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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第一章 ~上洛~
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第十幕 帰洛 -関白の贈りもの-

十一月十五日。

近江国・三井寺


日がもっとも高くなった頃、義輝勢は三好・松永勢への追撃を終えて三井寺に入った。ここで織田信長の到着を待つと共に京の様子を窺うつもりだった。


そして勢多川を万余の軍勢が渡ってくる。織田勢だ。


「上総介!よう参った」


義輝は開口一番、信長の労を労った。


「はっ。勢多での戦勝、おめでとうございます」

「そなたが承偵めを討ってくれたからよ。もし承偵に背後を襲われていたら、勝敗がどうなっていたかわからぬ」


端から見ると義輝方が勝つべくして勝ったように思えるが、実際は一つ間違えば義輝の命すらなかった可能性があったほど切迫した戦だった。仮に承偵が居城さえ捨てる覚悟をすれば、義輝を駆逐した後に三好・松永勢と合流して織田軍と決戦する方法もあった。しかし、そこは器量の問題。承偵は拠るところを失いたくなかった結果、それを失う羽目になった。


「して、承偵めの裏切りを如何にして知った?」


義輝の疑問はそこだった。義輝ら誰もが知り得なかった承偵の裏切りをなぜ信長は知ることが出来たのか。


「実のところ確証はございませんでした。ただ三好方と昵懇の商人(あきんど)が頻繁に出入りしていたものですから、軍勢を二つに分けて警戒していただけのこと」

「…ふむ、左様か」


承偵は細心の注意を払い、商人を通じて三好に内通していた。ただ信長にしてみれば、これまで義輝の支援を続けていた六角承偵の鈍さが目立った。もし義輝が六角抜きで上洛してしまえば、その後に孤立してしまうことは目に見えている。それなのに本来であれば主力となって動いてもいいにも関わらず、義輝の上洛に関わろうとしない。故に警戒していたのだ。既に義輝勢は三万を越えていたので、全軍を送る必要がなかったのが幸いした。


「それよりも上様。こちらが松平家康殿にございます」

「松平家康にございます。織田殿のお誘いを受け、遙々三河からやって参りました」


信長の脇に控える武者が名乗る。自分や信長より一回り近く若く見える。今のところ戦での活躍は耳にしていないが、家康は東海三カ国を領する今川家から独立し、三河一国を切り取った傑物である。かつて名将と謳われた松平清康は三河一国を制した。ならばその孫である家康も、同等の才覚を持っていると判断していいだろう。


また頼もしい味方が一人増えた。


「よう参った。上総介共々、頼りにしておる」

「ははっ」


その後、簡単な自己紹介と共に顔合わせを済ませる頃には洛中にいる明智光秀から京の様子が詳細に伝わってきた。


まず三好義継と長逸、政康らは洛中に留まらず、摂津まで撤退していった。おそらくは長逸の居城・芥川山城へ逃亡したものと思われる。また坂本で武田勢を抑えていた岩成友通は途中まで義継勢と共に行動していたが、京の南西部、桂川沿いに位置する勝竜寺城と淀古城に兵を分けて入っているという。その数はけして多くない。ただ敵の御輿である足利義栄は、何処まで逃亡したかは掴めていなかった。芥川山か、父・義維のいる堺か、はたまた阿波まで逃げ帰ったか。


一方で大和へ撤退した松永久秀の動向もまだ報せは入っていなかった。


「ともかく京には入れるな」


義輝は明日の上洛を決めた。三好勢が洛中にいないのなら、入洛を躊躇する必要はない。義輝が懸念していたのは、三好勢が洛中に留まることで京が戦場になることだけだった。京を戦場にしてしまえば悪評が立ち、その後の(まつりごと)にも影響が出てくる。


「上様。今後のことを考えますれば、勝竜寺城は落としておくべきかと」

「ふむ。確かにな…」


信長が進言してくる。勝竜寺城は摂津との国境を抑える点で重要である。三好の主力が摂津へ退いた以上、この地を確保して京の治安を取り戻す必要がある。


「ならば上総介、もう一働きしてくれるか?」

「上様の御命令ならば。されど……」

「まだ何かあるか?」

「勝竜寺城を落としたところで、三好を滅ぼしたとは言えませぬ。畿内から三好方の勢力を一掃すべく摂河泉へ攻め入り、三好方の者共を悉く討ち平らげるべきでござる」

「おおっ」


信長の言に、義輝は心が震えた。確かに、信長の言う通りである。いま麾下には七万の兵がいるが、これは全て義輝の兵ではない。いつかは帰国し、いなくなる兵だ。その前に三好の勢力を畿内から駆逐できれば、義輝の政権は盤石となるのは明白である。そこまで自分のことを考えてくれるのか。


「宜しければ、この信長が松平殿と共に摂河泉へ討ち入って参りましょう」


無論、義輝にこれを許さない理由はない。そして、この信長の言葉に触発された男がいた。


「ならば儂は大和じゃ!松永久秀の首を上様に献上いたす!」


上杉輝虎、もっとも義輝の復権を望んで止まない男である。


(頼もしい者たちじゃ。やはりこの二人に頼んで間違いはなかったわ)


義輝は半年前の絶望から立ち直るきっかけとなった二人に心の中で感謝した。そしてそれを信じた自分が正しかったことに安堵した。


「京で待っておる」


翌日、軍勢は三手に分かれて進んだ。一手は上杉と北陸勢の一万二千、宇治街道を南下して木津川沿いに奈良街道を下って行く。その先には松永久秀の居城・多聞山城がある。大和の筒井と連携し、これを攻めて久秀の首を挙げるつもりだ。


次には織田・松平勢三万五千は、宇治街道を進んで伏見、下鳥羽を経由して勝竜寺城へ向かう。勝竜寺城の陥落後、そのまま摂津へ攻め入る。


最後に義輝の本隊二万三千が渋谷越で京へ入る。半年前に義輝が落ち延びた道だ。


そして十六日の夕刻、義輝は再び京の地を踏んだ。


=======================================


十一月十七日。

洛中・旧三好長慶邸


義輝は一先ず三好長慶が使っていた屋敷に居を構えることにした。ここは上京の中心にあり、かつて義輝の屋敷があった二条の北側に位置する。なぜこの場所を選んだかというと、今後に京の政務を行う上で必要な設備が一通り揃っているからだ。流石は天下人だった者の邸宅と言える。


その義輝の帰洛を祝うべく、公家や洛中に寺院のある門跡たち、商人、町人などが引っ切り無しに押し寄せてきていた。


義輝も帰洛が叶い、上機嫌であった。来訪者の謁見を断ることなく受け続けた。ただ例外を除いて。


「余を裏切った者共が、どの面下げて参ったというのか」


公家の来訪だけが全て拒絶された。義輝は将軍であっただけに、公家の性質を知り抜いている。三好・松永らがばらまいた金銭に目を奪われ、これまで掛けてやった恩を忘れ、将軍職を売り飛ばしたことなど端から見抜いている。故に公家とは会う気になれなかった。


「上様。近衛前久様がお出でになっております」

「関白様が…か」


途中から公家の来訪すら報せなくなっていた藤孝が、近衛前久の来訪だけは報せた。公家を追い返していると聞き及んだ前久が、旧知の藤孝を頼ってきたのだ。義輝も流石に関白の地位にある者を追い返すわけには行かず、すぐに通すように藤孝へ告げる。


「久しぶりじゃな、義輝殿」

「…関白様も、お変わりなく」


二人の間に冷たい空気が流れていた。如何に関白と言えど、前久は義兄である。故に裏切られたという気持ちが人一倍強い。関白という立場であれば、義栄の将軍宣下を止められたのではないかと思って止まなかった。


「…すまぬ、義輝殿」


前久が沈痛な面持ちで頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。関白が謝るなど、異例のことである。だがそれが、将軍職に関連することだということに義輝はすぐに気付いた。


「義輝殿が生きておること、知ってはいたが、義栄への将軍宣下を止めることできなんだ」

「よいのです。余の力が不足していただけのこと、関白様に非はござらぬ」


素直に己の非を認める前久へ対し、義輝も素直な気持ちで相対した。ここで意固地になって前久を罵倒すれば、己の沽券に関わると思った。


「義輝殿、よう戻って参られましたな」

「余に忠義を誓う者共が地方には多くおりまする。その者らの扶けを借りたまでのこと」


そう、自分はまだ何もやっていない。義輝はそう思っている。それを為すのは、これからだと。


「輝虎殿なら、そうであろうな」


前久は越後に下向していたことがあり、輝虎のことはよく知っていた。将軍家への忠義が人一倍篤いことも知っている。


「義輝殿。麿からの祝い…というべきではないが、返すものがある」

「返す?」


将軍職か、と思ったが昨日今日帰洛したばかりで朝廷工作も何もやっていない状態でそれはない、と思い直した。よって前久が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。


前久が手を叩くと襖が静かに開く。その前には深く頭を垂れた女性の姿があった。


その女性を、義輝はよく知っている。


「まさか……」


義輝は思わず腰を浮かせた。それに合わせるかのように、女性が面を上げる。


「上様…御無事の御帰還、祝着にございます」

「御台!」


咄嗟に義輝は御台所に駆け寄り、その震える肩を優しく抱いた。抱かれた御台所は、身体を義輝へ預けて力なく崩れ、嗚咽する。


「上様…申し訳ございませぬ。母上様(慶寿院)や上様の御子を御守り出来ませんでした」

「よい、よいのじゃ。それは全て余の所為じゃ。そなたは何も悪うない。それよりも…よう生きておった」


一気に感情が込み上げてきた。恥ずかしながら義輝は涙すら流していた。まさか御台所が生きているなど思っていなかった。次に会うのはあの世であり、どのように謝罪しても足りないとさえ考えていた。それが、今生で再び会うことが出来るとは。


上洛が叶ったのは嬉しいことだったが、これに勝る喜びはない、と義輝は思った。


(もはや二度と失うまいぞ。必ずや守り抜いてみせる!)


義輝はそう心で堅く誓った。もう身内が悲しい想いをするのはみたくない。


「義輝殿。将軍職の再任は麿が何としてもやり遂げる。それが、麿からの詫びじゃ」


前久はそれだけを言い残すと、二人を残して退出した。また藤孝は、その後に義輝への目通りを願い出ている者を全て帰したのであった。


日は暮れた。


=======================================


同日。

山城国・勝竜寺城


信長は柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚らに先陣を任せ、一気に城に襲いかかった。


「あの様な小城、揉み潰してしまえ!」


織田軍三万が城を一斉に包囲し、同時に攻め寄せた。守る岩成友通も対岸に位置する淀古城から一隊を出撃させて城方を支援させるが、三万もの大軍が相手では焼け石に水でしかなく、織田軍先鋭が飛び出してきた岩成兵を返り討ちにし、首級五十を挙げた。


もはやまともな戦力が残っていない岩成勢としては、三好本隊の援軍を得るしか勝算はない。しかし、勢多で負けたばかりの本隊が駆けつけてくるなど思えず、問い合わす暇もなかった。残された道は、城を枕に討ち死にするか、再起を懸けて逃亡するしかなかった。


「やむを得ぬ!芥川山まで退くぞ!」


友通は城を焼いて逃亡を図った。だが簡単に逃がすほど織田軍は甘くはない。勝家が散々に岩成勢を追い回し、兵たちは次々と討たれていく。友通は命からがら芥川山城に辿り着いた。


そこで友通は絶望した。芥川山城には数えるほどの兵しか残っていなかったのだ。既に三好勢は芥川山を捨てて河内国・若江城に移っており、友通は捨て石にされたのだ。


愕然とした友通は、主君のいる若江城へは向かう気にはなれず、摂津・越水城へ入り、そのまま淡路から阿波へ渡った。もう畿内に留まりたくなかったのだ。


そして織田軍は、それを追うように摂津国へ入った。


十一月十九日のことである。




【続く】

ようやく義輝が上洛しましたが、上洛編はもう少しだけ続きます。


※追記

近衛前久の呼称を一部相国としていましたので訂正しました。(理由は相国は太政大臣の唐名であり、この時点で前久は太政大臣ではなかったからです)


いや、この時代の人間って後々のイメージが強すぎるので間違えてしまいました。

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