第十三章 謀将の戦 ー梟雄・松永久秀ー
九月二十六日。
筑前国・博多
幕府と大友の両軍十万が対峙する博多に於いて、遂に合戦の火蓋が切って落とされた。
予想に反して攻め手は大友方となった。二万もの兵力差から水城に堅陣を築いて幕府軍に備えるという見方は一気に崩れた。
「各々!すぐさま持ち場に戻られよ!敵は四万といえども数は我らが上、返り討ちじゃ!」
報せを聞いた晴藤が立ち上がり、怒気を交えて檄を飛ばす。軍議の為に集められた諸大名たちは一斉に自陣へ散っていった。
(返り討ちじゃ……か。私も武士らしくなったものだ)
咄嗟の一言であったものの、自ら発した言葉に晴藤は僧籍であっか過去が随分と昔のことに思えた。やはり自らに流れる武門の血筋は変えられぬといったところか。
(それでも私は、まだ皆には劣る)
幾分か成長を実感できたとはいえ歴戦の将たちを圧倒できる程の才が自分に備わったとまでは過信していない。将軍家の血筋は他人の上に立つしかないからこそ、人を頼って、人を活かして生きていくのだ。
「では某も陣地へ戻りますが、敵の狙いが判らぬ以上はくれぐれも油断なさいませぬよう」
一人一人と大名たちが自陣へ去っていく中、最後まで残っていた心配そうな面持ちで細川参議藤孝が注意を促してくる。
「宰相、案ずるな。幸いにも官兵衛が来てくれた。官兵衛は播磨平定以来、私をよく扶けてくれておる」
「名は承知しております。されど出来うることなら大納言様の手を煩わせず戦を終わらせて見せます」
と藤孝は孝高を一瞥して去っていく。幕臣としての矜持が孝高を頼るまいとしたのだろうが、晴藤の傍に主君や同僚から伝え聞く賢臣が侍ることに安堵もしていたのだ。
(いつまでも宰相らに頼るだけではいかぬ。……いや、頼るのは良いのだ。私が担がれるだけの存在でなければな。兄上は私に九州を平定せよと求められている。その期待に応えねばなるまい)
ならばこそ不足している我が才を足利公方という立場を使って補っていかねばならない。
「官兵衛!兵力差は二万ある。それなのに敵が陣地を捨てて攻めてきた理由は判るか?」
故に当たり前のように出てきた疑問を晴藤は、率直に黒田官兵衛孝高にぶつけた。
「数で劣りながらも攻めてきた以上、勝てる策があると見るのが正しゅうございます。されど敵の狙いを読むには情報が不足しております。まずは大納言様の知る限りの情報を某に教えては頂けませぬか?」
血気に迫る表情の孝高に対して晴藤は大きく頷いた。総大将である晴藤には全ての情報が伝えられている。これを如何に詳細に正しく伝えられるかで孝高の採れる手段が変わってくるのだ。
「博多、門司以外には九州の島津が我らの味方として動いておる。大友も薩摩へ兵を向けておるようだが、今のところ大きな動きは伝わっておらぬ」
「はい。仮に島津が負けたとしても大勢には影響せぬと考えております」
「私も同じ見立てだ。ならば話を博多一帯に限るが、毛利が九州に渡って以来、肥後の阿蘇や西牟田、田尻ら筑後衆、肥前の龍造寺などからは内応するという申し出が相次いでおるが、上様は所領安堵を認めてはおらぬ。所領を宛がうにしても、一度は全てを差し出させて屈服する事を求められておる」
「その条件で降られた大名はいたのですか?」
「筑紫広門がそうじゃ。されど太宰府では吉川治部が広門に内応を反故された。その真意は判らぬ」
「内応を反故?如何に上方から遠い九州といえど我ら幕府が有利だということくらい判るはず……」
孝高も九州攻めに於いて主君・土岐光秀の傍らで情勢を調べ尽くしており、九州の主な国人領主たちの名は知っている。しかも筑紫広門といえば以前、毛利と大友が争った際に毛利方として戦ったと聞いている。それが今回、大友不利の中で内応を反故にするなど理解し難い。しかも筑紫広門の領地は太宰府に隣接しており、一時的とはいえ幕府勢力と接した事になる。つまり内応したところで幕府の援軍を即座に呼び込める位置にあり、絶好の機会だったはずだ。
(所領を差し出せと申しても改易にされるとまでは思うまい。であれば、かつて毛利に裏切られた事を恨みに抱いたか?それとも……)
かつて将軍・足利義輝が起こした西征によって、毛利は九州から撤退した。この時、筑紫広門は毛利の援軍を失った事により大友宗麟に降伏を余儀なくされている。恨みを抱いているとしても不思議ではない。
(怨恨で片付けるのは容易いが、もし別に理由があるとすれば……)
孝高は脳漿を振り絞り結論を導き出そうとするも、九州へ辿り着いたばかりの孝高には、松永久秀の狙いを見抜くには時間と情報が欠けていた。
「申し訳ございません。はっきりと敵の狙いが判りませぬが、敵が久秀となると味方に裏切り者がいることは掴んでいると思われます」
「内応が露見していると申すか?」
「まず間違いなく。そして通常、内応を踏み止まらせるには勝ち続けるしかありませぬ」
「だから攻めてきたと?守りに入れば内から崩されるのが判っていたから」
「然様です。されど久秀のこと、攻めてきたからには勝つ策があっての事だと思われます」
「その策は何だ?」
「それは……まだ。ともかく応戦して様子を見る他はありません」
肝心なところで言葉に詰まる孝高をらしくないと思いつつも仕方ないと感じる晴藤は、目の前に突如として現れた難敵に持てる力を駆使して挑むことになった。
(まさか、あの松永久秀と戦うことになるとはな)
兄を長きに亘って苦しめた強敵に果たして自分が敵うのか。その不安を振り切るようにして軍配を強く強く握り締める。
そして合戦は始まった。
合戦は博多一帯で幅広く行われた。幕府方にとっては天下平定の大一番かつ軍功を立てる最後の機会、そして大友方にとっては負ければ終わり、生き残りが懸かった重大な合戦である。
「この合戦で島津の強さを示さん!我に続けッ!」
と御家を代表して戦果を挙げることを求められている島津家久が一目散に飛び出して勇躍し、槍を天に掲げて突撃を合図する。
「先の雪辱を果たすぞ!鬼吉川の真髄を見せてやれ!」
「我ら吉川の恐ろしさ!大友の奴らに思い出させてやれ!」
そして大宰府の合戦で思わぬ撤退を強いられた吉川元春・元資親子は、ここで逆襲を果たさんと揃って怒号を発して兵を叱咤する。
「尼子の名を再び轟かす!勇めッ!勇めッ!」
また復活した新宮党を率いる山中鹿之助は攻守が転じたと思わせるほどの勢いで目の前の軍勢に切り込んでいった。
「損害は最小限に抑えよ。母上が人質に獲られておる。本陣に気取られぬよう適度に戦ってから退くぞ」
対して大友方の龍造寺隆信は先鋒を務めながらも何処か勢いは鈍い。それも隆信にとって実母、腹心の鍋島信生にとって継母である慶誾尼が人質に獲られているからだ。
「幕府と繋ぎがしっかりと取れておらぬ以上、兵を返すことも難しゅうござる。寝返るとしたら道意の本陣が他に手が回らなくなってからにございます」
「それで母上は救い出せるか」
「騎馬隊を編成しております。機会が訪れましたら、即座に佐嘉へ走らせます。その為にも今の位置から抜け出す必要がございます」
と二人は相槌を交わし、再び目の前の戦いに集中し始めた。両軍を合わせると十万にも及ぶ合戦で勝っても負けてもならない戦いをするというのは非常に困難を極めた。
「我らが裏切っておらぬこと何とか毛利に伝えることは出来ぬか?もう後がないぞ!」
「ここまで来て何を申されるか。もう戦って勝つか華々しく散るかのどちらかしかあるまい」
「このまま筑紫に滅びろと言うのか!?」
また筑紫広門・春門兄弟は合戦が始まっても尚も互いに意見が合わずにいた。こちらも身内が人質に獲られており、当初は毛利勢が大宰府まで進んだところで寝返る予定だったが計画が大幅に崩れてしまっている。
「これもあのくそ坊主の所為だ!」
と広門はしたり顔の道意を思い出しては悪態を付く。
元々毛利の進出で寝返るつもりだった広門が何故に内応を反故するようになったかといえば、道意が勝尾城に援軍と称した兵を入れてきたことで目算が狂ってしまったからだ。しかも道意は広門が毛利と通じていることを見越しており、吉川の物見を敢えて黙殺し、広門が味方であることを演じて元春の油断を誘っていたのだ。
その様子をまざまざと見せつけられては、あの場で寝返りを打てるものではなかった。
「どうにか寝返る機会を見つけるしかあるまい」
「されど人質の事はどうする?鑑広のやつは話に乗らんかったぞ」
「どうにもなるまい!ここで立場を明らかにせねば、後がない!」
また広門が戦っている西では西牟田鎮豊、田尻鑑種ら筑後十五城と呼ばれる筑紫衆らは吉川勢と干戈を交えており、果敢に斬り込んだ蒲池鑑広の後ろでこの先の去就について議論を交わしていた。乱世の倣いとして人質を諦めてまで家名を残そうとする者たちと最後まで大友に尽くそうとする者らで分かれたのだ。
「幸いにも我らの位置なら戦場を脱することは不可能ではあるまい」
「背後にいる連中はただの飾り、我らが退けば邪魔はしないか」
「それよりも問題は吉弘兄弟よ。あれらが寝返るとは思えぬ」
筑紫衆の背後には五〇〇〇ほどの兵がいるのだが、これは道意が徴発してきた疑兵である。あくまで前線に兵がいることで隠れ蓑となり、幕府勢には大友兵として映っているも戦闘能力がある訳でもないが、筑紫衆が戦場を脱するための蓋としては機能している。もし脱出に手間取れば遊兵として位置する吉弘鎮信と高橋鎮種兄弟が襲い掛かって来ることは想像に難くない。道雪ほどではないが、この二人の兵は大友家中でも精鋭に位置し、その強さを知る者としては相手にしたくないというのが本音だ。
「宗運、幕府との渡りは付けておるのだったな」
「然様にございます。されど本陣は我らに向けて槍を突き立てております。確実に内応を疑われております」
「ならばいっそのこと兵を反転させてはどうか?」
「一つの手ではありますが、どれほどの被害が出るか判ったものではありませぬ。今は時期を待つべきかと存じます」
そして龍造寺勢の後ろに陣を敷く阿蘇惟将は、他とは違って独自で幕府や朝廷と繋がりを有しており、今回も幕府へ味方すると既に伝えていた。その上、甲斐宗運の機転によって人質を獲られることも避けられていたが、正面には敵か味方か判らぬ龍造寺勢に吉弘・高橋兄弟が筑紫衆へと同様に睨みを利かせている。更には阿蘇氏の寝返りを警戒する道意のいる本陣を真後ろに控えていた。
もし寝返れば包囲されること間違いない。惟将は道意の命によって弟の惟種と共に出陣しており、阿蘇の血筋はこの二人しか残っていなかった。一応は父・惟豊の兄の家系が残ってはいるが、父の代で敵対しており、これに阿蘇神社大宮司の家督を継がせるのは論外だ。
この状況から宗運は未だ道意の掌から抜け出せていないのではと考え、大胆な行動に出られなかった。阿蘇の家老として、何としても御家の命脈を保つ責任が、そうさせていたのだ。
「ふむ。どうやら狙い通り敵に攻めかかってはくれたようにございますな」
幕府軍に攻めかかる諸将が常に生き残りを模索している中、その原因である道意に余裕綽々と本陣で戦況を眺めていた。
「されど俄かには信じられぬ。我が方に裏切り者がおるとは……」
道意に内情を聞かされた親貞は、まさかと言った表情の掌で口を覆い驚きを表す。今山の合戦より連戦連勝を重ね、肥前で善政を敷き、大友の威に強く心服している親貞には裏切りが出ること自体が信じられなかった。
(元より大友に心服していた者など少なかろう。大友とさほどに変わらぬ毛利にすら靡いたのだ。今の幕府に靡かぬ道理はない。この阿呆は、それすら判らぬのか)
いつまで経っても成長しない無能な主君に道意は心の中で侮蔑を口にした。
逆に道意は裏切りを初めから想定している。先に佐嘉城で催した対伊東戦勝の宴はこの時を想定したものであり、参加した殆どの者から人質を強制的に獲ったので誰も容易に裏切れない事態に陥っている。
「要は勝てばよいのです。勝っている内は裏切り者は出ません」
道意は怪しくニンマリと頬を緩ませた。
吉野川の合戦でも山﨑の合戦でも道意は裏切り者が出ることを想定して策を練っている。むしろ上方で生き抜いてきた道意にとって、乱世とは権謀術数の世界。合戦に裏切り者がいることは当たり前であり、いないと思う方がどうかしている。
常に戦場を想定して戦略を組む。この乱世に汚いも卑怯もなく、結局のところ人は勝者にすがるしかない世の中を道意はずっと見てきた。裏切りたければ裏切ればいい。だが最後の最後まで役に立ってもらう。そして死んでいけ。それが道意の戦場だ。
(御屋形様は純粋すぎたのだ。故に仕えるのが面白くなくなったのよ)
ふと道意はかつての主君・三好長慶を想った。
純粋さだけを見れば、長慶も親貞も同じかもしれない。だが無能な親貞に対して長慶は稀有な才能を有していた。それこそ道意と比較しても長慶が勝るだろうと道意本人は思っている。事実、教養のなかった道意の才能を見出し、軍略や政略、和歌や茶道の芸道、礼儀作法に秀でることが出来たのは長慶自身がそれらに優れていたからこそだ。南蛮渡来のものにすら、最初に目を付けたのは長慶が先だ。
基本、道意が持っていて長慶が持たないものはにない。唯一あるとすれば、それは非情さだろう。
その長慶は乱世に於いて兄弟で支えあって生きてきた。故に非情に成り切れず、流石に父・元長の仇敵だった政長こそ討ち果たしたものの共謀していた細川晴元は追放に留め、それ以上に追い詰めることもなかった。それどころか嫡子・聡明丸を預かって育成し、自ら加冠役として元服させ、晴元死去に際しては葬儀も執り行っている。また義輝にしても刺客を送られて命を狙われても自らは将軍を戴く立場を貫き、戦国時代特有の自身に都合の良い傀儡将軍を奉じる事を最後までしなかった。
その後、勢力の拡大に対してもあくまで反抗勢力との対立に終始し、自分から攻めて版図を拡大しようという意図は見られなかった。
もし長慶が敵対勢力に対してもっと非情であったならば、傀儡将軍を有して大義名分を手に入れ、六角や畠山などを滅ぼして天下の過半は制していたのではないかと道意は振り返る。今の義輝の復権も長慶が非情であれば、なかったものだと思う。
(それが御屋形様の限界よ。儂はそうではない)
敵だけでなく身内に対しても徹底的に冷徹になれる道意は、邪魔となる者を滅ぼすのに躊躇はない。この合戦に勝ち、毛利を滅ぼし、義輝を殺して再び天下を掴み取る。その野望は未だ潰えぬ。
「さて、狼煙を上げる時ぞ」
戦国乱世を常に天下の中枢で生き抜いてきた道意こと松永久秀の瞳は怪しく、そして力強く輝いていた。
【続く】
昨年末の順調な投稿から一カ月、お待たせしました。これからはまた不定期となりますが、最後まで頑張って書いていきたいと思います。
さて今回は道意が主役の回であり、大友方をどのように道意がまとめているかが分かります。いつ崩壊してもおかしくはない状況を渡っているのが道意らしいところでありますが、最後にちょっと道意が旧主についてどのように思っているかを描いています。
裏切りのイメージが強い久秀ではありますが、長慶時代は変わって従順であります。これは長慶が圧倒的に有能であったからと筆者は推測しております。そして長慶と違う方針を内心で抱えていたものが、長慶の死後に出てきたと。永禄の変なんて、まさにそれです。
いずれ義輝が長慶をどう思っていたかを描く場面は予定しておりますので、いろいろと想像しながら読んで頂けると幸いです。




