第八幕 内訌の終焉 -上原の別れ-
六月九日。
信濃国・上原城
上方で将軍・足利義輝とその弟・足利義昭の対決が終焉を迎えた頃、東の地・信濃国でも一つの親子の対立が終わりを迎えようとしていた。
「お……御屋形様ッ!?」
その日、父親に叛旗を翻した武田義信が籠もる上原城は、大きく揺れた。思わぬ人物の登場に城門を守備する男たちは、慌てふためき全身から震え上がった。
武田信玄の軍勢一万余に取り囲まれている上原城は、大将の義信が巡視しているとはいえ、父と違って気遣う言葉こそ投げ掛けるものの陽気に兵たちと会話をすることはなかったため、誰もが神妙な面持ちで、いつ攻めてくるかも判らない眼下の軍勢を前に常時ピリピリしていた。
その真っ只中に突如として信玄が現れた。しかも驚いたことに信玄は甲冑を身に着けておらず、腰を担ぐ者以外に供を連れてはいなかった。敵中に丸裸同然で入り込んできたのだ。
「太郎と話をしに来た。通るが、よいな」
信玄は輿から顔を覘かせると、一方的に守備兵の一人に来訪の目的を告げた。
「さ……されど、いや」
「儂は丸腰だ。太郎に危害を加えるつもりもない。この者たちは、ここに待たせる」
そういって信玄は門兵の返答を待つことなく、輿を降りて城内に一人で入っていった。信玄を止めようとする者は誰一人としておらず、ただ背中を見送るだけであった。
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城内では武田義信がいつものように穴山信君、小山田信茂らと軍略を練っていた。あらかた義信の思惑通りに進んではいるが、信玄同様に相手を打ち破るには決定打を欠けているのが現状だ。いや、欠けさせられたというべきであろうか。
義信は判断を決めかねていた。
(報せによれば、父上は予州の寝返りには気付いていないようだが……)
義信の許には予州こと木曽義昌より内通の申し出が届いている。これは信玄の仕掛けた罠であるが、実は義信の仕掛けた罠でもあった。それは義昌が当初から義信方に属していたためだ。信玄の娘・真理姫を娶って親族衆の扱いを受けている義昌であるが、家族や家臣を人質として甲府へ送っている。つまりは立場こそ親族衆であるが、信用はされてなかったことになる。
しかし、義信は違った。義昌の忠義を信じ、人質を返すことを約束した。その上で改めて親族衆として奉公に務めて欲しいと願い、義昌は信玄から離れる決意をする。
義昌の役目は父・信玄を美濃に張り付けておくこと。その間に義信は甲信を纏め上げ、街道を封鎖する。そうすれば上方で孤立した父の軍勢は自壊、義信は勝利を掴むはずだった。このような手段を義信が選んだのも、甲信の者たちが敵味方に分かれて戦う悲惨さを避けるためだ。父と対立する義信であるが、可能な限り最小限の被害で勝利することを望んでいた。
ところが別働隊の一手を担っていた義昌は、いざ信玄を目の前にすると命令に逆らえず、信濃帰還に同行するしかなかった。義信へ寝返ろという命令を受けたときは、心臓が止まるかと思ったほどだ。
その義昌が内通の密書を届けてきたのは、つい先日のこと。義昌は義信を裏切っているつもりはないので、信玄に命じられたことを伝える内容を記してきた。
密書を確認した義信は、城から打って出るかを悩み続けていた。
(予州が儂の味方であると父は気付き、策を弄しているのか。はたまた単なる偶然なのか)
義昌の内通が露見しているなら、打って出た時点で敗北は必至となる。ばれていないなら勝利は疑いない。その瀬戸際で、義信は迷っていた。
そんな時、城内がざわついて俄に騒然となり始めたことに気が付いた義信は、兵の一人を呼びつけて状況を確認させた。
「お……御屋形様が参られております!しかも既に城内に入っており、義信様との会談を求めておられる様にございます」
戻ってきた兵は、声を震わせながら今の主・義信へ事態を報告する。
「父上が来ただと!?」
流石の義信も想定していなかったらしく、珍しく大きな声で応じた。
「ど……どういうことじゃ!?」
「何故に城内へ通した!?」
信君と信茂の二人は顔面を蒼白とさせ、唇を震わせながら兵を詰問した。近くに信玄が現れたことで、奥底にしまってあった信玄に対する恐れの感情が、表に出てき始めたのだ。とはいえ信玄を通したのは詰問されている兵ではないので、何とも答えようがなかった。
「御会いになられるつもりですか」
「……さて、な」
信君の問いに義信は明言を避けた。
「会われてはなりませぬ。それよりも早く御屋形様を城外に出さなければ、士気に関わります」
信玄を慕う者は味方の中にも多い。そして恐れる者もまた多かった。故に信君は信玄が城内に留まる時間が長くなるに連れて兵の士気が落ちると説いた。
「いや、それよりもよい手がある」
と、言葉を挟んだのは小山田信茂である。
「何か思いつかれたか?」
「うむ。ここで御屋形様を討ってしまえばいい。さすれば我らの勝利は決定的となる」
「……なるほど」
信茂の策に信君は意表を疲れたようで、顎鬚を擦りながら思案に耽った。相手は一人なのだから、まず間違いなく成功する。
「馬鹿者ッ!!」
そこに義信の一喝が飛び、二人は身を縮こまらせた。
温厚な義信が二人の前で、このような態度を取ったのは初めてのことである。義信は彼らの性根を見た気がした。結局、我が身こそ大事であって、戦いの大義よりも生き残ることこそが優先なのである。
(こやつらはそれでいい。されど私は違う)
自分の生き方を強要するつもりは義信にない。主君と配下では、生き方が違うことくらいは判っている。自分には、生き残ればいいという考えはとても受け入れられそうにない。
「父は戦う目的でやってきたわけではない。それを討てば、我が大義はたちどころに失われてしまうわ!」
そう言って義信は二人の前から顔を逸らせると、黙ったまま様子を眺めていた兵士へ身体を向けた。
「……いま父は何処におる」
「はっ!ご案内いたします」
義信は兵の後を追い、信玄の待つ部屋へと歩く。
父とは反目した義信であるが、信義を重んじる性格のために親子の情を完全には捨て去っておらず、無理やりに追い返すような真似は出来なかった。未だどちらが勝つかは天のみの知るところではあるも対面して話す機会は二度と訪れぬだろう。
ならば会って、己の気持ちに整理をつけたい。そう思い、父との最後の対面に臨んだ。
「御待たせ致した」
部屋に入った義信が信玄を見る。信玄はまるで自分の城であるかのように出された茶をすすっており、義信の登場に気が付くと軽く手を上げて応じた。
「気にするな。それほど待ってはおらぬ」
普段の態度なままの父を前に義信は腰を下ろす。上座には座らなかった。父親の横に座し、二人が対等であることを示したかった。この青臭さが、義信の若さだろう。
そのようなことはどうでもいいと思っているのか、信玄は気にすることなく話を始める。
「ちとお前と話したくなってな。突然だったが邪魔させてもらったぞ」
「まこと、突然にござる」
呆れた口調で返事をする義信を信玄は笑って見ていた。それに見て義信は、ムッと表情を固くする。
「して、如何なる用向きにござるか。私に“降伏せよ”とでも言いに参ったのでござるか」
「ほう、降伏してくれるのか?」
「まさか!我らは袂を分かった身でござる。敗れれば潔く死を受け入れるまで、降伏など有り得ませぬ」
「結構な覚悟じゃ」
息子の成長を感心するかのように、信玄は何度も頷きを繰り返した。
「降伏は有り得ぬか。されど儂がそなたに降伏すると申せば、どうじゃ」
会心の笑みを浮かべながら、信玄は言った。見る限り敗者の顔つきではない。父がこういう顔をする時がどういう時なのか、息子である義信はよく知っている。
明らかなる罠、迂闊には乗るわけにはいかない。
「何を莫迦な。千、万の言葉を尽くしても父上の御考えが変わらぬこと、この義信は知っており申す。今さら降伏と申したところで、父上が考えを改めたとは思いませぬ。恐らくは降伏することで我が懐に入り、甲信の軍勢をそっくり手に入れてしまおうという魂胆でござろう」
「見事に儂の考えを読んだか。頼もしい限りじゃ。それでこそ武田の嫡流に生まれし者よ」
カッカッカと大仰に笑い、信玄は義信を褒めた。
義信は気が付いていたのだ。父がこの場にいる理由は、兵の中に今でも信玄を主と抱く者がいるからであると。義信と対立した今でも信玄は兵たちに“御屋形様”と自然に呼称されており、親しまれている。父もそのことを知っているからこそ、単身で城に乗り込んでも殺されることはないと高を括っているのだ。いま降伏を受け入れれば、誰もが父の命に従い始めるだろう。義信は自然と、当主の座を失っていく。
器量の差を義信が痛感し、受け入れているからこそ判ることだった。
「ではそなたに問おう。儂と反目するのはよいが、今後はどうするつもりじゃ。はっきりと申すが、氏真など頼りにならぬぞ。北条とて自分のことしか考えておらず、求めても援兵など差し向けては来るまい。つまりはそなたに味方はおらぬことになる。その状況で如何にして幕府に対抗する」
「果たして対抗する必要などございましょうや」
「よもや幕府に降るつもりか」
「降るも何も、武田は甲信の守護。始めからその領分を犯すつもりはござらぬ」
きっぱりと宣言する。これが義信の本音であった。
義信に天下への野心はない。甲信の守護として、武田の嫡流として天下に恥じなければよいと思っている。他国を侵すなど論外であり、素直に国の発展に尽くし、富ませることこそ領主の本分であると考えていた。故に天下が纏まるのであれば、義輝だろうが義昭だろうが義信にとっては些細な違いでしかなく、故に幕府方と謀叛方のどちらに味方する事も表明しなかった。
だが自ら天下を掻き乱すことは違う。それでは武田の信義は大きく貶めてしまい、子々孫々までに汚名を残す。偉大なる先祖たちに申し訳が立たない。
「甘い、甘すぎるわ!」
信玄が感情を露わにした。家臣の前では決して出さない、親としての表情だった。
「確かにあの将軍であれば、そなたのような者は気に入られよう。条件次第では、降伏を認めるやもしれぬ。されど信長は違うぞ。長島の一向一揆がなければ、即座に甲信へ兵を入れておろう。場合によっては、将軍の命令を無視してでも攻め入ってくるはずだ」
「そのような勝手を公方様が許すとは思えませぬ」
「だから甘いと申すのだ。信長の勝手を止められるほど、将軍の力は強くはない」
信玄の指摘は事実であった。
この時点で上方は都の再建に追われており論功行賞は発表されていないが、信長による越前、若狭の支配が固まりつつあり、浅井領である北近江の横領が行なわれている。後に越前は浅井に恩賞として与えられ、若狭は幕府へ返還されることになるが、この決定が義輝の主導で行なわれたものではないことは当人が一番自覚していることである。
信長は正式に信玄討伐を義輝より命じられているが、それは間違っても義信討伐ではない。しかし、信長が信玄を倒した後に義信を攻めようとしない保障は何処にもなかった。
(信長にとって儂と太郎に違いはない。奴にあるのは“武田”を潰すという目的だけよ)
天下広しといえど信長の真意に気付いていた者は、この時では信玄だけだったであろう。それは恐らく、信長に一番似ているのが信玄であるからなのかもしれない。
「余計な駆け引きはそなたの好むところではあるまいので、率直に申すぞ。儂と共に信長と戦う気はないか」
虎の親子が和解すれば、両軍どちらにも属していない者も参集に応じ始めて数は二万にまで膨れ上がる。幕府の討伐が遅れと予測し、北条と今川、そして本庄繁長が健在の今なら二万の軍勢があれば充分に戦えると信玄は思っていた。
「……有りませぬ。例え信長が相手であったとしても、父と同じ道を歩く気にはなりません」
しかし、父親の思惑に反して義信の答えは再びの拒絶であった。
「そうか、残念じゃのう」
そう口にする信玄であるが、声色からして言うほど残念そうではなかった。義信が父の性格を知り尽くしているように信玄も息子の性格を知り尽くしている。この結論に義信は辿り着くことを想定していなかったはずはなかった。
だからこそ次の言葉が用意されていた。
「ならば甲信の守護を自認するそなたに、武田の家督を譲ろう」
「なっ……、本気でござるか!?」
「家督のことを冗談で申すわけがなかろう。御旗、楯無も持っていけ。後で届けさせる」
武田氏の始祖・新羅三郎義光から伝わる日章旗を御旗、源氏八領の一つである楯無を所持することは、武田の家督を意味している。義信が御旗と楯無を受け継げば、如何に信玄が健在であろうとも大義が義信にあることを示すことになる。
そんなことをしては自らが不利になるだけだ。その後、父はどうするつもりなのか。それを問う前に信玄が言葉を紡ぎ始めた。
「儂が家督を譲り、名実共にそなたが武田の棟梁となったからには、甲信を敵から守る必要がある」
「つまり信長と戦えと?」
「それは棟梁となったそなたの考えることじゃ。されど攻めて来れば、戦うしかあるまい」
「…………」
それを聴いて、義信は表情を険しくさせる。上手く乗せられた気になるが、正攻法で父を倒したとて結末は同じだったに違いない。なにやら現実を直視させられた気分だ。
(織田信長か)
信長の侵攻に対して如何に備えるか。その事について義信は本気で考えたことはなかった。父に勝ち、武田の信義を守ることだけを考えて戦ってきたのだ。余計なことに気を回すだけの余裕はなかった。
父ですら手を焼いた信長に、果たして自分は勝てるだろうか。その自信が今の義信には湧いてこない。
「それで父上は如何になさるおつもりか」
「儂か?無論、戦うまでよ」
言葉からは、とても父が追い込まれているという感じは一切しなかった。義信には父の言葉がどう考えても無謀にしか思えない。家督を譲り、武田の至宝を譲った信玄の求心力は確実に低下するだろう。義信と和したなら、抱える兵は現在より確実に減るだろう。残る戦力で幕府に勝利する見込みなど皆無に等しい。
そこから考えられることは、ただ一つしかない。
「まさか負けると判っていて戦いを仕掛けるおつもりか。自己満足な最期を遂げるために、兵たちを死地に追い込まれるのだけは御止め下さい」
義信は頭を下げ、父に懇願した。
武田の兵は、主に農兵から構成されている。義信が正式に棟梁となっても信玄を慕って付いていく者は少なからずいるだろう。義信としては、甲信の領主として領民を無駄死にさせるわけにはいかない。故に領民のため、領主として信玄へ頭を下げた。
「案ずるな。これでも儂は甲斐の虎と呼ばれた男よ。勝ち目の無い戦いを挑むほど耄碌してはおらぬ」
「勝てる公算があると申されるか!?」
勝つ気でいる父に義信が驚きの声を上げる。
どうやっても勝ち目があるとは思えないが、父の表情は自信に満ち溢れていた。父の眼には、自分に見えていないものが見えているのだろうか。
「もはや武田はそなたが背負うもの。これからは満天下に見せてやろうて、信玄の戦というものをな」
そう言って信玄は立ち上がった。武田の家を嫡男に譲った今、もうここに用はない。
武田という家を離れ、信玄は思う存分に己の才だけで天下に挑む。だからこそ執れる策も生まれてくる。信玄は本貫に固執するような旧時代を代表とする人間ではなくなっていた。織田信長に並ぶ新時代を代表とする武将として、堂々と覇を競う。
「……そうじゃ」
退室しようとする信玄が、ふいに足を止めて振り返った。何事かと思い、義信が視線を父親へ戻す。
「四郎のことは、そなたに任せてもよいな」
信玄の子で義信の弟である四郎勝頼は、信玄方として伊那郡にて起こった謀叛の鎮圧に苦労している。赤備の猛将・山県昌景が補佐しているも兵力の少なさから状況は一向に改善せず、今を以ってしても父親と合流できずにいた。
「……私は兄であり、家長でございます。家の者の面倒は見るつもりです」
「信義に厚きそなたじゃ。その言葉に嘘はあるまい」
信玄がほのかに頬を緩めた。穏やかな笑みである。
「母御の様子は如何じゃ。もう助からぬと聴いたが?」
「御存知だったのですね」
母親の話題となり、義信が沈痛な面持ちを浮かべる。父が母を気に掛けていたことは意外だった。
義信の母・三条の方は病に侵されている。病名ははっきりしていないが、義信の蟄居や黄梅院の離縁、病気などによる度重なる心痛によるものと思われた。原因は、信玄の戦略にある。病状は重く、回復の見込みはなかった。
信玄は正室である三条の方を嫌っていたわけではない。どちらかといえば仲はいい方だ。しかし、そうだからといって全て上手くいくほど戦国乱世は甘くはない。
「報せてくれる者がおった故な」
信玄の瞳には、いつからか義信が見ることのなかった情愛に満ちていた。
「御安心を。その者を罰することは致しませぬ」
「疑ってはおらぬよ。それよりも“すまぬ”とだけ伝えてくれ」
「必ずや御伝えします」
その日を最後に、虎の親子の確執は終わった。表向き信玄は上原城を囲み続けたが、六月の半ばを過ぎた辺りで北へ移動し始めた。信玄が率いた人数は、僅かに四〇〇〇に過ぎなかった。
戦国最強と称された武田信玄の最後の戦が、いま始まる。
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六月二十四日。
越後国・本庄城
長尾景勝より独立を求めて挙兵した本庄繁長は、想いを同じくする揚北衆へ決起を呼びかける書状を送っていた。しかし、鳥坂城主であった中条藤資を始め揚北衆の殆どが景勝への忠誠を近い、繁長に同心しなかった。これにより繁長は居城である本庄城へ籠城を余儀なくされた。
「まだ負けたわけではない。腑抜け揃いの揚北衆には失望したが、儂には蘆名や大宝寺、さらには武田殿が味方についておる」
気炎を上げ、繁長は攻め寄せる揚北衆を相手に善戦した。籠城は一時の事だと兵たちを鼓舞し、自らが前線に立って敵兵を蹴散らしていった。そのような攻勢も長尾景勝が越中から帰還すると守勢へと転じなくてはならなくなった。しかも武田義信が謀叛を起こし、信越国境を守備していた村上義清や高梨頼親も合流し、本庄城は一万の軍勢に囲まれてしまう。
「大宝寺領で内紛が起こりました。当主の義氏殿が後見役である藤島城主・土佐林禅棟と対立、一触即発の状態とのこと。とても兵を送る余裕はありませぬ」
更なる悲報が繁長を襲う。
庄内地方を治める大宝寺氏は、前年に当主の義増が隠居して義氏が家督を継いでいた。義氏は二十歳と若く、父の代より筆頭重臣であった土佐林禅棟が後見役に就任した。この禅棟、実は親上杉派であり、信玄に通じて領土拡大を図る野心家の義氏と意見が合わなかった。それが悪化し、両者は激突する寸前に陥っているという。
また繁長を支援するという蘆名も動きが鈍く、佐竹義重と結んだという噂が流れていた。義重が兵を退いた後も此方を支援してくれる様子もなく、繁長は完全に孤立してしまった。
「打って出るぞ!」
それでも繁長は諦めなかった。夜半、密かに城内を抜け出すと景勝の本陣を目指して夜襲を仕掛けた。
「音を立てるな。静かに進め」
粛々と行軍する本庄勢は、草陰に進んで景勝の本陣近くにまで辿り着いた。ここから先へ見つからずに進むのは不可能で、後は血路を開くしかない。
「かかれッ!」
繁長の掛け声で、兵たちが一斉に飛び出していった。一心不乱に敵陣へと飛び込み、生き残りを懸けて戦う。獰猛な獣が獲物を襲うのが如く、長尾勢は討たれていく。
「敵の夜襲ぞ!早う起きよ!」
部隊を守備していた色部勝長は、急いで兵たちを起こして回った。その途上で敵と遭遇することも多く、誤って味方に斬りつけられることもあった。
暗闇の中の乱戦である。誰が味方で誰が敵であるか、混乱の真っ只中にある長尾勢は判別が出来ていなかった。恐怖に駆られた兵たちの悲鳴で、勝長の声はかき消されてしまう。壮絶な戦闘の中で、勝長は次々と味方を失っていった。
「繁長が挑んできたのか」
「はっ。そのようにございます」
そんな中、若き大将・長尾景勝は落ち着いた様子で状況を確認していた。この若さでこの落ち着きようは異常だが、その所為か景勝の周りには慌てるような者はおらず、敵の侵入を許していなかった。
「直江、円陣を組ませよ」
「味方を救われないので?」
「このような状況で前に出れば、同士討ちになるのが関の山だ。夜襲ならば敵は長く留まるまい。守勢に徹し、逃げて来る味方を収容する方がよいと思う」
「……確かに」
「但し、呼びかけだけは続けてくれ」
「はっ。畏まりました」
直江景綱は主の命令を即座に伝達すると、兵たちが陣形を整えるのに然したる時間はかからなかった。流石は上杉謙信に鍛えられた軍勢である。
被害こそ出たが、景勝の判断は功を奏して兵の損傷を最小限に抑えることになった。夜戦ということもあって致命傷を受ける兵も少なく、本庄勢を追い返して治療を受けられた者は殆どが命を落さずに済んだ。ただ繁長も意地を見せている。色部勝長を討ち取り、確かな戦果を得て帰城した。これにより兵の士気は高揚し、景勝は城攻めに難儀することになる。
そこへ急報が伝わる。それは武田信玄が春日山城を攻撃しているという報せだった。
報せを受けた景勝は、瞬時に踵を返した。
松永久秀の敗北によって沈静化を見せていた謀叛が、ここから再び活性化するのであった。
【続く】
今回は分かり合ったわけではありませんが、信玄が信濃を義信に譲ったことにより両者の対立はなくなりました。以後、信濃は義信の治めるところになる……とは簡単にいきませんね。勝頼が、この決定に如何なる反応を見せるか、そして話題にも上った信長はどういう行動に出るのか。
次回は春日山城が舞台となります。義輝の再登場は次々回となります。