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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第五章 ~元亀争乱~
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第二十一幕 主役なき戦場 -猛襲!風林火山-

十一月十八日。

近江国・余呉


甲斐の虎と称され、軍神・上杉謙信と戦国最強の名を争った武田信玄が近江へ戻ってきた。幕府方と謀叛方の決戦となった山崎の合戦で敗北した謀叛方の者たちが相次いで姿を消していく中、信玄のみが幕府と対抗できるだけの力を維持している。同じように勢力を維持している石山本願寺が密かに和睦の道を模索していることからすれば、真の意味で勝利を目指して戦っているのは信玄だけとなった。


だからこそ敗北者たちにとって、信玄は最後に残された希望だった。


信玄の名は大きく、一時は数千まで落ち込んだ軍勢は瞬く間に膨れ上がり、今では山崎の合戦で勝者となったはずの幕府方を大きく超える軍兵を揃えている。これは武田信玄の名がなければ不可能だったはずだ。


(まだ儂は、終わっておらぬ)


信玄の双眸は、今も眩く輝きを放っていた。


北陸へ本拠を移し、大兵を揃えて近江に侵攻、自ら望む天下を掌中に収めるべく武家の棟梁・征夷大将軍である足利義輝へ挑む。あの細川晴元や三好長慶が義輝を傀儡として利用し、松永久秀は姑息にも暗殺という手段を用いたことを考えれば、正面から堂々と挑んでくる信玄は義輝にとって最大かつ最強の敵となって義輝の望む“天下泰平”を阻んだ。


(受けて立とうではないか)


義輝も信玄の挑戦を受ける覚悟で戦略を練った。


「天下泰平を実現せんとすれば、何処かで不義不忠の輩を一掃せねばならぬ。此度、よい機会となった」


義輝が山崎の合戦前に諸将の前で語った言葉だ。泰平の世を実現させるためには不安要素は排除しておく必要がある。この戦いは、その延長上での事でしかなく、ここを乗り切りさえすれば、その後で義輝が言葉を紡いだ通り天下泰平の実現は早まる。


そのはずだったが、信玄とて負けるつもりはない。幕府方に揺さぶりをかけ、可能な限り策を弄している。


その成果により義輝は石山本願寺の攻勢により摂津から離れられず、決戦の場である余呉の地に赴くことが出来ないでいた。己の不在を不安視しした義輝は、信玄の相手を北近江の領主たる織田信長へ任せるも信長は義輝の期待を裏切るかの様にして、羽柴秀吉と丹羽長秀を送り込んだのみで本隊を岐阜から動かさなかった。


「何をやっておるのだ、宰相めは!」


当然、義輝は憤る。信長が送ってきた書状には“長島合戦での傷が癒えていない”ということが書かれていたが、こんなものは表向きの理由であることくらい義輝には判る。単に戦力の温存を図ったのではないだろう。あの信長がそんな単純な理由で兵を動かさないことは有り得ない。恐らくは別の狙いがあるのだ。それが何であるのか、現時点では判っていない。


その結果、幕府方は総勢で二万五三〇〇と信玄方の四万八三〇〇を大きく下回ってしまった。ただ近江勢を主力に織田と伊勢公方・足利義氏が総大将として出陣し、将領は幕府軍として土岐光秀に軍師・黒田官兵衛孝高、島清興、織田勢には羽柴秀吉や丹羽長秀、竹中半兵衛重治、蜂須賀正勝と精鋭が揃う。云わば量より質の軍勢といえる。また秀吉が築いた堅陣は数万の軍勢にも匹敵し、これに拠って幕府方は信玄を迎え撃つ策戦を採る。


一方で信玄方は、幕府方に反して質よりも量と言った具合だ。


馬場信春や武田信豊、真田兄弟に土屋昌続など信玄麾下の将領は幕府方に勝るとも劣らぬ精鋭揃いだが、如何せん武田軍は数が少ない。望月信永や甘利信康が四〇〇〇以上の軍勢を率いて前線に布陣しているが、この中身も大半が一向門徒たちである。純粋な武田軍は、信玄が信濃から引き連れてきた三五〇〇から変わっておらず、質の低下は軽視できない程に大きい。


両者とも陣営に不安を抱えつつも決戦の火蓋は切られようとしていた。


=====================================


最前線に布陣する光秀は、物見を派遣して武田軍の動きをつぶさに調べ上げる。武田軍は今にも出撃せんとの構えを崩していないが、寄せてくる気配はない。ただ信玄が無策ということは有り得ず、何かしら狙いがあると光秀は思っていた。


「官兵衛。敵の陣立てを如何に見る」


光秀は知恵袋たる孝高の考えを問うた。


「寄せ手だけでも我らの倍近い数がおります。正面は元より、搦め手よりも同時に攻めて参りましょう」


官兵衛の予測は正面と搦め手の二面同時攻撃。兵力を活かした攻め方をしてくると予測をしていた。兵法家らしく同じ兵法家である信玄の考えを読み解く孝高の言葉に、光秀は大きく首を縦に振って頷いた。


「うむ。されど羽柴殿が築いた陣地は容易くは破れぬ。仮に突破できたとしても、大きく兵を失うのは必定だ。信玄には、まだ上様という敵がおる。織田殿とて兵力を温存している以上、そのような正攻法で出て来るとは思えぬが……」


だが光秀の考えは少し違う。


陣地に入ってみて、光秀は秀吉が築いたものの凄さを思い知ることになった。以前、一ノ谷で織田信長が築いた陣地を見たことがあるが、それよりも秀吉のものは一段ほど勝ると思う。倍する兵を持ったとしても、容易に突破できるとは思えず、よって光秀は信玄が兵力の温存を図ってくると考え、官兵衛の意見には全面的な同意はしかねた。


この二人が意見を違えることは珍しい。智将と名高い二人だけに、どちらの意見も正しく思えてしまい周囲は困惑の色を見せ始める。


「こちらにとって尤も都合がよいのは、敵が堂々と正面から攻めてくることでありましょう。ならば挑発し、敵を誘い出して見ては如何でしょうか」


よって斎藤内蔵助利三はどちらの意見に賛成するという選択肢を採らず、自らの考えを述べた。利三の策は、こちらから動くというものだ。これならば主導権はこちらが握れるので、相手がどのような策を弄していたとしても脅威は半減する。


「内蔵助の申すことも一理あるが、果たして信玄に通じるか」


光秀は利三の意見に一定の理解を示すも、安易な挑発行為が信玄に効果があるとは俄には思えなかった。甲斐の虎は“それほど簡単な相手ではない”という前提が最初からあった。これが光秀の視野を狭めているとも知らずに。


「敵の大半は一向門徒ですので、やってみる価値はあると思います。以前に信玄が観音寺城を攻めた際、竹中殿が仕掛けた釣り野伏せに引っかかったことがございます。何もせぬよりはマシかと」


一方で孝高は利三の意見に賛成だった。ただ孝高が同意したのは、どう転んでもこちらに損はないという理由からでしかない。


利三が進言し、孝高が賛同したことにより光秀は挑発をやってみることにした。誰が担当するか候補者を募り、三宅弥平次が名乗りを上げる。


「ならば拙者に御任せあれ」


光秀は快諾し、弥平次はすぐさま木戸から出て恐れるなく敵近くまで進むと大声で敵を罵倒した。


「これはこれは逆賊の武田軍ではないか!由緒正しき源氏の名門が征夷大将軍である上様に逆らうとは言語道断!筋道を違えるのは犬畜生のすることぞ!武士の誇りを忘れたか!」


弥平次が口汚く敵を罵る。信玄を悪口三昧にすることで忠義心に篤い武田の臣を揺さぶりにかかった。


「ほれ!せっかく近江まで来たのだ。そのように閉じ籠もっておらずに懸かって参れ!我らが正々堂々と御相手いたそうぞ!はっはっはっはっは!!」


その後、弥平次は罵声を浴びせ続けるも武田軍は微動だにせず静まり返ったまま何も変化はなかった。弥平次は仕方なく馬首を返し、陣へと戻って光秀に謝罪した。


「申し訳ございませぬ」

「よい。元より通じるとは思っておらぬ。動かざること山の如し、末端の兵まで威令が行き届いておる。流石は武田信玄といったところか」


信玄の軍旗“風林火山”を思い起こさせる武田軍の動きに光秀は感心してみせた。倍する敵を前にしても合戦は未だ始まっていない。まだまだ光秀には余裕があった。


そう……、この時までは、まだ。


=====================================


不動の武田軍を大岩山砦より訝しむ男がもう一人いた。羽柴秀吉の軍師で“今孔明”と称される竹中半兵衛重治である。


「敵の陣容がはっきりと掴めませぬ。これは、厄介ですな」


半兵衛は物見の報せを目の前の絵図に書き記しながら、遠目で信玄方の布陣をもう一度確認していた。


「どうしたのじゃ?そのように半兵衛が神妙な顔をしておったら、儂まで不安になるではないか」


打って変わって陽気なままの秀吉が半兵衛の不安について問い質す。秀吉は敗戦しても責任を問われないと分かっている為、戦に懸ける思いは弱く呑気にしていた。


だが半兵衛という男は根っからの生真面目な性格で、気を抜くということを知らない。如何なる事情の戦いであっても常に最善を尽くそうとする。そういう意味では、二人はよい主従といえる。


「物見は容易に近づけず、敵の布陣がいまいちはっきり致しませぬ。山林に上手く隠れて、何かやっているのかもしれません」


信玄が到着してより、半兵衛はもちろんのこと幕府方は多くの物見を放っていた。これは敵も同様だが、砦を築いて配置がはっきりしている幕府方と違って、信玄方は山間に軍旗が林立しているだけで、本当にそこに敵が布陣しているかどうか定かではない。いや確かにいるのだろうが、規模が正確ではないのだ。


(……何を仕掛けて来るつもりなのか)


かつて十面埋布の陣を用いて織田信長を破った半兵衛であるが、これは守勢側の計略であった。攻め手である信玄が同じ策を弄しているとは思えないが、陣容を把握できないのは少々不安が残る。陣容が判らなければ、信玄がどのように攻めてくるかも推測は難しい。


「ふっ。(しず)かなること林の如く、知りがたきこと陰の如く、ですか。如何にも武田殿らしい」


策士同士で通じるところがあるのか、半兵衛は可笑しくなって思わず笑ってしまった。半兵衛もまた、余裕を保っていた。


いよいよ戦いが始まろうとしていた。


=====================================


最初はゆっくりとした動きだった。


北国街道沿いに布陣する甘利信康が前進を始め、鉄砲の射程圏内に入ると一撃して合戦の火蓋を切った。土岐勢が鉄砲を多数所持していることは始めから判っており、甘利隊にも相当するの鉄砲が優先して配備させられていた。射撃は激しくなり、土岐勢にも少なからず犠牲者が出始める。それでも馬防柵の中に閉じ籠る土岐勢が飛び出すわけもなく、応射を繰り返すだけで本格的な戦闘には至らなかった。一向に攻めて来ない敵に、最前線を任されている三宅弥平次は敵の本気さを疑い始める。


「やる気があるのか、敵は?」


弥平次が感じた疑問は実に的を射ていた。信玄の狙いは別のところにあったのだ。それは光秀の陣から僅かに西の方角で行なわれていた。


「これはこれは大殿ではありませぬか!大人しく京で隠居暮らしをしているかと思えば、こんな山の中までご苦労なことでございますな!大殿が去られた後の能登は、義慶様の下で平穏無事にござるぞ!領民も暮らしやすくなったと喜んでおりまする!もう能登のことは忘れて、静かに余生を過ごされませ!!」


前能登守護であった畠山義続の前に、自身を追放した遊佐続光が現れて挑発し始めたのである。


「あ……あやつらッ……!!」


これを目撃した義続の(はらわた)は煮えくり返った。裏切り者を目の前にし、見る見るうちに顔を真っ赤にさせていく。今にも飛び出しかねない様相で、思わず全身にも力が入った。


「父上。悔しい、憎らしいのは判りますが、あれは明らかに挑発にござる」


そんな義続へ子の義綱が制止を促す。


見え透いた挑発だということは判っている。義綱も故郷を追われた恨みがないわけではない。しかし、義続と違って義綱の代は畠山七人衆に対し優勢を保っていた時期で、苦しめられたという経験が余りなく、父よりも幾分か冷静でいられていた。


「判っておるわ!誰が引っかかるか!!」


義続の様子は敵の狙いを察知していると言いたげだったが、彼も人間である。感情的にならずにはいられず、嫡子と言葉を交わしても視線は続光の方へ向けられたままだった。


「どうなされたのです!この続光が憎うはないのですか?某は逃げも隠れもしませんぞ。ほれ、いつでも懸かって参られい!さすれば自らに守護たる才覚がなかったこと、はっきりしましょうぞ!」


挑発行為は執拗にも続く。義続は苦々しく歯軋りをさせながら堪え続けるが、いつまでも砦から出て来ないことに痺れを切らした信玄方は、次の行動に移った。


「美作殿。ここは武田の流儀を御披露いたそう」

「武田の流儀とな?」

「まあ、見ていて下され」


信玄の本陣から派遣されている軍目付の曽根昌世が、自らの兵に石を持たせ投げさせ始める。その一部が畠山の陣地まで届き、死者こそ出ないも数人の負傷者が出た。


(は……畠山の儂に、こともあろうか石ころを投げつけおった!)


この行為は名門の矜持を大いに傷つけることになった。畠山と同じく名門出身の信玄には、どのようにすれば義続が怒るかが手に取るように判っている。


子供の印路打ちを思わせる行為は暫く続き、その様子は周辺からも判るほど派手に行われていた。当然、前線の対象である光秀の陣地からも光景はよく見えた。義続の気性を知る光秀は、このままでは挑発に乗りかねないと判断した。そして孝高も同じ判断をしたことにより、戦局は動き始める。


「これはいかん!こちからか出て行っては一挙に敗北しかねぬ」

「殿!某が参り、畠山殿を止めて参ります!」

「……くッ、頼む!」


部隊の指揮で手が離せない光秀は、孝高を畠山の陣へ急使として遣わせた。陣地に到着した孝高は、すぐに義続に目通りを願うと、先の義綱と同じく制止を促した。


「安い挑発にござる。どうか堪えられませ。砦を出て戦っては、我らに勝機はございませぬ」


これは後に光秀の失策となる。元より挑発などに乗らない沈着冷静な光秀と孝高には、義続が抱いている感情を正確に読み取ることが出来なかったのだ。


(日向守め……、その安い挑発に儂が乗ると見ておるのか!)


味方より軽視されていると感じた義続は、更に意固地になった。思考は冷静なようで、冷静ではなくなっていく。


(こうなったら敵の挑発に引っかかった振りをして、信玄にも光秀にも一泡吹かせてくれるわ)


いきなり顔をニンマリと綻ばせた義続は、孝高を一瞥すると何かや配下にあれこれ指示を出し、出撃を命じた。一応は神保氏張に留守を任すなど冷静な面が見られるが、やろうとしていることは無謀としか思えない。


「畠山様!?御待ち下さい!!」

「どけぃ!」


孝高の制止を振り切って義続は山を駆け下りて行く。兵団の中心となって、憎き遊佐続光へ向かって一直線に進んだ。続光からすれば、義続が挑発に乗ったと見えただろう。事実、続光は思惑通りに事が進んだことを確信した。


「乗ってきおった!やはり大馬鹿者よ!それ、適当に相手して退くぞ!」


続光は小競り合いで済ませて引き下がるよう部隊に下命する。ただ畠山勢は国を追われた恨みで目を血走らせている。鋭く遊佐勢に斬り込み、怒りを込めて刀槍を振り下ろす。余りの勢いに遊佐勢も本気で相手をしなくてはならなくなり、意地になって踏み止まる。


「……むぅ、これは」

「美作殿。退き際を誤れば、命を落としますぞ!」


思わぬ一撃に遊佐勢は想定以上の被害を出した。数は勝れど勢いは完全に旧主にあり、まともに戦えば敗北も有り得た。


曽根昌世が続光の袖を引っ張るようにして退避を促すと、続光もこれ以上に旧主を相手にする愚を悟り撤退を指示する。当然、義続も追って行くが、敵の狙いを察している義続は深追いすることは避けた。


「よし!そろそろ敵が動く頃合か。義綱、蒲生殿へ繋ぎは取れておろうな」

「遣いは、走らせております」

「重畳じゃ。では暫し、ここで持ち堪えるぞ」


義続は部隊を停止させ、襲撃に備えて陣形を整え直す。恐らく長続連ら畠山七人衆の兵が義続たちを囲むようにして襲ってくるはず、と義続は予想している。敵の注意が義続に向くことで、他への意識は必然的に低くなり、そこを蒲生賢秀の部隊がまさかの出撃をしてくることで、義続の狙う七人衆の背後を突く考えだ。


(さあ、来い!)


義続は自らの描く勝利をいっさい疑っていなかった。


「こちらに諮らず出撃しておいて、勝手を申す」


ところが鍵を握る賢秀の反応は冷たかった。


賢秀にすれば、全軍は守勢に徹することで方針は決められたはずという思いが強い。こちらが数で大きく劣るのだから、賢秀は守勢という方針に対して特に異を挟むようなことはなかった。


それを義続は独断で覆した。幕府方の勝利よりも己の復讐に重きを置いた行動に賛同する気はないし、ここでの行動は御家の存亡にも直結する。嫡子・忠三郎賦秀が将軍の傍で重用されている賢秀にすれば、幕府方に勝利してもらうことが絶対である。故に危ない橋を渡る気にはなれないのだ。


今まで能登の守護として命令する側であった義続の完全な不手際だった。まさか拒否されるとは思わなかったのだ。


(それに、砦を留守にしては帰る場所を失いかねぬ)


賢秀は北西にちらりと視線を移す。そこには武田の重臣たちの軍旗が無数に林立している。特に蒲生勢の近くには四つ割菱の家紋が見える。信玄の本隊ではないが、一門の何れかが配されているとなれば精鋭には違いないだろう。


そして長続連ら他の七人衆も動き始め、畠山勢は孤立した。


=====================================


動くこと雷霆(らいてい)の如し。


まさにその言葉が似つかわしい展開になっていた。


「こ……この!しつこい奴らめ!」


義続が馬上から槍を弾いたのは、これで何度目だろうか。迫り来る畠山七人衆の兵を次々と斬り倒しては、窮地を切り抜けた。束の間、次なる窮地が義続を襲う。それの繰り返しが、もう四度も続いていた。


(ここで義続を殺しておけば、先々能登の統治を脅かす者はいなくなる)


今や畠山義慶を戴く七人衆からすれば、義続の存在は邪魔でしかない。一旦は主殺しの汚名を着るのを避けて追放に留めたが、こうまで向かって来れば殺したところで問題はない。七人衆の兵は、旧主を逃がさぬよう包囲の目を狭めていった。


「官兵衛!畠山殿が危ない。なんとか救えぬか」

「無理にございます。先ほどより武田の攻めが強うなっております。ここで一隊でも割けば、こちらが突破されます」

「……くそッ!」


光秀は握った拳を力任せに叩きつけた。


畠山勢が動いた直後から、光秀を攻める甘利隊の攻撃が激しくなっていた。信玄は前線の要が光秀にあると見抜いており、その手足を縛るために攻勢を強めてきたのだ。こうなってしまえば数を少ない土岐勢では取れる手段も限られてくる。援軍を送ろうと他の諸将を当たるが、波多野秀尚も望月信永が攻めてきて対応に苦慮している。蒲生賢秀も長続連の一隊と交戦状態にあり、容易に兵を避けない状況に追い込まれつつあった。


「撃てッ!」


銃声が、再び轟く。


土岐勢から放たれた銃弾が甘利隊を貫いていく。兵の何人かが大地に横たわるも大半は竹束によって命を長らえている。鉄砲から身を守る手段として竹束が用いられるのは、もはや武田の中では定番になりつつある。こうなれば圧倒的な銃弾の嵐で竹束ごと薙ぎ払うしかないが、その余裕が今の土岐勢にはない。


「銃撃の間隔が短すぎる。これでは銃身が熱くなって使い物にならなくなるぞ!合間に弓矢を入れ、鉄砲衆を支援させよ」


心配になった光秀は前線へと赴き、直に兵たちを指揮した。焦りから銃撃の間隔が短くなっていることに前線の大将たちは気が付いておらず、弾込めの終わった者から鉄砲を放っていた。


「殿!我らに出撃を御命じ下され」


そこへ三宅弥平次が出撃を求めてくる。鉄砲衆を支援するため、自分が出て行って時間を稼ごうというのである。


「その勇気は立派だが、柵から出ることは罷りならぬ!畠山殿の二の舞になりたいか!」


弥平次の進言を退ける光秀。湯尾峠と違って平野部での戦闘は、数の少ないこちらが不利である。弥平次の武辺が優れていようとも、前も横からも攻められてはたちどころに敗れてしまう。ここは柵の中に籠もって戦い続けるのが一番なのだ。


侵掠(しんりゃく)すること火の如く。


一切の余裕をなくさせるような猛烈な攻撃は、光秀から余裕というものを奪い去ってしまった。


「……くそッ!」


こうしている間にも畠山義続の命運は尽きようとしている。光秀は再び拳を地面に叩きつけるのであった。


=====================================


いつまで経っても蒲生勢が動かないことで、畠山義続は己の運命を悟り始めた。敵に囲まれても部隊はしぶとく持ち堪えているが、このままでは半刻とて持たないことは明らかだった。


「儂もここまでか」

「父上。まだ我らには残された兵がおります。急ぎ脱出を……」


吐き捨てるように言った父を息子が勇気づける。思えば義綱は常に能登経略を父と二人三脚で行なってきた。戦国乱世では当たり前と化していた親子の対立も、この親子の間には一度たりとも起こってはいない。改めて義続は、よく出来た息子だと思う。


「無用じゃ。ここまで追い詰められては逃げられはせぬ。畠山の者が雑兵に斬り殺されるなどあってはならぬ。ここで儂は、潔く自害して果ててやる」

「こんな負け戦の一つや二つ、気になさいますな。我らが祖先である四代目・義元様は同じように家臣に国許を追われましたが、見事に能登復帰を果たされています。我らも義元様に倣い、復権を諦めてはなりませぬ。そして、義総様の悲願を果たしましょうぞ!」


熱く燃え滾る義綱の眼は、このような状況ですら諦めの色は微塵もなかった。


「我が父の悲願?」

「畠山の統一にござる。本家の二本松に力なく、尾州家が衰退し、総州家は没落しております。我らが生き延び、上様の下で忠勤に励めば必ずや“畠山の正統は匠作(しょうさく)家”と認められましょう」


三管領の一つである畠山家は、戦国の世に於いて姿を消しつつある。匠作家と称された義続の系統以外には紀伊の畠山政尚がいるが、尾州家は幕府に逆らった一族だ。幕府方の立場を貫き続けた能登の匠作家こそ、畠山の名を子々孫々に残すことの出来る最後の家と義綱は思っている。


そんな息子に義続は希望を抱いた。


「相判った。では、ここは二手に分かれて落ちるとしよう。そなたはまっすぐに神明山へと退け。儂は一度、西へ向かってから蒲生殿の陣へ向かう。蒲生殿とて儂の姿を見れば、手勢のいくらかくらい割いてくれよう」

「承知いたしました。では、互いに無事で再会を果たしましょうぞ」


二人は笑みを交わし、互いに決めた方角へと馬を走らせる。警護の兵もついて行くが、義続と義綱を守る兵も数を大きく減らしていた。指揮官たる二人が現場を放棄したことにより部隊の統制は失われ、畠山の兵は次から次へと命を落としていく。


そんな中、部隊の合間をすり抜けてくるように義続へ迫る軍団があった。白地に大きな百足の絵が描かれた軍旗は、一層と目を引いた。こちらの手勢を打ち倒すことなく上手くかわし、瞬く間に距離を詰めて来る様は、まさに疾きこと風の如く。


義続は直感的に畠山七人衆の部隊ではなく、信玄の手の者だと悟った。


「この首、くれてやる訳には……!!」


死に物狂いで抵抗する義続に流石の武田の兵も手を焼いた。追いすがる兵が何人も斬られ、飛来する矢も甲冑に阻まれて運よく致命傷を避けている。このまま逃げ遂せられると思ったとき、義続を外れた矢が馬の足に刺さった。


「うぐッ……」


大地へと放り出された義続は胸を強く打った。意識こそ失っていないが、すぐに立ち上がれそうにもない。近臣が駆け寄って助けようとするが、大将首と勇んで突撃してくる武田兵と交戦になり、とても義続を起こせる余裕はなかった。


「大殿ッ!?」


そこへ武田の兵の一人が義続へとどめを刺すべく白刃を突き立てた。万事休す、と義続は死を覚悟したが不思議と敵の動きが鈍い。


「……お……御屋形様!?」


武田の兵が、信玄のことを指す“御屋形”という呼称を義続に対して使った。理由は判らないが戸惑っている様子で、好機と捉えた義続は兜の緒を外して敵兵へと投げつけた。


「うわっ!」


運よく前立てが頬に当たって敵兵が体勢を崩した隙に、義続は立ち上がり素早く近臣の馬に飛び乗ると馬腹を蹴って一目散に駆け出した。近臣を犠牲にしながらも、義続はこれまた運よく蒲生賢秀の陣へ辿り着き、生き延びたのである。


武田兵が戸惑った理由は簡単だ。義続の顔が信玄と瓜二つだったのだ。他人の空似とはよくいったもので、信玄と顔が似ていたことが義続の命を救うことになった。


しかし、不運は誰かが背負うものである。義続と別に落ちた義綱は、途上で敵の兵に捕まって殺されてしまったのである。


これにより信玄は、鉄壁と思われた余呉の堅陣に小さな綻びを生じさせることに成功したのである。




【続く】

本当に久しぶりの投稿です。


目標二ヶ月と言いながら時間がなかったために書けず、最初の一話目を投稿するのに一月半ほどかけてしまいました。


ですが、ですがです。合戦だったので一気に書き進め、二話同時投稿を成し遂げました!ということで、後書きによる説明は次回に持ち越したいと思います。

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