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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第五章 ~元亀争乱~
134/201

第二十八幕 信濃返上 -甘さの代償-

十一月二十日。

信濃国・塩尻峠


六月に信濃国上原城で父・信玄と決別をした武田義信は、別れ際に信玄から甲斐武田の家督を譲られたことで正式に跡目を継ぐことになった。名実共に武田家二十代目当主となった義信は領国は元より近隣一帯にまで広く報せ、信玄派、中立を保っていた国人らに再度、傘下に入るよう呼びかけた。


「太郎が兄上によって家督を譲られたのなら、従うのが道理じゃ」

「うむ。諍いはあったが我らは由緒ある甲斐源氏に連なる者、いま一度結束しようぞ」


これに一番先に声を挙げたのは、甲斐府中にいた叔父の武田信廉と河窪信実だった。元々父子の争いに中立の立場だった両名は、信玄が家督を義信に譲ったという行為を認める形で傘下に入った。


それに次いで中立派だった者らが相次いで起請文を提出するようになり、信玄寄りだった家臣たちもこれに倣って新たな当主へ従うことを受け入れていった。また義信も家中の再統一を図り、甲斐掌握の際に牢に入れられていた板垣信安を解放、旧領に戻ることを許すことで懐柔を図った。


「これからは太郎様を御屋形様として仰ぎ、忠節を尽くす所存」


そして武田四名臣が一人・春日源五郎虎綱も義信へ恭順を誓う。義信は上杉謙信と友好関係を築いていることから越後長尾家に備える必要のなくなった虎綱は、海津城の守備に最低限の人数を残すと、迫り来る脅威に対抗すべく兵を率いて義信の軍勢に合流を果たす。


「源五郎、太郎の周りには知恵者がおらぬ。そなたは太郎の許に残り、信長の脅威から甲斐を守るのだ」


義信は虎綱の帰順を喜んだが、実のところ帰順は規定路線だった。虎綱は信玄に従った他の四名臣とは違い、北陸へ去る信玄から直々に義信の補佐を命じられていたのだ。信玄は家督を譲り領国を去ったとて生国である甲斐への強い想いまでは捨て去っていない。故国を織田信長の脅威から守るため、北陸への同行を志願する虎綱を敢えて置いて行く選択をしていたのだ。


ここに武田は一つに纏まりつつあった。義信の軍勢も増え続け、一万二〇〇〇を数えるまでになった。


ところがである。義信が完全に甲信を纏めきる前に恐れていた事態が起こってしまった。


十一月十五日、織田信長より命を受けた柴田勝家率いる一万五〇〇〇の軍勢が、木曽伊予守義昌の導きに従って信濃へ攻め込んできたのである。


「予州が裏切った!?それは真か?何故に予州が、しかも織田なぞに……」


光明が開けてきた矢先に義信は信じていた者から裏切られ、落胆を隠せずにいた。


そもそも義昌は義信へ忠節を約束していた上で已む無く信玄に従っていたはず。両者の対立中は寝返りの機会に恵まれなかったものの信玄が甲信を去り、残るか付き従うか家臣らに去就を求めたのを機に、義信方に加わると思われた。それが何故か織田に奔ってしまった。


「もう武田は終わりだ。公方様の信任篤い織田様を頼れば、儂の立場は揺るぎまい」


義昌離反の理由は明確だった。


信玄と袂を分かった義信が甲信で自立していくには、幕府方に付くしかないのは自明だ。当然、それに義昌も気が付いている。ただ義信は幕府に従うと口では言いつつも態度は鮮明ではない。だからこそ織田に衝け込まれているのだが、義昌は違った。


織田を信濃に引き込むという判り易い行動で、己の立場を鮮明にした。


「元々木曽家は、武田の風下に立つ家ではない」


木曽氏は甲斐源氏に勝るとも劣らない由緒ある家柄で、父・義康の時代に戦に破れて従ったに過ぎない。その義康も離反を支持し、実弟の上松義豊を質として織田へ送ることに同意を示した。この裏切りに家中で荒波が立たなかったかといえばそうではなく、義昌の正室である真理姫が公然と夫の行いを批難し始めた。


「一度、武田を主と認めたら例えどのような苦難があろうとも最後まで付き従うのが武門というもの。裏切りなど、由緒ある木曽の男がすることではない!」


真理姫は信玄の三女で、濃信国境に位置する木曽氏を武田に留めておくために義昌に嫁いでいた。実家への誇りは誰よりも強く、夫の行いを許せなかったのだ。


そんな様子だから義昌も真理姫を傍に置き続ける訳にはいかなくなる。


「太郎殿は幕府に従う他に道はない。ならば真理を離縁し丁重に送り返せば、太郎殿が母上らを殺すような真似が出来ようか」


義昌は真理姫を離縁し、義信の許へ送り返すことにした。甲府には人質に差し出した母と嫡男、長女がいるが信義を重んじる義信が怒りに任せて人質を殺害することは考え難かった。しかも幕府方に付いた義昌の人質を殺せば、義信は義輝から敵と断じられ滅びの道を歩みかねない。義昌は武田から織田へ鞍替え決意し、攻め込んできた柴田勝家軍に身を投じた。これが五日前のことである。


義信は離反した義昌が織田軍を引き込んだ為に軍を差し向けるしかなくなり、織田も木曽を支援しなくてはならない。そして何より信濃一国の切り取りを信長より約束された柴田勝家は領土欲に燃え、少しでも前に進もうと雪が積もり始め行軍が難しくなりつつある道を進軍するよう部隊に命じている。


そして二日前、両軍はついに鳥居峠で激突した。


「武田は逆賊ぞ!討ってしまえ!!」


織田軍は木曽勢を加えて一万七〇〇〇までに増え、意気軒昂。一方の武田軍は武田親子分裂の混乱から本当の意味で立ち直れておらず、狭い峠道では数の差は影響が少ないにも関わらず敗退を繰り返す。


「くっ……、一旦退くぞッ!」


結局、勝家の猛攻を支えきれなかった義信は損害が大きくなる前に撤退を指示した。今後を考えると幕府陣営に属す織田と本格的な戦闘に突入することは避けたく、退くことで時間を稼ぎ、その間に将軍の調停を仰ぐ手段を講じるべきと考えたのだ。


「このまま信濃全土を切り取ってくれるわ」


緒戦に快勝した勝家は、武田軍を追う形で東山道を進み、信濃国最大の広さを持つ松本平にある熊井城を占拠する。義信は諏訪方面へ退去し、織田軍も東へ向かい両軍は塩尻峠で再び睨み合うことになった。塩尻峠には義信が以前に馬場信春と対峙していた際に使用していた陣地があり、抗戦が可能だったのである。ただそれ以上にここから先には退けない理由があった。


塩尻峠の先は諏訪郡であり、諏訪郡を抜ければ本国・甲斐がある。甲斐へ逃げ込むという事は信濃を捨てることと同じ意味を持ち、甲信二カ国の守護を自認する義信にとって堪え難きことであった。


(雪がもっと降ってくれれば……)


時節は冬に入っている。雪が降る日も増えており、真冬の到来までいま少しである。山脈の頂には白いもので隠れており、街道は雪で覆われつつある。雪中の合戦は両軍にとって無謀でしかなく、野営など以ての外だ。兵糧の確保や運搬に手がかかるだけでなく寒さから凍死、餓死する者も珍しくない。これならば合戦で討死した方がまだ意味があるというものだ。


それは織田も判っているはずで、しかも雪に慣れてない織田軍の侵攻はもう間もなく確実に止まると思われた。そこから雪解けまで時間の猶予が生まれる。その間に幕府と交渉し、失地を回復させる。それが義信の戦略だった。


それも一人の使者が訪れたことで根幹から崩れて行く。


「武田様に御目通りを願いたい」


来訪したのは将軍・足利義輝の使者だった。


ただ使者は幕府に従う織田の陣から来た様子はなく、姿は修験者のようで、身に纏う麻の篠懸(すずかけ)は至るところが汚れてほつれている。凡そ武家の棟梁の使いには見えなかった。


「むっ、怪しい奴め!公方様の使いという証はあるか?」

「こちらを武田様にお見せ下さい」


当然ながら兵に止められた男は懐から短刀を出し、兵へ渡した。兵は預かった短刀を本陣へ届けるように指示を出し、使者に待つよう伝える。


この短刀、実は以前に義信が上洛した際に義輝へ献上したものの一つで、それが身の証となって義信への引見を許されることになった。


「こちらを公方様よりお預かりしています」


義信と対面した男は衣服を破き、袖に隠されていた書状を取り出す。受け取った義信はサッと開いて読み進める。


「…………」


一読した後、義信は押し黙った。そこに何が書かれているか傍に侍る穴山信君ら側近たちは各々が顔を見合わせ、首を傾げる。義信の表情は険しく、よい報せでないことは確かである。疑う余地がないわけではないが、使者が差し出した短刀に記されている花押から将軍の御内書であることは恐らく間違いない。


「……父上が、近江で敗れた」


義信の口から衝撃の発言が飛び出した。


「なっ……、まことでありますか!?」

「おやか……いや、まさか御先代様が敗れようとは……」


諸将から驚きの声が上がる。


ここにいる者たちは、経緯はどうあれ最終的に義信に味方することになったものの信玄の才を疑っている者は誰一人としていなかった。いや信玄ならば将軍にすら勝ってしまうのではないか、そういう気持ちを持っていた人間は、少なくはなかったはずだ。


しかし、信玄は敗れた。


「しかも父上は合戦で首を討たれたようじゃ」


再びの衝撃が辺りを静寂にさせる。義信もすぐには信じられなかったようで、額に手を当てて何度か首を左右に振った。


信玄の死。


それは武田の者にとって大黒柱が失われたに等しい。公私共に親しかった春日虎綱などは、声を押し殺して泣いている。他に涙する者の幾人か見られた。他家に対して信義を軽んじ、裏切りの連続であった信玄が家中に対しては情愛を以って接しており、公私を通じて文のやり取りしている者も多かった。


義信は父の為に泣く家臣を咎めるつもりはなかった。決別したとはいえ、彼らにとって父は旧主に当たる。旧主を偲んで涙を浮かべるは、主従の関係としては尊いものだ。


(父上、さそ無念でありましょう。御安心くだされ、武田の家は、この義信が守って行きます故……)


自らも胸の前で両の手を合わせ、父の冥福を祈った。死人を悪く言うようなことは、義信の趣味ではない。義信が名実ともに独り立ちする時が訪れようとしていた。


(さて、ここからだな)


難問は尽きない。御内書には信玄の死について書かれているだけでなく、義輝の命令が付随されている。これを履行できなければ、武田の存続はいよいよ危ぶまれる。その為には家中が一丸となり、事に当たって行く他はない。


義輝の命令は単純に“余に従う証を立てよ”とのことだった。今までのように言葉での恭順ではなく、はっきりとした行動で示せと言ってきている。その内容如何で、恐らくは処分が決定するのだろう。但し、織田の侵攻という目の前の問題を抱えつつ将軍の命令を履行するのは甚だ難しく、義信は家臣らと諮ることにした。


「当家から人質を差し出せば宜しいのでは?」


信君が提案する。質を出すことは、明確な意思表示と成り得るし、昔からの武家の倣いでもある。ただ質を出して済むのであれば、そう御内書に書かれてあってもおかしくはない。


「公方様は、御屋形様に何かしらの行動を求めておられるのではないでしょうか?」


今後は虎綱が発言した。


「行動とは?」

「はっきりとは判りませぬが、例えば御先代様に味方した者の処分などです」

「それを持ち出して、いま家中を掻き乱したくはない」

「ならば御屋形様自らが上洛されて上様に謝罪を申し上げ、臣従を誓われるたら如何でしょうか」

「うむ、確かに何れ上洛する必要はある。ただ現状は難しい」


義信はいくつか上がってきた案を考慮するが、どれも将軍が求めているものとは思い難かった。


「上様は、この甲斐守に何を御望みか」


そこで義信は率直に使者に尋ねてみることにした。


「公方様は武田様が自ら幕府の為に動かれることを御望みです。故に拙者は武田様の返答を持ち帰るようには命令されておりません」

「なるほど。この苦境を自ら脱して見せよ、ということだな」


将軍の計らいに思わず苦笑いを浮かべる義信だった。


使者の言い分は虎綱が言ったことに近い。武田はいま織田の侵攻を受けており、将軍が強硬手段をとって進軍を止めさせることは出来るのだろうが、そこまでしてやる価値が義信にあるのか、それが問われている。未だ天下一統はならず、今後は武田も幕府の一翼を支えることを考えるのであれば、義信の力量を確かめておく必要もあるはず。確かに今の武田の武名は信玄の武名と例えても過言ではなく、義信の当主としての実績はないに等しい。この苦境を乗り越え、義信の存在を将軍に知らしめなくてはならない。


義信は使者を退去させると今後の方針について語り始めた。


「質は何れ出さねばならぬだろうが、今はその時ではない」


義信は先ほどの信君の言を受け入れつつも否定を口にした。そして、その理由を説明する。


「信長の勝手を止められるほど将軍の力は強くはない、そのように父が申していたのを覚えているか」

「はい。されど御屋形様は、御先代様の言葉を御信じになられるのですか」

「父の考えは好かぬ。行いを認める気もない。されど言葉の全てまで否定しようとは思わぬ」


義信は複雑な表情を浮かべながら言った。


信義を軽んじる父のやり方から義信は違う道を歩むと決意したが、信玄という武将の才覚は誰もが認めるところだ。義信もはっきりと言える。父の器量は、己の及ぶところのものではないと。


(先ほどの使者、紛れもなく幕府からの使いだった。されど何故に織田の陣から遣わされぬ)


義信は修験者の格好をした使者とのやり取りを思い出していた。


信長が将軍に従順であれば、織田を名代として武田に遣わせば済むことである。それをしないのは、信長が将軍の命令とは別の思惑で動いている理由にならないか。


(ならば、いま人質を差し出したところで受け入れられぬか、黙殺されるかだろう)


そう義信は判断した。


武田に残された道は、織田の侵攻に対抗しつつ幕府へ恭順を示す何かしらの行動を取ることだ。前者はさほど難しくない。何処かの城に籠り、徹底抗戦すれば二万にも届かない織田の侵攻は防げる。難しいのは後者を同時にやらなければならないということだ。


残念なことに義信には、すぐにこれだという答えは浮かばなかった。ただ智恵が回らないのであれば、回る者を頼ればいい。全てを一人で賄えるほどの才覚がないことなど始めから判っている。そのために武田という家があるのだ。


「市右衛門尉、一徳斎の智恵を借りたい。この場に呼べぬか」


義信は僅かな望みを託して、家臣の加津野市右衛門尉信昌へ声をかけた。


「……父を、ですか」


唐突な要請に戸惑いを覚えながらも信昌は暫し考え込んだ。


信昌は加津野姓を名乗っているが、血筋は真田である。その智略で信玄を支えた功臣の一徳斎は父で、信昌は四男に当たる。病を機に隠居して故地で余生を過ごしている父の一徳斎を、義信は頼ろうというのである。


確かに、智略の面に於いて今の武田で一徳斎を超える者は誰一人としていないだろう。それは子の信昌も感じるところだ。


「御屋形様の願い、父ならば受け入れてくれるはずです。御家が危急存亡の時、必ずや馳せ参じて来ましょうぞ」


快く主命を受諾した信昌は、父のいる戸石城へ早馬を遣わした。そして三日後には輿に揺られて一徳斎が現れた。


「太郎様、お久しゅうございます」


往年の頃を思わせる甲冑姿で現れた一徳斎は、至って健康そうに見えた。しかし、最後に会った時より痩せこけて見えるのは、やはり病が進行しているからだろうか。その一徳斎が、病を圧してまで武田の危機に駆けつけてくれた。それだけで義信は涙を(こぼ)しそうになった。


「なるほど、状況は把握いたしました」


義信から話を聞き、暫し思案に耽った後に一徳斎は声を発した。


「して、よき智恵は浮かんだか。儂は武田の棟梁として、何としても甲信二カ国を守りたい」

「こんな時ですからはっきりと申し上げましょう。現状、甲信二カ国を保つ手段はございませぬ」


冷徹に一徳斎が告げた。義信の甘い幻想が打ち砕かれた瞬間である。その上で一徳斎は義信に問いかける。


「御屋形様は、幕府に従われるつもりなのでありましょう」

「武田は甲信の守護だ。守護ならば、幕府に従うが道理であろう」

「では、その幕府の長である公方様がこのまま武田に甲信の守護を任せ続けると思われますか」


容赦なく現実を一徳斎は義信へ突きつける。


一徳斎は将軍が何らかの処分を武田家に下すだろうと見越していた。甲信二ヵ国という現状を安堵することは考えられず、保てても甲斐一国、悪ければ国替えも有り得ると予測している。今年の夏ごろ、義輝が諸大名の一部に国替えを命じたのは有名な話で、その矛先が弱体化する武田に向けられないとは限らない。


(一から出直しか)


義信は天を仰いだ。


武田は祖父・信虎の代に甲斐国内を統一して守護権力を復活させ、それを周辺国までに拡大したのが父・信玄であった。それが義信の代で元に戻る。


「……相判った。これも武田が道理を無視してきたことへの報いであろう。信濃を織田に譲り渡し、幕府に対して二心ないことを示すとしよう」


義信が悔しさを滲ませながら敗北を口にする。


「御屋形様!そう易々と幕府に屈せずとも!」

「左様!必ずや手立てはあるはず!いま一度、御考えを改めて……」

「黙っておれ!」


異を挟む家臣たちに義信が一喝した。どのような思いで先ほどの言葉を口にしたのか、判っていない者たちへ怒りが込み上げてくる。彼らの発言の動機は信濃に所領があるからだ。不満を言わないのは甲斐に所領を持つ穴山信君や小山田信茂などくらいで、信玄の信濃侵攻で恩恵を被ってきた者たちの不満は募るばかり。忠義の心など欠片すら見えず、己の都合を主張し合う。信玄の前では出さなかった顔を平気で出してくる。


これが今の武田、義信の限界だった。


(だが、今は……)


そんな彼らの力すらも当てにしなくてはならない。ここでの抵抗が武田の将来を暗くするだけなのは、はっきりしている。時代は、もう幕府が天下を再統一する方向へ向かっている。なら初心に立ち返って、一から彼らとの関係もやり直すしかない。


「そう諦められるのは早うございます」


そこに一徳斎が希望を口にする。周囲の耳目は一斉に向けられ、次の言葉を固唾を呑んで待った。


「信濃を織田に明け渡すことは得策とは言えませぬ。御先代様の言葉から察するに公方様は織田の版図拡大は望んでおられぬ様子、ならば守護としての立場は失えども武田の影響力を信濃の残すことは不可能ではありません」

「どういうことだ。詳しく聞かせてくれ」


途端、義信の眼が光った。敗北を受け入れても、それは義信の望みからではないのだ。


「まずはこれを御覧下さいませ」


一徳斎が信濃一帯が描かれた絵図を開いて見せる。


「御先代様は信濃を攻められる際に守護の小笠原や村上を追いました。されども我が真田を始めとする在地領主の大半は、味方に取り込んでおりまする」


信濃は古くから守護の小笠原の統治が弱く、また盆地の多い地勢から国人領主が乱立するという特性があった。筑摩郡の木曽氏、諏訪郡の諏訪氏、更級郡の村上氏がその代表的な例である。武田信玄の登場によって信濃の勢力図は大きく変化しているが、変わりないところもある。


筑摩郡の木曽氏、諏訪郡の諏訪氏、小県郡の真田氏、佐久郡の海野氏、望月氏、安曇郡の仁科氏がそれだ。変化があったのは守護の小笠原や北信を支配していた村上義清の勢力範囲に限られた。この内で諏訪と海野、仁科氏の当主には信玄が実子を送り込んでおり、望月氏は義信の叔父・武田信繁の子である信永が当主を務めている。


「武田が信濃守護職を返上し、在地領主たちへ幕府への恭順を誓わせることで現状を安堵させる。これを公方様が呑まれれば、信濃半国は武田で維持できます」

「なるほど。妙案だな」

「はい。されどいくつか問題がないわけではありませぬ」

「判っておる。四郎のことだろう」

「……はい」


一徳斎は義信の問いに、小さく頷いた。


義信の弟・諏訪四郎勝頼は諏訪家の当主だ。諏訪郡は甲斐への入口に位置し、ここは何としても武田領として確保しておく必要がある。しかし、肝心の勝頼は義信に反目し、未だに恭順を誓っていない。その勝頼がいなければ、義信も諏訪を保つ名分を失うことになる。


「四郎のことは儂に任せておけ。必ず説き伏せる」

「では某は別の役目を担うことと致しましょう」


と言って一徳斎は再び絵図を指し示して説明を始めた。


「守護職の返上は公方様もご納得されると思います。されど我らの思惑も同時に気付かれることでありましょう。公方様に我らの思惑を認めてもらうには、土産が要り申す」

「当家から質を出すのでは、不足であろうな」

「はい。ですが物事は単純です。公方様が困っていることを我らが解決して差し上げれば宜しいのです」


そこで一徳斎は言葉を止め、周囲を見回す。次に口にする言葉が武田家にとってどういう意味を持つのか理解しているのだ。だからこそ躊躇もある。


しかし、それを口にしなければならない実情が、今の武田にはあった。


「我らで関東の上杉を援ければよい」


武田と上杉、この両家が交わる瞬間が訪れようとしていた。


=====================================


十一月二十五日。

信濃国・高遠城


武田に叛旗を翻した小笠原信嶺と藤沢頼親を討伐して伊那郡を制した諏訪四郎勝頼は、突如として始まった織田の信濃侵攻を指を咥えて見ているしかなかった。勝頼の手元には僅かに三〇〇〇ばかりの兵しかおらず、大兵を擁する織田軍を阻むだけの力はなかったのである。


「四郎様!早く太郎様と合流し、織田と戦わねば!出陣の支度は整っておりますぞ!」


甲冑をガシャガシャと鳴らし、勝頼の面前に現れた山県三郎兵衛尉昌景が今日も出陣を促す。


「織田とは戦う!されど兄とは合流せぬ!」

「四郎様、いい加減に意地を張るのは御止めなさいませ」


うんざりとした様子で昌景が言った。


織田の侵攻が始まって十日が経つというのに、勝頼は高遠城を動けずにいるのは勝頼が依然として義信へ従うことを良しとしないからである。武田の当主となり一万二〇〇〇を抱える兄・義信と勝頼が合流すれば、兵の数は拮抗し、質で勝り地の利を得る武田が織田と戦うのには充分である。それを許さないのは、単に勝頼の意地でしかない。以前より義信は勝頼に対して諏訪領を任せると伝えてきており、門扉を開いていた。後は勝頼が受け入れれば話は進むのだが、いつまで経っても勝頼は首を縦に振ろうとはしなかった。


「我らはたかだか三千、それでは織田の大軍に勝てませぬ。御屋形様が太郎様に家督を譲られたのも織田の侵攻に備えんがためでござる」


昌景が勝頼に迫る。これ以上の引き伸ばしは取り返しのつかないことになりかねず、時間的な猶予はない。現に昌景のところには義信が鳥居峠で敗北したとの報せが届いていた。


「信長が攻めてきたわけではあるまい。儂と昌景がおれば、たかが一万そこらの軍勢など……」

(いくさ)は数ではないと申されるか!御屋形様から何を学ばれた!」

「くッ……!!」


昌景の怒声に勝頼は口籠った。


戦巧者と知られる信玄だが、その華々しい戦果を生み出してきたのは入念な下準備があればこそだった。物見を放って敵情を視察することを怠らず、味方の一致団結を図る一方で敵にはあらゆる手段を講じて内から崩していく。時には内応者を作ることもあった。それでも内応者は信用できない為、敵よりも多い数の兵を率いた上で有利な布陣を敷き、合戦に臨む。そこまでするからこそ、内応者も寝返りという一世一代の博打を実行に移すのだ。何も信玄は奇策の連続でのし上がってきた訳ではない。とことんまで基本に忠実だったからこそ、武田という家は大きくなったのだ。この状況で勝頼の立場に信玄がいるならば、一時的にでも義信と和睦してから織田軍と戦うだろう。もしくは反対に織田と和睦し、甲斐源氏の正統を認めさせることで甲斐一国と諏訪領を自分のものとし、状況が変わってから改めて織田と戦う道を選ぶ。


(それが判らぬ四郎様は、武田を継がれる器ではない)


先の発言は勝頼がその信玄から何も学んでないことを意味していた。一方で義信は一敗地にまみれても兵を殆ど失っていない。これは義信が鳥居峠で早々に撤退に踏み切ったことが推察できる。どちらの器が武田に相応しいか、考えるまでもなかった。


「申し上げます!武田甲斐守様が参られております!」


そこへ義信の来訪が告げられる。


義信は一徳斎との軍議の後、状況を打開するため自ら弟の許へ足を運ぶ決断をした。武田の家を残すため、軍勢を春日虎綱と真田一徳斎に預け、織田の目から隠れるようにして高遠城へやってきたのだ。


(透波の手を借りれば、造作もない事よ)


勝頼の前にやってきた義信は、粗末な甲冑に身を包んでいた。様相からして伝令に扮してきたものだと思われた。


「四郎、杖突峠以来だな」


現れた義信は堂々と上座へ腰を下ろした。勝頼の憤懣(ふんまん)やるかたなく苛立ちを募らせ、兄へ容赦のない怒りの感情をぶつける。


「ようも儂の前に顔が出せたものよ!」


恨みの念が勝頼の中で渦巻き、咄嗟に刀の柄に手をかけさせた。


「御止め下され!」

「離せッ!三郎兵衛!」


慌てた昌景が勝頼の手を掴んで制止させる。


ここで刀を抜かせたら一大事、どう転んでも武田にとってよい結果にならない。昌景は持てる力の全力を出し、若い勝頼を押さえ込んだ。


「四郎、父上は死んだぞ」

「な……ッ!?」


このままもみ合いになるかと思われたが、唐突な義信の一言で勝頼と昌景は一気に力が抜けてしまった。


「莫迦な事を申す、あの父上が死んだなどと……」

「偽りではない。父上は近江国・余呉で幕府軍と合戦に及び、そこで破れ、討たれた」


義信の声は何処か暗かった。


父・信玄の死は義信にとっても大きかった。今でも父がどこかで生きているのではないか、とつい考えてしまう自分がいる。勝頼もすぐに現実を受け止められず、オロオロとした様子が見て取れる。それほどまでに信玄は、息子たちにとっていい意味でも悪い意味でも大きな存在だったのだ。


「では織田の侵攻は……」


言葉を発せない勝頼に代わり、昌景が訊ねる。


「父上と幕府の合戦に決着がついたからだろう。このままでは信濃はおろか甲斐までも織田に奪われてしまう」


そう義信は答えたが、実際は少し異なる。


信長は本貫に拘る戦国大名の性質を的確に捉えており、武田の本領である甲信を攻めることによって信玄本隊の動揺を誘おうと画策したのだ。結果として織田の信濃侵攻の三日後に余呉合戦が行なわれ、織田によって信濃が攻められていることは信玄に伝わらなかったが、信濃の一角を奪い橋頭堡を築くという最初の目的は果たせた。


「父上が死んだのは兄上の所為でござる!兄上が父上の足を引っ張らねば、このようなことにはならなかった!」


勝頼が震えた声で叫んだ。


潤んだ瞳からが光るものが見え、少しずつ勝頼が父の死を理解し始めていることが判る。やるせない怒りを兄へぶつけるしか今の勝頼には出来なかった。


「儂が父上に従えば、共倒れとなり武田の家は滅んだであろう」

「そのようなことはない!武田は日の本一の強兵じゃ!負けることなど有り得ぬ!」

「織田を始めとする上方の大名、毛利ら西国、四国の諸大名、これに関東の上杉や徳川など全て幕府を支持しておる。武田が如何に強かろうとも天下の諸侯を相手にして勝ち目は万に一つもない!」


幻想に捉われる弟に対し、義信はピシャリと現実を突きつけた。


義輝がどこまで考えていたかは計り知れないが、事実として義信が挙げた大名たちは幕府の為に兵を動かしている。余呉に赴いたのは一部であるも諸大名が本腰を入れてくれば十万を軽く超える軍勢を揃えられるのは想像に難くない。武田が全盛期の力を有していたとして、これらに敵うだろうか。


答えは、否だ。それが義信の結論だった。


「四郎、この兄が憎いか」

「憎うござる!」

「儂には従えぬか!」

「まっぴら御免にござる!」

「ならば武田の当主として、兄として四郎よ。そなたを勘当を言い渡す!」

「勘当だとッ!!」


勘当という言葉には流石に驚いたのか、勝頼は唖然と口を開けたまま呆けてしまった。感情のまま言葉を繰り返していただけに、義信の突然の発言に言葉を失った。


「太郎様ッ!」


素早く昌景が義信の前に歩み出て、床に平手をついて上目で義信を仰ぎ見る。


「四郎様のご無礼の数々、御許しくださいませ!四郎様は熱くなりやすいご気性にて、つい心にもないことを口走ってしまったのでござる。この三郎兵衛に免じ、どうか勘当の儀だけは御考え直し下さるよう御願い仕りまする」


昌景は謝罪の言葉を口にしながら額を床に擦り付けた。


「よい、三郎兵衛。武田の家は嫡流たる儂が担うものだ。四郎に負わせるには余りにも重い。ここらで綺麗さっぱりと縁を断っておくべきであろう」

「されど……」

「だが諏訪の家は違うぞ。四郎の身体には紛れもなく武田の血が流れておるが、半分は諏訪の血じゃ。そして四郎は諏訪の当主。儂に従いたくない、儂の下に付きたくないと申すのであれば、諏訪の当主として己が役目を果たすがよい」

「それは、どういう意味でございましょうか」


昌景は義信に問いかけた。


こういう言い回しをされれば昌景も義信が何かしら考えていることくらい想像がつく。相手が信玄なら黙って従うところだが、昌景の立場は微妙だ。武田の家臣でありながら諏訪の勝頼に従っている。その勝頼が勘当となれば、昌景の去就にも関わってくる。故に義信には、はっきりと言って貰う必要があった。


「儂は信濃守護職を幕府へ返上することにした。諏訪、海野、仁科、望月の家は、各々の当主が自らの判断で幕府へ恭順するか、抵抗するかを選ぶのだ。幕府に従うというのであれば、儂が上様へ仲介いたす」

「守護職の返上……、そういうことでございましたか」


義信の言葉を受けて、昌景にも全体像が少しずつ見えてきた。


いくら義信が守護職を返上するとはいえ、諏訪や海野、仁科、望月の四家には武田一族が当主を務めている。これらがそのままでは武田に所領を認める様なものだ。故に義信は信濃の領主となった一族と全て縁を切ることにした。


(縁は切ろうとも血の繋がりまでは消えはせぬ)


公的に無関係となり、彼らが幕府に従うとなれば将軍も認めざるを得ない。彼らは総じて幕府に敵対したわけではないのだ。そして関係が切れようが、血という武田との絆は残る。


「信濃は武田が守護となる以前に戻れるよう上様に取り計らうつもりだ。武田は甲斐の守護として、今後は守護の務めを果たす」

「つまりは幕府に従われると?」

「端的に言えばそうなるが、それ以外に武田が生き残る道がないのも、事実じゃ」


一時の静寂が辺りを包み込んだ。


義信を始め、昌景や勝頼に至っても義輝を主とすることに特別な感情を抱いているわけではない。幕府に従うしか方法がないことは判っている今、否定する要素は何処にもないのだ。


「織田はどうされます?」

「信濃が収まれば、織田は退くはずだ。その為にも武田が幕府に従うという確かな証がいる。故に儂は、関東へ行くつもりでおる」

「関東?関東で何をなさるつもりで?」

「上杉を援けるのだ。噂では謙信が病に倒れ、窮地に陥っていると聞く。謙信は上様と昵懇の間柄だが、上様が関東に自ら手を入れられることは不可能。されど武田は別じゃ」

「御話は判りますが、上杉を援けることを皆が承知しましょうや」


昌景が当然の疑問をぶつけた。


「そうじゃ!兄上は上杉に武田の者がどれだけ殺されたか、忘れたのか!」

「これは武田の家の問題だ。関係ない者は口を挟むな!」


続いて勝頼が異を挟むが、義信は容赦なく一蹴して退けた。家の重みは諏訪の当主である勝頼も知るところ。縁を切られた以上、ここはは口を紡ぐしかなかった。


「三郎兵衛の言い分は尤もだな」


武田と上杉は犬猿の仲と言っても過言ではなく、これまで幾度となく争ってきた相手である。上杉の者に親戚縁者を討たれた者は数知れず、義信や勝頼に至っても叔父・信繁を川中島の合戦で失っている。


「されど幕府に従うということは、そういうことだ。それにこれは武田が上杉を援けてやるという話、悪い話ではなかろう」


世に強者と弱者がいるのであれば、この場合は武田が強者となる。恐らく幕府内では表向き同列でも早くから将軍に従っている上杉の方が重用されるはずだが、一時の優越感で家臣らをごまかしてでも、義信はこの決断を翻す訳にはいかない。


「四郎、諏訪の当主のであるそなたに上原城を明け渡す。後は諏訪の領主として織田の手から己が領地を守ってみせよ。お前はもう充分に一人前じゃ」


そう言って、義信は勝頼の前を立ち去った。最後の一言はどこか優しげで、情愛に満ちていた。


「…………」


暫く勝頼は微動だにせずその場に座り込んでいたが、日が信濃の山陰に沈む頃には瞳に光を取り戻し、生気を漲らせ立ち上がった。


「兄上に言われずとも、我が所領は織田に渡さぬ」


翌日、勝頼の軍勢三〇〇〇は高遠城を発ち、北へ向かった。


=====================================


十一月二十六日。

信濃国・塩尻峠


高遠城より戻った義信の許へ早馬が駆け込んで来た。勝頼を補佐する山県昌景よりの使者で、早朝に勝頼が上原城へ向けて進発したという。


「四郎の意図は?」


義信が使者へ問う。


勝頼が自分の意を受けて諏訪の当主の務めを果たすつもりなら、それでいい。しかし、自分と敵対し、己が所領を取り戻すつもりなら武田は甲斐への退路を失うことになる。


「四郎様は太郎様と敵対する気はございませぬ。織田から諏訪の地を守るために出陣を決意なされました」

「そうか、なればよい」


義信は破顔して喜んだ。


父・信玄と同じく勝頼と判り合うことは出来なかったが、僅かに心の繋がりと感じ取ることが出来た。


「四郎が動いたのなら、我らも動くぞ」


義信は諸将を集め、下知を飛ばす。


まず動いたのは春日虎綱だ。馬を駆り、恐れることなく堂々と織田の大軍の前に乗り出し、大音声で告げた。


「此度、我らが主・武田甲斐守様は信濃を上様へ返上いたすことを決意した。信濃の諸城はことごとく元の持ち主へお返しする故、織田の方々は安心して帰国されよ!」


それだけを告げると、虎綱は馬首を返し、颯爽と自陣へと戻っていく。


「信濃を元の持ち主に返すだと!?ふざけた物言いをする!」


前線から報せを聞いた柴田勝家は激昂する。


既に勝家の中では信濃は自分のものだという認識が強い。ここで信濃が旧主たちの手に渡れば、一国の主という夢が水泡に帰す。そうなると奪われてなるものか、という意識が強くなるのが人の心理だ。


「武田を潰せッ!」


勝家は撤退を始める武田勢に対し、猛烈な追い打ちを仕掛けた。


「寄せて来たか。ま、想定通りだな」


口上を述べて自軍へ戻った虎綱は、そのまま殿軍を務めるよう命じられている。“逃げ弾正”と称される虎綱は退却戦に秀でており、我武者羅に追走してくる柴田勢をあしらうことは造作もなかった。追う敵に対して反転して逆襲を仕掛け、余裕が出るとまた後退を繰り返す。こうやって被害を最小に抑えつつ味方との距離を離していく。


「もうそろそろ我らが退いてもよかろう」


柴田勢を五度ほど押し返した頃、春日勢も本格的な撤退に入った。再び反転してくるかもしれないと考える柴田勢の足はどうしても遅くなり、春日勢は僅かな犠牲を払っただけで峠道を抜けることが出来た。


「しまった!追え、追うのだッ!」


春日勢の撤退を知った勝家は歯噛みして悔しがり、追撃を命じるが既に遅かった。気付いた頃には武田勢は諏訪平に達しており、峠道を追って来る柴田勢を迎え撃つ支度が整っていた。街道を塞ぐ形で部隊を展開させ、出て来る柴田勢に襲い掛かる算段だ。


「穴山殿、そろそろ頃合いです」

「承知しておる、任せておけ」


現れた柴田勢を眺め、一徳斎が穴山信君に合図を出す。敵勢に対し、一番の活躍どころを貰った信君は、既に勝利を確信しているかの様に顔をニンマリと綻ばせた。


「撃てッ!」


無防備に姿を晒した柴田勢に対して穴山勢の鉄砲が火を噴いた。たちどころに柴田勢の足を止まり、そこへ武田の猛者たちが一斉に襲い掛かる。


「怯むなッ!押し返せッ!」


一方的に押し込まれる味方を鼓舞するように、柴田勝家は前線にまで乗り出して大音声で兵を叱咤する。精兵武田に対して一歩も引かぬ姿勢は‟懸かれ柴田”の異名に相応しく、激昂して鬼と化した勝家に励まされ、兵は後退する足を少しずつ止めて行った。


「親爺殿!何をしておる!ここは退き時じゃ!」


勝家の後を追うようにしてやってきた前田又左衛門利家が、総大将の勝家に撤退を進言する。


「雪中の対陣と行軍で兵たちは疲れ切っている。このままでは全滅するぞ」


時節は師走に近づいており、山国の信濃では一日一日と寒さが厳しくなっている。峠道は当然に雪で埋もれており、行軍に難儀し始めている。今でこそ武田勢が踏み歩いた道を辿ってきたことで思ったほどの苦労は感じていないが、ここで一日二日を費やせば帰路の峠道は再び雪で閉ざされる。そうなれば孤立するのは織田軍の方だ。この地で全滅するのも有り得る。


「面子に拘るのもよいが、それで命を落すのは兵たちぞ」


上役であろうが忌憚なく意見を言えるのが前田又左のよいところである。


「それは違うぞ、又左。ここを凌いで見せなくては兵は裏崩れを起こす。さすれば無駄に死ぬ者も増える。退くならば、眼前の武田を退けてからだ」


一方で勝家も考えなしに交戦を続けている訳ではなかった。勝家が戦況を読む力を持っているから故に信長の代わりに軍団を任されている。利家が勝家を‟親爺殿”と呼び慕っているのは、勝家が面倒見のいい性格をしているのもあるが、何よりも尊敬できる武将からであった。


「又佐、儂と共に前に出ろ。そなたの槍働きを見れば、兵も安堵する」


勝家は利家と更に前へ出るつもりのようだった。組織的な反撃が難しい現状で、伏兵に遭って士気の低下する自軍を個人の武で勇気づけようというのだ。その間に軍を建て直し、反撃に移る。


「それならば儂に任せろ。建て直しなら、親爺殿が指揮した方が早い。理介を借りるぞ、あれは見込みがある」

「それはよいが、死なせるなよ」

「誰に言っている!」


そう言って利家は馬を走らせた。


「槍の又佐とは儂のことじゃ!武田の衆よ、この首が欲しくば獲ってみせい!」


利家は前線に躍り出ると、三間半もある長い槍を扱き、その穂先で次々と武田兵を討ち取っていった。自慢の愛槍を振るって敵兵を薙ぎ倒す様は、見ていて気持ちがいいものだ。


「儂も負けられん!」


そこへ理介こと佐久間盛政が現れる。


盛政は六尺を越える大男であるが、歳はまだ十七でしかない。しかし、その膂力は並の者では敵わず、二年前に初陣を済ませてからは叔父の勝家に従って転戦を繰り返し、挙げた武功は両の手では数え切れなくなりつつある。


「死ねや!者どもッ!」


利家に対抗心を燃やす盛政は、若さ故に勢いのまま敵へ突進していった。


「おいおい、出過ぎじゃ」


周囲に合わせぬ突出に苦笑いを浮かべる利家だったが、盛政の活躍により敵陣に僅かな乱れが生じ始めたのを見逃さなかった。周囲の騎馬武者を集めると、一点を指差して突撃を指示した。


「活路を見出すぞ!続けッ!」


利家に従って騎馬が数十騎、武田の前衛に乗り入れた。


「させぬわッ!」


いち早く虎綱が反応し、迎撃を指示する。ただ織田方は総大将の柴田勝家が前線で指揮を執っているのに比べて武田の大将である義信は後退中である。その差が、兵の踏ん張りに出た。


「敵は臆し始めたぞ!押せッ!押せッ!」


勝家は毛受家照、拝郷家嘉など峠道を抜けてくる者たちを次々と前線に投入していった。時間が経過すると共に両者の兵力差は逆転し始め、織田は少しずつではあるが緒戦の劣勢を覆していった。革新的な織田軍の中で珍しく柴田勢は、己の武辺を頼る者たちが多く、言ってしまえば古臭かった。それが今回、いい方に出た。


「織田も中々やりおるわ」


思わぬ織田の抵抗に肉薄しながらも、一徳斎は冷静に戦況を見つめていた。こういう台詞が出るというのも、まだ余裕があるという証拠だ。


「……予州殿か。ここで討ってもよいが、執着するべきではないのだろうな」


一徳斎は街道を逸れ、南方より迂回してくる木曽勢に目をやった。木曽勢は地理に明るく別働隊として機能すると判断した勝家が、武田の側面に回りこむよう指示を出していたのだ。


敵の本隊とは切り離されているので、一徳斎とすれば義昌を討ち取ろうと思えば討ち取れた。しかし、後々の事を考えれば、それは下策だ。


「予州殿のことはよい。それよりも、そろそろ報せが届いてもよい頃合だと思うが……」


一徳斎は何かを気にするかのように、背後をチラチラと振り返りながら采配を揮っていた。そこへ一騎の伝令が駆け込んでくる。


「御屋形様より伝令!諏訪勢の到着が間近とのこと」

「来たか!」


報せを受けた一徳斎は、前線の部隊に総退却を命じた。


「退けッ!退けッ!」


一徳斎の合図を受けて一斉に武田兵が街道を突っ走る。下諏訪を経由し、諏訪湖東岸を長く伸びた隊列は一様に上原城を目指している。


「あれは何処の軍勢だ?」


その頃、先頭を切って武田軍を追う盛政が諏訪湖対岸に真紅一色に染められた部隊を発見した。それこそまさに“赤備”の軍団であり、山県昌景が率いる武田最強の精鋭たちだった。その部隊が自分たちとは逆の方向へ進んでいる。


「と……止まれッ!理介にも戻るよう伝えるのだ!このままでは退路を塞がれるぞ!」


盛政の後ろで同じく赤備を発見した利家が追撃停止を命じる。


「むっ……。勝頼め、あちらに付きおったか」


報せを受けた勝家は、この動きを義信と反目していた勝頼が信玄の死を契機に帰順したと勘違いした。


「こうなったら上原城は落ちぬ。欲を掻かずに落とせる他の城を落としておいた方がよいな」


深追いは危険と感じた勝家は、後退を決めた。また昌景も寡兵にて柴田勢に挑む愚を悟り、退く敵をそのまま見逃す。


柴田勢は威容を示しながら来た道を引き返し、熊井城へ戻った。そして進路を北に取り、武田による信濃経略の拠点となった深志城を総攻撃した。


城代である父の馬場信春に代わって城の守りを務めていた嫡男の昌房は、果敢に抵抗し三日間を持ちこたえるが、本丸の攻防戦で討死し、落城した。


そこで本格的な冬の到来を示すかのように豪雪が降り、武田と織田による戦いは一旦、終わりを迎えた。




【続く】

二ヶ月ぶりの投稿となり申し訳ありません。


二月の後半より仕事が忙しくなり、一日の労働時間が増えるわ休みは減るわで執筆の時間が取れませんでした。今月からは少しずつ時間が空きつつあるので、ペースを取り戻し何とか今月中にもう一話を更新したいと思っています。


あと投稿が伸びている最中に話の構成を見直しており、今幕はもう二話続き、三十幕にて次章へ入ることにしました。(話数としても切りがいいので)


次回が京に戻った義輝の話、最終幕が各地の描ける範囲を描いて終わりという流れです。ちなみに話の中で義信が信濃をかつての持ち主に返すとありますが、これは義信が信濃に武田の影響力を残さんがために国人領主たちの所領を安堵してもらう必要があるからです。当然、まだ義輝が認めた話でもなく、小笠原や村上などが復帰するという話ではありません。義輝に伝えられ、織田との関係でどう結論が出るかは少し先のお話となります。

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