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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第六章 ~鎮撫の大遠征・序~
141/201

第五幕 長島燃ゆ ~織田信長という男~

元亀二年(一五七一)三月。

美濃国・岐阜城


戦国乱世が武田信玄の死によって大きな節目を迎え、終息に向かって動き出そうとしている時、天下人たる将軍・足利義輝に尤も近い実力を持つ織田家当主・信長の周囲にも変化があった。


昨年の六月に松永久秀が山崎の合戦で敗れて以降、織田家は幕府の国替えに際して越前と若狭を手放すことで浅井領だった江北を得た。石高にすれば半分以下となる取引だったが、有数の鉄砲産地だった国友村を手に入れ、琵琶湖の大半を掌中に収めたことは大きな成果だ。


また年が暮れる頃には余呉に羽柴秀吉、丹羽長秀の両名を幕府の援軍として送り込み、一定の戦果を上げて武田信玄を討ち破っている。先月の半ばには飛騨へ送り込んでいた佐久間信盛も信玄方の残党・馬場信春を討ち取って一国を平らげた。飛騨は石高こそ高くはないが北陸への道筋が開け、信玄が治めていた越中、能登、加賀の三カ国は積雪の影響もあって未だ幕府の支配圏に組み込まれておらず、主なき国を制することは大兵を抱える織田家にとって難しいことではない。


「幕府が北国街道を進めば、当然ながら織田家は越中街道を進む。さすれば加賀と能登は幕府領となるかもしれぬが、越中は織田が支配することになるだろう」


その証拠に、このような噂が都では(まこと)しやかに囁かれていた。


越中を制すれば織田領は日ノ本を東西に分断することになる。それは東国に影響力が弱い幕府にとって好ましいとは言えず、信長の機嫌を窺うようになってしまえばどちらが主でどちらが家臣なのかすら判らなくなる。しかも織田家は西に伸ばせなくなった勢力を東に伸ばすべく武田領である信濃へ柴田勝家を送り込んでおり、今でこそ積雪で停戦に至っているが、まもなく雪解けとなれば再び合戦になることは明らかだ。これも幕府として東国に所領を持たない以上は止める手立てはない。


「武田家は幕府に降伏した。信濃守護職を返上させ、信濃の者どもも幕府に逆らわぬと起請文を提出しておる。即座に停戦し、兵を退け」


一月に一条信龍を派遣して義輝に服従を申し出た武田義信は、幕府から赦免されて信濃守護職を失う代わりに甲斐守護としての立場を維持した。これは義輝の将軍としての決定であるから、信濃へ兵を入れている信長へも撤退命令が伝えられることになった。


しかし、信長は命令が出されても撤兵に応じる気配を見せない。


「上様の命に従おうにも今は雪で兵が動かせぬ」


そのような言い訳を楯に信濃の領有化を進め、織田側に引き込める信濃の豪族を取り込んでいった。大国・織田が相手であるからなまじ本気にする者も多く、織田家を頼って幕府陣営に鞍替えした木曽義昌もいつの間にか織田の膝下に組み込まれつつある。織田家の侵食に歯止めを掛けたい義輝は、土岐光秀を派遣して揺さぶりをかけることにした。


「織田様に申し上げる。此度、幕府は本願寺と和睦することに相成りました。今は条件を詰めておるところなれば、織田様にも長島との和議をお願いしたい」


義輝は光秀を通し、幕府が本願寺と和睦交渉に入ったことを伝えた。


織田家には信濃の武田以外にも伊勢長島という所領の内側に大きな敵を抱えている。幕府として本願寺と和睦してしまえば、信長が長島へ手を出せなくなってしまうのだ。義輝は以前、岐阜に立ち寄った際に“信濃へ兵を向けず、長島を攻めよ”と通達している。これを信長は無視している形だが、武田義信を関東に向かわせたい義輝は何としても信長に信濃攻めを止めさせる必要があった。


「本願寺と和睦?そのような噂は耳にしていたが、まさか本気だったとは驚いた」


話を聞いた信長は、半ば呆れた顔で返した。


「帝の思し召しにございます。この件は関白殿下が自ら動かれており、上様としても無碍に扱うことは出来ませぬ。この件には本願寺側も乗り気なれば、近々和睦が結ばれるかと存じます」


これに対して光秀は和睦はあくまでも朝廷の意向だと伝え、こちら側から願ったことではないとした。


「丁重にお断りすることも出来たはず。上様にしては珍しく手緩い」


しかし、そんなことは信長にすればどちらでも良かったのだろう。大事なのは和睦そのものであり、朝廷が申し出たことでも幕府が願ったことでも関係はない。どう言い繕ろうが信長の表情が変わることはなかった。


「民草を惑わし、己が栄達のみを企てる一向一揆の罪は重い。これを許しては幕府の面目は保てまい。天下に道理を定めるのも夢幻ということか」


痛烈な批判が信長の口から発せられる。それに言葉の端々で幕府の方針に対して否定的な考えが窺える。ここまで堂々と幕政に文句を言えるのは、今となっては日ノ本広しと言えども織田信長だけと思う。


「そのような事はございませぬ。幕府としては本願寺を赦免することを条件に様々なことを要求しております」


これに対し、光秀が反論する。


義輝は考えがあって本願寺との和睦を進めている。それに光秀も同意しているからこそ、仕えているのだ。それもまた天下に道理を定めんが為のものであって、信長に否定されることではない。そもそも光秀からすれば、信長がもっと幕府に協力的ならこんなことに悩まずに済むのだ、という感情がない訳ではないのだ。


「どうやら誤解があるようですので、手前がご説明を申し上げましょう」


そうは言ってもここで言い争うことに益はない。光秀がは本願寺との和睦条件に付き、一つずつ解説を交えて信長に伝えていった。こちらの誠意を示したつもりだが、話が進んでも信長の表情は一向に変化が見られない。むしろ静かな怒りさえ感じるほど、信長の視線は冷たかった。


「では織田様は、どのようにすれば宜しいとお考えで?」


信長が納得していないのは表情から判る。故に光秀は信長の考えを直接に問い質すことにした。これはいいきっかけになる。これまで信長という男は自分の考えを余り語って来なかった。言動も独特で何を考えているのか理解しがたいところがある。それでも何処か筋が一本通っており、言葉一つ一つに重みを感じる。織田信長という男が魅力に溢れた武将であることは間違いなく、もし出会い方が違っていたなら“仕えてみるのもよいかもしれぬ”と一方で光秀は思っているほど信長の個性は光っている。


だからだろう。光秀は信長の志向に強い興味を抱いた。


「石山を明け渡させるというのは、よい。彼の地は天下の中枢に成り得る。それが判らぬ坊主どもに預けておくには勿体ない土地だ」


ようやく口を開いた信長の言葉を聞いて、光秀は理解に苦しんだ。


(石山が天下の中枢?織田様は何を言っているのだ)


天下とは“天”すなわち“治天の君”たる帝のことを指し、その“下”であることから京洛ひいては上方のことを意味する。これを義輝が“天下一統”という言葉を用い、天下を日ノ本全体を指す言葉として拡大解釈させているが、中枢は考えるまでもなく京もしくは義輝のいるところを指す。それなのに、信長は石山を天下の中枢と言った。


光秀が浮かんできた疑問を言葉にしようとした瞬間、信長が先んじて続きを語り始めた。


「ただ本願寺は危険だ。如何に石山を明け渡そうとも、あの思い上がりは将来に亘って禍根を残す。和睦などと悠長なことを言わず、徹底的に叩くべきだ。叩いて叩いた後での和睦ならば、儂も異存はない」


話を聞く限り、最終的な和睦を信長も肯定しているようだった。


宗教勢力は武家とは違い、滅ぼすことの出来ない厄介なものだ。それでいて民を惑わす根源と成り得る。故に信長は和睦自体に否定はしないのだろう。だが今のままでは不充分と語る。


「せっかく戦が収まろうとしている時、無闇に戦火を広げるべきではないと思いますが?」


応仁の乱より勃発した将軍家の家督争いによって乱世は全国に広まった。それ以前の鎌倉時代末期より日ノ本が二分、三分されての動乱は続いており、ようやく時代は泰平の兆しを見えてきた。義輝が、その兆しを作ったのだ。だからこそ流れを止めるべきではないと光秀は思う。


「百年以上も続いている乱世だ。今さら少しくらい広がったところで、どうということはあるまい」


だが信長は、光秀の言葉を否定する。しかし、その言葉はかつて岐阜で義輝に語ったものと真逆となる。


「民は長き戦乱の世に疲れ果て、平和な世を求めておることは上様が一番ご存知のはず。なればこそ、一日も早い乱世の終焉をもたらすことこそ征夷大将軍の務めではありませぬか」


この言葉を聞き、義輝は“信長は天下一統を急いでいる”と考えた。それならば無茶な要求や度重なる命令違反、それでいて幕府に対する逆心がないことも頷ける。統治機関である幕府を否定してしまえば、それだけで泰平は遠退く。信長は泰平の世そのものを否定はしていないのだ。ならば、何のために泰平を求めているのか。何故に急いでいるのか。


「だからこそです。民草は泰平を求めております。百年も乱世が続いているからこそ、一刻でも早く終わらせねばなりませぬ」


光秀はこちらから言葉を投げ掛けることで、それを少しでも引き出そうとした。


「幕府による統治が正常になりつつある今、上様が健在な内に世を定めておく必要がございます。もし永禄の変で上様が命を落とされていたならば、今の世がどうなっていたか某には判りませぬ。これは云わば最後の機会、上様の下で天下を一統し、泰平の世を築く。それが我らの役目ではございませぬか」


義輝は今年で三十六となる。まだ若いが天下一統を成し遂げ、政事を定める期間を考慮すれば時間が残されているとは言えない。跡を継ぐ千寿王も乳飲み子で、幼君を戴く政権がどのような末路となるか歴史が証明している。今は足元を固めるが優先、故に本願寺などに構っていられないのだ。和睦して済むなら和睦するべきだというのが光秀の考えだった。


「泰平の世か……。して、うぬは如何にして泰平を築くつもりか。まさか考えておらぬとは言うまいな」


信長の容赦ない問いが光秀に向けられた。試されているのだと、光秀は思った。


光秀は心の底から義輝を慕っている。ただ妄信しているだけでは無価値である。臣下に足るべき人間が手足となりつつも天下について形を見据えねば、義輝が如何なる理想を描いていても絵に書いた餅に変わる。無論、光秀はそのような存在になるつもりは毛頭ない。


「暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする。この七徳の武を布くことこそ、織田様の掲げる天下布武にも通ずる道かと存じます」


故に光秀は主の夢である泰平の世を実現する手段を信長が考えているであろう手段で口にした。


幕府という統治機関が力を有すれば、刃向う勢力は減り、やがて合戦はなくなる。その上で公正明大な法度を定めて功に報い、政権を盤石化すれば民も安らかになり自然と己が職務に励むようになる。さすれば国は豊かとなり泰平の世は実現する。要は過程の積み重ねである。誰もが当然と思うようなことを当たり前のように実行する。それには実行させられるだけの力を幕府が有し、その頂点に征夷大将軍が君臨すればいい。


「我が理をうぬが説くか。面白い」


そう言って信長の表情が僅かに変わる。口調も少し穏やかに思える。


「某も春秋左氏伝は読んでおります。この岐阜という名も周の文王が岐山で立ち上がり、八百年にも及ぶ泰平の基礎を築いたことに由来するものかと推察いたしますが、如何でしょうか」


孔子の歴史書“春秋”の注釈書である左氏伝には、これらに由来することが書かれている。写本はいくつも出回っており、興味があれば手に入れることが出来る。光秀は様々な文献を読み漁っており、岐阜という名が左氏伝から引用したものだと推察していた。


「……ふっふっふっふっふ」


光秀の言葉を聞いた信長が突然、笑い始めた。その様子を戸惑いながら光秀が見ていると、信長は小姓を手招きして呼び寄せて何かしらを口にした。そして小姓が部屋の外へ出て行くと再び信長が話し始める。


「日州は南蛮人とは会ったことあるか?」

「何度かは。それが何か」


突然に話題が変わった。内容を把握しきれぬまま光秀は返答する。


「宇内球というものを南蛮人が持ってきたことがある。上様にも見せたらしいが、そなたは見たか」

「お話は窺いましたが、手前は見てはおりませぬ」

「一度、見ておくといい。それと南蛮人と頻繁に会っておくことだ。されど決して心は許すな」

「それは、どういう意味にございますか?」

「いずれ判る。いや、気付くというべきかな」


信長は悪戯っ子のような笑みを浮かべると、それ以上は光秀が聞いても答えてはくれなかった。そして先ほどの小姓が数人を引き連れて戻って来ると、その両手に山のような金子を抱えていた。光秀は何が始まるのかと思ったが、それを自分の前に並べ始めたから驚いた。


「使え」


そう信長が端的に言う。


「手前を篭絡するおつもりか」

「阿呆!たかが金子如きで籠絡されるような貴様ではあるまい」


カチンと頭にきて、光秀が言い返すも信長は即座にはねつけた。


「それは日州の立身出世の為に使え。兵を雇うもよし、鉄砲を買うもよし、兵糧を蓄えるもよい。好きなように使え。されど幕府に献上するような真似だけはするな。その金は、儂がそなたに授けたものだということを忘れるでない」


この最後の台詞に光秀は、信長が自分を義輝から切り離そうとしていると思った。


「頂けませぬ。手前は使者として訪れた身、しかも織田様からこれほどの金子を頂く理由が見当たりませぬ」

「そなたになくとも儂にはある。それに上様がためでもあるのだぞ」

「上様のため?」


威勢よく言い放った光秀であったが、信長の一言でますます混乱が深まっていく。


そもそも信長の考えは常人には理解し難いものだ。義輝も信長の真意を量りかねているところがあるため、光秀を派遣している。その光秀すら、信長の考えは要領を得ない。


(上様という存在がありながらも堂々と天下布武を掲げ、石山を天下の中枢と言う。さらには南蛮人と会え、心は許すな。その上に金子を私の立身出世に使え?それが上様のためだとはどういうことだ。まったく判らん!)


信長にとって、これらの物事は一つに通じているのだろうが、それを今の光秀には理解できなかった。


「それは……」


仕方なくその意味を問おうとした時、信長は光秀の言葉を遮ってきた。


「いずれ気付くと言った筈だ。それまでに己の地位を高めておくことだ。気が付いた時、手遅れになって後悔せぬようにな」


信長の意味深な言葉の連続に光秀の思考は限界を通り越した。いったい信長という男は何を知り、何を見て、何を求めているのだろうか。手遅れとは、いったい何のことなのだろうか。まったく理解できない。


「頂けませぬ」


それでも光秀は主を裏切れない気持ちが強く、拒否の返答をする。


「そなたが金子を受け取れば、信濃から兵を退いてやってもよい」


すると信長は交換条件を提示してきた。こうなると光秀の思考は混乱どころか停止する。


(この金子と信濃に何の関係がある?皆目見当がつかぬ)


信長の事であるから必ず因果関係がある。しかし、どう頭を捻っても光秀には答えを導き出すことは出来なかった。


(ええい!判らぬものは考えても判らぬわ!ともかく、ここで金子を受け取れば役目は果たせる。されど、どう言い訳すればよい?織田様の申す通りなら金子は我が懐に入れねばならず、上様にご報告申し上げるにせよ誤解が生じぬとも限らぬ)


今後の立ち振る舞いを考えれば、余計なしがらみは断ち切っておきたい。ただでさえ光秀は信長の正室・帰蝶と縁戚にある。ここで受け取れば幕府内で何を言われるか判ったものではない。最悪の場合、叛意を疑われても不思議ではないことなのだ。


「畏まりました。織田様の申し出を御受け致しましょう」


悩んだ挙句、光秀は受けることにした。


幕府で自分が後ろ指を指されることと織田家の版図拡大に歯止めが掛けられることの二つを天秤にかけた時、光秀は後者を選んだ。泰平の世の実現を目の前に織田家の勢力がいま以上に強くなるのは避けなくてはならない。光秀一人の悪評で済むのなら、安いと思った。


「それでよい。ならば信濃が事については追ってこちらから幕府へ使者を遣わす。ただ長島のことは当家の問題にて、幕府の指図に従うつもりはない。故に本願寺と和睦をしたければ、長島のことは条件に含まぬことだ」


思い通りに事が進んだ信長は満足そうに頷くと、これ以上の話は無駄だと言わんばかりに一方的に席を立って去ってしまった。取り残された光秀は仕方なく京への道を戻って行くが、道中は真剣な眼差しのまま口を噤み一言も声を発しなかったという。


「於濃、あのキンカン頭なかなか面白い男よ」


光秀が帰った後、帰蝶の下へ信長は足を運んだ。


「ふふふ、その様子ですと何やらよいことがあったみたいですね」


帰蝶は部屋に入ってきた信長のぶっきらぼうな表情を見て、夫の機嫌が良い事に気が付き、クスクスと笑い声を上げた。付き合いの長い帰蝶は、織田信長という男の喜怒哀楽が正確に判る唯一の人間なのである。


「家来どもすら儂の真意を理解せぬまま手足となって動いておるに過ぎんのに、外に居ながらもキンカン頭は我が一端に触れてきおった。流石は儂が見込んだ通りの男じゃ。あやつが義輝公の家来でなければ、一番家老の地位を用意してやってもよいのだが、仕方あるまい」

「まあ、それほどまで御屋形様が人を買われるのは珍しゅうございますね」


帰蝶の知る限り、ここまで信長が人を買ったことはない。功績を称えて褒めることはあっても、それは当主として必要だからやっていることであり、他家の人間を褒めることは稀である。


「あれが義輝公の傍におれば幕府の舵取りを間違うことはあるまいが、謙虚すぎるところが好かぬ。幕臣は阿呆どもばかり故、あれがしっかりせねば天下は大きく乱れるぞ」


機嫌がよい所為か、信長は帰蝶が尋ねずとも自分から喋り続けた。


「十兵衛殿に山のような金子を与えたのは、そのためにございますか?」


帰蝶も会談の一部内容を伝え聞いており、その中身について尋ねてみた。


「人の能力は目に見えぬ。いくら優れていても、目に見えぬ物を正しく評価するのは難しい。されど武功は別じゃ。然るべき功を立てれば義輝公のこと、必ずや日州を引き立てるに相違ない。今の幕府は苦しい。その中であれほどの銭があれば、キンカン頭が功績を上げるのも難しくはなかろう。近い将来、評定衆に抜擢され、その筆頭にでもなれば日州が天下を握るのも夢ではあるまい」


そう言って信長は一人笑った。その視線は、何処か虚空を向いている。


義輝という絶対の存在がいながら信長は“光秀が天下を握るのも夢ではない”という。それはどういう意味なのか帰蝶には判らない。判らないが、光秀が天下を握ること自体に夫は反対していないように思えた。


(もしかしたら御屋形様は、幕府の中で十兵衛殿が一番才覚が優れているのだと考えておられるのではないか。公方様すら凌ぐ才を十兵衛殿が持たれていると……)


自分の知っている信長という人間は他人を見下すところがある。しかし、それは理由があってのこと。一芸にでも優れた点があるのであれば、夫は決して人を小馬鹿にするようなことはない。単に努力しない者を嫌っているのだ。そして光秀のように多種多様な才能を有する者については、殊の外に可愛がっている。織田家であれば、羽柴秀吉がよい例だ。そういう者には自らの高みへ引き上げんとして過酷な試練を与える傾向にある。金子を与えたのは、恐らく夫が何かしらの試練を光秀に与えたと見ていいだろう。


(十兵衛殿が御屋形様を孤独から救ってくれればよいのですが……)


夫は一人で天下と向き合っている。共に語り合う同士はおらず、何が原因か判らないが日ノ本の行く末を憂いている。夫は帰蝶がここで聞いたことを余人に喋らないと知っている為、帰蝶が妻として出来ることは心を許して聞き役に徹することだけだ。


「於濃が男であったら、尚もよかったものを」


そう夫が常々口にしていることを帰蝶は知っている。子を産めず、女としての役割を果たせぬ身を呪ったこともあるが、自分という存在がいることで夫の負担が和らいでいるの判る。だから、それでいいと帰蝶は思っていた。


「さて、信濃の権六に遣いを送らねばな。予定通りとは行かなかったが、まあよかろう。小笠原や村上など幕府や謙信が抱えている連中の復帰さえなければ、まだ武田の者が治めた方がマシよ。それよりも長島を叩き潰さねばな。余り時間はない」

「信濃から手を引かれるのですか?」

「権六が獲った土地は奴に治めさせる。幕府に返上しようものならば、碌に働きもせぬ輩に与えられぬとも限らぬ。それくらいなら権六らに任せた方が、民百姓の為になろうて」


光秀との会談を終えて、織田家の方針に変化があった。


信長は幕府に使者を送ると武田とは以後の敵対行動を取らないことを約束した。これまでのように攻め獲った土地を返すこともせず、武田が明け渡す土地も接収も織田家が務めるとした。義輝には信長の勝手を止める手立てはないが、幕府は派兵せずとも領地を得られるのだから文句は言えなかったもする。義輝は義信を通じて起請文を出してきた者たちの所領を安堵し、織田家の信濃一国支配は認めなかった。


幕府と織田家の取り決めにより信濃の分国支配は以下の通りとなった。


織田領となったのは信濃十郡で伊那、筑摩、更科、埴科、水内、高井の六郡だ。この内で更科、水内、高井、埴科の北信濃四郡が柴田勝家に与えられ、勝家は海津城主となった。また伊那郡は金森長近に与えられて飯田城主、筑摩郡は松本平のある中心部を佐々成政、前田利家、不破光治の三人が共同統治し、信長の目付として勝家の信濃統治を見張る。残る半郡は木曽義昌に安堵された。


また幕府統治下に入ったのは四郡で、佐久郡と小県郡は海野と真田の両家で分割統治し、諏訪郡が諏訪勝頼、安曇郡が仁科盛信に安堵、幕府郡代として正式に幕臣に列する形となった。


「長島を攻める」


そして二度目の長島合戦が幕を開ける。


信長は信濃の新領主たちのみ軍役を免除し、残る全武将に長島への集結を命じた。


美濃国岐阜では織田の本隊が長島を目指し、美濃三人衆や河尻秀隆など東濃衆も出陣、尾張では佐久間信盛や水野信元、近江からは羽柴秀吉、丹羽長秀、飛騨からは姉小路も駆り出され、伊勢では滝川一益が主の到着を待つ。志摩を支配する九鬼嘉隆が一益の要請に応え、水軍を率いて海上を進んだ。


周辺六カ国から集められた軍兵の数は八万を超えた。


ほぼ織田家単独にも関わらず、また織田領内の中央部での合戦ということを差し引いても他の大名家では真似できない陣容である。財政難を克服できていない今の幕府すら八万の大軍は揃えられないだろう。信長の長島攻めは、織田家の力を天下に広く喧伝することになった。


また信長は八万を動員したこの合戦で、嫡男である奇妙丸を初陣させた。


「……圧巻だな。これでは儂のすることはあるまい」


父親の凄さを一番近いところで見せつけられた奇妙丸は、初めて感じる戦場の空気よりも味方の熱気に圧倒されていた。


伊勢長島の東にある市江口から侵攻した奇妙丸には織田秀成、長野信良ら連枝衆、河尻秀隆、森長可、斉藤利治、池田恒興、梁田広正ら譜代家臣を中心とした面子が揃えられている。総軍にして二万五〇〇〇と初陣にして預けられた軍勢にしては大軍である。


「気を引き締めて懸かられませ。大兵を揃えた側が油断して敗北する例は、古今いくつでもありまする」


先ほどの態度を見て、奇妙丸の補佐を命じられた秀隆が近くに歩み寄って戒める。


「桶狭間か」

「当家では、そうです。近年では西の毛利が武田相手に大勝した有田合戦、東でも北条が上杉に勝利した川越夜戦などございます。一向一揆が相手であれ、前回は御屋形様の本陣も襲われております」

「なれば此度、父上はどうされるおつもりか」

「御屋形様は時に大胆なれど、常は慎重な御方です。恐らくは包囲に包囲を重ね、一つずつ敵の砦を落として行かれましょう」


秀隆は先代の信秀の頃から仕え、黒母衣衆の筆頭として長く信長を見てきた。その性格は知り尽くしており、ここで主がどのような判断をするかを知っている。その自分が何故に若君の補佐を命じられたのか。それは推察するに、織田家の、織田信長の合戦というものを世継ぎたる奇妙丸に教え込めという理由からだろう。


(この子が、御屋形様のように聡明に育ってくれればよいが……)


秀隆は黙り込んで戦場を眺める奇妙丸を見た。


奇妙丸は、信長とは似つかぬほど物腰静かだ。昔は子供ならではのやんちゃさはあったものの年を重ねるごとに失われつつある。大人になったと言えば聞こえはいいが、若き日に傾いて傾いて“尾張の大うつけ”と称された信長を見てきた秀隆にとっては、何処か物足りず不安に駆られてしまう。もっとも信長の頃に抱いた不安に比べれば遥に小さいのだが、それはまた別の話だ。


「ならば我らの務めは、敵を引き付けることだな」


不意に発した奇妙丸の言葉に、秀隆は目を見開いた。


「儂は初陣だ。初陣の儂が砦を次々に落として行くことを父上は望んでおるまい。それでいて大軍を与えられたのは、敵の注意をこちらへ向ける為なのだろう」

「これは……、驚きましたな」


率直な感想を秀隆は述べた。


信長は恐ろしいほど慎重で冷静だ。苛烈に振る舞うこともあるが、決して冷静さを失うことはない。奇妙丸の言葉は、その父親の冷静さをしっかりと引き継いでいる証だった。


「はい。我らは敵の注意を引き付けるべく前にこそ出ますが、砦には攻めかかりませぬ。我らが敵の目を引き付けている隙に、御屋形様の部隊が一向一揆と戦う手筈となっております」


主より言いつけられている主命を秀隆は次代の後継者に伝える。


本来、主命は奇妙丸に伝えないことになっていた。秀隆のみに明かされていたのは“奇妙丸が初陣だと逸って無暗に攻めようとしたら制止せよ”と言われていたからだ。その心配は秀隆にもあったが、どうやら気の回し過ぎだったようである。


織田の次代は、既に花が咲き始めていた。


「懸かれ」


市江口から進んだ奇妙丸の部隊が一揆勢の砦を取り囲んだのを見計らって、信長は攻撃命令を下した。


佐久間信盛を大将とする軍勢は西側の賀鳥口を進み、松ノ木砦の対岸を守備していた部隊を蹴散らした。同時に北の早尾口を進む信長も小木江村を奪還、一方で篠橋砦を羽柴秀吉に攻めさせる。


「流石に守りが堅いのう。こりゃ少しは様子を見た方がよさそうだ」


篠橋砦に攻めかかった秀吉が、相手方の執拗な抵抗を見て一時的に兵を退いた。


一向一揆については野戦に於いては数を頼みとした戦法しか採れず、装備も貧弱だから戦えば脆い。ただ城に籠って戦うとなると強力な抵抗をしてくる。信仰心の篤さがそうさせているのだろうが、こちらが付きやってやるほど秀吉も人が良くはない。


まず秀吉は周囲の敵勢を蹴散らして篠橋砦の対岸に位置する五明に陣地を築き野営、兵糧攻めに切り替えた。翌日には九鬼水軍が到着し、水野信元の尾張水軍と協力して海から一向一揆の砦を攻め立てた。ここで活躍したのが、織田軍が開発した大筒と呼ばれる一〇〇匁砲である。二〇〇匁砲も数を増やし、この合戦に信長は二〇〇匁砲を十二門ほど持ち込んでいる。


「これは凄い。あっという間に城壁が壊れていくぞ」


船上から合戦の様子を窺っていた嘉隆が喝采を上げて喜んだ。


海の上からの砲撃であるから、敵はこちら側に何も出来ず味方が一方的に攻撃しているだけだった。時折、敵が鉄砲や弓矢を放ってくることはあるも、届きはしない。大筒の射程距離は鉄砲よりも長く、離れた場所からでも攻撃できた。もちろん波立つ海の上では標準が定まらず、無駄玉は多くなる。だがいつ砲弾が飛び込んでくるか判らぬ恐怖は、確実に一揆勢の中で広がっていた。


「夜通し砲撃を続けよ」


大筒による砲撃が効果覿面と感じた信長は、昼間は兵糧攻めに徹しつつ暗闇に包まれる夜に砲撃をするように命令を下す。


「ただでさえ海の上では狙いが定まり難うございます。その上で夜では目標が見えず、玉が無駄になってしまいます」

「ならば玉を使わねばよいではないか。音を出すだけでも奴らは恐怖で眠りにつくことも叶うまい」

「な……なるほど」


これに一益が異論を唱えるも信長の狙いは、敵の疲れを待つことだった。


一揆勢の恐ろしさは数の暴力にある。今も十万もの人数が長島の各砦に籠っている。織田軍を越える数を擁しながら一揆勢が守勢に回っているのは、装備の差もあるが女子供も含まれているからである。圧倒的な数の力は時として脅威だが、一たび封じ込めてしまえば兵糧はあっという間になくなってしまう。そうなれば敵は自壊するのみで、こちらは何の被害もない。失った鉄砲玉や焼き付いた大筒もまた作ればいい。ただそれだけだった。


「御屋形様。大鳥居、篠橋の者たちが降伏を申し出て参りました」

「認めん!追い払え」


半月ほどすると一揆勢の中には恐怖に勝てず遂に降伏に奔る者たちが現れ始めたが、信長は一切を受け入れなかった。断られた大鳥居砦の者たちは決死の脱出を試みて織田軍へ突撃するも、返り討ちにあって凡そ一〇〇〇名が討ち取られる。それを見た篠橋砦から“長島に移り内応する。故に助けて欲しい”と再度の降伏を申し出てきたので、信長は一転して了承する旨を伝えた。


篠橋砦から長島砦に一揆勢が移り、織田軍が明け渡された砦を検分すると兵糧が枯渇しているのが判った。篠橋砦の者たちは諦めたのではなく、単に兵糧がなくなったので別のところへ移っただけだったのだ。


「よい。これで長島の兵糧が尽きるのが早くなったわ」


信長は篠橋砦の裏切りを笑って許した。


それから一カ月である。上方では本願寺と幕府の間で和睦が結ばれ、公式に本願寺は赦免された。その報せは長島を攻める信長の許へも伝えられたが、織田軍は一向に退く様子を見せず、兵糧攻めは続けられた。


「どうやら顕如が幕府へ対し、我らを退かせるよう訴えているようにござる」

「捨て置け。幕府との約定に長島の事は含まれておらぬ」

「しかし、宜しいのでありますか?」


側近の堀久太郎秀政が幕府との関係を考慮し、問いかけるも信長は拒絶する。


以前、義輝が岐阜城を訪れた際は長島を攻めろと言ってきたことがある。その義輝は光秀を派遣して和睦を勧めてきたが、あれは信長を信濃から退かせる為のものに過ぎず、信長は本音ではないと思っている。現に織田軍が信濃から撤退を決めた今、顕如の訴えを幕府が取り上げる様子はなかった。義輝にしても本願寺を叩けるなら叩きたかったのだろう。それをしなかったのは、本願寺と織田を天秤にかけた時、織田の方が重要だったからだ。


しかし、今は信濃の件で決着がついた以上は本願寺に義輝の眼は向いている。北陸の仕置きをどうするかは未定だが、幕府の様子を窺う限りでは長島に於いては当初の予定通り織田家に攻めさせることに変更はないようだ。だが本願寺と和睦を決めた以上は信義を問われる可能性があり、義輝が引き延ばせる時間は限られている。少なくとも一、二ヶ月の間には決着を図らなければならないだろう。


故に信長は手加減をするつもりはないらしい。


「罪は罪、それを犯した者は罰せねばならぬ。上方の事は幕府の領分故に義輝公が取り決めるが、長島は儂の領分だ。奴らが自らの行いを悔い改めると申すなら話は別だが、そのような殊勝な心掛けは一向狂い共にはあるまい。奴らは自らを絶対とし、他者を許さぬ。そのような考えは間違っておる。故に叩き潰すのだ」


侮蔑の念が込められた瞳は恐ろしく、ごくりと秀政は唾を飲み込んだ。


主は潔癖なところを持ち合わせているが、根は人を愛している。城下の民百姓と言葉を交わすことも多く、時には田畑で自ら足を踏み入れることもある。そんな主が何故にこのような眼を民へ向けるのか。秀政は不思議だった。


「心配するな。奴らの教えが正しければ、死ねば仏に会えるのだ。ならば会わせてやろうぞ」


この信長の言葉は、数日後に形となって現れることになる。


篠橋砦の者たちが長島砦に移ってから凡そ一カ月が経過した頃、長島砦の兵糧も尽きかけ降伏を申し出てきた。予想以上の人間が押し寄せてきた事で想定よりも早く兵糧がなくなり、餓死者が出始めていたのだ。


「降伏は許さぬ。されど屋長島、中江の両砦へ移るというならば許そう」


ここでも信長は更なる兵糧圧迫の為、残った砦に一揆勢を送り込もうと画策した。


「有り難き仕合せ。それでは明朝、砦を退去して屋長島、中江へ向かいます」


そして翌日、事態は急変する。


長島砦から船で退去する一団の中に顕忍や下間頼旦など指導者側の人間が多数、含まれていたのだ。ボロボロの身なりの連中が多い中でまともな服装をしている者たちがいる。誰もが肩を寄せ合ってギリギリの人数で船に乗っているというのに、その連中の乗る船だけは、まだ何人か乗れそうな余裕がありそうに見えた。


「……あの船に鉄砲を撃ち込め」


信長の額に青筋が浮かび、苛烈な命令が下されたのは、その船が信長の視界に入った時だ。


「はっ、畏まりました」


こうなった主を止められないと知っている秀政は、約定違反と知りつつも反論せず命令を受け入れた。主は理由もなく行動する人間ではない。苛烈な命令であっても、自分が納得するだけの理由があるのだ。ただそれを余り語ろうとはしないだけ。


「どうしたんだ?」


ぞろぞろと自分たちを囲むようにして織田兵が配置されるのを見て、門徒たちの何人かが不安そうに声を上げた。空腹からか興味なさそうに項垂れているのも少なくないが、大半の者が織田兵の動きに注目した。


「撃て」


直後、鉄砲が自分たちに向けて放たれた。


銃撃で倒れる者、海に投げ出されて溺死する者が多数出た。最初に狙われた顕忍や下間頼旦などの坊官らは真っ先に死んだ。断末魔の叫びと悲鳴が長島中に響き、数千以上の人が海で溺れる光景はまさに地獄絵図そのものだ。


「お……おのれ信長ッ!」


ここで門徒勢は思わぬ行動に出る。


最初の攻撃で標的にされなかった者たちは、比較的に無事だった。その者たちが織田の裏切りに怒り狂い、最後の力を振り絞って抵抗してきたのだ。


「よくも……よくも裏切ったなッ!信長ーッ!!」


夥しい数の門徒兵が死兵と化し、近くにある織田の陣へ乗り込んできた。寄せ来る亡者どもに織田軍は激しい銃撃を加えるが、撃たれたところで怯む様子もない。


「死に損ないめッ!」


門徒兵の多くはまともな武装をしておらず、特に川を泳がなくてはならなかった為に甲冑を着ず裸姿の者が目立った。これがいけなかったのだろう。織田の将兵たちは門徒兵を侮って退かずに戦った結果、多くの犠牲を払うことになった。


「津田三郎五郎(信広)様、津田四郎三郎(信昌)様、御討死!」

「御注進!織田左衛門(信直)様が一揆勢の手に掛かり、討たれたようにございます!」

「平手監物(久秀)殿も討死の由!」


相次ぐ訃報は織田軍を戦慄させた。勝って当たり前と考えていた戦場が思いもかけない方向へ進み、泥沼と化している。


「一揆勢、こちらへ迫ってきます!」


それは今回の合戦で戦わないと思っていた奇妙丸のところまで及んでいた。


「本陣に近づけるな!我こそと思う者は前に出よ!」


奇妙丸の傍で戦況を窺っていた秀隆が大声で指揮を執る。経過から一揆勢の力を侮らず、士気の高い部隊をぶつけることにした。


「織田右衛門尉(信次)様が討死なされました!」

「津田信成様も討死!」

「小瀬三郎五郎(清長)殿、信成様の仇を討つべく一揆勢に斬り込まれましたが、遭えなく討死とのこと!」

「敵は水軍の一部にも襲い懸かっております!佐治八郎(信方)殿が乗る関船が沈められたとのこと!」

「津田半左衛門(秀成)様!敵の鉄砲に討たれ重篤の御様子!」


ところが、それでも織田軍はかつてない程の被害を出していた。苦しい戦いであった桶狭間の合戦も多くの将兵が今川軍に討たれたが、ここまで身内が犠牲になったことはなかった。


「若!ここは御退き下され!お前たち、若を連れて退避せよ!」


蒼白となった秀隆が主君の嫡子を逃がすべく馬廻を集める。敵はすぐ傍まで迫っており、一刻の猶予も残されていない。


「阿呆!無様に逃げ出して途中で果てることにでもなれば無念極まりない。儂の初陣を汚す気か!」


しかし、奇妙丸は秀隆の申し出を拒否したのである。若年ゆえ戦況を把握できなかったのか、はたまた温室育ちの常識知らずだったのか判らない。ただ瞳は正面を見据え、顔は強張り唇は青白くなっている。


(……若は怖いのだ。初陣だ、さも有りなん。それでも御屋形様の子として生まれた誇りが逃げることを許さぬのだろう)


“ならば”と秀隆はいま一度思い直し、両の手で己の頬を二度、三度と叩いた。


「若を討たせるなッ!続けーッ!!」


秀隆が太刀を天空に掲げ、馬廻を率いて逆襲の反撃を試みる。勢いに乗って攻め込んでいた門徒勢は攻撃力こそ凄まじかったが守勢に回ると脆かった。奇跡的に一部の者たちが包囲の網を抜けて脱出に成功したものの多くの者はあっという間に鎮圧された。


織田軍は総勢で一〇〇〇を超える死者を出した。最後の最後まで殆ど快勝だったことを考えれば、大きな損害だと言えた。


「焼け」


双眸に怒りの炎を宿した信長は、まるで己の感情を描写するかの如く、屋長島と中江の砦を柵で囲み外へ出れなくした上で火攻めにした。阿鼻叫喚とはまさにこのことで、火の手が上がる二つの砦からは、救いを求めて“南無阿弥陀仏”と念仏を唱える一向門徒たちの声で溢れた。


その声が聞こえなくなった頃、ようやく戦いは終わる。


長島合戦にて犠牲となった一向門徒たちは、数万人にも及ぶと云われた。




【続く】

凡そ半月、少しは短縮できました。


今回は織田信長が主人公です。ただほぼ全てに於いて信長側の視点ではなく信長と関わった者からの視点となります。何故にこのような描写になっているかは物語上のことだと割り切って頂きたいと存じます。


さて今回、信長の考えについて少し掘り下げたのですが、先にも申し上げた通り信長の内面は描写していないので、何処までが信長の考えなのか想像の域は出ていません。それでも今までよりは明るみになったかと思います。恐らく皆がよく知る織田信長とは根本は同じでも少し違和感があるのではないでしょうか?それも理由があってのことであります。


また織田の次代・信忠も初登場しました。信長の息子の中では唯一、優秀な人材として認められております。初っ端から才能の片鱗を見せておりますが、これも理由があってのことだったり。信忠については東国編でも少し出番がありますので、ご期待いただければと存じます。


次回、ようやく義輝へ視点が戻ります。

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