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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第七章 ~鎮撫の大遠征・東国編~
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第十五幕 泰平の風 -最果ての地で-

元亀四年(一五七三)六月四日。

陸奥国・杉目城


 つい四ヶ月ほど前までは往年の如く精力的に他家との外交に奔走していた伊達晴宗であったが、幕府軍が会津黒川城を発したと知ると全ての無意味さを悟ったのか、別人の如く呆けてしまった。


「……殿」


 その様子を心配して傍に控えるのは、長きに亘って晴宗を支えてきた桑折宗茂である。以前の名前を景長といい、執政として家中を統制し、陸奥守護代として幕府にも認められた程の人物だった。


「拙者も子に家督を譲って久しく、歳を取り過ぎました。足腰も弱り、もう戦には出られますまい」


 この時。宗茂は六十七歳。皺だらけの肌に白髪の髪、いつ黄泉の国へ旅立っても不思議ではない年齢ながら輝宗から請われ、今でも現役として小松城主を務めている。宗茂も律儀な性格で、本来なら子の宗長だけで充分にも関わらずに輝宗の家督相続に際して偏諱を賜り、名を景長から宗茂に改めている。


「そなたもそのような歳になったか」

「大殿とて、中老も半ば。還暦は近うございますぞ」


 と言って主君の前ながら宗茂は膝を叩いて大笑いした。


(思えば長い時を戦ってきたな)


 目の前の家臣と奔走してきた若き日を晴宗は思い起こす。自分が偏諱を受けた将軍・足利義晴が世を去って二十年以上が経過しており、元号も弘治から永禄、元亀と三度も変わっている。奥州では数こそ揃い難いが合戦の主役も鉄砲に変わりつつあり、西国では多くの諸大名が戦場で当たり前のように使用しているという。形、名ばかりであった幕府も急激に力を取り戻し、今では創建時の頃とは比較にならない程まで強大となっている。誰が幕府が奥羽へ兵を送ってくると予想できただろうか。いや、出来なかったはずだ。


(何せ、この儂ですら見誤ったのだからな)


 初めは幕府の力を利用すれば、伊達の勢力を父・稙宗の時代以上に大きく出来ると考えた。幕府が天下一統を実現しそうな勢いであることを鑑みれば、この機を逃してはならないと思った。


 ところがである。


(誰も儂の話に耳を貸さぬ)


 晴宗の想像以上に幕府の力が大き過ぎたのだ。故に皆が幕府の動向を注視しており、晴宗の策謀に加担しようとする者はいなかった。これが一昔前であれば、晴宗の思惑通りに事が進んでいたはずだ。それが今回はまったく成果が上がらなかった。


「大殿、こちらを……」


 宗茂が差し出してきたのは、見事なまでに美しい朱鷺色の鷹であった。晴宗も何度も鷹狩りをして来たが、ここまで見事なものは見た事がない。間違いなく奥羽一の鷹と言えるだろう。


「何とも美しい。これはどうしたのだ?」

「暫く山に籠もり、松の木の下で見張っておりましたら飛んできたのです。拙者も思わず見惚れてしまい、そのまま連れ帰ってしまいましたわ」


 とまるで愛娘を慈しむかのように朱鷺色の鷹を愛でる宗茂からは、如何にこの鷹を大事に思っているかが伝わってきた。


「公方様は鷹狩りが御好きと聞き及んでおります。大殿は公方様に奥羽一の鷹を献上するべく、ここ暫く東奔西走しておられたのですね」

「……お主」


 晴宗には痛いほど宗茂の気持ちが伝わってきた。今日という日ほど本当に良い家臣に恵まれたものと思った時はない。宗茂は、晴宗が伊達の勢力拡大の為に動いていたこの数ヶ月を、鷹を探していたことにしようとしていたのだ。


「大儀である。輝宗には梵天丸の代以降も桑折を重用するよう申し伝えておく」

「はっ、忝のう存じます」


 かくして杉目城に幕府軍を出迎えた晴宗は朱鷺色の鷹を上杉謙信へ献上、その美しさに感嘆した謙信は改めて幕府に忠誠を誓う晴宗を咎めることはなかったという。


 これ以降に晴宗が表の記録に現れるのは、晩年に杉目城で一門や家来衆を招いた宴席で梵天丸が和歌を披露したとされる事のみであった。


 最後の奥州探題・伊達次郎晴宗は、この五年後に世を去った。享年五十九。


=====================================


六月二十八日。

陸奥国・高水寺城


 奥州を進む幕府軍は、大軍の利を活かして順調に大崎・葛西領を接収し、和賀領も押さえて斯波詮真の高水寺城まで到達していた。黒川に出頭した稗貫輝時、阿曽沼広郷の両名は所領安堵とされたので軍勢を引き連れて合流となったが、大崎義隆と葛西晴信、和賀義次は一先ずは蟄居処分となって沙汰待ちとした。なお黒川晴氏や国分盛氏、亘理元宗も同様とされている。


 大崎、葛西領は合わせて五十万石はあろうかという広大な土地で、流石の謙信も一存で改易する決断は出せなかった。特に出頭していないのは和賀や斯波も同じであるため、処分をするなら公平性を保たなければならず、この儀は義輝の意向を待つ他は選択肢がなかった。よって謙信は手勢から一万ほどを割き、主要な城を全て押さえることで北上を再開させる。


「どうか御慈悲を!御慈悲を賜れますよう御願い申し上げます!!」


同時に義隆らも領地を失ってはならぬと何度も謙信へ謝罪を繰り返し、義輝へ取り成してくれるよう頼み込んでいた。奥羽では見たこともない大軍を間近で目撃したことで、己の判断が誤っていた事を自覚したのだ。


「取り次ぎは致す。されど上様の御心を静められるかは貴殿らの姿勢次第ぞ」


 謙信は取り成す事だけは了承し、自分の留守中は疑われるようなことは避けるよう厳命して行軍を再開させる。


「さて大膳亮殿は出てくるかな」


 馬に揺られて街道を進む謙信は、次に南部大膳亮晴政の対応について思案を巡らせていた。


 先に黒川へ出頭しなかった四名は、敵対こそしていないものの"矛を納めて出頭せよ”という命令に違反いたために改易するかは別として、少なからず処分の対象となる。ただ出頭をしていないのは南部晴政も同じであり、こちらも処分は免れない。唯一、南部の継嗣である田子九郎こと信直が出頭していた事をどう形にするか悩んでいた。


「この度は遠路、奥州の片田舎まで御足労を頂き誠に恐縮に存じます」


 謙信が高水寺城に到着した時、南部晴政は一族の九戸左近将監政実と共に姿を見せていた。この頃は羽州の幕府軍は安東領に入っており、その噂も届いているのだろう。斯波領は南部にとって敵地であるが、家を失ってはならずと決心したと思われる。


(それでも遅きに失したがな)


 謙信の傍に侍り、養父が頭を垂れる姿は信直にとって滑稽に映った。


 信直は黒川より道中、幕府軍の威容を肌で感じ取っており、この軍勢と戦っても間違いなく南部は勝てないと予想していた。そもそも兵力だけでなく、槍の長さから鉄砲の数が違う。甲冑も当世具足が主流になりつつあり、未だに胴丸を着る南部の者たちが古臭く映った。それらを率いるのが軍神・上杉謙信なのだから如何に地の利が南部にあるとはいえ勝てる見込みは乏しいだろうと判断する。兵の数や質で大きく劣っていて勝負をするのは、大名のやることではない。


「謀反が起きておると聞いた」

「はっ!お恥ずかしきながら津軽にて大浦為信なる者が謀反を起こし、我が所領を掠め獲っておりまする」


 率直に訊ねる謙信に対して恭しく礼をしたまま答えた晴政であったが、その言葉には僅かながら怒気が含まれている。

 

 謀反を起こした大浦為信は南部支族・久慈氏の出で、大浦為則の娘を娶って養子となり、大浦氏を継いだ人物で、まだ二十三か四歳の若者だという。石川城を攻めて信直の実父・高信を自害に追い込んだ後は周囲を荒らし回っていると言うが、晴政は家督問題による領内の不安定と和賀や斯波などの外敵の存在もあり、信直が再三に亘って進言したにも関わらずに自らが出陣して為信を討とうとはしなかった。


 実のところ為信の謀反は何が理由なのか定かではない。


 三日月も丸くなるまで南部領と称される程の大勢力を築いた晴政が大浦如き謀反を鎮められないのは不思議であり、かといって斯波・和賀とは戦をしている以上は兵を起こす余裕がない訳でもないのだ。実際、信直は敗れたものの独自に討伐軍を送っている。正直、信直は養父を疑っており、嫡男・鶴千代に跡目を継がせたい考えから為信を唆して高信を討たせたと思っていた。


 晴政と信直は、義理の親子であるも関係は既に破綻している。毘沙門堂に参拝していた信直を晴政が襲ったとか襲わないとか噂も出ているほどで、その事を二人とも否定も肯定もしていないから返って不気味だった。


 そして晴政の怒気が為信の謀反に対するものなのか、謙信の横で勝者のように自身を見下ろす信直に対するものなのか。それを知るのは晴政のみだ。


(それよりも田子九郎に仇討ちを果たさせてやりたい)


 当初、この話を聞いた謙信は、そこまでするであろうかと話半分で聞いていた。養子を迎えた後に実子が生まれる例は、それなりに聞く話である。その最たる例が、応仁の乱だろう。


 八代将軍・足利義政は自身に子がいないことを理由に実弟・義視を養子に迎えて継嗣とした。しかし、その翌年に義政の嫡男・義尚が誕生し、双方が将軍家の跡目を争って日ノ本を揺るがす大戦にまで発展した。ただこの時は義政は後継者を義視から変更しておらず、義尚は幼年で一先ず義視に将軍職を継がせる意向だったと伝わる。それに諸大名の思惑が絡み、応仁の乱へと至るのである。


 晴政は南部の当主である。しかも一代で大勢力を築いた武将で、名門出の傀儡当主ではない。ならば跡目は嫡男だとはっきり家中へ示せば済む話と謙信は思っている。ところが南部氏は一族が多く、複雑な利害関係で互いに牽制し合い成り立っており、そうそう簡単な話ではなかったのだ。


 晴政が伴った九戸政実は南部一族であり、幕府にも名が通る程の重鎮だ。そして晴政は宗家の三戸氏である。謀反を起こした大浦氏は七戸であり、代々家老職を務める八戸氏、他にも三戸城の北に屋敷を持ったことから北氏を名乗る一族や東氏、南氏、一戸氏なんて者もいる。今回、謀反に散った石川氏は三戸南部氏の庶流に当たり、石亀や毛馬内という支族も家中では重用され、南部という家が多くの一族によって支えられていることが判る。


 そのような複雑な成り立ちをすぐに謙信が理解できるはずもない。そして実子がいない謙信が我が身のこととして感じられることもなかった。


「鶴千代が生まれた父上にすれば某は邪魔な存在でしかないようでして……」


道中、謙信の傍にいることの多かった信直は、自然と歴戦の将たる謙信へ心中を吐露していた。後の世で語られるであろう激戦の数々を経験している謙信は信直が憧れても不思議ではなく、まるで父に接する子のように周りからは見えた。


「南部の家督はよいのです。されど廃嫡を申し出れば某は家中で力を失います。その前に石川の父の無念は晴らしたい。このままでは父が浮かばれませぬ」


この想いに謙信は素直に応えたいと思った。故に決断をする。それを晴政に伝える。


「田子九郎殿より事情は聞き及んだ。大浦とやらの謀反は、儂が自ら鎮めてやろう。津軽平定の暁には、田子九郎殿に石川を継がせて津軽を委ねようと思うが、よいな」


 よって謙信は信直を石川へ戻し、津軽地方の大名として扱うことに決めた。このまま信直を南部家中に残したとしても争乱の元となるだけであり、同時に黒川へ出頭しなかった晴政から津軽地方を召し上げて信直に与えるという形も採れ、正嫡が家督を継ぐという幕府の方針に従うことにもなる。


「……はっ。依存はございませぬ」


 幕命に再び平伏して承服の意を示す晴政であったが、元より拒否権などある訳がなかった。もし拒否をすれば、場合によっては南部は改易となり、領地を信直が継ぐことも有り得るのだ。


「では軍議と参ろうか」


そして対面は終わり、東国平定に於ける最後の軍議が始まった。


 軍議の場では、地理に暗い謙信は基本的に黙ったまま行方を見守っていた。そこで初めて会った南部晴政という男が如何に有能であるかを知ることになった。


「為信は現在、居城の大浦から堀越城に移り、和徳、高畑、石川などの諸城に重臣を入れて大光寺城を窺っておる。物見の姿も確認できない日はなく、我らの動きも敵にあらかた伝わっておると考えた方がよい」


そう述べて晴政は細かい報告を重ねていく。


津軽は南部の本拠たる三戸から離れていながら、大名自身が事情に精通しているのは、大浦方の動きを晴政が常に調べさせて報告させているからだ。


「方策は二つ。まずは大光寺まで進み、支城を一つ一つ落として堀越を裸城とするか、大軍の利を活かして大浦を先に落として動揺を誘うという手がござる」


 流石は大名の晴政である。奇策を用いず王道で戦術を固めている。家を大きく発展させてきた武将というのは奇策に富んだ人物なのではなく、こういう常道を外さない人物だった。謙信も信長や信玄という存在を見てきている以上、晴政の軍略が如何に正しいのか理解できる。だからこそ謙信は、別の手段を講じることが可能だった。


「尤もじゃが、時間をかけてはいられぬ。石川城は、長尾弾正少弼に羽州街道を進ませて攻めさせる。他の城は我らで同時に落とす」


 そう謙信は宣言する。幕府軍を束ねる上杉謙信だからこそ採れる手段である。


 いま謙信の下には三万を越える軍勢がいる。南部勢は少なく見積もっても五〇〇〇は見込め、伊達からも五〇〇〇を拠出させている。稗貫や阿曽沼も兵を出しており、そして羽州には長尾景勝の率いる五万がいつでも動ける状態にあった。謙信は十万近い軍勢で、大浦方の城を全て同時に攻略し、津軽を一気に平定しようというのだ。


 そして七月中旬、支度の整った幕府軍が一斉に津軽地方に雪崩れ込んだ。


「東国平定の総仕上げである。励めッ!」


 羽州街道から津軽に出る辺りに石川城はあり、長尾景勝は即座に城を攻めた。城将・板垣将兼は街道を封鎖して抵抗を試みるが、僅か五〇〇では焼け石に水であり、奮戦するも城は三日かからず落城。将兼は遭えなく討ち死にした。


「何故に抗うのか理解に苦しむが、手心を加えてやる義理もない」


 と冷めた態度で合戦に臨むのは、蘆名止々斎である。


 蘆名勢八〇〇〇は高畑城に籠る乳井建清を一気呵成に攻め立てる。高畑城では防げぬと断じた建清は包囲前に城を捨てて遁走し、居城の乳井城に逃げ帰るが果敢徹せず、最後は道案内として同陣していた大光寺城主・滝本重行に討ち取られた。


 そして和徳城に籠もる森岡信元は、佐竹義重の猛攻に晒されることになる。


「我らの強さを上様に知って頂かねばならぬ。者共ッ!容赦なく攻め立てよ!」


 義重の攻撃は苛烈を極めた。


 佐竹の鉄砲と自称する自慢の鉄砲隊を惜しまず前線に配置し、攻撃の要とすると義重自らが陣頭に立って兵を鼓舞、犠牲を顧みず僅か一日で落城させた。しかも城主である信元を討ち取っただけでなく、家老職にあって城に籠もっていた小笠原信浄の首も揚げる速戦ぶりは佐竹の強さを知らしめるには充分な戦果である。比類なき大功であるからこそ佐竹の損害も決して小さくないが、もう損害を恐れる合戦は控えていないと義重は割り切った。


(上様にとって佐竹の印象はよいとは言えぬ。ここで働いて見せねば……)


 幕府軍の凄まじさは関東を代表する大名たる義重には、嫌と言うほど伝わっている。特に関東では徳川家康に対して弱みを握られており、ここで奮戦して見せる必要があったのだ。


 幸いな事に和徳城には三〇〇程しか籠もっておらず、多勢に無勢であった。信元は討ち獲られて城は炎上、佐竹の完勝に終わった。


 その中で一際、目立っていたのが南部晴政である。


「何としても為信の息の根を止めよ!決して許しては成らぬ!如何なる犠牲を払ってでも討ち滅ぼすのだ!」


 そう言って堀越城を我攻めにした。


 先の軍議では想像も出来ないほどの苛烈な攻めは、老練な晴政とは思えぬほど家臣たちも困惑を隠せずにいた。それを傍目から見ていた信直だけが、事の本質を見抜いていたと言っていいだろう。いや、見抜けたと言った方がよいかも知れない。


(やはり為信は父上の指示で動いていたのだ。その後の行動は恐らく為信の独断であろうが、二人が石川の父を討つよう共謀したのは間違いあるまい)


 だからこそ晴政は為信に生きて弁明する機会を与えたくはなかったのだ。口止めしなくては、南部家が滅ぶ。だからこそ堀越城攻めを自ら志願し、らしくもない我攻めに終始しているのだ。


「為信を逃がすな!城の中をくまなく探し、見つけたら即座に討て!」


 晴信は声高に告げ、兵を叱咤する。


 既に南北に設けられた二重の堀は突破し、三ノ丸は占拠した。二ノ丸にも手を掛け、大浦家臣の一町田信清を討ち取ったとの報せも受けている。だが為信を討ち取ったとの報せは、まだ届かない。


「左近、為信は本当に堀越城にいるのか?」

「もしかすると大浦に逃げ帰ったやもしれませぬ」

「……そうなったら拙いぞ。大浦を攻めているのは伊達じゃ。聡い為信のこと、庇護を求めて投降するやもしれぬ」


 事の真相が明るみになった場合、南部が滅びる可能性もあった。信直の存在で家名の存続は保たれるかもしれないが、それは晴政の望むところではない。


 しかし、その懸念は杞憂に終わる。


 結局、堀越城に為信はいなかった。本丸を攻めた信直が徹底的に行方を捜させたにも関わらず見つからなかったのだから、まず間違いない。また大浦城を陥落させた伊達輝宗が為信を捕縛したとの報せもなく、その行方は掴めなかった。


「為信の行方は分からず仕舞いか?」


 麾下の軒猿を使って行方を調べさせている謙信のところにも確たる情報は入ってきていなかった。


「もしかすると蝦夷に逃げたのかもしれません」

「……蝦夷か」


 日ノ本の北に広がる大地・蝦夷。


 蝦夷地とも呼ばれる辺境の土地は、古くから大和政権ひいては朝廷に属さない民族の住む地域を指す。かつては関東や奥羽地方の一部もその名で呼ばれることもあったが、中央政権の支配域拡大により現在は津軽海峡の先、渡嶋と呼ばれた地域を指す。


 蝦夷地の全容は、未だに定かではない。鎌倉幕府は蝦夷代官を置いて支配し、足利将軍家も蝦夷探題職を設けて統治を試みている。その職に任じられていたのが安東氏であり、家臣の蠣崎季広が現在、その任に当たっている。


 大浦を征した謙信は幕府軍を総動員して津軽地方を制圧、期間にして一月とかからない短期間で戦いは終結した。結果、大浦為信は見つからず、為信に付き従った多くの者は城と共に討ち死にするか、捕縛されて厳しい処罰を受けることになった。他にも最後まで出頭のなかった浪岡御所こと北畠顕村は改易となり、鎮守府将軍・北畠顕家の系譜は歴史から消えた。


「これで終わったのだな」


 全ての戦いを終えた上杉謙信は、津軽半島の北端・竜飛崎にて蝦夷地を望んでいた。西風は強く、波も高い。時折の強風に従者が目を手で覆うも謙信の眼は強く見開いたままだ。


「余は将軍家の力を取り戻し、必ずや天下に泰平を実現させてみせる。越後一国を統べるそなたからすれば、軍勢を持たぬ余など心許なく思うだろうが、共に乱世を鎮める担い手になってはくれまいか」


 かつて上洛した折、何の力も持たなかった義輝はが語った言葉が脳裏に蘇って来る。


「戦乱の世が続き、天下には不義不忠の輩が跋扈している有様じゃ。これは将軍家の、余の力が不足している証である。認めよう、余の力のなさを」


 義輝は自分の弱さを自覚しながらも泰平の志を決して忘れなかった。一度は将軍職を追われ、命を狙われたことも数回に及ぎ、守護や身内にも裏切られながら一歩ずつ歩を前に進めてきた。


 天下一統、その先にある泰平の世は目前に迫っている。


「はい。長かったのか短かったのか判りませぬが、これで東国に於いて幕府の敵となる者はいなくなりました」


 感慨深く北の大地を見つめる謙信に寄り添うのは、古くからの功臣である本庄実である。


 謙信の兄・晴景や父・為景の代から仕える実乃も、まさか幕府の支配が東国の隅々にまで及ぶ時代が来るなど予想もしなかった。それほどまでに戦国乱世という時代は過酷であり、先の見えないものであったのだ。


「流石は織田殿と言ったところか」

「何を仰せになられます。東国平定の立役者は大殿でございますぞ」


 自らを卑下する主に対し、景綱は即座に反論した。


 確かに織田信長の功績は大きい。北条氏を打倒したのや奥羽平定のきっかけを作ったのは、紛れもなく信長の力である。しかし、幕府の力が及ばない東国に干渉する橋頭堡は、謙信あればこそ保てたものだったのも事実である。それは虎千代と呼ばれていた頃より主を見てきた実乃が一番に知っている。


「何であれ、ここまで辿り着いたのだ」


 老臣の言葉は素直に嬉しい。だが今の謙信は、それよりも主の悲願が達成されつつあることの方に喜びを感じている。


 主君・足利義輝が望んだ泰平が目の前にある。これを維持するのは並大抵の事ではない。未だ九州では主が日ノ本の統一に向けて最後の戦いを続けているところである。伝え聞くところによれば、あの松永久秀は九州に逃れていたらしい。


 謙信の耳に届いた頃には随分と時が経っているはずであり、今頃は決着がついて帰洛の途にあっても不思議ではないと思っている。


「もはや上様の敵ではあるまい」


 かつての憎悪はない。如何なる手段を講じようとも今の義輝に勝てる存在がいるとは謙信には思えなかった。あれほど苦労した北条すら幕府軍の前には鎧袖一触だった。誰がそれを予想したであろうか。それほどまでに状勢は大きく変化しているのだ。


「風が弱くなってきたな」


 先程まで荒れ狂っていた強風が不思議と止み、岩肌を打ち付ける波が穏やかになる。


 一つの時代が終わった事を謙信は感じていた。


=====================================


某日。

蝦夷地・大館


 蝦夷地を治める蠣崎氏の本拠・大館に珍しい来客があった。


「このような辺鄙な土地に御出で頂かぬとも拙者の方から参りましたのに……」


 館の主・季広が恭しく接するのは、日ノ本最大の大名で幕府の重鎮・織田信長であった。あの上杉謙信すら大浦為信を成敗して会津黒川へ帰還したというのに、関東から先へ出て来なかった信長が突然に訪問して来たのだから驚くのも無理はない。


「蝦夷地が如何なるものか見に来た。案内せよ」


 そう言って信長は季広よりも先に歩き出す。季広は慌てて後を追うも、その間にも信長から質問が相次いだ。“蝦夷とはどういう土地か”“どのような作物が採れるのか”“アイヌとはどういう民族か”“アイヌとは会えるか”“奥地に唐へと渡れる島があると聞いたが本当か”など答えても答えても次の質問が飛んで来る。


 これまで季広は何度となく日ノ本つまり大八洲国と呼ばれる地域から渡って来た者たちを案内したことがあるが、ここまで強い興味を抱いている人物は初めてであった。


「蝦夷を統治する術を考え、報告せよ」


 信長は一通りの案内を受けた後、帰還する前に季広に告げた。この後、季広は信長に推挙されて安東氏より独立を果たし、蝦夷地での交易を独占していくことになる。


 かくして幕府による東国平定は達成させられたのだった。

 



【続く】

 更新速度を上げると言いながら2ヶ月経ってしまいました。申し訳ありません。


 今回で東国編は終了となります。大浦為信の謀反は諸説あり、真相は定かではありませんが、拙作では晴信との共謀説に加えて為信の暴走としています。結果的に為信は逃走し、史実で津軽藩となる部分を信直が受け継ぎ、南部は鶴千代こと晴継が跡目となる予定です。その他の未定な沙汰に関しては、九州のことが終わってからの記述となります。


 さて次回からは久し振りの義輝登場となります。主人公が長らく不在でありましたが、本当の意味で義輝最後の戦いとなるでしょう。剣聖将軍記の大詰めです。もう暫くお付き合い下さい。

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