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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第五章 ~元亀争乱~
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第五幕 臨終の約束 -あの日の誓い-

ふと目が覚めたとき、義輝は竹林の中で横たわっていた。


日々の疲れからすぐに起きる気にもなれず足利義輝は呆然と天を眺めていたが、次第に意識が覚醒してくると自分の置かれている状況が余りにも不自然なことに気付いた。


「……ここは、何処だ?」


自分は二条城でいつも通り政務を終えてから御台所と一献を交わし、床に就いたはずである。御台の姿は消えているし、何故か外にいる。知らぬ間に誰かに連れ出されたのであろうか。いや警備が厳重な二条城から自分一人を起こさぬよう攫うなど不可能だ。


飲み込めぬ現状に義輝は上体を起こし、首を左右に振って辺りを見回した。


周囲には竹林が鬱蒼と生い茂り、五間(約9メートル)ほど楕円形に開いた空間の中央に自分がいる。左右両側に馬一頭が通れるほどの細い道が通り、他に人工的に作られたものは何も確認できない。気になることと言えば、まるで刀で斬り落とされたかのように無数の青竹が煩雑に転がっていることだ。


「余がやったのか?」


右手に握られている刀を見て、義輝は己の仕出かしたことであると推察した。


推察したというのは、この場に自分がいるのと同じくその記憶が義輝にないからだ。竹林の合間を心地よい初夏の風が縫い、上方からは木漏れ日が降り注ぎ、暖かな陽光が義輝の頬を熱くさせている。本来であれば鬱屈する毎日の政務に飽き飽きしている自分の心を癒してくれるほど懐かしい空間に、不自然な自分が一人佇んでいる。


「……誰ぞおらぬのか」


義輝は立ち上がり、もう一度辺りを見回しながら声を上げるが、虚しく響くだけで何も反応はなかった。永禄の変以後は必ず供の者を引き連れるようにしている義輝にとって、この状況は余りにも不自然だ。


(そもそもここは何処なのか?)


変哲もないところだが、この場所をおぼろげながら知っているような気がしなくもない。随分と昔にいたことのある場所に似ていると思うも竹林など何処も似たようなものであるから、そう錯覚しているだけという可能性は捨てきれないが……。


「ともかくジッとしていては何も判らぬ」


とりあえず義輝はこの場から動くしかないと考え、刀を鞘に納めた。その際、自らが握り締める刀にも違和感を持った。


所持している刀が愛刀の鬼丸国綱ではなかったのだ。尤も鬼丸は天下五剣の一振りであるが故にいつも持ち歩いている訳ではなく違っていてもよいのだが、義輝は将軍であると同時に天下に剣豪であり、愛刀家でもある。普段から身に着ける刀は自ら厳選しており、その中に目の前の刀は含まれていなかった。刀装具こそ意匠を凝らしているように見受けられるが、刀身自体は何処にでもあるような刀だ。ただ何度も実戦を重ねてきたかのような使い古した感が見受けられる。


「さっぱり訳が判らぬ」


溜息を吐き、義輝は左右のどちらの道へ進もうか考えた。どちらも同じようにか見えず、何処へ繋がっているかまったく想像できない。


その時だった。


左手の道からザッザッザッと土を踏む音が近づいてくる。それは武士ならば耳に馴染むほど聴き慣れている馬沓の響きだった。


義輝は地面に耳を当て、瞳を閉じて聴覚を鋭くさせる。


(騎馬が三騎……他、馬を引く者が一人か)


足音から義輝は近づいてくる者の正体を割り出した。


最大で四人ならば、仮に賊であっても自分一人で対処できる。腕に覚えのある者が含まれているなら自分の実力を見抜くはずで、恐らく戦闘にはならない。なったとしても最悪の場合、逃げに徹すれば死にはすまい。そのどちらでもなければ、現在の状況を訊ねて把握することが出来る。


そう考えて義輝は、その場に留まって一団が現れるのを暫く待つことにした。


「……これは上様」


現れたのは義輝の想像通りの人数だった。騎乗している者たちの格好からして全員が武士であることを窺わせるが、馬を引く者は刀を差していないところを見るにただの家人であると思われる。そして何よりも相手の反応から知り人であるようだ。


「またこのようなところにおられましたか。いま少し上様にも落ち着いて頂かなければ、将軍としての威厳が保てませぬぞ」


その中央を往く男が義輝を確認すると、小馬鹿にしたように鼻で笑いながら非礼にも馬上から話しかけてきた。脇に侍る供の者も主に合わせてか顔をにやつかせている。はっきりいって不快だ。


(余に斯様な無礼を働くとは、久しくなかったことぞ。昔の余ならば、即座に叩き斬っているところだ)


義輝は傀儡であった頃、日常茶飯事だった光景を思い出しながら無礼を働いた男を睨みつけた。


「龍昇院か!?」


男の顔を見て、義輝は上擦った声を出してしまった。同時に心の臓がバクバクと鼓動を早めている。今まで味わったことはないが、肝を潰すとはこういうことを云うのだろうか。


(まさか生きておったとは……)


自分に声を掛けてきた事から知っている顔だとは思った。確かに知っているし、目の前の男と自分の関係はただの知り合いというどころではない。この男と義輝は一時運命を共にした間柄なのだ。


武家の中でも足利氏に次ぐ名門中の名門、その嫡流の生まれながら身体を鍛えている様子は見えず、公家を連想させるように眉を剃り、薄らと化粧までしている己とは正反対の人物。


名を細川右京大夫晴元といった。


幕府の管領として天下人の座に長きに亘って君臨し、父・義晴が将軍親政を求めて相争った宿敵。最後は家来であった三好長慶を御しきれず戦い敗れて膝を屈することになった哀れな男。“有り得ない”と義輝は何度も心の中で連呼した。晴元は永禄五年(1563)に摂津・普門寺にて病死しているはずなのだ。葬儀も三好長慶自身の手で執り行われており、義輝も使者を派遣しているので晴元が生きているはずはない。義輝が龍昇院と呼んだのも、それが晴元の戒名であるからだ。


「もう戒名ですか。何事も気の早い上様らしゅうございますが、今は大御所様が御危篤というとき。不謹慎かと存じますぞ」


まさか自分のことが呼ばれたとは思わない晴元は、勘違いして答えた。その言葉の中には看過できない単語が含まれていた。


(大御所?)


大御所とは将軍職を引退した者の呼び名だ。古くは隠居した親王の尊称であったが、三代将軍・足利義満が子の義持へ将軍職を譲った後も実権を握り続け、大御所と呼ばれていたことがある。それに倣って足利幕府では、前将軍に大御所の尊称を用いている。そして義輝の時代に大御所と呼ばれる人物は一人しかいない。父・義晴である。まさか父が生きているのか。いや、そんなはずはないと、義輝は脳内で肯定と否定が繰り返していた。父が死んだのは二十年も昔のことなのだ。それが今になって蘇るなど、世迷言としか思えない。


「上様。最期くらいは御父上の御傍にいてやりなされ」


戸惑っている様子の義輝を晴元は一瞥すると、再び馬を歩かせた。それで義輝の意識は晴元へ戻った。このまま行かせてしまっては、せっかくの現状を知る機会が失われてしまう。ともかく状況確認が先と義輝は話を合わせる為、晴元が生前に呼ばれていた受領名を口にした。


「何処へ行く、右京大夫」

「ちと若狭まで参ります。大御所様が御隠れになられたのなら、まず間違いなく目聡い長慶めが衝け込んできましょう。その前に兵部少輔(武田信豊)と諮っておきたい儀がございますれば……」

「三好修理も生きていると申すか」

「は?上様は武芸にのめり込み過ぎて頭が可笑しくなりましたかな。長慶めは口惜しきことながら生きておりますし、奴の官途は筑前守にござるぞ」

「……いや、そうであったな。余の勘違いであった」


義輝は言葉では否定するものの、奇怪なのは晴元の方であって自分ではないことを疑ってはいなかった。意識ははっきりしてきているし、耄碌するような年齢でもない。


(どうなっておる?)


義輝が思案に耽る。晴元が生存しているだけではなく、長慶も生きているらしい。となれば大御所と呼ばれている人物が父・義晴を指している可能性は高いが、まだ自分がここにいる説明がついていない。


「……晴元は、行ったのか」


頭の中が激しく混乱し、義輝は暫く立ち尽くしていたらしい。気が付いた時、晴元の姿はなかった。挨拶もなく将軍の前を辞するなど相も変わらず礼を弁えない態度に義輝は久しぶりの憤りを覚えた。あれでいて他人から存外に扱われることを嫌うのだから呆れてしまう。虚栄心ばかりが強くて節操のない政が原因となり、自分が見限られたのに気付かずに勝ち目の無い戦を仕掛けては諸大名の離反を招いた。細川の没落は、晴元が自ら蒔いた火種が原因と云える。織田信長や上杉謙信など今の義輝を支えている者たちに比べれば、随分と頼りない男に縋るしかなかった過去の不運を義輝は恨めしく思った。


まあそれはともかくとして、問題は晴元云々ではない。義輝は晴元が来た方角へ行ってみることにした。若狭に行くと言って右手側の道に消えたのだから、凡その方角は掴めた。左手の道は京か近江辺りに繋がっているはずだ。もしかしたら誰か知り人がいるかもしれないし、そうすればもっと状況も少し進展はするかもしれない。


しばらく義輝が草木を掻き分けながら道なりに進んだ。ただの竹林と思っていたのが、まさか山の中だった事には驚いた。それなりに傾斜は厳しかったが、この程度は鍛え抜かれた足腰にそう辛いものではない、はずだった。


漸く山林を抜けた時、義輝は息を切らしていた。難儀な道のりであったものの長い時間を歩いていたという訳ではない。疲れでも溜まっているのかと一時は考えたが、その予想が外れていることを義輝は知った。


「面妖な。このようなことがあるのか……」


なんと自分の身体が一回りほど細くなっていたのだ。それでいて軽さを感じる。しなやかな筋肉は健在だが、鍛え抜かれたというには程遠い。しかし、衰えたというよりは若返っていると評した方が正しい。その証拠に永禄の変で負ったはずの刀傷も綺麗さっぱりと治っていた。まるで最初からなかったかのような消えている。


その義輝の予測を決定づけたのが、眼前の光景であった。大海と見間違うほどの淡海(琵琶湖)が沈みゆく太陽に照らされながら水面を眩く輝かせ、義輝の視界に入ってきた。


「……坂本か」


湖辺の形状から義輝は自分がいる場所を即座に認識することが出来た。


坂本は義輝が京を追われている時分に数年を過ごした地。離れてから随分と経つが、幼少期を送った景色を忘れるはずはなかった。今は信頼する家臣・明智光秀に任せており、美しい連郭式の水城を拠点に滋賀郡を治めている。それなのにも関わらず湖水には坂本城の姿は影も形もなく、街道沿いに集落が建ち並んでいるだけだった。“そういえば昔の坂本はこんな感じだったか”と義輝は過去の記憶を呼び起こす。


「夢でも見ているのか。はたまた妖術の類で幻覚を見せられているのか判らぬが……」


やれやれと言った様子で義輝は頭を抱え、嘆いた。


先ほどの晴元の言葉からして、自分は過去の世界に迷い込んだのではないかと義輝は推理した。それであれば細川晴元や三好長慶が生きていることも、自分が若返ったように体躯が一回り細くなっているのも合点がいく。最初にいた場所も、義輝が剣の修行場としてよく使っていたところなのだ。どうりで見覚えがあるはずだった。


(それならば父上は……)


そう思った矢先、義輝の足は自然と動いた。動いていたと言った方が正しいかもしれない。足取りは少しずつ速くなり、最後には走っていた。風を切るように段々畑の傍を駆け抜け、集落を一瞥することなく疾走する。息を切らして辿り着いた先には、周りの家よりも僅かに大きな屋敷があった。(おもむき)からして武家のもので、規模からして大して身分の高い者の屋敷ではないことが伝わる。無論、義輝はここを知っている。


坂本に程近い穴太の地にあった将軍家の避難所で、父である十二代将軍・足利義晴が生涯を終えたところである。


「上様!何処へ行かれていたのでありますか!」


庭先へ入った義輝の姿を一人の若武者が見つけ、近寄ってきた。その人物を義輝は知っていたが、容貌は随分と若い。義輝と同様に若返っていた。鏡がないので自分の姿は見えないが、腹心の顔つきがこうまで変化しているのはとてつもなく滑稽に感じ、思わず笑みが零れた。


「このような時に何を笑うておられるのですか」

「ああ、すまぬ宰相」


義輝が彼の者が受領している官途の唐名で呼んでも当人はまったく反応を示さなかったので、先々の記憶を持っているのは自分だけのようである。仕方なく義輝は、懐かしい通称を用いて彼の者を呼んだ。


「与一郎、如何した」

「如何したではございませぬ。大御所様が御危篤という時に、何処へ行かれていたのでありますか。薬師の見立てでは、明日をも知れぬ御命とか」

「……そうか」


義輝は瞼を閉じ、それだけを静かに答えた。


(今は天文十九年の五月。父上が亡くなられる直前か)


今日が二十年も遥かに昔の天文十九年(1550)の五月四日、前将軍である足利義晴が近江穴太で亡くなった日であることを義輝は悟った。義輝にとって絶対に忘れる事の出来ない日。将軍家の再興をその胸に誓った運命の時である。


「さ、早う大御所様の許へ……」

「そうであるな」


さっそく腹心の導きで屋敷へと上がり、父のいる部屋へと足を運ぶと、そこにはまた懐かしい顔があった。


「御戻りになられましたか」


声をかけてきた烏帽子姿の男の名は伊勢貞孝という。


足利幕府の重臣で政所執事を務めていた人物で、本来なら晴元や長慶と同じく故人である。無能な男ではなく文武に優れた者として義輝の評価も高いが、信頼していたかといえばそうではない。


貞孝は父から義輝の補佐を託されながらも忠実なのは職務に対してのみであって、度々義輝の方針に逆らっていた。義輝の動座に従わず、状況によっては敵方に味方することもあった。これが一度ならば義輝は許したかもしれないが、回数を重ねる事に怒りの度合いは増していった。


そして最後は政所執事の解任に至った。伊勢氏が世襲していた政所執事の解任であるから貞孝には相当な衝撃だったのだろう。これが引き金となって貞孝は船岡山で挙兵、義輝の決定に武力を以って応じるという暴挙に出た。この頃の義輝に貞孝を征伐する力はなかったが、幕府の重鎮を倒す好機と捉えた三好長慶が松永久秀に追討を命じ、大軍を派遣する。当時の三好家は教興寺合戦に勝利したばかりで、畿内に敵なしという状況、貞孝が敵うはずもなかった。貞孝は一矢すら報いることなく、無残にも野山に屍を晒した。


「云ね」


そんなかつての幕臣に義輝は一言だけ言葉を発した。


「はっ。失礼いたします」


それを受けて貞孝は部屋を出て行く。義輝の言葉を“退出しろ”という意味で捉えたのだろう。まさか“二度と顔を見せるな”という意味だったとは夢にも思うまい。


義輝の貞孝へ対する怒りは凄まじい。期待していただけあって落胆が大きかったからもあるが、何よりも父の遺命を軽んじる姿勢が許せなかった。それは現実の世でも如実に表れている。貞孝の子・貞良は船岡山で父に殉じているが、孫の貞為・貞興兄弟は生存していた。世話をしている蜷川親長から能力も名門の名に恥じることのないものだと聞いている。それでも義輝は帰参を認めておらず、現状のまま置いていた。


「父上、ただいま戻りました」


部屋に入った義輝は、父の傍へと腰を下ろした。


畳八畳ほどの広さの床の間に、布団を敷いて義晴は横になっていた。父の命令なのか襖は開け放たれており、軒先では駒鳥の親子が仲よく落ちている胡桃を突きながらヒンカラカラと鳴いている。ここで父に慣れない酒の味を教えられたのは、今となってはいい思い出だ。


父の姿は武門の者とは思えないほど痩せこけており、顔色は青白く頭髪の半分は白いものが混じっていた。初老に入ったとはいえ、僅か四十になった者とは思えない姿である。無理もない。父は自分より若い十歳の時に将軍職を継いだのだ。それから激動の時代の真っ只中を生き、幾度となく将軍権威の復活を試みたものの失敗に終わっている。その苦労を当時の義輝は理解していなかった。将軍でありながら傀儡であった父を悔しさから不甲斐なく思ったことさえあったが、今は違う。この時から二十年を生きた記憶を持つ義輝には、死に逝く父の苦労が身に染みて判る。


(御会いしとうございました)


心の中で義輝は父との再会を喜んだ。涙が出そうなのを堪えて父と向き合う。


「……義藤か」


こちらの存在に気がついたのか、義晴はゆっくりと瞼を開き、目線だけをこちらへと向けた。当然ながら父は義輝の事を旧名の義藤と呼ぶ。義輝が義藤から改名したのは、この四年後のことになる。


「はい。義藤はここにおりまする」


もう握り返す力もなくなっている父の手を、義輝はギュッと力強く握り締めた。それを父は優しい笑みで返した。


「すまぬな。父はここまでのようじゃ」

「父上、もうようござる。寝ていなされ」


義輝は言葉を紡ごうとする父を気遣った。父・義晴の死因は悪性の水腫であり、肢体の至るところが痛々しく膨らんでいる。呼吸には気泡音が混じり、言葉を発するだけでも辛そうに見える。義輝にすれば夢だろうが幻だろうが、こうやって再び父の顔を見られただけでも満足であり、これ以上は父を辛そうな顔は見たくなかった。


「こやつめ。少しは父に話させぬか」


小さな声で呟きながら、義晴は僅かに口元を緩ませる。精一杯の笑顔で、残り少ない人生を我が子との時間に使おうとしているようだった。


「そなたには重い役目を背負わせてしまった。父は遂に将軍家の威光を取り戻すことは叶わず、管領の傀儡となるしかなかった。いま思えば、何のために生まれてきたのかさえ判らぬ。この四十年の意味を知ることなく黄泉へ旅立たねばならぬ」


途中途中とゼーゼーと息継ぎをしながらも義晴は言葉を紡ぎ続けた。それを義輝は遮ることなく、ジッと聞き入っている。父の声は、本当に久しぶりだった。


「父は間もなく死ぬ。その事は、もうよい。諦めがついておる。唯一の心残りは、父と同じ道をそなたに歩ませねばならぬことだ」


自分と同じ傀儡の人生を子が歩む。それは父にとって我慢のならないことなのだろう。出来ることなら将軍親政のきっかけを作って死ねればよかったのだろうが、現実は厳しく義晴が将軍職を継いだ頃より将軍家を取り巻く環境は何ら改善はしていない。父にとって、これほど悔しいことはなかったはずだ。


「御安心くだされ、父上。将軍家は必ずや私が再興して見せまする」


二十年前にも父の臨終で述べた言葉をいま一度、義輝は繰り返す。一言一句に違いはないが、その重みはまったく相反していた。


「畿内を将軍家の名の下で平定して直轄地として治め、幕政を基礎から改めまする。幕府に従わぬ輩を自らが討伐し、乱れきった天下に泰平を実現させて見せましょうぞ」


力強い言葉が義輝から父へと伝わっていく。


この後に義輝は傀儡将軍として十五年を過ごすことになるが、その間に塚原卜伝と上泉信綱から修めた剣技は無駄にならず、永禄の変で命からがら生き延び、念願の将軍親政を実現することになる。それを今の義輝は知っている。その義輝から発せられた言葉であるから、充分な重みがあった。


「……無理せずともよい。そなたは父にはなかった将軍に相応しい気骨を備えておる。我が子ながら、立派に育ってくれたと思う。されど、その威勢のよさが命取りにならぬかとの心配もある」


あったはずだが、父の反応は何処となく薄かった。


「どのような危険に晒されようとも我が剣は決して折れませぬ。どのような敵が襲い掛かってこようとも返り討ちでござる」

「将軍は滅多なことで刀を抜かぬものじゃ。父の教えを忘れるものではない」

「いや……それは……」


言われて、義輝は“ははは”と苦笑いを浮かべた。


四年前に息子へ将軍職を譲った義晴は、武家の棟梁たる心得などを逐一と言って聞かせていた。これが義輝の規範となっているのは言うまでもないが、武人たる義輝は自ら刀を振るうところだけは一向に改めなかった。それを父が咎められたことは両の指を合わせても足りないほどある。


(この頃の余は誰も信用していなかった。自らの身は自らで守らねばならぬと思い込み、昼夜を問わず修練に励んでおった。それで父に心配をかけていたことなど思いもよらなんだわ)


と思う義輝であったが、ここでふと不審な点に気が付いた。


(このような事を果たして父は申していたであろうか?)


父の臨終の言葉を義輝が忘れるはずはない。それなのに、父の最期に覚えのない言葉が交じっている。


「力なき将軍が武家の棟梁であり続ける。このような不条理は余の代で正すべきだったやもしれぬ。力を持つ大名に将軍職を譲れば、乱世は終焉を向かえ、我が一門にも平穏が訪れたであろう。余のやった事は、悪戯に戦火を長引かせただけじゃ」

「何を仰せになられます!足利家は将軍職にあってこそ、存続が保てるのです。その責務を放棄して、平穏など夢幻ござる」


父の考えに義輝は強弁に反対した。


将軍職の禅譲を義輝も考えた事がないわけではない。ただそれで足利氏の平穏は訪れるというのは甘い考えだ。仮に三好長慶に将軍職を譲っていたとしても、それを認めない諸国の大名が立ち上がり、争いに発展したことは容易に想像がつく。その時、対抗馬として大義名分に利用されるのは確実に生き残っている足利公方である。本当に将軍職を譲るとなれば、もはや天下に敵なしと思われるほど大勢力を築いた大名に限られる。尤もそんな大名が実在するのであれば、将軍職などに頼らずとも天下を平定してしまうはずだ。その時は、潔く朝廷に将軍職を返上して世の道理を定めるのが足利家に残された役割となるだろう。


そうは思っても足利将軍家の存在が大大名の出現を妨げている要素が大きいのは事実だ。何故ならば誰もが将軍家の権威を利用することを考えているので、いつまでも頂には足利氏の存在がなくなることはないのだ。仮に義輝が将軍職を捨てても織田や毛利などの大大名の何れかが、埋没した将軍家の血筋を探し出して擁立し、将軍職に就けてしまうだろう。それでは意味がない。


結局、天下という得体の知れないものに関わってしまった以上、足利氏が生きていくには自力で天下を回復するしかないのだ。でなければ、滅亡あるのみ。それも義輝の代が最後の機会となる。


「そなたは若い故に、そう思うのだろう。何れ判る時が来る。その時まで、心の片隅にでよいから父の言葉を覚えておくのじゃ」


それを告げた後、義晴は再び眠りについた。そこから父が二度と目を覚まさぬことは、義輝は知っている。不遇の人生とは父の事を云うのだろう。いま父・義晴は、ここに四十年の生涯を終えたのだ。


(何故に斯様な事を仰せになられる!今の余に、その言葉は……)


あの時の何も知らない自分であれば、父の言葉に耳を傾けていたかもしれない。しかし、将軍家の再興を成し遂げてしまった今の義輝には、父の言葉を理解するのは到底不可能であった。


(父は将軍家の再興を誓う余の言葉に安心し、安らかに亡くなられたはず。何故にあのような……)


義輝はどうしても父の言葉を受け容れられなかった。


将軍家の再興という大望を果たさんが為に義輝は辛酸を舐めようが戦い続けた。その原動力となったのは、間違いなく父との臨終の約束を守る為である。父の生涯は征夷大将軍とは思えぬほど儚く惨めなものであった。義輝が永禄の変で倒れていれば、父の功績を評価する者はいなかったことだろう。しかし、義輝が中興の祖として天下一統を成し遂げれば話は変わってくる。傀儡という身に甘んじ、泥水を啜りながらも将軍職を守り通し、義輝へと受け継いだ父の功績は誰もが認めるものとして世に誇れる。そして晴れて墓前に告げられる。


“父が世に生まれた事は、確かに意味がありましたぞ”と。


その日を迎えるため、今も義輝は天下泰平を目指している。




【続く】

今回は完全に義輝主観の話となります。なんか久しぶりに書いた気がします。


さて義輝が記憶を持ったまま過去の世界に飛び込むという一風変わった話となっていますが、気付かれた方もおられましょうが夢の中の話となります。(故に義輝だけ現在の記憶がある)


この日の出来事は義輝の人格を形成するに至った大事な場面であり、義輝にとって父・義晴は偉大で、その姿を幼少期に焼き付けていたことが義昭、晴藤との差に繋がっています。実際に義晴という人物は傀儡将軍であったにも関わらず政務や軍事で陣頭指揮を執っており、義輝と似ているところが見られます。義晴が父ということを考えれば、義輝が影響を受けたのでしょうね。そして息子の素質を見ぬいた義晴は、生前に将軍職を譲るという英断を下しています。これがなければ義輝がすんなりと将軍になれたかは怪しいところです。(義晴の死亡時に義輝は京を追われており、三好長慶の許には阿波公方が健在だった)


また以前に義輝は過去の将軍をさほど評価していないような素振りを見せていたと思います。その根底にあるのが、父が惨めな生き方をしなければならなかったのは過去の将軍が不甲斐ない所為だ、という思いが奥底にあったからなのです。初代・尊氏は別にしても義昭のように義輝が歴代の将軍の無条件に崇敬しないのは、先にも書いた通りに父と過ごした時間の違いからです。(義昭と晴藤は僧になっているので父の傍にはいなかった)


本当はもっと前にこの話を書いてもよかったのですが、謀叛が一区切りして義昭との勝敗がついた今、書かせてもらいました。


次回は関東の話となります。

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