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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第一章 ~上洛~
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第九幕 織田軍襲来 -奸計、水泡に帰す-

十一月十四日。

近江国・野洲


近江の守護・六角承偵は義輝の背後を襲うべく、東山道を西へ進んでいた。


「儂が近江を制する日も近いのう」


承偵は戦場が近づくに連れて気持ちが高ぶりを抑えきれなくなっている。それほどまでに、己の策略を、勝利を確信していた。しかし観音寺城からの早馬が到着すると、それが束の間の夢であったこと思い知らされた。


使者は主に急報を伝える。


「申し上げます!観音寺城に織田勢が迫っております!」

「何じゃと!?」


承偵は絶句した。自分が得た情報では、確か織田勢は既に義輝勢に加わっているはずだ。しかし、事実は半分当たっているが、半分は違っている。義輝勢に加わった織田勢は、西美濃衆五千のみ。


義輝は事前に織田勢が参戦するという報せを承偵に送っていたが、織田勢が三万五千もの大軍で加わることは上洛の途上で知ったことであり、これは承偵に報せていない。また蒲生勢も勢多で義輝と合流した際に報されたことであり、その事を主君へは報せていなかった。


故に承偵は、佐和山で合流した五千を織田信長の軍勢と誤認していたのだ。


「織田勢は何処じゃ?」

「既に犬上川を越えています」

「数は?」

「凡そ三万!」

「莫迦な!?何故にそこまで気付かなんだ!」


承偵は使者を罵った。しかし、所詮は己の失敗だ。義輝が承偵の裏切りを予期せず東に注意を向けていなかったと同じく、承偵も東から敵が迫ってくるなどまったく考えていなかった。


「そ…そうじゃ。儂は義輝公の味方ではないか。何を焦る必要がある」


ここで承偵は未だ公然と義輝に反旗を翻しているわけではないことに気付いた。故に織田勢が観音寺城を襲うことはない、そう断じた。


(だがこんなところに屯しておっては怪しまれる。問題は織田勢より早く帰城できるかだ)


自分が出陣しないことは周知の事実となっている。それなのに軍勢と共に出陣していれば怪しまれる。裏切りの嫌疑を掛けられてもおかしくない。


犬上川と野洲は観音寺城から丁度同じくらいの距離だ。ただ織田勢が犬上川を越えた時点で早馬が観音寺城に飛び、そこから自分の許へ報せを送っているとなれば、既に織田勢は犬上川にいないと思われる。自分の方が不利である。


「急いで戻るのじゃ!」


承偵は全軍に反転を命じた。


=======================================


その頃、既に織田勢は観音寺城を眺められる地点まで到達していた。


「どうやら六角承偵は観音寺城にはいないようです」

「ならば承偵めの裏切りは確実か」


信長は先頭を行く柴田勝家から報告を聞いていた。


「如何します?」

「裏切りが確実ならば、観音寺城は落とさねばならぬ」

「はっ。幸いにも敵は小勢、主力は和田山城に籠もっている様です」


観音寺城の周辺には出城がいくつかある。その一角が愛知川沿いにある和田山城だ。東山道にも寄り、東から迫る敵に備えた造りになっている。


「箕作山城を攻める」


信長は敵主力の籠もる和田山城を無視し、観音寺城の支城である箕作山城を攻めるべく軍を動かした。一方で自身は和田山城の敵勢の動きを封じるべく、本隊を率いてその抑えとなった。


織田軍三万だからこそ出来うる戦法である。


先陣を切るのは木下秀吉隊二三〇〇である。対する箕作山城には僅か五〇〇しか籠もっていない。その多くを承偵が引き連れて行ってしまったためだ。本来であれば和田山城に配した主力二〇〇〇が防衛に当たるはずであったが、一万五〇〇〇もの織田軍に包囲されてまったく身動きが取れない状態に陥っている。


箕作山城内は戦々恐々としていたが、それでも守将・吉田出雲守は果敢に兵を叱咤して防戦に努めた。その甲斐あってか一度は木下勢に逆落としを仕掛けて追い払うことが出来たものの、東口から丹羽長秀の部隊三〇〇〇が攻め上がると兵力の差を埋めきれなかった。備えは、徐々に崩れていった。


「こうなったら観音寺城に籠もって殿の来援を待つしかあるまい」


吉田出雲は承偵が戻ってくるのを待つしかなかった。箕作山城を捨て、観音寺城へ移る。しかし、兵どもはその移動の最中に逃散し、吉田出雲と共に観音寺城へ入った者は僅か二十名という有様だった。皆、雲霞の如き押し寄せる織田勢に、勝利する光景など一片の想像も出来なかったのだ。


瞬く間に箕作山城が落ちたことを知った和田山城の兵は、戦意を喪失してしまい、戦わずして逃亡してしまった。こうなると、観音寺城の自落も目前である。


そこに六角承偵率いる軍勢が戻ってきた。観音寺城内は、落城寸前での援軍到来に湧き立った。


「今さら戻ってきたところで無駄よ」


信長が余裕の表情で号令を下す。


既に織田軍は六角承偵が戻ってくることを想定し、奪った箕作山城を拠点に迎撃の準備を整えていた。一方の六角勢は強行軍であり、陣列は長く伸びきっている。先頭の者から織田軍との交戦し始めており、早くも撃退されて始めている。


「それ!蹴散らしてしまえ!」


対六角承偵軍へは柴田勝家が指揮している。その軍勢の動きは苛烈であり、敵の先鋭を潰すと怒濤の勢いで承偵の首を目掛けて突進を開始した。


「これはいかん!」


その様子に悲鳴を挙げたのは他ならぬ六角承偵自身だ。大将がこの様子ではもはや六角勢に勝ち目はなかった。撤退すらままならない。隊列は乱れに乱れ、為す術もなく織田勢の餌食になっている。兵たちの断末魔の叫びが、辺り一帯に響いている。


「甲賀へ逃げるぞ!」


もはや裏切りが露見した承偵としては、このまま南近江に止まることは不可能だった。目の前の織田勢が加われば、三好・松永に勝ち目がないのは火を見るより明らかだ。もし少数で南近江に留まれば、大軍に囲まれて討ち死にが確実だろう。ここは古来の例に従い、甲賀に落ちるしかなかった。


承偵の祖父・高頼は、応仁の乱の混乱期に何度か観音寺城を追われたことがあった。その都度、高頼は甲賀に逃げて再起を図った。その再起が首尾良く行ったことにより、六角家は今も南近江の主であれたのだ。故に承偵の高頼に倣い、甲賀へ逃亡した。


しかし、承偵の狙いとは裏腹に観音寺城を制した織田軍へ、六角方の諸城は降伏を申し出てきた。


十一月十四日。日が落ちる寸前のことである。


=======================================


その日の夜。勢多での合戦は一段落が着いていた。


上杉輝虎の出撃で唐橋一帯での戦闘は決着を見た。周辺は義輝方の陣地が築かれ、三好方は膳所と伽羅山に籠もっている。松永久秀は依然として田上の陣城で浅井勢の猛攻を跳ね返していた。合戦は膠着状態に陥り、日が暮れたことにより明日へ持ち越された。


そこへ織田信長より六角承偵の裏切りと観音寺城の占拠が報せられた。


「むぅ…承偵が余を裏切るとは……」


如何に承偵を軽視していたとはいえ、長年の味方であった者の裏切りには義輝も落胆の色を隠しきれなかった。


「上様、そう気落ちなさいますな。我らは勝っているのですぞ」


そんな義輝を気遣い、輝虎が励ます。事実、六角軍の消滅により三好・松永の勝利の目はなくなったと言って言いだろう。信長も、明日には合流できると報せてきている。


「明智殿も上手くやってくれたようです。敵も今頃は動揺しておりましょう」


明智光秀が相国寺の足利義栄を洛中より追い払ったことも先ほど伝わっている。もちろんこれも敵方は承知しているはずで、今頃は徹底抗戦か撤退かで議論がなされているところだろう。


「ともかく上総介の到着を待つか」


信長が明日にも合流できるのならば、織田軍を加えて戦を再開させた方が得策と義輝は考えた。これに輝虎が異を唱えてくる。


「夜襲を仕掛ける好機にござる。義栄の洛中退去に六角軍の敗北、敵の動揺は計り知れませぬ。あと一押しすれば勝てまする」

「上杉殿。敵の守りは堅い、三好の陣城を侮るなと申したはそなたではないか」


開戦前と違って積極策を唱える輝虎に義景は苛立ちを覚えていた。加えて信長の活躍に(はらわた)は煮えくりかえっている。要はふて腐れているのだ。


「如何にも。故に攻めるは膳所の三好本陣のみ」


開戦前と違い、勢多の唐橋を占拠した義輝方は三好本陣を直接攻めるという新たな選択肢を得ていた。輝虎はこれを攻め、一気に勝利を掴もうと考えていた。


敵本陣さえ落とせば、如何に防備が堅くとも敵はいつまでも陣城に籠もってはいられなくなる。


「よう申した!夜襲を許可する。輝虎、頼むぞ」

「御任せあれ。この輝虎が上様に勝利を献上いたしましょうぞ!」


自陣に戻った輝虎は篝火(かがりび)を煌々と焚き、こちらが敵の夜襲に備えているかのように見せかける一方で手勢八〇〇を率い、音羽山の麓沿いに三好義継が本陣を構える膳所・茶臼山へ迫った。夜道であったが、こちらには一帯の地理を知り尽くしている山岡景隆がいる。三好勢に気付かれず、簡単に本陣の傍まで迫ることが出来た。


「流石に敵も警戒しておりますな」


もう日が暮れて随分と経つが、かなりの数の見張り番が確認できた。ただ動きは鈍そうだった。多くがその場で周囲を警戒しているだけで、歩き回って敵の姿を探そうというものは皆無だ。恐らく凶報続きで士気が下がっているのだろう。


「どうします?仕掛けますか」

「いや、ここで夜明けを待つ」

「何故に?」

「夜明けが近づけば、敵は夜襲はないと見て警戒は散漫となる。それに敵勢の混乱ぶりが伽羅山からも見えるであろう」


そうなれば、伽羅山の軍勢は本陣を助けるべく飛び出してくるかもしれない。そこを叩くのは造作もないこと。既に留守を任せた本庄実乃にはその事を伝えてある。


輝虎らはそのまま夜明けを待つことにした。


そして夜が明ける頃、輝虎が大音声で命令を発した。


「突撃じゃぁぁ!!!」

「おおう!!」


輝虎の号令により、兵たちは競って敵陣へ斬り込んでいく。この頃には三好兵の殆どは無警戒に陥っており、多数が何の抵抗も出来ぬまま討たれていく。


その中でも、やはり輝虎の姿は目立った。


「三好義継は何処じゃ!儂が上様に成り代わり、討ち取ってくれるわ!」


輝虎は逃げ散る兵卒を無視し、敵大将の姿を探した。しかし、まだ夜が明けたばかりであり、こう人が多くては見つけ出すことは困難だった。仕方なく輝虎は雑兵の相手をすることになった。


「義継様を御助けせよ!」


本陣が襲われている様子は、三好政康のいる伽羅山からも確認できた。すぐさま手勢に出撃を命じるが、眼前の上杉勢に阻まれて上手く行かない。


そうしている内に、三好本陣が崩れ去るのが見えた。


「これまでじゃ!撤退する!」


政康は部隊に撤退命令を出した。主君の生死は確認できないが、ここで踏み止まっても意味はない。これを機に、三好全軍が撤退に移った。


勢多合戦が終わった瞬間である。


ここでようやく朝倉軍も動いた。もはや勝ちが見えている戦だが、ここまで何もしていないことに気付いたのだ。


(このままでは儂の立場がない)


その焦りが朝倉全軍を突き動かした。部隊は雪崩を打って出撃し、八方に逃げる三好兵を散々に追い回した。


一方で田上でも決着が訪れていた。


松永久通の麾下にあった柳生宗厳が義輝方へ寝返り、陣城の内から迫る浅井勢に呼応したのだ。こうなると城は脆い。陣城の一郭が崩され、久秀は関津峠より大和へ撤退していった。浅井勢はこれを追ったが、久秀は所々に伏兵を配してこれを撃退、長政は深追いを避け、勢多へ帰陣した。


「上様、勝ちましたな」

「うむ」


義輝が大きく頷いた。待ちに待った勝利の瞬間である。三好・松永に勝利するこの時を、どれだけ夢見てきたことか。まさに感無量であった。


「勝ち鬨を、挙げられませ」


義輝は藤長の勧めに応じて騎馬し、左手に扇を構えた。それから一呼吸を置いて大きく息を吐く。


「えい!えい!」

「おおっーーーー!!!!」


鬨の声が、勢多中に鳴り響いた。




【続く】

合戦後編です。


勢多一帯だけではなく観音寺城や京と様々に場面が変わりましたが、ともかく書き終えました。いや、表現の難しさを知りましたね。


さて、次回。いよいよ上洛です。

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