第一幕 対面 -三兄弟の離別-
六月九日。
山城国・比叡山
一陣の風が京盆地を吹き抜けていく。随分と涼しくなってきたと感じるが、夏が終わったのではない。季節は夏真っ盛りであり、例年通りの暑苦しさが京にはあった。それでも涼しく感じるのは、業火に焼かれた京の余燼が沈静化したからであろう。
あれから京は、三日三晩と燃え続けた。入洛した将軍・足利義輝は命の危険に晒されながらも火消しに奔走したが、火の勢いが強かった上京一帯は殆ど手を付けられず、梅雨の雨に頼るしかなかった。翌日から降り始めた雨の御陰で火は消えたが、今度は逆に雨が止まず被害状況の把握が遅れてしまう。
「本当に何もなくなったな」
そして今日、漸く空は気持ちのよいくらい雲一つない青天となり、王城鎮護の地から眺める京はまったくの別物に見える。真っ黒に変貌した町からは雅な風景は一切失われている。
特に上京が酷い。調べによれば七千戸近くが全焼し、それには関白・近衛前久邸を始めとする公家の邸や本満寺や宝境寺などが含まれている。足利家の菩提寺である相国寺にも被害は及ぎ、内裏も半焼、帝が一時的に比叡山延暦寺まで動座するという事態まで引き起こした。
また下京では耶蘇教の拠点であるガスパル・ヴィレラの住院や本能寺、因幡堂、福田寺など主に中央部から東側にかけての建物が多く焼失した。これは松永久秀が義輝の進路を限定するために計画的に放火をしたためと見られている。
この見られているというのは、松永久秀が捕まっていないことを意味している。
(この期に及んで、まだ余に抗うつもりか)
正直、見苦しいと思う。万策尽きて敗れたのなら、潔く降伏すべきである。逃走を続ける久秀の行動は、義輝の美学からは遠く欠け離れていた。
(それほどまでに天下を欲して、貴様は何を為そうというのだ)
生き恥を晒してまで久秀が生きようとする意味を考える。義輝の場合なら天下泰平の実現というところだが、果たして久秀は何を求めているのか。こればかりは本人に問い詰めて見なければ判らなかった。
義輝が白河口で討ち破った軍勢の中に久秀はいなかった。まさか久秀が神泉苑で自分を狙った杉谷善住坊と共にあったことなど思いもよらず、下手人が北に遁走したこともあって行方は判らず仕舞いとなった。今のところ下手人とは別の方角へ逃げたと思われるが、洛中の消火に手間取って初動が遅れたこともあり、手がかり一つ掴めてはいない。
「即刻、勝龍寺城を落とせ!」
義輝は怒りに身を任せるようにして、細川藤孝に勝龍寺城を攻めさせた。城に籠もる久秀の子・久通を捕らえて父親の行き先を吐かせようとしたのだ。しかし、無人斎道有は潔く降伏することをよしとせず、激しく抵抗してきた。これが義輝の怒りに拍車をかけたのは間違いない。
道有の抵抗は凄まじかった。矢を失えば槍を取って折れるまで戦い、刀が尽きるまで戦いは続いた。まるで戦うこと自体が目的であるかのように、道有は頑として城内の降伏派を抑え込み、幕府方の攻撃を撥ね返し続けた。山崎で勝利を得た者にとって、こんなところで命を落したくはない。その気迫の違いから味方は攻めあぐね、勝龍寺城はその規模に反して五日間を耐え抜き、遂には義輝自身が出向いて指揮を執る事態にまで及んだ。驚くべきことは、勝龍寺攻めに於いて幕府軍が山崎の合戦を超える被害を出してしまったことである。どうやら今の幕府軍が武田信虎という怪物に挑むのは無理があったようだ。
「うわはっはっはっはっは!!まこと面白き人生であったわ!!!」
道有は自害せず討たれるまで奮戦し、壮絶な最期を遂げた。この道有の戦死を以って城方は降伏を申し出るが、肝心の松永久通は許されぬと判っているだけに落城間際に自刃して果てていた。結局、城方で生き延びたのは義昭の側近であった真木島昭光だけとなり、久秀の行方を掴む手がかりは消えた。
その他にも京周辺では謀叛方の降伏が相次いでいる。
晴藤が攻めていた丹波口では武田信景が降伏した。足利公方である義氏を伴っていれば許されると考えての降伏だったが、この甘さに激怒した義輝は信景に切腹を命じた。これと対極に位置したのが峰ヶ堂城の武藤喜兵衛の処遇だろう。抵抗は無駄だと開城した喜兵衛は、武田信玄の側近ということもあって斬首を求める声が多く、義輝もその気でいたのだが、信玄の勢力が健在なことから即座に刑執行とはならなかった。喜兵衛には武田の内情を喋って貰わなければならないからだ。
「武藤なる者の才は天下に二つと有りませぬ。まだ若く、ここで罪を許せば上様の恩情に感じ入り、必ずや幕府の力となりましょう」
それを変えたのが、喜兵衛と戦った張本人である明智光秀だった。今のところ喜兵衛は主君への忠義を貫いているため幕府へ仕えることを了承していないが、自害する気もないらしく大人しく蟄居している。説得を続ければ、心変わりする可能性は残されていた。また義氏は謀叛に巻き込まれただけという事情を考慮され、その罪は不問とされた。
近江では京極高吉が剃髪して帰参を申し出てきた。遅れてはならずと観音寺城の六角承禎・義治親子も降伏する。しかし、義輝の判断はここでも分かれた。高吉については京極家累代の忠功を慮り、高吉は高野山に追放されるものの京極家自体の存続は許されたが、六角親子は二度目の謀叛とあって自害さえも許されずに市中引き回しの上に六条河原で斬首となった。朝倉方に占領されていた坂本城も開城し、近江一円は幕府方の手に帰した。
こうなると追い詰められるのが伊勢で謀反方に与した北畠具教である。義輝は日野の蒲生賢秀の許に息子の賦秀を戻して先鋒を命じ、足利義氏を大将に任じて一万余を派遣した。不問にしたとはいえ、身内贔屓との諸将の目もあるので、ここで一働きさせようというのだ。織田軍だけでも苦戦していた具教は、敵わぬと見て抗戦を諦め、現在は降伏に向けて交渉が進められている。
「上様。支度が相整いましてございます」
「そうか」
義輝の側近に復帰した三淵藤英が告げる。
これから義輝は参内する予定になっている。帝に拝謁し、都の復興を約束するのだ。灰燼に帰した都の再建は急務であり、特に内裏の修復は最優先で行なわなければならない。帝をいつまでも比叡山に置いておく訳には行かない理由が義輝にはあった。
(彼奴らの厚顔無恥を許しておくわけにはいかぬ)
義昭は比叡山延暦寺を含め多くの寺社、公家へ荘園を返還している。殆どの者が義昭の政を諸手を挙げて歓迎したが、これを義輝へ対する否定の意思表示でもあることだと奴らは理解していなかった。それどころか何もなかったかのように都へ戻った義輝へ援助を願い出ている始末であり、責めを負おうとする気配すら感じられない。
無論、義輝は荘園を再び取り上げるつもりでいるのだが、自前の僧兵を抱えている延暦寺や大和興福寺あたりは再返還を拒むと予想されていた。いまも正式に命令を出していないにも関わらず、合戦も終息に向かいつつあるのに謀叛方の勢力が半壊した所為で大量に発生した牢人の一部を雇い入れているという噂もある。しかも延暦寺に至っては、帝の身を楯にして更なる荘園を獲得しようという動きさえあった。
(どうやら己の立場が判っておらぬようだ)
今は義輝も静観の態度を崩していないが、何れ然るべき処置を下さなければならないと思っていた。
「内府殿。よう戻られた」
参内した義輝を関白・近衛前久は笑顔で出迎えた。
「御上はいち早く都を復興させ、民に安寧が戻ることを求めておられる。内府殿の手にかかれば、すぐに都の復興は成りましょうな」
「はっ。全身全霊を尽くし、都の復興に取り組む所存にございます。内裏の修復も、今朝から取り掛かっておるところにございます」
「おおっ!これは頼もしや」
「また修復だけに止まらず、帝に不自由なく御過ごし頂くために内裏の規模も広げたく考えております」
「うむ。殊勝な心がけじゃ。帝もさぞ御喜びになられよう」
前久が義輝を追従するように何度も頷きを繰り返す。義輝が戻ったのを切っ掛けにして、朝廷内に跋扈していた謀反方に与する敵対勢力を一掃せんとの魂胆であった。それは偶然にも義輝の考えと寸分なく一致している。
義輝は謀反方に味方した連中に遠慮するつもりは毛頭ない。二条晴良ら摂家の者たちについては前久に任せるしかないが、他の者は違う。徹底的に官職を剥奪して大名らに与える。論功行賞を控えていることからも丁度よい機会だ。
「内府。頼むぞ」
「ははっ。御任せ下さいませ」
拝謁は短い帝の言葉で終わりを向かえた。
「御疲れ様でした」
拝謁を終えた義輝を藤英が出迎える。
「公家どもの動きはどうか」
「早くも関白殿下にすり寄る者たちが後を絶たぬようです。誰もが上様の御勘気を被るのを恐れております」
「ふん。もう遅いわ」
義輝は鼻を鳴らし、吐き捨てるように言った。瞳には強い蔑みがある。
彼らは既に義輝を怒らせてしまっているのだ。今さら媚びへつらったところで何も変わりはしない。永禄の変では義栄に将軍職を与え、此度は謀叛方に官職を乱発した。言い訳に言い訳を重ねるだろうが、目先の利得に走ったのは判っている。ならば、ここで許したところで同じ状況に陥れば再び義輝を裏切るはずだ。奴らがそういう特質であることを義輝は改めて認識した。
「はぁ……、問題は尽きぬのう」
義輝は大きな溜息を吐いた。忙しいとはいえ、愚痴の一つも溢したいくらいだ。
「心中、御察し致します」
と藤英が主を気遣うが、忙しいのはどちらも同じだった。二人は共通の悩み事を抱えていた。
「和州、銭の行方は調べがついたか」
「はっ。多くが謀叛方の戦費に賄われていたそうですが、公家や寺社に流れたものも少なくないようです」
「やはりか。して、取り戻せそうか」
「……難しいかと思われます。例え取り戻したところで、僅かとしか」
「ちっ……」
思わず舌を打つ。それほどまでに深刻な問題だった。
義輝が二条城に戻った時、金蔵に収められていた銭の大半が消えていたのだ。無理もない。義輝は西征で十万以上の軍勢を動員した。半分は諸大名の兵とは言っても幕府の軍勢も相当な人数に上る。それらに必要な銭がかなりの額になったのに加え、義昭も謀反方に有利な状況を作り出すために惜しみなく浪費した。信玄や久秀に於いても自軍の負担を極力減らすために二条の金蔵から可能な限り持ち出している。義輝は再決戦に向けて博多の商人を含めて多方面に借財しているため、返済もしなくてはならない。そして極めつけは京の復興だ。莫大な銭が、圧倒的に不足していた。
「山名や一色攻めはともかく、信玄めの討伐も諦めざるを得んか」
「はい。どう考えても銭が足りませぬ」
「されど摂津の兵は動かせぬぞ。いま包囲を解いては、合戦を長引かせることになる」
「承知しております。そこは、何とか致しまする」
銭の枯渇は義輝の頭を悩ませた。
本来なら謀叛方の残存勢力を駆逐するべく軍を発したいところだが、先立つものがなければ、それも叶わない。有岡城の荒木村重や石山本願寺の顕如はこちらの事情が判っているのか判っていないのか、降伏する意思をまったく示していない。攻城も失敗続きで捗らないことから包囲は続行されているが、増派をする余裕もないので、このまま兵糧攻めに切り替える他はなかった。
「京の復興は幅広く諸大名に負担させます」
藤英が考え抜いた末に思いついた策を進言する。
軍役ならばともかく都の復興という名目なら諸大名から献金を募りやすい。特に織田や毛利などは大国には、まだ余裕があるはずで、それに頼ろうというのである。実権のなかった時代の幕府が主に用いていた手法だったが、かつてと違って今の幕府なら多くの献金が集まるだろうと思われた。
「それしかあるまいが、対象を限る必要はない。九州から奥羽まで広く献金を募るがいい」
義輝が藤英の策を補完する。
形振りかまわずに献金を求めるのが目的ではない。京の放火は久秀の独断であろうが、謀叛方が行なった非道として今回の謀叛に関係ない大名たちにも広く流布させる。さすれば人心は離れ、未だ健在の謀叛方の勢力は力を弱めていくことになる。また同時に諸勢力の幕府に対する忠誠を測ることも出来る。
「それと堺の会合衆にも支援を頼め。関所を廃止してやるといえば協力は押しむまい」
「はっ。畏まりました」
畿内の関所は以前に義輝が廃止していたが、義昭が関所の再設置を認めたことにより寺社衆はこれまでの損失を穴埋めするかのように競い合って関所を乱立していた。正確な数は調査中だが、酷いところでは一町ほどの距離に別の関所が設けられているという話もある。これは遠方まで取引に赴く商人たちにとっては大きな障害であり、堺が影ながら義輝を支援した原因でもある。その廃止を引き換えに義輝は矢銭を徴収しようと画策していたのである。
この辺りが義輝の培われていた政治力の為せる業だろう。そもそも引き換えるもなにも関所は廃止する方針でいるのだ。それをただ廃止するのは勿体ないからといって会合衆へ揺さぶりをかける。彼らは幕府方を支援していたとはいえ、謀叛方にも相当な量の物資を法外な値で売っているはず。ならば払うものは払って貰っても罰は当たるまい。
「織田弾正は如何にした」
続けて義輝は現在の織田信長の所在について訊ねた。義輝は帰洛後、信長に速やかなる上洛を求めていた。
「大溝辺りかと。二日のうちには上洛してくるはずです」
「あれには信玄討伐を任せねばならん。急がせよ」
「畏まりました」
信長は先月の末に朝倉家を滅ぼした。しかも越前を平定した後に若狭にまで兵を入れて敵対勢力を討ち、凱旋の途上にある。その活躍ぶりは幕府方一と評してもよく、義輝としては恩賞を弾まずにはいられないだろう。その上で財政難にある今、信玄討伐を実行できるのは信長を於いて他におらず、それについても恩賞を考えておかなければならない。そのために石山本願寺包囲に動員している織田軍を何処かで幕府軍と替えなくてはならず、義輝の負担は増す一方だった。
その他、東海にも目を向けなければならない。義輝は佐和山に待機していた徳川家康を信長に先んじて上洛させた。まず義輝は天竜川での家康の勝利を讃え、労をねぎらうと共に東国の状勢について問い質す。
「北条は援軍を派遣してきたことからも明らかに今川刑部殿に加担しております。されど武田甲斐守殿の関与については不明にございます」
「甲斐守には今川刑部の後見役を任せておる。それなのに関与していないと申すか」
これを聞いて義輝は怪訝な表情を浮かべた。
これについては意外としか言いようがなかった。確かに三者は善徳寺で会談したようだが、それだけで結託したと見るのは早計である。義信の行動だけを見れば、仲違いして甲斐に戻り、義輝に忠義を尽くしているとも捉れるのだ。対して氏真は、北条の援軍を得て徳川領へ攻め込んできたのだから弁解の余地はなかった。後はこれをどうするかであるが、徳川単独では今川・北条の同盟を崩すのは難しい。織田の援軍を得ようにも、信長も武田信玄と長島一向一揆という敵を抱えている以上は満足な派兵は期待できない。
「三河守に遠江守護職を与える」
「はっ。謹んで御受け致します」
恭しく礼をする家康の動作に戸惑いはなかった。まるでこうなることが判っていたかのような自然な流れだ。
力で解決できない以上、調略を用いるしかない。北条も上杉謙信が関東へ戻っていることから更なる援軍を派遣してくるとは考え難いので、家康に遠江守護という大義名分を与えれば切り崩しは容易となり、三河、遠江二カ国を治める家康の力は氏真を凌駕して事態の打開は図れる。
「今川刑部殿は如何いたしましょうか」
家康は率直に訊ねた。再び戦地へ赴く以上は、訊いておかなければならない案件である。
「遠州を失う前に降伏を申し出れば、改易にはせぬ。されど三河守が駿河に攻め入っても尚、抵抗するというのならば容赦なく取り潰す」
義輝は明確に線引きをして処遇を伝えた。今川氏が将軍家の親戚筋に当たるとは思えない過酷な沙汰である。
「承知仕りました」
頭を垂れる家康の顔は僅かに綻んでいた。将軍の言質を取った以上、家康は氏真が降伏を申し出てきても黙殺する気でいたのだ。そうなれば駿河さえも手に入ると考えている。東海三州を手に入れれば、かつての今川義元に家康は並ぶことになり、徳川家は天下の大大名へと名を挙げることになる。
だが、戦国大名の性根など義輝は知り抜いている。相手の出方次第なところもあるが、手の打ちようがないわけでもなかった。
(今の余に外様を意のままに従える力はない。されど……)
いつかは諸大名全てを屈服させるだけの力を将軍家が持たなくてはならない。それには諸大名の力を削減する必要があるが、削りすぎれば天下一統にも支障をきたす。また力を付けさせないことも重要となる。まずは譜代大名から手を付けなくてはならないだろう。そして天下一統が近づけば、外様の大名であろうが例外なくその対象とする。
大規模な国替えが実行されようとしていた。
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六月二十九日。
山城国・二条城
京での雑務が一段落して、義輝は義昭との対面の場を設けることが出来た。帰洛の際に一度だけ顔を合わせている二人だが、あの時は洛中が炎上中ということもあって満足に言葉を交わす暇さえなかった。
あれから一月近く、二人は対面を果たそうとしていた。実弟の晴藤だけが同席を許され、足利の三兄弟が久しぶりに揃ったのであるが、これが最後の機会になるであろうことを各々が理解していた。
「……兄上」
不安そうな面持ちで晴藤が義昭を見つめる。義昭は先ほどから義輝を見据えたまま黙っている。それだけならまだしも、頭すら下げないし、下げるつもりもないようだった。礼を失した態度であるが、義輝は咎めなかった。
(変わったな)
弟の顔つきを見て、義輝は素直な感想を抱いた。体の線は細いが、眼光の力強さは他の戦国武将に見劣りしない立派なものに変わっている。今も義輝が自然と周囲に漂わせている覇気にも動じず、視線を真正面から受け止めている。この義昭が自分を補佐してくれたのなら、どれだけ頼もしいことかと思う。義昭が幕府を内側から守り、義輝は外へ出て行く。この役割こそが本来あるべき姿だったはずだ。
ただそれを考えたところでもはや詮なきこと。裁断を下さなければならない現実を義輝は受け止めている。
長い沈黙を義輝が破った。
「義昭。余はそなたを斬刑にすべきと考えておる」
義輝が処遇を冷淡に告げる。
義昭の罪を考慮すれば已む無きことと思う反面、切腹さえ許さない非情な沙汰は二人が兄弟であることから考えれば残酷とも思う。それでも決断しなければならない立場に、義輝はいる。
「お……お待ち下され!」
咄嗟に応じたのは晴藤であった。
「斬刑とは余りにも惨うございます。兄が弟を殺すなど、人の道を外れた行為かと。どうか御再考を……」
「晴藤、少し黙っておれ」
必至になって懇願する晴藤を制したのは、義輝ではなく義昭の方だった。誇りを大事とする義昭は、ここで弁解するつもりはない。斬刑と言われれば、それを淡々と受け容れるだけである。自分の存在は、今の将軍家にとって害悪でしかない。生き延びたところで、今回のように何れ兄の政に反対する輩に担ぎ出されるのは目に見えている。ならば後々の禍根をここで断っておくべきなのだ。
「好きになされませ」
それだけを義昭は返した。表情に曇りはなく、爽やかさに満ちている。
「潔い態度じゃな。それでこそ将軍家に連なる者の振る舞いよ」
義輝が義昭を褒めてから自ら言葉を継いでいく。
「されど賢しくもそなたの助命を願い出ている者がおる。誰だか判るか」
「……和州ですか」
「そうじゃ。和州め、そなたがおらずとも謀叛は起こった。起こったがそなたがいたからこそ幕府の存続は保たれたと抜かしおった。要は幕府の存続にそなたが一役買ったと言いたいらしい。故に罪一等を減じるべきとな」
「左様ですか」
義昭は興味なさそうに聞いていた。実のところ藤英の行動はある程度は予測がついていた。かといって既に覚悟を決めているのだから、今さら心が揺ぎはしない。
「和州だけならばいざ知らず、いま一人、余の命に逆らう不届き者がおる」
そういう義輝の顔は、言葉ほど不快ではなさそうだった。
義昭が“お前か”と言わんばかりに晴藤を睨みつけるが、晴藤は首を左右に振って否定した。確かに晴藤も兄の助命を願う一人だが、義昭の処遇については先ほど知ったばかりである。
「厩橋中将から、そなたを助命するように嘆願書が提出されておる」
意外な名前だった。いま京の紛争から一番遠くにいるはずの上杉謙信が、義昭の身を案じて助命を願い出ていた。先日、謙信の使者はまるで大変事が起こったかのように慌しく義輝の許に飛び込んできた。馬を何頭も乗り潰し、関東から京まで僅か三日で走破するという恐るべき速さで辿り着いたのだから、義輝は関東で“上杉が大敗したのでは?”と勘違いしたくらいだ。
急いだ理由を問うと、使者は次のように答えた。
「主は“一日でも遅れ、義昭様の命が失われるようなことがあってはならぬ。義昭様の処遇が決まる前に、何としても我が意を上様に御伝え申せ。上様に義昭様を殺させてはならん”と申しておりました」
そして嘆願書には自分が兄・長尾晴景と対立せざるを得なかった経緯が延々と綴られており、将軍家が磐石なれば義昭を生かしておいても問題は起こらないと書いてあった。また嘆願書には別に一通の書状が添えられていた。それはかつて義昭が謙信に送ったもので、関東管領に復帰して幕府の再興に力を貸して欲しいという想いが込められていたものだった。これを謙信は義輝に見せることで、義昭の謀叛が決して私心や怨恨に根ざしたものではないことを知って貰いたかったのだ。義昭が死んだ後に知れば、後悔するかもしれないと主を案じてのことだった。
(……あの大戯けめ)
謙信の御陰で、義輝の心は救われた。
本来ならば真っ先に関東の状勢について報告があるべきなのに、それを忘れて助命を願うなど持っての外であるが、義輝も本音では義昭を殺したくない。しかし、武家の棟梁として甘い処分を下すことは出来ない。ただ“家臣が助命を願ったことにより仕方なく”という形なら罪一等に限り減刑は可能だ。
「不本意ではあるが、余も功ある家来の言葉を無視するわけにもいかぬ。よって隠岐に配流と致す。彼の地で命尽きるまで、己が罪を悔いるがよい」
義昭の刑は隠岐国配流に決定した。ただ当の本人は不満そうに反論する。
「……兄上らしからぬ甘さですな。儂を生かしておいて、天下泰平を実現できるとお思いか」
「自惚れるな、義昭」
静かなる怒号が広間に響いた。
「余は、そなた一人が生きておるくらいで揺らぐような天下を築くつもりはない。もっと申せば、余すらいなくなっても崩れぬ泰平を築くつもりだ」
「兄上が……おらずとも?そのようなことが……」
「それくらいのこと、やって見せなければ乱世は終わらぬ」
と言って、義輝は満面の笑みを浮かべた。久しぶりに見た兄の心からの笑顔であった。
(兄上には敵わぬな)
義昭の完全なる敗北だった。ただ負けた割には清々しい気分だと思う。
「鶴と如意丸がことは?」
おもむろに義昭が訊ねる。
唯一の心残りは、妻子の処遇だった。自分の死罪が免れた以上は殺されるとは思わないが、どうなるかは知っておきたかった。
「中務大輔に感謝せよ。如意丸が元服したのならば、朝倉家を継がせる」
主家の謀叛に加担せず、鳥取城で討ち死にした朝倉景恒は“朝倉の家を残したい”と遺言した。義輝としてはこれを叶えてやりたいところだが、謀反方に与した朝倉家の者を許して継嗣とするわけにもいかない。かといって敦賀朝倉家は義景の手によって断絶させられているので後継者がいない。そこで思い立ったのが如意丸の存在だった。如意丸は父・義昭の罪から将軍家一門として遇するわけにもいかないという事情があるが、母が敦賀家の出身であり、敦賀家を継ぐ名目は充分だ。一門を離れて朝倉家を継ぐのならば、誰も文句はないだろう。後年、如意丸は敦賀家だけではなく朝倉宗家の家督も与えられることになるが、それはまた別の話である。
「忝う存じます」
ここで初めて義昭が頭を下げた。この事は、誇り云々とは別、人としての礼儀の問題であった。兄の恩情に涙が出そうになった。
「よい。そなたは我が子を救ってくれた。その返礼と思ってくれればいい」
「はい。……そういえば、名は決まったので?」
「うむ。千寿王と名づけた」
「……宝筐院様(足利義詮)の幼名ですな」
「宝筐院様は自らの幼名を嫡子に与えた。これは幼き頃より家督を定めておけば、不測の事態が起こっても御家が揺れることはないとの御考えからと思う。不幸にも御嫡男は早世され、春王と名付けられていた鹿苑院様(義満)が跡目を継がれたが、余は宝筐院様の想いを大切にしたい。名には又太郎とも思うたが、等持院様(尊氏)の幼名を頂くのは余りにも畏れ多く、千寿王ならば等持院様が御嫡子に与えた名でもある故に将軍家の継嗣には相応しき名であろう。これからはたかが家一つの争いで、泰平が脅かされるなどあってはならぬ、乱世の再来は断固として防がねばならん。家督が事は近いうちに法度として定め置き、この後に余の跡を継ぐ者たちが如何なる考えを持とうとも覆せぬようするつもりじゃ」
予てより義輝は将軍家の家督相続について、明確な決まりがなかったことを問題視していた。過去に将軍家は家督問題に対して真剣に向き合わなかった。六代将軍・義教はくじ引きで決められ、八代・義政は家督よりも道楽を優先して二十代で養子を迎え入れた。その結果として嘉吉、応仁の乱を引き起こし、乱世の到来を招く遠因となる。その尻拭いをいま義輝がしているわけだ。故に、この先の世で義輝は同じ過ちを繰り返すつもりはない。
(義昭の働きを無駄にはせぬ)
勝者にこそなったが諸大名の謀叛を見抜けなかった責任は自分にもある。負い目は、将軍であれ受けるべきだ。幸いにも義昭が不義不忠の輩を集めてくれた御陰で天下一統は早まることになるだろう。ならば犠牲となった義昭には、しっかりと自らが創る天下を見て貰いたい。
「義昭、達者でな」
何気ない言葉であったが、義輝の表情は情愛に満ちていた。
「隠岐にて、兄上の天下を見届けさせて頂きます」
義輝が治める天下は、義昭の理想とは違うものになるだろう。負けた者は黙って見届ける義務がある。見送る側と見送られる側、違う立場であったが、どちらも重いものを背負っていた。果たさなければならない責任があった。
互いの心根は、伝わった。
それを最後に、義輝は席を立った。晴藤だけが、ポツリと残される。
「……兄上」
声を震わせ、瞳は哀しみに溢れていた。まるで別れを惜しむ女子の様さえある。
「しっかりせぬかッ!」
叱声が飛んだ。兄としての、最後の愛情である。
「もう兄上にはそなたしかおらぬのだぞ。そなたが兄上を支え、幕府を支えていかねばならぬのだ」
「兄上は強うございます。明智や黒田の支えがなければ何も出来ない私の力など当てにしておりますまい」
今回の一件で晴藤は己の無力さを痛感していた。
考え抜いた末の方針を光秀や孝高の前で語るも一瞬にて覆されるか、またはそれ以上の策を瞬時に生み出してしまう。二人が突出して優れているのは判るが、そんな彼らを兄・義輝は見事に束ねている。その兄が自分に期待をかけていることを感じつつも、届かぬ高みと諦めたくなる気持ちがないかといえば嘘になる。
「よいか。確かに兄上は強い。如何なる苦境でも信念を揺るがされることはあるまい。されど、その強さ故に見えぬものもある。誰もが兄上のように強くはないのだ。そのような者たちが儂を頼り、此度の挙兵に繋がっておる」
義昭は義昭なりに謀叛の背景にあるものについて考えていた。
総じて言えば、義輝の新政権に関われなかった者たちが起こした叛乱である。ただ関われなかったのには各々理由が異なる。畠山高政や朝倉義景はその能力のなさから重用されず、武田信玄は地理的な要因が主に作用している。この先、信玄のような者は淘汰されていくことになるが、高政らのような者は依然として政権内部に存在し続けることになる。京極高吉のように将来への不安を抱く者もいるだろう。それらを義輝一人が全て見られるはずもなかった。
「そなたは兄上の目が届かぬ足元を見よ。強くないそなただからこそ、気付けるものがあるはずだ。……儂は、もう見てやれぬからな」
「あに……うえ……」
兄の優しい言葉に、晴藤は泣き崩れた。
晴藤にとっては義昭は最期まで善き兄であった。尊敬する兄同士の戦いに一番心を悩ませていたのは他ならぬ晴藤だろう。一日違いで元服し、共に兄を支えようと誓い合った日の事を思い出すも、戻ることは許されない。もう義昭には、義輝を支えていく事は出来ないのだから。
義昭に残されているのは、将軍家の再興という純粋な想いのみ。それを兄、弟に託す。
この日を最後に、義昭が二人と会うことはなかった。
【続く】
今回から新章がスタートとなります。
謀叛方を撃破した義輝でしたが、先立つものは何よりも“銭”であります。腹が減っては戦は出来ぬと申しますが、銭がなくても戦は出来ません。これにより延命する大名衆がかなり出ることになります。
次回は義輝は登場せず、本願寺顕如、武田信玄、今川氏真、大友宗麟、そして姿を消した久秀についてチラッと触れるつもりです。その後、今幕でも触れた国替え(つまりは論功行賞)と他に起こった諸問題を描きます。第四幕ではその辺りを前後を含めて判りやすく纏めるつもりでおります。
ちなみに義昭は配流となりましたがすぐに出発したわけではなく、山名討伐が終えるくらいまでは京に留まっています。再登場はありませんが、名前くらいは出すと思います。
さて長かった第四幕を終え、新たなる展開が始まります。今章は基本的に義輝側の動きが主になりますが、準レギュラーである信長と謙信も結構登場する章となります。