第二十四幕 総力戦 -将星瞬く戦場-
十一月十八日。
近江国・余呉
幕府軍の采配を揮う土岐光秀と武田信玄の対決は、将軍・足利義輝の参戦により終盤へと突入していった。
至るところで兵たちの喚声が沸き起こり、絶叫が響いている。白刃が火花を放ち、硝煙の臭いが戦場を支配していた。
「余が来たからには敗北は許されぬ。者ども、励めぃ!」
愛馬に跨り、鋼色に輝く丸扇の下で義輝が全軍に激を飛ばす。軍扇の代わりに握り締めるものは、不動國行。鎌倉の名工によって造られた刀で、名を体現する不動明王像が彫られている。國行は元々義輝の所有物であったが永禄の変で松永久秀の手に渡り、帰京と共に義輝の下に戻ってきた経緯がある。それを持参してきた事は、自らの手に天下を取り戻す決意を如実に表していた。
それを受け、西国諸大名は奮い立った。
元より自ら参戦を望んだ者ばかり、征夷大将軍の馬前で武田信玄や馬場信春といった好敵手に恵まれ、勇まない者はいない。特に先鋒を務める吉川元春の士気は高く、椎名康胤を破ってついた勢いそのままに兵を進ませていた。
「小細工は無用!突っ込めッ!」
「うぉぉーーッ!」
元春の激に大地を揺るがす喚声が続いた。
自ら前線に身を置いて兵を叱咤する元春は、表情を赤らませ激昂しているかに見える。まさに鬼、鬼吉川の名に相応しい強さで逃げ散る椎名勢を追走、一条の矢の如くこのまま武田信玄の首に突き刺さらんとする勢いがあった。
「好きにはさせぬ!」
それに歯止めをかけたのが“不死身の鬼美濃”こと馬場信春である。
「乗り崩せ!我ら武田の騎馬軍団が何故に恐れられるか、西国の者どもに見せつけい!」
信春の下知を受け、数十騎の騎馬が一斉に飛び出す。無数の騎馬群は山の斜面をものともせず駆け下りていった。
驚くべきことに信春は、山岳戦で騎馬を使ったのである。当然、意表を衝かれた吉川勢は坂を転げ落ちるようにして後退を余儀なくされた。これには流石の元春も辛抱できず、慌てた兵たちを落ち着かせるままならずに二町ほど押し返されてしまう。
「莫迦なッ!山で騎馬など、どうかしているとしか思えぬ」
元春が呆気にとられるのも無理はなかった。そもそも武田家に於ける騎馬の割合は他家と対して差がなく、どちらかといえば領地に平野の占める割合の大きい北条家の方が多くの騎馬を所有しているくらいだ。しかし、騎馬と言えば武田を誰もが想像する。
何故か。
武田の騎馬軍団が恐れられたのは、他家に比べて多くの騎馬を活用したのではなく騎馬の扱いに長けた者が多かったからだった。武士には騎馬は必須で、山岳の多い甲信で育った武者たちは幼い頃より急峻な山野を馬で駆け巡っている。培った技量は並ではなく、かつて源義経が一ノ谷で平家の軍勢に逆落としを仕掛けたように、馬場信春が攻め上る吉川の軍勢に対して馬を用いることはさほど難儀なことではなかった。
これには西国にて戸次道雪をも破った元春も思わずたじろいでしまう。
「こ……ここで退けるものかッ!」
元春は大地を強く踏みしめる。
戦国最強と云われる武田軍団が相手とはいえ恐れはない。信玄は守護大名として甲斐一国を引き継ぎ、信濃、上野、武蔵、駿河、遠江、三河、美濃、飛騨、越後に越中、能登、加賀や越前と所領を大きく拡大してきた。その勢力拡大を推し進められた背景には、馬場信春を始めとする優秀な家臣団の働きがあるのだろうことは判る。
しかし、それは毛利とて同じ。
しかも毛利は信玄のように始めから一国の主として恵まれていたわけではない。吉田庄の小さな豪族として興り、中国の王になるまでに西国最大の大名と云われた大内家や山陰山陽八カ国の太守までなった尼子家を滅ぼしている。確かに信玄の勢力拡大は同じ武士として認めるべきところだが、上杉や北条、今川といった大大名を信玄は滅ぼしたわけではない。難敵を葬ってきた毛利の方が、我が父・元就の方が偉大だと元春は確信している。
故にこそ、それを証明するために負けられぬ。
「者ども、返すぞッー!」
元春の大喝に兵たちが勇み立つ。ある者は失った槍を味方の遺骸から拾い、ある者は折れた刀槍を捨てて脇差のみで立ち向かった。幸いにも敵は馬で寄せてきても馬上で戦う者は皆無で、刃を交える際の条件は同じだった。踏ん張りどころで、吉川は負けない。
そしてこの声に押されて信春の猛襲を一手に凌いだのが一門の吉川経家だった。
「毛利と武田、西と東で名を馳せた大名の戦で先陣を務められること、末代までの名誉である」
経家は元春と同門だが石見吉川家の出である。分家として父・経安と共に元春を支え、毛利の中国制覇に貢献してきた。石見銀山の管理を任させるほどの信頼を得ており、合戦でも比較的に他者より早く火縄銃を用いるなど柔軟な面を持つ。
先の国替えで石見が小早川の守護国となり、故地に残った父から家督を譲られて戦場に立っていた。
「味方が持ち直す時を稼ぐ。いま暫くの辛抱ぞ」
経家は巧みに馬場勢の攻撃を受け流した。時には鉄砲を用い、時には火矢を用いて騎馬を威嚇する。自らの頬を矢弾がかすっても、経家は一歩も退かなかった。刃の応酬に脅える様子なく、双眸はひたすらに前を向いている。
後にその傍らには誰のものかも判らぬ首桶を担いだ兵が一人おり、後に経家の覚悟を表す逸話になったという。
「むう。なんとも手強い」
当初の優勢を覆すような粘りに信春は歯噛みした。
越後・有間川にて手傷を負ったものの不死身の伝説を今も続ける信春に対し、柳生宗厳の前に土をつけたもののこれまで自らが指揮する合戦で一度たりとの敗北を知らぬ元春。
「戦えばすなわち勝ち、攻めればすなわち取り、威を天下に争うことは、われ元春に及ばず」
彼の父であり謀聖とまで称された毛利元就は、自身の息子をこう評したと伝わる。
(……儂も覚悟を決めねばならぬか)
戦場は千変万化、定めたことと違う事も起こり得る。現に将軍・足利義輝の到来を誰が予期できたであろうか。これにより敵方の士気は大きく上がっている。常ならば、このような敵に挑み懸かるのは愚の骨頂であるが、今は戦場を選んではいられない。
「御屋形様の天下!我らの働きに懸かっておる!すわ懸かれぃ!!」
いま一度、信春は攻勢を仕掛けた。
「退かれぬのは、こちらも同じよッ!」
互いの意地がぶりかりあうようにして、戦いは血みどろの白兵戦へと突入していく。馬場勢が一歩押し込んだと思えば、吉川の反撃が始まる。そのような一進一退の攻防が信玄の本陣を目の前にして行なわれていた。
その最中、信春の側面を回り込み信玄の本陣へ迫ろうとしていた軍勢があった。
「信玄の本陣を攻め、三好の忠義を示す」
伊予守護・三好義継の軍勢である。
長きに亘り将軍を傀儡としてきた三好家は、敵味方から疑念の目を未だに向けられている。今でこそ表立って讒言を吐く人間はいないが、信用が置かれていないことは義継が肌で感じているところだ。だからこそ義継は自ら信玄を攻めることで疑いを晴らそうとしていた。
「これで我が三好を悪く言う者はいなくなるだろう」
天下の行く末よりも我が家、我が身のことに注意が向いてしまうのは義継が若い所為であろうが、義継は義継で英傑・三好長慶が目指した理想を実現するつもりでいた。
“理世安民”
道理を以って世を治め、民を安らかにする。
義継は三好の当主に収まっているが、実は生前の長慶をよく知らない。そもそも長慶の後継者は嫡子であった義興であり、義継は義興が早世してしまった故に跡目を継ぐことになった経緯がある。実父は長慶の弟で鬼十河と恐れられた十河一存で、義続も最初は十河重存と名乗っていた。長慶と接点が多くなったのも義興の死後、長慶が亡くなる一年ほど前からだ。
だからこそなのかもしれない。義継が長慶を敬う心は誰よりも深い。
尊崇する三好長慶は、この理念を掲げて乱世を戦い抜いた。途上、精神的に疲れ果ててしまい志半ばで世を去ることになったが、義継は義輝の下でならば叔父の理想を実現できると思っていた。
(征夷大将軍の下で武家が一つにまとまる。それが世の中の道理だ。聚光院が“将軍家あっての三好家”と仰られていたのも頷けるというもの)
長慶の時代には将軍に力なく、長慶が天下人として幕政を代行するしかなかった。そこから先へ長慶が踏み込まなかった理由は明らかになっていないが、義継が義継なりに解釈するしかない。
(儂には聚光院様のような器量がない。せいぜい上様の下で槍働きする程度よ。それが三好の為にもなると今は信じて進む)
そう決意した義継は、少ない兵と共に信玄の本陣を目指した。一見すると無謀に思える行為だが、後続には充分に信玄の本陣と戦える後詰が控えている。いまも続々と進軍を続けており、順々に武田の軍勢とぶつかるはずである。
「行かせぬ!」
ただ物事はそう簡単に進まなかった。真田昌輝と共に山岡景隆を攻めていた土屋昌続が反転、義継に挑み懸かったのだ。土屋勢は攻め手であったので、いつでも兵を振り向けられたのだ。
「邪魔立てするな、下郎!」
これに気付き、昌続を遮ったのは義続の実兄・十河存之だった。
一存の長男でありながら庶子であったために家督は継げず、今は義継の代わりに十河家を継ぐことになった三好義賢の次男・存保の家老を務めている。当主の兄であるという態度は一切とらず、己の立場を弁えている武将だ。それでも三好の血筋に生まれたことへの誇りは、誰よりも強い。
「返り討ちじゃ!」
十河勢が土屋勢を迎え撃つ。数は三好勢の方が多かったが、土屋昌続も激闘が繰り広げられた第四次川中島合戦で、上杉謙信を前にして一歩たりとも本陣守衛から離れなかった強者である。相手が誰であろうとも主を守り抜く気概と覚悟で昌続は合戦に臨んでおり、それが兵の強さとなって表れている。
「御屋形様には指一本たりとも触れさせぬ!」
三好勢は押し込まれるようにして行軍を止めた。信玄への道は閉ざされ、余裕は一切消えて防戦に努めるしかなくなってしまったのだ。
天下に名を轟かせた三好の軍勢は、確実に弱くなっていた。それでも隊伍を崩さずにいられたのは、義継の意地と兵の人数に助けられていたからである。
混戦はますます極まっていく。
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余呉湖の西側で義輝と信玄の戦いが激しさを増してきた頃、土岐光秀の許にも義輝参陣の報せがようやく届いた。予定していない義輝の参陣に光秀は驚きを隠せなかった。
「上様が参られただと?私は何も聞いてないぞ」
しかも報せには義輝が来ただけではなく、西国諸将を引き連れての参陣とある。そうまでしての出陣ならば、何故に事前に連絡の一つもなかったのか。如何に秘中の秘であっても光秀当人には報せるべき事柄に思う。まさか光秀も義輝本人の知らぬところで西国諸将が動いたことに気付くはずもなかった。
「どうされます?」
伊勢公方・足利義氏の陣より戻り、主の傍らにある藤田伝五郎行政が今後の方針を訊いた。
「……伝五郎。もう一度、左兵衛督様のところへ行ってくれぬか。上様が参られたのならば、総大将の権限は上様に移る。ならば……」
「左兵衛督様に出陣を求めても問題はない、ということにございますな」
行政の返しに光秀は頷いて見せた。
これまで余呉合戦は光秀が指揮を執っていたが、名目上の総大将は伊勢公方の義氏である。当然、本陣も義氏のいる場所となるが義輝の参陣で全てが変わった。
本陣は義輝がいる場所となり、義氏の立場は光秀と何ら変わらぬ一部将に降格する。されば危険を理由に戦うことを拒否することは出来ない。
「上様が御自ら戦われておられるという時に兵を休ませていては、御勘気を被りましょうぞ!」
開口一番、義氏の許を訪れた藤政は脅しにも似た口調で出陣を促した。
「我ら土岐勢が先衛を務めまする。安心して後に続かれませ」
「上様よりの命が届く前に兵を動かすべきにございます。ここは藤田殿の御言葉に従うが道理かと。公方様の身は某が御守り致す」
消極的な答えが返ってくるという藤政の予想を裏切り、筆頭家老の梁田晴助が主君へ出陣を進言した。
この梁田という男、旧古河公方家に在りながら戦上手で知られ、関東で最大勢力を誇る北条家を相手に一歩も退かず戦い抜いた経歴を持つ。一時は北条家の擁する義氏と敵対したこともあるが、当時は公方家の正統であった藤氏(先代晴氏の嫡男)が生きていたからである。藤氏の死後、義氏の正当性が双方の間で認められると晴助は先君の晴氏と同様に忠勤に務めている。
義輝の参陣に晴助は、戦機が熟したと判断した。義氏も義輝参陣を重く捉え、進言を受け入れる。
「下余呉におる月庵を先に遣わそう。我らは、その後に続く」
「は……ははっ!」
行政の表情は喜色に染まり、伊勢公方家全軍の出撃が決まった。兵力で劣っている幕府軍にとって、四〇〇〇の参戦は大きい。
「大役を成し遂げてくれた。これで心置きなく戦える」
光秀は帰還した行政に労いの言葉をかけると、スッと立ち上がって兵へ下知を飛ばした。
「打って出る。木戸を開き、全軍を以って敵に当たれ。何処までも突き進み、信玄の本陣を目指すぞ」
守りから攻めに転じる命令を光秀は下した。
義輝の参陣によって総大将であった義氏の立場が変わったのと同じく、全軍の総指揮を執るという光秀の役目も終わりを告げていた。光秀は部隊に反転攻勢を指示、守勢で鬱憤の溜まっていた斎藤利三、三宅弥平次らが喚声を上げながら兵たちと共に突撃していく。
「儂も出る」
また光秀も自ら立ち上がり、藤田行政ら譜代衆の面々と共に前に進まんとしていた。
「何も殿まで進まずとも。ここは弥平次と内蔵助に御任せあれ」
「信頼していないわけではない。されど左兵衛督様の参陣が決まったとはいえ、敵の先鋭くらい切り崩しておかねば二の足を踏みかねぬ。敵も多数の兵を温存しているだろうから、左兵衛督様の後詰なくば突破は不可能だ」
馬防柵の外には未だ数多の敵兵の姿がある。加賀一向一揆を率いる七里頼周の八〇〇〇が温存され、戦機を窺っている。もしここで攻勢に転じなければ、この兵は義輝へ向けられるかもしれない。
それは避けなければならず、義氏の兵があれば実現可能だった。
「行くぞ!」
光秀の号令の下、兵たちが動き出す。甘利信康の部隊は無警戒だったわけではないが、開戦からこれまでずっと守勢を貫いてきた土岐勢が反撃に転じてくるなど想定していなかった。このため素早い対応ができず押し込まれ、苦戦を強いられた。
「こ……このッ!狼狽えるな、敵は寡兵ぞ!まずは隊伍を整えるのじゃ!」
肉薄しながらも信康は落ち着いて部隊に指示を出し続ける。流石に信玄の側近だけあって土岐勢の攻撃を受けながらも態勢を整えつつあった。
「もはや節約する必要はない。遠慮なく鉄砲玉を食らわせてやれ」
土岐勢から容赦ない銃撃が見舞われる。
隊列が著しく乱れたところにすかさず土岐勢の突入が開始される。大兵ではないが、この連携の取れた動きこそ土岐勢の強みだ。
「伊勢公方様が家来!一色宮内大輔、参る!」
そこに一色月庵の参戦があった。
ここから兵の数で優位を保っていた甘利勢の形勢が傾き始めた。特に前線の戦況は圧倒的に幕府方が優勢だ。このまま戦いが続けば勝敗がどうなるか、信康には理解できていた。
「前衛が崩れます!」
「ええい!いま少し持たせよ!」
だが事態は信康が思うより早く動いていた。信康が率いる軍勢の大半は所詮、一向門徒だ。心から信頼で信康と繋がっているわけではないし、信玄に忠誠を誓っているわけでもない。次々と増えていく敵に恐れをなし、壊走が始まりつつあった。
(それでも……、加賀衆が来れば巻き返せる!)
後方の林谷山には七里頼周がいる。こちらの様子は見えているはずで、伝令も先ほど走らせた。信康の役目は加賀勢が救援に駆けつけるまでの間、戦線を維持することである。
「貴様らの御陰で丹波は滅茶苦茶だ!思い知るがよい!」
ところがまたもや信康の目算は狂い始める。波多野秀尚が土岐勢の動きを見て、望月信永勢に逆落としを仕掛けていたのだ。波多野勢は元々四二〇〇と幕府勢の中でも兵力に恵まれている方で、その所為で望月勢も東野山城を攻めるのに難儀していた。それが一転して全軍で突出して来たのだから一溜まりもなかった。
結果として信康は七里頼周が来るまで持ち堪えることに成功したのだが、信永は堪えられず丹波衆の一人・籾井教業に討たれてしまう。望月勢は敗走し、中ノ郷での幕府方と信玄方の兵力差はなくなった。
その土岐勢の活躍に呼応するかのようにして、神明山砦でも幕府方は反撃に出ていた。嫡子で畠山の当主だった義綱を失って砦を追われていた義続が散り散りになった兵卒らを呼び集めて再起し、再び合戦に加わっていた。
「儂がこのままで終わると思うなよ。この借りは何倍にしても返してやる!」
復讐の鬼と化した義続が島、蜂須賀隊の間を通って合戦に参加する。神明山砦を奪って優位を保っていた信玄方も光秀らの攻勢により背後を脅やかされ、なかなか前に出られなくなっていた。そこに幕府方が反撃してきたために信玄方は大兵を擁しながらも身動きが取れなくなっていた。
「まだ抗うか。無駄な事をする」
信玄方の銃火が噴く。
神明山での戦闘は兵の数は信玄方が多い。よって備えが抜かれることもなく、砦が奪え返されるような危険性もなかった。特に鈴木勢にはそれなりに鉄砲が配備されており、仕寄る幕府方の兵の攻撃を次々と撥ね返している。
ただ重泰を始め能登七人衆の面々は気が付いていなかった。それ以前に自軍の被害が少ないことを良としている節もあった。
「頃合を見て寄せ、敵の砲撃が激しくなってきたところで兵を退け。気勢を上げて敵の注意を引くのだ」
寄せる大将の一人・島清興は端から兵力差を考慮して砦の奪還を諦めており、敵を引き付ける事に専念していた。これには織田軍の蜂須賀正勝も同意で、島勢に合わせた動きを見せている。幸いにも畠山義続が本気で攻めているので敵にこちらの思惑が知られることはなかった。
これにより大局を見失った鈴木勢らは義輝に攻められつつある信玄の救援に向かうという選択肢を自ら捨てることになった。
そして合戦は、いよいよ終局を迎える。
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山中を輿で移動する武田信玄の耳に銃声や喚声、刃が打ち付けられる音が大きく聞こえるようになった。それだけ信玄は戦場に近づいていた。
「美濃はよく防いでいるようだな」
眼下には腹心の馬場信春が吉川元春と激戦を繰り広げている。吉川の名は信玄が小笠原や村上らを相手に信濃を攻略している最中、既に東国まで名を知られた武将である。元就の子という偏見で見る者も皆無とはいえないが、戦歴が彼に対する評価を正確に裏付けている。信春は、それを相手に一歩も退かない戦をしているのだから、やはり有能である。
以前、美濃表で織田信長を相手にした時とは違う。一向門徒らに頼っている現状は同じだが、武田の将領たちがいるのといないのとは大きな差がある。
充分に戦えている。そう信玄は感じていた。
「さて、儂の相手は誰かな」
信玄は予備兵力を全て投入し、後がないという状況にも関わらず合戦を愉しんでいた。その笑みは余裕の表れか、はたまた違う理由なのか。ただ兵たちは笑みの堪えない主に絶対に信頼を寄せていた。
「前方に敵!旗印は七つ酢漿草にございます」
「ほう……、土佐の長宗我部か。一領具足が如何なるものか一度は見てみたいと思っておったところだ」
最初に信玄に挑みかかったのは長宗我部元親の軍勢であった。
老獪な元親は余人の相手を他の部隊に任せ、自身は西側を進み迂回して信玄に当たろうと考えていた。余呉での合戦は援軍という立場であるから、途中参加となる。一番手柄を立てるには信玄を倒してしまうのが早い。それを抜きにしても元親は武田信玄という怪物と戦ってみたいと思っていた。
奇しくも両者の思いは一致し、両軍は刃を交えることになった。
「内匠助、本陣より一千五百ほど兵を連れて長宗我部に当たれ。だが決して山を降りて戦おうとするな。地の利を生かし、存分に苦しめてやれ」
「はっ。畏まりました」
信玄は本陣より兵を割き、曽根昌世に元親の相手をさせることにした。流石に本陣自ら戦うことは見方によって全軍の士気に大きく影響する。戦闘は本陣より離れたところで行なわれるべきなのである。また僅か一〇〇〇ほどの長宗我部勢であっても信玄は侮ったりしない。常に敵よりも多い兵を揃えて合戦に望むことを信条としている信玄は、地の利を得ていたとしても慢心せず事に当たる。
「来たか。信玄でないのが残念だが、雑魚などすぐに蹴散らしてやるわ」
変わって名も知らぬ側近相手の戦に元親は気を吐いていた。曽根某など瞬く間に屠り、信玄に攻め懸かれると確信していた。
だがその目論見は早くも崩れる。昌世は防衛戦に優れており、信玄に“我が眼”と称されるほどの情報通であった。的確に戦闘の状況を掴むと冷静な判断を下し、長宗我部の猛攻を見事に受け止めてしまう。
「くそッ!」
大きな獲物を前にしてお預けを喰らった元親は珍しく苛立ち隠さなかった。
「侍従殿には悪いが、一番槍は我ら尼子が頂く」
元親が曽根昌世の相手をさせられている横を尼子、宇喜多という両部隊が通っていく。側面から信玄の本陣を襲うつもりなのだ。
「残り物に福があるとは、よく言ったものだ」
兄・直家が野心に駆られ幕府方から謀叛方に寝返り、備前を失うことになった宇喜多は、直家に嫡子がなかったことから忠家が家督を継ぐことになった。宇喜多降伏時は謀叛方との合戦は終わっておらず、義輝は宇喜多に対して果断な処置は取れなかった。その御陰で上方で小禄を与えられ大名としての存続を許されることになった宇喜多は、余呉合戦に動員されることになった。
「宇喜多が生き残るには、死力を尽くして戦うしかない」
備前を失い大きく所領を減らした宇喜多は、このままでは家臣たちを路頭に迷わせることになってしまう。是が非でも手柄を得て、生計を立てなければならない。幸いにも忠家は兄のように野心家ではなく、宇喜多が存続できるなら義輝に尽くして生きることに何の抵抗も持っていなかった。
その尼子、宇喜多が信玄の側面に出る頃には、山県昌貞の部隊が行く手を遮るように展開していた。山上から幕府方の動きを見張っていた信玄が素早く手当てしていたのである。
「御屋形様の手は煩わせぬ!」
山県昌貞に与えられた兵は昌世と同じく一五〇〇。尼子、宇喜多という二大名を相手にしなくてはならないが、どちらとも長宗我部勢ほどの兵力はないために、兵の多寡では山県勢が勝っている。当然、尼子、宇喜多の両隊は攻めあぐねる。
「さて、ここからだな」
対応を終え、どのようにして信玄は合戦の決着をつけようか悩んだ。
当初は義氏が総大将だったので、馬防柵を抜き、正面と搦め手の両方から木之本に迫る策を立てていた。それが義輝の登場により覆り、木之本を攻める必要性が失われた。今はどのようにして義輝を倒すかが求められているが、大半の兵力は中ノ郷に置いてある。いま動かせる兵は、本陣に残された三〇〇〇と賤ヶ岳を攻めている武田典厩信豊、真田左衛門尉信綱の何れかの兵だけだ。
完全に決定打を欠いている。
「左衛門尉へ遣いを送れ。賤ヶ岳は典厩に任せて将軍の本陣を襲え、と伝えるのだ」
そこで信玄は自らが囮となり、敵を引き付ける策に出た。幕府方援軍は自分を目指して殺到している。蹴散らす自信はあるが、それだけでは充分ではない。義輝の本陣を脅かした上で敵の足を止め、目下の敵を討ち果たした後に決着をつける。
(天下は、儂の手で手に入れる)
ここまで様々な戦略で多くの者を動かしてきた信玄であったが、最後は自らの手で終わらせる決意を固めていた。
双眸は、今も赤く燃えていた。
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対して攻勢を強める義輝の本陣では、次々と戦況が報告される。
当初は椎名勢の撃破でそのまま圧倒できるとの楽観的な予測もあったが、信玄はこちらの動きに対して見事に対処してみせた。何処からも苦戦という報告は上がって来てはいないものの撃破には至らず、義輝は次なる方針を打ち出せずにいた。
「東より敵勢、来ます!」
そこへ来襲があった。
「数は判るか?旗印は?」
「数百といったところかと。旗印には六文銭!武田家中の真田と思われます」
「三途の川でも渡れと申すか。ふん、いらぬ世話じゃ」
何度も死地を掻い潜っている義輝にしてみれば、この程度は死線でも何でもない。本陣の兵が如何に少なくとも対処できるだけの陣容は誇っている。
(征夷大将軍は飾りではないぞ)
将軍としての誇りを完全に取り戻した義輝の眼光は一段と鋭くなっている。突き刺すような視線は常に信玄のいる方角を見据えており、真田などは歯牙にもかけていない。
「宰相、そちが対処せい」
「御意。上様は余人に目も暮れず信玄を目指されませ」
義輝は本陣の守りとして山陰二カ国を与えた細川藤孝を据えていた。藤孝は山名征伐を終えていないために本国に多くの兵を残してきているが、それでも股肱の臣として主の窮地に駆けつけている。政治面では兄の藤英を、軍事面では藤孝が頼りとなる。ここ一番で任された仕事は、確実にこなしてくれるだろう。
「兵庫介」
「はっ」
義輝は視線を前方に向けたまま傍らに侍る柳生宗厳に話しかけた。
「信玄め。甲斐の虎と称されるだけはある。厩橋中将が終ぞ勝てなかったのも無理はない。あれほどの将、従えば余の天下平定は数年、早まったことであろう」
ここ一番で義輝は信玄を褒めた。憎き敵であるにも関わらず、素直に信玄の器量を認めたのである。
「だが余が真の将軍たるには、奴を越えねばならぬ。厩橋中将が勝てなかった信玄を余が破れば、満天下に余の力を知らしめることとなろう。天下泰平が為に武田信玄の武名、大いに利用させて貰う」
落日の足利幕府をここまで復活させたのは義輝の器量である。ただ復活の糸口となった織田信長や上杉謙信の存在は、今も大きい。その両名が欠けている戦場で、武田信玄を破ればどうなるか。天下万民は義輝の力を疑うことなく認め、未だ服わぬ者どもが膝を屈してくる可能性も出て来る。義輝が信玄を倒すということは、何も余呉合戦に於ける勝利を意味するものだけに止まらないのだ。
「信玄の本陣を攻められる兵は限られておる。残されておるのは、余の奉公衆たるそなたらだけだ」
「我ら奉公衆、上様と共に何処までも参る所存。雑兵如き、例え一万いたところで恐れるに足らず。何なりと御命じ下さいませ」
武芸集団の長として義輝を支える宗厳の表情には一点の曇りもない。修練の果てに手に入れたものが自信に繋がっている。
義輝は不動國行を高らかに掲げ、命令を下す。
「これより信玄の本陣を攻める!余に続けッ!」
足利義輝と武田信玄。
凡そ一年にも及ぶ両者の対立は、まもなく決着を迎えることになる。
【続く】
お久しぶりです。
おおよそ二ヶ月ぶりの投稿で申し訳ありません。ただでさえ執筆に時間が割けなくなっているのにも関わらず、病気をしてしまい、本当に僅かずつ書き足す日々でした。今も完治していないので先々はなんとも言えませんが、必ず書きますのでお付き合いいただきたく思います。
さて今回は登場人物の多い回となりました。次回でようやくの決着となりますが、一人ひとりの活躍を描くには長さ的に不十分だったかに思います。皆様も好きな武将もおられるでしょうが、この作品を通して知ることになった武将がいれば嬉しい限りです。自分も調べていて初めて目にする名前も多くおり、本当に勉強になっています。ますます戦国時代というものの奥深さを知った感じです。
そこで次回ですが、大きな鍵を手にしているのは実は義輝や信玄ではなく、この回に登場していない人物だったりします。次回、その辺りから戦局は大きく動き始めることになります。