第四十五幕 山崎布陣図 -因縁の対決-
六月二日
山城国・水無瀨宮
京洛奪還へ向け、有岡城と石山本願寺に抑えの兵を残して進む将軍・足利義輝は、茨城、高槻、芥川山などの城を接収する。これらの城は謀叛方によって破却もしくは焼失しており、拠点として利用することは不可能だったが、ほぼ摂津一国の回復は成った。そのまま行軍を再開させるよう義輝は下知し、山崎に軍勢を展開させる。山崎の地勢を理解し、敵の策を予測しながらも義輝は歩みを止めない。自信の表れか、それとも単なる無謀か。黙々と進軍を続ける兵たちの姿からは、極度の緊張感が窺える。誰もが山崎での合戦が厳しいものになることを自ずと理解していた。
正午前、義輝が水無瀬宮に到着した。主だった諸将は既に布陣を終えている。義輝は伝令を走らせて諸将を召集する。早速に軍評定を催し、可能なら今日のうちに合戦を始めるつもりであった。
そこへ足早く一色藤長が現れ、本陣を変えるよう進言してきたから困惑した。
「水無瀬宮には後鳥羽上皇の御霊が祀られております。後鳥羽院は承久の乱で幕府に敗れた御方、武家への恨みは深く、祟りがあるやもしれませぬ。本陣は別のところへ移されるのがよろしいかと存じます」
博識な藤長らしい意見だったが、今さらの本陣変更に義輝は怪訝な表情を浮かべた。
当時、後鳥羽上皇は政を独占する鎌倉幕府へ対して兵を挙げた。主に上方の武士たちが挙兵に参加したが、鎌倉に密告した者も多くいた。事態に素早く対応できた幕府は、大軍を京へ差し向けて宮方を撃破、後鳥羽院を始めとして多くの皇族や公家が処分されることになった。全国にあった後鳥羽院の荘園が没収されて幕府の支配権が広がり、後に幕府を開いた足利氏の基礎ともなったのは皮肉としか言いようがない。
「後鳥羽院を討伐したのは平氏の北条得宗家ではないか。何で源氏の余が祟られようか」
義輝は理路整然と反論した。義輝の言うとおりに後鳥羽院の院宣は、二代執権・北条義時に対して出されている。ただ一方で、義時の義弟に義輝の祖先である足利義氏がいる。同様だというのが藤長の見方だった。
「朝廷から政を奪ったのは武家にございます。後鳥羽院は源氏、平氏と問わず恨んでおりましょう」
「とは申しても今さら本陣を変える訳にもいくまい。後鳥羽院が崩御なされてから随分と月日が経っておる。もう御霊は鎮まっておろう。本陣の変更は、無用だ」
藤長の気持ちも理解するが、そのような進言は時と場合を選んで欲しいものである。祟りなど迷信を信じない義輝であるが、皆がそういうわけではない。中には祟りという言葉に驚いて、顔色を青くさせる者もいる。これが軍評定の前でよかったと義輝は思った。
最後に“案ずるな”と付け加えて、義輝は藤長の肩に手を置く。藤長が義輝の身を案じているのは嬉しいが、瑣末なことを気にしていては戦にならない。そもそも水無瀬宮以外に本陣を据える場所はないのだ。
(式部少輔には戦働きは無理やもしれぬな)
義輝の中で、ある種の線引きがなされた。それは藤長以外にも言えることだ。
前々から気になっていたことでもあるが、幕臣の多くは合戦経験の少ない者が殆どである。義輝が京畿七カ国を手に入れてからは随分とまともになったが、それでも他の大名家には圧倒的に劣る。同数で戦えば、間違いなく負ける。自前の軍勢を持たなかったのだから無理もないのだが、そうもいっていられない。幕府軍は天下無双でなくてはならないのだ。優秀な人材を率先して起用していくこと、譜代の幕臣に合戦経験を積ませて育てることの両面を義輝は行なってきたが、そろそろ限界が見えてきた。藤長のような政務を得てとする人材が幾たびの合戦を経たところで、歴戦の将には敵わない。
全てが終わったのなら幕府の規模は各段に大きくなる。義輝は政務を行なう者と戦をする者と分けていくことを考え始めていた。
(……祟りか)
藤長の言っていることを気にしている訳ではないが、一抹の不安があるとすれば、久秀がどのような策を打ってくるか判らないことだ。山崎では隘路から出てくる幕府軍を順々に叩いていく。それだけで終わるはずがない。奴の考えていることはいつも常軌を逸している。義輝が如何に考えに考えを尽くしても辿り着くことはない。そういった策で勝負してくる。
「敵の布陣はどうか」
諸将が集まり、軍評定が始まると開口一番に義輝が訊ねた。久秀のいるところを確認しておかなくてはならない。
「はっ。こちらを御覧下さいませ」
蒲生賦秀が義輝の目の前に地図を広げ、敵の布陣を記していく。今回の合戦に於いて鉄砲衆の一部を預かっている賦秀は、先鋒の名誉を賜った。若すぎるという不安はあるが、こちらは予備兵力を持て余している。与えられる機会は、与えてやりたいと義輝は思っての沙汰だった。
そんな期待に賦秀は応える。一番に戦場へ到着し、着陣と同時に物見を派遣して敵の陣容を調べさせた。敵の最前線である円明寺川ぎりぎりまで自ら近づき、また大胆にも天王山の中腹まで登って、その眼で規模まで正確に調べ上げた。
賦秀の報告から敵の布陣は、勝龍寺城を本陣に足利義昭の一五〇〇、無人斎道有三〇〇〇と松永久秀四〇〇〇は城外に布陣している様子。前衛は畠山と松永の家臣ら安見宗房二〇〇〇、遊佐信教二〇〇〇、高山友照七〇〇が分かれて担当し、その後ろに松永久通二三〇〇、畠山昭高四〇〇〇がいる。朝倉景鏡四〇〇〇と真柄直隆一〇〇〇は水無瀬宮の北、天王山に布陣している。
「若干の差違はありましょうが、概ねこの通りにございます」
「我が方との差は二万余か。やはり敵の要は鉄砲と天王山であるな」
義輝が地図を見て指摘する。しかし、そこに義輝の意識はない。元より天王山と雑賀・根来の鉄砲衆が要であることは想像がついている。
(久秀は街道沿いか……)
義輝の注意は、常に久秀に向けられていた。
何を意図してそこに布陣しているか判らないが、久秀は西国街道に布陣していた。まるで義輝が京へ入るのを邪魔するかように壁となって立ちはだかっている。憎たらしい。そう思えるほどに。
謀叛方は総勢で二万四五〇〇と大きく数を減らしていたが、前衛の畠山勢は円明寺川を防波堤として精鋭の雑賀・根来の鉄砲衆が恐ろしい数の鉄砲を押し並べて幕府の軍勢に備えている。また天王山からはこちらの様子が手に取るように判り、逐一伝令が走るはず。その不利を、義輝は兵力を武器に覆していかなければならない。
「はい。それと山崎一帯は連日の雨で沼地が広がっています。寄せ手は、かなり難儀することと思われます」
今日こそ雨は上がっているが、連日の雨で道は泥濘み、行軍の妨げになるのは必至だった。先手は、かなりの覚悟を以って進まなければならない。
「上様。我らの陣立てに御変更はありましょうや」
「いや、当初の予定通りにいく」
これ以上の小細工の必要性を義輝は感じていなかった。
幕府軍は水無瀬宮に本陣を構えて足利義輝五〇〇〇、吉川元資三〇〇〇、後備として毛利元清三〇〇〇と一色藤長二四〇〇が布陣する。前衛は柳沢元政一〇〇〇、蒲生賦秀一二〇〇、滝川益重二〇〇〇の鉄砲衆が務め、第二陣に朽木元綱二八〇〇、御牧景重四〇〇〇が控えている。前線の総指揮は細川藤孝六〇〇〇に任せ、足利義助二五〇〇、三好義継一八〇〇を遊軍として待機させた。浅井長政六七〇〇、長宗我部元親五二〇〇らは天王山に布陣する朝倉勢に備えさせている。予め地勢は判っていたので、敵の布陣も凡その予想がついていた。今さら変更は必要ない。
総勢四万六六〇〇と敵勢に比べて規模が大きい幕府軍には山崎の地は手狭で、兵力を生かしきれていない布陣となってしまっている。本来であれば一部の兵に対岸を越えさせて側面より回り込む策もあるが、桂川、宇治川、木津川と三つの川が連なる地では、梅雨時期の増水で船がなければ渡河は厳しかった。また敵は川沿いに建つ淀城にも一隊を入れているはずなので、無理やり渡河させたところで充分な兵力がなくては攻略は難しい。云わば幕府軍は完全に地の利を失っていた。それでも勝つ自信が義輝にはある。麾下の将を信頼しているし、策も練ってきた。後は実行あるのみである。
「織田様より使者にございます」
そこへ思わぬ報せが届く。信長よりの使いだった。
現れた男は全身が濡れており、敵の目を掻い潜って川を渡って来たと思われた。今の桂川は人が渡れるほど生易しくはない。となれば、相当な熟練者である。織田の密偵も侮れないということか。
「伏見に潜み、公方様が動かれるのを待っておりました」
ここまで来た経緯を、使者の男はそのように話した。訊けば文の類は持ち合わせていないらしく、口答での報告のみになるという。敵の間者という可能性もあったが、以前に義輝が信長へ与えた短刀の一つを男は所持しており、身の証となった。
「公方様に申し上げます。去る五月七日、当家の軍勢は武田勢と美濃表で一戦し、これを討ち破ってございます」
「まことか!」
織田軍勝利の報告に、周囲からは感嘆の息が漏れる。大事な合戦を前にして、縁起のいい話だった。義輝は右手を挙げて辺りを静まらせると、軽く頷いて男へ続きを促した。
「武田勢は美濃東部の岩村まで後退し、美濃の大半は奪い返してございます。公方様には美濃での戦の折り、徳川様が見事なる御働きをしたこと、しかと申し伝えるよう主より仰せつかっております」
「三河守が織田の援軍に参ったのか」
「はっ。徳川様は天竜川で今川・北条の軍勢を撃破した後、当家の援軍として美濃へ入り、そのまま合戦に加わられております」
「相判った。しかと心に留め置こう」
使者の口から北条という気になる名前が出たが、とりあえずは捨て置いて義輝は信長の所在について訊ねた。これからの合戦に於いて、信長の所在は重要な意味を持つ。
「主は越前でございます」
「越前?何故に越前などにおる」
「申し上げ難いことながら、上杉様が俄に兵を返され、朝倉勢に対する備えがなくなりました。それ故に京へ向かうことが不可能となり、我らは朝倉勢の南下を防ぐべく越前に攻め入っております」
信長の言い分は至極当然に思えるが、真実は違う。朝倉勢に南下の気配はまったくなく、二度に亘る敗北で外征など不可能になっている。仮に信長が朝倉を無視して京へ進んでも、義景には何も出来なかったはずだ。
そのような事情を伝令の男が知る由もない。ただ主に伝えられた言葉を、そのまま義輝へ告げている。故に義輝も報告に若干の違和感を抱くのみだった。
「左中将が兵を返しただと?何があった」
「申し上げありません。上杉様のご事情については承知しておりませぬ」
「……そうか。なればよい」
それ以上は訊かなかった義輝だが、あらかた事情は想像がついた。先ほど、使者の口から北条という言葉が出た。つまり北条が謀反方に与した可能性があるということだ。その北条が動き出したことが謙信に伝わり、兵を返すことになったのだろう。この予測は、的を射ている。
「一つお聞きしたい。我が所領は如何なった。義兄上が越前へ進まれたということは、我が領内を通ったのであろう」
義輝が思案に耽っている最中、横から浅井長政が使者を問い質した。長政は不安そうな面持ちであったが、それを訊いた使者は笑みを浮かべると“ご安心くだされ”と前置きをして浅井領の状況を伝える。
「浅井様へ主より伝言がございます。“浅井下野守殿の身柄は当方で預かっておる。小谷城も開城させ、於市に小谷の城主を命じた故、心置きなく戦に臨まれよ”とのことにございます」
「さ…左様か。於市は無事か」
「はい。於市様も姫様も御無事にございます。下野守殿の身柄についても、後ほどお返ししたいと主は申しておりました」
「なんと……。兄上の御心遣いには感謝の言葉もない。必ずや礼はさせて頂くと伝えてくれ」
「はっ。しかと伝えまする」
長政はホッと胸を撫で下ろした。これでもはや憂いはなくなった。父が謀叛方として複雑な立場にあったが、ようやく心から幕府方の一員として励めるというもの。長政は憧れを抱くと同時に尊敬している義兄へ心の中で何度も感謝の言葉を口にした。
その後、義輝は諸将の一人ひとりに声をかけて役目を伝えていく。狭い隘路に大軍で布陣した幕府方の作戦は限られる。大筋として真っ向から挑んで目の前の敵を撃破することであるが、特に重要なのが天王山の奪取である。
「天王山を抜けば、敵の側面へと出る。左衛門佐と宮内少輔の役割を大きいぞ」
「何の。造作もなきことにござる」
「一領具足の力、上方の武者どもに思い知らせてやるとよい」
「御任せあれ」
悠々と答える元親に義輝は強い安堵感を覚えた。戦国大名として培ってきた経験が自信となって表れているのだと思えた。実力で土佐を制した男だ。安心して任せてもいいだろう。
続いて義輝は長政へ声をかける。
「左衛門佐も頼むぞ。朝倉とは因縁深き相手であろうが、そなたの義兄も越前へ攻め入っておる。これを機に、全て清算いたせ」
「上様の御心遣い、痛み入ります。天王山を奪取した暁には、山頂より攻め下る我が軍勢の勇姿を上様に御覧いただきとうございます」
「うむ。約束しよう」
長宗我部と浅井は幕府方の中でも独立した大名だ。その実力は抜きん出ており、この戦に於ける要ともいえた。故にこそ義輝は天王山の奪取を幕臣の何れかではなく、両者に任せた。此処さえ突破できれば、円明寺川を越えられずとも合戦には勝てる。
「敵は我らを誘い込んだつもりだろうが、余は貴殿らの勝利を毛ほども疑うてはおらぬ。諸将ならば、如何なる企みがあろうとも必ずや討ち破ってくれるものと信じておるからじゃ」
義輝が一同へ精悍に言葉を投げかける。鋭い眼光を、溢れ出る闘志を義輝は隠すことなく周囲に突きつけた。頬に見える永禄の変以来の刀傷が、義輝が飾り物の将軍でないことを物語る。そこに誰もが強き武士、理想の征夷大将軍の姿を見た。諸将は口を真一文字に閉じ、義輝の言葉に聞き入った。
「伊丹・大物で敗北し、余は一ノ谷の地で此度の謀叛について考えていた。果たして避けて通れぬものだったのかと。されど、それは心得違いであった。天下泰平を実現せんとすれば、何処かで不義不忠の輩を一掃せねばならぬ。此度、よい機会となった」
義輝は満足そうに笑みを浮かべた。まるで謀叛が起こって良かったと言わんばかりである。事実、義輝はそう思っていた。
「謀叛が鎮まれば、余は再び天下の一統に突き進む。謀叛が起こったことで、天下泰平の実現が早まった。なればこそ、この戦で諸将らの働きが重要となってくる。皆の役目はただ一つ。勝利を、余に献上することである。さすれば余は、恩情を以って報いようぞ」
「おおうッ!!」
大歓声が、境内に轟いた。
兵力の上で圧倒的な優位に立っている幕府軍の中には、勝敗を楽観視する者もいる。義輝の言葉は、そういった慢心を消し去った。士気は急速に高まり、拳を振り上げて檄を飛ばす者、手柄を立てて御家の発展に尽くそうという者で溢れた。損害を恐れる者は誰一人としていない。それを見て義輝も紅潮する。それでいて胸が躍る。泰平を目指す者としては戦はなくさなくてはならないのだろうが、やはり自分は戦いの中で生きる者だと思う。
(見事です、上様)
悠然と構える義輝を見て、藤孝は感慨に耽った。
肩書きのみの存在が、今や十万もの大軍を見事に率いている。その過程を共に過ごしてきた藤孝は、込み上げてくる感情から目頭を熱くする。この戦が終われば、幕府の前に敵らしい敵はいない。織田、上杉を従え、西国最大の大名・毛利も恭順させて四国の再統一も果たした。武田とて内輪揉めで抗う力は残されておらず、各地の小名たちは屈服か滅亡を選ぶしかない。大友と北条という大大名が残っているものの中国から甲信越まで勢力圏を広げた幕府を前に選択を迫られるはずだ。
(上様は儂の希望じゃ。永禄の変で上様が亡くなられていたら、儂の生き方も変わっていたであろうよ)
心底、そのように藤孝は思っていた。
義輝は歴代の足利将軍の中で例外だった。誰かに支えられる公方ではなく、皆を導く将軍。乱世が生み出した英傑は、失えば二度と生まれない。
世は戦国乱世である。幕臣といえど、下克上の倣いに従ってはならない道理はない。相手が征夷大将軍とはいえ例外ではないのだ。義輝ならば天下が治められると思っているからこそ、誰もがついていくのである。自分とて、同じだ。義輝が夢半ばで死していれば、忠義とはかけ離れたところで生きていただろう。天下泰平の実現という義輝の夢だけを引き継ぎ、足利将軍家は置き去りにして乱世を治め得る英傑を求めたことと思う。
これにて軍評定が終了した。諸将は自陣へ戻っていく。それから暫くして本陣に呼び戻された者がいた。細川藤孝と柳沢元政、北条氏規である。まず声をかけたのは元政へ対してだった。
「元政、そなたを先鋒にした理由は判っておるな」
「高山ダリオ殿のことでございますな」
察しのよい元政に義輝は満足げに頷いた。ダリオとは、高山友照のことである。元政が敢えてダリオと呼称したのは、召し出された経緯を理解しているからだ。ちなみにダリオとは、耶蘇教(キリスト教)で洗礼を受けた際につけられる名前のことで、切支丹たちは総じて洗礼名を持っている。
「そうじゃ。ガスパルより高山図書が内応を約したと報告があった。今までは久秀を警戒してか目立った動きはないが、合戦が始まれば繋ぎが入るはずだ。他に幾人の切支丹が味方となるかは図書次第だが、寝返りがあれば敵は必ず混乱する。その隙を衝き、敵陣へ攻め入れ。恐らく忠三郎や滝川では前衛は崩せまい」
この半年間、花隈の城に籠もったまま義輝は何もしていなかったわけではない。征夷大将軍という役職は、全ての武家に命令を下す権限を所持している。それを活用し、敵方へ内応を仕掛けていた。特に力を入れたのは切支丹へ対してだった。
耶蘇教は義昭の復古政策をきっかけに仏教勢力より排斥され、京で活動していた宣教師ガスパル・ヴィレラは堺へ追放となった。ヴィレラは再び義輝の庇護を求め、花隈を訪れる。そこで義輝は謀反方に属する切支丹大名への工作を条件にヴィレラを受け容れ、一先ずは毛利領となっていた出雲、伯耆、備中での布教を許す。毛利元就は耶蘇教嫌いで有名で、宣教師たちは毛利領での布教を諦めていたところに義輝の許しを得た。これにヴィレラは感動してデウスの思し召しの下で切支丹大名を幕府方へ引き込んで見せると意気込み、その結果が高山友照の内応となった。
「ははっ。格別なる御役目、必ずや果たして見せまする」
元政は鼻息を荒くし、主命の達成を約束した。
武芸に秀でる元政は、これまで前線で戦える日を待ち望んでいた。しかし、義輝の本隊に組み込まれている以上は、望みが叶うこと日は訪れなかった。義輝も側近への情はある。この機会に元政を前線に出し、重要な役割を任せることにした。
「図書の寝返りは秘事中の秘事。軍議の場で口にしなかったのは、敵の間者が入り込んでいることを懸念してのことだ」
「敵方の間者が?まさか……」
それを聞いて元政は口に手を当てて驚きを見せる。隣にいる藤孝は落ち着いた様子だったが、僅かに氏規の目が泳いでいた。それに義輝は気付いていながらも無視して話を続ける。
「当然であろう。我が軍勢は如何ほどの兵がいると思っておる。間者など入り込む隙はいくらでもある。また久秀めが花隈にやってきたときに申していたであろう。密使を送れと。我が方に敵に通じている者がおらぬと思うほど、余は能天気ではないぞ」
義輝がほくそ笑む。そこからは絶対的な余裕が感じられた。全てを判っていて策を練っている。そう言いたげだった。
「さて左馬助。先の話は聞いておったな」
「……は」
急に義輝が話題を氏規に振る。氏規は表情を変えまいと平静を装っているが、義輝は見抜いていた。“あれを”と藤孝に指示すると、氏規の前にいくつかの書状を投げ落とした。
「これは?」
「浅井、三好、宇喜多、庄、柴田らに久秀から送られた密書じゃ」
この密書に何が書かれているのかを氏規は知っている。何故ならば、同じものが氏規にも届いていたからだ。氏規の額からは汗が滲み出る。
「……それがどうかなされましたか」
「そう惚けずともよい。そなたの許にも届いておろう」
苦しげに応える氏規に対して、義輝は悪戯に笑みを浮かべて言った。
「誤魔化したかったのであれば、もっと驚いて見せるのだったな。そなたは久秀から密書が送られているのを知っていたのであろう。故に平静でいられた」
「も……申し訳ございませぬ。されど、決して他意があったわけではございませぬ」
氏規が平蜘蛛のように頭を伏せて謝罪する。惚け続けることも出来たが、確信めいた義輝の言葉から氏規は騙し続けることは不可能と判断した。ならば正直に告げた方が印象はいい。
「そのようなことは承知しておる。気にするな」
叛意があったわけでないことなど最初から見抜いている。
氏規は北条氏康の子である。本家は幕府と違う道を歩むことを決断している。義輝から見れば、謀反方に与してはいないものの敵対と何ら変わりがない。如何に氏規が言い繕ったところで、本家の意向が変わるわけではなく、氏規が久秀からの密書を提出したところで疑念を晴らすことは不可能である。下手をすれば疑いを深める可能性もあった。
また義輝が氏規の裏切りを懸念していないのは、伝わっている情報が久秀の書状だけであったからだ。氏規は暗愚ではない。久秀の情報を全て真に受けるわけがなく、動くなら本家から直接に指示があった場合のみだ。それは、今のところあった気配はない。
「余が聞きたいのは、謝罪などではない。関東の情勢が如何になっておるか、そちは承知しておろう。率直に訊くぞ。厩橋中将が兵を返した理由は、相模守が動き出したからに相違ないな」
「……恐らくは。されど父は近年、戦場に立つ事を避けております。此度の件は父ではなく、兄の意向かと存じます」
氏規は言葉に詰まりながらも正直に話した。ただ氏規も正確に事情を知っているわけではない。あくまでも久秀の書状から推測できる範囲で義輝へ伝える。
それでも氏規は、関東の情勢をほぼ正確に予測していた。義輝にとっては、今はそれで充分である。
「左京大夫の?さすれば相模守が兵を退けと命じれば、左京大夫は従うか」
「……正直なところ、判りませぬ。近頃の兄は父に反発することが多くなっておりました。果たして父の命に服すかどうか。されど兄が邪心に捉われたのも上方の政情が不安定な所為かと存じます。落ち着きを取り戻しさえすれば、あるいは……」
氏規の返答に義輝は溜息を一つ吐いた。
氏規の答えは義輝を批判するものである。結局は、義輝が政権を維持できなかったのが悪いと。それを聞いて義輝が怒ることはない。幕府の力が強くなったところで諸大名の心底が変わらない。その真実を理解しているからこそ、義輝は幕府の強大化を目指しているからだ。
(余の歩むべき道は誤っておらぬようだな)
北条の動きは、その証明となった。面従腹背な乱世の大名たちを押さえ込むには、圧倒的な力を幕府が持つしかない。敵わぬと知らしめなくては、服従はあり得ない。
義輝は決意を新たにし、氏規へ問いかける。
「左馬助。左京大夫には、信玄のように自ら天下を握らんとする野心はあるか」
「そのようなこと、決してございませぬ」
まさか肯定するわけにもいかず、慌てて否定する氏規。
(父上ならば判らぬが、大それた野心が兄にあるわけがない。関八州を我が物にしたい、というところがせいぜいであろう)
しかし、氏規は兄の限界を判っていた。それは父・氏康を見てきたからこそである。あの父ですら関八州の制覇を果たせていない。父の土台があるとはいえ、器量では父に大きく劣る兄・氏政が関東を飛び越えて天下への大望を抱いているとは思えなかった。
この事実を氏規に思わせることこそが義輝の問いかけの意味だった。
「ならば、そなたは余に従え。北条はその武力を背景にして関東に安寧をもたらせておるが、天下が定まらねば関東の安寧はいつでも崩れ得る。余が上杉に命じて関東を荒らさせたわけではないぞ。余でなくとも、天下の火種は必ず関東にも飛び火したであろう」
政の優秀さはあれど、北条が関東を平和に統治できているのは国力で他を圧倒しているからである。元々伊勢氏の出自である北条に名を連ねる者として、この理を氏規が理解するのは難しくなかった。北条氏とて、関東の外からやってきた者なのだ。
「余は天下を泰平へと導く。そのために幕府の力を強くする。天下が定まれば、関東の平和も成る。その上で北条家に数カ国を任せることくらいは約束できよう。それだけの力量を北条は備えておる故な。されど義昭では叶わぬぞ。義昭では、天下を安寧に導くのは絶対に不可能だ」
そして、それは関東の兵乱に繋がる。義昭では諸大名の統制が不可能なことは、既に両陣営の状況からも判る。北条の家を子々孫々に残すには、義輝に味方するしかない。そう義輝は言っていた。
「とはいえ、関東がことは全て京を取り戻してからだ。北条が命運は、そなたが握っていると思え」
義輝の言葉に、氏規は平伏を以って答えた。北条本家の動向が明確になったにも関わらずに氏規を許したのは、氏規の才能が幕府に必要だったからだ。検地奉行としての氏規の働きぶりは見事で、幕府の大きな根幹となっている。謀叛平定後は更なる働きが期待される氏規を、義輝は失いたくなかった。
「しかと心得ました」
氏規は義輝へ忠誠を誓った。御家の浮沈が己に懸かっていることを理解し、その為に幕府に味方することが最善と判断した。この戦は幕府方が勝つ。そうなった時、北条が取れる道は限られるだろう。氏規は自らの役割の重要性を身を以って知ることになった。
=======================================
同日。
山城国・天王山
水無瀬宮で軍評定を開いていた幕府軍とは違い、謀叛方は守勢である以上はこちらから仕掛けることはない。指示も出し終えている今、合戦が始まるのを待つだけとなっている。そこへ勝龍寺城に着陣した義昭が諸大名へ召集を下知する。兄・義輝と同じく軍評定を開いて合戦に臨もうというわけである。しかし、応じる者が誰一人としていなかった。全て久秀によって手を回されていた。
「久秀!これ以上は勝手な振る舞いは許さぬぞ!」
義昭は勢いのまま久秀の陣へと乗り込み、久秀を呼ぶように怒鳴り声を上げた。暫くすると奥から久秀が出てくるが、本人は明らかに不機嫌な顔つきで義昭の訪問を迷惑がっていた。
「やれやれ、いったい何の御用にござるか」
「余の命令をそちが邪魔しておると聞いた」
「随分な言い草にござるな。儂は上様ため、勝つために策を練っておるだけにござる。それに邪魔したのではなく、無用と申したまでの事。敵を目の前にして軍評定など、そのようなものはとっくに終わってござる」
「何を勝手な……。余は何も聞いておらぬぞ」
「ま、伝えておりませぬからな」
飄々と告げる久秀に義昭の怒りは頂点に達する。
「余は総大将であるぞ!!」
「存じております。ですが、戦のことは何一つ判らぬでありましょう。聞いたところで何か出来ましたか。ならば配下を信頼し、軍配を預け、武門の棟梁たるべくどっしりと構えておられよ。高貴な御方は戦などせぬものにございますぞ」
そう言い残すと、久秀は義昭を無視して去ろうとする。
「何処へ行く。まだ話は終わっておらぬぞ!」
「間もなく合戦が始まります。上様と違って忙しい身なのですよ」
「何をしておるのだ!策があるならば、余に教えぬか!」
「秘中の策とは、味方であっても教えぬものです。それが戦ですぞ。上様、よう覚えておきなされ」
それ以上、義昭は何も言えなかった。ここに武藤喜兵衛がいれば別だったかもしれないが、義昭の側近には戦を得てとする者はいない。そして義昭自身も久秀の言うとおり、合戦のことなど何も判らなかった。己の無力を痛感し、その場に佇む。兄との決着をつけると思って出陣してきたものの蚊帳の外へと追いやられ、成り行きを見守るしかない。
「上様。一先ずは勝龍寺へ戻りましょう」
側近・真木島昭光の言葉のまま義昭は戻って行った。
では久秀は何をしに何処へ向かったかといえば、天王山に登って真柄直隆の陣から敵の陣容を確かめていた。しかし、不思議と周りには直隆以外に人はおらず、兵も遠巻きに護衛しているだけであった。何やら人に聞かれたくない話をするようだった。
「将軍はかなり後方にいるようだな」
久秀が持っていた遠眼鏡を通し、遠目から義輝の馬印・鋼色の丸扇を見つけて言った。それを直隆へ渡し、今度は直隆が確認する。
「周りには毛利勢、後備に一色藤長か。大した相手はおらぬな」
「どうやって将軍を狙うつもりなので?長宗我部なるが如何ほどの者かは存じませぬが、浅井は手強いかと」
朝倉家臣である直隆は浅井の力を熟知しているが、長宗我部は遠くて存在を知っている程度である。久秀は三好家臣時代に四国にいたこともあり、長宗我部のことは直隆より詳しい。
「長宗我部も四国では有数の豪の者よ。されど案ずることはない。ここでは狙わぬ」
不適に笑う久秀を余所に直隆は詰まらなそうな表情を浮かべた。
直隆の狙いは弟の仇・義輝の命である。ただ槍働きを主としてきた直隆は、合戦の最中に機会を作るしかなかった。目の前の軍勢を蹴散らして、義輝の本陣へ向かう。その程度だ。上手く成功する可能性は、兵力の差から考えて乏しい。そこに久秀が訪れ、機会をくれるというから一、二もなく直隆は誘いに乗った。
「敵の前衛は四国勢のようだ。混戦となれば、将軍は少しずつ前に進んで来よう」
久秀が手に持っている扇で眼下の街道を指し示す。
「大山崎辺りまで将軍が進めば、そなたでも将軍が狙える」
久秀の言うことは直隆にも判るが、浅井と長宗我部を相手にしていては将軍を目指して攻め下るわけにもいかない。こちらは景鏡の人数と合わせても五〇〇〇しかおらず、対して敵は一万二〇〇〇と倍以上を誇る。如何に山頂に布陣する利を生かしても難しい戦いを要求されるだろう。
「数が少なく、敵を防げぬと」
顔色の晴れない直隆に久秀が言う。
「そうではございませぬ。天王山ならば山の地勢を生かして戦えます。数で劣るとはいえ、敗れることはありません。されど将軍を狙える余裕まであるかといえば、否でござる」
直隆には負けない自信はある。しかし、大兵を討ち破って後に義輝に挑めるほどの余裕が自分に与えられていないことくらい判っている。自分が義輝に挑むとなれば、持ち場を上役の景鏡に任せた上でないと不可能である。
「ならば見捨てればよい」
「……は?」
悩む直隆に久秀が簡単に言う。これに直隆は怒りで返した。激しい剣幕でいきり立ち、刀の柄に手を置く。
「味方を見捨てよとは、如何なる料簡にござるか。事と次第によっては、松永殿といえど容赦は致しませんぞ」
「ほう。儂を斬るか。されどよいのか。儂を斬れば弟の仇を討てる機会を失うぞ」
「それとこれとは別儀にござる!」
猛将の大喝にも久秀は動じない。幾たびの政争で培われてきた胆力は、並外れている。この程度で怖気づくほど軟な鍛え方はしていない。
「式部大輔殿は寝返りを画策しておる」
久秀は直隆の行動を蔑視しつつ、唐突に告げた。直隆の表情は歪み、先ほどまでの怒りの色は薄れていく。
「どういうことだ」
「言葉のままよ。主家が上杉に敗れ、我が方は一見すると劣勢じゃ。敵に通じようとする輩が一人くらい出ても不思議はあるまいて」
「まさか、式部大輔殿に限って……」
信じられないといった様子の直隆を久秀は追い詰めていく。一通の書状を懐から取り出して広げる。景鏡が義輝へ内応を申し出る書状であった。
「なんということだ……」
直隆は言葉を失った。従うべき主家の、筆頭家老が裏切ったのだ。絶句している隣で口元を緩ませている久秀の姿など目にも入らなかった。
景鏡の内応は真実であったが、これは久秀が用意した偽書だった。景鏡とて阿呆ではない。細心の注意を払っており、そう簡単に証拠など掴ませては貰えない。だが久秀には、それはどうでもいいことだった。
「では余計に天王山を離れられぬではないか。いや、すぐにでも離れなければ……」
景鏡が寝返るとなると直隆は天王山に孤立する。全滅の可能性もある。ただそう考えたとき、久秀が単独で山に登ってきた理由が説明つかない。何かしらで景鏡が気付き、久秀を捕らえれば義輝は大歓喜して景鏡を招き入れるはずだ。
そう考えてしまうのは、直隆が義輝を知らないからだ。義輝の性格を知り抜いている久秀からすれば、解答に違いが出る。
「はっはっは、安心いたせ。式部大輔は寝返りたくとも寝返られぬよ。将軍が式部大輔の寝返りを受け容れぬからな」
「どういうことだ?式部大輔殿が寝返れば、西方は勝利したも同然であろう」
尤もな疑問を直隆はぶつけるが、久秀の答えは明快だった。
「それが足利義輝という人物よ。かの者は融通が利かぬ。謀叛のきっかけを作った朝倉を許したりはせぬよ」
寝返りを認めるということは、その罪を許すことでもある。有利になると判っていても、その一線を越えられぬのが義輝である。実際、義輝は高山友照の内応は許しても景鏡の申し出は無視しており、構わず討つつもりだった。言うまでもなく久秀は、義輝の性格を見通した上で陣立てを考えている。
寝返りを打てなくなった朝倉景鏡は、謀反方について戦うしかないなくなり、我武者羅に抵抗するだろう。そして主家を裏切るつもりの景鏡に直隆は気兼ねすることもなくなり、将軍を狙える。
「それで式部大輔の軍勢が崩れようとも将軍が死ねば我らの勝ちだ。余計なことは考えず、真柄殿は機会が訪れたなら将軍を狙えばよい」
「はっ。畏まりました」
直隆が膝を折り、承服の態度を示す。朝倉に残された最後の猛将を久秀が取り込んだ瞬間だった。
そして開戦の合図を告げる法螺の音が、山崎の地に響き渡った。
【続く】
いよいよ今章も終盤になって参りました。合戦模様は比較的早めに更新したいとは思っているのですが、どの程度まで頻度を上げられるかはちょっと不明です。
さて今回は布陣図と題しましたが、布陣図も少し変更を加えました。これまでは凸型で部隊を表していたのですが、今回は□型としてみました。サイズの違いは兵力の違いを表しており、大きいほど兵力を抱えているという意味です。前に兵力も載せて欲しいという要望がありましたので、やってみた次第です。
いかがでしょうか?もし前の方がよければ元に戻す予定ですが、御感想を書いて頂ける方はその点についても一言いただければ幸いでございます。