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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第五章 ~元亀争乱~
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第七幕 厩橋籠城戦 -毘沙門天の旗の下に-

五月十四日。

常陸国・太田城


関東の名族・佐竹氏歴代の居城である太田城は、平安期に築かれた由緒ある城郭である。城は連郭式で東西に二つの本曲輪を備える特徴を有し、南側に二ノ丸、北側に三ノ丸、北郭、駒柵とあり、その全てが高さ二十五間(約45メートル)ほどの台地の上に築かれている。周囲には久米城、馬坂城などの支城が複数あり、要害堅固の地として長きに亘る佐竹による常陸支配の拠点となってきた。


その太田城の主が佐竹常陸介義重である。義重は大将であるが、いざ合戦となると自ら陣頭に躍り出て槍を振るう勇猛さを持っており、苛烈な戦振りから“鬼”と呼ぶ者もいる。しかし、義重の本質は武の人ではなく、実は智の人であった。


「まさか止々斎が和睦に応じるなど思いもよりませんでしたぞ」

「止々斎の(したた)かさは奥羽一よ。落ち目の武田にいつまでも義理立てはすまいさ」


寵臣・義久の問いに義重は鷹揚に答えた。


「いやはや、流石は御屋形様にござる」


義重の判断に賛辞を送るのは、佐竹の分家である東家の当主・義堅の子である義久である。父・義堅が先代の義昭を補佐していたと同じく、義重の傍近くに仕えている。まだ若く一線で活躍させるには早いが、時には義重をあっと驚かせるような指摘をすることがあり、義重は将来に期待していた。奥羽の戦陣でも義重の心を巧みに読み、撤退を進言したことは記憶に新しい。


義久が感心しているのは、撤退に際して義重が蘆名止々斎と和睦を取り纏めたからだ。義久には赤館城から兵を退くのに蘆名の追撃があるとは思えず、実際に止々斎にはその気はなかった。和睦の必要がないにも関わらず、義重は和睦を結んだ。しかも僅か五日で纏め上げるという早業だった。


「単に兵を退いただけでは、常陸で佐竹に(まつろ)わぬ者どもが儂が止々斎に敗れたと思い、活気付き兼ねぬ。逆に止々斎と儂が結んだとなれば、敵わぬと見て膝を屈する者も出て参ろう」


そう言って義重はふふっと笑った。


蘆名との和睦は単なる不可侵を取り決めたものに過ぎないが、その事実を知らない者にとっては同盟にも思える。その心理を義重は利用しようとしていた。


「されど明確に北条へ奔る者もおるのではありませぬか?」


義久の懸念は、大胆な行動を開始した北条にある。義重に反目する連中の中には、佐竹が蘆名と結んだとしても北条の支援を得られれば如何様にも対抗できる、と思う者も少なくはない。


「そうなったら明確に敵と定まり、余計な手間が省けるというものだ。堂々と討てばいい」


強気な言葉は、義重の決意の固さを窺わせていた。


常陸国の統一は、佐竹の宿願である。父・義昭は達成寸前で病に倒れたが、充分な下地は今も残されている。それを使うときが訪れた。


「水戸まで兵を進めるぞ」


太田城から南、那珂川を越えた所に水戸城がある。水戸城は常陸の中央部を支配する要衝で、ここを治める江戸氏は以前に義重の父・義昭と戦って敗れている。それから江戸氏は佐竹に従属する立場となったが、半ば独立している状態は保っていた。故に動き始めた北条の手が伸びていても不思議はなく、早々に手を打つ必要があった。


「何故に水戸城へ?」

「永禄十年に通政が死去し、子の宮房丸が家督を継いでおるのは知っているな」

「はい。されど宮房丸は若年ゆえに元服しておらず、家中は宿老たちの合議によって纏められているはずにござる」

「そこが狙い目よ。宮房丸を儂の手で元服させれば、自ずと江戸の家は儂のものとなる」


御年二十四の若者であるに過ぎない義重だが、その智略は既に戦国大名に足る素質を備えていた。


江戸通政の嫡男・宮房丸は弘治二年(一五五六)生まれ。通政の死去により家督を相続していたが、元服はしていない。これを義重の手で元服させれば、烏帽子親となり江戸の家中を完全に押さえられる。強引な手段かもしれないが、幕府の力が増したことにより常陸守護の権威も回復しており、道理は通る。


三日後、義重は七〇〇〇の兵を率いて水戸城へ乗り込んで宮房丸を元服させ、己の名から一字を与えて“重通”と名乗らせた。義重は念願だった水戸城の主となり、常陸統一へ大きな一歩を踏み出した。


江戸氏の軍勢二〇〇〇を加えた佐竹勢は、進路を南西に執る。その先には大掾貞国(だいじょうさだくに)が治める府中城があった。北条が国府台で里見義尭に勝利した以上は、急いで国内を纏める必要に迫られている。もし里見が降伏する事態にでもなれば、次の矛先は結城晴朝となるだろう。その時、佐竹は宇都宮家と図り、総出で救援に向かわなければ北条と戦うことは不可能となる。


上杉謙信が不在の今、義重に頼れるものはいないのだから。


=======================================


六月六日。

上野国・厩橋城


上杉家の宿老・本庄実乃は今日も陣頭に立ち、兵たちを指揮していた。この頃の上方では将軍・足利義輝が松永久秀を山崎の地にて撃破して京を回復しているが、その報告は未だ関東には届いておらず、北条の攻勢は相変わらず続いていた。


「堪えよ!御屋形様が御戻りなられるまで、城を死守するのじゃ!」


もう何度目かになるであろうかという言葉を、実乃は口にしていた。


厩橋城には二〇〇〇の兵しかおらず、攻め手の北条氏邦は一万と差は五倍にまで広がっている。その為か氏邦は当初から数を頼みに猛然と攻めかかってきた。実乃は兵力の差から外郭での防衛を三日に限定して放棄し、態勢を整える時間を稼ぐと三ノ丸より内に籠もるという策に出るしかなかった。


この実乃の策は功を奏し、厩橋城は健在であった。籠城開始からこれまで本丸、二ノ丸、三ノ丸と南の厩郭、北の高浜郭を守り通し、幾度となく敵の攻撃を撥ね返せている。但し、籠城戦が始まって一月以上が経過し、兵たちの疲労が限界に達しつつあることに実乃は気が付いていた。


「御注進!御注進!」


守将である実乃の許には、各持ち場よりの報せが次々に訪れている。


「厩郭の金津新兵衛様より伝令!鼠門に大道寺勢が殺到し、苦戦中とのこと。破られれば三ノ丸の維持が出来ませぬ」

「本丸の兵を回す。それでいま暫く堪えてくれるよう伝えよ」

「ははっ」


伝令の兵士が去ると、また別の兵士が入ってくる。その表情は、先ほどの者より一層に険しかった。


「高浜郭が猪俣邦憲の攻撃によって陥落いたしました!」

「なんと!?」


報せを受けた実乃が血相を変えた。遂に厩橋城の一郭が落ちたのだ。場合によっては、ここから立て続けに落城に至る事も有り得る。実乃の額には、嫌な汗が流れ始めていた。


「富岡殿は無事なのか」


実乃が慌てて高浜郭の守将・富岡秀高の安否を伝令へ問い質した。


秀高は下総半国守護・結城晴朝の兄であるが、上州・小泉城主であることから上杉家の麾下に属していた。上杉謙信の上洛には付き添わず留守居役を務めており、高浜郭の守備を任されている。秀高出自を考えれば、その死が関東の状勢に影響を与えることは少なからず考えられる。それを実乃は懸念していたのだ。


「判りません!されど、疋田豊五郎殿が救出に向かわれております」


伝令は詳細を掴んでいなかったために実乃が欲する回答を持たなかったが、豊五郎の名が兵から出たことで、実乃の心は少し落ち着きを取り戻した。


「豊五郎殿が向かってくれたか」


実乃は安堵の溜息を漏らした。


将軍の師でもある剣聖・上泉信綱の弟子である疋田豊五郎は、門弟たちを引き連れて入城している。実乃に先んじて籠城支度を進めていた金津新兵衛は、城が包囲される前に東の上泉城へ急使を遣わし、協力を仰いでいた。残念ながら信綱は在城していなかったが、弟子の豊五郎が諸国放浪の旅から一時的に帰還しており、新兵衛の要請に応じることになった。


彼らの活躍は目を見張るものがあった。圧倒的な強さで並み居る敵を蹴散らし、豊五郎いるところ常に上杉方が優勢であった。故に実乃は遊撃隊として自由に動くことを許している。僅か二〇〇〇の兵で北条の猛攻を凌げているのも豊五郎が厩橋城内にいればこそであった。


その豊五郎が向かった高浜郭では、血みどろの激戦が繰り広げられていた。ただでさえ兵力差がある上に城門が破られているのだから、戦闘は一方的な殺戮へと変わりつつある。城内の金品や女、手柄の兜首を求めて襲い掛かる北条兵に必死で抵抗する上杉兵、その背後から豊五郎は門弟たちと貸し与えられている三十の兵と共に急襲を仕掛け、秀高と合流を果たした。


「六郎四郎殿、まだ諦めるのは早うござるぞ」


開口一番、豊五郎は秀高を気遣う言葉をかけた。


「有り難い」


地獄に仏と感謝しながら助けを喜ぶ秀高であるが、豊五郎が大した兵を率いていないと判ると顔色を急変させてしまった。


「この人数で、敵を囲みを突破するなど無理じゃ」


一転して秀高の表情は絶望に染まる。


万全と思われた城門は破られ、生存するには敵中突破しか有り得ない。こちらが大兵を率いているのならば秀高も諦めたりはしないが、周りにいるのは秀高の部隊と疋田隊を合わせて五十といったところである。豊五郎が名の知れた剣豪とはいえ、何が出来るのかという思いが秀高にはあった。


「そうでもありませぬぞ。かの大樹公は永禄の変の折、僅か十名足らずで数千の兵に囲まれた御所から見事に脱出なされた。それに比べれば、今の状況はまだマシにござる」


絶望の淵に立たされる秀高と違い、豊五郎には余裕があった。乱戦の中でも悠然と佇む姿には剣豪としての風格が備わっており、戦場に於いて異彩を放っている。今も秀高を元気づけようと永禄の変を例に生きる望みが断たれていない事を伝えた。


「気休めを申さずともよい。あれは噂であろう」


事実を知らない秀高は、都合のいい言葉に耳を貸さなかった。逆に視線を逸らす秀高からは、生きようとする力が失われつつあるのが見て取れた。


(大樹公は御自身が一騎当千の(つわもの)であらせられた。同じ事を秀高殿に期待せよというのは無謀であったか)


剣術の達人であった義輝に比べて秀高の腕前は並か少し上といった程度である。自ら活路を開くという発想はなく、また自信もなかった。更に言えば、永禄の変での義輝の活躍は全国に広まり童すら知っていることだが、活躍が“将軍の百人斬り”など余りにも人並み外れているために脚色されていると思われている。それを引き合いに出されたところで、秀高に希望を湧かせることは出来なかった。


「いいえ、真実にござる」

「信じられぬ」

「実際にその場にいた拙者が申すのですから、嘘偽りではござらぬ」


そう言って豊五郎はニヤリと笑った。絶対的な強者にだけ許される、戦場での笑みだ。


「さて、行きますぞ!」


豊五郎が敵陣の中を疾駆し、門弟たちも後を続く。こうなると敵中に孤立してしまうことを恐れる秀高も必死になって着いていくしかない。その中で秀高は、鬼神と見間違うほど圧倒的な豊五郎の強さを見ることになる。


豊五郎は甲冑に身を包んではいるが、腹巻に篭手、臑当(すねあて)と他者に比べて軽装である。兜にも前立など装飾はなく、恐らくは動きやすさを重視してのことと思われた。得物は剣聖の弟子と聴いているが意外にも薙刀で不思議に思ったが、その扱いは見事の一言に尽きた。豊五郎は三人を一度の薙ぎ倒し、まるで背後に目でもあるかのように死角から遅い懸かって来る敵にも対応していた。その周囲でも門弟たちが敵をバッタバッタと討ち倒しており、秀高が戦う必要もなかった。


(強い。人とは、これ程までに強くなれるものなのか)


豊五郎の強さに感激を覚えた秀高は、自ずと生き残れるかもしれないという希望を抱き始めていた。


「その強さ。さては名のある武将と御見受けいたした」


そこに、こちらの進路を遮るように一人の武者が躍り出た。名こそはっきりせぬが、着用している甲冑からそれなりに身分の高そうな武将だと思われる。恐らくは猪俣邦憲配下の者であろう。


「その構えは悪うござるな」


いきなり豊五郎が相対する一人の武者に、きつい言葉を投げ掛けた。


圧倒的な強さを見せてはいるが、北条からすれば厩橋城の戦いは勝ちの決まった合戦である。兵力の差から、兵たちには自然とそう思われていた。そこで守備側に華々しく活躍する者あれば、討ち取って手柄にしたいと思うのは当然のことだった。


「煩いわ!」


構えを指摘された武者は、怒りに身を任せて斬りかかって来た。それを豊五郎は正確に見抜き、柄を弾いて攻撃を逸らす。弾かれた武者は再び構え直すと“次こそは”と勇んで槍を突いてくる。それを豊五郎は何食わぬ顔で対応し、同じように柄を弾いた。


それが何度か繰り返され、相手に進歩がないと判ると豊五郎は石突を膝に食らわせて態勢を崩させた。


「ほれ、見たことか」

「お……おのれ!!」


自分の言うことを聞かないからこうなる、と言わんばかりの豊五郎の態度に、武者の男は我を忘れて怒り狂う。再び豊五郎へ向かってくる男に豊五郎は“やれやれ”と溜息を深く吐き、これも戦場の倣いをと割り切って上段から斬撃を浴びせた。本来、格下の相手を殺すことは豊五郎の本意ではないが、いつまでも構ってやれる時間もなかった。


「うぬッ……」


豊五郎の攻撃は見事に相手の脇下を捉えるも、得物の薙刀は僅かに胴に食い込んだのみで止まってしまった。ここまで幾人も斬ったことで穂先に脂が纏わり付いてしまい、切れ味が落ちていたのだ。如何に豊五郎とはいえ鈍らで人は斬れない。


その時、男の眼が好機にキラリと光った。


「死ねやッ!」

「おっと!」


薙刀を手放し、後ろに飛んで攻撃を避ける豊五郎を男は追った。仕方なく豊五郎は太刀を引き抜き、応じる構えを見せた。豊五郎の太刀に対して男の得物は槍である。間合いで有利に立った男は、表情を緩ませた。勝ちを疑っていない様子だ。


「これで仕舞いよッ!」


先に仕掛けたのは槍を持つ男の方で、中段からの鋭い突きだった。豊五郎の活躍ぶりを見て挑んでくるだけはある。好機に冷静さを取り戻した男の刺突は、正確に豊五郎の心の臓へ向けられて放たれた。余人であれば、これで討たれていたかも知れない。


ただ相手が悪かった。


「ふん」


たった一つの動作だった。豊五郎が右手を動かしたかと思うと、男の槍は穂先が切り落とされて武器としての意味を無くしてしまう。その後、上段からの斬撃を慌てて柄を横にして防御するが、豊五郎の斬撃は柄だけでなく男の頭身をばっさりと二つに斬り分けてしまった。


男は何が起こったのか判らずに絶命したことだろう。


豊五郎の引き抜いた太刀は大典太光世、かつて足利義輝より授かった天下五剣の一振りである。その切れ味は並みの刀をも両断してしまうほどであり、男の持つ槍の柄や甲冑程度では防げるものではなかった。


「さて、参りますぞ」


死した男の袖で血糊を拭い、豊五郎はまるで何事もなかったかのように秀高へ告げた。黙って頷きを返した秀高は、無事に高浜郭から脱出することに成功したのだった。


高浜郭は陥落した。しかし、鼠門は実乃が援兵を送ったことにより金津新兵衛が逆襲に転じ、防衛に成功している。氏邦にすれば、せっかくの喜びも半減といったところだ。


「これでは城一つ落すのに尋常ではない損害が出るぞ」


眉間に縦皺を寄せながら氏邦は呟いた。


攻城戦が始まった当初は、何もかもが順調だった。箕輪城攻めの最中に急襲するはずだった本庄勢には逃げられはしたが、島田郭、水郭などの外郭部分を氏邦は三日で陥落させた。その後も戦いは優勢に推移し続け、氏邦は十日以内に厩橋城を落とせると考えていた。


しかし、高浜郭の陥落に一月を要してしまう。大いなる誤算だった。


これが実乃の策であったことに氏邦は気が付いていない。厩橋城は謙信が改築をした時から以前とは比べものにならないほど大きくなり、総石垣や天守閣を採用した上方風の築城で防御力も格段に高くなった。それでも実乃が外郭の放棄を決断したのは、守備する兵力が城の規模に反して少なすぎたからだ。にしても無傷で外郭を渡すのは芸がなさすぎる。そこで実乃は三ノ丸から内側の備えを磐石にする時間を稼ぐことにした。


氏邦にすれば、上杉がこれ程までに抵抗するとは思わなかった。北条が厩橋城を支配していた頃より構図が変わってしまっているため、軍評定を繰り広げても妙案は浮かんでこない。このまま攻め続ければいつかは落せるだろうが、被る損害は計り知れず、今後の上州経略を考えればよい話ではなかった。そして氏邦が方針を変更させざるを得ない事態が起こっていた。


「去る五月十六日、上杉謙信が越前・九頭竜川にて朝倉軍を撃破し、撤退中とのこと」


勝ったのに撤退するとは訳の判らない報せであったが、時期的に関東のことが届いたのだろうと思った。


「謙信が戻ってくる前に何としても厩橋城を落さねば……」


氏邦は増援の必要性を感じ、軍評定を開いた。


「増援と申しましても、御屋形様は里見攻略に出向いており、新三郎様(北条綱重)ら伊豆衆は今川の援兵に赴いたままでは、とても増援を望めるとは思えませぬが……」


その席で、氏邦の提案に猪俣邦憲が疑問を呈した。


「いや、確かに当家は関八州制覇の為に全軍を動員しているが、未だ動いていない連中がおる」

「下野衆に発破をかけようと申すのか。それは無理と申すもの。奴らが叛服著しいのは今に始まったことではないが、せめて厩橋城を落として見せないことには我らへ味方することはあるまい」


大道寺政繁の指摘を邦憲は否定するが、政繁は首を左右に振りながら“そうではない”と言った。


「御屋形様の話では、武田甲斐守殿より西上野が我らに譲られておる。信玄殿を通した話ではない故に奴らは戸惑い、城に籠もったままだ。されど甲斐守殿の謀叛が順調に進んでいる以上、今のまま武田に従い続けることは本意ではあるまい。少し脅しつければ、我らの為に兵を率いて参じて来よう」


上州勢は気難しい連中だが、独立心が強いわけではない。古くは鎌倉公方から関東管領、一時は北条や武田などの大勢力に拠り続けたことで、誰かに従うことでしか生きられぬ性となった。そして今は、関東に於ける大勢力として唯一、北条家だけが残っている。彼らが誰に従うかは自明の理だった。


「ならば手配は政繁に任せる。されど謙信が戻ってくることは秘匿しておかねばなるまいぞ」

「判っております」


早速、政繁は早馬を飛ばして西上野衆に厩橋参陣を命じた。


「西上野は武田甲斐守殿より正式に当家に譲り渡された土地。故に我らに従われよ。厩橋城を落とす前までに姿を見せぬ者は、上杉に与した者として討伐の対象とする」


この脅しに西上野衆は屈し、即座に兵を動かした。


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六月十一日。

上野国・箕輪城


厩橋城で主の帰還を耐え忍んで待つ本庄実乃と金津新兵衛、関八州制覇の為にいち早く上州を平定したい北条氏邦と参集を求められた西上野衆、錯綜とする上州情勢に於いて、もう一人おのれの去就をはっきりさせない者がいた。


喜多条高広、かつて上杉謙信の配下にあり厩橋城を任されていた武将である。


高広の城・箕輪城は一月ほど前まで上杉・北条連合に攻められていた。それが上杉を信用させるための茶番であったことは北条と繋がりを持っていた高広は知っている。本来であれば高広が家来の一人を北条方に投降させて上杉との内通を偽装し、これを名分に氏邦が上杉勢を殲滅させ、北条に降伏という流れだった。


それが上杉方に感づかれたため失敗に終わっている。ならば高広は北条方として厩橋の攻防戦へ参陣するのかといえば、そうではない。北条にとって必要なのは“内通の証言”であって、ここで高広が厩橋に姿を見せれば、氏政の作戦は根底から崩れてしまう。


「暫し箕輪城に止まっていて頂きたい」


故に北条からの使いは高広に箕輪待機を伝えてきていた。氏邦は厩橋城を陥落させ、その後に改めて箕輪城を攻める演技をして降伏させ、上杉との繋がりがあったことを高広に証言させるつもりでいるのだ。


「当家を挟撃するという密約を上杉と交わしていた事を証言して頂きたい。さすれば上州を喜多条殿に御任せ致す」


二月頃に届いた北条氏政からの誘いの言葉を、高広はずっと考えていた。


考えれば考えるほど身勝手な話だった。


高広は上杉家に仕えていたが、我が強く、主とはいえ謙信と衝突すること多かった。先代の晴景は国人衆の自治を概ね認めていたので上手く付き合っていけたが、謙信は遠慮なく国人たちの統治にまで口を出してきた。天文二十三年(1553)に高広が武田信玄に通じて叛旗を翻したのは、そういう経緯があったからである。しかし、謙信は強く高広は破れて降伏を余儀なくされた。


「そなたほどの者が叛いたのは、我に至らぬところがあった為だ。今後は改める故に父、兄上の代と変わらぬ忠義を尽くして欲しい」


若き日の長尾景虎は高広を深い心をで許してくれただけではなく、奉行職を任せ、軍事では一手を委ねて重く用いてくれた。国人衆としては以前ほどの独立性は失ったが、それを差し引いても謙信の許は充分に働き甲斐のあった。


それが永禄八年(1565)に終わりを告げる。


謙信にすれば、已むに已まれず選択だった。上方で義輝が九死に一生を得、謙信へ助けを求めてきたのだ。信愛すべき主よりの声を無視するわけにはいかず、謙信は上泉信綱の献策を受けて高広を軽んじてしまう。本人にはそういった気がなかったのだろうが、高広の受け取り方は違った。そして高広は北条家に奔ることになる。


「相模の獅子と呼び声の高い氏康殿ならば……」


と期待してのことだった。氏康も上州を任せたいと厚遇を以って高広を迎えた。当時の高広は、ようやく求めるべき君主と出会えたのだと思った。


ところがである。氏康は高広が箕輪城で孤立している時に援軍を差し向けないどころか、勝手に上杉と和睦をしてしまった。存在を無視された高広としては、裏切られた思いを抱くのは当然といえた。一時的に通じたことのある武田信玄が“自分に仕えてみないか”と言ってきたのは、そんな時だった。


「儂は謙信や氏康とは違う。喜多条殿が危機に陥れば、西上野の者どもを差し向けるし、場合によっては譜代の家臣を送ろう」


信玄は北条と同様に上州を任せると言った。更に自分なら絶対に高広を見捨てないとも約束した。現に内藤昌豊が箕輪城に派遣され、共に謙信の攻撃から城を守った。


「されど信玄も本音では儂のことなど気に掛けてはおらぬ。世継ぎの義信も上州に興味がない様子だとすれば、儂は一体、誰に仕えればいい」


義信の謀叛が起こり、結果的に高広はまたも見捨てられた。箕輪城からの退去を望んでいた昌豊は“北条に降られればよい”と簡単に言い、北条も再び“上州を任せる”と言いつつも高広に求めるのは上杉との密約を偽証することのみだ。


(つまりは誰でもよいのじゃ。儂を求めてのことではない)


氏政にとって、大義名分を得られるなら高広である必要はなかった。恐らく高広が断れば、上野衆の誰かを誘降して同じ事をさせるだろう。高広が選ばれたのは、元上杉家臣という立場があったからだ。自尊心を大事とする高広には氏政は受け入れ難く、とても主と仰げる人物ではなかった。


その高広の許に北条氏邦よりの使者が訪れる。謙信の帰還に切羽詰っていた氏邦は、西上野衆だけでなく高広にも参陣を呼びかけたのだ。


「厩橋への加勢を御願いに参りました。事を成し遂げた暁には、喜多条殿にはお約束通り上州を御任せ致したく存じます」


北条からの使者の口振りは丁寧で、礼を欠くものではなかった。流石に高広に対しては、西上野衆を向けたような脅しは使えぬと思ったのであろう。


「たかが二〇〇〇を相手に安房殿は随分と苦労されているようだな」

「御恥ずかしき事にございます。さればこそ喜多条殿の御力に縋らせて頂きたく御願いに上がった次第でございます」

「されど予定と違うようだが?」

「それにつきましては重ね重ね、御詫び申し上げます。我が主は上州勢を全て動員し、北条と上杉のどちらに正義があるかを示すつもりでおります。喜多条様へ御声がけしたのも、そういう経緯があってのことにございます」


低頭する使者の姿が高広には滑稽に思えた。既に高広も謙信が上野へ向かって撤退中であることを掴んでおり、予定の変更は氏邦が焦りに原因があると知っていたのだ。


(都合のよい事を申す。実際は実城様が御帰還される前に、これ以上の被害を出したくないだけであろう。こちらをすり潰す気でいる者に、誰が従うと思ってか)


自分では気付いていないだけで、既に高広の心は決まっていた。謙信の事を自然と“実城様”と呼称していることが、何よりの証である。


「すぐに兵馬を整えて厩橋城へ向かおう。だが、その前に聞いておきたいことがござる。今しがた上州勢を全て動員すると申されたが、それは西上野衆をもという意味か」

「左様にございます」

「西上野は武田に与していると承知していたが?」

「善徳寺での会談の折、武田甲斐守殿より西上野が当家に譲られております」


その言葉に高広の表情が一瞬だけ強張った。悪びれもなく答える使者は、その事に気が付いていない。


(合点がいったわ。北条が繋がっていたのは信玄ではなく、子の義信の方であったか。なれば昌豊が去ったのも儂が信玄に見捨てられたのも全て北条の策であったというわけか)


全ての筋書きを高広は知ることになった。それでいて満面の笑みを浮かべ、使者へ問い質す。


「委細は承知した。されば西上野衆がいつどのように厩橋へ向かうかを教えて頂きたい。続々と援軍が集まるより、一度に大軍が現れた方が敵も恐れ慄くというもの。儂は西上野衆と合流してより安房殿へ加勢に参ろう」

「有り難き御言葉にございます。西上野衆で厩橋に参陣致すのは……」


使者から西上野衆の詳細に窺いながら、高広は心の中でほくそ笑んでいた。


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六月十三日。

上野国・箕輪城


喜多条高広の離反は、瞬く間に上州中を駆け巡った。


厩橋城参陣の為に行軍途中であった西上野衆へ対して味方を装って急襲し、厩橋の南西およそ一里半(6km)のところにある井野で撃破したのである。木部城主・木部範虎は居城まで退き、西上野衆最大の勢力を誇る安中景繁は撤退中に矢傷を受けて討ち死にした。


無論、援軍を壊滅させただけで高広が止まるはずもなく、当然ながら北条勢に襲い掛かって来る。


「急いで政繁を呼び戻せ!喜多条に備えさせるのだ!」


氏邦が大声で下知を飛ばす。


幸いにも籠城する上杉勢は高広が寝返ったことを知らない。こちらの動きに合わせて突出してくることはなかったので、高広が厩橋城下に姿を見せるまでに備えを築くことが出来た。


(何を焦る必要がある。高広が寝返ったとて、どうということはないではないか)


高広の軍勢は、凡そ二〇〇〇と上杉と規模は差して変わりなく、未だ兵力の上では北条が圧倒的に勝っている。氏邦は己の優位が揺らいでいないことを何度も自分に言い聞かせた。


「儂の返り忠は露見しておるようだな」


目下、布陣する大道寺勢を見ても高広が怖気づくことはない。相手が強敵である分だけ燃える男なのだ。逆に喜び勇んで敵中に突撃していった。


「行くぞ!本庄殿らを死なせるな!」


熾烈なる攻防だった。高広が陣頭に立って斬りこみ、大道寺勢を二町ばかり押し込むと手当たり次第に目の前の敵を倒していく。


「喜多条が如き変節漢に負けて堪るか!」


そのまま喜多条勢が勝つと思いきや政繁が決死隊を率いて応戦し、押し戻す。それが幾度となく繰り返された。


「……何が起こっているのだ」


城内から戦闘を眺める実乃は、何故に高広と北条勢が戦っているかを掴みかねていた。


「新左衛門尉殿、何を呆けておられる」


そこへ金津新兵衛が訪れる。至るところに傷を負っているが、致命傷ではないらしく足取りは確かだった。


「今こそ出撃の好機でござろう」

「されど状況がさっぱり掴めぬ。いま少し様子を見る他はあるまい」

「軍略に秀でる新左衛門尉殿らしゅうないのう。儂は出るぞ、構わぬな」


歳を重ねても尚、若々しい日と変わり得ぬ新兵衛に実乃は、ほとほと呆れると同時に不思議な高揚感を覚えた。


そして自らも若き日を思い出す。


「やるか」

「応よ」


上杉勢の反撃が始まった。


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六月十七日。

上野国・関根


関東への帰国を決めた上杉謙信は、やっとのことで上野に入った。


加賀、越中では一向一揆の邪魔が入り、能登の畠山七人衆も水軍を繰り出して謙信の進路を妨害してきた。その為に越後へ辿り着くのに時間がかかってしまう。関東へ入るために三国峠を越えたのは、昨日のことである。


「急げッ!急げッ!遅れるなーッ!!」


騎馬武者が声を枯らせながら叫んでいた。


越後に入った上杉勢は、要所要所に掲げられた松明の中をひたすらに突き進んできた。騎馬が先行し、途上の城で替え馬に乗り換えながら走る。徒歩兵も呼吸を荒げながら必至になって着いていく。


「…………」


その戦闘を無言の将が疾駆する。


(頼む。生きておってくれ)


謙信は走りながら神へ祈りを捧げていた。


明らかな不明、失敗だった。自分が北条を信じたばかりに大事な家臣を死なせてしまう。それが何よりも辛かった。


(あのような思いは二度としたくない)


かつて謙信は腹心だった宇佐美定満を失っている。一族の長尾政景と共に野尻池で溺死したのだ。


「政景の謀叛は明白、今のうちに手を打ちましょう」

「何を莫迦な。政景殿が儂に叛意を抱くなど信じられぬ」

「実城様、御決断をなされませ」

「くどいぞ。政景は儂に尽くしておる。疑う余地はない」


定満は死ぬ直前、政景の謀叛をしきりに訴えていた。それを斥けてきたのは、他ならぬ謙信である。そして定満は、その会話を最後に政景を誘い出し、死んだ。政景の謀叛が明確になったのは、その直後のことであった。


この事を謙信は誰にも明かしていない。家中に火種を蒔く訳にもいかなかったからであるが、自らを戒めるためでもあった。政景の子である喜平次こと長尾景勝を養子にしたのも、そんな頃だ。


この時に定満の言葉を信じていれば、まだやりようはあったかに思う。それでも自分は、人を疑うことを苦手だった。どうしても人を信じてしまう。北条の一件も、これと同じだ。


(あの時と何も変わっておらぬ!)


謙信を突き動かしていたのは、自分へ対する怒りだった。


そして怒りをぶつける先が、目の前に見えてきた。


「前方に北条の軍勢が見えまする!」


物見の一人が騎馬を寄せ、駆けながら報告する。


「……このまま討ち入る」


馬腹を蹴り、謙信は鞭を強く打って速度を上げた。


「はっ……」


主の言葉に男は目を丸くして驚きながら、口を真一文字に閉じて頷いた。徒歩兵は遥か後方に位置し、周りには騎馬数十騎しかいない。それでも謙信は、攻めるという。


「全軍!突撃ッ!!」

「おおーーッ!!」


謙信の命令を伝令が伝える。大きな鬨の声が、返答の変わりに返ってきた。


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三ノ丸の陥落、それが北条の攻勢の強さを表していた。


「このままでは、あと数日として持たぬぞ」


歯軋りをさせながら悲痛に表情を歪める実乃からは、既に余裕がなくなっていた。


喜多条高広の帰参により厩橋の攻防戦は持ち直したかに思えた。金津新兵衛は城から討って出て喜多条勢と大道寺政繁を挟撃するも北条氏邦が本隊を率いて阻止してきた。氏邦はそのまま本隊を城攻めに動員し、新兵衛は再び城内に押し込まれてしまう。


兵力の差が遺憾なく発揮された瞬間であった。それでも城外の高広は一歩も退くことなく軍勢を維持しているのは流石である。


そして、それは起こった。


城の北側に現れた騎馬の一団が北条勢に攻め掛かったのである。これを氏邦は、上杉家臣の誰かが僅かな兵で駆けつけてきたものと思った。


「け……謙信!上杉謙信でございますッ!!


駆け込んでくる伝令の報告に、厩橋城を包囲する北条の軍勢が俄に騒然とし始める。


「阿呆め、あのような小勢の中に謙信がいるわけがなかろう」

「葦毛の馬に跨る白頭巾の出で立ちは、謙信以外に考えられませぬ」


法体姿で合戦に挑む者などそうはいない。しかし、毘沙門天の化身を称し、侵し難い神気に覆われているかのような雰囲気を出すそれは、坂東武者の脳裏にしっかりと焼きついている。


見間違うはずはなかった。


「上杉……謙信……」


得も言われぬ戦慄感が氏邦を襲った。


「謙信とはいえ僅か数十騎、ここで討ち取ってしまいましょう」


同じように報告を受け、戻ってきた大道寺政繁が氏邦に進言する。


「いや、謙信の後ろには上野衆一万が控えているはずじゃ。奴らが到着すれば、兵力が逆転する」

「その前に謙信を討ち取ってしまえばよいではありませぬか」

「そのような賭けは出来ぬ!」


氏邦は声を荒げて政繁の申し出を否定した。


「いま武蔵は空ぞ。もし謙信を討てずに我らが壊滅したならば、武蔵は格好の狩場となる。そのようなことになれば、小田原が危うい」


最悪の事態を氏邦は口にした。


兄・氏政は里見義尭を降伏させるべく房総半島深くまで攻め入っている。義尭が降伏を申し出てきたと報告は入っているが、軍勢は上総にあるままである。下総・国府台に氏照の軍勢がいるとはいえ、謙信の軍勢を阻める規模はない。退路を塞がれれば、大城郭である小田原を小勢で守れるとは思えなかった。


「武蔵まで退くぞ」


氏邦が己の居城・鉢形城まで引くつもりだった。上州は失ったが謙信の軍勢は武蔵を攻めきれるほど多くはない。一万の兵と共に鉢形城に籠もれば、充分に抗戦は能う。その間に氏政が本隊を率いて戻ってくれば、巻き返しは可能だ。


その判断は正しかった。その事を知った時、氏邦は天運が離れていなかったことを強く感じることになった。


謙信が厩橋城に入り、兵を休めた後に武蔵へ攻め入ろうと時だった。


「武田信玄が、春日山城を攻撃中」


予想だにしない事態は、このまま争乱が収まらない事を予感させていた。




【続く】

今回は投稿が遅くなり、申し訳ございません。


さて久しぶりの疋田豊五郎登場となりました。剣聖の弟子で有名な豊五郎ですが、新陰疋田流を興し、槍術や薙刀などにも優れています。ほぼ義輝と同年なので、高齢の上泉信綱や塚原卜伝と違って今が働き盛りです。一応は豊五郎と戦えば相手の死は絶対だったので、名のある武将とは対峙させませんでした。


今後とも豊五郎が登場する予定はありますが、随分と先の話となります。(剣豪たちは度々登場しますが、柳生宗厳以外は政治面などに関わってくることはありません)


また佐竹義重が常陸統一に動き出し、江戸氏を完全に膝下に置きました。小田氏治は史実と違って破れ、その領地は併合されているので、今回のことで常陸はほぼ掌中に収めています。史実より早い展開となっていますが、今後ともすんなり行かない事情も同時に発生しています。それは義輝が将軍であることを考えれば、判る人には判るかもしれません。


ともあれ義重の再登場も暫く先です。(豊五郎と違い、今章中には再登場します)


尚、ようやくの関東帰還となった謙信ではありますが、再び足を止める事態となりました。次回は最後にもあった信玄の春日山攻撃に繋がる話です。すいませんが義輝の登場は信玄の話を二話ほど書いてからとなります。

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