第十二章 博多の陣 ー暴かれた正体ー
九月三日。
筑前国・太宰府
この前日まで毛利勢によって占領されていた九州の古都は、いま大友の手に還っていた。“毛利勢撃退す”との報せは宗麟重態によって沈みかけていた大友陣営を一気に活気づかせるには充分だった。
「流石は肥前守様の采配にございます。我ら大友を苦しめた毛利を相手の大勝利、おめでとうございます」
開口一番に道意が大友肥前守親貞に駆け寄り、賞賛の言葉を口にする。もはや見慣れた光景であるも、当の本人は心地よさそうに頷きを繰り返している。
「これも道意の手並みよ、相変わらず見事ぞ」
「滅相もございませぬ。勝敗は兵科の常と申すほど実際にやってみなければ分からないもの。戦場で指揮を執ったのは肥前守様でございます。拙僧ではとても成し得ませぬ」
「まぁ……、それはそうだな」
と親貞は悦に耽った。
全てのお膳立てを道意が行い、親貞のやったことといえば“攻めよ!攻めよ”と本陣で喚き立てたくらいである。もちろん道意も脇に控えて戦場に身を置いてはいるが、今回は口を出す場面は最後までなかった。もちろん口出しの必要がないことを予想できたからこそ采配を親貞に委ねたというのもあるが、当の本人は自分の力で毛利を撃退したと思い込んでいる。
「きっと御屋形様も喜んで下さいましょう」
「うむ。早く幕府勢を九州から追い出し、御屋形様には心を安んじて静養に努めて貰わねばならん」
純粋というのか無知というのか、親貞は本気でそのように思い込んでいた。自分のやったことが大友の未来にどのような影響が出るのかまったくと言っていいほど考えていない。ただ勝つことだけが、大友の為になると思っている。
全て道意に都合の良いように進んでいる。
「して、この後はどうする?確か博多を攻めるのだったか?すぐに発つか」
だからすぐに道意に訊ねるという元の形に戻ってしまう。
「いえ、いま発てば数の上で有利にはなりますが、戦場は多々良川となりましょう。なれば毛利が幕府と合流するのを待つべきかと」
「敢えて合流を許すというのか。それでは我らが不利になるではないか?」
「数の上では仰る通りです。合流したところで敵は烏合の衆、地の利と人の和は我らに、そして天の時は肥前守様にございます」
「そ……そうか、天の時が儂にあるか」
親貞は口元を緩ませてまんざらでもない表情を見せるが、やはり敵の数が多くなることについて少なからず恐れを抱いているようで、瞳は笑っていなかった。仕方なく道意は親貞の不安を取り除くために策の一端を明かすことにした。
「まず幕府は兵を三つに分けて九州に送っております。一つが我らが戦った毛利勢、こちらは肥前守様の敵ではなかったことが証明されております」
「うむ。音に聞く毛利があれほどあっけない相手とは思わなかった。鬼吉川が何ほどのものぞ。これまで老臣どもが勝てなかったのが不思議なくらいじゃ」
自身の力で勝利したと信じている親貞は早くも毛利の力を侮り始めていた。先の戦いは陣形の不利を悟った吉川元春が撤退を即断したことで表向きは勝利を得たが、当の元春が自ら殿軍を務めたことにより大した被害を与えることは出来なかったのだ。
(故に実際にやってみなければ分からないと言ったのだ、阿呆が)
と心の中で悪態を付く道意だったが、それを敢えて親貞に教えるような事はしなかった。
「二つ目が中国、四国勢です。この後に幕府本隊、つまり将軍の率いる軍勢がおります。そして我らは大宰府、門司、府内に軍勢を配しております。もちろん島津にも抑えを割いてはおりますが、ここでは一旦、そちらは省いて説明いたします」
と道意は北部九州を描いた絵図の上、大宰府、博多、門司、松山、府内、赤間関と白と黒の碁石を置いていく。
「今すぐ発ち、我らが博多を奪うことは容易うございますが、それでは毛利が門司に撤退してしまいます。門司には中国、四国の軍勢がおり、これに将軍の本隊が駆け付ければ流石の我らとて太刀打ちは出来ませぬ」
道意が碁石を動かし、門司に白の幕府勢を全て集める。
「されど大宰府で待てば敵は毛利救援に中国・四国勢のどちらか……、恐らく中国勢が博多に援軍として差し向けるかと思われます」
「どうして中国勢なのか?」
「規模からしても中国勢の方が数が多うございますし、四国勢には少なからず府内から我らに中入りされるのを危ぶむ連中もおりましょう。故に自分たちで府内の軍勢を自ら釘付けにした方が安心できるので、自然と中国勢が博多へ出張ってくると思われます」
なるほど、と親貞は頷きながら扇子を扱いて“続きを”と促す。
「なればこそ毛利と中国勢が合流したところを叩きます。府内には肥前守様の名で出陣を命じており、府内の本隊と合流した戸次殿が四国勢を叩けば、後は我らが合流して幕府本隊と戦うのみ……ですが、ここまで来れば戦にはならぬでしょう」
「なに?幕府本隊と戦わぬのか?」
「将軍とて阿呆ではありません。先んじて送り込んだ西国勢が敗れれば、不利を悟って兵を退くでしょう。この際、和睦して九州を全て当家のものとして認めさせます。北部九州を抑えてしまえば、島津如きどうにでもなります。よって今は抑えで充分なのです」
「そういうものか。ならば博多で必ず勝利できる策を考えるべきだな」
「ご安心を、既に策はございます」
「なんと!?」
親貞は目を見開いて驚いた。いつも任せっきりにしてはいるものの幕府を相手に道意は先手先手を常にしている。ここまで用意周到なら、何もかもが上手くいくような気がしてならなかった。
「実は伊東攻めの折、拙僧は御屋形様に密かに呼ばれて策を授けられてございます」
「なに?御屋形様の策だと?……儂ではなく、道意に授けたのか」
宗麟の策と聞いて親貞は驚きと安心を同時に抱いたものの自身が省かれたことに“気に食わぬ”と苛立ちと嫉妬も覚えた。しかし、親貞程度に威圧されたところで天下の中枢で政争を繰り返してきた道意にとってはそよ風も同然、気にすることなく話を続けた。
「必勝の策とは秘中の秘とするもの。肥前守様の武名は幕府にも知れ渡り、表立って動かれれば敵に策を気が付かれる危険がございます。それを嫌って御屋形様は拙僧に授けたものかと存じます」
「確かにのう。流石は御屋形様じゃ。全てを見通しておられる」
とすぐに親貞を納得させてしまった。
(そもそも全てを見通せるなら、幕府に攻められるようなことにはなっていないのだがな)
ただ道意の本音は違い、言葉は上辺だけのものだった。それでも道意は今の状況を好ましく捉えている。何せ宗麟が追い詰められなければ、自分の出る幕はなかったはずだ。僅かな期間で影から大友勢を束ねるところまで力を取り戻した。後は眼前の幕府勢を破り、その上で宗麟から授けられた策で勝利したことを親貞から明かす。そうなれば親貞の命令に逆らえる家臣はいなくなり、影で宗麟を始末してしまっても影響はなく、原因も怪我の悪化と言い訳には事欠かない。
義輝が撤退している隙に島津を圧倒、九州を束ねて手負いの毛利を討ってから義輝と再度の決戦に及ぶ。そこで義輝を討てれば、道意の復讐はようやく完遂する。
「機を逸してはなりません。水城に堅陣を敷き、幕府を博多に留めておくことがこの策の要にございます。その上でいつでも博多へ攻め寄せられるように致しましょう」
「うむ」
親貞が大きく頷くと道意はサッと立ち上がり、水城への移陣を下知するのだった。
博多での戦いが間近に迫っていた。
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九月二十六日。
筑前国・博多
さてこちら幕府軍側はというと、依然として水城から動かない大友に対して攻めるか守るかの議論が連日に行われながらも方針を決定できずにいた。
「水城では大友が堅陣を敷いているとのこと。兵の数では勝っていても地の利は敵にあり、勝ちは拾えても犠牲は大きくなりましょう。ここは博多の守りに徹し、調略に力を注ぐべきかと」
「上様の来陣は近い。阿波中納言様と合流されれば道雪など鎧袖一触じゃ。こうして博多の維持は叶ったのだ。道雪が敗れて大友が動揺している隙を狙えばよい」
「然様、さすれば敵は自ら築いた陣地を捨てて遁走いたしましょう。その時こそ絶好の機会にござる」
このような主張が守勢派の意見の大半を占めており、主に幕臣や筑前勢に多い。
博多から大宰府方面へ進む場合、途中の水城辺りから平野が少し狭くなっている。この地形を利用して古代には白村江の戦いの後に朝鮮半島を有す新羅の脅威から大宰府を守るために水城、大野城が築かれていた。この水城の遺構は現在も残っており、大友方は博多に存在する元寇防塁ならぬ水城防塁を幕府の侵攻を妨げている備えとして利用、手を加えて更に強固なものとしていた。
「大友の備えなど俄か作りに過ぎぬ。ここは堂々と攻め寄せて、じわじわと崩せばよい。数の利を活かし、昼夜を問わずに攻め立てれば敵は疲弊しよう」
「中入りという方法もある。一隊を割き、肥前を先に攻めるというのは如何か。敵の大将は肥前守なのだろう?なれば本拠を脅かせば兵は動揺するはず」
それに対して攻勢派は逆襲に燃える毛利、吉川に加え、尼子や島津家久らが主張した。概ね全員が二万以上もの差がある現状で及び腰になる必要はないと考えていた。
現在、幕府軍は東から立花山に立花鑑載の子・親善八〇〇、麓には宗像、麻生らの軍勢六〇〇とその南西・名島に赤松広貞二四〇〇、南の長者原に赤松政範三二〇〇、そこから西にいったところに本陣・箱崎八幡宮に足利晴藤八〇〇〇がある。その近く千代の松原には石谷頼辰の美作勢四二〇〇、副将の毛利勢一万三〇〇〇は櫛田宮また僅かに東部に位置する聖福寺に分かれ、博多全域を守護。その南の住吉に吉川元春、元資親子六六〇〇が兵を置いて警戒を厳にし、上野隆徳の備中勢四四〇〇は更に西の別府、尼子義久は六三〇〇は百道原、高祖山には原田隆種九〇〇と並んだ。細川藤孝の九二〇〇と島津家久の一五〇〇は晴藤の前衛として長者原の南・平尾一帯に布陣しており、その西・東光寺には高橋宗仙一〇〇〇と広く展開していた。
幕府方の総勢は六万二一〇〇にも及ぶ。
対する大友勢は総大将・大友親貞の一万八〇〇は肥前国衆・有馬、大村、松浦、後藤、平井、小田などを糾合して堂々の布陣、他に龍造寺隆信二五〇〇、筑紫広門二〇〇〇、吉弘鎮信と高橋鎮種の兄弟一四〇〇、蒲池鑑盛三八〇〇、その従弟で上蒲池当主・鑑広二四〇〇、西牟田鎮豊一五〇〇、田尻鑑種六〇〇、志賀親守二八〇〇、阿蘇惟将と甲斐宗運五五〇〇、名和行直九〇〇、城親賢・赤星統家・隈部親永ら旧菊池家臣団四四〇〇の総勢三万八六〇〇となっているが、実際は道意が疑兵五〇〇〇を用いている為に四万数千という報告が上がっている。
故に差は二万、というのが幕府側の見解だった。
故に攻勢派は開戦を主張するが、最前線には吉弘鎮信と高橋鎮種の兄弟が配置されており、岩屋城での苦戦が記憶に新しい筑前衆が揃って守勢派に回り、兵の多寡を武器に攻勢に出ようとする者たちを押し留めていた。
そこへ戦局を動かす二つの報知が入る。
実は先日より晴藤の命令で親貞の側近は誰であるかを探っていると、道意なる人物の名が挙がってきた。流石に道意が何者であるかまでは判明しなかったが、老齢で僧籍にありながら政略、軍略に秀でると伝わる。その道意の正体をくまなく探していたところ、遂に手掛かりが目下の博多より見つかったのだ。
その手掛かりを持っていた人物は博多の豪商・島井宗室であった。宗室は軍議の場に呼ばれ、全員の前で尋問を受けることになった。
「道意様は肥前守様の側近で、一年前より何度も当家に足を運んでは様々なものを買って頂いております。兵糧や玉薬などに加えて、時には茶器なども好まれて買われておりましたな」
「その道意が何者であるか、聞いてはおらぬのか?」
「いえ、元は延暦寺の修行僧であったとくらいしか。されど一度だけ道糞様という不思議な御方が見えられていた時、茶室にお通ししたんですが……」
「それがどうした?」
「ようは聞こえなかったのですが、お二人は顔見知りのようで、道糞様が道意様を見られて“ひさひで”と仰られたことがございました。もしかしたら少し名前が違うかもしれませぬが、そのような御名であったかと」
その瞬間、一堂に戦慄が走った。
老齢で政略、軍略に秀でる“ひさひで”という人物、それでいて茶器を好む数寄者。全てに於いて松永久秀という人物に当てはまるではないか。大友一族の親貞を裏で操るというのも如何にも久秀が好みそうなやり口である。そして道意が現れた時期と畿内で久秀が姿を消した時期は、そう大差ない。伊勢より九州に逃れ、親貞に近づいたとすれば辻褄は合う。
「道意があの久秀となれば、親貞の軍勢は久秀が操る軍勢となるぞ」
「あの大罪人めッ!性懲りもなく上様へ復讐する機会を窺っておったのか!」
集まった諸将の中には実際に久秀と戦った者も少なくない。花隈城で久秀の嘲笑を苦々しく見ていた者もいる。それに主君・義輝が心を悩ませていた事を知る者も多い。
その久秀が近くにいるというのだ。
「久秀が操っておるならば、此度の大それた大友の抵抗は奴の思惑が深く絡んでおると見てよい。宗麟はともかくとして、親貞が操られていることは確実だろう」
そう晴藤が断言した。
親貞に久秀に抗する器量はない。官兵衛の智略に圧倒された自分が言うのだから、間違いないと確信する。今も親貞は久秀の言葉が正しいと信じて、掌に乗せられているのだろう。ならば罪に問いたくはないが、そう甘い世の中でもない。
「久秀は天下の大罪人じゃ。それを目の前にして座して待つことなど上様に対する不敬に値する」
晴藤の宣言で、状況は攻勢派に傾いた。
そこへ更なる報知がもたらさせ、出陣が決まる事になる。上方より義輝の遣いが訪れたのである。
「官兵衛ではないか!?」
晴藤は思ってもみない人物の登場に驚きを露わにした。使者は土岐左近衛少将光秀の家臣・黒田官兵衛孝高であったのだ。
「大納言様、ご無沙汰しております」
「そなたが上様の使者とは、如何なることじゃ」
「上様が我が主を呼ばれ、某を遣わすことを命じられたのです」
「それで上様は何と?」
「毛利の敗北を知って、上様は俄かに出陣を早めると下知なさいました。既に安芸・厳島まで進まれております」
それを聞いて輝元ら毛利陣営は揃ってバツが悪そうに表情を曇らせる。絶句して声も出せない輝元に代わり、敗戦の責任は自分にあると主張するかのように元春が訪ねた。
「ならば上様はすぐに渡海されるのか」
「いえ、此度の九州攻めでは一切の手出しはせぬとのこと。大納言様、上様は“自らの手で九州を治めて見せよ”と仰せにございます」
「私が、九州を?」
まさか、という表情で晴藤は固まった。
確かに紀州征伐では独力で成し遂げた感はあるが、あれは僅かに一国を平定するもので、北陸平定など大掛かりな遠征では義輝が後詰を務めて最終的な裁断を下すことが常であった。今回の九州もそうであると晴藤は思い込んでいたのだ。
晴藤は急激に双肩へ重石がのしかかってきた感覚に襲われた。
(これが兄上の背負われているものの重みか……。いや、これでもまだ軽い方であろう)
と改めて兄の凄さを晴藤は感じる。そしてもう一人の兄・義昭も僅かな期間だったかもしれないが、同じ重みを背負っていたはずだ。
(なのに私が、この程度で狼狽えてどうする)
そう自分に言い聞かし、何とか正気を保とうとする。
「して、状況は如何に?」
そんな晴藤を無理やり呼び起こすかのようにして、孝高は戦況について訪ねた。
「う……うむ。大友は四万の兵を擁して博多の南・水城に布陣しておる。更に今しがた敵方に松永久秀がおることが判明したばかりよ。その討伐に出陣するか否かを問おうとしていたところじゃ」
「松永久秀?あの者が大友に匿われていたのですか?」
「匿われていた訳ではなかろう。どうやら身分を隠していたらしいからな。むしろ大友方は久秀が自陣におることさえ知らぬやもしれぬ」
と晴藤は孝高にこれまでの経緯を説明した。
説明を終えると孝高は右手を顎に当てながら暫し思慮に耽った。思考に思考を重ね、現状で最適の策を導き出す。
「敵方が知らぬなら、こちらから教えてしまいましょう。その親貞の側近として久秀が策を練っているのであれば、一気に敵を崩せるかもしれませぬ。良くも悪くも久秀がどのような人物であるかは上様が身柄の確保を全国へ通達した故に九州へも伝わっております。道意が信頼を失い、疑心暗鬼となった敵を討つのは造作もなきかと」
その言葉に光明が見えたとばかり晴藤の瞳は輝きを増した。
(不思議なものだ。官兵衛が申せば何でも簡単に思えてしまう。されど相手は兄上を苦しめてきた久秀じゃ。気を引き締めてかからねばなるまい)
目の前に久秀がいる。そして本隊の渡海がなく、義輝より自身に全てが委ねられて光明が見えたとなれば、守勢派に回っていた幕臣たちも出陣に首を縦に振らざるを得まい。
「安芸宰相殿、道意が松永久秀であること大友方に何日あれば広められるか」
「その程度、一日あれば造作もありませぬ」
輝元が即座に応じる。毛利には元就の謀略を支えた世鬼一族、座頭衆がおり、全員ではないものの九州へ幾人かは連れて来ている。影働きを得てとするこの者たちを使えば、噂を広めるのに時間はかからない。
「よし!では敵陣に動揺が見られ次第に攻めるぞ!」
晴藤は高らかに宣言する。その時である。開戦を報せる法螺の音が聞こえてきたのは。
大友勢の方から攻めてきたのであった。
【続く】
ようやく明かされた道意の正体というところで今年の更新は終了でございます。
両陣営の思惑が交差する中で、大合戦が待ち構えております。不利を勝利で戦いを挑んできた道意の策とは何か。官兵衛が加わった幕府陣営はどう戦うのか。
最後の戦いとなりそうな合戦にまさかの主人公不在!ですが、リアリティを追求した結果、勢力が大きくなるとこうなるのでは?という予測の下で描いているのでお許しください!一応、義輝メインの場面は今後もあります。笑
それでは今年も完結することなかった剣聖将軍記にお付き合いいただき誠にありがとうございます。来年こそは完結を!と何度目かになる宣言をして、お別れとさせて頂きます。
皆様もよいお年をお過ごしください!