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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第五章 ~元亀争乱~
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第十幕 北陸激震 -三州合併-

七月十一日。

越中国・魚津城


越後国・春日山城を攻撃し、有間川にて長尾景勝を破った武田信玄は越中に到達した。流石の越後勢も本庄繁長の討伐を終えずして信玄を追うことはできず、国境で追撃を断念、春日山へと戻って行った。


越中に於ける現在の勢力図は、幕府方が優勢である。上杉謙信、長尾景勝の支援を受けた神保長職が椎名康胤や一向一揆勢を圧倒、中央部の大半を押さえ、能登を追われた畠山義続・義綱親子を後援して巻き返しを図っていた。常識で考えれば、上方で足利義輝が勝利した今、このまま謀叛の炎は北陸の地でも消え去るはずだった。


それが信玄の登場で一変することになる。


信玄は長尾勢に奪われていた椎名康胤の属城・魚津城を急襲、武田軍が現れるとは思っていなかった長尾方は警戒を怠っており、城は二日の攻防の末に落城した。魚津城奪還を椎名康胤に伝えた信玄は、この地で康胤の到着を待った。


「これは真に武田殿でござるか」


まさか信玄自らが越中に姿を現すと思っていなかった康胤は、その姿を見て驚いた。


「如何にも、信玄である。椎名殿には謙信、景勝を相手に辛酸を舐められたようだが、儂が来たからには安心するがよい。奪われた地を取り戻してやるだけでなく、約束通り越中一国を進呈しようぞ」

「はっ、それは有り難く存じますが……」


信玄は気前よく言ってのけたが、康胤の表情は固かった。武田勢の力を疑っていたからである。


(上方で敗れて本貫を失い、たった三千五百の兵で何が出来ようか)


信玄の援軍を待ち望んでいた康胤であるが、それは武田が甲信二カ国に加えて西上野を領し、今川家を従属させていた大国であったからだ。康胤は信玄が万余の兵を引き連れて駆けつけてくれるものと信じていた。


領地を持たない兵と将が役に立つのか。お荷物になるだけではないか、と土地に固執する国人出身の康胤が思うのも無理はない。落胆の色は、誰が見ても一目できるほど隠しきれていなかった。


「椎名殿、受け取られよ」


そんな康胤を気にする様子なく、信玄は話を続けた。


「これは……」


信玄は傍に置かれていた無数の木箱から一つを取り出し、康胤に与える。恐る恐る箱を開けた康胤は、中に入っていたものを見て驚いた。


眩いばかりの黄金が、そこにはあった。


途端に康胤が積まれた木箱へ視線を移す。あれが全て黄金だとすると、とんでもない額になる。余りの量に康胤は圧倒されていた。


「よう堪えられた。これで失った兵馬を整えられるとよい」

「い……頂いてもよいのですか」

「無論じゃ。椎名殿にはまだまだ活躍して貰わねばならん。遠慮する事はない」


ニッコリと笑う信玄の前で、康胤は恐縮そうに黄金を受け取った。


「ああ、それとな。暫くの間、魚津は儂が借りることにした」

「えっ……、この城をですか?」

「ならんか」


怪訝な顔付きで返した康胤に対し、信玄は途端に射竦めるような視線を送る。凄味を利かせた威嚇に、康胤は目を逸らすようにして平伏した。


「い……いえ、御自由にお使い下さい」


畏縮してしまった康胤の姿に、戦国大名としての威厳は見られない。もはや信玄の家臣としか見えず、黄金を受け取ってしまった以上、康胤に信玄の要求を拒む事も出来なかった。これ以後、魚津城は信玄再起の拠点として運用されることになる。


「有り難い。椎名殿ならば、そう申してくれると思っていた」


再び表情を一転させて破顔して喜んで見せる信玄だったが、眼は全くと言っていいほど笑ってはいなかった。甲信を捨てた以上、一城を手に入れたくらいで満足していられないのだ。


目指す先は、天下。


信玄の戦いは、まだ始まったばかりである。


「幕府方の動きは掴んでいるか」

「はい。上方の状勢を知った神保長職が、畠山親子に合力して能登へ攻め入る気配を見せております」

「こちらは無視か」

「恥ずかしながら、某には立て続けの敗戦で神保勢に抗するだけの力が残っておりません」

「そう己を卑下することもあるまい。儂が来たのだ。どうとでもなる」


信玄の言葉には、自信が漲っていた。


上杉謙信や北条氏康、今川義元、織田信長に足利義輝など、これまで信玄が競い合ってきた連中に比べれば、神保長職など小物に過ぎない。兵の数で劣っていたところで、負けるなど微塵も思っていなかった。


「まずは越中、能登、加賀の一向門徒たちと繋ぎを取らねばならんな」


北陸にある一向門徒たちは信玄の貴重な兵力に為り得る。幸いにも信玄の帷幕には、石山の本山から同行している坊官が僅かながらにおり、総じて彼らは高い地位を有している。その為、地方に下れば彼らの言葉は法主同然に扱われ、門徒たちを動かすのに大いに役立った。


背後で門徒たちが(うごめ)けば、長職らは警戒せざるを得ず、当然ながら能登入りは中止となる。そこを機に、信玄は決戦を挑むつもりだった。


(幕府の財政は厳しいはずだ。雪が降り出す前に軍勢を上らせられれば、勝機は充分にある)


二条城の金蔵が枯渇しつつあるのを信玄は直に見て知っている。大軍を再編制することは不可能なはずだ。だが幕府領は広大であり、一年もすれば復活するのは簡単に予想がついた。信玄が勝つならば、今しかない。時間をかけてはいられなかった。


「さあ、出陣ぞ」


信玄が上洛に向けて本格的に動き出した。


数日後、信玄の要請を受けた瑞泉寺の顕秀、勝興寺の顕栄が門徒兵を率いて富山城近くの五服山まで進軍、その隙に武田・椎名連合軍は西進して土肥城、小出城、鶯野城(うぐいすのじょう)、新庄城と次々に陥落させた。相次ぐ属城の陥落に事態を重く見た神保長職は、富山城に帰還して方策を練ることにした。


「一向門徒を相手にするには兵が足りぬ。合流されでもすれば、さらに厄介じゃ」


長職の顔からじゃ数日前まであった明るさが消えている。事態の深刻さが長職の表情に色濃く表れていた。


「されど武田信玄が越中に現れたとの噂、本当であろうか」


これに義続が誰もが抱く疑問を呈した。


信玄の暗躍によって能登を追われた義続としては、信玄と相対するのは望むところであるが、本人が越中に現れるとまでは流石に思っていなかった。


「俄かに信じ難いが、居城に押し込められていた椎名が俄然、勢いづいておる。数も増えているとの報せもあり、本当と考えるしかござるまい」


明らかなる敵の変化は、信玄という存在の大きさを物語っていた。ただ不運だったのは、彼らが武田信玄の力を噂でしか知らなかったことだ。もし知っていれば、次のような決断には至らなかったはずだ。


「とはいえ信玄の率いる軍勢は椎名と合わせても我らより少ない。ここは常道に従い、まず信玄を討ってから一向一揆に備えるのがよいと思う」

「うむ。合流を阻止するのが先決であろうな」


かくして神保長職と畠山義続は出陣して解決を図ることにした。


神保・畠山連合軍八六〇〇が尻垂坂で武田信玄の率いる五九〇〇と激突したのは、七月十九日のことだった。


=======================================


七月十四日。

京・二条城


信玄が越中に入って半月余り経った頃、洛中の復興と論功行賞に国替えと忙しくしている義輝の許へ一通の書状が届く。差出人は、武田義信であった。


「父・信玄が天下に大乱を引き起こし、諸国の平和を脅かしたこと誠に申し開きようもございませぬ。此の度、武田甲斐守は父と袂を分かつこととなり、正式に家督を継いで当主に就任いたしました。上様に対する逆心は甲斐守にはございませぬ故、甲信へ兵を入れたりせぬよう御願い奉ります」


内容は義信が幕府へ恭順する意思表示であり、見る限りでは義信が義輝へ帰順したかのように窺える。しかし、何処にも義輝へ忠誠を誓うなどとは書かれておらず、ただ領内へ兵を入れぬよう求めている。これは入れれば対抗すると言っているも同じであった。


戦国大名たる気概が、義信にも(そな)わっている証だった。ただ義輝には己の都合ばかりを押し付ける虫のいい話に思えた。


「よう申すわ。甲斐守には今川家の後見役を任せておった。その責務を果たさずして、自分の立場だけを主張するとはな」


自分へ対する明確な叛意が義信にないことは判った。それでも義輝の立場としては、武田家に甲信の守護を任せ続けることは難しい。信玄のことはもちろんだが、義信へ対しても自身が後見役を務める今川家が叛旗を翻したのだから責任を負うべきだというのが義輝の考えだ。


これには義信にも言い分はある。


「此度の今川家と徳川家の戦いは、互いの因縁から引き起こされたものでございます。確かに後見役ではありましたが、自分は武田の人間であります。私情に関わりあう立場になく、今川家を去った次第です」


義信にすれば、そもそも自分に後見役としての役割が求められていたとは思っていない。信玄の駿河侵攻に際して政治的に利用されたというのが実際であり、存在に価値があった。決して義信の能力を期待されてのことではなく、義信にすれば後見役の責任を問うことこそ義輝にとって虫のいい話でしかない。


それでも律儀な性格が作用し、義信には氏真を見捨てるような事は出来なかった。


「上様が某に後見役の役目を求められるならば、幕府と今川家の仲裁に立ちたく思います」


義信は提案を受け入れるかどうか、義輝は悩んだ。


公私に於いて、私を優先させる者は信用に値しない。義信に限っては公も私も優先させた形となったが、氏真については明らかに私を優先させている。遠州のことは因縁があったにせよ、半国割譲は今川側が申し出たことであり、幕府として義輝が裁断したことなのだ。それを今になって持ち出されて堪らない。


(そうは申しても今川を潰す訳にはいかぬ)


同時期、氏真本人からも降伏する意思が伝えられていた。義輝は今川家について降伏を認める方向で考えを固めつつあったが、別に問題が生じていた。予想通りなのが憎らしいのだが、徳川家康から氏真の降伏について何ら報知がなく、家康に今川の仕置きを任せるわけにはいかなかった。


(権少将め。かつての主家を滅ぼすつもりか)


最初に氏真は城を囲んでいる家康へ降伏の意思を伝えたはずだ。それでも家康が報告を寄越さないのは、氏真の降伏を黙殺しているからに相違ない。それに今川側も薄々気付いているからこそ、家康を信用せずに幕府へ直接、降伏を申し出てきた。


(少々家康という男を侮っていたか)


義輝は家康という男の評価を改めることにした。


駿河に手を付けた時点で今川に降伏がなければ取り潰すという義輝の言質がある以上、家康は何が何でも駿河に攻め込むつもりでいるのだ。義信は甲信を纏めるのに精一杯で、頼みの北条は謙信の相手をしている。両者は駿河に構うだけの余裕はなく、今を於いて家康が駿河を版図に組み込む好機はない。


今まで信長の陰に隠れがちだった家康であるが、蓋を開けてみると(したた)かさは群を抜いている。合戦の粘り強さ、物に動じない様は恐らく謙信に信長、信玄などと比べても遜色はない実力を誇っていると思われた。


(皆、好き勝手にやってくれる)


だからこそ義輝は、余計に彼らの振る舞いを苦々しく思う。


上方で松永久秀を破り、勝利したとて義輝が諸大名を統制できているとは御世辞にも言えない状況は続いている。特に東国は、謙信が幕府に従順なだけで信長と家康を中心に勝手放題で義輝の権威が及ぶ範囲が限られていた。速やかなる東征が求められるが、その余裕が幕府にはない。今は時期が到来するまで諸大名の力関係を均衡に保っておく必要があった。


今川家の降伏を認めるのも、そういう考えが元にあってのことだ。


「左近を呼べ」


義輝は決断し、行動に出る。


「はっ。直ちに」


小姓の一人が義輝の呼びかけに応じて部屋を出る。暫くして一人の人物を連れて戻ってきた。


「島左近、御呼びにより(まか)り越しました」

「来たか」


義輝の前に姿を現したのは、筒井家に仕えていた島清興であった。二人は今月の初めに主従の契りを結んでいた。


「左近を呼んだのは他でもない。余の頼みを聞いてはくれまいか」

「頼みなど畏れ多い。遠慮なく御命令くだされば結構でございます」

「そうか。まあ気にするな」


声を上げて笑う義輝に、清興は柔らかな笑みで応じた。


鳥取城の変事を境に筒井家を致仕した清興は赤井忠家と共に行動していたが、赤井家に仕えた訳ではなく、あくまでも独立した立場にあった。上方での争乱が落ち着いたのを契機に清興は自領に戻ったのだが、待っていたのは旧主・筒井順慶の嫌がらせだった。


順慶は鳥取城での失態により改易こそ免れたものの大きく領地を削減されている。その削減分を少しでも補うために大和国平群郡(へぐりぐん)にあった島領を没収したのである。


「島殿の武略は天下に埋もれさせるには余りにも惜しく、直臣に御取立てすれば必ずや上様の力となりましょう」


これに蟄居前の明智光秀の進言があり、義輝が介入することになった。清興の活躍を吉野川合戦で見知っている義輝は、配下に加えることに賛成だった。


「今の幕府に不足しておるのは清興のような勇将よ。ぜひ我が元へ参じ、余の夢の手助けをしてくれまいか」


剣術を極めている義輝は、武芸に秀でている清興を丁重に扱った。それが心を打ったのか、最初は固辞する姿勢を保っていた清興は転じて幕府に仕えることを承諾した。


清興は所領を安堵され、正六位上・左近将監(さこんのしょうげん)の位を賜ることになった。幕臣である以上、無位無官は好ましくない。また義輝は清興を加増しようとしたが、これについては固く辞退されている。


その清興に義輝は最初の仕事を与える。


「これより遠州へ赴き、余の意向を伝えて参れ。今川は遠州を没収の上で駿河一国を安堵、但し、これまで今川家に許してきた数々の権利は剥奪する。当然ながら以後は今川を将軍家の親族衆としては扱わぬ。この条件を刑部大輔が呑むのなら、降伏を認める」


義輝の決定は、今川家が名門ではなくなるという厳しい沙汰であった。その代わり駿河一国の領有は認められるのだから、改易や斬首になった者たちのことを思えば恵まれている方と叩き上げの大名たちは思うかもしれないが、当初から守護大名であった今川家には過酷だった。


(余に屈服せよ)


表向きの恭順では、泰平は訪れない。全てに於いて必要なのは、幕府に対する心からの忠誠なのだ。今川家から名誉を剥奪するのは、その一環である。


「恐らく刑部大輔は余の命に服すだろうが、権少将が交渉の邪魔立てするやもしれぬ。その時は、堂々と徳川に認めたのは遠州の守護であり、駿河にまで口出しをするなと伝えい」

「はっ。畏まりました」


淡々と主命を引き受ける清興を義輝は頼もしく思った。


将軍のいない場であるから、家康も露骨に抵抗を示してくると思われる。その家康を相手に強く物を言える幕臣はそう多くはない。その点、清興ならば義輝の前ですら物怖じしないのだから心配はいらないだろう。


これで東海の問題は解決する。後は武田家をどうするかだ。


義信からの書状には、信玄の動向についても触れられていた。信玄が越後へ向かったこと、天下を諦めていないこと、それに自分は関わる気がないことが記されてあった。


(潔く降伏すればよいものの、まだ余に抗うつもりか!)


未だに自分を認めようとしない信玄に対し、義輝は密かに怒りの炎を燃え(たぎ)らせる。どうも以前から信玄は自分を軽く見ているような気がしてならず、京で対峙したときの飄々とした態度は義輝の脳裏に深く焼きついていた。


先の謀叛でもそうだ。戦略上のこととはいえ、信玄は義輝よりも信長を倒すことを優先させていた節がある。今も抗戦を諦めていないということは、戦って勝てると思っているからだ。それが何よりも許せなかった。


(諸大名の力を借りはしたが、幕府を建て直したのは余ぞ。その余を未だ認めぬ気か!)


義輝の眼光が鋭くなる。獲物を狙う獣のように、真っ直ぐと虚空を睨んでいる。


「早めに手当てをせねばなるまい」


信玄の反撃に備え、義輝が動き出した。


=======================================


七月十六日。

美濃国・岐阜城


北陸の状勢は、飛騨を経由して織田信長の許へも伝わっていた。もちろん信濃でのことも信長の知る事となり、信長は音を立てて舌打ちをした。


(……ちっ。まさか甲信の争乱が戦わずに終わるとは思わなかったわ)


信長の予想では、信玄と義信の間で骨肉の争いが行われるはずだった。その間に信長は長島一向一揆を平らげ、武田領へと攻め入る。信玄と義信、そのどちらが勝とうとも疲弊は免れず、織田の大軍の前には為す術もなく甲信二カ国は簡単に手に入る。


しかし、甲信が義信によって纏められれば状況は変わってくる。しかも信玄が北陸で暗躍しているとなれば、そちらへも労力を振り向けなくてはならず、必然的に信長が甲信へ向けられる兵が少なくなる。


(甲信が義信で纏まる前に、足掛かりだけでも築いておかねばなるまい)


信玄が去ったとはいえ、信濃には反義信を掲げる諏訪勝頼がいる。勝頼に勝ち目があるとは思えないが、せめて健在な内に楔を打ち込んでおく必要があった。


「権六を呼べッ!」


信長の形相に驚いた小姓は、飛び上がるようにして柴田勝家を呼びに行った。


「信濃をくれてやる。佐々内蔵助と前田又左、不破太郎左を連れ、好きなだけ切り取って来い」


勝家が現れると同時に、信長は命令を下した。


「一国まるごと頂いて宜しいので?」


破格の恩賞に勝家は高揚して聞き返した。この男にしては、珍しく声が上擦っている。


勝家は佐久間信盛、林秀貞と並んで織田家の筆頭格であるが、最近になって滝川一益が伊勢四郡を預かり、羽柴秀吉は江北三郡を得た。勝家も近江と尾張に領地を有しているが、差が埋まりつつあるのは明白だった。


織田譜代たる矜持が、それを許すはずがない。ここで一国を得れば、織田筆頭の地位は確固たるものになるだろう。その機会を、主が与えてくれたのだ。


「好きなだけ切り取れと言った筈だ」

「有り難き仕合せ」


勝家は力強く平伏し、謝意を述べた。


しかし、現実は甘くはなかった。西征から帰還したばかりの信長が動員できる兵は多くはなく、それを理解しているからこそ信長も九月まで兵を休ませる方針だった。それを破るのだから、結果も見えてくる。


勝家は一万二〇〇〇の軍勢を率いて東へ向かった。信濃へ攻め入る前に、まずは武田に奪われた岩村城を奪還する必要があるのだ。


岩村城を守備するのは秋山信友ら二〇〇〇。戦力差は圧倒的であったが、信友は果敢に抵抗した。ただ義信に信友を救援する余裕はなく、孤立したまま落城を向かえることになる。


秋山信友以下、主だった者は討ち死にもしくは自刃して果てた。それでも信友が稼いだ二ヶ月の間に義信は甲信を纏め上げることに成功したのである。そして武田信玄は、越中を制した。信友の忠誠は、確かな成果を生み出していた。


信玄は越中・尻垂坂で神保・畠山の連合軍を破り、富山城へ籠もった長職は自害、畠山親子は幕府を頼って上方へと落ち延びて行った。


この勝利は武田信玄の復活を高らかに宣言するものとなり、信玄は越中、加賀、能登の三国を束ねる盟主へと選ばれた。


次の目標は越前。


越前の国主となった浅井長政の前に、虎の牙が襲い掛かる日が近づいていた。




【続く】

大幅に遅れた投稿となりました。まことに申し訳ありません。師走は忙しく、執筆の時間を中々とれず、気持ちとしては今年中にもう一話ほど更新したいつもりでいるのですが、果たせるかどうか判らない状況です。


さて今回ですが、久しぶりの義輝登場ですね(笑)密かに島左近を家臣にしており、強化が図られています。(左近は通称でしたが、幕臣になる予定だった拙作では受領名とさせて頂いております)


もちろん幕臣・島左近として合戦でも活躍がありますので、ご期待下さい。


また信玄が三州を統一しましたが、これに対する義輝と信長の反応は様々です。義輝は信玄との対決を前提に策を練る方針ですが、信長は無視するという程ではありませんが、余り信玄の動向に重くを置かないつもりです。これがどう作用するかは、後の話となります。


次回は時間が二ヶ月ほど経過した九月頃の話となります。信玄が上洛を目指すとなれば、上方で抵抗をしている奴らが活気付くことになります。その動きと諸大名の反応を中心に描くつもりです。

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