第八幕 乱世の大義 -面従腹背の徒、出陣す-
十一月十四日。
洛中北部
勢多で合戦が始まる僅かに前のこと。光秀は比叡山の麓、若狭街道近くにいた。
「やはり義栄は、長門守(京極高吉)様の情報通り相国寺に移っているようです」
「慈照寺ではないと?」
「はっ。三好方の兵も相国寺に出入りしております」
覚慶が身の証を立てたことにより、延暦寺から叡山の通行許可を得られた光秀ら斎藤利三隊三百は、無事に洛北に辿り着いていた。
前情報では、義栄は近衛前久の別邸がある慈照寺に居を置いているという話だった。しかし、延暦寺には幕臣・京極長門守高吉が逃げ込んでおり、高吉は義栄が相国寺にいると報せてきた。この事は比叡山を抜けて義栄襲撃を狙う光秀にとっては好都合だった。何せ相国寺は慈照寺に比べ、いま光秀たちがいる時点より遙かに近い。
「相国寺の兵は?」
「凡そ八百。如何します?」
「やる。こちらの倍以上とはいえ、将軍を守る兵じゃ。万全を期して退避しなくてはならぬはずだ」
こちらが寡兵とはいえ、義栄自身は自らを守る八百をけして多いとは思っていないはずだ。むしろ八百しか残していかなかったことを不満に思っているはず。そこへ敵勢が襲いかかれば、どうなるか。
「よいか。無理はせぬ、義栄を相国寺から追いさえすればよい」
「将軍を討つ必要はないと?」
「我らがここにあるのは義栄を討つためではない。中入りで勢多の敵勢の動揺を誘うことが目的じゃ。そういう意味では、我らが洛中に現れたというだけで目的は達しておる。その上、義栄を追えれば上々。それ以上を望むべきではない」
「なるほど…、そういうものですか」
欲のないことだ、と思う利三だった。自分なら迷わず“将軍・義栄の首”という大手柄を取りに行っただろう。しかし、明智光秀という男はそうではないらしい。あくまでも目的を重視し、そのために何が必要かを探り、実行する。正直、ここまで整然とした男は戦国の世では珍しい。
「よし、参るぞ」
光秀らは若狭街道に出た。高野川沿いに南下して大原口より洛中へ入れば、相国寺はすぐである。隠れながら行くよりも、見つかる覚悟で進んだ方が早いと考え、堂々と街道を進むことにした。
よってその存在は、すぐに義栄のいる相国寺に知られることになった。
「ぐ…軍勢じゃと!?何処の軍勢じゃ。日向守(三好長逸)か?弾正(松永久秀)か?」
“謎の軍勢迫る”の急報を受けた義栄は、悲鳴を挙げるかの如く報せを寄越した者を問い質した。
「味方ではございませぬ。敵です!」
「て…き?」
義栄は状況がまったく把握できていなかった。そもそも現時点では戦が始まったという報せすら届いていない。なのに、洛中に敵勢が現れている。
「ともかく逃げるぞ!元々余はこのようなところに居たくはなかったのじゃ」
「お…お待ちを!敵の数はそう多くはありませぬ。ここで防戦を!」
「そんなこと分からぬではないか。後続があるやも知れぬ。いや、きっとそうじゃ。洛中に攻め入る以上、小勢であるはずはない」
として、義栄は相手を確認することなく一目散に相国寺を逃げ出した。久秀から将軍を京に留めておくように命令された者たちも、これを追いかけるのが精一杯であった。
相国寺に到着した光秀は、ある意味で呆然とした。義栄が戦うことなく逃げ出していたからだ。
「これで征夷大将軍とは恐れ入る。我らが上様とは大違いじゃ」
光秀の洛中中入りは成功した。京は早くも義輝方の手に落ちたのだ。
急報は、勢多へ飛んだ。
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十一月十四日。
近江国・勢多
「突っ込めーー!!」
馬上で上杉勢の先鋒・柿崎景家が号令を出す。足軽が長柄をかざして敵に突進する。一方で三好勢もこれに鉄砲で反撃、柿崎勢はばたばたと倒れる。しかし、景家は怯まない。
「ふん!同じ手しか使えぬ能なしめ」
既に唐橋は上杉勢が占拠しており、ここから味方が続々と渡ってきている。狭い橋の上で一塊になっているところを狙われるのとは違い、被害はそう多くはない。三好方とて七千を数える上杉勢全てに備えるだけの鉄砲を有しているわけではないのだ。
「蹴散らしてくれる」
景家は唐橋での鬱憤を晴らすかの如く、自らも敵陣へ斬り込んで行った。
その様子は、主君たる上杉輝虎の許へも届けられる。
「景家め。弥太郎のことがよほど効いたと見える」
「そのようですな。この分だと敵の先陣を崩すのは時間の問題かと」
「そうかな?」
輝虎の許には敵勢の様子も伝わってきている。三好政康と池田勝正が前線にて兵を叱咤して、柿崎勢の猛攻を防いでいるという。大将自ら戦陣に加わるとなると、部隊はかなり強くなる。特に政康は三好三人衆の一人であり、敵首脳である。それが最前線に出てきていることを考えれば、容易に突破は出来ないと見るべきだろう。
「ならば斎藤か甘粕の部隊に出撃を命じますか?」
「いや、儂が出よう」
「実城様自ら!?」
輝虎と共に本陣に詰めていた本庄実乃は、心の中で深い溜息をついた。また主君の悪い癖が出たと思っているのだ。
輝虎は総大将であるにも関わらず戦になると自ら出撃したくなる性分で有り、関東管領となった後もそれは変わらなかった。第四次川中島合戦では総大将自らが敵本陣に斬り込み、総大将同士が刃を交えるという前代未聞の珍事に発展した。
実乃が不服そうな面持ちで主君を見る。
「実乃、そう嫌そうな顔をするな。そなたの言いたいことは分かる。されどな、此度の戦は儂が総大将ではない。総大将は上様である。ならば儂は上様の一兵卒となり、敵を討つのみ」
「総大将ではないという理屈は分かりますが、一兵卒と一軍を率いる将は違い申す!」
所詮、輝虎の言は前に出たいだけの屁理屈と思っている実乃は、諫言して思い留まらせようとする。しかし、今日の輝虎は信頼する側近の言葉すら聞く耳はなかった。
「儂が越後より参ったはこの時のため。上様の兵となり、上様の馬前で槍を振るう。この瞬間を、儂は夢見てきたのだ」
「御実城様……」
「実乃、分かってくれるな」
「……仕方ありませぬな。ならば、手前も御供させて下され」
「おう!ならばどちらが多く敵の首級を挙げるか競争しようぞ」
側近の同意を得た輝虎は、まるで少年のように瞳を輝かせた。
「やれやれ、こんな年寄り相手に何を言い出すかと思えば…」
「ならば儂の不戦勝じゃな」
「なんの!まだまだ若い者には負けませぬぞ!」
かくして上杉全軍の出撃が決まった。
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一方で田上では浅井勢が蒲生勢を支援し、優位に戦闘を進めていた。
「それ!一気に叩きのめせ!」
浅井勢が高山勢を追討する。蒲生勢相手に粘っていた高山友照も浅井勢の猛攻に堪えきれず、散り散りになって後退していく。一方で大戸川の東から回り込んでいる磯野員昌も奥田忠高を後退させている。
「次はあれなる部隊じゃ!」
長政が標的としたのは久秀が次鋒として繰り出した竹内秀勝の部隊だった。長政はこれに取り付くと自ら槍を取って戦線に加わった。その大きな体躯から繰り出される一撃は並の兵では防ぎきることが出来ず、何人もの松永兵があの世へ旅立った。
「退けッ!退けぇ!!」
すかさず竹内勢も後退を命じる。浅井勢の連戦連勝であり、後詰めの西美濃勢に出る幕はなかった。しかし、大戸川一帯を制した長政が見たのは堂山、笹間ヶ岳を要害とした松永久秀の陣城であった。
「むう…上杉殿が言っておられたのはこのことか……」
長政は軍議で輝虎がしきりに開戦に慎重であったことを思い出した。全軍に停止を命じ、不用意に陣城へ攻めかからぬよう厳命する。
「如何します?」
長政と共に兵を進めてきた蒲生定秀が訊く。今や定秀は長政の人柄に信頼を置いており、敵同士である感覚を忘れつつあった。
「松永勢は八千と聞く。ならば不用意に攻めかかる訳には参らぬ。西美濃衆を呼び寄せてから一当てしてみても遅くはありますまい。後は、相手の出方次第にて」
「ふむ。それは確かに……」
定秀は改めて長政が若く血気に逸るだけの将ではないことを知った。己が主君が負けるのも頷けるというもの。何せ定秀の主君は己を大人物とし、他を侮る性格の持ち主だった。だから相手を見抜けず、思わぬ落とし穴に落ちることが多い。先の御家騒動など、その良い例だ。
今から二年前、六角家中で御家騒動があった。きっかけは、当主・義治が宿老・後藤賢豊を観音寺城内で暗殺したことだ。六角家は上方で三好長慶に破れ、支配下にあった浅井家にも独立されて当主の権威が低下していた。そこで義治は当主の権限を回復するべく重臣の一人を“無礼討ち”と称して断じたのだ。これが義治の父・承偵の指図であったことは言うまでもない。
ただ賢豊は家中からの人望に篤く、それを信じる者は皆無だった。それ故に六角承偵と義治は一時的に居城を追われた。これを取りなし、復帰させたのは他ならぬ定秀である。
正直、莫迦なことをしたものだ、と定秀は思っている。何をしたところで、当主たるものに刃向かえる訳がないと主君は考えているのだ。騒動を経た今も、主君が考えを変えた様子はない。
ただ定秀は、その主君が今まさに動こうとしているなど夢にも思っていなかった。
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同日。
近江国・永原城
勢多で合戦が始まった頃、義輝からの出陣要請を断った六角承偵は永原城にいた。永原城は六角氏の居城・観音寺城から東山道沿いに四里(16㎞)ほど離れたところにあり、承偵は義輝がこの地を通過したという報せを受け、密かに城へ移っていた。
勢多で合戦が始まったことは、狼煙によって知っている。
「そろそろ、頃合いじゃのう」
「されど父上、公方様を本当に裏切るおつもりで?」
「義治、まだそんなことを言っておるのか」
承偵は我が子を諭すように話す。
「よいか、我が六角家は将軍家の忠臣じゃ。我が父、そなたの祖父は将軍様を御扶けし、管領代まで務めた。儂とてそれは同じ。お主の代になったところで、それは変わらぬ」
「そこがわかりませぬ。我らは長らく義輝公を御扶けして参りました。されど父上がなさろうとしておることは、その逆ではありませぬか」
「逆ではない。いま申したであろう。我が六角家は“将軍家”の忠臣じゃと。ならば、此度の戦でも我らは将軍様を御扶けせねばならぬ。将軍・足利義栄様をな。それが、我らが家の大義じゃ」
承偵は以前から松永久秀と通じていた。永禄の変では義輝の逃亡先を伝え、今回の上洛戦では義輝方の情報を流した。
「我が領内に入ってきた不埒者どもらを成敗せねば、近江守護の面目も失う」
永原城には凡そ六千の兵が屯している。義輝にも宿老の定秀にもばれずに集められる限界の数だった。これが義輝の後方から襲うことになっている。義輝は承偵を味方と信じて疑っておらず、東側をまったく警戒していない。これだけの数でも戦の決定打となるは疑いなかった。そのため、三好・松永らは殻に閉じこもるかの如く、守勢に徹している。
「しかし、義輝様の軍勢には蒲生を遣わしておりますが……」
「口煩い左兵衛大夫(定秀)など知ったことか。それよりもな、義治。此度の合戦には憎き浅井も加わっておることを忘れるでない。つまり戦に勝利した暁には、近江全土が我が物となるのじゃ。京より東は、好きにしてよいと義栄公からも言われておる。加えて主従の分を越えて意見してくる左兵衛大夫もいなくなり、将軍様への忠義も示せる。まさに一石二鳥、いや三鳥か」
承偵はほくそ笑み、ひとり悦に浸っていた。自分自身でこれ以上はない完璧な策略を張り巡らしたと考えている。
「義治よ。本物の軍略が如何なるものか、よう見ておくのじゃ」
呆気にとられる義治を余所に、承偵が出陣の命を下す。直後、六角軍六千が永原城を出て東山道を西へ進んだ。義輝の背後を襲うために。
義輝が三好・松永と死闘を繰り広げている勢多まで、僅か一刻半(3時間)で辿り着ける距離だった。
【続く】
合戦中編です。
ということは次で終わりなのですが、なんとか目標としていた上洛編は今年中に書き終えそうです。もうあと4~5回ほどでしょうか…まぁギリギリですね。