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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第五章 ~元亀争乱~
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第十六幕 飛騨の嵐 -思惑交錯す-

十月三十日。

飛騨国・飛騨街道


天をも覆い隠すほど林立する大杉に囲まれながら、内藤昌豊は主・武田信玄に任された主命を果たすべく山深き道を進んでいた。織田信長の余呉出陣を防ぐべく、飛騨に争乱の火種を灯しに行くのである。


「下地は御屋形様が作られておる故、楽なものよ。儂は、その通りに動けばよい」


兵を率いるのは昌豊であるが、全ての段取りは信玄がつけている。昌豊は追い詰められた主の怖さを改めて思い知らされた。


甲信を捨て、本貫を失いながらも大望を諦めない強い心は一武士として尊敬に値する。それだけでなく信玄は、上洛の支度から北陸三州の実力者たちへの働きかけ、越前、飛騨への計略など全てを取り仕切っている。どうやったらあれだけ頭が回るのか不思議でならないが、天下に広しとは言えども同じようなことが出来る者は五人といないだろう。そのような主に恵まれて、昌豊は幸福を感じていた。


「それにしても同じ景色の繰り返しだな。馬場殿たちは今頃、どうしているだろうかのう」


その一方で、進めば進むほど変わらぬ情景に昌豊は愚痴を溢すことが多くなっていた。


飛騨国は実に国土の九割が森林と拓けた平野が多い越中とは様相が一変する。何十年と信濃の山野を駆け巡り、慣れている昌豊も気が滅入るほど同じ景色ばかりだった。だが森林が多いということは、そこに住んでいる人も少ないことを表している。つまりは動員できる兵力にも限りがあり、昌豊が連れて来た三〇〇〇でも立ち回り方によっては充分な脅威と成り得た。


現在、飛騨は三つの勢力が国を分割して支配している。


一つは中央部から南部一帯にかけて版図を持つ姉小路氏だ。上杉謙信と誼を通じていたために当初からの幕府方で、国司家の名跡を有していることから飛騨の盟主的存在となっている。飛騨一国に限れば、間違いなく最大の勢力だ。


二つ目は飛騨西部の内ヶ島(うちがしま)氏。支配する白川郷は峻険な山々に囲まれ、居城の帰雲城も鉄壁を誇る要害であるものの、その地勢から外へ支配圏を広げることもなく、また外敵に襲われることもなく独立した存在として飛騨に有り続けている。最近では幕府の力が復活してきたことにより、少しずつ接触を図り始めているが、未だ臣従したとは言い難い状態であった。


そして三つ目は飛騨北部から東部を治める江馬氏。つい先日に当主の時盛が暗殺されたのは、飛騨中に衝撃を走らせた。


「武田殿は強い。その深慮遠謀は壮大かつ斬新で、我らでは想像もつかぬもの。付き従っておれば間違いはない」


暗殺された時盛は、根っからの武田派であった。上杉の強さも知っていたが、これまで武田の武威を間近で見てきた時盛には、武田への恐怖心がどうしても拭えなかったのである。


信玄は都度、四回ほど山県昌景を主力に飛騨へ攻め込ませている。


最初は永禄二年(一五五九)のこと。この時、時盛は姉小路を倒して飛騨の主になることに野望を燃やしていた。そこで侵攻してきた武田を利用することを思いつき、いち早く麾下に参じた時盛は目論見通りに武田方の先鋒として飛騨で勢力を伸ばし始める。翌年には信玄の要請で飛騨入りした美濃国・苗木城主である遠山直廉と連携し、大威徳寺の戦いで姉小路氏を破る成果を出した。


勢いに乗った時盛は、そのまま飛騨の主になるべく動き始めるが、信玄は時盛を飛騨国主にするつもりはなかった。すぐさま牽制の軍勢を送り込み、高原にあった江馬氏の館を包囲して臣従を迫る。時盛は三男を人質に出して降伏、江馬氏は完全に武田の支配下に入った。


その後、信玄は飛騨平定の機会が訪れたとして姉小路討伐に乗り出すと、時盛も参加して姉小路領へ大挙して攻め入った。この姉小路攻めで時盛は、大国・武田の底力をまざまざと見せ付けられる。自分が攻めあぐねていた姉小路を相手に武田は、僅か二ヶ月の間に所領の殆ど攻め取り、滅亡寸前まで追いやったのである。飛騨一国しか知らない時盛にとって、この時の出来事は強く脳裏に焼きつくことになった。


しかし、姉小路は生き延びる。上杉謙信が姉小路を救援するために川中島へ侵攻してきたのである。前回、四回目の合戦で武田信繁や山本勘介など多数の討ち死にを出していた信玄は、今回も総力戦となる可能性を懸念して、飛騨から全軍を引き揚げさせた。


姉小路は九死に一生を得たのだ。


それからの飛騨は、信玄が南方に版図を広げる方針へ切り替えたために元の三者が割拠する時代へと戻っていくも、時盛は一貫して武田へ臣従を誓ったままだった。


それが子・常陸介輝盛の気に障った。


「確かに武田は強いかもしれぬ。されど上杉も同じくらいに強い」


度々、越中へ侵攻して来る上杉の強さを輝盛は感じ取っていた。また自身の持つ“輝”の字が義輝からの偏諱でもあったために、密かに幕府と近しい関係の上杉へ気持ちが寄っていたことも大きな理由の一つだ。


(上杉殿に従えば、飛騨一国の統一はもちろんのこと越中へも版図を広げられるのではあるまいか)


輝盛は果てしない山林に数える程度しかない盆地を支配するよりも、越中の肥沃な大地に魅力を感じていたのである。


しかも姉小路氏は国司家といえども幕府と近しい間柄にあるわけではない。実際に幕府は伊勢・北畠と同様に飛騨守護職を京極氏に与えており、独自の支配権を確立させようとしていた。それは姉小路の支配を間接的に認めていないにも等しい行為だ。姉小路の当主・良頼は、子の頼綱を上洛させて幕府に恭順を誓ったが、将軍が姉小路に飛騨守護を任せたという話は聞かない。あくまでも姉小路の所領を安堵したのみに止まっている。上洛していない輝盛は当代の将軍が如何なる考えの持ち主か承知していないが、上杉家は全国の大名の中でもかなり将軍と親しい関係にあるという。


(姉小路が朝廷の権威を振りかざすなら、江馬は幕府の権威で対抗してやる!)


そう輝盛が思い始めるのも、飛騨の状勢からすれば自然な流れだったのかもしれない。


幸いにも幕府は輝盛の期待に応えるかのようにして昔日の力を取り戻しつつあった。輝盛の心中では幕府に味方したい気持ちが強くなり、美濃で武田信玄が敗れたという報せを契機に実行へと踏み切った。


父・時盛の暗殺である。


「これより父上のやり方を一新する。江馬家は幕府に従い、公方様の御為に働く」


輝盛は威勢よく家中に宣言を出した。


時盛の死によって、このまま飛騨は幕府方に収まるかと思われたが、義輝も輝盛も予想だにしなかったことが起こった。信玄が北陸に姿を現し、三州を合併したのである。


しかも信玄は織田信長を釣るために飛騨へ軍勢を侵攻させてきた。もし幕府方である姉小路と江馬が協力して武田に対抗すれば勝てたかもしれないが、飛騨の実情がそれを許さなかった。


「姉小路に頭など下げられぬ。江馬一手で武田を退ければ、公方様の覚えもめでたくなろう」


予てより合戦には自信を持っている輝盛は、内藤昌豊の侵攻に際して籠城ではなく野戦を選んだ。戦後、将軍に“姉小路は当てにならぬ。飛騨で頼りになるのは、やはり江馬輝盛よ”と言わしめるためである。


「好機到来じゃ!」


輝盛は可能な限りの兵を動員し、高原諏訪城を出撃した。


北陸三州が信玄の手に落ち、神保が滅びて椎名が武田に靡いたとなれば、越中は主なき国になったも同然である。ここで輝盛が内藤勢を打ち負かし、越中へ攻め入って信玄領を切り取れば、それらは江馬領として認められる公算が高い。しかも武田勢の大半は一向一揆勢との噂、輝盛は全て自分の思惑通りに進んでいることからも気が大きくなっていた。


それが油断に繋がっていることに、気付きもせずに。


高原諏訪城を出陣して北へ向かい、神岡城に入った輝盛は要所要所に伏兵を配して飛騨街道を進んでくる内藤勢を待ち伏せていた。


「よし、頃合ぞ」


そして目の前に内藤勢が現れ、両軍が槍を合わせ始めた直後に輝盛は用意させていた狼煙を上げさせる。これを合図に四方八方から内藤勢を攻め立てる策であった。


ところが異変が起きた。狼煙を上げたにも関わらず、誰一人として武田に襲い掛からないのである。


「何故じゃ!何故に攻めぬ!あやつらは狼煙が見えぬのか!」


一向に動きを見せない味方に輝盛は焦り始める。


その間にも内藤勢は怒涛の勢いで中央突破を仕掛けており、輝盛本陣を目掛けて進んでいる。備えは一つ、また一つと突破されつつあった。


「暗殺という手段で家中を纏められるものか。不満を抱く者は後を絶たず、楔を打ち込むのは児戯にも等しきことよ」


その様子を昌豊は余裕の表情で眺めていた。


信玄は江馬家中に潜む武田派の人間に働きかけ、内応者を作っていたのである。云わば時盛寄りだった連中が武田に味方したことになる。


輝盛は幕府派、上杉派の家臣らと昵懇にしており、家督を相続する際に親しき者たちで身の回りを固めていた。どの家でも代替わりの際によくあることで、当然ながらそれは陣容にも如実に表れる。輝盛本陣を幕府、上杉派の家臣らが固め、伏兵という役目を武田派だった者たちが担ったのだ。


輝盛の敗因は、彼らが武田につくとは思わなかったこと。


あくまでも彼らは江馬家臣であり、江馬家を中心に“武田か、上杉か”と考える。故に外敵に対しては一つに纏まれると考えていたのだ。それが敗北に繋がった。そのようなことなど、信玄は最初から判っていた。


「これで江馬家の当主は信盛殿じゃ。飛騨は江馬殿に一任いたす」

「はっ。有難う存じます」


昌豊は笑顔で降ってくる江馬家臣たちに話しかけた。その傍らには、まだ少年の若さを漂わせる江馬信盛の姿があった。


この信盛こそ、かつて武田に人質に出された時盛の三男である。“信”の字は信玄の偏諱であり、信玄が信濃で子の義信と離別した際、預けていた山県昌景の許より手元に呼び寄せていたのだ。信玄は信盛を奉じて江馬家中の切り崩しを行なっていたのである。以後、彼らは信盛を江馬当主として仰ぎ、家中を差配していくことになる。


「さて、輝盛殿は如何いたすつもりかな」

「殿……いえ、常陸介殿の性格ならば、討ち死に覚悟で出てくるかと」

「そうか、出てくるか」


追い詰められた輝盛の判断を、興味なさげに訊いていた。


江馬勢の兵力は二二〇〇。伏兵を配していた所為で、中央には一〇〇〇ほどの兵しかいなかった。両翼も支援に出ているが、昌豊の巧みな采配によって防がれている。輝盛に出来ることは、果敢に打って出て流れを無理やり変えるか、それとも城に逃げ帰るかである。そのどちらであっても、結果は同じと昌豊は見ていた。


「殿、城へ戻れば姉小路の援軍も期待できます。ここは命を捨てる場所ではありませぬ」

「莫迦を申すな!姉小路を頼るくらいなら、死んだ方がましだ!」

「御再考を!どうか御再考を!!」

「黙れッ!」


命がけで制止を促す家臣を一瞥し、輝盛は飛び出していく。


「儂が江馬輝盛じゃ!武田の武者どもめ、蹴散らしてくれる」


流石に飛騨では名を知られた大将であるだけ、輝盛が前線に出ると兵の士気も上がって味方は奮い立ち、見違えるように蘇った。輝盛も愛槍を握り締め、敵をバッタバッタと打ち倒していく。これには昌豊も驚きを隠せず、兵を一旦ひくという選択肢が頭によぎった程の大攻勢であった。


だが天は輝盛の味方をしなかった。


このまま流れが変わるかと思われた矢先、一発の銃弾が輝盛の眉間を貫いた。前線に出すぎただけでなく、止まり過ぎた結果であった。


輝盛の死によって江馬勢は壊滅、高原諏訪城も開城して新たな主である信盛を迎え入れたのであった。


=======================================


十一月二日。

飛騨国・桜洞城


江馬輝盛の敗死を姉小路良頼は、居城である桜洞城で聞く事になった。


「輝盛が武田に敗れたのか。しかも死んだとは、何という事だ」


この時の良頼は驚きの余り、暫し言葉を失ったという。


当初、武田が攻めてきたと聞いたときは、飛騨を纏める好機とほくそ笑んでいたものである。偶然にも良頼は江馬輝盛と同様に武田の侵攻を飛騨統一に利用しようと考えていたのである。


「てっきり輝盛めが泣きついてくるかと思っていたのだが……」


武田の脅威は、誰よりも攻められていた姉小路の人間が知っている。良頼は江馬を下位の存在としてしか見ておらず、単独で武田に勝てるとは思わない。だから必ず援軍を求めてくるものと踏んでいた。そこを最初は渋ってやって、ここぞという時に出て行って恩を着せようとしていたのだ。


江馬が姉小路を頼れば、輝盛が姉小路を飛騨の主として認めることになる。そして武田を退かせ、幕府から正式に支配を守護職を得られれば何もいう事はない。念願である中納言への昇進も、幕府の奏請があれば叶うかもしれない。


それが早過ぎる江馬輝盛の敗北、そして敗死によって露と消えた。武田信玄という武将を甘く見た代償は大きい。


輝元死後の江馬家について、次々と情報が入ってくる。


「高原諏訪城は開城し、江馬は新たに信盛なる者が跡を継いだようにございます」

「信盛とな?」

「武田へ質となっていた時盛殿の三男坊のようです」

「では江馬は完全に敵へ回ったということか」

「……残念ながら。武田は江馬の者どもを配下に加え、四千にまで数を増やしています」


相次ぐ報せに良頼は眉を曇らせていった。


かくなる上は姉小路だけでの抗戦を諦めて援軍を頼むしかない。良頼は内ヶ島兵庫頭氏理(うじさと)へ遣いを送り、救援を頼むことにした。普段は余り交流はないものの、同じ飛騨の者として立ち上がってくれると信じていた。


それが、である。


「照蓮寺が武田方につくことを表明し、それにより兵庫頭殿は動けぬとのこと。しかも僧兵たちの一部が武田と合流し、さらに数を増やしています」


まさに機先を制されたとは、このことだった。


真宗大谷派の寺院である照蓮寺が、同じ真宗一派である一向宗の味方についたのである。照蓮寺は永正元年(一五〇四)の和睦以来、内ヶ島氏とは敵対関係になかったが、加賀や越中の一向一揆へ支援は行っていた。また飛騨中に信仰の芽を張り巡らし、領民の心を深く支配していたのである。武力による支配よりも厄介な手法であった。


信玄の用意周到さは、良頼の想像を遥かに超えていた。


こうなると姉小路側も兵を集めるのが難しくなる。すぐさま小島城主・小島時光と連絡を取り、一先ずは混乱を沈めるために古川盆地にまで進出することになった。桜洞城に籠もることは簡単だが、こちらでは南に位置すぎて武田の侵攻を抑えられない。下手をすれば飛騨全土を奪われかねない。


過去に攻められた恐怖が、再び良頼の中に蘇ってくる。それが出陣の決め手だった。


「武田に野戦を仕掛けられるおつもりか」


合流した時光に訊ねられた良頼は、首を左右に振って否定した。


「我らの数では勝ち目はあるまい。されど小島殿は見捨てられぬ。我らと共に高山まで退いてはくれぬか」


この言葉に偽りはない。古川盆地まで進出した訳は、少しでも味方を募るためだった。ここから高山まで退き、時間を稼がなくてはならない。


「古川盆地を捨てると申されるか」


退くという言葉に時光の視線は鋭くなる。


良頼はいいかもしれないが、時光の領地は古川盆地にあるのだ。飛騨に於いて盆地は数少ない開けた土地で、それを失うことは死活問題である。古川盆地を捨てるということは、良頼は時光に死ねと言っているも同じだった。


「ここでは戦えぬ。まだ武田につく者が現れるやもしれぬからな」

「されど、退いたところで勝ち目は……」

「いま美濃の織田家へ援兵を請う使者を遣わしておる。近日中に返答があるはずだ」

「織田?織田は確か、長島で敗れたのではなかったか。援軍を送る余裕があるとは思えぬが……」


きっぱりと言う良頼の言葉に時光は訝しげに聞いていた。


信長が長島の一向一揆に敗れたという事は、既に天下に広く知られていた。大国である織田が援軍を差し向けてくれれば有り難いが、本当に送ってくるか定かではない。しかし、美濃に近い所領を持つ良頼は、時光の知らない情報を得ていた。


「織田は岩村城を落とした。これで東濃へ振り向けていた兵を自由に動かせる」


武田に奪われていた美濃・岩村城は、秋山信友の奮戦により持ち堪えていたが、柴田勝家の猛攻の前に遂に陥落した。信友は城を枕に討ち死にし、運命を共にすることになった。


「織田殿も武田を警戒していよう。一万と贅沢は言わぬが、数千でも送ってくれれば挽回は可能だ」


と良頼は言うが、元々信長が信濃攻略を前提に柴田勝家の岩村攻めが始まっていることなど知る由もない。これから信濃へ攻め入るのか、はたまた近江へ向かうのかどうか、信長の判断は不明である。良頼は希望的楽観論で願望を述べているに過ぎないのだ。だが聞かされた方は“有り得る”と思ってしまうから不思議なものだ。


「ここは姉小路殿の言葉に従おう」


武田に味方するという選択肢がない以上、時光が選べる道は限られていた。良頼は時光を引き連れ、古川盆地を放棄して高山まで退くことになった。


全てを織田信長の援軍に託して。




【続く】

今回は早めの更新ができました。と言っても予定していた越前の話ではありません。初めに飛騨のことを書いてから越前の話を書くつもりでいたのですが、長くなってしまったために分けて十六幕とし、投稿することにしました。


さて僅かずつ触れていた飛騨ですが、ようやくまともに描く回となりました。幕府方であった飛騨も蓋を開ければガチャガチャで、勝手気ままな連中の集まりであります。それが外敵を迎え、一気に露呈することになりました。江馬輝盛は攻め、姉小路良頼・頼綱は守りの方針と判断が分かれたのも立場の違いからですが、以前から飛騨へ影響力を持っていた信玄にすれば、彼らの関係など手に取るように判ったわけです。信玄(敵)にどのように思われているか、それを考えなかった時点で両者が武田に勝てる要素はなかったわけです。


そしてまだ信長の意向が見えない状態でありますが、飛騨に武田の触手がどんどんと伸びています。次回は予告通りに越前の回ですが、近いうちの信長の意向にも触れるつもりです。(その前に関東、九州も描かなくてはならず、もう少し後になりそうです)

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