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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第一章 ~上洛~
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第六幕 勢多対陣 -長逸、謎の余裕-

十一月六日。

近江国・佐和山


北近江の領主・浅井備前守長政の案内で行軍を続ける義輝は、この地で光秀の率いる美濃勢と合流した。光秀から事情を聞いた義輝は上機嫌に笑った。


「はっはっはっは!そちが大将か!?上総介も面白いことをするのう」


これに釣られて諸将も陽気に騒いでいる。しかし、義輝と違って光秀が大将であることが嬉しくて騒いでいるのではない。織田勢が三万五千もの大軍であることが勝利を決定づけたと考え、浮かれているのだ。


「これで勝ったも同然ですな、上様」


一色藤長が勝利を確信する。藤長だけではない。北陸勢や長政もやはり勝利は間違いないものと考えていた。織田勢が合流すれば義輝勢は全体で七万になる。対する三好・松永が三万余であることは既に勢多を領す山岡美作守景隆から報せが入っているので、倍以上の軍勢となる。常識では倍する軍勢に野戦で勝つことなど不可能に近い。


しかし、そんな中で笑っていない者が三人だけいる。


一人は明智光秀本人。いきなり大将を任せられながらも美濃勢は言うことを聞かない始末。そんなことを知らない義輝らは陽気に笑っているが、自分はとてもそんな気ではいられなかった。僅かに自らの意の届く斎藤利三勢を如何に活用するか、脳漿(のうしょう)を振り搾っているところだ。また朝倉義景も笑っていない。というより、苦虫を噛み潰したような表情でいる。家格が下のはずの信長が自身の倍する軍勢を率いてくることが、単に面白くないのだ。


そして瞑想するように諸将ひいては義輝の様子を窺っていた上杉輝虎も、その一人だった。


「皆々方、浮かれるのも宜しゅうござるが、戦はまだ始まっておらぬことをお忘れなきよう」

「されど上杉殿。こちらは七万、勝ちは揺るぎないかと。三好の栄華も数日の内でござろう」

「三好の名は天下に轟いておる。簡単に勝てる相手ではなかろう」

「三好の隆盛は修理大夫(長慶)あってのこと。かつての勢いは見る影もござらぬ」

「黙らっしゃい!(たと)え十万を持ってしたところで、勝てぬ戦も有り申す!」


いきなり輝虎が浮かれる諸将に一喝した。大兵を得たことで三好を侮り始めており、楽勝気分が漂っていた。これでは、勝てる戦も勝てない。


輝虎は、大兵を持ってしても勝てない戦があることを知っている。それは四年前の小田原攻めで経験したことだ。


永禄四年(1561)三月。輝虎は関東管領・上杉憲政を奉じて小田原城を攻めた。この時、常陸の佐竹、安房の里見、下野の宇都宮、武蔵の太田、成田など関東諸侯が挙って輝虎の許へ馳せ参じてきた。その数、十万を超えた。当時、輝虎は義挙に続々と参じる諸侯を見て、此度の小田原攻めで北条は滅び、足利公方が鎌倉へ帰し、それを関東管領として自分が支えることになるだろうと信じて疑わなかった。


しかし、結果は惨敗と言っていいだろう。十万を持ってしても小田原城の一郭すら落とすことが出来なかったのだ。


「済まぬ、輝虎。少々浮かれておったわ」


輝虎のただならぬ雰囲気を察し、素直に己の非を義輝は認めた。


「申し訳ござりませぬ。あの時の六角の過ちを、某が行うところでした」


若い長政もこれに続く。自身で既に倍する軍勢を討ち破ったことのある長政は、今の状態の拙さを理解できないはずはなかったのだ。


「されどこちらが有利なのは間違いござらぬ。堂々と参りましょうぞ」


自らの一喝で消沈している諸将を宥めることを輝虎は忘れなかった。戦の前なのだ。士気は高くなければならない。故に、輝虎は敢えて義輝の前でこのような行動を取った。


「だかこれからどうする?上総介を待つか」


今後の方針について、義輝が輝虎に問いかける。しかし、輝虎は静かに首を左右に振った。


「いえ、このまま進みましょう。既に今ですら三好に引けを取らぬだけの軍勢がございます。先に陣地を築いておく必要もございますれば…」

「そうか。ならば行くとしよう」


こうして西美濃衆五千を加えた義輝勢は、東山道を西へ進んだ。三好・松永の待つ勢多へ向けて…


=======================================


十一月七日。

近江国・膳所


勢多川の西に位置するこの地に、三好の本陣はあった。


「義輝めが勢多へ入ったようだな」

「はっ。伽羅山の下野守(三好政康)から報せが届いております」

「しかし、大丈夫か?織田勢が加わったという報せもあったぞ」

「大した数ではございませぬ。織田信長など、尾張では大うつけと評判の男にござる」

「そうか…。されど悠長にしておっていいのか?すぐに戦になるかもしれぬぞ」

「前将軍は阿呆ではありませぬ。こちらの陣を見れば、安易に攻めかかったりはせぬかと」


主君である三好義継に報告する三好長逸は、自軍の布陣に絶対の自信を持っていた。


義輝が入った勢多城の対岸にある石山寺に三好一の戦巧者である三好下野守政康を配し、背後の伽羅山全体に陣城を築いている。またそれを支援するように勢多の南、田上に松永久秀の八千が布陣しており、義輝勢が勢多川を渡ろうとすれば側面を衝ける格好となっている。また逆に義輝勢が先んじて松永勢を攻撃しようとすれば、大戸川を天然の堀とした堂山、笹間ヶ岳に築いた陣城に籠もる。義輝勢が後方攪乱(かくらん)の為に送り込んだ武田勢も岩成友通が防いでおり、坂本より南へ進出するのを防いでいる。


まさに鉄壁の布陣である。


「だが守るだけでは勝てまい。こちらから攻めかかるべきでは?」

「いえ、けして我らから攻めかかってはなりませぬ」


これが義継に理解できなかった。


攻め込んできたのは義輝側であるため、こちらが自然と守勢になるのは理解できる。しかし、長逸の策は守り一辺倒で義輝が諦めて撤退するしか勝つ方法がない。


「堅く陣を守っていれば自然と勝利は我らに転がり込んで参ります」


と言ってニヤリと笑う長逸。その怪しげな表情が若い義継を不安にさせる一因でもあったが、義継を名目上の主君と扱いながらも軽んじている長逸はそれの意味するところを教えるようなことはしていなかった。


(策があるなら申せ!)


というのが義継の心情であった。長逸といい久秀といい、自分の知らないところで好き勝手をやっているのは分かっている。だが彼らに支えられなければ三好の当主ですら居られないことを義継は承知している。


「さて、前将軍が如何様な策を講じてくるか、見物すると致しましょう」


長逸の眼が東を向く。しかし、視線は義輝勢の遙か後方を向いていた。


=======================================


十一月十二日。

近江国・勢多城


義輝が勢多城に入り、五日が経過した。


初めはすぐに攻めかかるべきと諸将の多くが主張したが、輝虎がそれに難色を示したことで開戦は先送りにされている。


理由は三好勢の陣城にあった。


「侮ってはならぬ。策もなく攻めかかれば、こちらの被害は大きくなる一方じゃ」

「されどこちらは敵より五千ほど多い。多少の犠牲は覚悟するべきでは?」


連日、勢多城内では軍議が行われている。議題は織田本隊と合流する前に開戦するかどうか、である。開戦派は朝倉義景に浅井長政、一色藤長。慎重派は上杉輝虎と畠山義続、明智光秀が主な面々だ。義輝はあくまでも議論を見守る形で己の考えを述べる真似はしなかった。自分が意見を言えば、それで決まってしまうからだ。


開戦派の主張は、現時点で既に敵勢を上回っていることだ。三好は凡そ三万。こちらは合流した織田勢、蒲生・山岡勢と合わせて三万五千となる。既に数で上回っているのだから、これ以上に敵が守りを固めない前に攻めかかるべきと主張する。


慎重派の主張は、勢多川を渡る以上は攻める側が不利、数の優位など簡単に吹き飛んでしまうことを問題視した。また織田・松平勢が三万が合流することは分かっているので、これを待つべきと主張する。


「ふん!いつ来るか分からぬ者を待っても仕方あるまいて」


慎重派が開戦派を押し切れないのはこれが理由だった。未だに信長よりいつ合流できるか報せが届かないのだ。戦巧者である輝虎がいるために即座に開戦には至らなかったが、押し止めるもはもう限界だった。


「叡山も堅田衆も我らの味方に転じた。機は熟したと思うが?」


比叡山は古くから王城鎮護の地とされ、山全体を境内とする延暦寺の協力は京を支配する上で必要不可欠だった。三好・松永の横暴に堪えかねた延暦寺が、軍監として西近江路を進む武田勢に身を投じている細川藤孝の働きかけにより味方となったのだ。


また琵琶湖の水運を握る堅田衆も大坂湾での交易を重視する三好家を快く思っておらず、寝返ってきた。大勢は、徐々に義輝方に有利になりつつある。


「あと二日待つ。それで上総介より報せが届かねば、戦を始める」


義輝の断により、軍議は開戦派優位の下で決した。


=======================================


その日の夕刻。明智光秀の陣へ思わぬ来客があった。


「こ…これは覚慶様!?」

「明智か。邪魔するぞ」


覚慶。義輝の弟である。先の変事で和田伊賀守に助け出され、今日まで近江の地で過ごしてきた。五日前に義輝が勢多城へ入るとこれに合流、感動の再会を果たしていた。


「兄上が困っておると聞いた」

「はっ。ここにきて織田勢と合流する前に開戦するかどうかで揉めております」


義輝としては一致団結して三好・松永に挑みたいところであったが、信長嫌いの義景が何かと開戦を主張して足並みを乱している。その理由は簡単だ。織田勢三万が合流すれば、主導権を奪われることが明白だからだ。今なら朝倉勢が一番多いため、発言力が強いのは輝虎よりも義景である。このまま三好に勝利すれば、後から信長が大軍を引き連れて駆けつけてきたところ立場は揺るがない。


「どうにか助けたい。何か出来ぬか?」

「そう仰られましても……」

「そなたは兄上が頼りとする智恵者と聞いたぞ」


覚慶のその言葉こそは嬉しいものだったが、かといってすぐに何かを閃くものではない。そもそも満足のいく策などあれば、既に義輝に言上している。


だがその時、光秀はふと昼間に聞いた“叡山”という言葉を思い出した。そして、目の前の貴人へ眼を向ける。


「な…何じゃ?」

「大変申し上げづらいことなれど、覚慶様の御協力を賜れるのであれば……」

「お…おお!兄上の為ならば何でもするぞ」

「某と共に、叡山へ参っては頂けませぬか!」


ところが、光秀は意外な来客をきっかけに光明を見出した。


ここ五日、義輝方とて無為に過ごしていたわけではない。得た情報から将軍・足利義栄が出陣していないことが分かっている。三好方の総大将は管領・細川信良である。となれば、義栄は何処に居るのか。京であるのは間違いなく。叡山まで出向けば場所は知れるだろう。こちらが大軍である以上、京には三好方とて大した兵は残っていないものと予測できる。ならば、急襲するのみ。上手く行けば、敵の動揺を誘うことが出来る。


「仔細は分かった。されど叡山は禁制の地、軍勢は通れまいぞ」

「承知しております。されど覚慶様の御尽力があれば、あるいは……」


大軍を動かせば、相手方にも知れる。しかし、光秀が実質動かせる兵は斎藤勢の三百のみ。それならば夜陰に紛れて琵琶湖を渡り、叡山を経て京に至ることは出来る。必要なのは、延暦寺の許可のみだ。


「分かった。何でもすると申した以上、叡山でも何処へでも行こう」

「有り難き仕合わせ!」


光秀は喜び勇んで義輝に許可を得るべく目通りを願った。初めは五千の兵を預かる大将が軽々しく動くべきではないと光秀を宥めた義輝だったが、光秀は己の下知に従わない美濃勢の実情を伝え、自分が隊を離れても問題がないことを説明した。


「十兵衛、覚慶を頼むぞ」

「はっ!」


義輝は延暦寺に対し、自分に協力してくれるよう書状を(したた)め、光秀に渡す。


夜半、光秀は覚慶と共に琵琶湖を渡った。


=======================================


十一月十四日。


勢多川に(ひし)めく軍勢は三万五千。その中心に座するは足利義輝。静かに瞑想し、呼吸を落ち着かせる。


(真の将軍が誰であるか、身を以て知るがよい)


義輝は騎馬し、愛刀・鬼丸国綱を引き抜く。そして眼前の逆賊三好・松永勢三万へ向けて采の代わりに振り下ろした。


「かかれぇぇいい!」


ついに合戦の火蓋は切って落とされた。




【続く】

次話投稿です。


次回は合戦編となります。全二回(もしくは三回)ほどで書きたいと思います。

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