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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第五章 ~元亀争乱~
128/201

第二十二幕 金柑と猿 -動き出した戦局-

二話連続投稿の二話目です。最新話のリンクからの人は、前の話から読んで下さい。

十一月十八日。

近江国・余呉


畠山義続の誘い出しと子・義綱の討ち死にで流れは大きく信玄に傾いた。


信玄はいよいよとばかりに攻勢を強め、前線は激しく銃火が飛び交っている。義綱を失った神明山砦は留守を任された神保氏張が懸命に支えるも将と同時に兵の大半を失ったことにより援軍なくしての防衛は困難を極めた。一度、畠山七人衆の一人・温井景隆の部隊に侵入されて砦の陥落が危ぶまれた場面があったものの蒲生賢秀に救出された義続が自陣に戻り、義綱の仇を討たんと鬼の形相で兵を叱咤したことで、事なきを得ている。


しかし、それもいつまでも持つか判ったものではない。神明山砦への梃入れが急務と捉えた土岐光秀は、援軍の派遣を後方で全軍を纏める羽柴秀吉へ依頼した。


「羽柴様に御願い申し上げある。神明山砦の陥落は目前であり、急ぎ援軍を差し向けて頂きたく存じます」


使者は決死の表情で、秀吉に緊急性を伝える。ところが秀吉の反応は鈍い。


「聞けば神明山の危機は畠山殿が敵の挑発に乗ったことが原因とか。そのような者のところへ大事な兵は割けぬ」

「そこを曲げて御願い致します。神明山が落ちれば、茂山も持ちませぬ。中ノ郷の我が陣も突破され、東野山の波多野様も孤立いたします」

「その時は安心して兵を退かれよ。岩崎山には我が同胞の蜂須賀がおり、易々と敵の挑発に乗るような者ではござらん。陣地も堅固な造りなれば、如何に信玄が大軍を押し寄せて来ようとうも確実に()ね返せようぞ」


と言って莞爾に笑い、秀吉は使者を追い返してしまった。これを聞いた光秀は流石に怒りを露わにした。珍しく感情を表に出す主に黒田官兵衛孝高は、自分が秀吉の許へ行くと切り出す。


「あの猿面冠者は、前線が崩壊すれば、たちどころに己も巻き込まれると判らんのか!」

「殿。拙者が羽柴様を説き伏せて参ります。行かせて下され」


その顔は如何にも“口が達者な秀吉には負けん”と言いたげである。


「いや、そのような時は残されておらぬ。羽柴に構っている内に神明山は落ちかねん」


そう言って光秀は虚空を眺めた。光秀が思案に耽っている時の癖である。そして僅かな時を経て、官兵衛へ指示を出し始める。


「援軍は島殿にお願いしよう。あの者ならば、事の重大さは理解しているはずだ」


光秀と島清興は丹波での合戦以来、友好を深めている。互いの器量を認め合い、共に天下泰平の世を創らんと酒を交えて語り合ったこともある。必ず要請には応えてくれると光秀は信じている。


「されど島殿は、下余呉で街道の守備を任されております。殿の頼みでも、動かれるかどうか……」


ところが孝高は違う視点から物を見ていた。島勢の数は一五〇〇と決して多くはない。援軍に赴くとすれば全軍を動かすしかなく、それは任された場所の防衛を放棄するに等しい行為だった。


「その点は心配いらぬ」


光秀は藤田伝五郎行政を呼び寄せると、本陣へ使いとして参るよう下命した。孝高に任せなかったのは、本陣は伊勢公方の周りには古河公方時代からの家臣や旧国司家の連中と気位の高い者たちが多いからだ。故に譜代家臣である行政を選んだのだ。


何事も適材適所な光秀らしい人の使い方である。


「伝五郎。我らの兵力は乏しく、本陣の兵といえども遊ばせておく訳にはいかぬ。島殿の抜けた下余呉へ兵を割いて頂くよう御願いして参れ」

「畏まりました。されど、もし色よい返事が頂けなかった場合は如何しますか」


行政の懸念は光秀も判る。将軍である足利義輝の周りにも主の身の安全を必要以上に気にする連中が多い。彼らの考えを否定する気はまったくないが、義輝の場合と違って義氏には自ら采配を揮ったという経験がない。恐らく家臣たちが光秀の要請に反対すれば、その言をそのまま受け入れかねなかった。


つまり幕府方は、その時点で本陣四〇〇〇という貴重な戦力を失うことになる。ただでさえ兵の数に開きがある現状で、それだけは避けなくてはならない。


光秀は腰に下げている刀を外すと、それを行政に預けた。


「大事に扱え。これは上様から御預かりした鬼丸国綱である。如何に公方家の者たちとはいえ、上様より全権を託されたのは儂じゃ。従って貰う」


この光秀の強気な姿勢は、そのまま家臣たちに伝染する。誇り高き明智、土岐の家臣として、行政は堂々と本陣へ出向き、声高に光秀の要請を義氏へと伝えた。


「多少、前線が苦戦をしておるというだけで本陣を動かせとは、納得できぬ。しかも兵を割くなど以ての外じゃ。公方様の身を守ることこそ、我らが務め」

「某も同意見じゃ。援軍が必要なら羽柴が出せばよい。我らが動くには早過ぎる」


案の定、公方家からは反対の意見が相次いだ。しかも想像した通りに義氏が自らの意見を口にすることなく、家臣たちに言葉を遮る様子さえなかった。一部、簗田高助などからは理解を示す声も聞かれたが、体勢を覆すには至らなかった。


暗愚ではないが聡明でもない。凡庸(ぼんよう)にして覇気に乏しい。それが偉大なる足利三代目当主の名を継いだ足利義氏という男だった。


(これが、伊勢公方か……)


光秀の傍らで義輝を見知っている行政は落胆した。義輝は家臣が消極的な意見を口にすれば、自ら否定し容赦なく自分の考えを押し通す。それを僅かながら期待していただけに、行政の気持ちは大きく沈んだ。


「現在、祝山の山岡、賤ヶ岳の丹羽の陣にも武田の兵が迫っておりまする。万が一の場合、羽柴殿はこちらに兵を割かねばならず、今は動けませぬ」

「かと申しても本陣を動かす理由にはならぬ」

「そうじゃ。せめていま少し様子を見てからでも遅くはあるまい。合戦は、まだ始まったばかりじゃ」

「合戦が始まったばかりであるのに、この苦境でございます。これこそが武田信玄の強さの表れ。一度、気を許せばたちどころに本陣まで攻め込まれますぞ」

「それならば尚更じゃ。今は防備を固めるのが優先されようぞ」


行政は戦況を説明し、理解を得ることで穏便に事を済ませようとしたが、最初から兵は動かさないという結論が決まっている者たちの心を動かすことは出来なかった。


(殿、申し訳ござらぬ)


仕方なく行政は、光秀から預かった鬼丸国綱を目立つよう高々と掲げて見せた。


「これは上様の愛刀・鬼丸国綱にございます。我が主は上様より合戦の指揮を任されております。つまり我が主の言葉は上様のものも同然ということにござる。どうか、兵を動かされませ」

「……き……詭弁を弄すな!無礼者め!少々上様から重用されておるからといって、左兵衛督様に命令しようなど片腹痛いわ!」

「黙らっしゃい!我が主は上様より直々に“余の名代”と言われ役目を仰せつかっております。その御言葉を無視するおつもりか!」


激しい剣幕で言い放った行政に、公方家の家臣たちは圧倒された。暫く重苦しい空気が流れたが、決着をつけたのは、意外にも義氏だった。


「上様の、御言葉に従う」


傀儡として長きを過ごしてきた義氏の義輝へ対する憧れが、事態を動かしたのだ。かくして本陣から一色月庵が下余呉に派遣され、島清興が神明山へ援軍として急行した。


しかし、信玄の動きは早く、清興が神明山へ到着する寸前に砦は陥落し、島勢は敗走する味方に巻き込まれながら防戦を強いられることになった。それでも前線の崩壊を食い止められたのは、清興が光秀の要請を本陣が承諾する前に動いたからである。


「委細、承知した。日向守殿には御任せあれ、と御伝え下さい」


清興は敗走する畠山勢をすり抜けるようにして前に出て、追撃してくる遊佐続光の部隊への突撃を繰り返した。思わぬ反撃に手痛い被害を出した遊佐勢は、(きびす)を返して奪った神明山砦に戻った。


前線に大きな穴が開いた。


=====================================


崩壊しかけている前線とは違って、搦め手に位置する祝山と賤ヶ岳は幕府方が優勢を保っていた。山岡景隆を土屋昌続、丹羽長秀を武田信豊が果敢に攻め、両将を真田信綱・昌輝兄弟が支援している。その背後には搦め手の部隊を指揮する“鬼美濃”こと馬場信春の部隊があり、幕府勢を圧迫していた。


山林からは兵の喚声が沸き起こり、至るところに無残な死体が転がる。これらは多くが幕府方の攻撃で死んだ武田の兵たちであった。


「……まだ来るか!!」


肉薄とする戦場に、景隆は焦りの色を隠しきれずにいた。


幕府方が優勢といえど、相手は正真正銘武田の兵なのだ。前線で光秀たちが戦っている武田の将が指揮している一向門徒たちではない。一部にこそ一向門徒は混ざっていても、大半が甲斐、信濃から国を捨てて信玄に付き従った者である。


故郷を捨てる。その覚悟は、山岡の兵が数という利で抗せるほど易くはない。


「御屋形様の天下、その礎になって頂く!」

「ほざくな!天下は上様の下で定まっておる。それを乱す輩は許さぬ!」


()くし立てる様な舌戦は戦場の至るところで行なわれていた。その結果に意味はなく、命を獲るか獲られるかで勝敗は決まった。


兵の先頭に立って槍を奮う昌続も、既に十人以上の敵をあの世へ送っている。


「……ちっ」


そしてまた一人、敵兵を屠った昌続の槍が限界を迎えた。咄嗟に落ちていた敵の槍を拾い、代用とする。その強さは向かうところ敵なしで、天下無双とは昌続のような士を云うのかとさえ錯覚してしまうほど圧倒的だった。


「とても敵わぬ……」


景隆とて土着の国人であり甲賀出身ということもあって、異能の業も僅かだが身に付けている。だが付け焼刃にも等しく、昌続の武に対抗できる力はない。だから景隆は個人の武ではなく、組織としての武で昌続に対抗しようとした。


だが……。


「うおおおおーーー!!」


土屋勢は、組織としての武でも山岡勢を遥かに上回っていたのだ。数の利で勝れたのは緒戦のみで、後は押しに押されるのみだった。これまで武田と与する者と戦ってはきたが、武田の兵と刃を交えるのは今回が初めてである。何もかもが想像を遥かに超えていた。


「これが武田か……」


砦に押し込められる景隆は去就を迫られる。


このまま砦に留まって防戦を続けることは、恐らく可能だろう。しかし、丹羽長秀の賤ヶ岳が陥落すれば、当然ながら祝山は孤立する。今ならば兵を退く事も可能で、琵琶湖には事前に用意している船もある。これに乗れば自領への撤退も可能だ。


「上様は裏切れん」


景隆は砦に籠もって懸命に防戦を続けることを決した。景隆の決意により幕府方は防戦一方に追い込まれるも守りを固くし、しぶとく持ち堪えることになる。


=====================================


一方で前線を指揮する土岐光秀は一向に状況を好転できずにいた。


神明山砦の陥落によって大きな綻びが生じた前線の維持は難しい。もっとも距離が離れ、兵力にも余裕がある東野山は今のところ不安はないが、茂山の蒲生と中ノ郷の自陣は厳しい状況に追い込まれている。


「殿!二ノ柵まで突破されました!このままでは敵がこちらまで押し寄せて参ります」


光秀は眉間に皺を寄せ、報告に耳を傾ける。


鉄砲玉を恐れず突き進んで来る亡者の群れを前に幕府方に残された柵は僅かに一つ。三重に張られた馬防柵は既に二つまで突破された。その上で前線の敵には七里頼周、鈴木重泰という大きな部隊を温存している。たかだか一四〇〇に過ぎない土岐勢が、ここまで四〇〇〇を相手によく守った方だとは思う。


(言い訳を考えている場合ではないぞ、光秀!)


光秀は前線を突破された後のことに頭がいっている自らに対し、激を飛ばした。視線を上げ、戦場を注視する光秀に光明は失われていない。


(羽柴が動けば、まだ何とでもなる)


味方の苦戦にも不動を決め込んでいる秀吉が動けば、武田の攻撃を撥ね返すことは訳もない。神明山の陥落によって窮地に立たされてはいるが、これまでの戦況を鑑みるに前線に於いては兵の強さは味方が勝っている。羽柴勢は蜂須賀勢と合わせて五四〇〇を数え、その半数の支援があれば前線の維持は可能と光秀は踏んでいた。


(しかし、どうやって勝つ?織田殿が岐阜を動いたという報せはないし、石山からの報告も一切ない。前線を維持できたところで、立て直して何日持ち堪えられるのか)


沸いてくる疑問に応えてくれる者はいない。だが同時に謎も深まっていく。


(ちょっと待て、何故に織田殿は動かない。我々が敗れてもいいと思っているのか?もしや敵に寝返るつもりなのか。いや、それは有り得ぬ。元々何を考えているのか判らぬ御仁だが、上様の敵に回ることは絶対に有り得ぬ)


勝利の鍵となるのは信長の出陣。当初から光秀も信長の支度が整うまで余呉で防戦に努める姿勢で事に当たっている。しかし、ここまで音沙汰がないのは返って不気味である。余人なら信長が信玄方に寝返り襲ってくる懸念を考え始めるだろうが、光秀はその考えには否定的である。


信長は永禄の変以後、もっというならば永禄二年(一五五九)に上洛し、初めて義輝へ謁見した時より幕府方を貫いている。義輝を裏切って天下を奪う機会は、これまでにも何度もあった。いま信玄に与して天下を奪ったところで、信玄に次ぐ二番手としか扱われない。


そんな意味のないことを信長がするだろうか。答えは否である。無駄なことをもっとも(いと)うのが、織田信長という武将だった。


「羽柴の陣へ行く!官兵衛、儂に代わって指揮を執れ」

「某が殿の代わりを?」


突然の命令に孝高が戸惑いを見せる。指揮する自信がないのではなく、一時的とはいえ新参である自分が家中の上に立つのを嫌ってのことである。


「家中の体面、儂の意地、そなたの拘り。全て“天下泰平”の前には些事に過ぎぬ」


かつての義輝の言葉を引用し、光秀は孝高を説得する。切れ者である孝高には、それだけで全てが通じた。


(殿が羽柴様の陣へ行くことが、天下泰平に繋がるということか)


元より戦のない世は孝高の望むところである。播磨で内輪揉めに晒されてきた人生は、もう沢山という想いは強い。


「内蔵助、弥平次!木戸を出ることを差し許す。如何なる手段を用いてもよい。半刻だけ持たせよ。その間に必ず援軍を連れて参る」

「承知!」


下知を受けて斎藤利三と三宅弥平次の二人が飛び出していく。


固く閉ざされた木戸が勢いよく開け放たれ、押し寄せる波に抗うかのようにして二人は甘利信康の部隊へ一撃を加える。それで勢いが変わった訳ではないが、勇気づけられた味方が所々で踏み止まり始めた。


土岐勢の粘りに、あと一歩と捉えていた信康は歯軋りをさせたという。


=====================================


ところ変わって静けさを保っている羽柴秀吉の陣では、光秀が来訪したことへの驚きが広がっていた。


「金柑頭が来たじゃと?」

「金柑頭?」

「ああ、以前に御屋形様が光秀の事をそう呼んでおったのじゃよ。先ほど会った時、確かによう似ておると思ったのじゃ」

「何とも御屋形様らしゅうございますな。さすれば、その金柑頭を猿殿は如何になさいますか」

「さ……猿!?こやつめ……」


微笑する竹中半兵衛重治に対して秀吉はぶっきらぼうにそっぽを向いた。こういった冗談が許されるのが、秀吉と半兵衛の関係である。主従の中では非常に珍しい間柄であった。


そこへ光秀が現れる。


「これは日向守殿。如何なされた」


開口一番、まるで前線の苦境など知らないかのように飄々としている秀吉に怒りを覚える光秀であったが、そこはグッと堪え、急ぎ用件を切り出した。


「羽柴殿に御願いがござる。前線は今や崩壊寸前、すぐに援軍を送って下さいませ」

「そのことか。先にも申し上げたが、我が陣地は堅固な造りじゃ。その時は安心して引き揚げて来られよ。我らが総出で御守りしよう」


“守ってやる”と、まるで上に立ったかのような言に光秀はこめかみをピクリとさせる。次第に口調は喧嘩腰になっていく。


「前線の崩壊は、兵の士気を大きく下げまする。例え貴殿の兵が意気軒昂でも、武田五万を相手に陣を維持できるとは思えぬ」

「それは考え違いと申すもの。そうはならぬと、儂は思っておる」

「よいのか。負けるぞ」


光秀の痛烈な一言に、今度は秀吉がこめかみをピクリとさせる番だった。


「どうやら日向守殿は我ら織田の強さを疑っておられるようじゃ。我が織田軍は美濃表の合戦で寡兵ながら武田に勝っておる。お忘れか」

「忘れてはおらぬさ。貴殿が近江で信玄に敗れたこと、しっかりと覚えておる」


二人の視線が交差し、その中央で火花が散ったかに見えた。空気は凍りつき、静寂は辺りを支配する。長く時が止まっていたかのような錯覚を覚える。


「……日向守殿は、儂を愚弄されるか」

「そのようなつもりは毛頭ない。どちらかといえば、貴殿の将来を案じておる方だ」

「儂の将来だと?」

「織田として見るならば、この合戦に負けても次はあろう。織田様の兵は多く、信玄に如何様にも対抗できよう。されど貴殿は違うぞ」

「何が違うと申すのだ」


語気は荒い。はっきりと答えを言わない光秀に秀吉の苛立ちは募っていく。隣で様子を窺う半兵衛は、秀吉にも“こういう一面があったのか”と悠長にも二人のやり取りと愉しんでいる。


「江北を失えば、貴殿は領民からの支持を失う。乱世の民は、常に強い領主を求めておるが故な。織田様が次なる合戦で信玄を倒し、江北を取り戻したところで貴殿が領主に返り咲くことはないぞ」

「…………」


秀吉は反論できなかった。


光秀の言う通り主・信長は織田という視点で物事を考えている。信長が江北を失ってもいいと考えているのは、いつでも取り戻せると踏んでいるからだ。しかし、いざ自分の立場を考えた時、光秀の言葉を対する回答を秀吉は持ち得なかった。


(儂の立場を考えるのなら、ここでの負けは許されぬ……か)


秀吉の頭が高速に回転し始める。


せっかく働きを認められて大名にまで出世したのだ。この立場は、絶対に失いたくない。問題は、このまま守り通して勝てるのかということだ。主の出陣はないと確信している秀吉は、この戦に勝機を見出せずにいる。だからこそ、不動という選択を選んだのだ。


「上様の天運を信じられよ」


それを光秀は一言で覆した。


義輝は永禄の変で九死に一生を得た。征夷大将軍という役職を失っても復活を果たし、幾多の死線を乗り越えて今がある。その義輝に“天運”があると言われて、信じない理由はなかった。


“信長の不動”


それは義輝にも伝わっているはずであるし、想定していないとも思えない。つまり義輝は義輝で、この戦いに勝利するための策を練っているはずと考えるのが正しい。


その策を秀吉が知る由はないし、光秀が知っている訳でもない。ただ信じているのだ。光秀は主が勝利者となることを。


「秀吉殿」


半兵衛の呼びかけが、きっかけとなった。


秀吉は険しい表情を一転させ、頬を緩ませてから掌で己の頭をポンポンと二度叩いた。


「いやはや、日向守殿の熱意には負け申した。彦右衛門の部隊を先行させ、追って弟・小一郎に兵を預け、向かわせる。それでよいか」

「充分にござる」

「ならば、早う戻られよ。この先は、貴殿の役目ぞ」

「任されよ」


和やかな空気を取り戻した陣中で、二人は互いを認め合った。遂に光秀は秀吉を動かすことに成功したのだ。


羽柴の援軍を得たことで息を吹き返した幕府方は、前線の崩壊を一時的ではあるが食い止めることになり、この事が合戦の勝敗に大きな影響を与えることになった。


=====================================


信玄の本陣では、緒戦の快勝から立て続けに吉報が(もたら)せ続けている。いくつもの戦場で兜首を挙げており、こちらの損害は雑兵に止まっている。侍大将の中で討ち死にした者はおらず、どの戦線も味方が優勢であると報せていた。


「徐々に押してはいるようです」


遊佐続光の陣から戻った曽根昌世が戦況を分析する。


それによれば、街道沿いでは土岐勢が粘っているも突破は目前であり、羽柴が動いたことにも信玄は新手(鈴木重泰)を投入することで対処している。これで信玄方は二万以上の大軍を前線に投入したことになり、幕府方のほぼ二倍に相当する。これに七里頼周八〇〇〇と信玄の本陣には六〇〇〇という予備兵力が存在しているのだから、時間はかかっていても神明山砦を奪取した成果から考えれば前線の突破は規定路線と捉えていい。


問題は搦め手だ。


搦め手側も武田が圧倒し、山岡景隆と丹羽長秀を砦内に押し込めている。ここを押さえ込んで兵力の少なくなった羽柴秀吉の陣を襲うことも一策として考慮しているが、危ない橋を渡ることを信玄は避けた。


(あそこには、恐らく竹中半兵衛がおる)


秀吉という存在は、未だ信玄の中で大きくない。しかし、羽柴の馬印あるところに“今孔明”こと竹中半兵衛は存在していると思っている。その半兵衛に何度も煮え湯を飲まされた経験から、信玄は半兵衛と戦う前に勝敗を決める方針を採った。


(敵前線を突破し、賤ヶ岳を落せば自ずと勝利は転がってくる)


賤ヶ岳の陥落は、敵の喉下に刃を突き立てるに等しい。これに前線の崩壊が加われば、祝山と東野山の孤立は決定し、木ノ本に布陣しているという伊勢公方の本陣も危うくなる。その状態で岩山の織田勢が止まるとは思えず、半兵衛は撤退を進言するはずだ。


そうなれば、武田の勝利は確定する。


「……よし」


勝利までの道筋が見えた信玄が次なる命令を告げようとした時、思わぬ来訪者が本陣に姿を見せた。


「拙僧は延暦寺の僧正・正覚院豪盛様からの使いでございます」

「おおっ!正覚院殿は息災か」


使者は意外にも比叡山延暦寺の僧兵だった。


信玄は上洛後を見据え、反幕府勢力と緊密な関係を結んでいる。特に洛中炎上で動座した延暦寺は帝の身を奉戴しており、戦後に大義を得るには好都合の相手だった。一方で延暦寺側も信玄がいるからこそ幕府に対抗していられる。義輝が荘園の没収など強硬手段に移れないのも、信玄の存在があるからこそである。


両者は互いに利害関係が一致していた。


「はっ。僧正様は武田様が御上洛されるのを首を長くして御待ちしております」

「うむ。幕府の仕置きは叡山に対しても厳しいと聞き及んでおる。儂が上洛した暁には正しく法度を定めるが故、いま少し御待ち頂きたい」

「有り難き御言葉、僧正様も喜ばれましょう」

「して、此度は如何なる用向きでござろうか。今は合戦中な故、本当ならば後にして貰いたいのだが……」

「その合戦に関わる報せ故、武田様に急ぎ目通りを願った次第にて」


使者の畏まる態度から、信玄は事が重大であると予感した。そして使者が口を開き、信玄は想定外の事態に声を大にして驚いた。


「幕府の援軍が、西近江路を進んでおります」

「なに?幕府の援軍じゃと!?」

「不覚にも我々も気付くのが遅く、もう一刻もせぬ内に姿を見せましょう」

「どれほどの規模なのだ。誰が率いている?」

「我々も幕府軍を確認してからすぐに飛び出した故、総大将ははっきりとしませぬ。されど規模は五、六千ほどで、先鋒は三引両の旗印でございました」

「将軍の下で三引両となると、鬼吉川の倅・吉川元資か……」


石山本願寺からの報せでは、吉川元資は石山攻めに動員されているはずである。それがこの地までやって来たと考えれば、余呉での兵力差に不安を抱いた将軍がギリギリ石山の包囲を続けられる程度に兵を残し、増援を送ってきたと推察できる。五、六〇〇〇という数が、如実にそれを物語っていた。


(苦し紛れの一策だな。そして、天は儂に味方しているようじゃ)


信玄はいよいよ義輝が追い込まれていることを知った。


石山では顕如から攻勢を強めていると聞いている。今頃、兵が少なくなった幕府方の包囲を破っているかもしれない。こちらが相手する数が多くなるが、たかだか五、六〇〇〇程度の兵が増えたところで戦況に何の影響もないと信玄は思う。


それに、延暦寺からの報せにより援軍の到来を事前に知ることが出来た。もし知らずに合戦が続いていたとすれば、搦め手を攻める武田勢は横っ腹を突かれ、大きな損害を被った可能性は捨てきれない。今ならば十二分に対処を講じるだけの時間が残されている。


「よき報せを届けてくれた。この礼は、京で御返しすると正覚院殿に御伝えあれ」

「ははっ。それでは、武田様の御武運をお祈りしております」


延暦寺の使者が引き下がると、信玄はさっそくに幕府の援軍へ向けて対抗策を講じ始めた。


「右衛門大夫へ早馬だ。西近江路へ進出し、幕府の援軍を食い止めよ。後詰は儂自らが向かう」

「御屋形様が動かれるのですか」


本陣を動かすという指示に昌世は思わず理由を訊いた。


「先に援軍を叩く。その旨、美濃にも伝えて右衛門大夫を支援させよ。援軍の敗走を知れば、幕府方の士気は地に落ちる。それで我らの勝利は決まるだろう」

「はっ。畏まりました」


下知を受けて昌世が素早く伝令を各地へと走らせる。椎名康胤、馬場信春の陣へはもちろんのこと、他の諸将にも援軍到来にいらぬ混乱が起きぬよう事前に報せておかねばならない。


手抜かりのなさは、流石に“信玄の眼”と云われた曽根昌世である。


この時まで、信玄は己の勝利を確信していたに違いない。


=====================================


西近江路に幕府方の援軍が現れると、合戦の流れは一気に変わった。援軍到来に幕府方が勇気百倍と蘇った訳ではなく、信玄方が敵援軍の出現に恐れを抱いた訳でもない。幕府方は気持ちこそ軽くなったが疲労している様子は色濃く出ており、信玄を信望する武田の将兵は、事前に援軍の事を知れたことにより新手に対して臆する者など皆無に等しかった。


挿絵(By みてみん)


流れを変えたのは、椎名康胤の敗走である。


「椎名勢、崩れます!!」

「たわけッ!早すぎるわッ!!」


勝利を確信していた信玄が味方の無様な報せに大喝する。同時に、何か自分の想定と違うことが起こっていることを感じ取った。


如何に椎名康胤の部隊が武田の精鋭に劣るとはいえ、越中で上杉や神保、一向門徒らと戦に明け暮れていた椎名勢が弱いとは思えない。そこから考えられることは、ただ一つ。相手が強すぎたのだ。


それはすぐにはっきりした。


「も……申し上げます!敵援軍の先鋒は、吉川……吉川元春です!!」


思わぬ人物の登場に、戦局は大きく動き始める。




【続く】

さてさて二話同時投稿は如何だったでしょう?


合戦の結末は見えていないでしょうが、大きく戦局は動き出しました。畠山義綱の戦死(ちなみに義綱は史実でも余呉で亡くなっています)に始まり、味方の苦戦に光秀と秀吉の攻防、信長の意図、義輝の策と複雑な様相を呈しています。


義続の生存は肖像画が信玄と間違えられたことに由来します。本当に顔が似ていたとは思いませんが、何かの因果ということでお許しあれ。また吉川元春が何故に登場したかは次回が解説となります。久しぶりではいけないのでしょうが、次回は義輝も登場します。特に次回は次章にも繋がる重要な回であり、合戦も終盤に突入します。


幕府の援軍として元春の他に誰が赴いているのかも次回で明かします。お待たせし、本当に申し訳ありませんでした。

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