第九章 鬼の心 ー不変の忠義は道に落ちる雪の如しー
九月十日。
豊前国・松山城
幕府軍が拠点・門司城から南方に約四里ほどのところに大友の軍勢一万一〇〇〇ほどが屯している。兵を預かる将は臼杵越中守鑑速、斎藤兵部少輔鎮実らで、武田志摩守、本城新兵衛、今江土佐守などかつて毛利と門司城を争った戦を経験している者たちが中心となっていた。それらを束ねる大将は、大友宗麟が最も信頼していると言っても過言ではない戸次道雪である。
道雪は譜代の由布惟信、薦野増時、小野鎮幸などの与力衆に一軍を率いさせて松山城の西側に位置する朽網城、長野城、宮山城に拠らせる一方で、同僚の鑑速らを麾下の松山城に配し、全ての軍勢を完全に指揮下へ置いて幕府軍に備えている。
(苦しい戦になる。これくらいせねば、大友を守ることは出来ぬ)
必要とあれば諫言を厭わない道雪も同僚らの間で我を通すのは性に合わなず、常ならば強権を振りかざす事を良しとしない性格である。
だが意地や体面を繕っている余裕は今の大友にはなかった。ただでさえ兵力で劣っている上に、これまで天下で名を轟かせていた大名たちが相手になるのだ。毛利一手と争って引き分けていた大友がどう逆立ちしても勝てる見込みは乏しい。
(それでも御家は守らねばならぬ)
そして、その為に命を投げ出すのが武士としての生き方であるというのが道雪の信条だ。だからこそ明晰ながらも欠点の多い主君が出家した際、自らも倣い“一度、道に落ちた雪は場所を変えぬが如く武士なれば忠義の貫く主君を変えない”という信念を自らの名としたのだ。
(誰もが先々に不安を抱えておる。故に儂が先手を切って道を示さねばなるまい)
幕府との合戦の前に宗麟の暗殺未遂とい大事件が勃発し、家中を大きく揺れ動かした事は記憶に新しい。
「田原常陸介が謀反!府内で御屋形様が襲われ重篤の由!これを防がんとした吉岡宗歓様も御身体を強く打たれ、生死の境を彷徨っているとの事にございます!」
「莫迦な!?」
「おのれ常陸介!そっ首、叩き落してくれるッ!!」
事件から二日後に報せは松山城に届き、すぐさま道雪は諸将を集めて宗麟の生存も含めて事実を公表した。
「常陸介、討つべし!!」
最悪の事態が避けられた事に家臣一同は安堵するが、次に田原征伐が声高に叫ばれるのは自然な事であった。これに道雪は待ったをかけたのである。
「何故に止め立てをする!」
これに軍議に参加した者の大半は驚きで返した。道雪の忠義は全員が知るところ、率先して討伐軍を編成するならともかくとして、逆に制止を促すとは誰もが思わなかったのだ。
特に報せが届いた頃は眼前に毛利勢がいるにはいたが、大半は博多から大宰府に出張っており、数では大友勢を下回っていた。もちろん幕府勢が渡海してくる前に門司城を落とすという議論もなされたが、その時は“毛利とて小勢ではなく、籠られれば容易には落ちない事が過去の戦いから確かめられている”として攻城を断念をしている。
「退けば毛利が襲って来る事を懸念しておられるのか?それはこちらの望むところ!野戦で一気に討ち果たし、返す刀で田原へ攻め込めばよい」
兵の数では勝っているからこその論理である。実際、敵が毛利だけだったなら道雪も応じた事だろう。しかし、毛利の後ろには全容が不明の幕府軍がいる。田原親宏は当然なように幕府の援軍を頼りに城へ籠るだろう。そうなれば挟撃される事は目に見えており、敗北は必須だ。
「府内には二万もの味方がおる。田原征伐は本隊に任せ、このまま我らは毛利に睨みを利かせて守りを固めておればよい」
「何もせず、座して待てと申されるか!」
「これは異なことを申される。戸次殿の忠義は何処に捨てて来られた」
これに対し、大友諸将は一斉に反発の声を上げた。普段は“鬼”と恐れられる道雪であるも、諸将らも主の危機に気が立っており、今回ばかりは食って掛かった。
ドンッ!っと大きな音が部屋中に響く。道雪が愛用の鉄扇を力強く床へと叩きつけたのである。同時に道雪が周囲をギロリと睨みつけるものだから、辺りはあっという間に静かになった。
「我が忠義は不変、大友を守ることにある。一時の感情に流されて大局を見失う訳には参らぬ。それともお主らは家を滅ぼしたいのか?」
誰もが道雪の恐ろしさに冷や汗を流し、緊張を募らせる。誰もが緊張感からゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえる。先ほどのざわめきが嘘のようだった。
道雪は大きく溜息を一つ吐くと、同じ加判衆の臼杵鑑速に問いかけた。
「越中殿、確か朝敵とは個人を指すものであったと認識しておるが、相違ないな」
「ふむ……相違ないが、それが如何した?」
鑑速は長らく家中で外交を担当しており、朝廷や幕府との交渉も鑑速が担当している。
「御屋形様が重篤の今、幕府に出頭しようとも不可能じゃ。加えて謀反を起こしたのは田原本家の当主・常陸介だ。田原本家の罪は、田原の家を以って償わねばならぬ。一族の連座は致し方なかろう」
「まさか!?今のうちに親賢を幕府に引き渡すつもりか?」
「今なら御屋形様も反対は出来ぬ。もちろん幕府側は御屋形様の出頭も求めて来るだろうが、重篤を理由に引き伸ばし、その間に何とか折り合いは付けられぬか?場合によっては儂が五郎様を伴って上洛し、公方様に忠誠を誓ってもよい」
道雪の方針に誰もが驚きを隠せなかった。あれほどの戦巧者がまさかの降伏を言い出したからだ。
ただ道雪からすれば、至極当然のことだった。九州の一部から中国、四国、果てには関東まで支配域を拡大させた幕府に九州すら統一できていない大友家が敵うはずもないのだ。今回は特に将軍・足利義輝の親征も伝えられている。かつての中国地方の統一が目的だった西征で十二万を数えた幕府軍だ。今回は二十万に及ぶかもしれず、ならば勢力を保っている今の内に交渉するしか術はない。
それに原因は宗麟が武田信玄ら謀反方の誘いに乗って欲を出した事に始まる。いま思えば昨今の幕府が大友に風当たりを強くしていたのは、以前からその事を知っていたからだろう。言うなれば宗麟の自業自得だ。それまで大友と幕府の関係は良好で、義輝も宗麟に好意的であった事を踏まえれば、やり様はあったかに思えてならない。好意的であったからこそ、宗麟の裏切りが許せなかったと思われる。
ならば清算しなくてはならない。ここで膿を出し尽くし、再出発する。幕府が発表した国割では豊州二カ国となっているが、交渉次第でもう一カ国は保てるかもしれない。最悪の場合でも勢力を保持している今なら豊後一国は維持できるはずだ。九州統一を目前にして口惜しくはあるも、欲を掻き過ぎれば全てを失ってしまうかもしれない。故に諦めるしかないところまで追い詰められていると道雪は考えていた。
「可能か、越中殿」
「やってみる価値はある。そもそも儂は親賢の引き渡しは最低条件と御屋形様に求めておったのだ。これで少なくともきっかけは作れる。後は何とか粘ってみるさ」
「頼む!儂の名も出して貰って構わぬ。少しは役に立つはずだ」
今でこそ鑑速が交渉役を担っているが、かつては道雪は戸次氏が代々将軍家陪臣の出身であることを理由に義輝から御内書を下されたこともあり、幕府としても道雪が宗麟へ直言できる立場にあることを重要視していた節がある。普段は自身の名を用いるなど好まない道雪であったが、この時ばかりは例外だった。
そんな道雪の思惑を打ち崩す出来事が今度は西で起こった。
「御屋形様は幕府との合戦を避けるべく奔走されておったにも関わらず、幕府は卑怯にも御屋形様の暗殺を謀った。これを許してはならぬ。御屋形様に成り代わり、幕府に我らの怒りを示さん!」
として大友親貞が幕府を糾弾して対決姿勢を鮮明にしてしまったのである。もはや宣戦布告に等しい。今から制止を促しても、時すでに遅しだろう。
この時、大宰府周辺では岩屋城で高橋鎮種が見事に徹底抗戦を貫いている最中であったが、これは主に対毛利や筑前衆との戦いであり、防戦であるから幕府との交渉に大きく影響することはなかった。逆に鎮種が無類の強さを発揮してくれた事により“大友侮り難し”の機運が高まっていて、遠征中の幕府との和睦の道は現実味を増した。
「田原と申す者の首を差し出し、国割をも呑むというのなら上様にもご報告のしようがある」
として幕府方も若干の軟化を示して手応えを感じた鑑速は、間もなく交渉の席に着けるだろうと道雪に報告した矢先のことだった。
「何ということをしてくれたのだ!これでは全てが台無しではないか」
親貞は道雪ら重臣たちに諮ることなく肥前、肥後、筑前、筑後四カ国の兵を集め、大宰府へ進撃する。そして吉川元春と合戦に及び、遂には大宰府の奪還と宝満山の救援に成功してしまったのである。
「流石は肥前守様じゃ!如何に幕府が相手といえど卑屈になることはない。我らは大友ぞ!」
これに鬱憤を募らせていた強硬派の連中が靡いたことで事態は悪化する。結局のところ交渉は幕府方と取り付く島もなく完全にご破算となり、道雪も新たな対応を迫られることになった。
「幕府は恐らく二手に分かれて進んで来るはずだ。博多へ向かう一手は見逃し、豊州方面への侵攻を抑えよ」
とそんな道雪の下に親貞から命令が届いたのは八月の末頃だった。もちろん親貞は府内へも書状を送り、本隊を豊前へ兵を動かすよう通達をしている。
(肥前守様は御当主でもなければ陣代でもない。命令を聞く謂れはないが……)
親貞は現時点で唯一“大友”姓を名乗る人物だ。大友は庶流は多くとも大友姓を名乗る人物は少なく、嫡男の五郎が元服を控えて宗麟が指揮を執れない今、代わりを務めるという話は理解する。親貞は壮年であり、実績もあることから常であれば反発する者も少ないはずだ。
だが今は御家が存亡の危機に立たされている。もし道雪が足並みを乱せば、得をするのは幕府だ。ただでさえ兵力の劣る大友が幕府と対抗するのは、強固な連携が不可欠。宗麟ならば親貞の言葉を覆すことも可能だが、今の状態の主君にその責務を与えることは、道雪には無理だった。
(もしやあの道意とかいう者の策略ではなかろうか)
そして一抹の不安もある。未だに道雪は今山の合戦に於ける親貞の采配に釈然としない思いを抱いている。その元凶が道意と名乗る僧の存在だ。あの道意が現れてから親貞に変化が起きたことは宗麟が気付いたように道雪も気が付いていた。今山合戦前に実績はないが、親貞の人となりはそれなりに知っている。その変化が道意に影響されての自発的なものならいい。喜ぶべきだ。だが道意の思惑に操られているのなら危険だ。この展開ですら道意が求めたものである可能性があるからだ。
(いや考えすぎか……)
そう思いつつも邪推だと道雪は首を横に振った。
親貞に近づき龍造寺を討ち倒し、短期間で肥前の国衆を靡かせて肥後を統一、島津と伊東を争わさせて漁夫の利を得る。その上で常陸介親宏を唆して宗麟を殺し、親貞を通じて大友の覇権を握る。
(不可能だ)
それが道雪の答えだった。
そもそも長く大友に仕えた道雪は道意の顔を知らない。明らかに大友家の外から来た者だ。そこは嘘偽りなく親貞が拾った人物だろう。そんな家中に人脈もないような人物が短期間にやれるようなことではなく、仮に人脈があったとしても難しい事だ。
(それに何の意味がある)
幕府に攻められて滅びの道を進んでいる大友家を牛耳る意味を道雪は理解できない。もし道意が出世を望み、先ほど創造したことを成せるほど有能な者ならば、幕府方に行けばいい。幕府は所領拡大している大名は多く、道意ほどの者ならば仕官できる先は山ほどあるだろう。
ここで道雪は大きな過ちを犯した。もし道雪が道意の存在を幕府方に仕官できない事情があると仮定したなら、道意が謀反方の人間であると行き着いたかもしれない。しかし、今の道雪にそのような事に捉われている暇はなく、大友の家をどう守るかを考える事が先決だった。故に早々と思考を道意の正体から幕府戦線へ移してしまった。
「こうなっては致し方ない。府内に兵を出すよう使いを送り、幕府と一戦に及ぶ」
「正気か!お主は以前に勝てぬと思ったからこそ、儂へ幕府との交渉を求めたのではなかったか」
道雪の変心に対し、当然の疑問を鑑速はぶつける。
「ああ、勝てぬだろう」
「では何故だ?」
「肥前守様が戦う意思を変えられぬ以上、幕府との交戦は避けられぬ。即ち負ければ滅亡よ。そして儂が戦わねば幕府は全軍が合流するだろう。それに肥前守様が勝てるとは思えぬ。戦うしかないならば、戦うだけ戦って、負けはしても結果次第で一国は保てるやもしれぬ」
幕府の大軍と戦えば道雪は負けると確信している。ただ戦えば相応の損害を与える自信も道雪にはある。あの若い連中がやれたことをやれずして家老は名乗れぬ。
(戦って戦って戦って、それで負ける。幕府方に無視できぬ程の損害を与えれば、家名くらい守れるかもしれない)
それに幕府は遠征軍であり、本音では犠牲は出したくないと思っているはず。先ほど希望を持たせるために一国と言いはしたが、実のところ一郡さえ保てれば御の字だと考えていた。如何に傷ついた幕府とはいえ、そこまで戦い抜いた大友に一国は許さないだろう。逆に所領没収も大友全軍が死兵と化すのみで、豊後国内で数郡を認めるというのが現実的だ。
戦いが避けられぬ以上、道雪の採るべきは家名を残す道しかなかった。
「恐らく肥前守様には博多の幕府軍を破る策があると見た。ならば我らは豊後の軍勢と合流し、博多の幕府軍が敗れたとの報せに門司の連中が動揺しているところを突く!」
その後、豊後の本隊が動く。流石に動けない宗麟を残して全軍という訳には行かず、五〇〇〇を府内の守りに残して一万五〇〇〇が道雪と合流、門司一帯は更なる緊張に包まれることになった。
【続く】
さあ今回は道雪の話であるも、合戦はなしです。申し訳ない。
高齢で亡くなった彼に“もし”はあり得ませんが、彼が長生きしていたらどうなっていたでしょうね。もし宗茂が秀吉の家臣となっても、道雪は領地一切を譲って(とはいえ豊後国内の領地は残る)大友家に残った気がします。そして義統に請われて朝鮮出兵に、失態を犯さなければ関ケ原は……はい、官兵衛に蹂躙されますね。流石にそこまで道雪は生きていないでしょうから。
今の時代から見ても道雪は魅力にあふれる人物と思います。特にマイナス面がほとんど見られない武将なので、人気が高いですね。宗茂好きが多いですが、私は道雪派です。
さて十日後にまたお会いしましょう。