第四幕 関宿野戦 -軍神の猛攻と地黄八幡の意地-
元亀二年(一五七一)四月六日。
下総国・関宿
東から空から朝日が降り注ぎ、朝靄が晴れていく。暗闇と静寂に包まれていた関宿周辺が不気味なほどの熱気に溢れ始めた。まもなく合戦が始まるだろうと誰もが予感し、全身に力を漲らせ、至るところで檄を飛ばす武将たちの声が聞こえてくる。
「武田方から通告!即座に先の要望を了承しない場合は合戦にて決着をつける他はなし、とのこと!」
それも武田が北条に対して最後通告を行なったからだ。
先の要望とは、氏政が義信を仲介して幕府へ恭順することである。謙信も義信も北条家が小田原を通じて幕府へ恭順していることは知っていたが、北条氏康の真意には気付かずに関八州統一を隠すための工作手段と考えていた。
(しめた!)
明らかに敵の態度が変わったことに氏政は歓喜した。
「北条の歩む道は、当主である儂が選ぶもの。武田殿の世話になるつもりはない」
早く合戦を始めたい氏政は、重臣に諮ることなく武田に対して拒否の返答を送った。これにより全軍に開戦となることが伝えられ、一月にも及ぶ対陣がようやくの終わりを迎えることになった。
(なんということだ……!まさか敵方から仕掛けてくるとは!!)
開戦を避けるべく奔走していた松田憲秀が武田から最後通告があったと知ったのは、氏政の返答が行なわれた直後だった。
「急ぎ上総介殿に伝えねばならぬ」
憲秀は焦りを募らせるも、だからといって落胆している訳にも行かず、すぐに北条綱成の陣へ事の次第を知らせるべく伝令を放つ。
「格なる上は歯を食いしばり戦う他はあるまい。尾張守殿も覚悟されるように、と伝えてくれ」
「……はっ!」
報告を受けた綱成は、憲秀に当初の思惑は捨てるよう伝えた。
根っからの武人である綱成は、想定の一つとして敵方からの開戦というものを当然ながら考慮していた。戦支度も完壁に整っており、いつ合戦が始まっても問題はない。北条右翼が相手にする敵は、上杉謙信。如何に相手が軍神といえども恐れる心は自分の中には在りはしなかった。
「已むを得まい」
また通告拒否を受けた武田義信は、即座に上杉本陣に伝令を遣わして武田が先陣を切って開戦する意向を伝える。
「承知した」
ただ一言だけ了承の旨を謙信が口にすると、三軍全てから法螺の音が聞こえ始めた。ついに合戦が始まったのである。
「全軍、進め!」
武田の先鋒・武田信豊が徐々に前進を始める。陣太鼓を激しく鳴らし、敵との距離を詰めていく。
「武田が先とは片腹痛し!一番槍の名誉は上杉のものぞ!」
次いで遅れてはならずと上杉の諸将から次々と“前進せよ!前進せよ!”との声が上がった。降伏したばかりで少なからず戦意が高いとは言い難い成田氏長も、後方から突かれては動かざるを得ず、武田信豊から僅かに遅れて北条の軍勢を目指して動き出した。
「冬に上方で戦をしたばかりというのに、今度は関東か……」
開戦を間もなくに控え、信豊は馬上で複雑な心境を思わず吐露しつつ時代の移り変わりを肌身で感じていた。
先代当主・信玄と共に上洛を目指した頃の情熱は、今の信豊にはない。御家に懸かる使命感のようなものは、あの頃は全て信玄が担っており、自分は“ただ付き従うのみ”という感情が強かった。
しかし、今は違う。
武田家は謀反方の首領であった為に難しい立場に立たされている。上杉に合力して関東へ来たはいいが、幕府の為に働いたかと言えば、未だそうだとは言い難い。全てはこの合戦に懸かっており、結果は御家の運命を左右するだろう。
その先鋒を自分が託されている。
「死力を尽くさねば……」
故に信玄に従った“武田”を名乗る自分が御家の為に出来ることは、存分に戦うことのみ。それが“典厩”の名を受け継ぐ自分が成す道だろうと今は信じる。
「いざ懸かれぃぃーー!!
そして信豊が勇ましく黒光りする集団を率いて里見義頼の陣へ攻撃を仕掛けたことにより、関宿野戦と呼ばれる戦いは始まることになった。
「始まったか……、まったく父上と兄上は余計なことをしてくれた」
一方で攻め込まれた側の里見義頼は、自身が置かれた状況に切迫しつつも安房で隠遁している父・義尭と兄・義弘に恨み言を口にしていた。
甲斐の虎と呼ばれた信玄が率いていないにも関わらず、武田の強さは実際に戦っている義頼にはすぐに伝わった。先手を取られたとはいえ里見勢は信豊の軍勢に比べて数に勝る。勢いを殺し、盛り返すつもりが一向に流れは変わらず、じりじりと後退を続けていた。
「父上たちが北条の狙いに気付いて千葉と諍いを起こさなければ、こんなことにはならなかった。結局、貧乏くじを引かされたのは儂ぞ」
言っても仕方ないことを口にしていることは、義頼も判っている。それでも口に出さなくては、この苛々は収まらなかった。
「行くぞ!」
馬上の人となり、義頼は自ら戦場へ向かった。考えているより、暴れていた方が楽だった。元より人の言い成りになることが嫌いな義頼は、“里見”という家を守るために敢えて戦場に飛び込んで行った。
武田優勢で始まった関宿合戦だが、もう一方の戦場では北条方が押していた。
「成田如きが北条に楯突こうなど笑止千万!所詮は城に籠もらねば何も出来ぬ輩が戦場に出て来たらどうなるか教えてやろう!」
大道寺政繁が吼え、軍勢は後の先を取るような形で攻め込んできた成田勢に対し、即座に逆襲を仕掛ける。
「何をしておる!合戦は始まったばかりぞ!」
信豊同様に敵へ攻めかかった氏長であったが、士気の低さを政繁に見破られた。彼らは上杉・武田怖さに寝返ったのであって、謙信のように幕府へ至誠至純の忠誠を誓っている訳ではない。言うなれば勝ち馬に乗ろうとしただけであり、また今回は頼みとする忍城を出ての戦だ。勝てば関東平定も夢ではない北条との差は歴然としていた。
「左衛門大夫め、不甲斐ない」
「少し早いですが、二陣を繰り出しますか?」
「崩れてからでは遅い。手を貸してやれ」
謙信は早々に第二陣に出撃命令を下した。
このまま成田を放っておけば、最悪の場合は裏崩れを起こす場合がある。そうなっては全軍に影響が及び、敗戦も有り得る。よって和田業繁、由良成繁、長尾当景が支援に送り出すことで劣勢を覆すしかなかった。
「ちっ……、多勢に無勢か」
こうなってくると大道寺勢だけで上杉の攻撃を防ぐことは難しくなってくる。兵の多寡からすぐにどうこうなることはないが、前線で孤立して囲まれる可能性も捨てきれない。
「まずは防ぐ!部隊を広く展開し、敵の攻撃に備えよ!」
政繁は冷静に指示を出した。
上杉は二陣まで含めると五〇〇〇となるが、こちらは先鋒の自軍だけで三〇〇〇いる。長い目で見れば不利は否めないが、多少の時間を稼ぐ程度はどうにでもなった。
「上総介様に後援を頼む」
政繁は一時の防戦に努める間、綱成に支援を要請した。二陣の北条康種と原親幹が加わるまでの間を一手で持たせる為、政繁は自らが前に出て敵に一撃を食らわせ、兵を鼓舞しながら味方の陣まで下がることにしたのだ。
「敵が退いて行くぞ!進め!進め!」
釣られるようにして上杉勢も前進し、北条の二陣とぶつかった。関宿の北側では一刻(二時間)も経たない内に両陣営の二陣同士が槍を交え始めることになった。
「流石は上総介といったところか」
本陣で前線の報告を受けている氏政は、右翼優勢の報せに頬を緩ませていた。
「武田には押されているようでありますが?」
余裕があるため本陣に詰めている憲秀が不安な面持ちで切り返す。
「勢いは認めるが、後詰の兵力には余裕がある。どうということはあるまい」
これに氏政はムッと機嫌が悪そうにして応じる。最近は心配性な憲秀に苛々が募っていた。
「油断は禁物かと」
「それほどまでに心配か、尾州」
「相手は武田です。如何に信玄なくとも軍団の優秀さは他に引けを取りません」
「ならば左翼も二陣を動かせ。特に朝直はいくら擦り潰れても構わぬ」
氏政がサッと軍配を振るうと、伝令が駆け走り、前線へ命令が伝えられる。上田朝直、中山家範が戦線に加わり、威勢よく敵陣へ突撃して行く。
朝直は元々扇谷上杉家に仕えており、主家が滅ぼされると北条に従った。しかし、謙信が関東に出てくると裏切って上杉に付き、謙信が去ると再び北条に帰参した。
「上田は信用ならぬ」
激怒した氏康は上田領の一部召し上げ、朝直は居城の武蔵松山城を失うことになる。弱小の朝直からすれば過酷な仕打ちに堪えてでも生き延びるしかなく、今は華々しい大功を挙げて松山城主に返り咲くことを夢見ていた。
「この合戦で比類なき戦功を挙げ、松山城を取り戻す!」
朝直が躍起になるもの無理はなかった。関東でこれほどの大戦は久しぶりのことで、特に相手が武田となれば申し分ない。武田の将の名は全国に轟いている。ここで敵の首の一つでも挙げれば、北条家中で地位が揺るぐことはないだろう。
しかし、相手が悪かった。
「馬場殿より託された御家の命運、負けるわけには参らぬ!」
朝直の相手をしたのは四名臣の一人に数えられる内藤昌豊だった。昌豊は他国での合戦でありながらも士気は天を突かんとばかりに高く、また手堅い戦をすることに定評のある昌豊は、果敢に攻め寄せてくる上田勢を見事に往なし、緒戦から圧倒した。
「北条氏政は御屋形様の義兄弟だが、戦に遠慮は無用!行けッ!」
主導権を握った昌豊は一気呵成に上田勢を攻め立てる。また朝直も功を逸って真正面から反撃する。そうなってくると結果は自然と悲惨な犠牲者の山を築くことになる。両軍共に、と言いたいところだが、犠牲は明らかに上田勢の方が多かった。
「押し返せッ!押し返せッ!」
声を枯らしながら踏み止まる朝直の脇を兵が逆さまに走って行く。それでも戦線を維持できたのは兵の数という判りやすい安心感からだろう。局地戦での劣勢でも北条の勝利は揺るがぬと大半の兵が信じているからこそ、要所要所では踏み止まり、内藤勢の攻撃に堪えていた。
「修理亮も頑張っておるわ」
同僚の攻勢に魂を揺さぶられた山県昌景は、“我も”と馬を走らせ敵陣へ乗り込んで行く。自らが指揮する本隊で中山勢を相手にしつつ、一隊を側面に回り込ませると痛烈な槍衾を横っ腹に食らわせた。
「くっ……!!」
昌景の用兵に肉薄する家範は、上田勢同様に主導権を握られたことを悟った。ただ味方にも余力は充分にある。後手後手に回る前に崩れたところへサッと兵を回して態勢を立て直すと軍馬を集めて自ら指揮を執り、反撃へ移った。
「こちらも負けては入られんぞ!続けーッ!」
大音声に押されて人馬が一体となり山県勢へ乗り込んで行く。家範は武芸に優れた勇将で、赤備えの軍団と言えども家範の剛勇を止められる者はいなかった。昌景の陣地は好きなように蹂躙されて、先ほどまでの優勢を保っていた戦局は一気に五分五分にまで戻った。
「よい度胸だ!これこそ戦よ!」
「ふん!勝手に言っていろ!」
家範の気概を買った昌景が勇躍して敵中に躍り出るも、家範は応じることなく兵を引いた。
「これは……、侮れんな」
見事な手際に感心した昌景は、気を引き締めなおして懸かることにした。長く関東を支配してきた家は、勢いだけで勝てるものではない。特に今の武田には力の限界がある。兵も将も無駄な浪費は避けるべきだった。
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武田勢は優勢、北条は右翼で優勢、左翼では劣勢となる中で、苦しい立場にあるのが上杉勢だった。
「…………」
軍神・上杉謙信は深く眼を閉じ、瞑想している。まるで眠っているかのように見えるが、この男に対してそれはない。
(合戦は勝っている時にこそ緩みが生じるもの。必ずや隙が出来る。その機を逃さなければ、勝利は揺るがぬ)
まるで大空を駆け巡る龍の如き遥か高見から見下ろしたかのようにして、謙信は戦況を的確に捉えていた。敵の隙を突くには、いつでも突ける位置にいなくてはならない。その為には、今の場所は不適切であると判断した。
「前に出る」
一言だけ呟くと、その声に押されるように“毘”と“龍”の旗がバタバタと風に靡き、どんどんと北条の陣営にと近づいていく。
「本陣が動きました!」
「御屋形様が出られただとッ!?」
脇備えとして布陣した吉江景堅と河田長親は揃って声を上げた。
「我らも追うぞ」
謙信がいきなり動き出すのは今に始まったことではなく、付き合いの長い二人はいつでも出られるよう支度は万端に整っている。両者は本陣を守るように側面を固め、上杉は総攻めの構えに入った。
“謙信動く”の報は前線の上杉勢、北条勢、そして武田勢にすぐ伝わった。
「早すぎよう。謙信め、何を焦っておるか」
脇から上杉本陣の動きを見ていた義信は、味方としては初めて見る謙信の采配に疑問を感じていた。いくら劣勢とはいえ合戦が始まって一刻半(三時間)ほどしか経っていないのだ。互いに全力は出しておらず、特に兵力に余裕のない連合軍が動くには早すぎると思う。逆に速戦にて決着を図る気ならば、こちらと歩調を合わせるべきだろう。
「儂が武田からと言って意地になっておるのか」
義信は軍議でのやりとりを思い出しながら言った。
武田側も同じだが、どうも互いに味方という意識が薄い。どちらかというと北条を共通の敵としているだけで、思惑も戦術は別々で干渉する気もさらさらないといった感じだ。上杉が我が身かわいさに総攻撃を打診してくるならば、それは武田に助けを求めたも同じで、もし自分が同じ立場に追いやられたなら素直に伝令を走らせたかは怪しいところだ。
「結局、我らと上杉は水と油よ。相容れぬわ」
そう感じながら、義信は再び前を向いた。優勢であるからと北条は油断できる相手ではない。現に武田の精鋭・赤備えを率いる山県昌景であっても敵の備えを簡単に突破できずにいる。後詰を投入したいところであるが、こちらが動けば北条も後詰を出して来るだろう。そうなればジリ貧になるのは、兵力に乏しいこちらだ。
「謙信だ!謙信が来たぞー!」
ところが義信の予想に反して、上杉勢は謙信の督戦を受けて奮い立っていた。
幾重にも折り重なった槍衾が容赦なく北条勢をあの世へ送る。二陣の支援を受けて優勢を維持していた大道寺政繁も堪らず徐々に押されて後退し、ついには合戦が始まった位置にまで押し返された。苦戦を強いられた政繁は右翼を任されている綱成へ再増援を依頼するも、綱成は前に出るべきか悩んでいた。
(左翼が押されている以上、こちらが突出し過ぎる訳にはいかぬ。されど武田は所詮、手伝い戦に駆り出されているに過ぎん。上杉さえ敗走させれば合戦の勝敗は決まる)
綱成の中では合戦を終わらせる道筋は既に付いていた。それを実行するのは難しいものの出来ないとまでは思わない。兵の数も余裕があり、度重ねる合戦での経験が己の自信にもなっている。しかし、主・氏康の思惑を考慮すれば、どういう決着に持って行くべきかどうか悩むところだ。
そこへ同じく右翼に配されている北条綱高がやってきた。現在は龍雲斉と名乗り、初代・早雲に撫育された綱高は綱成よりも年長で、なかなか綱成が動こうとしないため心配になって訪れたのだ。
「上総介殿、援軍を出さねば駿河守(大道寺政繁)が堪えられそうにない。後退させるなら儂が支援するが?」
数々の合戦で武功を挙げてきた綱高は、北条五色備えの内で赤備えを担当している。真紅の軍団は武田の赤備えに劣らぬ自負がある。今は息子の康種が頑張っているが、綱高から見ればまだまだ甘い。ここで支援に出られば盛り返す自信があるが、それも綱成の許しがなくては勝手に動けない。
「駿河守め、何を弱気な」
「されど前に出るかどうかお主も迷っておるのだろう。戦場での迷いはよい結果を生まぬぞ」
「……これは、儂としたことが雑念に縛られておったか」
当たり前のことを指摘されて我に返った綱成は、改めて軍配を力強く握り締めた。
(御本城様が幕府に認められるには、少なからず北条が上杉よりも強いことを天下に知らしめねばならぬ。今ならおまけで武田も付いてくる。両家に勝ったとなれば、幕府を始め天下の諸侯も北条を見る目が変わろう)
関東で覇権を争ってきた北条と上杉、隣国の大勢力として介入した武田の三家が揃う戦場で、誰が勝者となるか注目を浴びている。無論、それは北条であるべきだと綱成は思う。
「龍雲斉殿、頼みます」
「任せておけ」
かくして北条綱高が出撃を決め、形勢は再び判らなくなって行った。
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そんな頃、左翼に属する多目元忠はある策を実行に移すべく本陣を訪れていた。
「武田の側面を衝く?」
元忠の言葉に氏政は眉を顰めた。
「確かに武田には押されておるが、巻き返せぬほどではあるまい。二陣で足りぬなら三陣で支援せよ。場合によっては陸奥(北条氏照)にも支えさせる。それでも押されるなら江戸衆を遣わせばよい」
氏政は左翼劣勢の状況を元忠が憂い、献策してきたものと思い込んでいた。武田の勢いを一時的なものと考えている氏政は、右翼から兵を割く必要性を感じていない。特に北条は未だ半分以上の兵を温存しており、相手を疲れさせるだけ疲れさせてから反撃に出ても充分と考えていた。
「差に有らず。拙者の見たところ武田と上杉は連携しておりませぬ」
「連携していない?味方同士であろう」
ところが元忠の策は、何も救援を求めてのことではなかった。氏政は元忠の言葉に疑問を呈する。
「川中島以来、互いに遺恨の深い間柄でございます。幕府の命で連合していても、内々秘める感情が邪魔をしているのでありましょう」
「……くっくっく、馬鹿な奴らめ」
元忠の言葉を聞いて、氏政は呆れ返った。
かつては北条も山内上杉家という宿敵がいたが、川越夜戦を契機に勝敗が着いている。上杉家という存在は謙信が当主として形の上では続いているものの中身はまったくの別物で、当時の感情を謙信の上杉家に抱く者は皆無だ。これは氏政が初陣を飾る前の話であるから、当然なように氏政にも宿敵と思える相手はおらず、それに対して抱く感情を知る由もない。
逆に武田は当主が義信に代わっているとはいえ、その義信も第四次川中島を経験している身で、上杉の将兵に対してよい感情を抱いていないと思われる。また上杉は謙信の性格からして幕命を優先させるだろうが、武田からすれば謙信の態度は澄ましているとしか見えず、家臣らは謙信ほど幕府を絶対視していない。故に、結局はいがみ合うだけである。
それを表すかのように上杉は総攻めに至り、武田は手堅い戦をしている。両家の歩調は北条から見てもまったく合っていなかった。
「今のところ優勢な武田には余裕があり、上杉の側面を衝けば如何に武田とはいえ上杉支援に動くでしょう。されど武田が側面を襲われて、余裕のない上杉が支援に出て来るとは思えませぬ」
「それは判るが、武田も未だ全力を出していまい。義信は後備の初鹿野辺りを動かし、支援させるのではないか?」
「この策は、側面を衝くというより右翼の軍勢が左翼の武田を襲うということの方が重要にございます。武田からすれば、上杉から敵を押し付けられたとの感情を抱きます。さすれば上杉と武田の間の溝は深くなり、更なる隙が生じるのは明白にござる。そして、その隙を衝けるだけの兵が我らにはおりまする」
そこまで言われれば、氏政にも元忠の言うとおりに戦況が進むとしか思えなくなった。
「動かすとしたら千葉勢か」
「はい。戦力からしても充分かと存じます」
「千葉勢が抜けた穴はどうする?」
もっともな疑問をぶつけるが、それについても元忠は答えを用意していた。
「それこそ中翼の出番にございます。松田勢を押し出せば済むかと」
「うむ」
氏政が首を上下に大きく動かし、満足そうに頷いた。
「尾州、聞いていたな」
「はい。これより陣地へ戻り、出撃いたします」
「そうしてくれ」
一瞥して氏政は憲秀に命令を下すと、すぐに前を向いた。厄介者がいなくなったと感じたのか、表情は少し晴れやかだった。
「我らに武田の側面を突けと?……てっきり敵は上杉とばかり思っておったが、命令ならば仕方ない。承知したと伝えてくれ」
困惑気味の胤富は首を傾げながら応じたが、命令には逆らえない、早速に氏政の指示に従って向きを南に転じ、歩を進めた。
「……ん?何処へ行くのだ」
右翼から千葉勢が離れていくのが連合軍の一部の部隊から確認できた。
一進一退と厳しい戦いを続けている上杉からすれば、目の前の敵が減るのだから楽観視して千葉勢の動きを見過ごすが、武田からすれば上杉が戦うはずの敵がまっすぐにこちらへ向かって来るように見える。しかも上杉には千葉勢の動きを止める様子はなく、まるで見えていないかのように無視している。
「あ……阿呆めッ!!何を考えておるか!」
上田朝直を相手に優勢を保っていた内藤昌豊が上杉に対して怒りの声を上げた。
実際のところ上杉は千葉勢を阻む余裕がなかっただけなのだが、武田の者の見方は違う。こちらは北条相手にしっかり戦えているのだから、そちらも押さえて見せよ、という感情がある。
「急ぎ後備えを向かわせよ!御屋形様に支援を願い出る故、少しの間でよいから堪えるのだ!」
昌豊は慌てて一隊を割いて千葉勢に当てるも相手は下総で結城と二分するだけの力を持つ大名であり、単なる北条の家臣というわけではない。当然、抱える兵力も内藤勢より倍はある。俄か作りの備えが満足に機能することはなく、ほぼ一瞬と言ってもよいほどの時間で打ち破られた。
「おおッ!千葉殿の救援か、助かった」
もう少しで敗走に至るという状況で支援を得られた朝直は、まるで神仏に助けられたかのように両の手を擦り合わせた。
「謙信は何をしておるのだ!すぐ伝右衛門(初鹿野信昌)を修理亮の支援に回せ。あと上杉に“敵の進軍を見逃すとは何事か”と詰問使を送れ!何が起こるか判らん、我らも前に進むぞ」
怒り心頭の義信は手当を施すと、即座に自分も動いた。ただどうしても駆けつけるまでに時間がかかり、その間に内藤勢は先ほどまでの優勢が嘘のように散り散りとなっていく。
千葉勢の動きによって形成は北条方へと一気に傾いた。しかし、上杉も足を引っ張っているだけではない。戦況を見ることに長けている謙信は、自軍の間をすり抜けながら進んでおり、千葉勢が抜けて松田憲秀が入る僅かな隙に軍勢を割り込ませ、右翼の陣形を崩してしまったのだ。
「や……やられた!?」
右翼を指揮する綱成、策を進言した元忠、命令を出した氏政が同時に同じ声を上げた。
「一気に畳み掛けよ!このまま右翼を崩して氏政に引導を渡す!」
謙信は先陣の氏長、二陣の上州勢に北条勢を押しのけさせると自ら駒を前に進めて綱成の陣へ攻めかかった。
「御屋形様を守れ!我らも続くのだ!」
謙信の突撃に河田、吉江の部隊も慌てて続いていく。しかし、割り込まれて隊伍を崩している松田勢の影響もあってまともに応戦できず、綱成勢は押しに押されて次第に数を減らしていった。
「一つ間違えただけでこれか!謙信め、好き勝手してくれる!」
地黄八幡の旗を掲げ“勝った勝った”の掛け声を誉れとする綱成は常勝軍団として名を馳せている。つまり己のいる戦場で敗北は許されない。これまでも期待に応えて北条家の版図拡大に貢献してきた。その自負が、綱成に後退という選択肢を選ばせなかった。
「前に出るぞ!」
老齢ながらも愛馬に跨り、綱成は向かって来る上杉勢に進んで懸かって行った。綱成の勇姿に味方は鼓舞され、兵たちが主の声に応えるようにして一つの塊となり、両者がぶつかる。
その光景は悲惨なものだった。
「押し返せッ!ここが踏ん張りどころじゃ!」
「怯むなッ!上杉の力を見せてつけるのだ!」
互いに全力でぶつかったため、最初の一撃で多くの死者が出た。名将同士の対決とは思えぬほどの激しい乱戦で、綱成が黄備えを率いていなければ誰が味方で誰が敵なのか判らないところだ。
「謙信だ!謙信を探せッ!」
敵がしっかりと判別できるのならば、勇んで打ち懸かるだけである。地黄八幡の旗が“毘”沙門天の旗を大きく揺らす。敵が最強なら、こちらも北条最強の軍団だった。
「敵は謙信とはいえ寡兵ぞ!押し返せば必ず勝てる!」
頼りになる大将の声に兵たちは勇気づけられている。気迫で勝り、敵の足軽を押し倒し地面に転ばせ、その上を遠慮なく踏みつけて行く。地面は血反吐で染まり、凄惨な風景が徐々に作られていった。
川越夜戦以来、主要な合戦に参加しては勝利を得てきた。そこから得られる兵の信頼は、謙信に攻められたくらいで壊れはしない。勇将たちは大将の傍らで檄を飛ばしつつ、我先にと逆襲に転じていく。その勢いに押されてなのか、上杉勢の動きは鈍くなっていった。
「……謙信は何処だ?」
ところが至るところに“懸かれ乱れ龍”の旗はあれど、綱成は謙信の所在が掴めずにいた。確かに綱成の目の前には上杉の本隊があり、そこに“龍”や“毘”の旗が掲げられている。だが、謙信の馬印である紺地朱の丸開扇が何処にも見当たらなかった。
「申し訳ありません。敵中に攻め入ったのですが、謙信の姿が何処にも見当たりません」
「なに!?どういうことだ」
玉縄衆の与力が一人・間宮豊前守康俊の報告に綱成は耳を疑った。
「どうも解せませぬ。確かに上杉は我ら一当てして参りましたが、今や完全に勢いを失っております。こちらと戦おうという気があるのかすら疑問です。しかも今や我らと戦っているのは吉江の部隊が大半にございます」
「なんだと……、まさかッ!?」
報告を聞いて、綱成は嫌な予感がした。
千葉勢と松田勢の間に割り込んだ謙信の本隊、ただ単にこちらの陣形を乱しただけなのか。いや、謙信のことであるから、それだけに止まるはずはない。もっと違う大きな狙いがあるはずと思った。
綱成がそれに気が付いた時、既に遅かった。綱成を通り越して謙信が向かった先は、氏政の本陣であったのだ。
(謙信め!この綱成の目の前を素通りしていくとは、甘く見られたものよ。地黄八幡の意地に懸けて、貴様の思う通りにはさせぬぞ!)
綱成はきすびを返し、子の康成を呼び寄せる。
「父上!合戦の最中に何事ですか」
忙しいときに呼びつけられた康成は、相手が父であれ露骨に迷惑そうな表情を浮かべた。そんな息子を無視して綱成は今後の動きを伝える。
「今より部隊を預ける故、そなたが指揮を執り右翼を支えよ。困ったことがあれば、龍雲斉殿を頼るのだ」
「どういうことにございますか?」
「謙信がおらぬ。恐らくは御屋形様の本陣を狙うつもりじゃ。儂は救援に向かう。豊州、そなたは儂と来い。後の者は康成に従うのだ」
そう言って綱成は馬を走らせた。後を追うように康俊がついていく。
北条右翼は、謙信の動きに翻弄されてもはやどちらが勝っているか判らない状態となっていた。
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「け……謙信だと!?何故にこちらに来る?迎撃を急げッ!」
氏政の本陣を守る最後の壁となったのは、江戸衆を率いる遠山政景であった。元より合戦の支度は済んでいるも中翼という立場で遊軍の役割を課せられていた遠山勢は、敵に攻められるという意識が弱かった。それでも槍衾を組み、弓矢で応戦することで迎撃に当たるも謙信の勢いを止められるには至らない。
「脆いな。このままであれば、氏政の本陣を突くのも時間の問題か」
遠山勢の慌てぶりを見て、謙信は確信を強めていく。
思い描いた戦場が目の前に広がっている。北条との戦力差を覆し、合戦で勝利を得るには総大将を敗走させるしかない。時間をかければ兵力に乏しい味方の不利は判り切っている。だからこそ謙信は敵に隙が出来るのを待ちつつ僅かな綻びを見つけると一気に突き破ったのだ。
「い……いかん!これ以上は陣を下げられぬ!押し返すのだ!」
死力を振り絞り、政景が兵を激励するも一度ついてしまった流れは変えられず、対応に苦慮する。
「尾州は何をしておるのだ!」
眼前に迫る上杉軍を見て、氏政は憤慨する。江戸衆の不甲斐なさにも不満があるが、軍としての機能をまったく果たしていない松田勢への怒りは、それ以上だった。
予定では、自分が本陣を動かさずとも合戦は終わると想定していた。多目元忠の献策通り上杉と武田の間には他人から見ても判るほどの溝がある。それを利用して勝利を得ようとする発想は良かったが、大きな見落としがあった。
それは上武連合の溝に“謙信が気が付かない筈がないという”当然のことに考えが及ばなかったことだ。
謙信は溝に気付いていながら何故に埋めようとしなかった。否、埋まりようがなかったのだ。長年に亘って因縁深く戦いって来た両者の溝を僅かな期間で埋めようなどと都合よく行くはずがない。それが判っている謙信は、その溝を最初から無視することにした。
その結果が今である。勝っていたはずの北条が窮地に追い込まれている。納得が行かなかった。
「申し上げます!北条上総介様から伝令が遣わされております」
そこへ綱成からの伝令が駆け込んできた。
「上総介か!上総介はどうしたのだ?謙信がそこまで迫っておるぞ!」
頼むべき勇将の存在に一時、氏政はパッと表情を明るくさせたが、伝令を呼び寄せると報告を聞く前に自分の不安を口にした。
「申し訳ございません。我が主も謙信の部隊とやりあったものの、謙信を見つけること叶わず……」
「当たり前じゃ!謙信なら目の前におるわ!」
やり場のない怒りをぶちまける氏政に対し、綱成の家臣は怯まずに主から託された言葉を伝える。
「故に御屋形様には一時の御辛抱を頂きたい、と主の言葉にございます。決して退かず、その場に踏み止まったならば、地黄八幡の名に懸けて軍神の伝説を今日で終わらせて見せまする!」
地黄八幡の決意を、名の知れぬ武士が興奮した面もちで語った。
「……相判った」
そう家中一の戦巧者に言われてしまった氏政は、ゴクリと唾を飲み込んで覚悟を決めるしかなかった。
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謙信が敵右翼を食い破るようにして氏政の本陣に迫っていた頃、武田陣営も一時の劣勢を立て直し、元の優勢な状態を取り戻していた。
「千葉と申せば北条と対し、かつては互角に渡り合ったと聞く。それが今となっては北条に僕として扱われているとは嘆かわしい限り。貴殿らに武門の矜持や不満はござらんのか!」
内藤昌豊は劣勢に陥りながらも隊伍を崩さず、千葉勢を挑発しながら後退していた。義信は初鹿野信昌に後巻きをさせると自身も本陣を前に進める。これに足並みを合わせるように真田一徳斎と小山田信茂も前進を始め、上杉に遅れること半刻ほどで武田も総力戦に突入した。
こうなってくると地力に勝る武田軍は強い。内藤昌豊、山県昌景の両将が徐々に敵を押し込んで戦線を押し上げると武田信豊も看過され押されるようにして先頭を突き進む。北条方は多目元忠と大石定仲ら三陣を押し出すも甲斐の虎の鍛え上げられし軍団は強かった。
「これは、気を引き締め直さんと拙いな」
里見勢の後援をしながら板垣信安の部隊と戦っている元忠は、自軍こそ互角にやり合えているも全体としては押され気味な現状を深刻に捉えた。
「かと申しても敵の側面に兵は回せぬ。ここからは意地を張り通した方が勝つな」
これから先は我慢比べと断じた元忠は、歯を食いしばって軍配を力強く握り締めた。
謙信の突撃で中翼は完全に軍勢で埋まった。左右に利根川、中川に挟まれている戦場は、兵を迂回させることが困難である。となれば、目の前の敵を抜いた方が勝つ。軍略に優れる元忠であるが、判りやすい戦場は嫌いではない。
「左翼に穴を開けるわけにはいかぬ!物見を遣わし、戦況をつぶさに報告させよ」
氏照は忙しく指示を出しながら、武田が抜けてくるところへ本隊より後詰を派遣して何とか押し留めていたが、次第に本隊の兵も少なくなっていく。最終的には自らも出撃せんと覚悟し、配下に愛槍を準備させるところまで追い込まれていた。
「謙信め、川中島のような事をする」
一方で寄せ手である武田本陣にも謙信が氏政の本陣へ向かったことが報せられ、かつての戦場を義信は思い出していた。
あの当時、義信は信玄が率いる本隊に組み込まれていたから、如何に謙信の突撃が凄まじいか判る。叔父の信繁を始め山本勘助、山県昌景(当時は飯富昌景)など信玄本隊には武田の精鋭が組み込まれていたはずが、一方的に押し込められたのだ。
謙信は己の本陣であろうが一部隊として扱う。本来、本陣とはそういうものではなく、軍団の核とはなるものの兵は総大将を守るために存在しているものだ。大軍の場合、場合によっては一隊を割いて後詰となりうるも殆どが戦わないのが常である。故に氏政本陣の三〇〇〇は数から除外してもよいのだが、上杉軍は違った。
謙信自身が穂先で輝く一条の光となることで、上杉という槍が敵を貫くのだ。軍神の強さは、そこにある。
「北条氏政!覚悟いたせッ!」
戦場を駆けながら、馬上で謙信が叫んだ。雲霞の如き敵を斬り払いながら突き進み、氏政の御首級を狙う。
「何をしておる!謙信を行かせるな!止めよ、止めよッ!」
声を枯らしながら政景が進軍を阻むようにして部隊を繰り出して来るが、一枚、二枚とまるで人が紙を破くかのように陣地が破れていく。あっという間の出来事であり、確実に氏政の本陣へ迫っている。
強弩の末、魯縞に入る能わず。
しかし、ここからがいつもと違った。
謙信の本隊が政景のところへ今まさに迫ろうとする時、突如として動きが悪くなったのだ。一番兵が密集している政景の陣に取り付きはしたが、流石に激しい抵抗にあった。結果として突破するに至ったが、氏政の本陣は備えを固めており、一筋縄ではいかなかった。
「……むう」
謙信は眉間の皺を深くさせ、口を真一文字に閉じる。部隊が鈍くなった原因を謙信は悟っていたのだ。
上杉勢は謙信が長尾家を分割したことから越後勢が春日山を本拠とする長尾景勝、関東に拠点を移すことになった謙信に上州勢と自然と家臣団は別れた。一部の老臣など謙信を慕う者たちは残ったが、今は本庄繁長討伐へ援軍に赴いており、猛将と名高い小島弥太郎は九頭竜川合戦で討死している。
(義景の時のようには行かぬか……)
謙信の采配は往時と変わらない。上州勢も謙信の指揮する通りに兵を動かすなど期待に応えてくれているが、突破力という点では越後勢と雲泥の差がある。しかも今回の相手は関東の覇者・北条家だ。北条も総力を挙げて部隊を結集させており、脆弱だった朝倉軍の時は上州勢でも充分に通用したが、兵の数、質で朝倉に勝る北条の厚い陣容を今の謙信もとい上杉勢では突破できなかったのだ。
後方から突っ走ってきた謙信本隊には、確実に連戦の疲れが出始めていた。
(だが諦める訳にはいかぬ!上様の為、天下泰平の為に北条は叩き潰す!)
愛馬に鞭を入れ、部隊に更なる進軍を命じる謙信。
「か……勝つのだ!いま少し堪えれば上総介が来る!押せッ!押せーッ」
方や気力を振り絞って激を飛ばし、両足に力を入れて大地を踏みしめる氏政。
両者が全力でぶつかり合い、折り重なった人垣を飛び越えて進む謙信の目の前に一際大きな陣幕が見え、勝利を掴まんとした瞬間に横から割り込んで入って来る一団があった。
「やらせん!」
黄地に八幡の旗印、綱成の軍勢である。
間宮康俊を先頭に斬り込んできた綱成勢に謙信本隊は不意を突かれて大きく態勢を崩した。僅かな間に謙信の傍まで攻め込まれ、もはや氏政の本陣を攻めるどころではなくなる。
「上杉謙信だな」
「地黄八幡!?上総介殿か!」
まるで謙信を彷彿とさせるように先頭を突っ切ってきた綱成は、敵大将らしき人影を見かけると速やかに斬りかかった。白い法体姿の武者は珍しく、謙信と見て間違いなかった。
「くっ!」
斬り払い、距離を取る謙信に対して追うように詰め寄る綱成。攻守が逆転した瞬間だった。
(あの姿、やはり倒れたというのは噂ではなかったようだな)
痩せこけた謙信の姿を見て、綱成は確信を得た。先ほどのつばぜり合いも若い謙信より年長者である自分に分があったかに思う。戦場に出られるようになったとはいえ、謙信の体力は以前ほど回復しておらず、未だ病は内に燻っていると綱成は考えた。
「上杉謙信、恐れるに足らず!」
そう宣言した綱成は、再び謙信に斬りかかる。それを謙信は精一杯の力で薙ぎ払うが、支えきれず反れた刃が右太腿に食い込んだ。
「うぐッ!」
直後、謙信は表情を曇らせて呻き声を発した。
(ま……まだよッ!まだ戦えるッ!!)
謙信は左手で手綱を操りながら、傷の状態を確認する。
幸いにも傷は浅かった。しかし、総大将が手傷を負うという最悪の結果を出してしまった。こうなると部隊の行動は自然と撤退に移る。馬廻衆は主を守らんと囲み、謙信が前に進もうとしても押し止め後方へ逃がそうとする。
「退くなッ!ここで退けば、上様の天下一統が遅れる!退いてはならん!」
悲痛な叫びにも似た声を上げながら、自分を逃がそうとする家臣たちに謙信は呼びかけるが、彼らは一向に気候とはせず主を後方へ下げる。
「公方様の天下は御屋形様あってのもの。ここで死んではなりませぬ」
「それは違う!儂の命は上様が為のもの!ここで氏政を討たねば……!!」
「何を仰せになられますか!命を粗末にしてはなりませぬ!」
敬慕する足利義輝を第一に考える謙信と憧憬する主君を第一に想う家臣たちで意見が分かれた。彼らは謙信の為に命を張るが、顔も知らぬ将軍の為に命を捨てようとは思わない。
謙信は己の想いとは裏腹に撤退に移った。
「ここで逃がすかッ!」
そうなってくると、北条も自然と追う側となる。黄備えの一団が勇躍して謙信本隊に対して突撃していくと完全に形勢は北条へと傾き、謙信も防戦に努めるが援軍の到来で散り散りになった政景本隊も持ち直し、時間の経過と共に松田勢の混乱も治まりを見せ始めると上杉勢に反転する余地はなくなり、逃げることで手一杯になる。
「深追いしたことを後悔させてやれ!軍神の伝説はここまでぞ!」
中翼全体で謙信を包囲し、ここで綱成は謙信を討ち取るつもりでいた。
謙信は反北条の柱であり、いなくなれば氏康が幕府に従うと決めている以上は殆どの諸侯が北条に従うと思われた。もちろん謙信が死ねば幕府の出方が変わってくることは想像に難くないが、そこは氏康である。これまで政略、軍略の両面を駆使しながら北条という家を大きくしてきた英雄。その家臣として主を見てきた綱成は絶対の信頼を置いている。
(御本城様に御任せすれば、何も心配はいらぬ)
両者の間にある深い絆を綱成は信じている。だからこそ今しかなかった。
氏康は卒中で倒れ、待ち直したとはいえ再び倒れないとは限らない。卒中とは、それほどまでに恐ろしい病なのだ。ここで謙信との戦いが長引き、もし謙信よりも先に氏康が倒れようものなら、氏政では謙信に勝つことは不可能だろう。だからこそ道筋をつけなくてはならない。
(武力による関八州統一に拘る御屋形様であれ、素直に諸侯が従うなら無理に兵を動かすことも致すまい)
要は父への反発、それだけが理由だと綱成は思っていた。それ以外の点では、氏政が当主の器として恥じぬものを持っていると思っている。ならば、その問題を取り除けばいい。
(北条の行く末に兆しを。それが北条という家に拾われた儂の恩返し)
綱成は元々北条の家臣ではない。父は福島正成といい、今川家の仕えていた。
父が今川家の家督争いで起こった花倉の乱で、敗者となった玄広恵探に属して討たれると家臣らに守られながら北条を頼った。当時の当主・氏綱は孫九郎と呼ばれていた自分を大いに気に入ると娘を嫁がせて一族とし、綱成と名乗らせた。その期待に応えるようにして、綱成は北条発展の原動力として活躍する。
その大恩ある家が、窮地に立たされている。
(謙信!逃がさぬ!)
ここで謙信を逃がせば関東の問題は長引いてしまう。氏政も兵を動かそうとするだろうし、そうなれば幕府と敵対する道しか残されておらず、北条の未来は暗い。それに明かりを灯せるのは、自分しかいない。
「御屋形様を守れ!敵を退けよ!」
「我らが楯になるのだ!行けッ!行けッ!」
執拗な追撃を仕掛ける北条に対し、上杉も脇備えとして河田長親、吉江景堅の両名が主を守るべく乱戦に加わる。両軍合わせて万に近い軍勢が一カ所で敵味方が入り混じる白兵戦を行ったことで、本陣にいる氏政は状況を把握するのに困難を極めた。
「ど……どうなっているのだ?」
対武田の左翼は氏照の部隊まで戦うという総力戦に突入しているも、状況報告は常に届いており部隊の統制に問題は見られない。しかし、右翼では救援に駆けつけた綱成からの報告は途絶え、他の部隊からも僅かばかりの情報しか得られない。安全を期すれば後退も選択肢の一つだが、最大の危機を堪え抜いた矢先に本陣を下げればどういう事態になるか判ったものではない。
(上総介が踏ん張ったのだ。総大将の儂が逃げ出すわけにはいかぬ)
地黄八幡の誇りを肌で感じた氏政は、合戦が始まった頃のような及び腰から一転し、どっしりと床几の上に座って戦況の把握に努めることにした。これにより本陣の兵たちも落ち着きを取り戻し、綱成が上杉を押し返して戦場が遠のいていくと次第に状況が判ってきた。
「お……おおっ!地黄八幡の旗が毘沙門天を追い返しておるわ!」
爽快な光景に氏政は思わず床几から立ち上がり、子供のようにはしゃいだ。
綱成の追撃は凄まじかった。謙信を守ろうとした吉江景堅は討死、河田長親は手傷を負って敗走した。両者の活躍があって謙信は当初、本陣があった場所まで後退することに成功したが、謙信が下がったことにより武田勢にも影響が出ていた。
「……謙信が敗走したならば、武田が付き合う義理はない。これより撤退する」
義信が撤退を指示したのだ。
上杉と違って組織だった撤退に北条も追撃は出来なかった。特に左翼の損害は大きく、死傷者も多く出ている。大石定仲、上田朝直の家臣・難波田因幡守、木呂子丹波守が討死した。勝敗をつけるならば武田の七分勝ちだった。
武田にすれば、関東での合戦は手伝い戦だ。上杉が破れれば武田が咎められることもなく、無暗に自軍を犠牲にする必要はなかった。
その後、武田は上杉と共に栗林城まで退き、翌日には騎西城にまで後退した。関宿一帯を取り戻した北条方の辛勝という決着で合戦の幕は下りた。
「勝った!勝ったぞ!儂が上杉と武田に勝ったのだ!」
連合軍が去った戦場で、氏政は歓喜の雄叫びを上げた。
どういう勝ち方にしろ勝利は自分の手にあった。上杉・武田連合を相手に誰も成し遂げたことのない快挙を自らの手でやり遂げたのだ。これで父の好きには言わせない。ここからが自分の時代の始まりなのだと強く確信した。下野では皆川が挙兵して宇都宮を掌握しつつあり、常陸の佐竹が残っているも上武連合を退けた今では敵ではないと思っている。関八州の制覇は目前であり、それを成すのは己の偉業となるだろうと想像を思い巡らせた。
「ほ……北条上総介様が、追撃の際に負った傷が悪化し、お亡くなりになられました」
かに思えた時、一つの訃報が舞い込んだ。氏政は勝利と引き換えに大きな代償を支払うことになった。この瞬間、氏政は勝利という余韻から一気に醒め、自分のやったことの責任を重く感じるのだった。
「か……上総介が死んだだとッ!あの大戯けめーッ!!」
そして、綱成死去の報せを小田原で聞いた北条氏康は、氏政の蛮行に烈火の如く怒り狂い、そのまま意識を失ったという。
関東に漂う暗雲は、さらに深まって行った。
【続く】
今回は登場人物も多くなかなか纏まらず、文字数も長くなり投稿に一ヶ月かかってしまいました。
さて上武連合VS北条家の合戦ですが、北条の勝利を予測されていた人の方が少なかったのでは、と思います。私が読んだことのあるIF小説ではだいたい謙信がいる側は常に勝者側になることの方が多いので、北条家は余り目立たない作品ばかりでした。
しかし、北条家の結束はどの家よりも強く、また組織も完成されている。上杉と武田も強いが両家が連携している姿を私は想像できませんでした。故に個々の強さを描きつつも最終的に勝利を得るのは北条家とさせていただいています。
当然ながら、これにより幕府による関東平定は遠退くことになります。故の鎮撫の大遠征~東国編~に繋がっていく訳です。
次回、この時期の信長を描いた織田編となります。