表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第一章 ~上洛~
11/200

第五幕 邂逅 -光秀、忠臣と出逢う-

十一月三日。

洛中・慈照寺


越前へ逃れている義輝が上洛へ向け、一乗谷を発ったという報せが早くも京に届いた。


「ははは…話が違うではないか!?」


一段高いところで脇息に抱きついて怯えている男の名は、足利義栄。第十四代足利幕府の将軍であり、全ての武家の頂点に立つ男である。


「それだけ、前将軍(さきのしょうぐん)が本気だということです」

「敵は三万を越えると聞いた」

「我らも三万、畿内にいる味方を含めれば我らが上にござる」


一方で冷静に状況を説明するのは今や京の主とも言える松永弾正少弼久秀である。


「将軍の味方は朝倉と浅井だけと申したではないか!上杉が来るなぞ聞いておらぬ!!」

「だからどうしたと言うのです。田舎大名が一人増えたところで、何も変わりませぬ」

「関東管領ぞ!あの武田信玄すら勝てなかった相手ぞ!」

「上杉はもはや関東管領にあらず。信玄めも所詮は田舎大名にござる」


上杉輝虎や武田信玄が田舎大名かはともかく、義栄政権下では上杉家に対して関東管領の再任は行っていないのは事実だった。つまり朝廷が認めた正式なる武家政権の足利幕府では、関東管領は不在状態となる。


「上杉は先の関東攻めで十万を超える大軍を動員したと聞いたぞ」

「噂に過ぎませぬ。その証に、今回は一万にも満たぬと聞いてござる」


久秀がどのように言い繕われようが、義栄は恐怖心を拭い去ることは出来ずにいる。この戦に出たことのない男は、ただただ“義輝迫る”の報に怯える事しか出来なかった。


「どうやら上様は我らの力を侮っておる様じゃ。上方にて二十五年、向かうところ敵なしの三好家に敵う者などおりませぬ」

「敵なしじゃと!?何度か負けておるではないか!知っておるぞ!」

「小競り合い程度の戦にござろう。最終的に勝ちを収めたのは我ら三好なり」


久秀が義栄を説得しているのも近江へ出陣させるためだ。迫る軍勢の総大将は前将軍・足利義輝。ならばこちらも将軍を総大将に担がなければ、三好方の将はともかく兵の士気は上がらない。


(これだから阿呆は困る。これが義輝ならば即出陣に応じたものを……)


久秀は自ら追放した相手ながら、将軍としての器量を持つ義輝を羨んでいる自分を馬鹿馬鹿しく思った。


「もう宜しい!前将軍めは我らのみで迎え討つ。それで宜しいな!」

「わ…分かればいいのじゃ。分かれば……。うむ、吉報を期待しておるぞ」


出陣せずに済むと知って安心したのか、尊大な態度を取り戻す義栄。そんな義栄の言葉を無視して立ち上がった久秀は、息のかかっている小姓たちに命じる。


「よいか!けして将軍を外に出すでないぞ!」


このような男とはいえ、征夷大将軍である。将軍は三好・松永の象徴、勝手に堺などに逃げられては政権の崩壊に繋がりかねない。


不安を残しつつ、久秀は戦場となる近江へ向かう。


=======================================


十一月四日。

美濃国・岐阜城


義輝と共に近江に入った光秀は、織田軍の姿がないと聞いて愕然とした。すぐさま義輝に許可を貰い、己の面目に懸けて信長に約束を履行させるべく岐阜へ向かった。


しかし、城下に入った光秀は驚愕する。そこには辺り一面を埋め尽くすほどの軍勢が(ひし)めいていたからだ。その数、凡そ二万を越える。しかし、これが義輝への援兵かどうかはまだわからない。何処か別の地へ出陣する軍勢かも知れないのだ。


光秀は駆け足で信長を訪ねた。岐阜城は信長が攻め落とす際に城下を焼いたこともあり、あちらこちらで普請の最中であったが、その中でも政庁となる信長の居館は早々に金華山の山麓部分に築かれており、冠木門に虎口、土塁と最低限の防備も整えられている。


「おう、明智か。如何した?」


現れた信長は未だに軍装を纏っておらず、平服のままである。光秀が来訪した理由を掴みかねているようだった。


「如何したではございませぬ!公方様の上洛に兵を出して頂けるとのお約束であったはず。日取りは前もって伝えたはずです!」

「……ふぅ。そなた、眼は付いておらぬのか?」

「では城下の軍勢は、公方様への援軍でございますか!」

「で、ある」


その瞬間、驚喜したと言っていいだろう。光秀自身、このような気持ちになったのは生まれて初めてだった。少なくとも覚えはない。何せ城下で見た二万を越える軍勢が加われば、義輝の軍勢は五万を越えることになる。三好を圧倒できる。


「さ…されど兵数は約束できないと織田様は…」

「言うたが、美濃攻めの最中だとも言うたぞ」

「た…確かに……」


光秀が信長に援軍を要請した際、兵一万を要求したのは出し惜しみをさせないためだ。戦国武将の兵を出すと言っても少勢で済ませることが多く、それを懸念してのことだった。しかし、その常識は目の前の男に覆された。それも良い意味で。


光秀の脳裏には一つの言葉が自然と浮かんだ。


“勝った”……と。


「ならば今すぐ御出陣を御願い申し上げます。公方様は既に近江に入られており、三好・松永との決戦は間もなくとなりましょう」

「悪いが、それは出来ぬ」

「何故にございましょうか!」


柄にもなく素っ頓狂な声を上げる光秀。既に岐阜城下に二万の軍勢が整い、義輝の近江に入った。何を躊躇する必要があるというのか。その理由が光秀には分からない。


「まだ兵が揃っておらぬ」

「これ以上増えるというのですか!?」


光秀はさらに驚いた。


「都合三万五千。もっとも間もなく駆けつけてこられる松平殿の軍勢と合わせた数だがな」


途方もない数だった。光秀が義輝と共に東奔西走して掻き集めた軍勢とほぼ同数の軍勢を信長は動員しようというのだ。確かに濃尾凡そ百万石を領する織田家にはその力はあるだろう。しかし、信長は美濃を攻め取ったばかりだ。


それには理由がある。


元々信長が治めていた尾張は有数の商業圏であり、熱田や津島はその中心である。故に上洛に必要なものは概ねそこで揃う。一方で信長は美濃を殆ど調略で落としたことにより領地替えが龍興の直轄地もしくは最後の最後まで味方した一部の側近の所領しか行われておらず、未だ美濃の領主たちは斎藤家が国主だった頃とそう変わりない。故に信長が命令を下すだけで充分な兵数を動員することが出来る。


また信長は後顧の憂いを断つために武田信玄の四男・勝頼へ養女を嫁がせることにした。現時点では既に結納を済ませており、輿入れを待つだけとなっている。さらに信長は妹の於市を浅井長政に嫁がせた。隣国、飛騨と伊勢には信長を相手に出来るほどの勢力はない。これにより全軍を躊躇なく動員することが可能になったのだ。


さらに松平が参陣することも嬉しい報せだ。


松平氏は三河の有力者でかつては三河一国を支配していた時期もある。少し前までは東海三カ国を治める今川家の麾下に甘んじていたが、信長が桶狭間で今川義元を討つと独立、一向一揆との抗争を経て今では三河一国をほぼ平定している。


「な…ならば一部の軍勢だけでも送っては頂けないでしょうか?」


光秀は懇願する。織田の同盟者である松平が参陣する以上、信長は岐阜を動けないだろう。しかし、いま城下にある二万の軍勢の一部を近江へ送ってくれるだけでも勝敗は大きくこちらへ傾くのだ。


「…ふむ。ならば西美濃衆五千を預ける」

「有り難く存じま……預ける?」

「援軍が必要なのであろう。そなたが率いて行け」

「お…お待ち下され!手前は他家に仕えし……」

「帰蝶の縁者で美濃の出、であろう。ならば我が身内も同じ。美濃衆を率いても何ら問題はなかろう」

「し…しかし…」

「この状況で使者など務めておるのじゃ。どうせ自ら率いる軍勢も持たぬのだろう?義輝公の御為に軍勢を率い、働きたいとは思わぬのか?」


痛いところを衝かれた、と思った。


「儂の家来は忙しくてのう。そちが断るなら、上様への援軍は全軍が揃うまで待つことになるが…」


意地悪く信長が光秀に話す。信長としても朝倉の客分でありながら領分を越えて義輝に尽くす光秀に興味を持っている。その器量を試そうとしていた。


また光秀と自ら兵を率いて義輝に奉公したいという気持ちは強い。しかし、悲しいかな今の自分はその立場になかった。だからこそ出来ることをやろうとこうして信長の許へ使者として出向いているのだが、信長の破天荒な申し出を受ければ、自らの望みが叶う。そしてそれは何よりも義輝の扶けになる。


「…お引き受け致します」


こうして光秀は思わぬ軍勢を率いることになった。しかし、通常なら他家から送り込まれる人間は軍監や目付などになる。一隊ならともかく五千もの兵を他家の人間が率いるというのは問題のある行為だ。それが早くも露見することになる。


「何故に光綱(光秀の父)の倅如きの指図を受けねばならぬ。信長様は我らの忠誠をお疑いか」


美濃衆は信長に従ったばかりで心服しているとは言い難かった。また彼らは明智家を既に没落した家と認識しており、けして自分たちの上に立つ者ではないと思っていた。光秀に預けられた西美濃衆の面々は揃って挨拶に顔を出すようなことはせず、こちらから訊ねても会って貰えなかった。


(これでは軍勢を預けられても何も出来ぬではないか!)


と、心の中でそう叫ぶ光秀だった。


「申し訳ござらぬ。主たちは信長様の御命令には従うが、明智様の下知には従えぬと申しております」


それでも信長の命令である以上は光秀との連絡は必要であり、稲葉良通の家臣・斎藤内蔵助利三が付けられることになった。利三は幕臣の蜷川氏と縁が深く、義輝との連絡役を務める光秀を相手にするには適任ということで抜擢された。


「こちらこそ済まぬことをしたと思っておる。私は織田様に援軍を請いに参っただけのこと、戦の采配まで指図したりはせぬ故に御安心下され」

「されど、信長様より大将は明智殿と伺っております」

「儂とて立身出世の欲がないわけではござらぬ。されど織田様より預かりし公方様への援兵。何よりも大事は公方様を京へ御戻しし、天下の秩序を回復することにござる。私が原因でせっかくの軍勢が使い物にならぬでは意味がござるまい」


最初は自らの手で采配を振るえるかと意気込んだ光秀だったが、西美濃衆の面々に(へそ)を曲げられてしまっては意味が無いので名目上の大将として道案内役に徹することにした。


(まったく…指図をせぬとは清廉な方ではないか。殿は何故に明智殿を嫌われるか)


一方で利三は腹立しく思った。


所詮、良通の考えは大局を見、天下を考えている光秀からすればどうでもいいことに過ぎない。地方豪族の意地の張り合いなど“公方様の御為”の言葉で一蹴される程度のことなのだ。幕臣との繋がりが深い利三は、光秀の考え方に共感を覚えた。


「明智殿。主がどう申しましょうとも我が手勢だけは明智殿の下知に従いましょう。何なりと御命じ下され」

「いや、それでは斎藤殿が良通殿に叱られましょう」

「御心配には及びませぬ。信長様よりの御命令が、明智殿の下知に従うことなのです。遠慮は無用と申すものにござる」

「有り難い。必ずや働きを無駄に致すことはしませぬ」


利三の申し出により、光秀は三百だが意のままに動かせる軍勢を手にする事が出来た。この僅かな兵が目の前に迫っている戦で思わぬ活躍をすることになるとは、光秀も利三も知る由もなかった。


そして、この二人の出会いが長い付き合いの始まりになることも……




【続く】

次話投稿です。


やっぱり光秀と言えば、斎藤利三ですよね。まだ彼は光秀の家臣ではありませんが、後々は……


さて次回、ようやく両軍が出揃います。合戦も間近です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ