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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第八章 ~鎮撫の大遠征・西国編~
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第二幕 両雄対峙 ~豊後の王と乱世の梟雄~

五月二十四日。

日向国・高城


 迫り来る幕府軍の到来を前に豊後の王・大友宗麟は、少しでも有利な状況を作り上げようと画策する。日向の伊東義祐を攻めるべく三万七〇〇〇の大軍を引き連れて南下、いくつかの城を落として凱歌を上げると伊東が本拠・佐土原城を目指した。


 一方で伊東義祐は劣勢を覆すべく可能な限りの動員を募るものの集まった兵は僅かに五〇〇〇と少なく、高城川に布陣して気勢を上げた。


「見たところ伊東勢の備えは貧弱、我らの渡河を防げるとは思うておりますまい」


 そう答えるのは、大友の軍師とも云える角隈越前守石宗である。


 石宗は宗麟とその父・義鑑の二代に仕える老臣で、武田流、小笠原流などの兵法を修めて宗麟の軍学の師でもあった。人格も優れて家中では“道学兼備の人”と評判の高い人物だ。決して華のある人物ではないが、宗麟は常に傍に置いて石宗の意見を大事にしていた。


その石宗が見る伊東勢は、言うほど備えを怠っていた訳ではなかった。単純に大友勢が大軍で、備えるに数が足りてなかったのだ。


「ならば越州、伊東の狙いは何じゃ?」

「常ならば挟撃ですが、我らを挟撃できる勢力はございませぬ。恐らくは少しでも我らの進撃を遅らせようとの魂胆にございましょう」

「遅らせれば幕府が助けてくれるとでも?」

「国割りを鑑みる限り幕府が伊東を気にかけるとは思えませぬ。されど幕府が近づけば、我らとて兵を引かねばなりませぬ」

「なるほど、伊東とすれば戦って儂を退ける必要がないという訳か」

「然様にございます」

「不甲斐ないとことだ。三位入道の名が聞いて呆れるな」


 納得のいく意見である。よく全体を見渡せている石宗に宗麟は満足そうに頷くと伊東の他力本願な姿勢に侮蔑の言葉を吐いた。


「して、八郎の傍に侍っている僧は待たせてあるか」

「ははっ。奥に控えさせております」

「うむ。これへ呼べ」


 主の指示に従って石宗は腰を上げると奥の間に消えていった。僧とは一度だけ対面したことのある道意のことだ。今回、宗麟は親貞には声をかけずに道意のみを呼び出していた。


 そして石宗が道意を連れて宗麟の前に戻ってくる。


 道意は宗麟と目を合わさぬよう畏まった様子で、特に不思議な点は見受けられない。ただ敢えて怪しいと言えば、九州では並ぶ者のない大大名である宗麟と引見しようというのに、道意自身に緊張や不安など感じている様子がまったく垣間見られない事だ。


 ただそれに気が付けている者は、この場に一人もいなかった。


「確か道意とか申したな。先年に府内で会うた以来か」

「はい。再び御目通りが叶い、恐悦至極に存じまする」


 恭しく頭を垂れる道意の姿は、何処か嘘らしく見える。そう映ったのは、宗麟が道意の正体についてある程度の推測をしていたからに他ならない。


「此度、八郎を呼ばずにそなただけを召し出したのは他でもない。確かめておくべき事があったからじゃ」

「はて?何でございましょうや?」


 惚けた様子を見せる道意であったが、瞬間に表情を一変された。宗麟は九州で七カ国を支配する英傑、親貞のように阿呆ではない。その証拠に道意を訝しむ視線は凍てつくように鋭く変化していた。これは以前に宗麟と相対した際には感じなかったものだ。


(幕府を前に不安要素は一切、残しておくわけにはいかぬ)


 幕府との戦いには大友の命運が懸かっている。宗麟が背負っているものは、道意の復讐という個人的な感情とは違って遙かに重いものだ。


(……そう出てきたか。宗麟め、まず間違いなく儂の正体を曝きにきおったな)


 だが宗麟の誤算は道意は宗麟と同格か上位の存在と覇を競ってきた経験の持ち主だったことだ。以前に将軍・足利義輝に斬りかかられた時でさえ平然としていた男が、この程度で怖気づく訳がない。


 しかも道意は自分に繋がるものをいっさい断っており、唯一正体を知るのは行動を共にしている道薫だけという念の入れようである。


(まさか村重が裏切ったか。……いや、それは有り得ぬか)


 一瞬、道薫の叛意を考えた道意であったが、すぐに自らで否定した。


 確かに道意は幕府からすればお尋ね者で最重要人物であり、是が非でも捕縛したい相手だろう。匿えば大友家は取り潰されることくらい義輝の性格を知る道意は簡単に想像がつく。そして、それは道薫とて同じなのだ。道薫が道意の正体を宗麟に告げれば、当然ながら関係性も追及される。自らの素性を明かせない道薫が道意を売る事は立場上、不可能だった。


「そなたが八郎に入れ知恵をしておる事は判っておる。あれには随分と目をかけてやったが、終ぞ儂の期待に応えることはなかった。その八郎が儂が手を焼いた龍造寺を敗走させたと聞いた時は、報せ自体を疑ったものだ」


 今山の合戦は宗麟が親貞を信頼して総大将を任せたのではない。大軍を与えたのは、諸将を纏める存在が必要だった事に加え、単純に不安だったからだ。だが親貞は宗麟の予想を遙かに裏切ってみせた。間近にいて策謀の気配すら感じ取れなかったと後に宗麟は、今山の合戦に同陣していた戸次道雪からの報告を受けて知っている。


 宗麟はそこから、策謀を張り巡らしていたのは親貞ではないと考えた。親貞であれば、道雪が気付くはずなのだ。それだけ宗麟は道雪を信頼している。


「あの合戦は肥前守様の采配によるもの。拙僧などはささやかなお手伝いをしたまでにございます」

「そのささやかな入れ知恵が八郎を変えたのだ」


 一見すれば謙虚、だが真実はただの誤魔化しである道意の言い分を宗麟は認めなかった。


「相良攻めも同じく、そなたの入れ知恵であろう。真幸院の奪取も儂はそなたの指図と見ておる」

「そのようなことは……」


 まさか、という表情を浮かべて首を左右に振り、それらを否定してみせる道意であるも明らかな嘘に宗麟が付き合うことはない。


「其の方を責めてはおらぬ。其の方が八郎を通じて行ってきた事は、今のところ大友に大きな利をもたらしておる。八郎の出世とて、儂が望まなかった訳ではない。その事を儂は感謝しておるのじゃ」

「畏れ入りまする」

「されど、これからは違うぞ」


 “責めてはおらぬ”と言いながらも宗麟は一層と道意を突き刺す視線に鋭さを増してくる。


「その方はちと独断が過ぎる。これから幕府と対峙していかなければならぬ時に、これ以上の勝手は許さぬ。儂の意に従い、大友が為のみにその方の知恵を使え」


 と告げられ道意は“釘を刺しに来た”と思うと同時に宗麟が自分の正体にまで辿り着いていないと断じる。もし松永久秀と知っているなら大友の為に知恵を使えと言うはずがない。道意は松永久秀という人物が世間でどのように思われているか正しく理解できている。その上で道意は、宗麟の口走った“対峙”という言葉から幕府に対してどのような感情を抱いているかを一瞬にして見抜いた。


「仰せのままに。全て御屋形様の御意に従いまする」


 だからこそ次に見せた道意の平伏には、嘘臭さはなかった。幕府と戦う事に道意が反対する理由がないからだ。


「では、その方の真の名を申せ。以前は延暦寺の僧などと申したが、それほどの軍略を用いる僧がおってたまるか。儂の予想では、謀反方に組していた者の一人であろう。違うか?」


 宗麟の推測は当たらずとも遠からずと言ったところである。道意の正体に確信があるわけでもなく、かといって的外れな推測をしている訳でもない。政治、軍事の両面に通じて名を伏せなくてはならぬ理由を持つのは、謀反方として活動していたが故に世に名乗り出れない為と宗麟は考えたのだ。


「ご明察通りでございます。偽りを申し上げたこと誠に申し訳ございません。某はかつて、松永家中で禄を食んでいた者にございます」


 故に道意は下手に誤魔化しきれぬと判断し、ある程度の真実を交えて言い繕うことにした。


 滑稽なものである。松永家の当主であった久秀も確かに松永家の中で禄を食んでいると言えるだろう。ただその言い方をして誰もが当主・久秀本人とは思わないはずだ。そして道意が松永に精通していたとしても以後は怪しまれる事もなくなる。


「何?あの松永久秀の家臣であったと申すか」


 意外な名に宗麟は素直に驚きを示す。これは横で聞いている石宗も同様だった。


「名を楠木甚四郎正虎と申しました。某の策で幕府方と戦ったこともございます。ただご存知の通り松永に属した者は上方では生き難うございまして、この九州に逃れて参ったのでございます」

「それもそうだろうが、楠木という名も気になった。上方で楠木と申せば、もしや楠木正成の一族か」

「はい。正成は我が祖先に当たります。某の名は目立ち過ぎます故に名を変えた次第にて……」


 かつて久秀に仕えていた家臣の名を道意は騙った。


 楠木正虎は以前は楠長譜と言い、楠木一族であったが勇名を馳せた楠木正成は朝敵の汚名を着せられており、正虎は赦免を朝廷に懇願していた。それが永禄二年(一五五九)に当時、三次長慶の傍で絶大な権力を握っていた久秀の取り成しにより実現し、晴れて楠木の姓を名乗ることを許されている。


正虎の年齢は久秀と一回りほど違うが、そんな事は宗麟の知るところでもなく、露見する可能性も皆無に等しい。かつ正虎自身が生きているか死んでいるかも不明だが、生きていて幕府に帰順していたところで当人は右筆を主な職務としていただけに戦場に出てきたところで前線に身を置くことは考えられず、部隊を率いる事もないと思われる。


 されど楠木の名は目立つ。楠木正成の伝説が今も語り継がれているからだ。とはいえ正虎本人が軍略に秀でていた話など主君であった久秀すら知らないし、楠木の名があることで道意として久秀が軍略に精通していても疑われる事はない。ならば楠木は久秀にとって都合のよいものとなる。


「確かにのう。であれば、その方が軍略に秀でていることは頷ける」


 過去の英雄の名は大きな力を持つ。不思議と宗麟は楠木の名が出た途端に道意がやってきた事に違和感を持たなくなった。道意の思惑通りの展開である。


「して道意、そなたの旧主・久秀の所在は判らぬのか?」


 故に宗麟の興味は道意の能力ではなく、幕府と交渉の材料になる久秀の行方に移った。


「残念ながら……。山崎の合戦以後は殿の行方は知れず、生きておるのか死んでおるのかすら判りませぬ」

「然様か。久秀の首があれば、幕府との交渉も光明が見出せると思うたのだがな」


 少々落胆した様子の宗麟であったが、元よりなかった選択肢であるので、それほど固執することはない。目下、問題は幕府の要求をどのように退けるかである。


「ところで道意、そなたは儂の狙いが何であるか判るか」

「狙い?幕府との交渉で考えておられる落としどころという事にございますか」

「そうじゃ」


 当てて見ろと言わんばかり笑みを浮かべた宗麟を前に道意は“とてもとても拙僧には……”と遠慮して見せるが、いいから申せと強く促され、仕方なく口を開く。


「御屋形様の狙いは、守護国の分割統治かと存じます」


 道意が指摘するのは、かつて幕府が執っていた政策に基づく内容だ。


「かつての幕府は管領・細川を始め、山名や赤松など有力諸大名が守護国の大半を占めておりました。されど十一カ国の守護職を兼ねて“六分一殿”と称された山名も総領が全て守護を任じられたのではなく、一族で守護国を分割、統治しております」


 流石は長く幕政に関与していた道意である。その成り立ちや時代背景には詳しく、時折に解説を交えて語を紡いで行く。それを聞き、宗麟も何度か頷きを繰り返している。 


「今の公方様は幕府の職制を見直し、旧来の政を否定したと思われがちでございますが、毛利の例がありますように長年に築き上げてきたものは中々に変えるのは難しく、古い体質は未だ残っております。最近は大大名の力を削ぐことが目立つ公方様ですが、かつて尼子晴久を八カ国の守護に任じたのも公方様本人でございます」


 元亀擾乱の発端となった西征の折、毛利元就は幕府と敵対しながらも一戦して破れ、表向き安芸と周防、長門の三カ国に減封されたが一族の吉川と小早川に備後と石見を引き継がせて事実上の五カ国を保っている。これを認めたのは他ならぬ将軍・義輝なのだ。


 同時に永禄の変より以前は幕府の力は小さく、諸大名の力を当てにしなくてはならなかった事情から幕府の役職を大盤振る舞いしていた時期もある。この際に初めて守護職を賜った大名も多い。これも義輝の行ってきたことだ。


 そこに交渉の隙があると考えているのが、宗麟である。


「よって御屋形様の策は、まず伊東を滅ぼして日向を手に入れ、行き場をなくしている大隅の肝付を手懐けた後に幕府へ対して抗戦の構えを見せ、最後は日向と大隅の割譲を以って和睦する算段かと存じます。されど幕府も一筋縄では参りませぬ。故に御屋形様は肥前と肥後の二カ国を八郎親貞様、御屋形様の嫡男・五郎様を除く二人の御子に筑前と筑後をそれぞれ引き継がせる事で、当家の身代を守ろうとされておられると推察しております」


 最後まで言い終えた道意は、深々と頭を下げた。すると宗麟は驚いたように道意の視線から隠れるようにして石宗と目を合わせた。


 道意が語った内容は、細部で微妙な違いはあれども宗麟が石宗と練った案に近しいものであったからだ。


(五郎は元服したてだが、覇気に乏しい。逆に新九郎は覇気旺盛なれど、今のままでは必ず五郎と衝突する。末の子が聡明に育ってくれればよいが……)


 現時点で宗麟には三人の男子がおり、嫡男の五郎は元服して義輝から偏諱を頂き、義統と名乗っている。次男は間もなく元服を迎えるが、兄との仲は良くなく宗麟は僧籍へ入れる事を望んだが、当人が拒否した為に他家に養子に出す存念でいた。三男は幼年で器量は不明だが、宗麟は上の兄二人の養育に難儀した事からこの三男を特に可愛がっていた)


 その事情を道意が知っていたかどうかは不明だが、宗麟が二人の子の処遇に悩んでいたのは事実だった。


(幕府の要求は素直に受け容れられぬ。されど大友の土地でないものを差し出す事なら障りはない)


 未だ版図に組み込まれていない伊東の治める日向と肝付の大隅が幕府のものになろうとも大友は困らない。それで今の版図を守れるなら願ってもないことだ。ただ幕府もそれは分かっている。その条件だけで幕府が納得するとは思えない。だからこそ宗麟は、その他の土地も多少であれば譲っても構わないとも考えている。これに本来なら親貞の治める肥前も含まれるのだが、肥前は親貞の存在から失わずに済みそうだったために候補から除外していた。


 道意が指摘するよう今回の交渉に於いて宗麟が参考にしたのは、かつて幕府が執っていた方針と追い詰められながらも窮地を乗り切った毛利元就である。


 ただ問題は、宗麟が今の幕府について精通していないことだ。今の強気な幕府と交渉は骨が折れるほど難儀だが、これまで幕府が貫いてきた方針は義輝自身も否定できないところがある。征夷大将軍としての弱みへ衝け込めば、まだ逆転の望みはある。それに伴い、少なからず内情を掴んでいる者から情報を仕入れる必要があった。それが道意の正体に少なからず近づいた宗麟が今回の場を設けた理由の一つだった。


「道意よ。そなたから見て、修正すべき点はあるか?」


 故に宗麟は、率直に道意の才覚を評価すると共に問いを投げかけた。


「……そうでございますな。大筋は問題ないかと存じますが、守護職を引き継がせるなら御屋形様の御子を養子に出された方が賢明かと存じます」

「大友の名で六カ国を束ねることを上様は嫌われるか」

「毛利の例を鑑みるに……、恐らく。ただ可能ならば吉川や小早川がそうであったように大友とは直接に血の繋がっていない家が宜しいかと存じます。八郎様には菊池を名乗って頂ければ問題はございません。後は大内の名跡は途絶えておりますが、家督は御屋形様が有しておられるはず。それを使わない手はございませぬ」

「……今日は何度も驚かせられる。よう儂が大内の家督を有しておる事を知っておったな」


 宗麟は道意がここまで家中に詳しいとは思っていなかった。確かに実弟・義長が当主だった経緯から宗麟が九州探題に任命された折、幕府より途絶えた大内家の家督を兄の宗麟に認める御内緒が発給されており、それを大儀名分に毛利との合戦は始まっている。しかし、大義名分として大々的に掲げていたのは当初だけであり、今では口にする者もいない。それを最近に九州に来たばかりの道意が知っている。


「家中や九州が事は八郎様に色々と教えて頂いております」


 と怪しまれる前に道意は宗麟が納得できる理由を口にした。


 もっとも道意が事実を知っていたのは、当時は発給する側の幕府にいたからである。三好の家宰として幕政を担っていた道意は、大友家に大内の家督を認めさせて中国地方で躍進する毛利の勢力を押さえ込む必要があった。もし毛利がかつての大内義興のように上洛を目指して動きを始めれば、三好として厄介極まりなかった。実際、尼子晴久は播磨にまで軍を差し向けたことはある故、復権に向けて各地の諸大名へ調停していた義輝を焚き付けて火種となる元を付け加えたのだ。当時の義輝は三好に対抗させるべく何とか大大名を上洛させたい考えにあり、形振り構わないところがあった。それを逆に利用するのは簡単だった。


「ならば八郎には菊池を、儂の子に大内を名乗らせることを基本に幕府との交渉に臨もう。あと一カ国を譲るかどうかは、交渉の流れ次第だな」


 そう言って宗麟は石宗に目配りをする。石宗は“畏まりました”と頷き、頭を下げる。道意の進言が受け入れられたのである。


「さて、道意殿。ここからが本題じゃ。当家は幕府と本格的に戦う気はないが、交渉の如何によっては一度や二度くらいの戦闘は覚悟しておる。それについて意見を聞きたい」


 今度は宗麟ではなく、石宗が主に話を進め始めた。


「……合戦は避けられぬかと存じます」


 と道意は少し考えた振りをしてから返事をする。


「御屋形様は、まず大軍を揃えることが肝要と考えておる。伊東を倒せば、九州に残る敵は島津のみ。島津は肝付と相良に見張らせれば封じ込められる。後は全軍を北へ向ければ、六、七万は動員できよう」

「大軍で威容を示し、幕府との交渉に繋げようと?」

「然様じゃ。偽兵を伴えば十万に見せかける事も容易い。その上で幕府と和議の交渉へ臨む。されど幕府にも面子があろうし、数で我らが幕府を上回る事はなかろう」

「少なく見積もって十五万、多ければ二十万にも届くやもしれません」


 と幕府勢の規模を推理する道意であるも財政状況を考慮するに二十万は達しないと見込んでいる。西征と同じ規模か、多くても十五万というのが道意の見立てだ。


「で、あろうな。そこで強気な幕府の態度を軟化させるには、戦が長引くと思わせねばならん」

「つまり一戦して痛み分け……いや、我らが僅かに勝っている状況に持ち込むと?」

「うむ。そこで幕府方で警戒すべき大名がいたなら教えて頂きたいのだ」

「毛利、長宗我部、浅井など精強な軍団を擁す大名はおりますが、御屋形様の手を煩わせるものではございませぬ。厄介は一人、織田信長にございましょう」

「……織田信長か」


 宗麟が扇子で床を叩きながら信長の名を口にする。


 信長の名は宗麟も知っている。桶狭間の勇名も九州に届いており、尾張や美濃など六カ国を切り取って幕府の重鎮までに上り詰めた男の名は、小さくない。


「織田はそれほど厄介か」

「信長は侮れませぬ。知略に富み、思慮深く、時に果断、また織田は数も多く、陣容も厚く鉄砲も揃えております。何より軍勢は拙速を尊び、兵站にも恐ろしいほど気を使います」


 その信長の名を語る道意の眼はいつになく真剣である。元亀擾乱の折、信長は自領に戻りながらも義輝の思惑から外れて独自に動き、幕府方もしくは謀反方のどちらが勝利しても生き残れる状況を作り出した。


(あれは恐ろしい男よ。ならば無視するに限るわ)


 反面、宗麟は道意ほど信長を危険視していなかった。


(……織田信長か。まぁそれなりの男なのだろうが、所詮は幕府の力に拠って勢力を拡大しただけのこと。自身の力だけで九州を制しようとする儂には及ばぬわ)


 宗麟とて信長を侮っている訳ではない。六カ国まで版図を広げた人物なら無能なわけがなく、その軍勢が弱いわけがないくらい宗麟も判っている。だが宗麟も今や九州で七カ国、肝付を手懐ければ八カ国にも版図は広がる。信長が危険とはいえ、自分以上の人物とは思えなかったのだ。


「ならば道意殿ならば、織田と如何にして戦う?」


 その宗麟に代わって石宗が訊ねた。


「戦いませぬ」

「戦わぬ?」

「はい。ご説明いたしますので、宜しければ絵図を持ってきて貰えませぬか」

「よかろう」


 何処の絵図を持ってくればいいのかを道意は答えなかったが、そこは石宗である。北部九州から中国地方の周防、長門までが描かれた絵図を選び、宗麟の前に広げる。


「幕府の先手は毛利や長宗我部など中国、四国勢となりましょう。九州へは船で渡るしかありませぬが、大半は当家の所領にて、上陸先は間違いなく門司かと存じます」

「間違いあるまい。仮に違ったとしても、門司に誘導することは難しくない」


 上陸が困難だと思えるよう軍勢を展開すればよい、と石宗は他に考えられる上陸地点を指し示しながら答えていく。 


「拙僧も同じ考えです。さらに敵は大軍にて一度に海を渡るのは困難、となれば水軍を海峡へ繰り出すことで分断が可能です」


 十万を越える軍勢が海を渡るには船で何往復もしなくてはならない。敵の水軍が近くにいる状態で、兵を無駄に損なう危険がある行為を幕府が行うとは思えないのだ。


「信長の領地は尾張、美濃と九州から遠く、必ずや公方様と共に行軍するはずです。信長は機を見るに敏な男、かの伊丹・大物の合戦では公方様よりも先に兵を退いております故、分断に成功すれば兵站に不安を抱える渡海を先延ばしにするはず。織田が渡海に難色を示せば、公方様は海を渡れませぬ」

「分断か。我らの水軍は毛利が擁す村上水軍に引けは取らぬが、それに幕府の水軍が加わると厄介ぞ」


 石宗の指摘は尤もだった。瀬戸内では村上水軍が有名だが、塩飽や安宅水軍の名も軽くはない。場合に拠っては土佐の水軍なども幕府に加わるかもしれず、その規模は確実に大友水軍を越えると予想される。


「心得ております。故に八郎様の御力添えを頂き、松浦、大村、有馬ら肥前の水軍を束ねて数を増やしておる最中にございます」

「なんと!?」


 目を見開き、道意の用意周到ぶりに石宗は驚いた。


 大友水軍は主に豊後を拠点としている。肥前を拠点とする水軍衆がいれば、関門海峡で幕府水軍を挟み撃ちにする事ができる。陸の戦でもようだが、海の戦であっても挟撃は大きな力を発揮する。


「……御屋形様」

「うむ」


 石宗の無言の問いかけに宗麟は大きく頷いた。


 実は宗麟が考えていた策も道意と大差なかった。それだけでなく策を補完するように水軍の増強を計り、敵の内情を報せた。ここまで来れば宗麟の迷いも晴れた。


「早々に伊東を滅ぼさねばならぬな。肝付にも使いを出し、南から脅かさせよ。肝付は伊東と縁戚故に首を縦には振るまいが、噂をばら撒けば少しは三位入道の気は逸らせよう。道意、日向を平らげたらすぐに幕府との戦いが始まる。それまでに可能な限りに戦船の数を増やせ」」

「はっ!すぐに使いを送ります」

「畏まりました。急ぎ八郎様にお伝えします」


 道意と石宗が揃って頭を垂れた。


(さて後は幕府じゃな。まだ道意の奴は隠し事をしておるようだが、せいぜいこき使った挙句に捨ててやろう。交渉では、謀反方の将を一人差し出すとすれば、少しは幕府の印象も変わるというものだ)


 会談の後、既に九州の王を名乗っても不思議ではない程に勢力を拡大させている宗麟は、先日の道意の様子から本音で語っていないことを見抜いていた。それでいて放っておいたのは、少なからず幕府との戦いに道意の力が必要だからである。道意がいなければ、親貞率いる肥前勢は烏合の衆と化してしまう。それを今の宗麟は望んでいない。


(宗麟め、幕府との交渉で何とか譲歩を引き出すつもりだろうが、義輝が了承するはずがない。勝手に兵を動かして伊東を滅ぼした事に怒り、何が何でも大友を潰そうとするはずじゃ。その時こそ大友の力を束ねて奴に復讐する時よ!)


 一方で義輝の性格を熟知する道意は、宗麟と幕府の交渉が上手く行くはずがないと予測していた。あの場で述べた事は、宗麟が考えるであろう策を推測して口に出しただけの事で、大友が幕府の要求を安易に受け入れないようにするためのものである。道意は交渉が決裂する前提で策を練る。幕府勢の分断に成功し、後は確固撃破する。九州で版図を広げてきた大友家には、道意から見ても有能な武将は多く、手足となる肥前勢の中では、今山の合戦では敗者になったものの龍造寺は兵も将も強いと感じていた。


 勝機は充分にある。


(待っておれよ!最後に勝つのは、この松永久秀であると思い知るがよい!)


 いま乱世の梟雄による復讐劇が始まろうとしていた。



【続く】

 お待たせしました。


 今回は宗麟と久秀のお話です。若干、話が久秀の思惑通りに進んでいますが、実際に宗麟が久秀の云うとおりに交渉を進める保障はありません。宗麟からすればあくまで参考意見を聞くと言った程度でしかなく、ここが今までと違うところです。幕府を前に久秀は家中を主導できる立場にありません。


さてこの先がどうなるか。


 ちなみに信長の名が出ているのは東西同時派兵を大友が掴んでいないためです。それだけ同時派兵は荒唐無稽なことであり、幕府勢の戦支度は九州を見据えてのものというのが宗麟や久秀の認識であります。


 次回は大友以外の九州諸大名の動きを描く予定です。

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