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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第六章 ~鎮撫の大遠征・序~
138/201

第二幕 道意 ~生きていた梟雄~

元亀元年(一五七〇)十二月。

肥前国・佐嘉城


今山の合戦にて龍造寺隆信の夜襲を見抜き、逆手に取って見事に打ち破った大友八郎親貞は、肥前一国の支配を主・宗麟から委ねられ、名を村中から変えた佐嘉城にて領地経営に勤しんでいた。


「まずは肥前の国人たちに安堵状をお出し下さい。肥前の主が誰であるか認めさせ、その上で龍造寺の所領を当家に組み入れる必要がございます」


これを主導するのは、今山合戦の少し前から親貞の側近くに仕えるようになった道意なる怪僧だった。


これといった所領を持っていなかった親貞がいきなり一国を切り盛りするようになったのだ。親貞は何から手を付けて良いのか判るはずもなく、あれやこれやと家臣に命令を出してみるものの主命がちぐはぐで家臣たちの混乱は増す一方だった。


そこに道意の助言が入った。


どういう訳か道意の助言に従うと領地経営はすんなりと行った。親貞の意思を道意が言葉に変え、命令として下々へ伝達する。それがしっかりと形になって返ってくるのだから親貞の道意に対する信頼はどんどんと深まっていった。


「八郎様。年賀の祝辞に赴く前に一つ御相談がございます」

「相談?そなたから相談ごととは今日は雨でも降ろうか」


いつもは自分から道意に話しかけていることが多い親貞は珍しがって冗談を口にする。道意も苦笑いを浮かべながら“某からも相談くらいありますぞ”と言って戯けて見せる。


「はい。実は八郎様の叙任の儀についてお話したく」


神妙に姿勢を正し、道意は相談の中身について触れ始めた。


「儂の叙任か?」

「肥前を従えるのには、それなりの格というものが必要となります。九州では並ぶ者のない宗麟様と縁者である八郎様が無位無官では下の者に示しがつきませぬ。是非とも府内に赴いた際は、宗麟様へ八郎様から叙任を願い出られすようお願い申し上げます」


道意の申し出を親貞は、尤もだと言わんばかりに頷きを繰り返した。


「その事、儂も考えておったところだ」


親貞は道意に言われて気が付いたなどおくびにも出さず、虚栄心から自分も考えていたと嘘をついた。


「これは出しゃばりを申しました。申し訳ございませぬ」


道意も道意で親貞の嘘に付き合い、仰々しく頭を下げて謝罪を述べる。道意のことを知っている者が見れば一発で演技だと判るのだが、親貞は道意が自分の威厳にひれ伏していると思い込んでいるので“よい、よい”と言って笑って許した。


「では行って参る。留守は頼んだ」

「はっ。お任せあれ」


そして親貞は年明けに府内へ赴いて宗麟へ挨拶、書状を手渡した。書状には予め道意が肥前の情勢を纏めており、その正確で詳細な報告書は宗麟が期待した以上のものだった。大喜びした宗麟は、親貞の叙任を許しただけでなく金銭や刀、南蛮渡来品など多くの褒美を与えて、その忠節に報いた。


親貞叙任の儀は宗麟から幕府へ申請され、征夷大将軍・足利義輝の奏請によって親貞の任官が認められたのは二月の半ばのことだった。


帰国した親貞の許に都から勅使が訪れ、従五位下・肥前守に任じる旨が伝えられた。


(義輝め。機会があれば大友を割るつもりだな)


これを聞いた道意は、義輝がどういう意図で親貞を肥前守に任じたかを即座に見抜いた。


肥前守とは所謂、国司職である。国司とは、その国の支配を任された者のことで、平安の時代は強大な権力を持っていたが、武士の台頭により権力を失っていった歴史がある。今でこそ名誉職であるも大義名分に使われることが多く、織田信長も尾張支配を確立するために尾張守を名乗っていた時期があるくらいだ。また伊勢の北畠や飛騨の姉小路などの例を見る限り国司職の力が及ぶ範囲は未だに残っており、幕府として肥前守護を任せている宗麟に対し、その従弟である親貞に義輝は国司職を与えたことは必ず裏がある。すぐに幕府として手出しはしてこないだろうが、内部で問題を起きた場合は介入する狙いがあると道意は睨んだ。


(儂にとっては好都合よ)


この男が怪しげな笑みを浮かべる時は、真骨頂を発揮する時である。


「約束が違うではないか。宗麟殿は儂に肥前を任せてくれるのではなかったのか」


親貞叙任に不満を唱え始めた者が一人いた。少弐政興である。


少弐氏は鎌倉の時代は北九州で最大の大名として君臨していた名家であるが、南北朝の時代に一族が二つに割れ、その後は大内や九州探題の渋川氏などの勢力に押されて弱体化、最終的には大内義隆によって滅ぼされた。その生き残りである政興を宗麟は、御家再興を餌に龍造寺討伐の大義名分としていた。ところが龍造寺が大友に降り、親貞が国主の座に座ると存在そのものが邪魔になり始める。邪険にしては聞こえが悪いのでそのままにしておいているが、親貞の叙任を機に表だって不満を言うようになった。


「儂の力で肥前を切り取ったのだ。儂が差配して当然であろう」


受領して箔が付いた親貞は、次第と尊大に振る舞うようになっていた。道意も叙任を契機に親貞のことを“肥前守様”と呼称する様になり、それが気に入ったのか親貞は家臣たちに自らを受領名で呼ぶように半ば強制し、“八郎様”と呼ぶ者は自然と遠ざけられた。


「少弐が何だと言うのだ。今は大友の時代よ」


ついに親貞は政興に遠慮しなくなり、政興を疎ましく思い始める。それでも味方であるためにどうしようもなく道意に相談すると、道意は加増で不満を和らげるように助言してきた。


「仕方あるまい」


親貞は同意し、政興の加増が決定した。


しかし、暫くした後に政興が落馬して死ぬという事件が起こった。しかも加増された土地を検分している最中だったという。政興は名家の出自だが御家再興を願い何度も挙兵に及ぶほど武勇に優れていたため、落馬という原因を訝しく思う者が幾人も現れ、当然ながら疑念の眼は加増を沙汰した親貞に向けられることになった。


「儂が政興を暗殺したというのか!儂はそんなことやっておらぬ!むしろ加増してやったのだから感謝されて然るべきぞ!道意、そなたが行って調べてこい!」


在らぬ疑いをかけられて憤慨した親貞は、政興死去の調査を道意に命じる。道意は現場に赴いて調査を開始するが、結果はやはり単なる落馬として処理された。これに一部の少弐家臣から不満の声が上がったものの親貞が道意の勧めにより少弐家臣で政興を保護していた馬場鑑周に少弐領を引き継がせたため、事態は収まりを見せ始めた。というよりも親貞の裁定が鑑周だけに恩恵があるものだったので、今度は鑑周が自らの栄達のために政興を暗殺したのではないのかという見方が広まったのだ。


「どう致せばよい」


矛先が変わっただけで何の解決にも至らず、困り果てた親貞は再び道意に相談した。


「少弐家中の問題です。当家が関わり合うことではありますまい。ここは鑑周に一任する他はございませぬ」


これに関して道意は、これ以上は関わるべきでないと進言した。疑われる者が自分でなければ良かった親貞は、この問題を捨て置いた。ここに肥前は一つに纏まり、親貞の眼は内から外へ向けられることになる。


「肥前は落ち着きました。されど肥後には当家に従わぬ相良がおりまする。肥後守護である当家としては放置できない問題です」


そのきっかけを作ったのも道意だった。


「それに相良攻めは肥前を纏める総仕上げでもございます。一度くらいは肥前守様の言葉に従って諸将を動かさなければ、誰が主であるかを内外に認めさせることが出来ませぬ」

「まことにそなたの申すことは一々もっともよ。されど道意、何故にそなたはそこまで儂に尽くしてくれるのか」


親貞は道意を信頼しているが、知り合ってから一年も経っていない。それなのに道意がここまで真摯に尽くしてくれている訳を親貞は知りたがった。これまで自分に忠誠を向けてくれた者は全て宗麟の威に靡く者たちばかりで、誰一人として親貞個人の立身出世を考えてくれる者はいなかった。しかし道意は、大友家の発展に力を尽くしているも親貞の立場を立てることを常に忘れない。そんな道意を親貞は不思議がった。


「某は肥前守様に拾って頂きました。その御恩を大友家ではなく肥前守様に返すのは当然でありましょう」

「うむ。その言葉を皆にも聞かせたいくらいじゃ。そなたのような者ばかりなら苦労はいらぬのだからな」


そう言って満足そうな笑みを浮かべる親貞であるが、道意の正体を知っている者が聞けば卒倒しそうな話だ。道意のような者がそこら中にいる世界など、悪い冗談だろう。まさに“乱世ここに極まれり”である。一方で道意は親貞が如何に自分を信頼しようとも己の正体を明かすようなことはしないし、自分に繋がるものは全て断ってあるから、正体がばれるようなことはまず考えられない。


「道意、これからも儂の力になってくれよ」

「もちろんにございますとも」


その笑みを浮かべる道意の薄皮一枚下には、まったく違う顔があることに親貞は気が付いていなかった。


これ以後、親貞は道意にますます昏倒していくことになる。そしてまたもや道意の助言に従って田植えが終わる頃に肥後へ出兵したいと宗麟へ願い出た。


「今は時期にあらず、出兵を差し控え内政に専念せよ」


ただ親貞の思惑を遮るようにして、宗麟は出兵を許さなかった。


「何故に出兵が許されぬ」


まさか断られると思っていなかった親貞は、すぐに道意に相談した。


「はっきりとは判りませぬが、思い当たる節が一つございます」

「何だ?」

「肥前守様が独自に動かれ、菊池義武殿の叛乱を再現することにならないか不信を抱いているのではありませぬか」

「儂が父上のようになると申すのか!」


菊池義武とは宗麟の叔父で、親貞の父親でもある。義武は曽祖父である木野親則が代々肥後守護職にあった菊池一族であったので、嗣子として菊池家を継いでいた。凡庸で酒に弱く欲が強い義武は大友家からの独立を画策、大内氏を頼って挙兵するも敗北する。宗麟の家督相続の混乱に乗じて二度目の挙兵に踏み切ったものの家中を素早く纏めた宗麟は討伐軍を送り、義武は再び敗れた。後に禍根が残ることを恐れた宗麟は、和睦を名目に叔父を呼び出して暗殺している。


つまり親貞は父親を宗麟に殺されたことになるのだ。


「莫迦な!宗麟様は儂を買ってくれておる。龍造寺攻めで大軍を与えて下さった。年賀の席でも重臣たちが居並ぶ中で一番にお褒めの言葉をかけて下されたのだぞ」


ところが親貞は宗麟を恨んではいなかった。粗暴な父からは愛情らしい愛情は受けておらず、勝手に挙兵し、勝手に死んだ父の行いを馬鹿らしくさえ思っていたほどである。逆に宗麟は自分を一門として遇し、龍造寺攻めの総大将に任じるなど重用してくれている。親貞が自然と宗麟よりの考えを持つことは何も不思議なことではない。


「宗麟様ならば、儂を信じて下さるはずだ」


いつもなら道意の言葉にすんなりと従う親貞もこの時ばかりは否定を繰り返した。


「忘れてはおりませぬ。宗麟様も懐の深い御方、御身内である肥前守様を疑うこと致しますまい」

「なら何故に出兵が許されぬ」

「ですから、そのように風潮している輩が宗麟様の傍にいるのではないかと申し上げているのです」


道意は宗麟を悪者にせず、原因を他に作ることで親貞を信じさせた。


「……有り得る」


親貞も親貞で最近まで自分が大役を与えられなかったのは、家中に問題があるからだと考えていた。血筋というだけで大役を命じられ、功績を奪われてしまうのを嫌がる者が多い所為だと感じていたのだ。


「ここは某が府内に赴き、家中の様子を探って参ります」

「いや、そなたが儂の傍を離れるのは困る。行くならば別の者に行かせよう」

「そのお言葉は嬉しゅうございますが、ここは某が適任にございます。某は大友家に仕えて日が浅く、家中では小物に過ぎませぬ。小物の某を家臣たちは下人と侮り、遠慮なく本音をぶちまけるでありましょう」

「……道意がそこまで申すなら、もう止めはせぬ」


しぶしぶと親貞は道意の府内行きを認めた。表向き別件の使者として府内に遣わされた道意は、その卓越した弁才を武器に家中に入り込み、情報を集める。


「そなた、八郎様の家来じゃな。八郎様は如何しておられる?相良攻めの申し出があったと聞いたが、そなたが(けしか)けたのではあるまいな」

「とんでもございませぬ。肥前守様は大友家の為を思い働かれようとされているだけにございます」

「ならば出兵されようとしたら身体を張って止めよ。相良は幕府に恭順を誓っておる。いま敵対し、幕府を刺激するのは得策ではない」


府内城で殆どの重臣から声をかけられた道意は、宗麟の考えを知ることが出来た。


肥後南部に勢力を有する相良氏は昔から幕府や朝廷と懇意にしており、貢物を欠かさない家として有名だった。当主の相良義頼は他と比べると決して大きくない身代にも関わらず従四位下に任じられており、この時は宗麟を始めとする九州の大名たちが幕府へ強く抗議したものである。


その義頼を引き立てたのは義輝本人であり、来るべき九州遠征に於いて頼りの一人としているのは間違いない。故に宗麟は義頼との関係改善を図り、肥後守護として戦わずに膝下に加える方が賢明と判断するようになっていた。


「どうやら家中では肥前守様を未だに八郎と呼び、軽んじておられるようにございます」


ところが道意はこれを親貞に知らせなかった。相良攻めが認められないのは、自分を軽んじる重臣が宗麟の周りに多い所為だと報告したのだ。


「けしからん!肥前守は宗麟様の許可を頂き、正式に朝廷から任じられたもの。どこぞの奴らのような僭称ではない!それを認めぬとは、ますます以って腹が立ってきた!」

「恐らく御家来衆は肥前守様に相良攻めをさせれば、今山合戦のように再び手柄を奪われると思っているのでしょう」

「御家の発展を考えず、自らの保身に奔るとは家臣の風上にも置けぬ奴らめ!」

「まことに。どうやら心より御家を憂うのは、肥前守様ただ御一人のようでございますな」

「まったくじゃ。やはり血の繋がらぬ者は信用できぬ」


怒り狂った親貞を尻目に道意は火に油を注いでいく。目の前にいる男も血の繋がっていない相手とは気づかず、重臣たちの名を次々と挙げて罵っていく。


「肥前守様、我らだけでも動きましょう」


親貞が収まった頃合いを見計らって、道意が進言する。


「我らだけでも相良は倒せます。宗麟様には叛意のないことを御伝えすれば、信じて頂けるはずです。何せ肥前守様と宗麟様には血の繋がりという決して断つことのできない絆がございます」


真に迫る勢いに熱くなった親貞は、言葉に押されるようにして大きく頷いた。


(その絆を断つことは、儂のもっとも得意とするところなのだがな)


そんなことを道意が思っているなど露とも知らず、親貞は道意の言葉にのめり込んでいる。


「ところで肥前守様は幕府を如何にお考えでしょうか」

「幕府?」


道意はいきなり話題を幕府に切り替えた。


「幕府は当家を九州探題から外しました。幕府のやり方を見ていると、諸大名が力を持つことを恐れている節が見られます」

「幕府の立場からすれば、判らんでもない。されど当家は幕府と敵対する気はないぞ」


宗麟が裏で謀反方と繋がっていたことを知らない親貞は、幕府を敵と見做したことは一度もない。ただ毛利の肩を持つ幕府を好意的に見てもいなかった。


「まず間違いなく九州に於いては当家に白羽の矢が向けられましょう。下手すれば所領の削減を命じられるやもしれませぬ」

「莫迦な!当家が幕府に何をしたと申すのだ!」

「衝け込もうと思えばいくらでも衝け込む隙があるのが乱世にございます。減封を命じられた場合、当家の影響が弱い肥前や肥後の召し上げが濃厚にござる」


肥前と聞き、親貞は絶句する。


少し前まで大友一門として府内にいた頃なら容認できた話でも、一国の主となって味を占めてしまった今となっては親貞にとって肥前を手放すことは絶対に受け入れられない条件となっている。しかも道意は親貞が反発することを知りながら、この事を敢えて告げているようだった。


「ならばどうしたらよい」


不安になると親貞は、すぐに道意に助けを求めるのが最近の流れである。


「……そうですな、あるといえば一つ方法はございます」

「なんだ、それは?」


もったいぶった言い方に苛立ちを募らせる親貞は、早く話せと言わんばかりに道意に向けて顎を動かした。


「幕府の介入がある前に当家が九州を統一してしまうのです。当家の力は九州では抜きん出ております。相良を倒せば、残りは島津や伊東、肝付など小勢力のみ。上手く行けば一、二年で統一は可能です」

「一、二年!?し……しかし、戦いが九州中に広まれば如何に幕府と言えども介入してくるのではないか」

「介入はあるでしょうが、直接に兵が送られることは、まず有り得ませぬ」

「有り得ぬだと?何故に言い切れる」


親貞は道意が何故に確信めいた言い方が出来るのか判らなかった。まさか道意が幕府の財政について現状がどうなっているか知っているとは気付くはずもなく、ただただ道意の回答するのを待った。


「一昨年の毛利征伐から現在まで幕府は戦続きです。常識で考えても九州まで兵を送れる余裕があるとは思えませぬ。されど幕府とて何れは回復します。その時こそ九州へ兵を入れて来るでしょう」


道意は義輝の性格を知り尽くしている。西征すら自らの手で行おうとしたのだ。九州遠征がある場合、誰かに任せるのではなく自分の手で行おうとするはずと読んでいた。


「その前に当家が九州の統一、もしくは統一目前まで迫れれば幕府としても当家の存在を認めざるを得なくなります」

「な……なるほど」


道意が自分に嘘をつくとは思わない親貞は、その言葉を鵜呑みにして今後の大友家の辿る道について考え始める。本来であれば宗麟が考えることであるが、もはや一部の思考が停止している親貞は、まるで自分が当主となったかのように大友家をどうするべきか模索していた。また九州統一は大友宗麟の悲願でもあるため、そこに対して親貞は何の抵抗も抱かない。


「ともかく、まずは相良か」

「御意。いま肥前守様が動かねば、大友の身代は守れませぬ」


と言っても元々自分の力だけでは生きて来られなかった親貞が九州一円の事を考えられるはずもなく、道意の言葉に従って目先の相良攻めを行うことを決定、その命令が肥前国中に届けられ出陣したのは五月中旬ごろの事で、六月には一万一〇〇〇を率いて大友家に恭順している阿蘇氏の御船城に入った。


御船城には阿蘇惟将と御船城主・甲斐宗運に城親賢、赤星経家・隈部親永ら旧菊池家家老衆が集められて大友軍は数を増やし、一万八〇〇〇にまで膨れ上がっていた。


元々肥後は大友家が守護であるも旧守護・菊池氏の影響が強く、北部が大友寄りの城、赤星、阿蘇に龍造寺寄りの隈部、南部には独立して相良が勢力を有していた。今山の合戦で龍造寺が大友に完全に降伏したことで北部は大友家に纏まることになったので、それは見方を変えれば親貞の功績とも言える。


「肥前守様の御威光が肥後の国人を一つにしたのです」


それを鋭く指摘できる男は道意しかいない。道意は親貞を持ち上げ、親貞が肥後国人らに命令する立場にあっても不思議ではないと説いた。気を良くした親貞は早速に諸将を呼び集めて相良攻めの軍略を練り始める。


「相良を攻めるなど以ての外にござる!」


そこに邪魔が入った。相良当主・義頼と不戦の誓いを交わしている甲斐宗運が真っ向から道意に反対を異見してきたのである。


「相良は守護である当家の命に従わぬ。攻めるのに何の遠慮がいろうか」

「家臣ではない相良が大友家の指示を仰がぬのは道理、相良は幕府からも独立した大名として認められておる」

「これは異なことを申される。その幕府から肥後を任されておるのは当家にござる。大名として幕府から認められているのなら、尚更に当家に従う責務があるというものではありませぬか」

「詭弁にござろう。そもそも大友家が幕府より肥後の守護に任じられてから相良に対して何の命令も出しておらぬではないか」


道意と真っ向から対する宗運で軍議は紛糾した。


宗運の立場は云わば道意と同様で、主君・惟将を支えて阿蘇家の維持に貢献している。惟将も宗運を頼りとし、二人三脚で阿蘇家を切り盛りしてきた。ただ立場こそ似通えど親貞の場合は道意の言葉のまま動いているに過ぎない。世間では、それを“傀儡”といった。


「止めよ。ここは道意の言い分が正しい。相良が幕府に従うというのならば、儂の招集に応じてもよいはずだ。応じて来ぬということは、即ち敵対する意思の表れであろう」


総大将の立場にある親貞が割って入り、上意を以て決定を下した。


「相良に使者を出したのですか」

「うむ。肥後守護を担うのは当家、“肥後の行く末ついて相良殿と諮りたき儀がある”と御船城まで来るよう遣いを出したのだがな。こちらの申し出は拒否された。儂とてそなたと義頼の仲は知っておる。その友誼を重んじ、評定の場に御船を選んだのだ。どうやら儂の心遣いが無碍にされただけでなく、そなたのことも義頼は信用しておらぬらしい」


これを聞き、宗運は“しまった”と思った。


評定の席など道意からすれば議論の場ではなく単なる通過儀礼でしかない。評定が始まる前に方針を決定し、そう議論が進むよう全て道筋を作り上げてから評定を開く。上方で天下を相手にしてきた道意からすれば、宗運如きを退けるなど児戯にも等しかった。


阿蘇家は大友と相良の両方と盟約を結ぶことで独立を保ってきた。大友との関係は国力の差から臣従に近いが、相良とは対等な同盟にある。折衝は宗運が担っており、義頼とは公私ともに深い付き合いで、その関係があったからこそ阿蘇家は肥後で生き残って来られた。


そのことはそれなりに九州では有名な話で、故に道意は予め親貞を動かし相良へ使者を送っていたのだ。もちろん理由は何でもよく、相良が拒否するような方向に仕向ければ合戦の大義名分は立つ。だからこそ“肥後の行く末”などという曖昧な内容で相良に人を送ったのだ。義頼にすれば訳の分からない内容で呼び出された挙句に殺されるという懸念があり、簡単に出向く訳にはいかないのは当然だ。


「行く末と申されても何を話せばよいか判らぬ。もう少し要件を詰めてからでもよかろう」


実のところ義頼は使者に対し拒否をしたのではなく、ただ“時期尚早ではないか”と答えただけだった。流石の義頼と言えど、これが道意の謀略であると見抜けるはずもなかった。


道意にすれば使者が目的を果たせずに追い返されたという事実があればよく、中身などはどうでもいい。相良が“申し出を拒否した”とだけ報告を受けた親貞は、もう相良を攻めることに戸惑いを持たなくなっていた。


(あの老将、何者じゃ)


このやり取りに違和感を持ったのは、龍造寺家臣の鍋島信生だった。


先の合戦で敗北した龍造寺家は、当然ながら先鋒を務めさせられる形で大友軍に加わっており、当主の隆信と共に信生も軍議の場に参加している。龍造寺の立場が弱いことから発言することは許されていないが、信生も今の現状に甘んじるつもりはない。いつでも大友の支配から抜け出せるよう家中の様子に目を光らせ、衝け込む隙がないかを常に窺っていた。


(殿、あの老将を御存じですか?)


信生は小声で隆信へ話しかけた。


(いや、知らぬ。ただ見たところ道意なるあの老将が親貞を動かしておると見た)

(某も同じ見解でござる)

(奴に取り入るか?上手くすれば独立も見えてくるやもしれぬ)

(まだ道意なる者の真意が見えぬ以上は危険にございます。今は従った振りをしておくのが肝要かと)

(……ちっ!致し方あるまい。暫くは熊が犬を演じてやるとするか)


そこで隆信は信生との話を打ち切った。道意がこちらを見た気がしたからだ。密談していたと見られれば、こちらの身も危うい。乱世を生き抜いてきた感が、あの男は危険だと告げていた。


「では明朝、御船を発って相良領へ攻め込むことと致す」


軍議は一波乱あったものの当初からの予定通りに相良攻めが決行されることになった。


「何ということだ。相良殿に何と詫びたらよいのだ」


出陣の支度に追われる宗運は、何とか相良との合戦を防げないか智恵を絞った。宗麟に掛け合うことも視野に入れ、その時間を稼ぐべく密かに相良に人をやって籠城の支度を整えるよう義頼へ伝える。相良勢が粘っている内に宗麟を口説き落とし、停戦に導ければ交渉役は自分に回ってくるはずだ。そうなれば道意が口を挟むことも出来なくなる。


「おやおや、これはいけませぬなぁ」


だが宗運の目論見はすぐに露見することになる。


宗運の周りを見張っていた道意が密使を捕縛し、携えていた書状を持って現れたのだ。


「き……貴様!」

「甲斐殿と相良殿の友誼は友誼、これは裏切りでございますぞ」


道意は書状を宗運の目の前に放り投げると、憎たらしい口調で露骨にもこちらを脅してきた。


「某とて鬼ではありませぬ。今回は目を瞑りましょう。されど次に裏切ろうものならば、肥前守様だけでなく府内にも報せを送らねばならなくなりますぞ。そうなれば阿蘇の家がどうなるかは、申すまでもありますまい」

「くッ……」


宗運は拳を握りしめ、歯噛みをして己の軽挙を後悔した。


(これが、この男の本性か!所詮は親貞に取り入って権力を笠に着る佞臣の類かと思ったが、油断したわ!)


道意の実力は宗運の想像を遥かに越えていた。


しかも道意の牙は敵だけでなく味方にも容赦なく向けられる。もはや相良攻めは止められぬし、阿蘇の家も弱みを握られたことで厳しい合戦を強いられるだろう。全ては道意が如何なる人物か見抜けなかった自分に責任がある。


(すまぬ、相良殿。申し訳ございませぬ、殿)


宗運は軍権を密かに道意に握られたまま合戦に臨むことになった。


道意によって宗運は出兵に際して案の定、兵法に従うという名目で先手を命じられる。断れるわけもなく宗運は道案内を兼ねて進軍、姿婆神峠を越えて相良領へ入り、宮原城へ攻め寄せた。


「このような小城、さっさと落としてしまえ」


いつ宗麟から矢止めの使者が訪れるか判らない親貞は、相良討伐に時間をかけたくない。戦う兵の大半が肥後衆と龍造寺勢だったこともあり、緒戦から兵力を惜しみなく投入した。


城主の宮原公忠は果敢に応戦するも兵力の差は如何とも埋め難く、援軍を請う使者を義頼のところへ走らせるのが限界だった。


「意外とあっけなかったな」


僅か一日の落城に気を良くした親貞は、周辺にある相良の属城へ兵を回す。特に南側には相良氏の拠点である古麓城がある。親貞は半数を割いて相良氏を警戒させつつ攻略を急がせた。


この時、相良義頼が北肥後進出の根拠となる豊福城をあっという間に落として親貞を驚かせたのが、龍造寺隆信だった。この報せを聞いた時、周りが隆信を賛美したために親貞は相当に気分を害した。そのことに道意は気が付き、擦りよって全員の前でわざとらしく親貞に媚びてみる。


「その龍造寺を破った肥前守様の武略は、ますます天下に轟きましょうぞ」


親貞は道意の一言で態度をガラリと変え、隆信を呼んで直に褒め称え、わざわざ隆信だけに褒美を与えるほどだったという。


「次はどの城だ」


順風満帆な行軍に親貞の態度はますます大きくなっていった。仕舞いには“相良を降したなら薩摩にも攻め入るか”と口にする始末である。その親貞に代わって軍は道意が統率していたため混乱はなく、大友勢はそのまま薩摩街道を南下し、肥後八代郡の中心ともいえる古麓城を取り囲んだ。


「よし、すぐに寄せよ。ここも一日で落とすぞ」

「お待ちくだされ」


意気揚々と考えなしの城攻めを命じる親貞に道意が待ったをかける。すぐに親貞は嫌そうに眉間に皺を寄せるが、相手が道意とあれば話を聞かざるを得ない。


「何じゃ」


親貞は大きな溜息を吐くと、仕方なく道意の言葉に耳を傾けた。


「古麓城には、恐らく義頼がおりまする」

「何?義頼がおるのは人吉ではないのか?」


敵の総大将がいると聞いて、親貞は疑問をぶつけた。


相良氏の本拠地は肥後南部の奥地にある球磨郡である。その中心が人吉で、相良氏は鎌倉の頃より代々治め、義頼で十八代目となる。


「相良の版図で申せば、人吉よりも薩摩街道沿いにある古麓城の方が重要にございます。外つ国との交易も盛んな徳渕津(とくぶちのつ)を有し、ここを失えば相良の命運は断たれたも同然にございます。某が義頼ならば、援軍が揃う前に古麓城へ移ります」


上方とは違い、武士と農民の関係が前時代的な地方では、どうしても陣触れから派兵まで時間を有してしまう。宮原城から送られた使者の口から大友が攻めてきたことを知った義頼が援軍を率いて古麓城へ入るのは、とてもじゃないが間に合わない。下手すれば古麓城を失いかねない。それを防ぐ手立てがあるならば、一つだけだ。


自分が先に古麓城に入ってしまえばいい。総大将がいるだけで城の兵士たちは奮い立ち、見間違うほど強くなる。その間に援軍を待ち、城の中と外から挟み討つ。そういう策が常道である。問題は、単身で囲まれる城に乗り込むだけの度胸が総大将にあるかという点だが、評判を聞く限りでは義頼はその度胸を持ち合わせている。


義頼は父祖の版図を土台に内政外交を駆使して勢力を広げてきた。まず間違いなく有能な人物である。その義頼ならば、確実に古麓城に入っていると道意は睨んでいた。


「先に徳渕津を押さえてしましょう。徳渕津を押さえれば当家の懐はますます潤いまする」

「理屈は判らぬでもないが、今は戦の最中ぞ。湊など後回しでもよかろう」

「いえ、合戦は何があるか判りませぬ。湊に被害が及ぶ前に、何としても先に押さえておく必要がございます」

「そういうものか。相判った。道意に任せる」

「有り難き仕合せ」


道意は親貞の名を使って兵を動かすと、古麓城の西北に位置する徳渕津を占領した。また道意が城攻めを拒んだのには別の理由もある。古麓城は徳渕津支配のための要所である。その為に飯盛城、丸山城、鞍掛城、勝尾城、八丁嶽城、鷹峰城、新城など支城群が古麓城の拠る山岳地帯に割拠している。如何に大友軍が大兵を擁そうとも一筋縄では行かないのは歴戦の雄が見れば一目瞭然である。


「まずは人吉街道の警備に五千ほど回しましょう。後は支城を端から順に落とすだけです」


道意は事前に肥後衆の面々と語り合い、相良の身代がどのくらいのものかを調べていた。援軍の規模は多くても三〇〇〇と予想した道意は、十分な抑えを割くと残りの兵を全て使って支城群の攻略に着手した。


手法は簡単である。


大軍の利を生かし、全ての支城に一〇〇〇ほどの兵を張り付けて城方の自由を奪い、連携を断ってから一カ所に兵力を集中させて順々に落としていく。時間はかかるかもしれないが、これなら被害を最小に抑えつつ古麓城を裸城にすることが可能だ。


「やはり道意なる者、以前は名のある武士であったに違いない」


本陣からの使者から命令が通達された隆信は、信生を呼んで道意の正体について話し合った。


「知略、武略共に優れ、肥前の統治も全て道意の指図があったと聞き及んでおります。少弐政興の死にも当初は親貞が暗殺したとの噂が流れました。当の本人は否定いたしましたが、道意の謀略であったとすれば納得も行きます」

「そのような者など九州中を探しても幾人もおらぬぞ。道意が何者か知っている者はおらんのか」

「はい、拙者が探りを入れたところ誰もおりませんでした。……もう少し調べますか」

「いや、よい。何処かで道意に気付かれれば厄介よ」


結局、隆信も信生も道意の正体を暴くことは出来ずいた。それでいても警戒すべき相手だとは判る。隆信は機会を待つことにした。


十日後、大友勢は支城群の中で飯盛城、鞍掛城、八丁嶽城、鷹峰城、新城の五つを落としたが、人吉より相良家臣の犬童頼安と深水長智が二五〇〇を率いて姿を現した。しかし、道意が五〇〇〇の兵を球磨川を挟んで南側の八竜山に布陣させて街道を封鎖していたため、犬童らは八竜山の更に南に位置する坂本より前に進めなかった。


「これでは城の様子が判らぬではないか」


坂本からは八竜山が邪魔をして城を直視できない。川を渡り山間からなら状況を視認できるも、当然ながら時間がかかり、こちらの動きは後手後手に回る。援軍の役目を果たせぬ頼安と長智は対応を協議するもよい案は浮かばず、日向国の大名・伊東義祐に援兵を依頼することにした。


「相良殿には申し訳ないが、大友と敵対する訳にはいかぬ。ここは和睦いたしたらどうであろうか?何なら儂が仲立ちをしてもよい」


ところが期待は早々に裏切られた。


義祐は薩摩の島津と敵対関係にあり、同じく島津を敵とする相良と盟約を結んでいる。戦国時代特有の利害の一致による盟約であるが、その相手が大友となると話は別である。伊東家が日向国で最大の大名であっても、南北に敵を作っては立ち回りは難しい。特に大友の身代は強大で、伊東家と言えども一瞬にして飲み込まれる可能性がある。


故に義祐は兵を出せなかった。


「頃合いだな」


道意は相良の援軍が動きを止めたことから万策が尽きたことを見抜いた。まさか敵対している島津を頼る訳も行かず、頼りの伊東も動かないとなると相良は単独で大友と戦うしかない。単独で大友に勝てる大名など、九州には存在せず、その無謀さは義頼も承知の上のはずだ。


「肥前守様。ここは寛大に使者を送り、義頼に降伏を促しましょう」


今ならば労せずして相良領を手に入れられると踏んだ道意は降伏を進言した。


「降伏だと?もう少しで城は落とせるのだ。手緩くはないか?」


順調な城攻めを目の前に相良の領地を全て奪ってやろうと考えていた親貞は、不満そうに声を荒げた。だが、そんな時であっても道意は己の意思を曲げたりはしない。


「いえ、降伏が妥当です。当家の目的は九州の統一、戦って敗北しても降伏すら許されぬとあれば、戦は長引きます。武門とは御家を長らえさせるのが役目、生き残る道を示してやるのも君主の器にございます」

「……それはそうだが、何やら口惜しいな」

「もちろん全て当家の所領とできれば万々歳にございますが、間もなく府内よりの使者も参る頃かと。何かと言われる前に既成事実を作っておく必要がございます」

「そ……そうよな。全て道意に任す故、よきように致せ」

「はっ。畏まりました」


府内という言葉を聞き、親貞はすぐに折れた。尊大に振る舞おうとも親貞にとって宗麟は頭の上がらぬ相手なのだ。もし撤退を命じられれば、道意が何を言おうとも従うだろう。そうなっては、道意は目的が果たせない。


「使者は甲斐殿が務められよ。条件は八代郡の割譲、相良殿の面目は、相良から姫を肥前守様へ嫁がせることで保てましょう」


道意は意地悪くも甲斐宗運を正使に任命した。副使には大友家中から人を付け、宗運を見張らせる。宗運にすれば自分の言葉次第で相良の家を守れるので、命令を受諾して古麓城に入った。


「降れだと!?馬鹿は休み休み言うのだな」


義頼は卑怯な手段で攻め入ってきた大友家に降伏することをよしとせず、頑として要求を撥ねつけた。それでも宗運は相良の存続を軸に粘り強く説得、遂に義頼は八代郡の割譲を認め、実妹の亀徳を親貞に嫁がせることで両者の和睦は成った。


和睦が成立した次の日に府内より宗麟の命令が届き、勝手に出陣した親貞は咎められ撤退を厳命された。ただ相良との和睦は大友家に大きな利を齎すものであったために宗麟の追認によって親貞の成果は一定の評価を受けることになったものの蟠りは両人の気付かない範囲で残った。


かくして肥後一国は完全に大友家の支配下に置かれることになった。


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元亀二年(一五七一)七月十一日。

筑前国・博多


親貞が佐嘉に帰還してから暫くの後、九州全体を揺るがすような出来事が伝えられた。


「元就が死んだ?それはまことか!」


中国の雄で九州では筑前半国の所領を得る元就が老衰により死去したとの報せだった。


(しめた!これで唯一の懸念であった毛利が動くという恐れはなくなったわ!)


これほどまでに喜ばしい報せを受けたのは久しぶりだった。道意としては幕府の派兵はなくとも毛利が動いて大友を牽制してくることは有り得ると考えていたので、元就の死は道意のかけられていた最後の枷を解き放つことになってしまった。


元就を失った毛利は、暫く動きを止めることは間違いない。


「秋には再び兵を動かします。それまでに支度を整えておきましょう」


そう言って道意は次なる合戦に備えて兵糧、武具、弾薬を揃えようと佐嘉を発ち、この日博多にやってきた。これまでの働きから決して少なくない恩賞を得た道意は、商人たちとの繋がりを深めるという目的もあり、博多で豪商と知られる島井宗室を訪ねた。


「ちと邪魔をするぞ。こちらに肩衝の中でも特に名物と知られる楢柴があると聞いたのだが……」

「楢柴?確かに持っとるが、何方様でしたか?」


宗室に尋ねられた道意は自己紹介を済ませると楢柴を是非に見せて欲しいと頼み込んだ。数奇者としての性分か、道意は宗室の持つ名物に強い関心を抱いていた。


楢柴は初花・新田と並んで天下三肩衝と呼ばれる名物である。元は八代将軍・足利義政の所有物であったが、その後は転々と持ち主が変わり、今では宗室の手にあった。


「よいけど、売りはしませんよ」

「構わぬ。見せて欲しいだけだ」


宗室は楢柴の価値が如何なるものかよく知っていた。宗麟も何度か楢柴を売って欲しいと宗室に願ったことがあったというが、これを宗室は拒んでいる。


(あれは売り物じゃない。ここぞという時に献上して島井の店を守るためのものだ)


そう認識している宗室は、何処かで楢柴を公方様に献上する日が来るのだと予感していた。


「ならこちらへ、せっかくなので一服馳走いたしましょう」


ただ見せるだけなら問題はない。自分が楢柴を持っていることは、商売に於いて大きな意味を持つ。特に道意は飛ぶ鳥を落とす勢いで名を高めている大友親貞の側近というではないか。これは取り入っておく好機でもある。


「いま御一人お客様がおられますが、相席でも宜しゅうございますか?」

「ああ、構わぬが?何処の誰かは教えて貰えるのだろうな」


道意は茶室に入る前に相手の名前を宗室に尋ねた。


己の身分を隠している道意としては、下手に知り人に会うわけにも行かず細心の注意を払う必要がある。そもそも九州に顔見知りなどいないが、警戒するに越したことはなかった


「ええ、最近になって博多に移ってきた道糞(どうふん)と申します御方です。名前も性格も少し変わった御方なのですが、茶の湯は見事な腕前で、よき高麗茶碗を持っておられます」

「ほう、高麗茶碗とな」


名前を聞き知り合いでないことを確認した道意は、高麗茶碗と聞いて眼の色を変えた。そして期待を胸に膨らませ茶室に足を踏み入れると、中には男が一人座していた。先ほど宗室が言っていた道糞と思われるが、顔を見上げた道意は九州に来てから初めて後悔することになる。


「……ッ!?」


知り合いでないと思っていた道糞の顔は、共に謀反方として暗躍した荒木村重とそっくりだったのだ。違うところと言えば、道意と同じく髪を剃ったことくらいか。


「……貴様はッ!?」


同じように道糞の眼も見開かれる。こちらが判ったのだ。村重も自分の事に気が付いたに違いない。


「久……秀……」


道意と名乗る者の名を、村重は口にしていた。




【続く】

さて、いよいよ出て参りました道意でありますが、正体を隠す必要はあるのか、という疑問を書きながら持ち続けておりました。最初からバレバレですよね。


道意の人へ取り入る能力については誰もが知るところ、如何なく発揮しております。また親貞についてですが、実際に今山合戦以外に何をやった人物なのか不明であります。年齢は今山合戦時で35~6らしいのですが、逆に考えたなら、その年齢まで名が挙がらないとなると有能な人物ではなかったのではないかと考えています。所謂、血筋だけの男ということです。彼の腹心として暗躍する道意を描いた次第でありますが、最後に村重も登場しました。彼の登場が道意の九州での行動に変化を与えていきます。


果たして彼は大友家をどうしようというのか。この後の展開はもう少し後で描きます。


次回は謙信を中心に関東情勢を描く予定です。更新ペースを守れるよう頑張ります。

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