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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第一章 ~上洛~
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第十一幕 畿内掃討戦 -天下人の落日-

十一月十九日。

摂津国・芥川山城


摂津に入った織田・松平連合軍三万五千は、まずこの城に襲いかかった。


芥川山城は三好長慶が居城とした城として有名である。かつての天下人の城に相応しく摂津国内では一、二を争うほどの規模を誇る。三好山の切り立った渓谷の上に造られ、三方を川に囲まれた天険の要害である。


「如何に堅固な城であれ、籠もる者があれではな」


芥川山城の主は三好長逸である。しかし、既に城主は城を捨てて逃亡していた。置いて行かれた兵は、自分たちを見捨てた主のために何が何でも城を守ろうという気はさらさらない。単に籠もっているのは、自衛に為に他ならない。


「一当てし、威勢を示せばすぐに降参して来るでしょう」


歴戦の雄・柴田勝家は城内の士気の低さを見抜いていた。これに信長も異存はない。信長は全軍に攻撃命令を出すと、高槻の天神馬場で指揮を採った。


予測通り、その日の内に芥川山城は陥落した。


摂津の要害、三好家の牙城が崩れたことは周辺に大きな影響を与えた。すぐに高槻城の入江春継が降伏を申し出てくる。次いで茨城城の茨木重朝も降伏した。


次に信長が狙いを付けたのは池田城である。


池田城の城主は池田勝正であり、勢多の戦で先陣を務めた猛者である。勝正は摂津国人の中では大身の部類に入り、摂津の経略に重点を置いていた三好家中でも重用されていた。この勝正と伊丹城主・伊丹親興を降してしまえば、摂津国内には三好方で大身の者は残っていない。


「我らまだ負けておらぬ。何故に降らねばならぬのか」


だが勝正は頑として戦う姿勢を崩さなかった。


前の勢多合戦で先陣を務めながらも損害は他に比べて軽微であった。これは上杉勢と正面切って戦っていたからであろう。逃げ惑っていた他の者が敗走中に大きな損害を出したのに対し、一定の士気を保って組織的に撤退した池田勢はまだ余力があった。加えて、城はまったくの無傷であるから勝正には降伏の意思はなかった。


ただそれでも、織田・松平連合軍との兵力差は圧倒的だった。


「このまま城に籠もっても援軍はありませぬぞ。伊丹城は降伏し、越水、原田の城も我らに降り申した」

「まだ主家よりの援軍がある」

「本気でそのように考えておられるのか。三好は芥川山城を捨てたのですぞ。それは摂津を捨てたも同じ、守る気があるのなら芥川山に籠もって戦ったはず」


それでも勝正は池田城で七日も粘った。この間に周辺の諸城は相次いで降伏している。また連合軍も三度攻めたが、勝正は城の一郭を落とされながらも果敢に抵抗し、未だに高い士気を保っている。だが落城を回避できるほどではない。


そこで信長は池田恒興が使者として勝正の許へ送った。


恒興を大将にしたのには理由があった。恒興と勝正は遠縁ながら同族だからだ。縁を頼って降伏してくる可能性に賭けたのだ。それほどまでに、信長は勝正を殺したくなかった。


「諦めなされ。御屋形様は池田の所領はそのまま、勝正殿が公方様に忠誠を誓われるのであれば、加増も致すと仰せじゃ」

「加増じゃと!?」


勝正は目を丸くして驚く。


所領の安堵こそは降る者に対して珍しいことではないが、加増など虫が良すぎる話だ。それには訳がある。信長としては大軍を目の前にして簡単に降る者と寡兵ながら最後まで戦おうとする者、味方になればどちらが役に立つかは明白であり、故に役に立つ者にこそ多くの禄を与えるべきと信長は考えていたからだ。


「是非もなし…か」


十一月二十八日。池田城は連合軍に降伏した。これにより摂津の大半を制した信長は南へ向かう。南には石山本願寺がある。


石山本願寺は浄土真宗に連なる一派で、天文元年(1532)に本山のあった山科を法華宗徒の攻撃により失うと、この地に根拠地を構えた。宗徒は百万を超えるとまで言われており、言に加賀国は本願寺一派が守護の富樫氏を追い出して支配している。


信長はこの石山本願寺に対し、義輝の名で矢銭(軍資金)を要求した。


「本山は義輝公の味方ではないか」


もちろん門主たる顕如はこれに反発した。本願寺は義輝と和睦した身であり、表向き義輝寄りである。ただ信長も“京都御所再建費用”という名目で矢銭を課しており、露骨に請求したわけではなかった。故に顕如は義輝方七万もの大軍が相手なら穏便に済ませた方がいいと判断、信長の要求通りに五千貫を支払った。


これにより摂津は平定された。


ここで信長は選択を迫られた。河内に進むか、和泉に進むかである。


「滅びたも同然の三好など放っておけ。それよりも堺じゃ」


信長は南に軍を向けた。


泉州・堺は日の本においてもっとも商業が発展した都市であると言っていいだろう。政治的や文化的には京が勝るが、経済においては堺の右に出るところはない。鉄砲の産地でもあり、南蛮貿易の拠点でもある堺を信長は是が非でも押さえたかった。


しかし、堺は大名の支配を受けない自治都市でありながら、三好家と繋がりが深い場所でもあった。新参の信長など軽く見られている。案の定、堺は三好の力を背景に徹底抗戦する構えを見せた。


「阿呆どもが。今さら三好など当てになるかい!」


一人だけ異を唱えた者がいた。会合衆の一人・今井宗久である。宗久は納屋を経営しており、堺ではもっとも財のある商人の一人である。宗久は既に三好には往年の力はないことを見抜いていた。時流を掴むことこそ、商人がもっとも得意とし、必要するところである。その力を宗久は持っていた。


「堺は公方様に逆らう気は一切ありまへん」

「で、あるか」


宗久により、堺は纏められた。信長が要求した矢銭二万貫も納めた。こうなると信長も泉州での目的は達成されたも同然である。和泉に残る三好方の城など一切の興味を持たず、家臣の佐久間信盛に一万の兵を預けて泉州の制圧を命じると、自身は残りを率いて河内に向かった。


河内には三好義継の居城・若江城がある。そこを落とせば、摂河泉から三好方の勢力は消え去る。天下人・三好長慶が拠り所としていた三カ国は、一月もかからずに失われようとしていた。


三好長慶が死んで、僅か一年と五ヶ月後のことである。


=======================================


一方で大和へ向かった上杉輝虎は、多聞山城を包囲していた。多聞山城には久秀の子・久通が四千で籠もっていた。久通は義輝を襲った実行犯であり、それを知った輝虎は問答無用とばかりに開城の使者すら送らず城攻めの命令を下す。だが…


「何じゃ……この城は?」


輝虎の眼には、多聞山城は異様に写った。


まず三方を空堀に囲まれ、南側は川が流れている。眼下には城下町が形成され、城の主郭と善勝寺山の間には大堀切り、善勝寺山にも曲輪が設けられている。そこまではいい。だが石垣が張り巡らされており、真っ白な漆喰の塀に屋根は総瓦葺き、土塁上には長屋形状の櫓が築かれている。そして何よりそびえ立つ四層の大櫓(後の天守)があり、その山頂に築かれた大櫓からはこちらの動きなど手に取るように分かるだろう。


逆賊・松永久秀の居城としては似つかわしくない城である。しかし仮に久秀を“天下人”と見るならば、この壮麗な城は何とも相応しい城郭となる。


(どうやって攻めていいか分からぬ)


それが輝虎の正直な感想だった。このような城は東国にはなく、上方においてもこれまでいくつかの城を見てきたが、東国にあるものと差して大きな違いはなかった。だが、この城は違う。事実、上杉勢は攻めあぐねた。


城攻めには概ね城方の三倍は必要とされている、多聞山城に籠もる兵が四千なので、上杉勢はぎりぎり三倍に届く数である。故に落とせなくもないのだが、上杉勢の中に上方出身の者はほぼ皆無であり、皆が初めて見る多聞山城の異様さに圧倒され、思うように攻めきれなかったのだ。


「様子を見るしかあるまい」


輝虎は全軍に攻撃停止を命令し、筒井藤政(後の順慶)の到着を待つことにした。南方の西方院山城に入り、遠巻きに城を包囲する。


筒井藤政は大和の戦国大名であり、大和国内で久秀に対抗しうる唯一の勢力である。長年に久秀と戦っていただけに、多聞山攻略に大きな力を発揮すると思われた。


二日後、筒井勢が二千を率いてやってきた。大将は松倉重信、島清興であった。藤政は若年のために筒井城に残っていると言う。


「あの城を攻めるよい手立てはないものか」


陪臣が相手だろうが、礼儀を重んじる輝虎は筒井家臣相手であっても下手に出て方策を訊いた。


「はっ。まずはこれをご覧下され」

「これは?」

「多聞山城の縄張りにございます」

「なんじゃと!?」


輝虎を始め、上杉の家臣たちは一斉に驚きの声を上げた。重信が広げて見せた多聞山城の縄張り図はかなり詳細なもので、城の全景が手に取るように分かった。


「多聞山は、かつて筒井の城であったか」


さも当然のように、輝虎はそう思った。が、事実は違った。


「いえ、五年ほど前に松永弾正が築いた城にございます」

「では何故にこのような絵図をお持ちか?筒井は手練れの忍びでも雇っているのか?」

「その様な者がおりますれば、大助かりにございます。されどこれは違いまする。松永弾正は多聞山の城を誰にでも見物させまする。町人や宣教師なども例外ではござらぬ。これは当家の者が僧に扮して手に入れたものにて」


輝虎は唖然とした。何処の世界に己の居城を見せびらかす奴がいるだろうか。そんなことをすれば敵に攻められたときに困ることになってしまう。いま輝虎たちがしているようにだ。


「松永弾正は阿呆か」


と上杉家臣の誰かが言った。しかし、それは違うと輝虎は思った。逆にこれほどまでの剛胆さを持つ久秀を侮れないと思った。己の懐を敢えて見せることにより、城攻めが難しいということを相手に知らしめ、戦意を失わせる。そういう意味では、多聞山城は謀略家・松永久秀らしい城と言えるだろう。実際、輝虎はこの縄張り図を見ても何処から攻めていいか分からなかった。


「多聞山を無理に攻めれば損害が大きくなる一方にございます。援軍なき籠城戦に勝利はございません。故にまずは河内の三好との連絡を断ち、多聞山城を裸城にすべきです」


今度が清興が話す。河内には三好義継の若江城があり、大和の久秀がこれと連携するのは目に見えている。久秀は大和にもう一つの居城というべき信貴山城を築いており、それと多聞山城との間にいくつもの出城がある。これを軸に大和の支配を強化しているのだが、この状況では一つの防衛戦と化していた。これを分断し、多聞山城を孤立させて自落させる。それが島清興の策であった。


「ならばここは実乃に任せる」


輝虎は包囲組に上杉勢二千に畠山など北陸勢五千を指名した。北陸勢などは損害を出ることを嫌っているために輝虎の指示に対して否応なしに応じる。


その後、輝虎は久秀のいるだろうと思われる信貴山へ向け、筒井勢の先導で出発した。その途上、多聞山と信貴山の間にある城は悉く落としていった。


こちらも摂津同様、滅亡寸前の三好・松永らに荷担する者共は少なく、上杉勢は無人の野を行くが如く信貴山へ迫ることが出来た。勢多合戦では松永方の先鋒を務めた高山友照も降伏してきた。


その所為か多聞山城が特別で他は大したことないのでは、という空気が上杉勢に漂い始めていた。しかし、信貴山城に着くとやはり松永久秀の恐ろしさを改めて知らされることになった。


信貴山城は山頂にこそ多聞山城で見た四層大櫓があるが、見る限り典型的な山城である。試しに城を攻めてみたが、城内にいくつもある土塁の裏から鉄砲で狙い撃ちされて攻めきれず、正面が無理ならばと西側の高安山側から攻めた。しかしこちらには山城には珍しい横堀があり、ここを拠点に鉄砲隊が待ち構えていた。


勢多合戦同様、上杉勢は城攻めにおいても鉄砲を使われたのは初めてであった。その上、防戦において鉄砲が如何なる力を発揮するかを思い知らされた。


上杉勢はたちまち追い返され、戦いは持久戦の様相を呈してきた。


「さて…如何するか」


信貴山一帯の戦況だけみれば劣勢である。城方は四千にこちらは七千しかない。これでは城攻めが難航するのは目に見えている。だが大局では大和国内に残る松永方の城は信貴山と多聞山だけであり、隣国河内には織田勢が迫っているようだ。三好の本拠・若江城はここから一里(4㎞)ばかり北西にあるに過ぎないが、織田勢を警戒して援兵を出すような危険は犯さないだろう。


「織田様か上様に援兵を依頼するべきかと存じます」


家臣の何れかが揃って進言してくる。こちらが攻め切れていないのは単に兵力不足だからだ。織田勢並の兵力があれば、大和一国などすぐに平定できると輝虎は考えていた。しかし、威勢良く大和侵攻を願い出た手前、易々と援兵を請うことは輝虎の矜恃が許さなかった。


策がないことはなかった。城の規模では多聞山城の方が小さく、こちらを先に全力で落とした後に信貴山を攻めればいいのだ。ただ今回の黒幕・松永久秀を目の前にして一端とはいえ引き下がることに輝虎は躊躇した。


「さて…如何するか」


輝虎は、再び同じ言葉を吐いた。


十二月二日のことである。




【続く】

次話投稿です。


上洛編は残り二話を予定しています。さて、年内に間に合うか……


頑張ります。

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