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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
104/201

第四十八幕 丹波口の激闘 -光秀の軍略と喜兵衛の智略-

五月三十日。

丹波国・余部城(あまるべじょう)


一色義道を討ち果たし、丹波を回復した足利晴藤は兄・義輝の下知を受けて、この日に出陣した。足利晴藤二八〇〇、明智光秀八〇〇、黒田孝高五〇〇、別所長治二二〇〇、赤松政範一七〇〇、赤松広貞七〇〇、小寺政職一三〇〇、丹波衆二〇〇〇に島清興三〇〇の総勢一万二三〇〇である。


後顧の憂いはない。丹後へ敗走した一色義定には抵抗する力は残されておらず、山名祐豊も石谷頼辰、尼子勝久、南条元清ら幕府方に鳥取城を攻略された。本拠たる但馬の防衛で手一杯となっている祐豊が丹波を窺える余裕はない。となれば敵は丹波口にいる謀叛方のみ。しかも数は物見の報せによれば二〇〇〇余と大したことはなかった。その為に晴藤麾下へ新たに加わった丹波衆から“但馬や丹後へ兵を入れるべし”との声が上がったのも当然の流れと言えるだろう。丹波衆は未だ鳥取城の一件を深く恨んでおり、山名、一色らを許せてはいない。復讐の機会をいつでも求めている。


「我らの使命は京の奪還である。山名と一色が事は今は後回しだ」


それらを晴藤は全て斥けた。晴藤は義輝よりの密命を帯びていたからだ。


「必ずしも敵を討つことに拘らずともよい。洛中へ討ち入ること、そして二条城を占拠することを優先させよ」


これが義輝の下知だった。


二条城の陥落は政治的な意味合いが強いが、さほど義輝は拘っているわけではない。何よりも義輝の妻子を助け出すことが一番の目的だった。特に嫡子の救出は今後の将軍家の行く末にも関わる大事である。丹波衆の仇も討たせてやりたいところであるが、今は優先すべきことが他にある。


「我らの矜持、左中将様は傷つけられたままでよいと仰るか」


しかし、そこは豪胆な武将たちが揃う丹波衆である。相手が足利公方であろうとも納得しようとはしなかった。晴藤は眉間に皺を寄せて困り果てた時、光秀が横から口を挟んだ。


「御安心なされよ。京を取り戻した暁には、山名攻め、一色攻めが予定されており申す。当然、貴殿らが先鋒と相成ろう」

「まことでござるか」

「無論じゃ。上様は裏切り者どもを許される気はない。その際には大いに暴れて貰う故、今は京の奪還に力を奮って頂きたい」

「うむ。それならば致し方ない」


光秀の説得により丹波衆は引き下がった。こんなことが軍評定の前にあったものだから、光秀は疲れてしまった。


そして漸く軍評定が始まった。口火を切ったのは、黒田孝高である。


「敵は山陰道の先、沓掛にて我らを待ち受けております。街道口に布陣し、先頭の部隊から各個撃破していく策かと思われます」


孝高が敵の策を推測する。山崎の合戦で謀叛方が採る策と同じだが、寡兵にて大兵を破るにはもっとも確実な方法である。確実だからこそ、間違いなく敵は用いてくるはずだ。


「ならば我らは大兵の利を活かし、部隊を二つに分け、一方に唐櫃越(からとごえ)を進ませてはどうか」


光秀が二手に分かれて進むことを提案する。


丹波から京へ進むには二つの道がある。山陰道を進む道と、途中から分かれる唐櫃越(からとごえ)だ。唐櫃越は勾配のある坂道が多く難所であるが、山陰道を進むよりは圧倒的に早い。ただ大軍の行軍には不向きなので、規模の限った別働隊が進むことになる。どうせ山陰道を進んだところで兵を持て余すだけなのだから、やらない理由はなかった。


「先に京へ部隊を進ませて、敵の不安を煽るのですね」

「そうじゃ。私が永禄八年(1565)、勢田合戦の折に用いた策だ」


光秀は自信の笑みを浮かべて言った。


あの時は比叡山を越えて相国寺に乱入しただけで京の占領までには至っていないが、京に敵が攻め込んだという事実だけで敵は混乱した。一度やった事あるだけに、その効果は身に()みて知っている。もちろん成功させれば山崎の合戦への影響も計り知れない。


「唐櫃越を進めば、峰ヶ堂城の裏手に出ます」


そこへ軍評定に参加していた島清興が発言した。城の名前が出ただけだが、それだけで光秀と孝高には清興が何を言いたいのかが判った。


「峰ヶ堂城は今は使われておりませんが、城郭址を抜ければ敵の後方を衝けましょう」


丹波に潜伏して再起を狙っていただけに清興は丹波周辺の地理に詳しくなっていた。後は実際に見に行ったことはないので確認する必要があることだが。


「いや、島殿の策に問題はござらぬ」


そこは現場を知る波多野秀尚が肯定したことで懸念は解消された。


「城郭址か……。敵が潜んでいたら、どうする?」

「敵の数はしれておる。叩き潰せばよい」


豪快な発言は籾井教業だった。山岳戦を得意とする彼らにとって、禄に整備されていない城を落とすなど朝飯前だと思っているのだ。


その後、晴藤と播磨勢が山陰道を進み、唐櫃越は明智光秀に丹波衆、島清興らに決まった。唐櫃越の大将は、明智光秀である。


軍評定の後、黒田孝高が人選に異を唱えてきた。対象者は主の光秀だった。


「左中将様の補佐は殿の御役目にございます。拙者が唐櫃越を進みます故、殿は山陰道を進まれませ」


明智勢が播磨衆と同行するようになってから、光秀は孝高に晴藤を任せて独断で動くことが多くなっていた。前回の丹波攻めがいい例で、孝高は晴藤の傍で合戦を解説するしか仕事がなかった。これでは話が違う。孝高が光秀の家臣になったのは、より刺激を求めてのことである。乱世で自らの才を試す機会を得る為なのだ。いま再び本隊に回されてしまっては堪らないと思っている。


「そなたの申すことは一々尤もだが、左中将様の傍は気心を知れた者の方がよい。そして、それは儂ではなく官兵衛であろう」

「ですが……」

「左中将様が官兵衛を頼りにしていることは、周知のことぞ。我らの面子よりも、左中将様の御心を一番に考えるのだ」

「……はっ。畏まりました」


恭しく頭を垂れる孝高であったが、明らかに不満そうだった。


実直な孝高は、自分と光秀が分かれて部隊を率いれば間違いなく主命を達成できると思っている。これは光秀も同じだ。それなら光秀の指示に素直に従えばいいと思うが、晴藤の補佐に光秀を指名したのは義輝だ。それを敢えて破っているのは光秀の方だった。


(左中将様とて童ではない。儂がおらずとも平気であろうに……)


要らぬ気遣いだと孝高は思う。確かに晴藤が自分に信頼を寄せてくれていることは判るが、そこは分別して貰うところだろう。特に晴藤自身が望んでいるなら話は別だが、今回の件も含めて丹波攻めでの人選も勝手に光秀が気を使っているだけなのだ。


その翌日、足利晴藤ら別働隊は出陣して山陰道を進んだ。先手は籾井教業で、その後ろを他の丹波衆、島勢、明智勢が続いた。


「ここが老ノ坂か」


丹波の野条を過ぎて、光秀は分かれ道に差し掛かった。ここからはどちらを進んでも京に繋がっているが、右手の山陰道を進めば沓掛を抜けて山崎の合戦場へも通じており、左手の唐櫃越を進ませれば、そのまま京洛へ辿り着く。


光秀ら別働隊は、唐櫃越を進んでいる。


「左手を進め!」


張りのある声で光秀は指示を出す。表情に険しさは微塵もない。丹波口での戦闘は山崎ほど厳しいものではない、と誰もが思っている。光秀も、その一人だ。故に、光秀の思考はどれだけ早く二条城を占拠できるかに重点が置かれていた。


しかし、間もなく光秀は思わぬ苦戦を強いられることになってしまう。この先に黒田孝高に匹敵する程の策士が待ち構えていたのである。


=======================================


六月朔日。

山城国・峰ヶ堂城址


足利義昭から丹波口の防衛を任された武藤喜兵衛は、すぐに策を練り始めた。生国の信濃なら打つ手は無数にあるが、ここは地理すら頭に入っていない土地である。まずは戦場を限定する必要が喜兵衛にはあった。


そこで喜兵衛が打った手は二つ。一つは沓掛で街道を塞ぎ、敵の本隊を足止めすること。もう一つは峰ヶ堂城址に入って間道を進む別働隊に備えることである。敵は一万を越える大軍であることは予め掴んでおり、余程の阿呆でなければ部隊を二つに分けてくるはず、激戦となるのは唐櫃越の方と予測した。


「大軍の足を止めるには荷駄を襲うのが一番じゃ。山林に潜み、荷駄を襲うのだ」


僅かながらに準備期間があったことも幸いした。都近くというのは大抵は洛中を追われた賊徒どもが住んでいる。彼らは時折、山から降りて来ては旅人を襲い、金品を巻き上げながら細々と生活している。そんな彼らを喜兵衛は雇うことにしたのだ。


「幕府の軍勢を襲うのか?俺たちとて命は惜しい。悪いが他を当たってくれ」


ところが彼らは当初、喜兵衛の誘いを断ってきた。彼らは徒党を組んでいるとはいえ、せいぜい多くても二、三十人ほどである。幕府の大軍の前に恐れるのも無理はなかった。


ただそれで諦める喜兵衛ではない。


「襲うだけで金は出す。失敗したところで金を返せとも言わぬし、成功すれば荷駄に積まれているものは自由にして貰って構わない」

「本当か!それなら話は別だぜ」


破格の条件を提示したことで彼らは揃って首を縦に振った。金は幾らでも二条城の金蔵から捻出できたので、喜兵衛は大盤振る舞いして山賊たちを雇い入れていった。その為、唐櫃越を進む光秀は難儀した。僅かに前進するだけで何処の者とも判らぬ輩が荷駄を襲ってくるのだ。警戒するよう通達を出したが、周辺の山々を普段から庭の如く駆け巡っている山賊どもは神出鬼没で、被害は増える一方だった。


「更に警戒を強めよ。時には山へ分け入って賊が潜んでおらぬか確かめるのだ」


そう命じて光秀は全軍へ伝令を走らせるが、側近の溝尾庄兵衛が懸念を口にした。


「殿、それでは行軍が遅くなってしまいます」

「仕方あるまい。京は近いゆえ腰兵糧だけでも進めるが、それは荷駄を捨てるに等しい」

「京へ辿り着けさえすれば、いくらでも手当て出来ましょうに」

「庄兵衛の申すことは判る。されど洛中で徴発に及ぶということは、上様の評判を貶めることになる」

「……なるほど、畏まりました」


それからも山賊たちの襲撃は後を絶たなかった。警戒を強めたことで毎回の如く追い返せはしたものの奴らは荷駄を奪えぬと知ると放火して逃げていくから厄介極まりなく、行軍速度は劇的に落ちてしまう。


(賊が荷駄を襲うことは不思議なことではないが、数が多すぎる)


一連の襲撃に光秀は謀叛方の影を見た。となれば、夜は更に危険になる。光秀は行軍を止め、早めに宿営地を築いて荷駄を守ることを優先させた。また本隊へも伝令を遣わし、許可を得る。結局、光秀たちが峰ヶ堂城址に着いた頃には日を跨いで二日になってしまっていた。早くも無駄に一日を浪費してしまい、光秀の心には僅かな焦燥感が募った。


峰ヶ堂城址には敵が立て篭もっていたが、特に驚きはなかった。荷駄の一件から必ず待ち構えてるだろうと思っていたので、光秀は早速に物見を派遣して様子を調べさせる。


「西の本曲輪群一帯は放置されたままになっておりますが、東の出曲輪群は修築された様子で、中には数百の兵が籠もっております」


物見の報せを受けて軍評定を開く光秀だったが、即座の攻撃という意見が大半を占めた。敵が少ないこと、曲輪群が小規模だったこと、荷駄の一件で諸将の鬱憤が溜まっていたことが主な理由となっていた。


「相判った。ならば先鋒は籾井殿に御願い致す」


光秀が力攻めを採用する旨を伝える。


「流石は日向殿よ。丹波衆の心が判っておられる」


教業が世辞を言い、胸をドンッと叩いて意気込みを表した。


峰ヶ堂城は西側に主郭部分が築かれており、本曲輪群の北と東に小さな曲輪群が二つある。そこから更に東の離れたところに敵が籠もっている出曲輪群が二つほど南北に築かれている。間道沿いの低いところに小さなものが一つと、そこから少し登ったところに倍ほどの大きさのものが一つである。


光秀も敵の抵抗が如何ほどのものか一当てしてみなくては判らないということもあり、皆の意見を尊重することにしたのだが、ここで光秀は大きな失敗を犯す。一日遅れたという僅かな焦りから注意を怠り、充分に敵情を調べさせなかった。


実は敵は僅かに本曲輪群にも潜んでいた。そして仮普請だが修築も行なわれていたのだ。物見は本曲輪北と東の曲輪群が放置されていたのを見て、主郭部分も同じだろうと勝手に解釈し、きちんと調べていなかったのだ。もし本曲輪群に敵が潜んでいることを光秀が知ったなら、出曲輪群を攻める前に本曲輪群の制圧を優先させたことだろう。


この過ちが大きな犠牲を生んだ。


「すわ懸かれーッ!」


まず籾井隊が攻め寄せたのは、手前の小さな曲輪群だった。


男たちの怒号が幾重にも山間を木霊する。


土塁に空堀と一通りに防衛設備は整っていたが、丹波の青鬼と恐れられる教業からすれば大した障害ではなかった。それなりに城方から抵抗はあったが、軽々と堀を飛び越えて難なく塀を乗り越えると、その背中を丹波の強兵たちが追っていった。猛攻に晒され、一気に敵兵は城内から叩き出さる。教業は配下たちと意気揚々に勝利の歓声を上げた。


その時である。


「今じゃ!曲輪に火をかけい!」


何処かで大将らしき男の声が聞こえた。するとどうであろうか、いきなり曲輪全体から火の手が上がり始め、瞬く間に燃え広がったのである。


「な……何が起こったのだ!?」


突然の出来事に教業は混乱した。教業は慌てて火を消そうと兵たちに指示を出すが、火の勢いは凄まじく、消火が間に合わない。簡単に火を消せないよう巧妙に仕掛けられていたのだ。次々と火にやられる兵も出始め、籾井隊の逃げ場もなくなっていった。


そこへ一騎の武者が駆け込んで来る。二陣を命じられていた島清興であった。数人の供と一緒になって、籾井隊の退避を助ける。


「籾井殿!こっちじゃ!外へ逃げよ!」

「お……おう!!」


地獄に仏とは、まさにこのことだった。


「島殿、忝い」


教業は清興の導きにより炎の壁を突っ切って曲輪の外へ脱出した。死地から脱して一息ついていた教業であるが、安心するのは早かった。すぐそこまで次なる脅威が近づいていたのである。


「敵は隙だらけぞ!一気に叩き潰せぃ!」


籾井勢の横っ腹を衝くかのようにして南の曲輪群から徒歩武者三〇〇が飛び出して来た。命からがら逃げ出してきた兵に防戦など敵うはずもなく、籾井隊は散々に追い回された挙句、島隊の助勢で教業は九死に一生を得るという散々な結果を残した。


「我らに油断、慢心があった。次は気を引き締めて懸からねばなるまい」


光秀は兵たちに籾井隊の収容を命じると、全軍に命じて曲輪群から一定の距離を保たせる。そしていま一度、軍評定を開いて諸将を召集した。


「もう一度、儂にやらせてくれ!」


その席で教業は汚名返上とばかりに再度の攻撃を志願した。これを光秀は左右に首を振って却下した。本人は大丈夫かもしれないが、先ほどの攻撃で籾井隊は一〇〇を越える損害を出してしまっている。小さな曲輪での戦いから考えれば、異常な数である。これは三〇〇ほどの籾井隊からすれば壊滅的打撃であり、光秀は教業を数から除外するしかなかった。完全に敵が上手だったことを認めるしかない。


「籾井殿。敵にはこちらを手玉に取るほどの策士がござる。誰々に任せるのではなく、皆で懸からねば次は火傷では済まぬことになる」


光秀の眼はいつになく真剣だった。まさか山崎の合戦を前にして、これほどの武将が残っているなんて思ってもいなかった。素直に相手を評価しなくては、負ける。


「敵将は、いきなり曲輪群一つを焼き払うほどの大胆な男でございます。ここは無理して懸からず、京へ向かっては如何でしょうか」


そう進言したのは島清興だった。


「何を申すか!この屈辱、晴らさずしておけるものか」

「左様。敵は寡兵、たかだか一度の失敗で気後れする我らではござらぬ」


威勢のいい発言が丹波衆から次々と上がる。負けたことなど何とも思っていない。この不屈の精神こそ丹波侍の本懐なのだが、これでは敵に乗せられるだけと清興は思う。


「再度の攻撃、総大将として御許し願いたい」


丹波衆の面々が光秀に向かって裁可を仰ぐ。総意は固まっているようだった。


「されど峰ヶ堂城を落とすことが我らの目的ではありません」


これに島清興が真っ向から異議を唱えた。案の定、両者は言い合いとなる。


「虚仮にされて、黙っていろと申すか」

「そうではございませぬが、面子に拘って主命を疎かにするには如何でありましょう」

「案ずるに及ばぬ。あのような小城、一刻もあれば落としてみせる。その後、京へ進めばよい」

「一刻で落とせる保障はござるまい。敵将の力量、明らかでありましょう」

「まともに戦っては勝てぬから曲輪を燃やしたのだ。そのような敵は臆するに及ばぬ」


両者とも一歩も引く様子はない。今にも掴みかからんとする勢いで睨み合っていた。それを制するのは大将の役割である。


「島殿の意見には一理あるが、知っての通り峰ヶ堂城は沓掛にも通じてござる。放っておいても我らはよいが、あの難敵に今度は左中将が苦しめられるは必定だ。可能ならば、我らの手で何とかしたいと思う」

「そうじゃ。明智殿の申される通りよ。儂もそれを懸念しておったのじゃ」


丹波衆を指示するような光秀の発言に、多くの面々は満足したように追従した。


「なるほど、確かに明智殿の申す通りです。されど、本隊には黒田殿を残されていると聞き及んでおります。その黒田殿は稀代の軍師とか。ならば我らが案ずる必要はございますまい」


光秀が相手でも清興は持論を引っ込めようとはしなかった。光秀は大将であるが、当人たちの間に主従関係はない。丹波衆もそうだが、誰もが立場は対等であると考えているので、堂々と意見を言い合う。


「如何にも官兵衛がおれば安心であるが、かと申して全てを丸投げするなど無責任なことも出来ぬ」


光秀は清興の意見を否定したが、危険な敵とは無理して戦うべきではないと考えており、根底のところでは同じだった。その策が次の通りである。


一呼吸おいて、光秀が語を継ぐ。


「出曲輪群は攻めぬ。悪戯に攻めて手痛い目に遭うのならば、攻めぬのが一番だ」


真面目に冗談のような事を言った光秀に、思わず秀尚ら丹波衆は笑ってしまった。周囲の空気が、途端に和らぎ始める。


「ははは、明智殿。攻めねば敵は討てませぬぞ」


大笑いする周囲に光秀は困惑しながらも、丁寧に訳を説明した。


「まずは西側の本曲輪群を接収しようと思う。敵の抵抗も予想されるが、こちらは出曲輪群と違って規模も大きく備えも満足ではない。本曲輪さえ抑えてしまえば二方面から出曲輪群に寄せられるが、重要なのは沓掛との連絡を断てることだ。連絡さえ断てれば、無理に出曲輪群を攻める必要もなくなる」


光秀の回答に誰もが感嘆の声を漏らした。まったく攻めぬ訳ではないので、丹波衆の意を汲むことにもなり、清興の主張する京への進撃も止めるわけではない。兵のいない本曲輪群の接収に時間がかかるとも思えないので、この案に清興が反対する理由はなかった。


「本曲輪群への寄せ手は波多野殿と赤井殿、荒木殿の総出で御願いしたい。敵が寡兵なのは間違いないので一切の出し惜しみはせぬが、油断なきよう御願い致す」

「承知した。で、明智殿は如何する」

「儂は出曲輪群の抑えを担当する。籾井殿、雪辱を果たされたいのならば、波多野殿の陣を借りられよ。負傷兵は、手前の方で預かりましょう」

「失態を犯した某に過分な心配り、感謝いたす」


壊滅同然の手勢しか残っていなかった籾井だったが、思わぬ抜擢に感激して瞳を潤ませた。


「島殿は小勢ゆえに身軽であろう。遊撃を御願いしたい。判断は御任せ致す」

「承った」


光秀らしい采配だった。団結力のある丹波衆を全て投入し、統制の枠外にいる島勢を遊撃に回して自由に行動させる。そして自分は一番の難敵に当たりながらも武功を譲る。


出鼻は挫かれたが、こちらにも意地がある。敵は恐らく規模からして一人で指揮を執っている。それに対し、こちらは勇将と智将が揃っている。ならばやりようはある。ここでの負けは許されない。


(もう二度と過ちは犯さぬと決めたのだ)


光秀の逆襲が始まった。


=======================================


峰ヶ堂城址・出曲輪群


正午過ぎ、幕府軍が本曲輪方面に移動し始めた。大半の軍勢が街道沿いに来た道を戻っていく。出曲輪群から見れば敵が撤退していくようにも見えたが、すぐに武藤喜兵衛は幕府方の方針が沓掛との連絡路遮断に変わったと看破した。当初は味方がやられたことに怒って遮二無二、攻めてくると思ったが意外と冷静に動いている。


「明智光秀か。やりおるわい」


弱点が見抜かれたというのに、喜兵衛は敵を褒める余裕があった。鳥取城での一件を聞いている喜兵衛としては光秀という男を量り兼ねていたが、どうやら侮れぬ相手で間違いようだ。無論、それで慌てる喜兵衛ではない。本曲輪が攻められる想定で策は練ってある。


「すぐに本曲輪へ移る。儂がおらぬことを敵に気取られぬよう、歓声を上げて幟を振り、矢を射掛けて欺くのじゃ」


留守居に指示を出し、喜兵衛は三〇〇余りを引き連れて本曲輪へ移動していく。前からあった連絡路は敵の目に触れるために敢えて使わず、この日のために用意した間道を通った。ひと一人がやっと通れる程の狭さだが、寡兵ゆえに然したる時間はかからず、敵にも見つからずに幕府軍よりも早く移動できる利点がある。


波多野秀尚、赤井忠家、荒木氏綱が本曲輪群に到着した時、いきなり曲輪内に多くの幟が翻った。足利家の桐紋に武田菱など紋様が違うものがザッと十は越えている。


「謀られたか……ッ!?」


幕府方は一様に唖然とした。本曲輪攻めの大将である波多野秀尚は、すぐに諸将を集めて対応を協議する。


「沓掛にいる敵勢が潜んでいたのであろうか」


まず全員が考えたのは、それである。本曲輪群は沓掛と繋がっているので、敵が援軍に駆けつけようと思えば、いつでも駆けつけられる。幟を見たところ一〇〇〇近い数がいると思われたので、出曲輪群に籠もる敵ではないと衆議は結論づけた。


(本当にそうであろうか……)


だが清興は一人、不可思議な点に疑問を抱いていた。もし本当に一〇〇〇もの兵がいるのなら、なぜ最初から籠城をしていなかったのか。最初に清興が本曲輪群を見たときは、幟はこんなに上がっていなかったはずだ。しかも一〇〇〇もの兵が籠城しているとなれば、沓掛の兵が減っていることになる。あちらは一万近い軍勢がいるので、如何に地の利があろうとも一撃で粉砕されるだろう。どう考えても下策としか思えない。


「一先ずは明智殿に報告しては如何か」


疑問に思った清興は、光秀に本曲輪群の様子を報せることを提案した。


「ならば波多野殿の名で送ろう。こちらの意見は、変わらず総攻めで宜しいか」

「うむ。異存はない」

「では我らは、その間に城攻めの支度を進めまする」


相変わらずの丹波衆は攻め一辺倒だった。相手が一〇〇〇であろうとも怯みはしない。それでも清興が口を挟まなかったのは、本曲輪群の敵は偽兵であると考えていたからだ。そして光秀から返ってきた答えも、偽兵を見抜いての総攻めであった。


「出撃じゃ!一気呵成に攻め上がるぞ!」


秀尚は拳を振り上げ、号令する。


本曲輪群への攻撃が始まった。波多野秀尚と赤井忠家が本曲輪北の曲輪群、荒木氏綱が東の曲輪群へ向けて猛然と山を駆け上がっていく。城内からは容赦なく銃弾が降り注ぎ、大木、大岩が落ちてくるが、彼らは楯だけを頼りに曲輪群へ押し寄せていく。隣の者が矢弾に倒れても、ものともせずに進んだ。


「無理をするな。可能な限り抵抗し、危なくなったら無理せず本曲輪へ退け」


一方で城方もほぼ全軍を以って迎撃に出る。防備が不十分な北と東の曲輪群であるが、簡単にくれてやる気は喜兵衛にはない。取り返しのつかない犠牲が出る寸前で本曲輪へ退かせる。そのため丹波衆は北、東の両曲輪群を落とすのにかなりの犠牲が出した。


「もう我慢ならぬ!必ずや後悔させてくれる」


犠牲者の続出に怒り心頭となった秀尚らは、攻撃の手を緩めずに本曲輪へ攻め寄せようとしていた。一刻で落とすと豪語した以上、引くに引けなくなっていた。


「こうも易々と誘いに乗ってくるとはな。単純なものだ」


その様子を喜兵衛はほくそ笑みながら見ていた。


出曲輪群放火の一件で、こちらは警戒されている。その警戒を解くために喜兵衛は二つの曲輪群を犠牲にした。一時の勝利を手にしたことで、幕府方は再び油断と慢心で支配されつつある。衝け込みどころは、今だった。


「それ!奪った曲輪を返して貰おうか」


喜兵衛がサッと軍配を振った。と同時に本曲輪から東曲輪群へ兵が怒涛となって吐き出されていく。ちょうど幕府方が本曲輪群を攻めようと出撃した直後だった。


絶妙な間を突いたことで、戦の流れが一変した。


「敵襲です!敵が打って出てきた由にございます!」

「ここで出てくるか!?構わぬ、押し返せ!」


氏綱は負けじと気勢を上げてぶつかっていく。いきなりの白兵戦である。氏綱も喜兵衛も自ら槍をとって血みどろの激闘を演じた。当初こそ互角の展開であったが、喜兵衛が二五〇名もの兵力を集中投入したことが功を奏し、荒木隊を崩した。本曲輪の守備を放棄するかの如き采配であったが、喜兵衛は合戦の流れを完全に読み切っていた。喜兵衛が荒木隊を襲ったことにより、波多野、赤井両隊が驚いてピタリと動きを止めたのだ。そして、その間に荒木隊が敗れ去った。


「まだじゃ。ここで退き下がれるか!」


敗退した氏綱は、奪ったばかりの東曲輪群を足場にもう一度、戦おうとしていた。僅かな手勢でどこまでやれるかは判らないが、一本の槍と剛勇を頼りに押し寄せてくる荒波へ立ち向かった。三度、地面に叩きつけられても立ち上がり、近づく敵を斬り倒す。


「うぬ……」


この氏綱の活躍に喜兵衛は思わず唸り声を漏らした。ここまで抵抗するとは思わなかったのだ。予定では、もう東曲輪群は奪い返していたはずだ。


「荒木殿!御無事かッ!」


そこへ遊撃隊だった島清興が懸けつける。後退する荒木隊の脇から進み、武藤勢に一撃した。氏綱が懸命に堪えたことが無駄ではなかったのだ。


「ここからは儂が相手ぞ!」


槍を振り回し、清興は自ら陣頭に躍り出る。これに氏綱も刺激され、息を吹き返すと今度は武藤勢が押され始めた。


「またあ奴か!いい勘をしておるわ!」」


出曲輪群に続いて二度も邪魔されたことで、流石の喜兵衛も腹が立ってきた。


「合戦とは斯くも思い通りにならぬものか。万余の兵を手足の如く動かす御屋形様は流石よ」


主・武田信玄の側近として合戦経験の豊富な喜兵衛であるが、一から全てを采配するのは初めてだった。少しずつ、少しずつ戦局は喜兵衛の思い描く構図から外れつつあった。


ただ喜兵衛の策は終わりではない。次なる一手を既に用意している。


「狼煙を上げよ」


配下に命じ、喜兵衛は手勢を率いて本曲輪へ引き揚げていく。それに釣られるようにして幕府方の軍勢が追う。本曲輪群は包囲されつつあった。


その幕府方の後方で大きな喚声が上がった。


「御注進!荷駄が、荷駄が襲われておりますッ!!」


誰かが叫んだ。


声に従って眼下を見下ろすと、昨日、荷駄を襲ってきた山賊たちが城攻めの隙を狙って襲撃してきていた。守りの兵がいるにはいるが、相手も今日はいくつかの徒党が結託しているようで、一〇〇を優に越えていた。憂慮すべき事態である。


「お……おのれ」


好き放題に荒らしまくる山賊どもの姿を目撃した波多野秀尚は、烈火の如く怒り狂った。すぐに戻ろうと考えたが、背中を見せればたちどころに城内の兵が襲ってくるのは目に見えている。判断を迷っていた時、陣借りしている籾井教業が駆け寄ってきた。


「波多野殿!ここは拙者に御任せあれ。手勢を少しばかり御借り致すが、宜しいか」

「……忝い」


咄嗟の判断に秀尚は感謝した。


教業は五〇ほど引き連れて山を下っていく。荷駄を奪うのに夢中になっている山賊どもは、こちらの接近に気付くのが遅かった。対応の遅れた山賊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていき、遅れた者は全て教業の槍の餌食となった。


それでも荷駄に充分な打撃を与えることが出来たので、喜兵衛は満足していた。後は本曲輪群と出曲輪群を維持し、一方が出ては片方が退くを繰り返し、時を稼ぐだけである。喜兵衛は十日を稼ぐと断言したが、実のところ三日も稼げれば山崎での決着はつくと思っている。それだけならば充分に耐え抜けると思っていた。


この喜兵衛の読みは正しく、いま山崎では幕府方と謀叛方の決戦が始まっている。しかし、またもや戦局は喜兵衛の予定とは違っていった。


「御注進!出曲輪群が落ちましてございます!」


突然の報せに喜兵衛は愕然とした。幕府方が出曲輪群を攻めることは考えないでもなかったが、余りにも早過ぎた。


落としたのは、明智光秀である。


光秀は清興から報せを受けた後、予定を変更して出曲輪群を攻めることを考えた。


(敵将は有能だが一人。ならば同時攻撃には堪えられまい)


敵の偽兵が確定なら、本曲輪と出曲輪のいずれかの兵は少ないはずと睨んだ。その見立て通り出曲輪群には一〇〇ほどの兵しかおらず、精鋭の鉄砲隊を有する明智勢の敵ではなかった。正確な射撃に城方の抵抗は弱まり、明智家臣の三宅弥平次が一番に乗り込んで僅か半刻ほどで出曲輪群を陥落させた。


如何に武藤喜兵衛が有能でも、一人で二つの曲輪を守り通すことは不可能だったのだ。家臣の一人でもいれば別だったが、結局は貸し与えられた兵で、指示通りの動きしか出来ない。相手の動きに合わせるなど期待する方が無理なのだ。


出曲輪群の陥落で喜兵衛は策の練り直しを求められるが、己にも意地がある。その後、残った兵を纏めて本曲輪群だけで幕府方の攻撃を撥ね返し続けた。


そして夕暮れの時刻。城攻めは明日に持ち込みかと思って両者が共に兵を退かせようとした頃だった。


東の空に夕焼けがある。おかしい。太陽が沈む方角は西のはずだ。


両軍を震撼させる出来事が起こっていた。




【続く】

さて今回は山崎の合戦を挟んで丹波口の合戦です。勝敗は一応、苦戦はしましたが目的を達成できなかったという点で喜兵衛の判定勝ちといったところですか。


また光秀が老ノ坂を曲がるという無駄なシーンを取り入れてしまいました。日付も近いことから、本能寺を思い浮かべならが書いていました。はい。本当にいらないシーンでした。(笑)


次回で山崎の合戦はほぼ決着がつきます。久秀の策も判明する予定です。

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