第七幕 評定の末 -誤った結論-
五月二十七日。
摂津国・石山御坊
前年に帰洛、武田信玄を余呉で討ち果たし、比叡山延暦寺との闘争に決着をつけ、この春に本願寺と和睦した将軍・足利義輝は、ようやく手にした台地に足を踏み入れていた。
「日ノ本一の境地か。宰相も目の付け所がよい」
石山御坊の高櫓から海を見渡しながら、義輝は感心しながら呟いた。
「はい。殿に聞いたところによれば、織田様は大坂が天下の中枢と申されたそうです。手前が見たところ大坂は西国と海で通じ、街道も近く京や堺へも半日あれば行けまする。この要害に城を築けば、難攻不落となりましょう」
義輝の背後に控える黒田孝高が己の感想を述べる。
僅か一月ほどで丹後を平定した光秀は、仕置きが残っていて暫くは都に戻って来られない。今回は丹後が光秀に与えられるために誰を何処に配置するか軍事、政略の両面から慎重に決めなくてはならず、代わりに孝高を使者として義輝の許へ遣わしていた。新参の孝高が光秀の仕置きに関われば、家中の不満が高まることを考慮しての沙汰であり、以前より義輝が孝高に“会ってみたい”と言っていたことを思い出したからでもある。
一度、京へ向かった孝高であったが、義輝が大坂に出向いていたこともあって追いかけるようにして石山御坊を訪れた。孝高が来たことを知った義輝は、不敵な笑みを浮かべて“共に検分しようではないか”と誘ったのだ。
「ほう。なれば官兵衛とやら、思うところを述べてみよ」
義輝は初めて会う孝高を興味深げに見ていた。播磨平定の軍略、晴藤への助言と噂は以前より伝え聞いており、孝高の人物、器量を量ろうと考えた。
「まず東から西へかけての北側は淀川に面し、低地で大規模な水堀を配することが可能です。坂本城の例を挙げて恐縮ですが、水軍を味方につけていれば敵は台地を包囲すること敵いませぬ」
兵糧攻めは城攻めの常套手段である。義輝も石山御坊を兵糧攻めにしていたから判るが、難攻不落の城に籠ってしまえば内通者がない限り力攻めにて落とすのは困難を極める。つまり幕府には数万の大軍を揃えられる力があるので、それで此の地に籠ってしまえば敵は兵糧攻めを採るしか方策はなくなるが、水軍さえ味方に付ければ兵糧攻めすら不可能になると孝高は言った。
「西国を切り従え、そのことごとくを治めてしまえば大坂は盤石となりましょう」
尚も孝高は大坂の利点を説き続ける。
幕府の支配権の西端は博多である。九州は大友家を中心に支配下に入ったとは言い難く、表向き敵対はしていないが潜在的には敵に成り得る。大友の水軍は強く、名高き村上水軍を膝下に置く幕府水軍の力でも簡単には破れない。しかし、大友の水軍を倒してしまえば対抗できる水軍はなくなり、自然と幕府水軍が頂点となる。加えて安宅や塩飽など瀬戸内の水軍を強化したならば、陸と海の両面から大坂を守れるし、いつでも城内に西国から兵糧や援軍を送り込めることも容易だ。
そう如何に東国で強大な敵が現れようとも大坂より西は幕府の勢力圏として維持が可能なのである。
「その前提条件が崩れた場合はどうなる?」
と、常人ならばそこで納得してしまうのだろうが、義輝は違う。更に孝高へ試すような物言いで問いかける。
「……ふむ、そうですな」
孝高は一瞬だけ考える素振りを見せ黙り込んでしまったが、すぐに口を開いた。
「落ちない城は有り得ませぬので、落とせない城を築く他は有りませぬ。まず拙者なら城郭は台地の中央に本丸を築き、それを中心として輪郭式に郭を設けます。それらを囲むようにして水堀を配し、鉄砲に備えて石垣を高く積み上げ、三段にすることで更に守りは堅牢となりましょう。これを内郭と定め、周囲に町割りを致し、明国で見られるような城下を包むような外郭を築いて水堀を配することが叶えば、恐らく城を完全に取り囲むに敵は十万の兵でも足りませぬ。これならば公方様が以前のような失態を犯されることはないかと存じます」
以前のような失態とは、永禄の変のことである。
永禄の変ではこちらの数が少なかったのもあるが、二条御所は一〇〇〇の兵もいれば囲めてしまうほど小さなものだった。今でこそ規模の大きくなった二条城を義輝は本拠としているが、それは二条御所と比較しての話で、諸大名の本拠と比べて大きいということではなかった。洛中に城がある以上、大規模な築城は不可能なのだ。よって一万そこそこの兵がいれば包囲はされてしまう。一万の兵といえば、方法論はいくつかあるもそこいらの大名であれば集められる数である。
ただ孝高の案にも欠陥はある。それは築城に莫大な費用がかかってしまうことだ。
現在の幕府は財政難を完全に克服できていない。諸大名から京の復興費用を集めて生野銀山を制し、検地の効果も重なって想定以上の速さで改善はしているが、大坂に大規模な城を築くとなると、とてもじゃないが銭が足りない。
一方で孝高からすれば意見を求められただけであり、陪臣の立場にあるので責任も持たなくてよい。好き勝手に物を言える環境下で、自分の思い描く理想の城を表現したまでのことだった。
「こやつ、言いよるわ」
「申し訳ございませぬ。口が過ぎたようにございます」
「構わぬ。そなたが申しておる通りだ」
義輝は孝高の“失態”という失礼な一言を笑って許した。口は悪いが、それはそれだけ自分の考えに自信がある証拠でもある。そして孝高は、その自信を持つに相応しい器量を備えている。だからこそ発言が許される。
「やはり余の本拠たる城は、二条城では小さいか」
兼ねてからの疑問を義輝は孝高にぶつけてみた。
大坂築城には多くの問題点が含まれているも義輝は現状に満足しているというのではない。何れ拠点を新たにしなくてはならないという考えは元からあった。
「上様の身を守り、幕府の威光を示し、民に安寧を齎もたらすには不足でございましょう」
そして返ってきた答えに義輝は興味を引く。
確かに強大な城を築けば、それだけ義輝の身を守ることになる。そして、それは同時に幕府の威光を天下に示すことにも繋がるだろう。二条城も規模は小さいながらもよき城だとは思うが、あれは信長が作った城である。自らの生み出した城でなければ幕府の威光を示すことは難しい。ただ民に安寧を齎すとは何なのか。それを義輝は孝高に尋ねてみる。
「日ノ本にない唯一無二の城を築くことです。誰が見ても敵わないと思わせるような城を築ければ、自然と敵意は薄らぎます。さすれば自ずと天下泰平は訪れましょう」
「自ずとか、これは面白い。はっはっはっは……!!」
思いがけない孝高の言葉に、義輝は久しぶりと言っていいほど大きな声で笑った。
今まで義輝は天下泰平を目指して様々な考えを張り巡らせてきた。諸大名の配置や幕政の改革、寺社への介入、朝廷など手を出していないところの方が少ないくらいだ。それを孝高は城を築くだけで“自ずと”と言う。こんな使い方が城にあったとは思いもよらなかったことだ。
「公方様にはお聞き苦しい話かもしれませぬが、それを体現したのは松永久秀にございます」
「……久秀」
宿敵の名に、義輝は眉をピクリと動かした。
その様子に孝高は気が付いていたが、先ほどまでのやり取りから罰せられることはないと信じ、話を続けた。
「久秀は己で築いた多聞山城を自由に見て回らさせたようにございます。これは縄張りを他者に知られてはならないという戦の常道から反しております。拙者は多聞山城を見てはおりませぬが、城壁は漆喰の白壁に総瓦葺、石垣が用いられ四層の高櫓がそびえているとか。内部は柱に彫刻、天井には装飾、中庭は整備され、茶室もあつらえて御殿のような造りだったと聞き及びます。これも領地を防衛する拠点という城の概念からは反しております」
城は山城に強く見られるように合戦に於ける防御施設であるので、内装を豪華にするなどという無駄なことはしない。そんな施設よりも蔵や櫓などを設けて戦いに備えるのが普通だった。普段は御殿に住み、合戦があると近くにある城へ移って戦う。これが何れの大名も用い、誰もが知っている常識である。
「初めて聞いた当時は、久秀が何を考えているのか判りかねましたが、実際に見てきた者の反応を聞き及ぶに至り確信した次第です。その者は久秀に頼まれたわけでもないのに城の壮麗さに魅了されてしまい“多聞山城は凄い”と触れ回っておりました。こうなってしまえば諸国で久秀の名は勝手に高まっていきまする。誰もが松永久秀という名を知り、見たこともない城に夢中となる。松永久秀は人の心を操るに長けているとは真のことかと思い知りました」
孝高は熱のこもった声で饒舌に語った。それだけに多聞山城という存在が築城技術に長ける孝高へ与えた影響は大きいことが推察できる。
「…………」
多聞山城を築いた久秀を褒める孝高、それを聞く義輝。決していい気はしないも義輝は久秀の能力だけは認めている。久秀のやった統治、築いた城、軍略に謀略の数々と他者が容易に真似できるものでないことは確かである。そのような人物であったからこそ久秀は義輝の宿敵に足り得たのであり、宿敵だったからこそ義輝は誰よりも久秀に詳しい。
(されど久秀から学ぶべきことが多くあるのは間違いない)
故に孝高が言っていることが真実で、的を射ていることは義輝は最初から判っていた。
将軍という立場、泰平という夢を思えば有用と思うものは積極的に取り入れて行かなくてはならない。幕政を北条流に近づけているのでさえ、義輝が将軍として日ノ本の大名を見てきた結果、北条の治世が優れていると判断したからだ。相手が久秀であろうが、発想がよければ取り入れて行かねばならない。
ただ義輝は気が付いていなかった。久秀から学ぶという発想自体が以前の義輝からすれば考えられないことなのだ。その発想に至れるというのは、義輝の中で久秀という存在が小さくなってしまっているということ。義輝が征夷大将軍として一回り大きく成長しているということ。
(果たして余の一存で京を離れてしまってもよいものだろうか。等持院様の決められたことを覆すことになるが……)
足利氏が政権を打ち立てた地は都である。その都に幕府を定めて礎を築いた初代・尊氏の頃より二百三十四年もの間、幕府は京にあった。それを義輝の一存で変えてしまってもよいものだろうか悩むところである。さらに言えば、それすらも義輝の意思と言えるものか疑問だ。大坂を天下の中枢と言ったのは信長であって、その目の付け所は評価に値するものの決めるのは自分でなくてはならない。
(何処か城を築くよき場所を見つけなくてはならんな)
いずれ居城は移さなくてはならないが、今は目の前のことで精いっぱいである。山陰が平定されたとはいえ、やらなくてはならないことが沢山あった。それでも新城築城に新たな発想を与えてくれた孝高には感謝しなくてはならないだろう。
「流石は日向守、よき家臣を召し抱えた」
「……御褒めに与り、恐縮でございます」
「日向守に伝えい。来秋を目途に兵馬を調えよ、とな」
来秋という言葉を聞き、孝高の目が鋭くなる。その時期に義輝が何を起こそうとしているのかを瞬時に悟ったのだ。
「来秋……やはり征かれますか」
「長くは放置できぬ。本来ならば今年中に動きたかったが、山陰が平定されたとはいえ北陸は手つかず、紀州もある。それまでに内々の問題は余が片付けておく」
「はっ、畏まりました」
そう言って義輝の視線は孝高から海へと向けられた。その先に何があるのかを孝高は気付いている。
海の向こう側の遥か先に存在する大地、九州である。
=====================================
六月朔日。
京・二条城
大坂で山陰平定の報告を受けた義輝は、京に戻り評定衆を集めて評定を開いた。
出席者は三淵藤英、蜷川親長、上野清信、北条氏規、一色藤長、朽木元綱、和田惟政に山名攻めを終えた細川藤孝に義輝を加えた九名の全員が集まった。評定衆が幕府の最高機関に定められて一年近くが経つが、これまで各地で争乱が絶えなかったこともあって全員が揃っての評定は開かれたことがなかった。こうやって全員が揃ったのは、ようやく幕府にも余裕が出てきた証だ。
「大義。まずは報告がある」
義輝の短い言葉で始まった評定は、筆頭職の藤英が進行役となり進んだ。
「吉報がござる。先日、細川宰相殿が但馬を平定した。山名祐豊は降伏、その領地一切を没収し、上様は家名のみ存続を許してござる」
降伏により祐豊は領地の全てを失うことになった。家督も失い誇りと名誉をズタズタにされたのも反抗した報いと言えば報いだ。ただ義輝も山名家累代の忠孝を重んじ、最低限の配慮はした。一つは自分との目通りを許したこと、もう一つは祐豊の系統に家督を継がせたことである。
祐豊の嫡男・棟豊は永禄年間の内に早世しており、次男の輝豊が嫡子と定められていた。ただこの世継ぎは元服して祐豊に従っていたので、無罪には出来ない。輝豊は蟄居処分とし、義輝は元服前だった三男の慶五郎を尭熙と名乗らせて元服させ、家督を継がせることにしたのだ。
「宰相、ようやった」
「有り難き御言葉、恐悦至極に存じ奉ります」
義輝の労いに藤孝が恭しく頭を垂れる。
「今後は因幡、但馬の守護として任を果たせ。伯耆の者どもは引き続き宰相の与力とする」
「畏まりました」
再びの礼を藤孝がすると、兄・藤英から祝いの声が上がった。
「事実上で三カ国の守護とは羨ましい。上様の期待を裏切るでないぞ」
「もちろんにございます。山陰三カ国が幕府の力となりますよう経営に努めまする」
「頼むぞ」
「はっ」
義輝が但馬の仕置きに触れた後、今回の山名攻めで失態を犯した者の処分も通達された。
「宵田敗戦の責は問わねばならぬ。別所は播磨守護代を解任して但馬国八木へ転封し、山城守(吉親)は切腹、別所は宰相殿の配下とする。また小寺は所領を没収の上で土岐殿の預かりとする」
藤英が予め義輝が決めた処分内容を伝えていく。小さな合戦一つでの責任については果断な処置と思われたが、義輝は実行に及んだ。
元々播磨での権力争いは義輝の耳にも届いていた。藤孝同様に杞憂であればよいと考えていた矢先に宵田敗戦の報せが入り、この機会に義輝は別所、小寺、赤松三者の内で二者を排除する決断をしたのだ。
別所は名代を務めた吉親の失態であるから、当主の長治には大名としての存続を許す。しかし、大名本人の失態である小寺は改易、旧臣の黒田孝高のいる土岐家の預かりとした。
このような裁断を義輝が行なったのは、何も播磨国内の権力争いが原因なだけではない。播磨は三者の力が強く晴藤が公方として国主となっても実際に持つ所領が少なかったからだ。今回、別所と小寺を排除したことにより晴藤の所領は播磨で八郡まで広がり、名実共に国主としての地位を磐石とさせるに至る。
「守護代の後任は、赤松蔵人(政範)とする」
義輝は守護代に赤松を任じた。
これには当初は一部で反対意見もあったが、赤松氏が播磨の守護奪還を謀らないよう守護代の政範と晴藤の外戚に当たる龍野赤松氏の広貞という内部対立の要素を敢えて残した形だ。赤松家中で抗争は起こり得るだろうが、播磨の有力者同士で争うより随分とマシになった。
かくして話題はもう一つの丹後へと移る。
「また土岐殿が丹後を切り取り、一色義定を討った」
「聞けば土岐殿は予め一色家中に調略を仕掛けていたとか。相次ぐ国人たちの離反に義定が居城・建部山城は十日と持たなかったそうな」
「うむ。流石は上様が重用されているだけはある。義定めは城を脱して抵抗を試みたが、家来の一人に討たれたとか。不忠者の末路には似合いであろう」
光秀の活躍に元網、惟政の二人が喝采を送った。
但馬は大軍を送り込んだ故に一月で攻略が成ったが、丹後はそうではない。若州勢の支援があったものの国内は光秀の軍勢のみで平らげている。それも同じ一月でである。
他人の功績は時として妬みに変わるものの同僚の出世が相次いでいる評定衆の中では、功を誇らず謙虚な光秀の人柄は好かれており、そのように触れ回る者は一人もいなかった。
単純に幕府の力となっている光秀の活躍が嬉しいのである。
「修理大夫、惣領家の家督を継げ」
「はっ」
義輝に呼ばれた一色藤長が姿勢を正してから拝命する。
藤長の惣領家の引き継ぎは既定路線だったが、義輝は藤長が陰から丹後攻略に力を貸していることを知っていた。光秀が張り巡らせた調略の数々は、藤長が一族の伝手を貸したからこそ成し遂げられたものであると評価しているのだ。
「一色一族は日向守の丹後経営に邪魔になる。そなたが全て引き継げ。その為の所領は大和国内にて加増する。以後は大和の代官として励め」
「有り難き仕合せに存じます」
義輝は京極高吉の謀反によって空位となっていた大和代官の職を藤長に任せることにした。所領は京極領として欠地になっていたものから宛がった。
いずれ藤長の弟である秀勝の次男が興福寺に入り、若くして一乗院と大乗院の両門跡の門主となって最高位の別当を務めて権勢を誇ることになるが、それはまた後の話である。
「さて、ここからが本題であるが、その前に北陸のことにおいて伝えておく」
山陰の次は北陸になると全員が察しており、藤英の言葉に皆が頷いて応えた。
「北陸には八月を目途に兵を送る。大将は伊勢公方様、副将には浅井越前守殿、畠山右衛門督殿の二名、随伴するのは蜷川大和守殿と柳沢監物殿、蒲生侍従殿、筒井順慶殿、神保安芸守殿ら凡そ二万五千にござる」
「加賀、能登、越中の三カ国を平定するのに二万五千で足りるのでござるか」
「本願寺は降伏しておるので、加賀では抵抗は少ないと見ておる。能登、越中ではいくらか抵抗があると想定しておるが、畠山殿と神保殿の調略も期待できる」
「それならば安心でござるが……」
と言葉で言いつつも不安感は拭えない。
「案ずるな。余も後詰として出陣するつもりだ」
「上様が自ら?」
「一万ほど兵を連れて行く。左兵衛督(足利義氏)に任せてもよいが、やはり余が自ら一度は威勢を示しておけねばなるまい」
義輝が自らの親征を口にし、周囲を驚かせた。
将軍職を継承して以来、義輝は度々に亘って親征を行っているが、西征という大失敗をやらかしている。摂津や近江など近隣ならともかく北陸遠征となると越中まで赴く可能性がある。かつて十代将軍・義稙が追われた明応の政変など幕府の歴史に詳しい者たちは、揃って難色を示した。
「京の留守は中納言に務めさせる。此度は日向守にも京に詰めさせる故、安心いたせ」
そのように言って義輝は評定衆たちを説得した。
自己主張の強かった義昭と違い晴藤は義輝に従順である。反旗を翻すことは考えられず、補佐に晴藤と相性のよい光秀を据えるなら他者の介入も防げる。それでも懸念を義輝も感じていないことはない。しかし、京にジッとしていて諸国が鎮圧されるのを待っているのは、諸大名の力を強くするだけである。やはり何事も自分の手で差配してこそ天下は定まると思っている。故に義輝は今後に予定されている九州や関東への遠征も自ら足を運ぶつもりでいた。
それに加え、今回の北陸遠征には自ら出向かなくてならない理由があった。出向いた先でやるべきことがあるのだ。しかし、ここでそれを明かしてしまえば、恐らく全員が反対するのは判っている。だからこそ義輝は口を堅く噤むぎ、自らの親征を押し通してしまうつもりなのだ。
「畏まりました。ならば我らは上様の留守を守ることに尽力いたします」
全員を代表して藤英が言う。その瞳には“二度と失敗しない”という強い決意が表れていた。
「うむ。頼むぞ」
忠臣の決意を感じた義輝が、満足げに頷いて話題は次へ進んだ。
「此度、皆に集まって貰ったのは他でもない。関東がことは聞き及んでおるな」
義輝は先に兵を入れるつもりでいる九州は、実のところ毛利が睨みを利かせられるので特に重大視していなかった。自分が征くまで毛利に対応させていれば充分と考えており、兵を入れれば片が付くと思っている。故に義輝は九州が片付くまで関東に手を入れる必要を感じていた。
だが義輝は、この時に道意なる人物が九州で暗躍を始めていること。そして毛利を支えてきた大黒柱である元就の死が一月先に迫っていることを知らなかった。
この“関東”という言葉を聞いてピクリと肩を震わせる男がいた。
北条氏規である。
氏規の青醒めた顔には脂汗が流れている。確かに室内は暑いが義輝のいる場なので風通しも良く、六月と言っても汗を掻くほどではない。なのに氏規の背中は真夏の日差しに照らされたかの如くびっしょりと濡れていた。
「どうしたのだ、左馬助殿。具合でも悪いのか」
「いえ、大丈夫でござる」
心配そうに聞く藤英に対して首を振って答える氏規であるも、どう見てもまともだとは思えない様子である。何か病にでも冒されているのかと思えるほどの異常さだ。
「左馬助」
「は……ははっ!」
氏規は突然の義輝の声にビクッと肩を震わせ、反応する。
「そなたの兄・左京大夫の暴走、もはや見過ごせぬ。相模守は三郎と申すそなたの弟を質として送ってきたが、何ら態度は変わっておらぬ」
「申し訳ございませぬ。某のところにも小田原から何の報告もなく、父や兄が何を考えて兵を動かしているか皆目見当が付きませぬ」
「何も、か?」
「はい。このところ一切の連絡がございませぬ」
これは本当のことだった。
小田原では将軍に情報が漏れることを懸念して氏規と連絡を取らず、板部岡江雪斎を派遣して独自の外交を行っていた。氏規も何度か小田原と連絡を取ろうと考えたが、一つ間違えば謀反の嫌疑をかけられない事態に陥る可能性がある。そうなってしまえば氏規は本家と共倒れとなるかもしれない。北条家の存続を思えば軽はずみな行動は慎むべきと判断し、今に至る。
「皆に問いたい。厩橋中将と甲斐守が敗れた。まさか上杉と武田が組んで敗北するとは思わなかったが、このまま左京大夫の暴走を見過ごす訳には行かぬ。幕府として如何にすればよいか、各々が存念を述べよ」
義輝の言葉を聞いて、氏規は大きく喉を揺らした。議論の行方が明らかに北条討伐へ進んでいると察したからだ。
(厩橋中将を援けてやらねばならん)
関宿合戦の報せは謙信から義輝へ届けられている。その書状は詫び言で大半が占められており、必ずや北条を打倒し、関東を平定してみせると締め括られていた。しかし、そこに何ら具体案は書き添えられていなかった。
上武連合が敗れ去った今、義輝も幕府として次の対処をしなくてはならない。それが関東の地で孤独に戦う忠臣へ義輝のしてやれる最大の支援だろう。
「武田で足りなければ、更なる兵を送るしかあるまいか」
援軍派兵の案を挙げたのは朽木元網だ。
「送ると申しても誰を送る」
「関東に近い大名となれば、長尾弾正殿か今川刑部となるが……」
「長尾殿は本庄某とやらの謀反討伐の最中だったはず。今川刑部を送ったところで伊豆を抜けるとは思えぬぞ」
越後国主・長尾景勝は本庄繁長の謀反を鎮圧できていない。一方で今川氏真は徳川との合戦で兵が疲弊し、送れたとしても東海三カ国を領していた頃と違い数千の規模に留まる。要害と名高い箱根の関を数千で抜けるなら苦労はなかった。
「となると徳川か。権少将殿は戦上手と聞いておる故、成果を期待できるのではないか」
「されど徳川と今川は犬猿の仲、上杉と武田の二の舞にならんとも限らぬ」
今川は元主家という関係から家康が黙って従うとは思えず、また氏真も家康に従うのには抵抗があるだろう。これならば同じ犬猿の仲でも主従関係のなかった上武連合の方がまだマシに思えた。
「されば、やはり岐阜宰相殿に出張って頂くしかないのでは?」
信長の名が出て“やはり出たか”と義輝は思った。
今川や徳川には任せられない。しかし、近場の大名を送る必要はある。それならば両家を束ねられる強大な存在がいればいい。それが今や六カ国を治める天下一の大大名で宰相の位にもある織田信長だった。
「それはよい。長島には八万の兵が集結していると聞く。その半分でも関東に送れれば、北条の好きにさせることもあるまい」
「うむ。某もそれしかないと思う」
和田惟政が織田勢の派遣を口にし、朽木元綱が賛同を表す。
「これ以上、織田殿に頼るのは如何であろうか。確かに織田殿が出張れば関東は片がつこう。されど織田殿が功績を上げれば恩賞を与えなくてはならなくなる。織田家の強大化は、幕府にとって厄介でしかない」
これに細川藤孝が反対を意見する。
「某も同じ意見にござる。特に織田殿の振る舞いは幕府、いや上様を軽んじているとしか思えぬ。下手をすれば第二の信玄として我らの敵に回る懸念もござる」
「うむ。特に余呉の合戦では自らは動かず、信濃の一件ではなかなか上様の命令を聞こうとはしなかった。まったく腹正しい限りだ」
「左様、何かあれば織田殿を頼ればいいという話ではない」
この藤孝の意見に一色藤長、蜷川親長、上野清信が同調した。
流石に幕臣の中にも織田への不信感を募らせる者たちがいるようだ。長島合戦で信長が八万を動員したことを脅威と感じ、いま信長が裏切ればどうなるかの状況を恐れる者もいるだろう。
「されど現実として打てる策は、織田勢の派遣しかあるまい」
「待て待て、北条がいくら暴れようとも関東での話だ。何れ財政の問題は解決する。それから幕府として軍勢を送ってもよかろう」
「それまで放置すると?それでは幕府の体面は如何する?上様の面子を潰すつもりか」
「そのような気は毛頭ない。上杉殿が敗退したとはいえ軍勢を失った訳ではなく、北条の侵攻を押し止めることくらいは出来よう。不安があるのなら幕府として討伐令を下し、反北条の大名たちに結束を促せばよい」
「関東の者たちに任せてきた結果が今ぞ。もはやこちらから兵を送るしか手はあるまい」
「それが出来ぬから困っておるのだろう。そもそも織田に頼るのは論外だ」
織田勢派遣の賛成派と反対派で議論が過熱する。それでも幕府として採れる方策は、織田勢を関東へ送る以外に具体案は見出せていないのが現状だ。
(上様は如何に御考えなのであろうか)
主の様子を藤英が窺うと、義輝は議論には耳を傾けず、それを聞いている北条氏規をジッと見つめていた。
「…………」
その氏規はというと、自分が義輝から見られているということに気が付かず、下を向いたまま何かをずっと考えているようだった。
「お……御待ち下さいッ!」
そして氏規が震える様にして、大きな声を上げた。それは何故か助けを呼ぶ声にも似ていた。
「ここは某に御任せしては頂けないでしょうか」
氏規は上座へ向き直り、力強く頭を床に叩きつけて懇願する。拳は固く握られ全身に力が入っていることが判る。幕府と実家の対立に悩んできた男が任せて欲しいと言っている。
「何か手はあるのか」
北条を一番知る氏規に、義輝は答えを求めた。
「……父・相模守を上洛させます!上様の前で父に叛意のないことを示させ、忠義を誓わせます!」
「相模守を上らせられるか」
「必ずや!何としても成し遂げて見せまする!故に、故にどうか!某が小田原へ赴くことを御許し下さいッ!!」
必至の懇願は、評定衆の面々を黙らせるのに充分だった。
苦しんだ末に氏規が導き出した答えは、父である北条氏康の上洛。それ以外に義輝へ北条の忠義を信じてもらう方法は思いつかなかった。
(何をやっているのだ!父上も兄上もッ!!)
氏規は積もりに積もった不満を心の中でぶちまけた。
最近は小田原から自分のところへは何の連絡もない。一方的に弟の三郎を送ってきたかと思えば関東で戦って謙信を敗北させた。まるで自分のことなどまったく眼にも入っていないように思える。自分が何のために幕府で奉公に勤めているのか何も理解していない。
(父上と兄上は幕府の力を何ら理解していない。もはや北条が逆立ちしても勝てる相手ではないのだぞ)
どうやら関八州制覇の夢に捉われているようだが、父や兄のやっていることは手段として正しいとは氏規には思えない。幕府に忠義を尽くし、正統なる功績を以って関東の統治を任されるに至った方が謙信に世継ぎがいないことを考慮しても余ほど現実的と思う。検知奉行として幕府の底力を正確に知る氏規だからこそ、その差がどうやっても覆らないと判っていた。
「うむ。それしかないと余も思うていたところよ」
氏規の進言に満足げに義輝は頷いた。
織田勢の派遣は義輝としても本意ではない。ただ自らが征くには九州を優先していることを考えれば二、三年は先になってしまう。それまで北条を如何にして黙らせるか。一番、義輝が欲していた回答を氏規は出してきた。
「首尾よく戻ってきた暁には河内代官の職を任せようと考えておる。まだまだ左馬助の力は幕府に必要、余の期待を裏切るでないぞ」
義輝は信頼の証として更なる加増を約束した。藤長の大和代官就任で空いた河内代官の職を氏規に任せようと言うのだ。河内半国を領する氏規にとって、それは一国守護への打診と何ら変わらなかった。
だが、不幸にも氏康の上洛が叶わぬことだと知っている者は、この場に誰もいなかった。
【続く】
お約束通り義輝視点の投稿です。
さて初っ端で大坂城云々の話でありましたが、フラグなのかどうなのか。発言者が官兵衛なので、構想上は史実の大坂城と何ら変わりません。(大坂城の縄張りを考えたのは官兵衛なので)新城移転は間違いないのですが、どうなるかはもう少し先の話です。
また関東への手入れにも話を触れました。氏規は史実でも当主の上洛に力を尽くしており、もし氏政の上洛が叶えば歴史が変わっていたかもしれません。しかし、氏康がどのような状態かは歴史に詳しい方々は既に知るところ。結論はもう見えています。
次回は北陸平定の話ですが、八月なので元就の死も義輝に届く頃です。それが九州を軽視している義輝を如何に動かすのか、北陸がどうなるのか、北陸で義輝がやろうとしていることは何なのか。その辺りまで描ければと思っています。(今回のように文字数が長くなれば分割します)