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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第八章 ~鎮撫の大遠征・西国編~
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第一幕 伊東崩れ ~忍び寄る反抗~

元亀三年(一五七二)七月十六日。

京・二条城


 日ノ本の都である京より東では、先の大評定で東国平定を命じられた織田大納言信長が(おびただ)しい軍勢を揃えている頃、今回の遠征で天下一統を成し遂げんとする征夷大将軍・足利義輝も十月の九州出陣へ向けて着実に準備を進めていた。


 ちりちりと焼けるような音が聞こえてくるかのように京の都は夏まっさかりであり、異常な熱気が京都盆地全体を包み込んでいる。毎年の事で都生活の長い義輝も暑さには強くあるも、流石に額から流れ出る汗は絶えることなかった。


「されどこの暑さが心地良くもあるな」


 そう義輝が思えるのも悲願である天下一統が近づいているからだ。


 まだまだ出陣まで日にちはあるが、翌月には先導役となる毛利参議輝元の出陣が控えている。織田家からも間もなく東国へ向けて出陣するとの報せが先日に届けられたばかりで、宿願の果たせる日が近づきつつある実感が日に日に強くなっている。


「大納言も気の使い方が上手くなった」


 西国遠征組に先んじての出陣は、義輝の留守中に織田が謀反に及ぶかもしれないという幕臣たちの懸念に配慮したものだろう。あの気難しい信長の従順な姿勢に思わず笑みが零れる。まあ態度ほど内面は従順でないだろうが、良い傾向が出ているとは思う。


 なればこそ後顧の憂いはない。


「これが興奮せずにいられようか」


 いよいよ義輝が生涯を賭けた大一番が始まろうとしていた。


 自らの出陣も控える義輝は、その前に雑務を整理するべく日夜、下知を飛ばしている。幕臣たちは突き動かされるようにして東奔西走しながら職務に追われていた。


「留守居役は中務大輔だけでよいか……」


 前回の西征では実弟の義昭に留守居役を任せたが、将軍家に連なる出自であることから謀反方の旗頭に利用された。今回も同じ轍を踏む訳にはいかない。もちろん大評定にて留守は議題の一つとして挙がっており、それを懸念して信長は逆転の発想から東国遠征を申し出た。備えを固めるのではなく、敢えて備えをなくして挙兵する術を絶ってしまおうというのだ。

 

 それ故に当初の予定では何れか幕府に近しい信頼できる大名に任せる予定だったものを変更し、京都所司代を務める摂津中務大輔晴門へ治安維持に必要な数だけを与えることにした。

 

 流石は信長といったところか。この発想は信長だからこそであり、義輝が考えが及ばなかったものだ。その間の上方は空となり、挙兵に及ぶ兵を集めることは叶わなくなるので、京の留守居は所司代である晴門だけで事足りる。他の地域については幕府系の大名統治が安定しており、各自が治安維持の兵を残しておけばいい。唯一の不安定な紀伊は和田惟政に在国を許して有事に備えさせる。後は順次、九州へ向けて出陣するだけでだった。


=====================================


四月十六日。

豊後国・府内城


 さて時間は少し遡り、問題の九州である。


 三月に行われた大評定の場で九州国割が発布され、その内容は大友家にも伝えられた。宗麟は叛意を理由に豊前、豊後の二カ国へ減封される事とされたが、当然ながら表立って反発こそしなかったものの首も縦に振りもしなかった。


「証とされる書状は、真田某なる者が命欲しさにでっち上げた偽書に過ぎませぬ。当家は長年に亘り幕府の守護として、九州の探題として職務を全うしております。先年の毛利との和議とて、幕命に従ったではありませんか」


 と、このように反論をしてきた。


 宗麟が国割を受け入れるとは考えていなかった義輝としては、この反応は予想通りで、交渉している傍らで軍備を調えて最終的には成敗する。もっとも義輝も名門たる大友を完全に滅ぼすつもりはなく、破れて降服するなら九州の内で一カ国のみ与えて存続を許す気ではいた。


 同様に宗麟も正面から戦って幕府と勝てると思うほど阿呆ではなく、家中では宗麟の考えに従って恭順派が抗戦派を上回っていた。当の宗麟も外交手段を駆使して成り上がってきた過去から恭順する路線で何とか減封を免れる手段がないか模索していた。


「昨今の勢力拡大で幕府は強気でおります。いま妥協に応じれば当家の身代は大きく削られ、立ち行かなくなりましょう」


 これに肥前国主・大友肥前守親貞が異を唱えた。


 今や大友の勢力は九州で七カ国に及ぶ。それが豊州二カ国となれば、家臣団を養うことが不可能なのは明白である。事は大友家だけではなく、家臣たちにとっても重大なのだ。所領を安堵されるなら納得も理解も出来るが、失う可能性を孕んでいる以上は声を上げないではいられない。特に安堵される豊州二カ国は譜代領が多く、外様衆の大半は土地を守れる保証がなかった。それ故に自然と家中は恭順派の譜代と抗戦派の外様と分かれることになった。


「一門の方々は譜代衆の肩を持つばかり。外様衆の声を拾えるのは肥前守様しかおられません」

「儂もそう思うておったところよ。近頃の家老どもの不甲斐なさは、目に余るわ」


 それに拍車をかけたのが親貞の腹心・道意である。道意は親貞が肥前を失うことを密かに恐れていることを見抜いていた。ただ虚栄心から本音を口にする訳にはいかない親貞を抗戦派の旗頭とし、親貞の統制下にある肥前と肥後以外の地域にも影響を及ぼし始めたのである。


「とはいえ幕府とすぐに事を構えるのは得策ではありません」

「判っておる。そして道意、妙案があるのだろう?」

「流石は肥前守様、御見通しでございましたか」

「お主の考えている事くらい手に取るように判るわ」


 困った事が起きると必ず打開策を道意は進言していた。それを一番に経験している親貞は“見抜いていたぞ”とばかりに笑みを漏らし、顎を癪って続きを促した。


 要は親貞が道意に頼ってばかりだったということなのだが、道意は仰々しく親貞を持ち上げてから策の内容を打ち明けた。


「幕府の国割りでは日向の伊東は改易も同然でございました。我らと違い所領を没収される伊東は少なからず抵抗を致しましょう。なればこそ“反抗の兆しあり”と幕府が討伐の兵を送ってくる前に日向を平らげ、我ら大友の忠節を示すべきでございます。さすれば大友の力は更に大きくなり、幕府とて力押しが困難になります。交渉にも影響が出ましょう」


 と同時に道意は“逆に義輝ならば強大化する大友を危険視し、何としても潰そうとするだろうがな”と心の中で呟いた。


「それじゃ!よう考えついた!」


 膝を打って喜ぶ親貞は、早速に宗麟へ日向出兵を願い出た。当初、宗麟は幕府を刺激するべきではないとの譜代衆の声に耳を傾けていたが、親貞の申し出にも一理あると思った。


 それは親貞の言葉を信じたからではない。親貞の背後に見え隠れする老僧の姿を見たからである。


(確かに近頃の幕府は、まったく妥協しようとせぬ。このまま交渉を続けても埒が明かぬやもしれぬ)


 幕府が春に支配下にある大名たちを一斉に京に集めた事は流石に宗麟の耳にも達しており、中国や四国で戦仕度が始まっている事も掴んでいる。


 そこから結論するに幕府は今の大友など恐れてはいないという事だ。つまり現状から交渉で妥協案を引き出すことが不可能である事を意味している。


(あの者は、それが判っているのだろう。それに儂とて、このまま受け容れるつもりはない)


 なら豊州二カ国で満足するか。いや家督を継いで以来、勢力拡大を邁進して大きな敗北を知らない宗麟にはとてもじゃないが受諾できない条件だ。


(せめて豊後と豊前、それに筑前と筑後もしくは肥後の四カ国であれば受け入れん事もないのだがな)


 しかし、どうも幕府の反応から三カ国さえ厳しく思える。相手がこちらを恐れないなら、今より勢力を拡大させるしかない。その上で伊東は幕府の味方でもなく、格好の相手だ。


 いま九州の情勢だけを見るならば、大友家は日向国・真幸院を手に入れたことで南部進出の足掛かりを得ており、伊東も木崎原の敗戦から立ち直れていない。


「我らと伊東の戦いの間隙を縫って飯野城を奪うとは盗人の如き所業、名門・大友の名が泣こうぞ。今すぐに飯野城を返還すべし!それとも大友殿は我らとの盟約を破られるおつもりか!」


 もちろん所領を掠め取られた島津は黙ってはいない。当主・義久はすぐさまに府内へ使者を派遣して宗麟を罵倒させ、僅か一国の守護大名が九州で七カ国に影響を及ぼす大大名の前で一歩も退かぬ気概で真幸院の返還を求めた。


「真幸院は伊東殿からも我が領地との訴えが届いておる。九州での争乱は我も望むところでなく、互いの主張がはっきりするまで儂が預かることに決めた」


 当然、これに同意する宗麟ではない。


 宗麟御の一方的な物言いに島津は一歩も引き下がらなかったが、島津は木崎原の戦いで伊東と共に甚大な被害を被っており、島津敗退に衝け込むようにして薩摩へ攻め入った肝付とも戦い連戦で疲弊している。幸いにも肝付との戦いには勝利を収めて一旦は薩摩から追い出してはいるものの無傷とは言い難く、度重なる戦続きで消耗は激しい。結局、兵を繰り出して飯野城を奪い返す力は今の島津にはないと宗麟は読んでいる。


(好きなだけ吠えておれ。所詮、強者の前に弱者は何も出来ぬ)


 一方的な罵倒を受けた宗麟であるも、島津が何も出来ないと知っているからこそ、平然と受け流せていた。そんな小さな城の問題よりも宗麟の興味は別のところにある。


「今こそ九州を統一する絶好の機会」


 かつて宗麟の目の前で語った道意の言葉が甦る。現実味を帯びてきた宿願から宗麟は目を逸らす事が出来なかった。


(今なら日向だけでなく、大隅さえも手に入れられる)


 大隅の肝付も疲弊しており、幕府から大隅は島津のものと認められてしまっている。肝付は近年で二代も当主が代わっており、今の兼亮は元服したての若造に過ぎない。単独では幕府と抗えず、交渉の術もない肝付は屈辱を耐えて島津に屈するか、大国である大友に縋るしかないのだ。それを宗麟は日向さえ手に入れられれば、肝付は大友を選ぶと確信していた。


「伊東を攻める」


 そう宗麟が決断するのに、然して時間はかからなかった。念のために幕府との体面を鑑み、謀反方と交渉の窓口であった田原親賢は蟄居された。


 そして加判衆を筆頭に、幕府との合戦に備えを任せた戸次道雪の除く譜代衆が中心の精鋭一万五〇〇〇を揃え、日向北部の国人・土持氏に道案内を命じて南下、北西からは大友親貞が肥前と肥後、筑後衆を束ねて二万余が進み、これを援護。門川城、潮見城、山陰城と次々と突破し、米良四郎右衛門、右松四郎左衛門、米良喜内ら伊東家臣は討ち死にし、僅か一月足らずで耳川より北部を大友が制圧した。


「大友め、いい気になりおって!」


 一方で伊東側も反撃せんと陣触れを発し、義祐の居城・佐土原へ総力を結集する構えを見せた。ただ城に集まった兵は五〇〇〇と少なく、かつて二万を号した伊東軍団は見る影もなかった。それも木崎原の戦いで兄・重方を失った米良矩重が大友方へ寝返ったからである。


 その遠因は義祐の身近にあった。


 義祐の側近に伊東帰雲斎なる人物がおり、義祐の従兄弟に当たる人物なのだが、これが曲者で矩重が引き継いだ兄の所領の一部である加江田郷を横領してしまったのである。しかも帰雲斎は主君の傍近くに仕える立場を言いことに義祐を言い包めてしまい、義祐は矩重を召喚、この時に送った使者を矩重は怒りの余りに斬り捨てた。矩重は張本人の帰雲斎だけでなく、それを認めてしまった義祐にも強い恨みを抱いていたのだ。


 矩重の須木城は佐土原城の西、木崎原の戦いで戦場となった飯野城の近くにある。道意は膝下の道薫を送って相良義頼と合流させ、三〇〇〇を以ってして米良支援に乗り出していた。


 故に義祐は北の大友本隊だけでなく、西側を警戒しなければならずに兵を満足に集められずにいた。


 仕方なく義祐は高城の城主・野村蔵人佐に備えを固めさせると自らは高城川(別名・小丸川)に布陣して抗戦の構えを見せた。


「義祐め。三位入道と呼ばれようが、所詮は儂の足元にも及ばぬ」


 伊東の陣を窺う宗麟が勝利を確信してほくそ笑んだ。


 大友勢は降兵をも取り込んで三万七〇〇〇と膨れ上がっており、鉄砲も多く持ち込んでいる。唯一で士気こそは高いとは言い難かったが、それは相手も同じで負ける要素は微塵も感じられなかった。


「さて、仕上げの前に確かめておかねばならぬな」


 そう言って宗麟は陣内に籠もって行った。その脳裏には一度だけ相対した老僧の姿があった。




【続く】

 お待たせしました。今回は次の話を書きつつの修正などがあったために遅くなってしまいました。その分、次話は早めに投稿できる見込みです。


 さて久し振りの義輝本人の登場です。主人公でありながら投稿時間が長くなってしまっていることから最後に登場したのが二年前の四月...二年二ヶ月ぶりとなります。もう少し早くしたいところですが、何ともしようがないのが現実です。読者の方々には申し訳ありません。


 今回と次回は基本的に九州の側の話です。九州攻めが始まりつつあり、その渦中にある大友家が揺らぎに揺れています。拙作の宗麟は今山の合戦や耳川の戦いなどでの敗北を知らず、家督相続から勝ちまくっている宗麟ですので、我々が知っている歴史上で知っている大坂城で秀吉に頭を垂れた宗麟ではありません。


 次回は宗麟と道意の二度目の対面です。どうなるかお楽しみ下さい。




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