第九幕 久野状 ~届かぬ想い~
六月二十八日。
伊豆国・戸倉城
この日、幕府評定衆の北条氏規は懐かしい場所に帰ってきた。
今川氏真が守護を務める駿河と伊豆の国境に築かれた戸倉城は、北条では西の最前線に位置する。この城から東の房総半島まで広大な北条領が広がっており、極めて重要性の高い。故に城主には一門の者が選ばれることが多く、今は氏規の弟である四郎氏光が守備を任されていた。
「……兄上ッ!?お久しゅうございます!まさか本当にいらっしゃるとは思いませんでした」
門番より兄の来訪を受けた氏光は、足早に駆けつけて氏規を出迎えた。
「四郎も息災のようじゃな」
と言葉をかけたものの普段から情に篤い氏規も、この時ばかりは素直に兄弟の再会を喜ぶ気にはなれなかった。
氏規が再び関東を訪れた理由、そして戸倉城に立ち寄ったのは大きな役目を背負っているからである。
幕府に反抗の兆しがある北条を滅亡から救わなくてはならない。課せられた役目は重い。一族の者として生まれ、幕府にて評定衆を務める氏規にしか出来ない役目だった。
(果たして兄上は何をお考えなのか。また父上は……)
目的地は父・氏康のいる小田原だ。氏規は父の説得に際して事前情報は得ておきたかった。そもそも父は将軍・足利義輝や武田信玄、上杉謙信などが一目を置く存在で、英傑の類に含まれるほどである。血縁という絆、情に頼って説得するなど簡単に言える相手ではなく、こちらが万全と思われる準備を施していたところで軽く言い負かされてしまう可能性だってある。
故に氏規は、少しでも情報を得るべく弟に会いに来たのだった。
「少々話がしたい。余人を交えず話せる場所はあるか?」
「兄上?……畏まりました。どうぞ、こちらへ」
雰囲気を察した氏光は己の居室に氏規を通し、人払いを命じた。
空は青く風も心地よいくらいなのに、その部屋の中だけは何処か暗く重く感じられた。重苦しい雰囲気に未だ慣れていない若い氏光は、戸惑いを感じながらも兄が話し始めるのをジッと待った。
「単刀直入に聞きたい。父上は何を考えておられる?このままでは北条は滅びるぞ」
「北条が滅びる?」
氏光は目を丸くさせ、呆然とした。兄の言葉が正しく理解できなかったのだ。
北条は関東で最大の大名。今や里見を降伏させて房総半島を制し、上杉と武田の連合軍も討ち破っている。下野では北条に靡いた者たちが勢力を増し、残るは上杉の領国である上野と佐竹の常陸を残すのみで、破竹の勢いだ。国力という単純な比較では、大友や毛利など西国で名を馳せる大名家であろうとも肥沃な関東平野を領する北条より下回る。上方で勢いを増す織田とて、ここ数年で版図を拡大しているだけに過ぎず、長く関東を治めている北条に比べれば、足元が固まっているとは言い難い。
氏光からすれば北条こそ天下一の大名家であり、その一族であるという誇りを持っていた。それなのに久し振りに会った兄は、北条が滅びると口にする。まったく以って理解できない話だった。
(やはり何も判っておらぬな)
弟の表情を見て、氏規は事の重大さを悟った。誰もが北条という井の中で、幕府という大海を知らない。これは氏光に限ったことではなく、北条という家に属する大半の者が同じ認識なのだろう。
「今の幕府を甘く見てはならぬ。上様がその気になれば、十万やそこらの軍勢を関東に送り込むことは不可能ではない。そうなったら北条は終わりぞ」
北条は大国とはいえ大名たちを束ねる幕府とは規模が違う。北条と並ぶだけの存在である織田や上杉、毛利などが幕府に従っている他、一国を治める大名の数は十指を越える。しかも幕府は直轄地だけでも北条を凌ぎ、検地奉行を務める氏規は幕府の正確な力を把握している。そして北条でも検地を行なっていた氏規だ。両者を比較した時にどれほどの差があるかも全て判っていた。
「……じゅ、十万といえども小田原は落ちませぬ。謙信めの時もそうだったではありませぬか」
十万という数に氏光は驚きつつも反論を口にした。
永禄四年(一五六一)、十万の兵で謙信が小田原を一ヶ月間包囲したことがあった。氏光は元服前で小田原にいて不安を感じる毎日であったものの父・氏康の悠然とした態度は、今でも目に焼きついている。
「四郎、案ずるな。烏合の衆がいくら集まったところで北条の結束が破られることはない」
合戦故に甲冑姿であったものの平時と変わらぬ父に、当時の氏光は大きな安堵感を覚えた。
「戯け。あれは父上が上杉方の兵站を脅かし、敵方に離間を仕掛けた上での撤退ぞ。力で追い返したわけではない」
しかし、氏規は謙信が何故に撤退を決断したのかを知っている。そのために父がどのような行動をとったのかもだ。氏規は幼少期に今川家に質として預けられ、今は幕府の評定衆だ。北条という家を外側から見てきたことの多い氏規は、当時の状況も氏光のように主観ではなく客観的に捉えていた。
「ならば幕府が攻めて来ても離間を再び仕掛ければ……」
「阿呆!関東より西が幕府で固まった今、離間に応じる者などおらぬわ!」
甘い幻想に捉われる弟に、氏規は厳しい現実を突きつける。
「北条しか知らぬ四郎がそのように妄信するのは判らなくもないが、幕府と戦おうなど考えてはならぬ。父上が上洛し、上様の前で此度の一件を謝罪すれば後は儂が仲を取り持ってみせる。四郎、父上が何を御考えなのかを話せ。それを聞いた上で儂は小田原へ向かう」
「……わ、判りませぬ」
「判らぬとはどういうことじゃ。全てとは言わぬ、少しでもよいのじゃ。父上から御存念を伺っておらぬのか?」
「それが判らぬのでございます。昨年の十月、謙信が倒れたという話が聞こえてきた頃から小田原の警戒が厳重となっており、二月ほど前からは使者すら寄り付けませぬ。たまに幻庵様から使いは送られてくるのですが……」
「幻庵様が小田原に詰めておられるのか?」
「はい。十月よりずっと城内に留まっておられるようです」
それを聞いて氏規は嫌な予感がした。
一族の長老である幻庵は父・氏康の善き相談役である。政略、軍略の両面に秀で、長く北条の発展を支えてきた。それでいて幻庵は当主を傀儡として家中を専横するような真似をせず、一定以上の影響力を持つことを嫌った。だからこそ一族の信頼を集められているのだろうと思う。
その氏規も敬慕する幻庵が小田原に詰めている。つまり幻庵が詰めていなければならない状況に小田原があるということだ。これがよい事の筈がない。
「相判った。ともかく小田原へ赴かなければ判らぬことが多いな。どのみち行くところだったのだ」
結局、氏規は大した情報も得られぬまま思案に耽つつ小田原へ向かうことになった。
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七月二日。
相模国・小田原城
小田原に到着した氏規は、その変わり様に驚きを隠せなかった。
(何だ……、この静けさは……)
小田原城は関東一の巨郭で、まるで北条の家の大きさを思わせる規模を誇るが、城下も含め何処か寂しげで静寂に包まれていた。それでいて物々しさも所々に感じられる。氏規が知っている小田原は、もっと賑やかで華やかだったはずだ。
「おい、儂じゃ!門を開けてくれ!」
違和感を感じ、城へ急行した氏規は門番に開門を促した。暫く門を開けていないのか、戸惑っている様子の門番へ対して氏規は再度の開門を呼びかける。
「儂を忘れたのか。氏規じゃ。ただいま上方より戻った。御本城様に取り次いでくれ」
「……しょ…少々お待ち下さい」
門番の一人が戸惑いつつも城内に入り、氏規の来訪を報せに行った。
「助五郎が戻ったと?」
報せを受けた北条幻庵は、途端に表情を曇らせた。
(いま助五郎を城内に入れれば、賢いあやつのことじゃ。城内で何が起きているかすぐに気が付こう。さすれば御本城様が倒れたことが幕府に洩れるやも知れぬ。そうなったら如何に関東で優勢であっても御本城様が図られた和睦の道は断たれる)
幻庵は最悪の事態に繋がると判断、氏規を城内に入れぬよう門兵に伝えた。
将軍の許へ送った板岡部江雪斎の話によれば、幕府の力を取り戻した将軍は常に強気の姿勢を崩さなかったという。上方では諸大名が国替えを命じられ、本貫を奪われた者も多くいると聞く。そんな将軍が昏睡状態に氏康が陥っていると知ったならどう出るか想像に難くない。昔から上杉を擁護してきた幕府は、確実に復活した謙信に関東の統治を任せるだろう。最悪、北条という家は氏規が残してくれるだろうが、関東での居場所は失われるかもしれない。
(如何にするのがよいか……)
父・早雲が築いてきた家を滅ぼす訳にはいかない。氏康の快癒が厳しい現実を前に幻庵はどう自分が立ち回るべきか迷っていた。
「助五郎に伝えよ。今は所用で手が放せぬ故、儂の屋敷で待つように、と」
幻庵は小田原の北側・久野に位置する自分の屋敷に留まる様に氏規へ伝えることにした。
「どういうことだ……」
戻って来た門番から幻庵の言葉を聞いた氏規は、ますます嫌な予感がした。とはいえ、一族の長老たる幻庵の言葉に従わない訳にはいかず、仕方なく幻庵の屋敷へ向かったが、待てど暮らせど幻庵が姿を現すことはなかった。
それから十日が過ぎ、流石にこれ以上は待てないと思った氏規が再度、城へ向かおうとした矢先、異変が起こった。
「お待ち下さい。左馬助様は御屋敷に留まる様に御命令を受けておられるはずです」
幻庵家臣の一人が小田原へ向かおうとする氏規を力で以って制止しにかかったのだ。
「幻庵様の御家来が斯様に礼儀知らずとは思わなかったぞ。よいから通せ」
怒気を滲ませ、氏規は抵抗を試みる。
幻庵は有職故実や古典的教養に精通し、氏規も幼い頃は幻庵より礼儀作法を学んでいる。その幻庵の家中が一族の自分に対し無礼を働くのは意外だった。
「小田原からの御命令に逆らうおつもりですか」
ところが相手も一歩も退かず、氏規の前に出て兵士たちに取り囲ませた。流石に北条一門に対して刃をチラつかせるような真似はしてこなかったが、これ以上の諍いは拙いと踏んだ氏規は、この場は引くことにした。
その翌日のことである。幻庵から使いが送られてきた。
「幻庵様からの言伝です。久方ぶりに御会いして話をしたいところなれど所用で城を離れられず、左馬助様には申し訳ありませぬが、用件を書状に認められたし、とのことでございます」
この言葉に氏規の胸のざわめきは益々強くなった。
(儂が城に入ってはならぬことがあるのか?何故に父上は儂に言葉の一つ寄越して下さらぬ。隠居されておる幻庵様が城に詰め続けねばならぬ理由とは何なのだ)
未だに父からの言葉が一つとして届かぬ状況に違和感を持っていた氏規であるが、まさか父が言葉すら交わせぬ状態になっているとは露とも思わず、真相に辿り着くことはなかった。
「相判った。ならば儂の言葉を幻庵様に伝えてくれ。すぐ書状に認める」
「畏まりました。いま筆と紙を用意させましょう」
すぐに書くと言った氏規であったが、客間で筆を取ってから一刻ほど白紙を眺めたままジッと紙面を見つめていた。
「左馬助氏規、畏れながら申し上げます。いま関東で何が起きているのかを私は知りませぬ。御本城様が何を御考えになられているか、兄上が何を目指しておられるかも判りませぬ。本来であれば直に御目にかかって御聞きしたいところではありますが、幾日と待てども我が願いは聞き届けて頂けておりませぬ。故に、私の考えを記し、御本城様に御送りいたします」
ようやく書き始めた氏規は、長い前置きをしてから本題に入った。
「永禄の変が起きるまで、幕府は有名無実と化していました。その認識は間違っておらず、私ですら同じであります。ただ永禄十年に御本城様の御命令で上方に赴き、私は自身の眼で幕府というものを見て参りました。その私が申し上げます。いま幕府、上様を怒らせてしまえば間違いなく北条は滅びるでありましょう。認識を改めなくてはなりません。幕府の勢いは本物で凄まじく、我々が手を焼いた武田信玄すら上様は討たれてしまわれました。上方では武門として皆が将軍である上様の下知に従うことに何の疑問も抱いておりません。その数、十数万を下らぬと検地奉行を務めている私から申し上げます。今でこそ謀叛方の鎮圧で上様は上方から動けずにおりますが、秋口には北国への遠征も行なわれます。すぐに関東へも兵が派遣されるようになり、そうなれば北条に勝ち目も大義もありません。今ならば上様は、御本城様が上洛されて恭順を誓われることで本領を安堵して頂けます。その意思は私がこの目で、耳で確認しておりますので、どうか御安心ください」
そして最後に氏規は次の言葉で締め括った。
「私は評定衆として上様に働きを認めて頂いております。これは北条として何よりの名誉であり、上様が北条を粗略に扱わぬことの証でもあります。もし御本城様が幕府に従われるなら、天下一の大名としての安寧と、天下の重鎮としての繁栄が約束されることでありましょう。言葉には限りがあり、ここでは全てを伝えきれませぬが、どうか私の言葉を信じて頂きたく切に御願い申し上げます」
氏規が書状を書き終えた時、いつの間にか空は暗くなっていた。
(ふぅ……これで父上に伝わればよいが)
思いの丈を書き示した書状を読み返し、氏規は深い溜息をついた。
本当ならもっと幕府の詳細について語るべきとは思う。しかし、氏規は義輝を裏切れなかった。それでも北陸遠征のことに触れており、これが評定衆の面々に洩れでもすれば解任どころの騒ぎではすまない。ただ氏規としても幕府の遠征が現実のものであることを父・氏康に報せなくてはならない。いつまでも幕府は上方だけのものだという見方は、北条の道を誤らせる。西征こそ謀叛方の蜂起で上手く行かなかったが、もし謀反がなければ毛利や大友を始めとする西国の諸大名は、今ごろ幕府の前に膝を屈していたことだろう。
この書状を受け取った幻庵宗哲は、悲痛に表情を歪ませた。
元より北条家は身内想いの家である。兄弟間は元より一族の間で諍いなどなく、他の大名家で当たり前のように起きている家督争いなども一度たりとも起きていない。評定衆となり幕府に奉公している氏規に対しても御家の方針と違うことを口にしたところで“家督を狙っている”などと風潮する者はおらず、誰もが氏規の言葉を疑いはしなかった。
だからこそ幻庵は胸を痛めていた。
現状、北条が岐路に立たされていることは幻庵も判っている。ただ大黒柱たる氏康は卒中で再び倒れ、今も昏睡状態が続く。二度目の卒中ということもあり、流石に幻庵も今回は氏政に報せなくてはならないと感じ、早馬を走らせた。
「父上が倒れた!?何故にこのような時期に、そんなことが起こるのだ!」
上武連合を討ち破った氏政はまさに旭日昇天の勢いであったと言っても過言ではない。下野でも北条方が攻勢を増しており、上総介綱成の死こそあったが、あと一年もあれば関八州を統一できると思っていた。
(……莫迦な)
氏政は天の理不尽さを呪った。
ただ立ち止まっている暇はない。幻庵からは氏康の容態がはっきりするまで関宿城から軍勢を動かすべきではないと忠言も届いている。他の重臣たちも揃って幻庵に賛成のようで、氏政も関宿から動けなかった。
そこへ再び幻庵から書状が届けられる。そこには氏規の書状も添えられていた。
「いま小田原には助五郎が帰って来ております。御本城様のことは伝えてはおりませぬが、思った以上に幕府は我らを敵視しており、その力も無視できぬませぬ。知っての通り御本城様は、上杉に成り代わり関東の盟主となるべく幕府と折衝を続けて来られました。されど今となっては、それも諦めざるを得ませぬ。ここは関八州統一は当家の悲願ではありますが、一時だけ栄耀栄華を誇っても天下に旗を翻して御家を滅ぼしてはなりませぬ。どうか懸命な御判断を成されます様に幻庵からも御願い申し上げます」
一族の長として、御家を間違った方向に導く訳にはいかない。だからこそ幻庵は家督にある氏政へ対し、自らの考えを書き連ね、氏規の言葉を添えた。
幻庵には、ここが限度だった。幻庵の性分として強権を発動し、家を割るような真似は出来ない。そういったことが出来る人物ならば、北条という家は早くから幻庵が主導する体制が築かれていたことだろう。
「助五郎め。上方へ行って耄碌しておって。もはや今の北条は関八州を手にしたも同然なのだ。もう助五郎が知っていた頃の北条ではない」」
しかし、氏政は弟の言葉に耳を貸さなかった。
弟が知っているのは、氏康の代の北条である。自分が発展させた北条の力は、以前より強大である。幕府が十万の軍勢を用意するのなら、こちらも十万で対抗できるとさえ思っている。
「幻庵様も幻庵様だ。助五郎の言に惑わされるなど、らしくもない。儂がおれば、北条は安泰ぞ」
連戦連勝で強気になっている氏政に対し、幻庵の言葉すら届かなかった。
「されど宜しいのですか?」
心配になった側近の松田憲秀が再考を促す。
憲秀にとって北条とは氏康あってのものだ。氏康の傍で仕えてきた憲秀には氏政は何処か危なっかしく思えてしまう。氏政も決して短慮な男ではないが、熟慮に熟慮を重ねる氏康とは器量に差がある。幼き頃、氏政が獲れたての麦で昼飯を食べようとした話や飯に汁を二度かけし、氏康が嘆いていたことを憲秀は知っている。
(事と次第によっては幻庵様と相談せねばなるまい)
北条という家に忠誠を誓う憲秀は、独自の道を模索する必要性を感じていた。
「書状には御本城様の上洛が必要と書かれておる。まさか御本城様が倒れられたことを報せる訳にも行かず、かといって代わりに儂が上洛すれば何故かと疑われよう。どちらにしろ助五郎の思う通りにはならぬさ」
そんな憲秀を余所に氏政は氏規の言葉には従えない理由を挙げていった。
(今さら幕府になど従えるか)
関東の独立、北条家の悲願が氏政を強く縛っていた。
元々関東は独立心の強い連中の集まりである。それを少しずつ崩し、麾下に加えていったのは他ならぬ北条であることは間違いない。その八州ある国の内で北条の支配が及んでない地域は上野、下野、常陸の三カ国のみ。さらに下野の陥落は近く、上野に至っては少なからず影響力を持っている。常陸は佐竹義重が纏めつつあるのが逆に好機であり、義重さえ攻め滅ぼしてしまえば常陸はまるごと手に入ったも同然だった。
これまでも関東は幕府に対して何度も反抗を重ねてきた。足利持氏の永享の乱、成氏の享徳の乱がそれだ。それ以前にも挙兵寸前に及んだことは数知れない。だがいずれも幕府に敗れるか和睦して降参している。それでも何度となく挙兵に及ぶのは、関東という肥沃な大地が惑わす魅力といってもいいだろう。それに氏政もとり憑かれていたのかもしれない。
(以前の者どもが上方に敗れたのは、関八州を完全に支配できていなかったからよ。北条の名の下で関東を束ねてしまえば、幕府など恐れるに足らず)
そのためには、いま一度兵を動かす必要がある。仮に父が死んでしまえば未曾有の大混乱に陥るのは間違いなく、その前に上杉か佐竹のどちらかは潰しておきたかった。
しかし、氏政が動こうとするのを重臣たちが止めた。上武連合も佐竹も状況が改善せず兵を動かせられない。いつ合戦が再開されても不思議ではない状態が続き、誰もが周囲の動きに眼を配っていた。
そして、その動きがあったのは十月三日のことだ。ついに北条氏康が死去したのである。
ここから関東の混迷は加速していくのだった。
【続く】
今回は北条がメインの話です。
表題の通り腰越状をモデルとしておりますが、立場は氏規側が体制側と逆転しております。幻庵も恭順側で、史実では死後に始まった小田原征伐でしたが、存命中に起こったなら間違いなく幻庵は氏規と立場を同じくしたと思います。
今後、彼らがどう動いて行くかは次章以降の話となります。
次回は北陸遠征を終えた義輝が京に戻ったところから始まり、次章へ向けた流れを書いていきます。