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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第八章 ~鎮撫の大遠征・西国編~
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第六幕 上原館の変 -天魔の嘲笑、九州に響く-

八月二十七日。

筑前国・岩屋城


 九州・大宰府を守る要衝である宝満山城の支城・岩屋城は堅固な城ではない。どちからといえば籠もるに相応しくなく、大宰府を管理する意味で築城された経緯がある。故に本格的な籠城は宝満山城でするのが定石だった。


 岩屋城に籠もる兵は七〇〇余。対する毛利勢は二万を擁し、城の縄張りを熟知する高橋鑑種がいる。当初は即座に降伏するか、闘っても二、三日の内に敵は宝満山城に退くと思われた。それが十四日間を経過しても落城に至っていない。


筑前岩屋に“無双の大将”あり。


 守っている将は、大友宗麟が側近で智勇兼備の名将と称えられた吉弘鑑理の次男で、高橋氏の名跡を継いだ高橋鎮種。この戦いは数年前なら毛利と大友の戦いで話が終わったのだろうが、今回の毛利はあくまで幕府軍の一部隊に過ぎない。つまり天下の幕府軍と九州の覇者・大友家の戦いに変化した為に鎮種は己の武名を天下に示すことになった。


 ただそれも今日で終わる。大手口に位置する虚空蔵砦は陥落し、守将たる福田民部少輔が孤軍奮闘した後に討たれて大手門の突破を許している。本丸も昨夜に吉川元資らの攻撃で落ち、鎮種は健在であった二ノ丸へ退避した。


 もう城は持たないと、寄せ手の総大将である吉川元春も、城将・鎮種も同じように思っていた。


「まだじゃ!まだ儂は闘える!」


 それでも鎮種は一度、決めた覚悟から抵抗を止めない。己に課せられた“毛利に打撃を与える”という役割を最後まで果たさんと握る刀槍にも力が籠もる。


「防げッ!防げッ!まだ矢玉は尽きておらぬぞ」


 次々と迫る毛利勢を射る味方の傍で、鎮種は抜けてきた兵を仕留めていく。それも束の間、味方の屍は累々と築かれ、最後の瞬間が迫っている現実を突きつけられる。


「殿!あれをご覧下さいませッ!」


 そこへ最前線で闘っている兵の一人が持ち場を離れて報せてくる。


 その時である。急に東から攻める立花勢の勢いに陰りが見えた。その先には背後から敵を襲う一団がおり、抱き杏葉の軍旗が大きく揺れていた。


「孫七郎を死なせるな!儂に続け!」


 東側の水瓶山から攻め寄せていた立花勢の背後を宝満山城に籠もっていた実兄の吉弘鎮信が襲ったのだった。完全に油断していた立花勢は即座に大混乱に陥り、とても城攻めどころではなくなっていた。


「脆い!脆過ぎるわッ!そなたらが味方だったと思うと寒気がしてくるわ!」


 立花勢の弱兵ぶりに鎮信は呆れ果てた。


 ただでさえ城方の抵抗が激しい最中に背後から襲ったとはいえ、闘いは一方的な展開で進み、鎮信はあっという間に二ノ丸へ辿り着いた。自分たちが大兵だとして油断していた証拠である。これが毛利のように自前の兵ならここまで背後に油断はなかったはずだ。しかし、率いる立花鑑載は大兵を援軍として受けた側で、所詮は幕府の威を借る者に過ぎない。この油断が鑑載の命を縮める結果に繋がった。


「もうよい!孫七郎、退け!」


 城壁まで接近した鎮信は鎮種の姿を確認し、撤退を告げる。これに鎮種は即座に拒否で反応した。


「まだ城に残って闘っている者がおり申す!某だけ退散する訳には参りませぬ」


 本丸は落ちて二ノ丸は健在だが、もはや落城は寸前。それは鎮種も理解している。それでも此処での撤退は最後の一兵まで闘い抜く覚悟で死んだ者たちに申し開きが立たない。鎮種は我が身可愛さに兵を退く真似は出来なかった。


「阿呆!ここで死ぬ事が御家の為になると思うな!恥辱を堪え、生きて奉公せよ!お前が退くまで、儂は留まるぞ!」


 この時、鎮信は生涯に於いて一番に声を張り上げたと後に回想するほど大音声で、弟に呼びかけた。自身の命を盾にして、再度の撤退を迫った。


「申し上げます!敵将・立花鑑載を討ち取ってございます!」


 そこへ急報が告げられる。水瓶山より攻め上っていた毛利方の大将である立花鑑載を吉弘勢が奇襲により討ち取ったのだ。宝満山城の敵は籠もったまま出て来ないと高を括っていた鑑載の失態である。城方の抵抗が激しく、我が身可愛さで後方に陣取っていた事が落命の原因となった。幸いにも鑑載は継嗣の親善を先に逃がしたために立花勢が潰えることはなかったが、一時的に城の東側の包囲が破られて退路が生まれた。


「こちらが鑑載の首にござる」


 兵の一人が布に包まれた首を見せると、鑑載が元々大友家中にいた二人には間違いなく本人という事が分かった。


「今ならば敵の包囲は緩む!落ちるなら今しかない!」

「……承知」


 次の瞬間、二ノ丸の城門が開け放たれた。中からは高橋勢が脱出し、その後ろを本丸より攻め追ってくる吉川の兵が姿を現す。そこへ鎮信は割って入り、一撃を加えて撤退を援護する。


「ここで儂は一時、毛利を食い止めておく。お前は先に行け」

「城主は某でござる。殿軍ならば某が……」

「お前の手勢は疲労が激しく、落ちるだけで精一杯のはずじゃ。兵は一度、後ろを見せれば弱い。これまで通りだと思わぬことぞ」

「……忝い」


 そう言って鎮種は頭を下げ、宝満山城を目指して東へ進んだ。


 此処で死ぬと覚悟を決めていたからこそ、高橋勢は強かった。しかし、兄・鎮信が生きる希望を与えてしまった事により兵は命を惜しむようになる。同じ闘いが出来ないことを鎮種は即座に悟ったのだ。


 かくして岩屋城は毛利の手によって陥落した。


 城主・鎮種は命を繋いで生き延びたが、城兵六百二十四名が討ち死にをし、生還したのは僅か七十七名であった。また吉弘勢も救援に駆けつけた六五〇の内、一〇〇近くが死傷している。対して毛利方は立花鑑載が討ち死にをし、死傷者が三〇〇〇を超える大損害を被ることになった。


 岩屋城の戦いは、後の歴史に鎮撫の大遠征での激戦の舞台として語り継がれていくのである。


=====================================


八月七日。

豊後国・安岐城


 時は少し遡り、まだ岩屋城が毛利に囲まれようとしている寸前、名門・大友氏の本貫である豊後で大きな事件が起ころうとしていた。


 事の発端は宗麟に対して朝廷より治罰綸旨が下されたことに始まる。これにより僅かに繋がっていた幕府との交渉は頓挫し、守護国の分割統治という目論見も潰えた。それでも大友家は九州では敵なしであり、もはや幕府との一戦あるのみと息巻く者も家中には多くいるにはいたが、譜代の家臣たちは恭順派が多く、何とかして交渉を再開できないかと口にする者も後を絶たなかった。


 と同時に幕府が謀反の証として提示している武田信玄との書状に名を連ねて蟄居処分を受けている田原親賢を幕府に差し出すべし、との声も上がり始めた。親賢に責任を全て押し付けて、打開を図ろうとしたのである。


 これに拍車をかけたのが田原本家の家督を有する常陸介親宏だった。


「田原殿の引渡しは最低条件であろう。それよりも気になるのは、御屋形様が新九郎様に田原本家を継がせるつもりでいたということだ」


 新九郎とは、宗麟の次男のことである。その新九郎を田原本家に送り込んで、取り込もうと画策していたというのだ。その噂の出所は正直に言って判らないが、親宏にとっては面白い話ではなかった。


 そもそも親賢は奈多鑑基の子で、宗麟の正室・奈多夫人の兄であることから重用されていた。後に田原親資の養子となって田原を名乗るが、縁は薄く親資は武蔵田原家と本家ではなく傍流に過ぎない。それが田原を名乗って大きな顔をしていることに親宏は不満を抱いていた。また親賢の幕府への引渡しが声が上がるのみで具体的に話が進まないのは、奈多夫人が反対していることに加えて、宗麟自身が親賢を何れ復帰させる意向であることからと思われていた。


 それでも親宏は大内が潰えた後の所領制圧戦や毛利との戦いなどで武功を重ね、大友家発展に著しく貢献している。先日の伊東攻めにも参加して、それなりの働きをしているにも関わらず、宗麟が親宏へ報いることは少なく、逆に親賢へ田原家の所領を与えて内紛を誘発するなど警戒心を露わにした。伴天連たちですら“豊後の最も勢力ある大身”と称する田原氏の力の強大さを危険視したのだ。


 そこに親賢の更迭である。幕府に引き渡されるとなれば死罪は免れず、御家の危機に反して好機と捉えた親宏は宗麟へ対して、かつて親賢に奪われた旧領を返還するように申し出たのである。


「このような時に常陸介は何を考えておるのか!」


 これを聞いた宗麟は顔を赤らませて激昂した。


 親賢が謀反方と交渉したのは、自分の意向を受けてであることは宗麟が一番に判っている。そもそも親賢は確かに家中では嫌われ役かもしれないが、独断専行することなく宗麟に忠実な為に父の代から仕えて諫言を繰り返す家老たちに囲まれている宗麟にすれば、親賢は側に置いておきたい存在だった。故に蟄居でほとぼりを冷ませ、後に復帰させる考えにあった。


「いま臼杵越中殿は幕府との交渉に難儀しております。その苦労に何とか報いてやらねばなりません」


 ただ府内に残る大友三老が一人・吉岡宗歓が再三に亘って主への諫言を口にしている状況だ。少しでも交渉役の助けになる材料がいる。それには親賢の引渡しは必須事項と考えていい。一人に拘って、大友家そのものが崩壊しては何の意味もないのだ。


「そなたの申す事は判るが……」

「常陸介の事もです。幕府と抗するにも大身の田原を動かさずにはいられませぬ。後の事はともかくとして、今は受け容れる他はありませぬ」


 途端に宗麟は怪訝な表情を浮かべて露骨に不満を露わにしたが、いま家中で騒動を起こすわけには行かず、親賢の所領を誰かが引き継がなければ幕府との戦いにも影響を及ぼすことも宗麟は判っている。親賢の所領は豊後に留まらず家中で随一であり、その兵力を対幕府戦で使用できないのは痛い。仕方なく宗麟は親宏の申し出を認めることにした。


「常陸介の申し出を受けるからには、それ相応の活躍を期待しておるぞ。田原総出で御家に奉公せよ」


 領地から将兵を総動員せよと言わんばかりの返書を送った宗麟は、親宏のことなど忘れて軍務に忙殺されていく。


「好機じゃ!ここで宗麟の首を獲れば儂が豊後一国を支配することも不可能ではない」


 ところがである。既に大友家から心が離れていた親宏は更に謀計を案じたことで、事態は急変する。


 親宏は長女を秋月種実に嫁いがせており、その秋月は幕府方に身を置いていた。つまり親宏は幕府方との伝手を独自に有していながらも親賢の所領を受け取る際に兵を動かす大義名分もある。


「ただ幕府に寝返るにしても手土産は必要だ。それが宗麟の首となれば、恩賞は思うがままのはずだ」


 親宏の中の積もりに積もった鬱憤が怨恨へと変化し、豊後府内にいる宗麟を襲ってしまおうと画策し始める。すぐに種実へ繋ぎを入れて内応を申し出た。


「常陸殿が我らに御味方くだされば万騎を得たも同然にござる。常陸殿の事は儂から幕府へよくよく伝えておこう」


 と種実は親宏の返り忠を手放しで喜んだ。秋月という立場からも幕府に何かしらの手土産がいると考えての事だろう。親宏が宗麟の首を挙げるなら、直接ではないにしてもきっかけとなった秋月の立場も良くなる。


 種実にとっては、まさに渡りに船。この誘いは親宏の行動に拍車をかけ、決意を固めるに至った。


「そろそろ仕度は出来たか?」


 府内に赴く為に安岐城下に泊めてある軍船へと乗り込む予定の親宏が家来の一人に尋ねる。


「はい。既に出立の準備は出来ております」


 親宏の居城・安岐城は別府湾を挟んで府内とは対岸に位置している。普段からも船で行き来をしており、今回は府内にある親賢の屋敷を接収しに行くと伝えてあり、一部の兵は所領に残すものの自分はそのまま本隊合流するとして兵を引き連れることを怪しまれることもない。もちろん府内にも相当な数の兵が集まっているだろうが、恐らく府内にいる者たちは幕府との対応に追われてそれどころではないと思われる。


「混乱に乗じれば湊まで逃げることは不可能ではない。船に乗ってしまえばこちらのものよ」


 船内でほくそ笑む親宏は計画の成功を疑わなかった。


 既に毛利の軍勢は門司に到着しており、三老が一人・戸次道雪が豊前へ出陣中である。自分の謀反が発覚しても道雪が兵を返して来ること不可能で、宗麟を討てば府内でも大混乱が起きる。なら自分は領内で引き篭もっていれば、何れ到来する幕府軍が助けてくれるはずだ。


(数万……いや、十万の援軍が儂には付いておる。加えて軍功第一も儂のものか)


 全て親宏に都合の良い状態が整いつつあった。


「これは田原殿、御役目ご苦労に存ずる」


 その親宏が別府湾を越えて府内に到着すると、予想通りに城下は兵たちで(ひしめ)いていた。豊後、日向から将兵たちが集まり、親宏が見たところ二万は下らないと思える。豊前の戸次勢を加えると宗麟は東九州を通る日向街道沿いに三万以上の軍勢を動員するつもりと考えられた。西側は大友親貞が大将で四万を越えるだろうから、南の島津の備えを含めると大友家としては八万以上を揃える事になる。


(これは御屋形様も本気だな)


 形振り構っていられない宗麟の姿勢が窺える。それでも数は幕府が大きく上回っているだろうが、大軍に囲まれれば人は嫌でも強気になる。ならば隙が生じているはずと断じ、計画の実行を配下に命令を下した。湊から府内までの道に怪しまれない程度に兵を置き、大半を城下にある自身と親賢の屋敷に入れる。そこで精鋭を揃えて城内に入った親宏は、宗麟の居室近くに与えられている親賢の部屋へ移った。


 親賢の部屋がある上原館(うえのはるやかた)は大友当主が代々生活の場としてきたところであり、大友氏を大きく揺るがした二階崩れの変もこの館で起きている。そこに一室を与えられていることから宗麟の親賢への信頼を窺い知れた。


「御前様に感謝しなくてはならんな」


 親賢が宗麟の側近に抜擢されたのは、正室である奈多夫人の実兄であるからだ。如何に大名の側近であれ、居室近くに部屋を与えられるなど考えられない。絶対に裏切らないという保証でもない限り、危険が付きまとうからだ。


 さて後は宗麟の所在を確かめてから襲撃するだけだが、今は北側にある館で政務を執っているはずである。故に親宏は先ほど挨拶に出向いて旧領返還の御礼と合戦への意気込みを語って宗麟の油断を誘っていた。


「こちらの茶釜は当家が代々大切にしてきた家宝にございます。我が命に等しく、忠節の証として御屋形様に献上いたします」


 そこで親宏は宗麟へ名物の茶器を献上した。府内の親賢の屋敷へ立ち寄った際、収集癖のある宗麟のために親賢が集めていたものの中でもっとも高価なものを選んで持って来ていたのだ。


「この慌しい時期にそなたの申し出を受けてやったのだ。相応の働きはして貰うぞ」


 このように当初は親宏の顔も見たくないという表情を露骨に露わにしていた宗麟であるも名物を目にした途端に表情を一変させた。


「殊勝な心掛けである。戦では存分に励むがよい」


 もちろん内心で苦々しくは今も思っているだろうが、親宏が裏切るとまでは考えていないだろう。もし想定しているのであれば、旧領の返還になど応じなかったはずだ。


「此度は火急故に某が所領を与る事と成りましたが、加判衆の方々をも超える身代は身に余り、戦が終われば親虎殿を引き立て我が所領の一部を分け与える所存でございます」


 続いて奈多夫人の許を訪れて挨拶をし、嫌悪されていることを承知で幕府との戦い後に所領を親賢の子に与える約束までした。この際、奈多夫人へも贈り物を欠かさない周到さは忘れていない。


(自分で言うのもなんだが、何とも気前のよいことよ)


 御家の危急存亡の時に旧領返還を求めた自分が滑稽に思える。いつもの自分なら所領を分け与えるなど絶対に有り得ない。裏切る前提だからこその台詞に自分で自分を笑いたくなった。


 そして迎えた夜半過ぎ、宗麟が上原館へ戻ってきた事を確認すると親宏は動き始める。


 部屋に忍んでいた十人の精鋭を引き連れて館内を移動する。下手に忍ぶのではなく、堂々と移動することで怪しまれるのを避けた。今は戦時であり、甲冑姿の兵が夜間にうろついても不思議ではないからだ。


「御役目ご苦労に存ずる」


 宗麟の居室に近づくと見張り番の兵が四人おり、訝しい視線でこちらを見られたが、逆に親宏から話しかけることで安心感を誘った。


「田原常陸介じゃ。今宵は田原民部殿の部屋に泊まらせて頂いておる」

「これは常陸介様でありましたか、失礼を致しました」


 警戒心を隠さない見張りたちだったが、親宏が身分を明かした事で揃って頭を下げて謝罪を口にした。


「よい。そなたらも役目を果たしておるだけのこと。儂も怠けておっては御屋形様に叱られてしまうのでな。こうして見張りの真似事を買って出たまでよ。なに、驚かせて悪かったな」

「御気に成されずに結構でございます」

「それよりも異常はないか。御屋形様の御膝元ゆえに心配はいらぬと思うが、先ごろは毛利が出張って来たことで物騒じゃからな」

「特に異常はございませぬ。御屋形様も静かにお休みのはずでございます」

「然様か。されば我らも、もう一回りしてから休ませて貰うとしようか」


 そう言って親宏は来た道と反対側に歩いていく。自然と見張りたちの視線が親宏の背中に及んだその時である。一番後方を歩いていた兵の一人が密かに短刀を抜いて見張り番の首元に突き刺した。


「なっ!!」


 刺された兵は即死である。驚いて視線を返した残りの兵が刀の柄に手をかけるが、他の田原兵が抜刀して背後から襲い掛かり、一人は首筋から斬られて死亡し、一人は腕を斬り落とされて這う這うの体で逃げるところを背中から刺された。また先ほどまで親宏と話していた兵は見張り番の長で、他の者より少し武芸に秀でていたのか初撃を防いで反撃、打ちかかった相手の腕に手傷を負わせたが、多勢に無勢で果敢徹せず、討たれた。


「何事だッ!」


 すると部屋の奥から聞き慣れた声が聞こえた。標的である宗麟である。流石に今の騒ぎで気付かれたのだ。


「懸かれッ!」


 親宏が小さく、そして張りのある声で突撃を指示する。一斉に戸板を蹴破って踏み込んだ部屋の中にいたのは宿直の小姓二人だ。その奥にある居室の襖から宗麟が顔を覗かせている。


「曲者ぞ!出会えッ!出会えッ!」


 小姓の一人が力の限りな叫ぶ。主君を守るためでもあるが、味方を呼ばなければ自分の命も危うい。だからこそ喉が張り裂けんばかりに声を出す。


「お前たち、死ぬ気で儂が逃げる時間を稼げッ!!」


 その瞬間、宗麟は小姓を盾にして脱兎の如く逃走を図った。


「くそッ!!御屋形様以外には目も暮れるな。御屋形様だけを狙え!」


 少しだけ親宏の声にも焦りが混じる。


 こうなると時間の問題だ。今の府内には兵が充満しており、当然ながら城内にも兵は多く駐留している。戦時下で眠りも浅いだろうから、すぐに駆け付けてくる可能性は高い。


「きゃ……、きゃあッッ!!」


 宗麟がいた部屋の奥から女の驚いた声が聞こえる。なるほど。まさに合戦が始まろうという時に女に夜伽をさせていたということか。


(好色な御屋形様らしい。が、儂の都合もある。逃がしはせん!)


 そうはさせるかと田原兵は一丸となって部屋の奥へ突入、小姓二人が入口を塞ぐようにして脇差しを構えるが、こちらは完全武装している。力任せにねじ伏せると悲鳴を上げて脅える女を一瞥し、宗麟を追う。


「時勢に逆らった報いにござる!覚悟を召されよ!」


 宗麟の後ろ姿を視野に入れつつ、親宏は優越感に浸る。どんな大義を口にしようとも自分の行いは謀反、騙し討ちに過ぎない。それに目も向けずに蓋をして、悦に浸る。


「く……、常陸め!儂がくれてやった恩を忘れおって!!」


 慌てていた所為か、廊下の角を曲がろうとして転倒した宗麟は振り返り、首謀者の顔を確認するや否や罵声を口にした。


「恩だと?そのような事を感じたことはない。儂がいくら大友に尽くそうとも貴様は一切、報いようともせず我らを虐げてきたではないか。名物や女、耶蘇教に現を抜かす暇は我らの働きがあればこそと知れい!」


 追い詰めた親宏は勝利を確信して太刀を振るう。切っ先が宗麟の眉間を捉え、その命を奪わんとした時だ。宗麟は自ら着ていた肌着を手に取って振り回し、僅かな抵抗を示す。


「うぐッ!」


 小さな、ほんの小さな抵抗が宗麟の命を繋ぐ。僅かに刃が逸れて宗麟の腕を傷つけはしたが、致命傷は避けられた。


「御屋形様、往生際が悪いですぞ」


 仕損じたにも関わらず、圧倒的に優位な立場は崩れない親宏は怪しく口角を上げて嘲笑する。だがこの瞬間、親宏はここが大友の本拠地だということを一瞬だが忘れていた。


「何事だ!……御屋形様!!」


 老臣・吉岡宗歓である。


 前後から挟み込むようにして決して少なくない兵が駆け付けてくる。遅くまで館に留まっていた宗歓は宗麟と談合の後も雑務をこなすために自邸へ帰っていなかった為に異変に気が付き、宗麟を救出せんと老骨に鞭を打って駆け付けたのである。


「そ……宗歓!遠慮はいらん!常陸を叩き斬れ!斬れ!!」

「ちっ!長居している暇はないか。御屋形様、あの世で己の行いを恥じることだ!」


 殺到する宗麟の救援に親宏は焦り、即座に刀を振り上げた。


「常陸ッー!!」


 宗歓はその年齢を感じさせない程の大喝で迫り、それを田原兵が防ぎ、気迫と気迫がぶつかり合う。目的を果たさんとする親宏に対し、命の危険が近づく宗麟は何とかその場を脱しようと足掻く。


 一閃。親宏の刀が振り下ろされる。


「あぐッ……」


 宗麟の背中から血が吹く。場を離れようとして背中を向けたところを斬られたのである。鮮血は赤く床を汚し、二十二年前の悲劇を蘇らせる。父・義鑑と同じ道を辿るのか。


「こ……こんなところで儂は……」


 万事休すか、と思われた宗麟だったが、斬られた後も這いずって逃れようとした。親宏が焦った所為か、暗く夜目が利かなかった所為か、天が見放さなかったのか分からないが、またもや宗麟は致命傷を避けていたのだ。


「くッ!しぶとい!!」


 二度に亘って仕損じた親宏も流石に焦りが頂点に達していた。更なる追い打ちをかけ、次は間違いなく仕留めるつもりで腰から短刀を引き抜き、宗麟を押さえ込みにかかる。


「させはせぬ!!」

「なにッ!」


 そこへ手勢の助けから田原兵を突破した宗歓が勢いのまま組み付いてくる。二人は二転三転と転がって、そのまま庭に落ちた。


「宗歓殿、邪魔立てするな!」

「お主こそ馬鹿な真似は止めろ!」

「御歳を考えられい!」

「それを申すなら、今すぐ頭を冷やさんか!」

「もはや退けぬ!命が惜しければ……」

「今さら惜しむ命ではないわ!」


 抵抗されているにも関わらず、体力に劣る宗歓を親宏は振り払おうとするだけで殺そうとはしなかった。宗歓は主君と家臣、領民の間に立ち宗麟の素行に問題が生じたならば、すかざず諫言してきた。親宏とて領内で抱えていた問題のいくつかを宗歓に助けて貰ったこともある。


 この期に及んで甘いとは思うが、親宏は無意識に宗歓を殺すことを躊躇ったのだ。


(ここまで常陸を増長させたのは儂だ。この命に代えても御屋形様の命は守る!!)


 幕府との戦いを前に家中で騒動を避けるよう諫言したのは、宗歓本人だ。その結果が親宏の謀反ならば、宗歓は責任を取って自害するしかない。なら無駄に命を散らすのではなく、主を守るために使う。どの道、老い先短い身だ。元より命は惜しくなかった。


「こいつら……!!殿ッ、このままでは……!!


 そうしている内に宗麟を守るべく兵が殺到する。宗麟は兵に抱えられて奥へ退避していく。こちらの兵も敵兵に阻まれて宗麟に迫れずにおり、数でも既にこちらを上回っている。いま追っても宗麟を捕まえるのは不可能に思えた。


 完全に失敗だ。


「くそッ!!退くぞ!!」


 親宏は力任せに宗歓を押し退け、一目散に逃げ出した。


「うぐッ……」

「吉岡様!!」


 その拍子に背中から強く地面に叩きつけられた宗歓が苦しそうに呻き声を上げる。親宏を追おうとした兵も老臣で家中でも評判の高い宗歓を放ってはおけず、追跡よりも介護を優先させた事により、親宏は城内から無事に逃げ出すことに成功する。


 館での騒ぎが伝わっていなかった事が親宏脱出の主な要因となった。しかし、騒ぎはすぐに広まり、湊からの船が勝手に出航することは禁じられ、仕方なく親宏は陸路を通って自領へ逃走を図った。


 ところがその頃には親宏が主犯だと知れ渡っており、別府まで逃れたところで捕まった親宏は壮絶な白兵戦の末に命を散らした。


 そして幸いにも宗麟は一命を取り留めるが、意識ははっきりとせず、合戦で指揮を執るのは不可能な状態となった。


 それが遠く佐嘉の地まで届くまで時間はかからなかった。


「くっくっく……。宗麟を排除する策を別に立てていたが、手間が省けたわ。されど、これはこれで利用させて貰うとしよう」


 上原館の変と後に語られる事件の報せを受けた道意は、込み上げる笑いを抑えることは出来なかった。宗麟排除という難事を道意は手を汚すことなく、望んでも得られない形で実現したのである。


「御屋形様は幕府との合戦を避けるべく奔走されておったにも関わらず、幕府は卑怯にも御屋形様の暗殺を謀った。これを許してはならぬ。御屋形様に成り代わり、幕府に我らの怒りを示さん!」


 道意に煽られた大友親貞が佐嘉城で宣言を出したのは、それから僅か数日後の事であった。




【続く】

皆さん大晦日です。いかがお過ごしでしょうか?


突然の出来事に事態は急変していきますが、これは史実でも有り得たかもしれない話なのです。史実で親宏は宗麟に反目しますが、陶隆房と同じく反目の意思が周囲に漏れ伝わっています。史実では急死とのことですが、暗殺された可能性も高いと見ています。今回は急な出来事であり、宗麟も親宏謀反は掴んでいませんでしたので、防ぐには至らず自身も手傷を負っています。


次回、大友側の反撃が始まります。


それでは皆様よいお年をお過ごし下さいませ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりに小説が見ることができて、嬉しいです。 [気になる点] 久秀本人の思惑が書かれてないことが気になりますが、彼はこの戦い勝てると本当に思っているんですか? 正直、上方の戦いで敗戦を学…
2019/12/03 12:06 ジェイカー
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