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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第七章 ~鎮撫の大遠征・東国編~
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第十二幕 奥羽戦略 ~芽吹き始めた秩序~

元亀四年(一五七三)二月



 奥羽平定軍総大将・上杉謙信と前奥州探題・伊達晴宗の黒川会談を終えて、遂に奥羽情勢は動き出した。


 まず晴宗は先の会談で上杉勢の力を利用するという目論見が潰えたことで、方針の転換を迫られた。その第一歩として蘆名止々斎と二人だけで密談する機会を設け、蘆名と伊達の両家で奥羽を二分しようと大胆に持ちかけたのだ。


「伊達殿の申されること判らぬでもないが、あの上杉殿を簡単に出し抜けるとは思えぬ」


 ただ当初、止々斎は晴宗の提案に対して消極的であった。


(このまま伊達を上杉に売ってしまおうか)


 という考えがよぎったからである。現時点で蘆名は奥羽第一という立場にある。晴宗の提案は魅力的で、確かに蘆名が勢力を伸ばそうとすれば最後の機会となる現状、受け入れるのも一考に値する。それは伊達も同様で、単独では上杉に敵わない為に連携を呼び掛けていた。しかし伊達と蘆名の大きな違いは、既に止々斎は下野平定に於いて那須討伐という戦功を挙げていることだ。


 故に危険な晴宗の提案に乗らなくても少なからず恩賞に与れる立場にいる。伊達は精々が所領安堵がいいところだろう。止々斎からすれば、いま以上に欲を出すのか、出さないのかという問題になる。


(それでは困るということか)


 ジッと晴宗の視線を受け止める止々斎は、晴宗がどうしてこのような提案をしてきたのかをその表情から読み取ろうとした。


(……丸森城か)


 止々斎の知る晴宗は現実的な男だ。如何に伊達や蘆名が大身とはいえ、南部や安東など伍するだけの勢力はある以上、本気で奥羽を二分できるとは思っていないはず。ならば落とし所を考えていると予測した。それを伊達が長年に抱える相馬との案件、丸森城の奪還にあると睨んだ。


 丸森城は天文の乱以後に伊達稙宗の隠居城として築かれた。陸奥国・伊具郡に位置し、宇多郡と合わせて稙宗の隠居領として宛がわれたが、稙宗の死後に相馬盛胤が丸森城を接収してしまう。もちろん晴宗は奪還に動き出すも相馬の抵抗は激しく、今となっても奪い返すには至っていない。


 上杉の軍勢があれば、丸森城の奪還はあっと言う間に終わるだろう。むしろ戦いに発展する事すら怪しい。仮に戦って奪い返すともなれば、即ち相馬が幕府の敵として認識される事となり、相馬は丸森城だけに止まらず、その所領全てを失いかねない。自分が相馬盛胤の立場なら、丸森城を明け渡して御家存続を選ぶ。


 これが晴宗の狙いだと止々斎は考えた。


「蘆名殿の懸念は尤もだ。されど上杉殿とて我ら抜きで奥羽を平らげられると考えてはおるまい」


 つまり衝け入る隙はある、と晴宗は暗に言っていた。これには止々斎も理解はする。


 奥羽状勢は他の地域と違って覇者と成り得る存在が登場していない。かつての伊達が近い存在にはあったが、現状は一地方勢力にまで落ちぶれている。関東のように北条や九州の大友のように覇者さえ倒してしまえば決着するような状況ではなく、群雄割拠している諸侯の利害関係を巧みに調整しなくてはならないはずだ。


(上手く立ち回れば、大崎や葛西なども膝下に加えることも不可能ではない)


 伊達領の北側には留守、黒川など従属させてはいても完全に家臣化には至っていない勢力がある。大崎と葛西は互いに敵対関係にあるが、どちらも伊達とは良好な関係を築いており、仲裁役という立ち位置に近い。ならば立ち回り方次第では、両者の上位に立つことは不可能ではないかもしれない。


「少々御考えが甘うござるぞ」


 野心をギラつかせる晴宗に危うさを感じた止々斎は、巻き込まれることを懸念して釘を刺した。


「儂は幕命に従って関東へ兵を出した事は存じておろう。謙信はともかくとして、織田……いや、幕府は関東諸将の力を必要としていなかった。現に北条を倒すのに幕府は、関東の兵を用いておらぬ」


 止々斎は己が関東で見てきた光景を晴宗に語った。


 下野にしか出張っていない蘆名であるが、関東の情勢は嫌でも伝わってきた。特に北条を倒した織田の存在は止々斎にとっても無視できるものでなく、実のところ宇都宮城へ立ち寄った際に兵を休ませる名目で駐留していた期間に止々斎は自ら信長のいる江戸へ足を延ばした程である。


(上様は上杉よりも織田を重用しておる。ここは謙信に追従するより信長と直接に伝手を持っておいた方がよい)


 その判断から江戸に赴き、止々斎は信長と対面することになった。


「蘆名殿が奥羽で幅を利かせたいなら、下手に欲を出さぬことだ。係争地は悉く幕府が預かるくらいの姿勢でいた方がよい。その役を蘆名殿が買って出られたならば、上様も蘆名を悪く扱うまい。儂からも口添えしておこう」


 初対面の信長から苛烈な要求をされたのは、今も鮮明に覚えている。


 信長にすれば、顔も知らない蘆名などどうでもよい存在でしかない。止々斎が信長の言に従えばよし。従わなければ伊達や南部など他の大名を当たればいい。代わりなどいくらでもいるし、逆に蘆名が奥羽で第一と見られているならば、二番手と三番手が目の前の邪魔者を蹴落とそうと幕府に従う公算は高い。そうなれば蘆名は奥羽で第一という立場さえ失う。


 だからこそ嫌われ役を止々斎が買って出たならば、それを忠義と認めて評価すると信長は口にした。


「幕府の力はそこまで大きいのか」

「話だけでも聞いておるはずじゃ。今の時期に幕府は九州へも兵を送っておる。もし奥羽平定が長引き、先に九州が平定されたならば、もはや我らの出る幕はないぞ」


 それを聞いて晴宗はゾッとした。


 いま奥羽へ送られている兵ですら八万五〇〇〇を数えるのだ。止々斎の話によれば、関東には織田の軍勢十万が控えており、いつでも奥羽入りを果たせる状態らしい。その上で九州を治めた幕府の軍勢を相手にするなど正気の沙汰とは思えない。


(諦められぬ!!)


 相馬に奪われた丸森の地は、伊達によっては誇りを汚されたも同じ。父に反旗を翻し、伊達という家を背負った晴宗には是が非でも自分の生きている間に取り戻しておきたい土地だった。


「この話、聞かなかったことにして下され」

「それがよかろう」


 止々斎に断られた晴宗は歯がゆい思いを隠しきれず、引き下がるしかなかった。しかし、その瞳からは失意の念は感じられず、焦燥感が強く漂っていた。


=====================================


 同じ頃、奥羽平定軍を預かる上杉謙信は、九州に赴いている主君・足利義輝よりの御行書を読んでいた。


 昨年の宇都宮攻めを終え、関東平定を報告した謙信に対してようやくの返書が届いたのだ。そこには九州の情勢も記載はされていたものの本題はあくまでも奥羽大名の扱いについてだった。


「奥羽には幕府の威を示すことを第一とせよ。余が大名と認めたのは蘆名と伊達のみ、最上や大宝寺の所領は安堵でよいが、大名同士の争いは一方に明らかな非がない場合を除いて片方に加担してはならぬ。係争地を幕府で預り、余の沙汰を待つがよい」


 そこには信長が江戸で止々斎に語った内容がそのまま記してあった。


「もし左中将の決定に不服を申す者がおれば、余の名代として成敗せよ。但し、謀反は許してはならぬ。これからの世は道理を正していくことが肝要、如何なる理由があれ謀反を許すようでは主従の関係は成り立たぬ」


 それは暗に何れかの大名を人柱にせよと捉えることも出来た。そして現に謀反の気配がある大名は少なからず奥羽に存在している。義輝は、それを討てと言っているのだ。


「……ふむ」


 謙信は各方面から上がってきた報告を吟味している。書状の数は十数を下らず、食い違う点も一つや二つではない。もちろん謙信とて奥羽情勢をまったく掴んでいないわけではなく、親しい大名家からは少なからず情報は得ている。そこから推察できる奥羽の状勢は、なかなかに複雑だ。


 同時に義輝や先代の義晴に対して上洛して謁見している者も少なからずおり、当時の幕府から所領を安堵されている。地理的な関係から幕府と敵対もしておらず、余程の事がない限りは、その大名たちの所領は安堵する方向で進めなければならないだろう。


「ともかく兵を何れへ進ませるかだ」


 雪解けと同時に兵を奥州の内部まで進ませて武威を示す。先程に上がった最上の家督問題は長尾景勝に委ねるとして、奥州で最初に手を付けるべき案件は、伊達と相馬の抗争に終止符を打つことだろう。その後に大崎と葛西の紛争を鎮め、南部の抱えている問題に手を付ければ奥州の問題は、概ね片が付く。


 そうすると兵を進めさせるべき場所は、伊具郡・丸森城である。


 他にも解決すべき問題はある。


 結城白河氏の当主・結城晴綱が病床にあり、余命幾ばくもない状態という。嫡男の七若丸は僅かに七歳であり、白河という要地の経営は困難に思えた。また目下、蘆名の版図を何処まで認めるかも重要案件の一つである。


 蘆名の版図は広大で、会津地方のみならず二階堂や結城白河を傘下に収め、会津四家と謳われた蘆名以外の山ノ内、河原田、長沼の三家も従えている。加えて那須の討伐を果たした蘆名へ対し、その全てを認めるとなると奥羽の入口に強大な大名が誕生することになる。恐らく石高に換算すれば百万石に近く、現在の上杉家の国力すら上回る。


 もちろん上杉家にも加増はあるだろう。ただ越後守護・長尾家との関係が良好で、当主の景勝が大殿と慕う現在はともかく、次代ともなれば今のところ上杉の重要性は大きく薄れる。


「そなたが東国の要であることは努々(ゆめゆめ)忘れるでない」


 今回の東国出征につき義輝からは、そのように何度も言い聞かせられていた。これは重要視せざるを得ない織田信長に謙信が気後れしない為でもある。


「余が真に信ずるのはそなたであって、大納言ではない」


 義輝がはっきりと言葉にしている訳ではないが、その心根の内は伝わってくる。だからこそ謙信は義輝の名代として、厳しく事に当たらなければならないのだ。


 現状、謙信の考えでは会津地方の版図は蘆名に認めなくてはならないと考えている。ただ二階堂と結城については独立した大名として認める方向で考えていた。特に結城氏は晴綱の本復は望みが薄く、幼君を戴く可能性が高い。また二階堂氏も以前に蘆名との合戦に敗れて嫡男を人質に差し出していることから、いつでも止々斎は干渉できる立場にあり、幕府が名分を与えてしまうのは避けるべきだった。


(止々斎が那須を討伐できたのは、半ば儂の力があったからだ。故にその所領の一部を与えるだけでも筋は通る)


 だが止々斎は納得しないだろう。何か良い知恵はないかと謙信は、内談衆・大舘藤安を呼んで相談を持ちかけた。


「昨今の上様は国替えを行って大名を統制されております」


 事情を聞いた藤安は、少し悩みつつも今回の解決手段として国替えを提案した。


「確かに。細川殿は阿波から因幡と伯耆に、浅井殿も近江から越前へ移られた」

「はい。国替えは複雑な所領問題は解決できるという利点がございます。所領問題を残せば謀反や一揆の火種と成りかねず、泰平を望む上様にとって国替えは多くの問題を解決できる手段なのです」


 そして長年に亘って根を張ってきた大名たちを故地と切り離すことで、その力を弱められる。しかし、その事を藤安が謙信の前で告げる事は出来ない。謙信もまた、幕府から見れば力を持つ大大名の一人であるからだ。


「例えば二階堂氏は元々政所執事を務めた家系で、鎌倉の永福寺近くに屋敷を構え、その永福寺に二階堂があったことから姓を二階堂と称しています。それは等持院様以降も同じで、文安元年(一四四四)に須賀川代官・二階堂治部大輔を討った功績で、奥州へ下向したのが現在の二階堂氏の始まりでござる」


 藤安が語る詳細に謙信は舌を巻きつつ感心して頷きを繰り返した。


 大舘氏は代々武家故実に詳しく、藤安の父・尚氏は百年近くを生きて多くの著書を残した。また役目柄で地方の大名との折衝も多く、今回の遠征に際しても藤安は先祖代々の書物を調査し、その脳裏に叩き込んできている。


「ならば二階堂が幕府へ直接に仕える事に不思議はないのだな」

「むしろ幕府に仕える事こそ正しき道かと」

「さすれば欠地が多くある関東もしくは上方へ移し、その所領は幕府が直轄とした方がよいかな」

「はい。更には隣接する石川氏も隠居した道堅殿が以前に上洛して御先代様に拝謁、所領を認められて偏諱を賜っております。されど現在は実子がいるにも関わらず当主を伊達家から養子を迎えて家督を継がせており、このまま収まることを上様は望んでおりません」


 陸奥国石川郡を治める石川親宗は伊達晴宗の四男で、周辺勢力から圧迫を受けていた晴光こと道堅が伊達家の後ろ盾を得るために養子を求めたという経緯があった。決して子がいなかった訳ではなく、現に道堅には二人の男子がいる。


 ここで養子縁組を解消されては伊達として面白くないだろうが、結城と同様に将来の火種を残しておく訳にはいかない。力技とはなるが、武力を背景に解決しておく必要があった。


「家督を正統に戻すべき……、という事だな」

「左様にございます。家督争いの大半は嫡子を蔑ろにした事に起因します。乱世に於いては有能な者が跡目を継ぐでも宜しゅうございますが、泰平の世は秩序・道理を重んじるべきにございます」


 淡々と告げてはいても、藤安の言葉には何処か遠慮があった。それは当の謙信が嫡男ではなく、兄・晴景を押し退けて家督を相続したからである。それを藤安は乱世の事として特別だと言い切った。


 ただ謙信も藤安の指摘には否定する要素を持ち合わせていない。本来、そうあるべきという感覚が謙信にもあるからだ。でなければ謙信という男が幕府を、義輝を支持する訳がなかった。


「伊達殿の心中は、さぞ穏やかではあるまい」


 晴宗の胸の内を忖度し、謙信はそう評した。


 蘆名と同様に伊達にも大きな利権を認めることは出来ない。丸森城は係争地であるが故に今の方針では幕府が預かることになる。それは城だけでなく、稙宗が領した伊具と亘理両郡を含めての話だ。それ以外にも亘理や留守、国分なども伊達家臣と見做すかどうか結論は出ておらず、下手をすれば伊達は大きく勢力を減らされることも有り得た。


 それも全て幕府のため、泰平のためである。乱に繋がる要素は排除するだけだ。


 そして時節は三月となり、雪解けが迫っていた。




【続く】

 さて黒川会談の続きです。


 伊達家の様子が怪しくなっておりますが、いよいよ泰平の兆しが奥羽へも差し掛かっています。次回はようやく謙信が兵を動かすこととなり、出羽方面の面々にも少しスポットを与えようかと思っています。奥羽状勢は複雑ですが、何とか皆様に分かりやすいよう描いていきたいと思っています。

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