泰平の世に移行しつつある大名の心理を読み解く事が出来なかった。
だが孝高は晴藤すら死なすつもりはない。むしろ生きて貰わなければ困るのだ。何せ大軍である幕府軍が南下して水城を奪取するのは、恐らく一定の犠牲は払うだろうが難しいことではなかった。この策に欠点があるとすれば、その幕府軍が大軍であるが故に引き起こる。正直に晴藤の存在がなければ、下策中の下策でしかないのだ。
その下策を迷いなく選べるからこそ、孝高が軍師たる所以なのだ。
「古き時代の価値観でしか生きられぬ貴様に、敗北は必然だったようだな」
全てが終わった後、軍師が勝ち誇った笑みを浮かべたことなど道意は知る由もなかった。
【続く】
お待たせしました。今回は早めに投稿できました。仕事の集中する時間を頂いたために成果は着実、5月は特別警戒地域に指定された県かつ深夜営業をしている飲食店で、前年対比を一割以下の減少に抑えることが出来ました。正直うちは小規模店舗ではないので、売上の減少をここまで抑えられたのは快挙だと思っています。
人に支えられる大切さを改めて知る期間でした。その間、投稿を待っていた方々にも感謝しています。今後、少しは順調に投稿が出来ると思いますので、引き続きよろしくお願いします。
さて本編の話ですが、解説などは次回に回したいと思います。次回はいよいよ主人公の登場です。笑