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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第七章 ~鎮撫の大遠征・東国編~
154/200

第六幕 禄寿応穏 ~関東覇者の最期~

九月八日。

相模国・小田原城


朔日から始まった織田軍の砲撃は、難攻不落の小田原城を徹底的に破壊した。城内から様子を窺う北条の当主・氏政にも各所の現状は伝えられており、それによれば実に二割の堀が埋めたてられて城の備えも大半に砲弾の跡が刻まれて無事な施設は数える程だという。


「……信じられぬ」


顔面蒼白とまではいかないまでも、暫く氏政から言葉を失わせるには充分な衝撃だった。


「ただ徳川勢や助五郎様への備えは、依然として万全でございます」

「……うむ」


報告を受ける氏政が小さく頷く。


被害は織田勢の布陣している城の南から西側にかけてが多く、徳川が布陣している東側は時折、部隊が攻め寄せてくるくらいで、当初からの氏政の想定通りに城門へ取り付く前に難なく打ち払っている。大筒による砲撃もないことから鉄壁の備えは崩されていない。


「このままでは拙い!織田の鉄砲をどうにかせねば、落城は避けられぬ……」


もはや氏政の脳裏からは小田原城が絶対に落ちないという幻想は、崩れ去っていた。


それほどまでに織田の砲撃は凄まじく、特に西側の惨状は酷かった。氏政の焦りが日増しに募っていき、座して待てば敗北は必至だと本能で理解するには充分だった。


「御本城様、ここは潔く降伏しかありませぬ。例え乾坤一擲の賭けに勝って織田を退けても、我らには幕府軍を追撃する余裕も奪われた関東の諸城を取り返す力も残されてはおりません。次に幕府が軍勢を差し向けたならば、それで仕舞でしょう」


本丸に位置する居室で、氏政が長老・幻庵の説得を受けたのは、これで七度目になる。


「されど、もはや遅きに失したのではありませぬか」

「……やもしれませぬ。助五郎が最初に小田原へ戻ってきた時に恭順の意思を示しておれば、北条が大名として生き残ることも出来たでありましょう」

「儂が、北条を滅ぼすのか」


ここでの降伏が北条の大名としての道を閉ざしてしまうことは氏政にも判る。初代・宗瑞より続く関東の名家を自分の代で潰す。ただでさえ誇り高い氏政にそれは、何よりも受け入れ難いことであった。


「亡き父・盛時公の願いは民の安寧でありました。盛時公の御世は天下の秩序が大いに乱れ、昨日の味方が今日は敵になることも珍しくはございませんでした。故にこそ我ら北条は、民を慈しむことに代々身骨を砕いて参ったのです」


幻庵が昔語りを始める。若き時分に最も影響の受けた偉大なる父・伊勢盛時こと宗瑞の思い出。それを知る一族の者として、父の言葉を語る役目があった。


「……北条が滅びるか」

「いえ、滅びは致しませぬ」


肩をガックリと落とし、項垂れる氏政へ対してきっぱりと幻庵は確信をもって言い切った。


「宜しいですか、いま幕府の政は我ら北条のものが基礎となっておりまする。幕府が脈々と続く限り、我ら北条の名も必ずや後世に残ります。そして何よりも助五郎がおります。あれは将軍に気に入られておりますし、滅多なことでは改易になどなりますまい。ならば、血は助五郎が残してくれましょう」


最後の一言を告げる幻庵の言葉は、どこか慈愛に満ちていた。それを受けて氏政の眼に一筋の光が点る。


(儂が全てを受け入れれば、北条という家を残せるのか)


命は一代、名は末代というのが武士だ。そして歴史に名を残したいと考えているのが、乱世に生まれし現代の武士であろう。ここで全てを失えば、氏政は汚名を後世に残すことになる。しかし、逆にそれさえ覚悟してしまえば、北条が生き残る道はまだ残されていると言えた。


氏政の名を貶めれば貶めるほど、北条の家に傷は付かない。


そんな折、実弟・伊勢氏規から密書が届く。


「この助五郎、幕府の中にいて何とか御家を残す道を模索して参りましたが、万策が尽きてございます。我が不甲斐なさをどうか御許し下さいませ。されど北条が潰えること未だ認める訳には参りません。ここに至っては兄上に縋るしか術はなく、御決断いただく他はありませぬ。兄上の覚悟を以って開城を御選び下さいますれば、この助五郎が身命を賭して一族郎党を御守り致す所存にございます」


流石の氏規も兄に対して死んでくれとは言えない。ただ一族を背負って立つ覚悟は、その文言から窺い知れた。


「…………」


これまでの出来事が走馬灯のように氏政の脳裏を駆け巡る。


父祖の悲願であった関八州の統一を自ら成し遂げんと躍起になった。父が手を焼いた上杉謙信と戦い、武田信玄の野心を利用した。間隙を突いて長年の大敵であった里見家を降伏に追いやったのは、これまでの北条当主が成し遂げられなかった功績だと思う。


何処で間違ったのか。


対上杉に関しては間違いは犯していないと今でも思う。武田が加わるという想定外の事態が起こりはしたが、その難局も跳ね除けた。幕府軍が関東に兵を送ることが判っても、小田原が攻められても打てるだけの手は打ってきた。


その一つが義兄弟・今川氏真への調略である。


「織田は大軍が故に兵站を絶てば、たちどころに干上がる。さすれば上杉の勢いにも陰りが生じ、反撃の隙が窺えるというもの。刑部大輔殿と韮山の兵を合わせれば一万近くとなりまする。箱根の関を西側から封鎖してくれたなら、家康に奪われた三河と遠江の回復に北条の兵を遣わすこと御約束いたしましょう」


氏政は織田勢ら幕府軍が小田原に姿を現してから、風魔を使って氏真の調略に取り掛かっていた。


「この刑部大輔を見くびって貰っては困る。確かに儂は家康が憎うあるが、それはそれ。私怨で幕府を……上様を裏切るつもりは毛頭ない」


しかし、調略は端から難航する。


氏真は先の天竜川合戦で己の器量を痛感していた。せめて父から引き継いだ土地だけでも守ろうとして家康と戦った挙句に遠江を失った。いま思えば二カ国を治めることすら氏真の器量では敵わなかったのだ。


(寿桂尼様は儂の器量を見抜いておったに違いない)


家康との戦いは“駿河を守ることに注力せよ”という寿桂尼の遺言を破ったものである。つまり結果は必然であった。ただ何も得るものがなかった訳ではない。


(儂は己の限界を知ることが出来た)


それは大きな財産となった。


現状を真摯に受け止め、自分の城で父の仇である信長に大きな顔をされようともジッと堪え、義兄弟の滅亡にも目を瞑る。それら全ては今川家を守るためである。それと同じ事を行った義信も幕府政権下で生き延びることに成功し、抗った氏政は滅亡の時を迎えつつある。


氏真の調略に失敗した氏政は、今度は相模水軍を動かして幕府軍の兵站を脅かす策を講じた。ただ川越合戦で離脱した里美家の動向が不明で、これまた風魔の報せでは帰還した義頼を謹慎させて義尭、義弘親子が復権したとあった。


義頼を謹慎させた理由は、間違いなく幕府への懐柔策であろう。北条に味方した義頼を罰し、上杉に味方して幕府方として戦った義弘が当主に返り咲けば、その罪から免れられると考えたのだ。その上で義尭は幕府へ対する手土産を欲するはず。ただ陸地を通って小田原へ駆けつけるには上総と下総を通らねばならず、今の疲弊した里見には難しい。そして残された手立てとして無傷の里見水軍がある。


義尭は水軍を動かし、北条の水軍を牽制する動きに出たのだ。


(万事休すか)


これにより氏政は、大軍を相手にするのに最も効果的な兵站を断つという策を封じられたのだった。もちろん伊豆の水軍を動かすという手は残されているも駿河湾に幕府軍が待機させている織田、徳川、今川の水軍を打ち破るには数が足りず、相模水軍の出撃は絶対条件だったのだ。


(……今さら考えても詮無きこと。仮に上手く行ったところで信長とて備えは考えておろう。所詮は机上の空論に過ぎなかったか)


完全に流れが逆転してしまっていることを氏政は痛感した。一つの障害を突破したところで、必ずや第二第三の障害が出て来る。それを解決していくだけの力と時間が氏政には残されていなかった。


実際、信長は志摩の九鬼家に応援を要請しており、水軍を強化していた。更に言えば氏真の裏切りに備えて徳川家康と示し合わし、船に兵を待機させて今川勢に不穏な動きがあれば即座に駿府を攻撃する手筈を整えているほど。


兵站を重視する信長が兵站に対する備えを怠っているはずはなかったのだ。


北条氏政は、あらゆる点で織田信長に先手を打たれていた。


(幕引きは儂の手で行ねばならぬ)


窮地に追い込まれ、氏政の覚悟は決まった。


城内にいる兵は凡そ三万にも及ぶ。幕府軍が多過ぎるだけで決して少なくない。天下広しといえど一大名が動員できるはずのない数を北条は擁している。そして全軍を動かせる立場に自分はいる。


ならば悲観すべきではない。まだやりようはある。


「信長に開城の用意があると伝えよ」


氏政は評定衆を呼び集め、降伏の意思を伝える。一部からは反対の声も上がったが、小田原城の現状を正しく認識する者らは苦痛の表情で氏政の言葉を受け入れる者が大半であった。


「条件は、如何にしますか」


一族を代表し、幻庵が氏政へ問いかける。


「儂の切腹は避けられまい。所領も全て明け渡そう。されど国王丸を道連れにはしとうない。城兵らの助命と我が子・国王丸を罪に問わないこと。それを軸にした交渉となろう」

「……我らを生かすため、御本城様が犠牲になられると?」

「儂は北条の主。侍から農民に至るまでの全てを慈しまなければならぬ」

「我が兄上の遺言ですな」


幻庵の問いに氏政は小さく頷いた。


偉大なる伊勢宗瑞の跡目を継いだ幻庵の兄であり、赤備えを率いる北条龍雲斉の養父でもある氏綱は伊勢から北条へ名乗りを変え、現在の基礎を築いた人物である。義を重んじ、民を慈しみ、驕りを捨てて分限を守り、倹約に勤め、敵を侮るなと遺言を残した。氏綱自身がその生涯で大切に思ったことを言い残したものであるが、氏綱もやはり父・宗瑞の影響を色濃く受けている。


「勝って兜の緒を締めよ。我らは、その言葉を忘れておったのかもしれませぬな」

「忘れておったのは、儂よ。故に、死ぬるのは儂のみでよい」


とても関八州統一に拘った男の言葉とは思えぬ潔さだった。


氏政は誇りを胸に生き、誇りの為に生きてきた。兄・新九郎が早世し、父祖が興してきた北条という家を守り抜く役割を担うようになった故、人一倍に誇りを大事にした。だからこそ強き北条を目指し、戦いを重ねてきた。勝つことで得られるものと信じ、ここまでやってきたのだ。


(その結果がこれじゃ。もし儂が間違っておらぬのであれば、斯様な憂き目には遭うまい。それに皆を付き合せるのは儂の本意ではない)


弟たちもよく付いて来てくれた。父・氏康に比べて稚拙な采配であったと思うも、それに異を唱えることなく一族全員が北条がために尽くしてくれた。感謝しても感謝しきれぬくらいだ。


だからだろう。滅びを受け容れたとしても、北条という家を汚すような真似はしたくない。


(助五郎には苦労をかけてしまうな)


悔いが残るとすれば、弟の一人に家督の重みを背負わせてしまうことだ。伊勢に復姓したとはいえ、北条という家は氏規が実質で担っていくことになるはずだ。


その夜、氏政は板部岡江雪斎と重臣・松田尾張守憲秀を居室に呼び出した。


「尾州、そなたの伝手を使いたい」

「某の伝手……でありますか?」


開口一番、憲秀は主の問いを理解しかねた。


「父上に命じられ、幕府と交渉をしていたはずだ」

「……どうして、それを?」

「水面下で動いていたのであろうが、父上が死んだとなっては隠しきれるものではない。儂に知らせまいとしていたことさえ、今では儂の耳に入ってくる。相手は大館兵部少輔か」

「……ご明察通りでございます」


氏政の指摘通り、憲秀は氏康に命じられて幕府との交渉に携わっていた。相手は大館藤安で、幕府内談衆を務め、北条・上杉との間を長年に亘って取り持ってきた人物だ。以前、北条と上杉が和睦した際も藤安が幕府の名代を務めている。


「大館殿は敵陣におるのか」

「……左馬助様の陣中にはいないことが確認されております。いるとすれば、恐らく上杉の許かと」

「急ぎ確かめよ。そして助五郎にも尽力を願え」

「畏まりました」

「江雪斎は尾州と共に信長のところへ行け。必ずや信長に降伏を受け入れさせるのだ」

「条件は如何なされますか?」

「所領は全て明け渡すこと、儂が切腹して罪を背負うこと。この二点を条件に城内におる全ての者は助命、無論のこと国王丸も含まれる」


鋭い視線を放つ氏政からは並々ならぬ覚悟が窺えた。全ての責任を己が引き受ける。関東の覇者たる自負が、それを決断させていた。


「その二つで宜しいのですか?」


重要な事項な為に江雪斎は不遜ながらも主に確認を取った。国王丸のことがあるにせよ、概ね降伏の条件としては受け容れ易い内容である。これであれば、江雪斎は役目を無事に果たすことは難しくないと思った。


「いや、いま一つある」

「承ります」

「明け渡す我が所領内で、乱暴狼藉は働かぬこと。民草とその財に手を付けることは許さぬ」


北条が守って来た民を食い物にすることは、是が非でも死守する。それが北条という家を背負ってきた者の最後の意地であった。


禄と寿は(まさ)に穏やかなるべし。


北条が初代・宗瑞以来、守ってきた伝統である。民を慈しみ、民が穏やかなるべき政に重きを置いてきた北条が、古河公方や関東管領・上杉氏など血筋に権威と権力を兼ね揃える勢力を相手に勝ち星を重ねることが出来たのは、民からの信頼があったからである。


その誇りは、最後まで失いたくはない。


(助五郎よ。後は頼んだぞ)


最後の望みを弟に託し、氏政は天を仰いだ。


=====================================


九月九日。

相模国・伊勢氏規の陣


翌日、松田憲秀と板部岡江雪斎が降伏の使者として伊勢氏規の陣を訪ねた。二人の来訪を聞いた氏規は驚きながらも陣を飛び出して、彼らの身元を自ら確認した。


「尾州に江雪斎ではないか!そなたらが儂のところへ来たということは、もしや兄上が決意を固められたのか?」

「まさに仰る通りでございます。是非とも降伏が受け入れられるよう助五郎様からも御口添えを頂きたく存じます」

「無論じゃ!よかった、これで戦を終わらせられる」


憲秀の言葉に氏規は破顔して喜んだものの、すぐ表情に影を落とした。


兄・氏政の死が絶対となったからだ。兄との別れを受け容れなくてはならないことは、一族郎党の結束が高い北条に連なる者としては、簡単ではなかった。


「御本城様は全てを助五郎様に委ねるとのこと。重ねて大館殿の口添えも賜りたく考えております」

「大館殿ならば、確か上杉殿の陣中におられるはずだ。北陸勢と共に関東へ下向し、鉢形城からは上杉殿の世話になっていると聞いている」

「では早速にお力添えを頂きたく。恐らく時間は余り残されておらぬものかと」

「うむ。早速に上杉殿の陣へ使者を遣わそう」


そう言うと氏規は、すぐに家臣の一人を謙信の許へと走らせた。藤安が来るまでの間、氏規は二人にいくつか質問を行い、状況を整理すると共に信長を如何に説き伏せるか思案を巡らす。


(信長は何故に北条を滅ぼすことに拘るのか)


家康の話では、信長は東国に領土的な野心を持っていない。かといって幕府のため、上様のためと言って忠義を尽くすような人間には見えない。


東国の地で長きを過ごした氏規である。義輝の許で奉公していたとはいえ、主な役割は検地であって南蛮人との関わり合いはなかった。多くの戦国武将が南蛮の脅威に気が付いていない現状で、氏規が信長の思惑を理解できるはずもなかった。


そして上杉の陣より大館藤安が到着し、四人は織田信長のいる早雲寺へ向かった。


織田の陣は今日の砲撃に備えて忙しく兵が動いている。前線ではない本陣はどちらかと言えば兵站の要であり、砲撃に必要な物資を前線へ運ぶ荷駄が激しく往来していた。


(急がねばならぬ)


もう小田原城の備えは崩壊寸前である。いつ織田軍は砲撃を止めて城に寄せ始めるか判らない。いま寄せられては確実に城は落ちる。そう考えたからこそ、兄・氏政は降伏を選んだのだ。その想いを託された氏規としては、これから始まる戦いは、是が非でも引けない。


「…………」


相対した信長は、まるで眠るように瞑想をしている。苛立ちを抑えるためなのか、それとも目の前の機会を待っていたかの如く、堂々とそして悠然と四人を出迎える。


「何用か」


幕府内談衆の藤安がいるにも関わらず、信長は尊大な態度は崩そうとはしなかった。信長と接した事のない板岡部江雪斎や松田憲秀は揃って息を呑む。何度か対面したとこのある藤安ですら、息が詰まる思いを感じるところだ。


「某を頼って北条から降伏の使者が参りました。北条方は条件を受け容れられるなら城を開ける由にござる。詳しくは使者殿から述べさせて頂く」


そう言って氏規は正使を務める松田憲秀に繋いだ。


「面を上げよ」


信長の声に応じ、使者二人が揃って上体を起こす。


「北条が家臣・松田尾張守憲秀にございます。当家は不幸にも幕府と相対する次第となりましたが、元より幕府の意向に背くつもりは毛頭なく、此度の衝突も上杉家を含む関東諸大名との利害がぶつかった結果に過ぎませぬ。そこで上様の信任厚い織田様に口添えを願いたく、参上仕った次第にて」


北条を代表し、憲秀が述べる。そこに負けているという雰囲気は一切ださない。最初から弱音を吐いていては、まとまるものもまとまらないのだ。


当然、既に勝った気でいる信長の心中は穏やかではない。一見すると平静を装っているも、憲秀の口上の最中に眉をピクリと動かせたことに氏規は気が付いていた。


「当家の条件としては、相模もしくは伊豆のいずれかを安堵。それを受け入れていただけるなら主・左京大夫は剃髪して隠居、嫡子の国王丸ともども京に上って上様に赦免いたします」


ここで憲秀は敢えて本来の条件とは違うことを伝えた。


初めから本来の条件を伝えてしまえば、こちらの足元を見られかねないからだ。この事は氏規には伝えているが、藤安は知らない。どちらにしろ此方の申し出をそのまま信長が受け入れることは有り得ず、これから折り合いを着けていこうとの判断からであった。


この条件とて、今の北条家からすれば充分に現実的な範囲である。抱えている兵力は三万以上で、一国の安堵と引き換えに当主親子が上洛して人質になる。一般的には、思い切った決断と言えるだろう。


「伊豆、相模などあっという間に平らげられる」


冷ややかな声が広間に響いた。


話にならぬと切り捨てる信長に、使者二人は渋面を作るざるを得ない。だが、気圧される訳には行かない。主家の命運が、この交渉に懸かっているのだ。


「されど我らも東国の平定を控えている今、悪戯に兵を損なう訳にはいかぬ。ここは一考の価値があると存ずるが?」


ここでどちらかと言えば中立に近い立場の藤安が口を挟んだ。


藤安にすれば、織田・北条双方の思惑あれど幕府の方針が絶対である。主君・義輝は一年以内の東国平定を望んでおり、その一番の障害となる北条家が降伏するとなれば受け容れたいのが本音だ。条件も悪いものではなく、早く終結すればするほど幕府の負担も減ることになる。


「兵部少輔殿。お言葉ではあるが、北条が降ろうが抗おうが東国の平定に何の支障もござらぬ」


ところが信長の意思がは揺るがない。まるで北条など眼中にないような言い方に、流石の氏規も腹正しさを感じる。


「少々、我が北条を見くびってはございませぬか。あの上杉・武田連合にすら我らは勝ってござる。戦えば、御家にも多大なる損害を与えることは間違いございませぬ」


負けじと江雪斎が発言する。戦国最強の二勢力に勝利した事実をここで持ち出してきた。


「坊主が脅しとは面白い。血生臭い合戦は武士に任せて、念仏でも唱えていてはどうじゃ」

「脅しではございませぬ。戦いを避けるために拙僧は話をしてござる」

「ならば条件など付けるでない。上様に二心なきことを示したければ、潔く所領は全て明け渡し、左京大夫は腹を切れ」


売り言葉に買い言葉に近かったが、江雪斎の機転により話を上手く誘導することが出来た。後は驚いた振りをしながらも条件を受け容れていくだけである。


「それでは当家の者たちが行き場を失います」

「知ったことではないわ。有能な者ならば、新たに召抱えられよう。役に立たぬ者は田畑でも耕しておけ」

「それでは納得せぬ者もおります。乱に繋がりますぞ」


“乱”という言葉に緊張が走った。沈黙が沈黙を呼び、長い睨み合いが双方で続く。


北条の統治は諸大名の中でも格段に優れており、四公六民と軽い税率ながら大軍勢を動員を可能とし、代変わりや不作の時には年貢の免除など行い、非常に余裕のある税制を実現している。もちろん一揆など起こった事はなく、仮に北条が滅び、その土地を新たな者が統治するとなれば、相当に難儀することは間違いない。もし間違いを犯せば、即座に乱に繋がる事は、あながち冗談でもなかった。


「……織田殿、もし北条が所領を明け渡し、左京大夫殿が腹を切られるなら降伏を受け入れられるか?」


間を取り持つようにして氏規が割って入った。


ここまで予定通り。ほぼ以前に打ち合わせした通りに事は進んでいる。だが氏規は知っている。信長という男は一筋縄でいくような単純な男ではないことを。必ず巻き返しがあるはずと思った。


その氏規の予測を裏付けるかのように、信長の眼がキラリと光った。


「北条に幻庵宗哲なる者がおろう」


いきなり信長の口から長老・幻庵の名前が出て全員の心臓が鷲掴みにされたかのように息苦しくなった。信長は幻庵に何をさせようというのか。氏規は最悪の事態が頭によぎった。


「宗瑞の子で、北条四代に仕えておると聞く。それほどの人物であるならば、家中での影響力も強かろう。その幻庵にも此度の責任の一端があるはず。氏政と共に腹を切らせよ」


無慈悲で冷酷な宣言がなされた。


幻庵は当主ではないが、間違いなく一族の柱である。誰もが慕い、誰もが頼りとした存在であることは、絶句している憲秀と江雪斎の様子を見れば一目瞭然である。無論、氏規とて平静ではいられない。


その柱を信長は折ろうとしていた。


「お待ちくだされ!」


氏規は咄嗟に飛び出す。考えるよりも行動が先に出た。動くしかなかった。


「幻庵様は左京大夫殿を諌め続けておった!幻庵様に責任はござらぬ!」

「戦を止められなかった責任があろう」

「それを責任と申すなら、儂も同じだ。儂にも切腹を命じられよ」


腰に差した短刀を床に叩きつけ、真正面から氏規は信長に迫った。


これは氏規の賭けと言っていい。対北条の事柄に関しては義輝より信長に委任されているため、どのように処分しても問題はないが、幕臣で評定衆である氏規について信長は罰する権限を持っていない。それを氏規は判っていて、信長に告げたのだ。


信長が幻庵の命を諦めることに賭けた。


「幕府と敵対した責任は、左京大夫殿に全てござる。左京大夫殿が先代・相模守殿の命を守らず、悪戯に戦を繰り返したことで戦火は収まらずに上様の手を煩わせたのが実態でござる。幻庵様は度々に和平を口にされており、現に儂が小田原に幽閉されながらも命を奪われず、上様が許へ帰れたのも幻庵様の御力添えがあったからこそ」


氏規は兄・氏政に罪を押し付ける発言を繰り返した。もちろん氏政に大半の責任があるのは事実だが、もはや救えぬ兄に救える命を救って貰おうと考えてのことである。


それは奇しくも兄と同じ考えであった。


「その事は拙者も聞き及んでおります。それに幻庵宗哲殿はかなりの高齢とか。命を奪わぬでもよいのではないでしょうか」


そこへ藤安が私見を述べた。


いつ何処で幻庵のことを藤安が聞いたか知らないが、幕府内にいれば北条や大友などが話題に上ることが多く、藤安も上杉家との交渉役を務めている経緯からある程度の情報は収集しているのだろうと思われた。


「まさに仰る通りでございます。是非とも幻庵様の御命は御救い頂けます様に伏して御願い申し上げます」

「拙僧からも御願い仕ります」


憲秀と江雪斎の二人が、藤安の言葉に続くようにして頭を下げて懇願する。


「…………」

「…………」


両者の睨み合いを額を床に打ち付けて待つ憲秀と江雪斎、そして信長の回答を傍目から見守る藤安。氏規の眼は信長を捉えて離さず、一歩も引かない様相を見せていた。


凄まじい視線に氏規は射すくめられそうな感覚に何度も陥りそうになるが、その度に歯を食いしばって耐え抜いた。


この時間を後に氏規は生涯に於いて一番長く感じたと回想することになる。


「……兵部少輔殿」


折れたのは信長の方だった。


「幻庵宗哲は北条の全てを見てきたはずだ。幕府にて預かり、政に寄与させるがよい」

「では降伏を受け入れると?」

「城を開いて所領を明け渡し、当主が腹を召すというのだ。拒む理由はあるまい」


しぶしぶ認めた形となった信長であったが、この展開は望んでいたものだった。


北条の政は革新的である。


幕府が税制を北条流に改めた事は周知のことであるが、これは信長も一部で模範していたのだ。検地は織田領でも進み、信長は枡の規格を統一することで国力を正確に把握できる仕組みを構築している。実のところ小田原に辿り着いてから一ヶ月もの間、単に謙信を待つだけでなく北条の統治が如何なるものか間者を放って調べさせていたのだ。


(北条からは、学ぶ点は多い)


それが信長の率直な感想だった。


だからこそ信長は北条を滅ぼさなくてはならなかった。北条を大名として残してしまえば、その人材は一つの大名家から外に出る事はない。既に関東は北条の治世が行き届いており、北条は関東に拘っているから余計だ。逆に幕府は一見して改革を成し遂げて復活をしたように思えるが、旧態依然の体質が色濃く残っている。如何に義輝が有能であっても、家臣が今のままでは南蛮の脅威に備えることなど夢のまた夢である。


もし幕府の力が弱いままであったなら、信長が外部から圧力を加えて強制的に変化をもたらすことは可能だったろう。だが今の幕府は往年をも凌ぐ力を有している。信長の圧力など簡単には屈しないだろうし、そんなことをすれば要らぬ争いを呼ぶだけである。故に穏便に事を運ぶため、信長は北条を滅ぼして、その人材を幕府へ吸収させる方法を選んだ。


だから信長は幻庵の命を奪うことで北条に精神的な屈服を求めた。ところが反発する氏規に信長が折れた。その理由は至って簡単である。


信長の目的は氏規がいれば果たせる。故に幻庵の命をどうこうするのに大して信長は拘りがなかったのだ。幻庵の命を助け、より北条の遺臣たちが結束して力を奮うなら、それで構わなかった。


かくして幻庵は一族のために幕府軍の決定を受け入れることとなり、京に上って義輝へ謝罪、幕府に仕えることとなった。氏政が求めた領民の命と財の保全は信長が同意したことにより全軍へと伝えられ、乱捕りの類は禁止とされた。国王丸の処遇も北条家の解体が目的の信長が拘りを見せることなく受け入れられた。


「天下に上様の恥を晒すことなどあってはならない」


そう言明された幕府軍は、乱捕りを期待していた将兵がかなりいたことから士気に低下が見られたものの信長の大義に上杉謙信が同調を示したために誰も反対を唱えることは出来なかった。


そして小田原城は、翌十日に開城となった。


天下にその名を轟かせた難攻不落の名城は、織田軍の南蛮兵器の前に成す術もなく敗れたのだった。




【続く】

明けましておめでとうございます。


約二か月半振りの投稿となりました。年末に近づくにつれて時間が取れず、今回の投稿も仕事先の休憩中に何とか執筆を終えて投稿している始末です。まことに申し訳ありません。


さて前回の最後に北条最後の活躍と書きました。合戦ではなく幕引きでの潔さを見せました氏政でありますが、史実でも秀吉への臣従を渋った割には、大きな戦いに至ることなく結末を迎えています。大大名の当主としての立場が、彼を暴走へと導いたのだと筆者は考えており、決して暗愚な人物ではなかったと思います。北条は民を慈しむ家風であり、もちろん氏政も同様であったと考えます。故にこそ今回の幕引きとなりました。大名家としての仕組みは、恐らく北条は武田や上杉など比較にならないほど優れていると思います。そして現在の仕組みに問題を感じる信長だからこそ、その北条の良さを知り、合理的な思考から幕府に組み込むことを選んでいます。それも楽市楽座など元からあった仕組みを必要なら取り入れるという信長の柔軟性あってのことです。今後、幕府の政治改革は氏規の出世と信長の後押しにより、より北条流に近づくこととなります。


次回は氏政の切腹から関東諸侯の結末を描き、いよいよ奥羽に場面を移していきます。

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