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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第八章 ~鎮撫の大遠征・西国編~
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第三幕 侍たちの去就 ~迫られた選択~

五月二十五日。

日向国・高城


 九州の雄・大友宗麟は道意と会談が終わった翌日、すぐに伊東攻めに取り掛かった。時間をかければかけるほど幕府軍による九州攻めは近づく。正直に宗麟としては一日として無駄にしたくない思いがある。


 とはいえ相手も日向一国をほぼ掌中に収めている伊東である。五〇〇〇とはいえ備えもあれば、少なからず大友勢にも損害は出る。


「兵たちの渡河を石火矢で支援しましょう」


 そこに肥前衆を率いて同陣している大友親貞から進言があった。これを宗麟は親貞の発案だとは思わない。十中八九、道意によるものだ。


「八郎の進言だ、試してみることとしよう」


 それを知っている宗麟は進言を受け容れて石火矢を支度させた。


 石火矢とは南蛮が用いる火砲で、織田軍が使用した大筒に近い口径を誇るが、大筒が単純に鉄砲を大きくしたようなものであるのと違って、弾丸を砲尾に空けられた穴から直接点火して発射する。南蛮人が持っていた石火矢に着目した宗麟は、貿易によって僅かながら手に入れていたのである。ただ宗麟自身、これに満足はしていない。南蛮船にはもっと大きな石火矢が積まれており、そちらを本来は買い求めたはずが、流石の南蛮人も最新鋭の石火矢を異国に売り渡すことに難色を示し、口径の小さいものをいくつか売り払うことで合意している。


 その後、宗麟が大口径の石火矢を大枚をはたいて南蛮人に発注したのは、言うまでもない。


 そして、その石火矢が名の通り火を噴いた。


「何だあれは!これでは戦にならんぞ!!」


 少なからず渡河中の大友勢を叩く事で損害を与えようとした伊東の将兵たちは、鉄砲にこそ耐性はあるものの石火矢は初めてであり、その轟音に驚き、そもそもの数の違いもあって満足な抵抗が出来ぬまま後退を余儀なくされた。


「ほう……、圧倒的ではないか」


 石火矢に頼らずとも勝ちを疑っていなかった宗麟であったが、味方が快勝する光景に悪い気はしなかった。


(これで宗麟も石火矢の有用に気が付いたであろう。これくらい出来なければ、幕府と戦ってもまともな戦にならんからな)


 同じ光景を別の場所から眺めている道意も、満足げに頬を緩ませていた。


 上方での合戦を多く経験している道意は、鉄砲の運用には長けている。もちろん鉄砲が比較的に手に入りやすい西国では鉄砲は戦場で当たり前のように見かけるが、組織的な運用は上方が勝る。しかも火器の運用が未だ発展途上であると道意自身が認識していることが大きい。


(信長は大筒なるものを多用して信玄を美濃から追い払ったと聞く。ならばこちらは石火矢で対抗するまでよ)


 謀反方の首魁として上方にいる頃、当然なように道意は情報収集を怠らなかった。味方が負けたなら、どう負けたまで詳しく調べさせていた。その中でも特に注目していた織田信長の戦法は、道意にとって真新しく見えた。


(親貞にも金に物を言わせて石火矢を揃えさせておるが、やはりもっと宗室に発破をかけておくか)


 これから先の戦いで物量は幕府が勝り、太刀打ちは不可能ならば別の手段を講じて対抗するしかなく、その一つが石火矢であった。幸いにも西国は南蛮貿易が盛んであり、肥前には南蛮船が入る湊がいくつもある。その上方に勝る点は利用しない手はなかった。その上で大友の影響が及ぶ博多の豪商たちを動かせば、幾分か幕府への対抗手段を得ることが出来る。


(後は南蛮どもの力も借りるだけ借りねばな)


 義輝への復讐を果たすために道意はあらゆる手段を用いる考えでいる。その為なら大友の身代を揺るがすことになっても構わないとさえ思っていた。


「敵が退いて行くぞ!このまま追えーーッ!」


 敗走する伊東勢を追って、大友勢は義祐の本拠である佐土原城にまで一気に迫った。義祐も意地を見せて頑強に抵抗、歴戦の勇将・智将を揃える大友勢の攻撃を三度と跳ね返すもの宗麟が切り札の石火矢を使用すると形成は大友方に傾いた。


「儂は死なぬ、死なぬぞ!相州、肝付を頼って南へ逃げる」


 もはや猶予はなくなった義祐は、妻子や寵臣・伊東相模守ら一部の者だけを伴って城を脱出しようとした。


「されど殿、肝付が大友方へ寝返ったとの噂がございます」

「……単なる噂であろう」

「無論、某も裏切ったとは思えませぬが、噂でなければ我らは行き場をなくします」


 確信の持てない相模守も疑心暗鬼に陥っていた。まだ死ぬつもりのない二人は、万が一が予想される事から肝付を信じて落ち延びるという決断を下せなかった。


「どうすればよい!」

「船で四国に逃れるのは如何でしょう?幸いにも大友は水軍を多く繰り出してはいない様子、四国に逃れて幕府に窮状を訴えれば、失地回復の機会も巡って参りましょう」

「……ええい!仕方あるまい!」


 かくして伊東義祐は妻子らと一部の家臣を含めた約一五〇名で城を抜け出し、一旦は南に下った後に海路で四国を目指すことにした。途中、脱落者が相次いで数を減らしていくが、無事に船に乗って四国を目指すことになった。


 宗麟は幕府対策に今回の四国攻めには水軍の大半を動員しておらず、義祐の脱出を防ぐことは出来なかった。しかし、目的である日向を制した宗麟には義祐の行方などまったく気にする必要はなかった。伊東が国を失ったところで、元々伊東に厳しかった幕府が義祐に兵を貸し出すとは思えず、それに加えて義祐に関わらず幕府は大友を敵視している。敵の数が増える訳でも状況が悪化する訳でもなく、どちらかといえば日向を手にした事で改善に採れる手段は増えることになる。


「さて、これからが肝心ぞ」


 九州で七カ国を制覇した豊後の王の眼には、既に義祐の姿は映っていなかった。


=====================================


六月六日。

大隅国・高山城


 九州の南端・大隅国で最大の勢力を誇る肝付氏の居城は、大隅半島の東部に位置する。肝付は平安期より長く土着している武門であり、古くは南朝方に味方をし、隣国島津との抗争が絶えなかったものの時には関係を修復しつつ勢力を維持、現在に至っていた。八代当主・兼重の時には南朝勢力の雄として、その名を轟かせている。


 その肝付に危急存亡の(とき)が迫っていた。


 幕府が発布した九州国割では、大隅の守護は島津氏と定められて肝付の名は見えず、当然ながら幕府から使者が派遣されることもなかった。云わば無視された形となったのだ。これまで遠国でありながら中央との関係を重視して来なかった肝付の戦略が誤りであったことが現実として突きつけられ、同時に大友の日向侵攻が始まった。しかも伊東義祐が瞬く間に追い詰められて数年前までの栄華が幻のように消えて一気に滅ぼされてしまったのだから、その衝撃は計り知れない。


「どうしたらよい」


 時の当主・左馬頭兼亮は、父と兄の死によって家督を継いでより日も浅く、御歳十六の若者で経験豊富とは言い難く、この苦境を乗り切る方策を持ち合わせてなかった。故に家臣たちに身の振り方を委ねるしかなく、家中では連日連夜に亘って評定が続けられていた。


「ここはいっその事、島津と和睦しかあるまい。島津を頼れば、打開を図れよう」


 評定で具体案の一つとして挙がったのが島津との和睦案だ。


 兼亮の父・兼続の正室は島津の出である御南の方である。島津と敵対した今も家中に留まっており、当主の母として一定の影響力を保っている。御南の方を頼れば島津との和睦も不可能ではないように思えるというのが家中の意見だ。それで島津が幕府の守護として肝付を認めれば、生き残ることがは出来る。


 大隅半島南部に大きな版図を持つ禰寝(ねじめ)重長がこの案を推していた。禰寝は島津を後ろ盾とする種子島氏との敵対から肝付氏と連合しており、家来というよりは同盟者に近い。取り巻く環境は肝付と大差ない為に今回の評定へ参加をしており、それ故に重長が推す和睦案が一時は大勢を占める程だった。


「和睦とは申せ、事実上の降伏であろう」


 それの反対意見として多くが挙がったのが、これである。


 つい先日、肝付は島津と戦って敗れたばかりである。島津と伊東の戦いで漁夫の利を得ようとして手痛い反撃を食らった形だ。これで勝てないのだから、まともに島津と正面きって戦っても勝てる見込みは少ないと内心では考えている者が多い。その者たちが和睦案に賛成していた。


「殿に島津へ頭を下げろと申されるか!」


 だが長く土着していた分、肝付には忠義に篤い譜代衆も少なくない。その者らからにとって降伏となれば、心情的にも流石に躊躇する。しかも島津相手に大敗したのならいざ知らず、敗北したとはいえ肝付はまだ戦える力は残っており、島津自身も肝付を攻め滅ぼせる力がある訳ではないのだ。


「体裁は繕う。御当主に恥をかかせることはせぬ」


 だが重長は家中の心情を知りつつも打開策を持たない連中の口を封じるべく、和睦案を押し切るつもりだった。実のところ重長には島津から誘いの手が伸びており、どうせなら肝付を誘って和睦させ、領内の安定を図ろうとしていたのだ。


「大友を頼っては如何か?先日、大友殿より盟約を求める使者が参ったと聞いた」


 ところが重長の思惑通りに事が進み、あと一歩で和睦で纏まるところ待ったがかかった。日向を制した大友宗麟の触手が伸びてきたのである。


 大友家は伊東を滅ぼして九州で七カ国を支配、大隅で最大の勢力とはいえ一国の支配すらままならぬ肝付に対して宗麟の物腰は柔らかく、使者の口上も丁寧であった。


「我が主は大隅の名門たる肝付の行く末を案じておられます。もし当家と足並みを揃えて頂けるならば、いま進めております幕府との折衝にて左馬頭様を大隅の国主に推薦したいと考えておられます」

「それは有難く存ずるが、大友とて他人を気にしておられる場合ではないのではありませぬか?確か幕府の国割では豊前と豊後の二カ国へ減封を命じられたとか……」


 遠国の肝付といえど九州国割に於ける大友の扱いは周知しており、最初は大友からの言葉を真に受けることはなかった。


「然様な話も確かにございました。当家としましては幕府と折り合いをつけ、いま肥前と肥後を当家の大友肥前守様、筑前と筑後に関しては我が殿の庶子に分与できないか諮っておるところにございます」

「もう話はそこまで進んでいるのですか?」


 これには肝付側が焦りを感じた。


 大友家が幕府との繫がりを持っていることは周知の事実だ。九州に於ける勢力拡大とて、幕府から九州探題に任じられた事が大きく、歴代の渋川氏や斯波、今川など将軍家と血の繫がりを持った家のみが探題職に任じられてきた中で、唯一実力で役職に任じられたのが宗麟である。


 それ程まで大友宗麟という名は九州で重い。


「……概ね。それに肝付殿がご協力して頂けるとなれば、我らとしても助かるのです」

「大友家は九州で敵なしとまで言われるほど。我らの協力が必要なのですか?」

「もちろんです。幕府が発布した国割をご存知でしょうが、まさか幕府が戦なしに国割を九州の大名たちが受け入れると本気で考えているとお思いですか?」

「……それは確かに」


 大友側の言い分は尤もだった。


 九州国割は島津や相良など一部の者のみに利があり、肝付や滅びた伊東など所領を失う可能性が高い者が大部分を占めている。彼らからすれば、上方の連中は幕府に与する侵略者でしかなく、何とかして版図を守ろうとするだろう。現に肝付とて、相手が幕府であろうとも所領を失うことに納得は出来ない。


「我らは反抗の兆しがあった伊東を攻め滅ぼしました。この後に肝付が幕府に従うと我らと共に申し出れば、九州の内で八カ国は幕府に恭順したことになります。もっとも残る一カ国で幕府の後ろ盾を得て大隅を手に入れようと画策している島津は反対しましょうが、八カ国と一カ国、幕府がどちらを選ぶかは自明の理でありましょう」


 まさに肝付側にとって渡りに船であった。


 島津相手なら降伏となるが、大友と組めば独立を保てる可能性が高い。家中の意見が大友との同盟に傾いていくのに時間はかからなかった。これは肝付の領地が大隅と九州の南端で、北からやって来る幕府の圧力を直に感じられなかった事が大きい。幕府軍の到来が何処かでまだ他人事だったのだ。


「ならば幕府との折衝は当家に一任して頂けますな。各々で主張を言い合えば纏まるものも纏まらなくなります故に……」

「それは構いませんが、当家の所領は安堵して頂けるのでしょうか」

「交渉次第となりましょうが、その線で話を進める事を御約束いたします」

「何故に大友殿は、我ら肝付にそこまでしてくれるのでしょうか」


 全うな疑問である。


 宗麟が支配している土地だけでも七カ国に及び、恭順するなら肝付を巻き込む必要はない。大友が肝付を助けて何の利があるというのか。名門の行く末を案じているなどという表向きの理由を本気で信じるほど戦国の大名家は甘くはない。


「これは痛いところを……。正直、我が主は島津の横槍を懸念しています。ご存知の通り島津は薩摩、大隅、日向三カ国の守護復帰を悲願としており、今回の折衝でも島津の影がちらついております。我らの掴んでおるところ既に島津殿の末弟・家久が幕府に身を置いているようなのです」

「まさか!!」


 既に島津の一族が幕府に送られている事に衝撃が走る。これは家久が大友領内の関所を通る際に番兵と一悶着を起こしたことにより発覚してことで、家久が幕府内でどのような立ち位置でいるのかは判っていない。ただ大友家にとって不利益をもたらす存在であることは、容易に想像がついた。


「故に肝付には交渉が纏まるまで島津との国境まで兵を出して頂きたいのです。もちろん兵を出すだけで戦ってもらう必要はなく、こちらも一手を差し向けて北から島津を脅かします」

「……承知いたした」


 肝付としては首を縦に振るしかなかった。見返りを求められれば、それが真実と思ってしまうのが人の性である。元々なかった選択肢を選ばされたとは思わず、ただ独立という言葉を信じて大友に殉じる道を採った。


 かくして大友と肝付の連合が水面下で決まった。


=====================================


六月九日。

肥後国・人吉城


 去就を迫られた肝付よりも苦しい立場に立たされていたのは、前年に大友と戦って破れた相良修理大夫義頼である。


 相良を取り巻く状況は芳しくない。大友より兵馬を揃えて島津領を脅かせと厳命されたからである。


「幕府と何とか繋ぎは取られぬか」


 そう話す義頼の表情は苦痛そのものだ。


 九州の国割では相良は大友に奪われた八代郡を取り戻すことが出来る。その上で所領安堵となれば、恐らく肥後半国守護も任せられるかもしれない。だが大友に味方して幕府と敵対すれば、幕府が国割を守る保証はなくなる。


(その前に何としても儂の立場を伝えねばならん)


 義頼とて阿呆ではない。人吉という地勢から表立って大友に叛旗を翻すことは不可能だ。かと言って幕府と繫がりを持つには大友領を通る必要がある。もちろん幕府から密使が訪れる可能性もあるが、こちらは殆ど期待は出来ないと思っておいた方がいい。


 そこで相良が採れる選択肢は三つ。


 一つはこの地に拠って叛旗を翻すこと。ただ相良が集められる兵では万に一つも勝ち目はない。幕府が九州に辿り着く前に滅ぼされるのが関の山だ。


 二つは島津へ向けて出兵し、幕府軍の到来と共に人吉に戻って叛旗を翻すこと。これなら大友はすぐに兵を返すことは出来ず、抵抗は不可能ではなくなる。問題があるとすれば、一度は大友方として兵を動かす為、戦後に幕府が国割を反故にして相良の所領を召し上げる可能性がある。だからこそ兵を動かす前に幕府と繋ぎを取って相良の立場を伝えておく必要があるが、それが難しいのだ。


 三つ目は島津領へ兵を出すまでは同じだが、島津の当主・義久と謀って逆に大友領に侵攻するというものだ。これが一番に現実的な策だが、肝心の島津が幕府軍の到来をどう考えているかが判らなかった。いま接触するのは時期尚早、間違いなく見張られているはずの相良から事が露見する。やるならば、国境で対峙した時だ。


「殿、道薫が参っております」

「……またか」


 道薫の名を聞き、義頼は不機嫌そうに顔を歪めた。


 義頼が道薫と初めて会ったのは木崎原合戦の際だ。道意の命令により相良勢の旗指物を貸し出し、漁夫の利を得ることに成功している。ただ同時に相良の信用を失うという結果を齎した。


 武士は何よりも面目を大事とする。それは義頼も同じで、相良の名を汚した道薫を快く思っていない。


「これは道薫殿、本日は如何なさった」


 ただ義頼も戦国を生きる大名の一人である。腹芸の一つは持ち合わせており、本心はおくびにも出さず道薫を迎える。


「実は修理大夫殿にお願いがござって参った」

「お願いでござるか」

「然様、我らは一度は帰国するが、すぐに陣触れとなりましょう。どうやら毛利に動く気配ありといくつも報せが届いておる」

「なんと!?それは真か」


 と驚いてみせた義頼だったが、幕府の動きを推測すれば毛利の行動は予想の範疇である。だからこそ相良は幕府に同調する島津と組むかどうかを思案していたくらいだ。


(さては儂に釘を刺しに来たか)


 毛利が動けば大友としても兵を起こさずにはいられない。地理的に考えれば道薫が属する肥前衆は毛利と対峙することになるだろう。その前に相良に対して大友が何らかの制限を掛けに来たと義頼は思った。


「そこで修理大夫殿には、毛利に同調すると思われる島津に備えて頂きたいと肥前守様は考えておる」

「……なるほど、島津は相良にとっても不倶戴天の敵だ。任せてくれ」

「これは心強い言葉じゃ!」


 予想通りの展開に義頼は快く引き受けた。後は相良が生きるか死ぬかは出陣した後の立ち回り次第である。


「肥前守様は修理大夫殿ならば即座に応じて頂けると仰せであったが、真であったようじゃ」

「儂も大友の一員となったからには主家に尽くすのが武門じゃ。任せられい」


 と胸を叩いて応じてみせた義頼がこのまま終わると思っていた矢先の事だった。


「されど修理大夫殿だけに任せるのも心苦しいと肥前守様は仰せであって、儂を遣わして下さる。儂が相良の兵を預かり八代へ出向く故、修理大夫殿には人吉から島津に睨みを利かせて頂きたい」


 突然に道薫は相良勢を預かると言い出した。しかも義頼に人吉へ残れとは、軍勢を人質とするに等しい行為だ。


 明らかに相良に対して疑念を抱いている証である。


「ま……待ってくれ!儂の兵をそなたが預かるのか?」

「然様。お恥ずかしい話、儂は修理大夫殿と違って名が軽く、儂が率いる数程度では島津の脅威になれぬのじゃ。故に兵をお借りしたく。されど勇名を馳せる修理大夫殿ならば、その身を人吉に置くだけで島津は一目を置く故、少ない数でも役目を果たせよう」

「とは申せ、他家の者に軍勢を預けるなど聞いたことがない!前の時も旗指物を貸すだけであったではないか」


 ここで義頼は執拗に食い下がる。ここで軍勢を奪われれば義頼が幕府に鞍替えをする望みは完全に断たれてしまう。それだけは何とか防がなくてはならなかった。


「ははは……修理大夫殿も水臭い!修理大夫殿と肥前守様は縁続き、身内も同然ではないか。間もなく肥前守様も帰国の前に人吉へ立ち寄られるとのこと。その際に手勢を八代まで連れていく故に仕度を急がれた方がよい」


 そう言って道薫は、これ以上の議論は無用とばかりに話を打ち切った。


 その後、大友親貞の率いる肥前衆本隊が人吉を訪れると有無を言わさず相良勢二〇〇〇は道薫の部隊に組み込まれる事になった。


 人吉に残された義頼の下には僅か一〇〇〇ばかりが残される事になった。


=====================================


六月十四日。

肥後国・某所


 その親貞が肥前へ帰国する軍勢の中に龍造寺隆信と腹心・鍋島信生の姿はあった。二人は日向国から帰路の途中で隆信の乗る輿に馬を寄せ、視線を前に向けたまま密談を始める。


「殿、毛利の動きお聞きになりましたか?」

「戦仕度をしているというやつか。幕府の国割が出た直後ということを踏まえれば、間違いなく公方様の意向によるものだろう」

「御意。その毛利が動いた時こそ好機となりましよう」

「判っておる。されど繋ぎは取れるのか?道意の眼があるのは確実ぞ」


 二人の目論見は大友からの独立。今山の合戦で敗れ、臣従を強いられてから隆信は犬のように大友へ尻尾を振ってきた。それも道意の手腕を評価し、警戒していたからに他ならない。


 そこに毛利の動きが伝わり、転機が訪れようとしていた。


「今はまだ……。されど毛利が動き出したのなら道意も我らばかりを気にしてはいられなくなります。幸いにも道薫という道意の配下は相良を気にして八代に置いてきたようですので」

「手足の少なさが奴の弱みか」


 隆信は面従腹背しながら可能な限り道意の周辺を探ってきた。そこで判ったのが、道意か親貞の家来になったのが今山の合戦前のことで、まだ日が浅いということだ。しかも親貞には元々まとまった家来衆がいなかったこともあり、道意を筆頭に肥前衆で家臣団が形成されている。その中に龍造寺も組み込まれている訳だが、道意に近いのは最初から大友にすり寄っていた切支丹大名たちである。


 どういう訳か道意は坊主の癖に切支丹に精通していた。それだけならまだしも驚いたことに理解があった。ただでさえ坊主は異教徒を口汚く罵る。中には言葉を選ぶ高尚もいるが、耶蘇教に理解を示す坊主を隆信は見たことがない。だからこそ隆信も信生も道意が坊主なのは形だけで、その実は武士であったと考えている。


 仮に切支丹の多い九州で道意のように有能な者がいれば、流石に目立ち名は知れ渡っているはずだが、隆信は思い当たる名は見当たらない。もちろん隆信と信生が周知していないだけの可能性もあるも、耶蘇教の布教が九州に次いで広まっている上方の武士でないかというのが二人の共通した見解だった。


 だから道意は親貞を通して人は動かせても自らの意で動かせる者は少ない。これで全ての辻褄は合う。


「いつでも動けるようにしておけ。どう動くにしろ一時は我らだけで大友の大軍を支えねばならんはずだ」

「お任せ下さい。道雪がいるならば別ですが、肥前の者どもが相手なら龍造寺は負けませぬ」


 そう言って信生は主君の輿から馬を放した。また窓を閉じて暗くなった輿の中では、僅かに射し込む日射しに反射し、獰猛で虎視眈々と獲物を狙う熊のような瞳が二つ怪しく輝いていた。




【続く】

お待たせしました。今回は九州勢中心の話です。


幕府との対決姿勢を崩さない道意と大国に拠らざるを得ない者、反抗を画策する者と様々です。島津など今回の描写にない大名については後々に描きますので、質問があっても回答は差し控えさせて頂きます。


次回は毛利勢を中心とした幕府側を描きます。(戦場が広範囲に広がって義輝の出番がなさすぎて申し訳ありません)

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