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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第四十四幕 いざ決戦の地へ -進む義輝と退く久秀-

五月二十一日。

摂津・花隈城


将軍・足利義輝とその弟・足利義昭が激突した伊丹・大物の敗戦より半年が経過した。この間、勝利を手にした謀叛方は余勢を駆って幕府方大名の所領へ侵攻し、義輝は守勢に追い込まれる。近江、大和、和泉が陥落し、織田領の美濃と伊勢が危機に陥った。義輝は播磨で謀反方に通じた赤松義祐を討ち、壮大な囮作戦を実行して織田信長を本国へ帰還させると本格的な反撃に移った。毛利元就を動かして宇喜多直家を滅ぼし、四国に手を入れて河野通宣の謀叛を平らげる。また京・堺を失って建て直しを迫られていた兵站は、博多へ松井友閑を送って整えた。そして今月、義輝は実弟・足利晴藤に丹波の奪還を命じた。謀叛方は丹波を重視していなかったのか、一色義道は幕府方の大軍の前に成す術もなく討たれることになった。晴藤は鳥取城で辛酸を舐めさせられた丹波の国衆たちと共に切所を抑え、ほぼ一国の平定は間近だと報告をしてきた。


詳細な情報は伝わっていないが、甲斐で武田義信が挙兵したも聞いている。京に信玄が戻ってくる様子もなく、機は熟しつつあった。


(後は余次第か……)


居室には、義輝以外は誰もいない。このところ義輝は小姓すらも遠ざけて一人で居室に籠もることが多くなっていた。考え事をする際に毘沙門堂に籠もるという上杉謙信に倣った訳ではないが、こうやって一人になると確かに心を落ち着けて思慮に耽ることが出来る。今も雨音だけが静かに聞こえ、義輝の心を落ち着けていた。


(余は御台を……、藤を、まだ見ぬ我が子を諦めねばならぬのか)


久秀が花隈に現れてからというもの義輝の心中では葛藤が繰り返されている。


一ノ谷に集結した誰もが自分の決断を待っていることを知っている。義輝が号令を下せば、すぐにでも軍勢は西へ出立できる。既に幕府方の人数は謀叛方を圧倒しており、状況は半年前よりも明るい。確実に謀反方を打ち倒し、そう遠くない日に義輝は京の地を踏むことが叶うはずだ。一つの代償を払うことで。


義輝は身内を人質に取られている。正室たる御台所に一人娘の於藤。そして未だ名もない待望の嫡子がそれだ。将軍家の再興を何より望む義昭が身内に手を出すとは思えないが、今の義昭にどれほどの自由があるかは不明だ。諸大名の傀儡となり、存在だけに価値のある足利公方。かつての自分を思い返せば、義昭に松永久秀の毒牙を防ぐ術はないはずだ。義輝が西へ進めば、妻子らの命に危険が及ぶのは明白だった。


また子など作ればいい。そう何度も自分に言い聞かせるが、諦めきれない自分がいるのも事実だった。


(二度と失わぬと、守り抜くと決めたのだ!!)


かつての決意を思い起こし、義輝の拳に思わず力が入る。内側は、かなり汗ばんでいた。


武家ならば身内が人質に獲られたとしても優先すべきことがあるのは判る。その頂点に立つ将軍ならば、尚更だろう。しかし、一門の犠牲は弱さの象徴だった。そもそも足利幕府は、将軍家の存続のために一門を切り捨ててきた。今の将軍家は数多の犠牲の上に成り立っており、故にこそ天下は安定せずに乱世を招く原因ともなった。義輝が天下泰平を求めたのは、そういった歴史を繰り返さないためでもある。ならばこそ、自らの決断で妻子を見捨てることは出来ない。


「上様。いつものものが届いております」


そこへ柳生宗厳が一通の書状を届けてきた。京に潜ませている間者からの報せだった。


間者は柳生の配下だった。忍びの里とも云われる伊賀に近い土地を所領としている柳生には、陰働きを得手とする者も多く、義輝は失った京の情報を柳生に頼っていた。忠実なる柳生の忍びは、月に二度ほど定期的に報せを送ってくる。敵方に悟られぬようにするために情報の伝達には多少の時間差があるものの、京からの報せは幕府方にとって貴重である。


そして今回の報せは、義輝の方針に多大なる影響を与えた。


「和州が……義昭に仕えただと!?」


報せには、主に側近・三淵藤英の去就について書かれていた。


行方知れずであった藤英の名が急に挙がったかと思えば、敵方に仕えたという報せに義輝は目眩を覚えた。正しくは幕府存続のために藤英は義昭に協力しているに過ぎないのだが、傍から見ればその辺りの事情まで伝わるはずがない。誰の目にも藤英が心変わりして義昭に仕えたとしか見えないのは、仕方がないことだった。


「大和守殿が変心など有り得ませぬ」


義輝と同じく藤英の人となりを知る宗厳も信じられないといった様子で言った。悩んだ挙句、義輝は細川藤孝を呼ぶように命じる。


「宰相殿を?」

「余も兵庫介と同じく和州が余を離れたとは思えぬ。されど事情が判らぬ今、確信までは持てぬ」

「なるほど、それで宰相殿ですか」


宗厳は合点がいったと頷いた。要は藤英の真意を藤孝に問い質そうというのだ。藤孝は藤英の実弟であり幕臣なので、公私を通じて尤も藤英を知る人物である。藤英の考え次第では義輝はある決断を下そうと考えているが、もし間違いであれば取り返しのつかないことに成りかねない。ならばこそ少しでも懸念を回避すべく、藤孝の言に従いたいと思っていた。


「御呼びにより、参上いたしました」


四半時(三十分)ほどして、藤孝が現れる。義輝は藤孝に事情を説明し、その考えを問うた。


「……兄は上様を裏切っていないように思います」

「何故にそう思う」

「兄の復帰後、すぐに朝倉殿……いや、義景が山城守護職を解かれ、山城一国は幕府御料地となりました。これは旧態以前の政を是とする義昭様らしくありませぬ。恐らく兄が主導してやったことと考えられます」

「ふむ。そう考えるのが道理か……」

「つまりは幕府が山城一国を取り戻したということ。これが何を意味するのか、上様は既に御承知のはずです」


幕府が山城を取り戻す。それを義輝が知らないはずがない。永禄二年(1559)、三好長慶との和睦条件がまさに山城の回復がだった。当時、劣勢だった義輝にとっては破格の条件であったが、長慶からすれば将軍を追って京を支配しているのは外聞が悪いという事情があった。そこで長慶は京を将軍に委ねて幕府を支配するという手を思いついた。こうなれば将軍方だった六角承禎から大義は自分へと移る。これを誰かを頼るしかなかった義輝は好餌と知りながらも飛びついた。この和睦は承禎が仲介していたので、戦意の失った味方とは戦えぬと思ったことも決断の一つであったが、何よりも一国を取り戻せばやれることが増えるというのが主な理由となった。要は他人より自分を信じたのだ。そうすれば、少なくとも後悔だけはなくなると思った。


「そうか。余は、かつて三好修理より山城一国を取り戻した。今の余があるのは、あれが始まりだと申しても過言ではない。和州が余と同じ事をしたのは、余の政を継承する。つまりは余を裏切っていないという意思表示に他ならんというわけだな」

「御意にございます。兄の身では直接、上様に何かを伝えることは難しいかと存じます。それ故、斯様に回りくどい真似をしたのでありましょう」

「うむ。礼を申すぞ、宰相。宰相がおらねば、和州の腹の内を見落とすところであったわ」


と義輝はカラカラと笑い、藤孝へ礼を述べた。藤孝は恐縮そうに頭を垂れるものの表情には険しさが残っていた。その理由を義輝が問うと、藤孝は戸惑いながらも口を開いた。


「兄が召し出された理由が判りかねます。状況から判断するに、かなりの権限を兄が持っていることと推察いたしますが、それほどの力を謀叛方が上様の側近であった兄に与えるとは思えませぬ」


もっともな疑問を藤孝は述べた。それに対し、今度は義輝が答える番だった。


「孤独なのよ」

「は?」

「周りに頼れる者もおらず、諸大名は己を傀儡として奉り上げるのみ。幕府再興を夢見る義昭が堪えられぬのも無理もない」


義輝は、かつての自分を弟に重ね合わせていた。


義輝は自我が完全に芽生える前から将軍職に就いている。苦悩に苛まれながらも職務を果たしてきた父・義晴の姿を身近で見てきた。だからこそ如何なる苦労にも堪えてきた。堪えられたのだ。しかし、義昭は違う。義輝が再興させた力強い幕府しか知らず、誰もが自分の命令に従うのが当たり前だと思っている。義輝がいたからこそ、その現実があるとは思わず、だからこそ義昭が壁にぶち当たるのは早かった。忍耐を知らないからだ。


甘えてきた義昭の無知は、義輝が一番承知している。これは自分にも責任があるところだが、優秀な吏僚はまず義輝に起用されているので、義昭の傍にいる者たちは優秀とは言い難い。それ故に西征の留守居を義昭に任せ、藤英を補佐役に回したのである。仮に謀叛が起こらなければ、義昭は藤英から多くのことを学べたはずだ。


ただ無意味だったわけではない。僅かな間でも藤英と共に上方の統治を代行したことで、義昭の中に藤英へ対する信頼感が芽生えていた。それが窮地に追い込まれた義昭の最後の希望となった。


(もう終わらせねばならぬ)


藤英の復帰は、すなわち義昭が追い込まれている証である。ならば兄として、救ってやらねばならない。


義輝の決意は固まった。


「兵庫介、宰相。余の迷いは晴れたぞ」


義輝は立ち上がり、全身に漲る闘志からは言葉通りに迷いの様子は見られなかった。その眼光鋭い視線は、真っ直ぐと東の方角、京を捉えている。


「晴藤からはよい報せが届いておる。恐らく来月には京へ兵を向けられよう」

「ならば我々も……」

「来月の朔日、全軍を以って上方へ向かう。此度こそ必ずや京を取り戻し、謀叛を平らげる」


遂に出陣の命が義輝より発せられた。誰もが待っていた言葉に二人は感嘆の息を漏らす。ただ心残りは御台所たちのことである。義輝が妻子に対して並々ならぬ想いを抱いていることを二人は知っている。その件に対して、何ら具体的な手立ては講じられていない。


「本当に宜しいのですか」


そう藤孝が訊ねるのも無理なからぬことだった。だが義輝は家臣の問いに対して、涼やかなる表情で答えた。


「よい」

「されど……」

「そなたらが申したいことは判っておる。一つ言い聞かせておくが、余はまだ諦めたわけではないぞ。今も我が室、子らを救い出すつもりでおる」

「何かしらの手立ては御考えなので?」

「今のところ妙案があるわけではない。それを戦いの中で模索することになるだろうが、まったく望みがないわけでもない。されど、それには何よりも勝つことが大事だ。そなたらの働きにも懸かっておるぞ」

「畏まってございます。この宰相、全てを投げ打って次の戦に臨みまする」

「手前も同じにござる。馬廻衆を率い、上様の道を切り開いて御覧に入れまする」


固く宣言する義輝に、宗厳と藤孝は最大限の尽力を誓った。義輝はにこやかに笑うと、再び視線を東へと向けた。


決戦の時は、そこまで迫っていた。


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五月二十四日。

摂津国・有岡城


数万の陣容を誇る幕府軍が動きを隠し通すことは出来ない。すぐさま謀叛方は幕府方の行動を察知したが、大半の諸将は平静を失っていた。前回の戦と違い、幕府軍の規模は十万にも及ぶ。それに比べて味方は大きく数を減らしていた。要たる武田信玄はおらず、朝倉義景や畠山高政など中核を成した大名たちの姿もない。代わりとなって全軍の指揮を執るのは無人斎道有。甲斐の虎・武田信玄の実父であり、その采配は子に勝るとも劣らないが、幕府方の陣容に比べれば明らかに見劣りする。


全ては裏方で動いている松永久秀に懸かっていた。久秀は予てより進めていた秘策を実行するべく、戦場となる場所を自らの足で訪れていた。


乱世の梟雄・松永久秀。天下人の地位からは転げ落ちたものの、卓越した手腕は衰えを感じさせない。義昭を担いで反義輝連合を作り上げるという武田信玄の戦略に便乗した身ながら、知らない内に事実上の総大将として君臨している。やはり義輝の宿敵は、この男となるのだろうか。


「城の普請は順調なようだのう」


伊丹城こと有岡城を訪れた久秀は、間もなく幕府軍が攻め込んで来るというのに何処か悠長だった。


「儂の普請だ。当たり前であろう」


辛辣な声で応じる。久秀の態度に腹を立てるのは、この城の主・荒木村重である。


池田勝正の家臣に過ぎなかった村重は、謀反方に与して主を追い落とし、次いで新当主として迎えた池田知正も久秀の助力を得て、幕府方との内通を仕立て上げて追放した。だからと言って久秀に謙るつもりはない。その事で村重は感謝こそはすれども久秀の風下で満足する男ではない。恩は今回の一件で返せばいいと割り切り“何れは久秀の上に”という野心は胸に秘めている。


既に村重は池田旧臣の取り込みを終えており、幕府軍に備えて城の構えを強固なものにするべく日夜、人夫たちと共に汗を流している。そんな中に久秀が現れたものだから、機嫌を悪くしていた。


「名を有岡と改めたらしいな」

「どうでもよかろう。儂の城なのだから変えただけだ」


有岡城の旧名を伊丹という。幕府方の伊丹親興が居城であるが、親興は先の伊丹・大物合戦で討ち死にしている。主を失った城は摂津守護に任じられた知正へ論功行賞で宛がわれたが、今は村重が引き継いでいる。村重からすれば伊丹の有用性には気付いていたが、どうも名が癇に障る。旧主の池田や伊丹など古くから土着している者らの存在は、煩わしいだけで消え去らなければならない。荒木こそが摂津の主だと知らしめねばならない。故に伊丹城を改名し、池田城を破却して大部分を有岡へ移築した。これで池田や伊丹の名は、年月が過ぎ去る程に忘れられていくことになり、荒木の名だけが摂津に行き渡る。


「これならば西方の大軍に囲まれても充分に持ち堪えられよう。どれ程ならば堪えられる」


城の縄張りに満足したのか、久秀は上機嫌に答えた。久秀とて築城術に秀で、以前に大和で築いた多聞山城が他に与えた影響は大きい。その久秀の目から見ても、村重の築城は優れていた。


「一万五千までならば期待に応えようが、それ以上は約束できぬ」


自分は任された仕事はこなす。そういう表情だった。


凡そ三〇〇〇しかいない荒木勢からすれば、五倍の兵を引き付けられれば上等である。それだけに有岡に懸ける自信が窺い知れた。


「充分じゃ。石山本願寺で三万は釘付けに出来る」

「西方の半数を摂津で引き付け、その上で山崎の地で決戦に及ぶという訳か。理屈は判るが、将軍が抑えの兵を置いて進むとは限らぬぞ。この城を落としてから進むやも知れぬ」


村重の懸念はそこだった。幕府方は数の上で優位に立っているとはいえ、前回の敗北を忘れているわけではない。慎重に慎重を重ね、手前の城から順々に落としていくとも考えられる。


「それはないな」


しかし、村重の懸念を久秀は即答で否定した。


「なぜ言い切れる」

「儂が山崎におるからだ。儂がおると知れば、義輝は確実に進んでくる」

「……拘りか」

「頑固なのよ。こちらとしては甚だしく迷惑なのだがな」


そう言って久秀は苦笑した。


短気で融通が利かず、それでいて自信家。なまじ剣術に才がある分、余計に性質が悪い。それが久秀の義輝評であった。それは策略、謀略の限りを尽くして生きてきた久秀とは相反するものだ。義輝の拘りは、恐らく久秀でなくては理解し得ないものだった。それを知る久秀は、義輝の性格を考慮して策を講じており、表面上は劣勢でも久秀の中では万全の態勢が整っていた。


「将軍が山崎へ進む理由は判った。されど本当に大丈夫なのか」


村重が疑問を呈したのは山崎に於ける合戦の事ではない。勝敗は兵家の常だと武門の村重は当然なように理解してるし、勝つために久秀が手を打っていることも知っている。ただ山崎で勝利を得たところで、その先が不透明だった。果たして久秀は、どうやって最終的に政権を安定させるつもりなのか。それが判らなかった。謀叛方と敵対した大名衆が揃って膝を屈するとは思えない。織田や毛利は単独でも抵抗できる力があるし、謀叛方とて疲弊の上での勝利に過ぎない。とても遠征軍を発せられる力は残っていないだろう。


「貴殿は織田信長を知っておるか」


唐突に久秀の口から出てきたのは、幕府方最大の大名・織田信長の名だった。当然、村重も名は知っているが会った事はない。しかし、信長は尾張守護代の家老の出自だと聞いている。そこから一代で上り詰めた手腕は、まさに下克上の象徴で、村重が求める姿そのものだった。


「その信長が今、何をしておるか知っておるか」

「知らん。確か領地へ戻ったのだろう。美濃で信玄と睨み合っているのではないのか」

「信玄ならとっくの昔に敗れたわい」

「なにッ!?」


衝撃の事実に思わず村重は大きな声を出してしまった。同時に、それを早く報告しなかった久秀に対する怒りも込み上げてくる。反面、久秀は飄々と自らの言葉を継いでいく。


「信玄を敗った信長は近江に入り、浅井の所領に兵を入れた。目聡い男よ。如何に下野守が我らに与したとはいえ、義弟の領地を好き勝手に切り取っておる。しかも越前にまで手を出したとあれば、謙信に敗れた義景では対抗できまい。越前が織田のものになるのは時間の問題であろうよ」

「何を悠長に申しておるか!大事ではないか!」


村重の感情は爆発する。思わず久秀へ殺意を向けた程だった。


織田の件は重大である。久秀の言う通りなら東部に於ける防衛線は完全に崩壊したことになる。近江に京極高吉や六角承禎が残っているとはいえ、彼らが織田の進軍を押し止められるとは思えない。織田が京に雪崩れ込めば、山崎での決戦も不可能になってくる。軍略の練り直しだ。


「そう狼狽えるな。織田は来ぬよ」

「また言い切るか。……待て。まさか貴様、信長に内通しているのか」


久秀の妙に落ち着いた様子から、村重は内通を疑った。この男なら平気で敵方に通じていても不思議ではないと思う。それを久秀は首を左右に振って否定してみせ、信長の行動について語り始めた。


「何故に信長は浅井領に兵を入れておる。何故に越前へ向かった?そのような事をせずとも京への道は開いておる。何故だ。西方が勝つには、早々に京へ進軍した方がよいことくらい信長には判っておろう」

「それは……、己が所領を増やすためだろう」


村重は、その身を信長に置き変えて考えた。そこから導き出される答えは所領の拡大しかない。村重であっても同じ事をする。戦国の世に生まれ出でた者として、その点に疑問を抱くことはなかった。ただ信長はそこいらの大名とは違う。浅井、朝倉領への侵攻を単純な所領拡大ではないと久秀は睨んでいた。


「違うな。己の影響力を強めるためよ」

「影響力?」

「もし義輝が我らに勝ったとしても織田にだけは手を出せぬ。また我らが勝ったとしても信長の存在は無視できぬ」


義輝が勝てば、信長は広大な所領から得られる武力を背景に幕政へ口を出せる。また謀叛方が勝っても政権を安定させるには、信玄が嫡子に背かれた今、信長の協力は不可欠だ。予定通りに義輝を退けられたとしても謀叛方の損傷は計り知れず、織田が本格的に侵攻してくれば勝てる見込みは薄い。つまり謀叛方としては信長と和睦するしか道はなく、それを信長は理解している。


織田の立場からすれば、幕府方と謀叛方のどちらが勝利しても政権に残れる。そういう意味では、織田は既に勝者だった。


「和睦に応じるか」

「応じなければ、降ればよい」

「降る!?」

「あの男、儂の見たところ謙信のように心から義輝に忠誠を誓っているわけではないと見た。義昭の身柄をくれてやれば、否とは申すまい」

「しかし、将軍がいよう」

「殺せばいい。むしろ次の戦は、勝つことが目的ではない。義輝さえ死ねば、あとはどうにでもなる」


幕府方が結束を保っているのは、義輝がいるからである。その義輝がいなくなれば途端に瓦解すると久秀は見越している。足利公方として幕府方には晴藤と義助、小早川家に養子に入った藤景(藤政)がいるが、義輝が大名衆を纏められているのは公方だからではない。その才覚あってのことで、余人では義昭のように担がれるだけで終わる。当然、そうなれば毛利元就には一門となった藤景が都合がよく、四国勢からすれば義助に新将軍に就いてくれた方がいいと思うだろう。だが義輝に忠実な幕臣たちは晴藤を推す。そして幕府方は三つに分かれることになり、内輪揉めへと陥る。足利将軍家の争いを細川京兆家時代より経験してきた久秀には、その光景が手に取るように判った。


(この俺が脅えているだと……)


久秀の狂気に満ちた瞳は、村重の背中に冷たいものを走らせた。


流されるまま久秀の軍略に従っているのは、村重にも利があったからだが、こうまで企みの規模が違うとは思わなかった。久秀は義輝を殺すためだけに謀叛方を利用している。武田信玄すら辿り着けなかった本質を久秀だけが見抜いていた。一時の勝利には何の意味がないことは先の戦が証明しており、本当の意味で幕府方に勝つには、義輝を殺すしかない。そのために久秀は、合戦に於ける勝利すら利用しようとしている。


「全ては、そのための謀よ」


と意地悪く笑う久秀を見て、村重は格の違いを思い知らされる。


久秀は今まで伏せていた企みの一部を暴露することにより、敵わないことを自ずと悟らせ、村重を屈服させた。そこには久秀の恐ろしさが詰まっていた。


気が付いた時は既に久秀の姿はなく、村重の身体は汗でびっしょりと濡れていた。


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五月二十六日。

山城国・二条城


幕府方が動くという報せは、久秀から義昭の許へ伝えられた。兄との決着に拘る義昭は当然の如く出陣を決める。麾下の軍勢は藤英の助けもあって増えており、若州武田勢も武藤喜兵衛の説得でこちら側へ引き込んだ。若州勢を率いる信景は藤英の身柄を拘束した本人であり、両者の間には強い蟠りが存在していたが、それを喜兵衛が“味方同士で争っている場合ではない”と懸命に説き、義昭の名の下であればと信景の了解を得た。藤英も否とは言わなかった。


これで義昭の手勢は四〇〇〇程となり、本陣として最低限は機能するようになった。しかし、久秀は義昭のみ山崎への出馬を求め、麾下の軍勢は全て丹波口へ移動するように伝えてきたから義昭は怒った。


「余に命令するとは何事じゃ!そもそも余への報告も遅すぎる。余が采配を預けたのは、甲斐宰相であって久秀如きではないわ!身の程を知れい!!」


義昭は久秀の帰参を未だ認めていない。久秀が大和守護職に就いたのは畠山高政の圧力があったからで、その高政が死んだ以上は遠慮はいらなくなった。義昭は事あるごとに久秀に出頭を申し付けているが、当人は一向に従う気配なく好き勝手に謀反方に指示を出している。しかも味方の大半が、そんな久秀に従っていることが気に入らない。故にこそ義昭は、いま一度、兄との合戦に勝利して征夷大将軍に就く必要があった。将軍の座を手に入れれば、全て解決すると思っていたのだ。


(久秀めの狙いが判らぬではないが……)


憤る義昭を余所に、喜兵衛はジッと久秀の策について考えていた。


決戦は山崎。寡兵の謀叛方からすれば、隘路となる山崎で待ち構えて確固撃破していくという戦術は正しい。むしろそれ以外の戦術で、勝利を得るのは厳しいように思う。そして山崎の合戦を実現させるには、後方の安定が絶対条件、丹波口は是が非でも守りきらなければならない。ならば京にある軍勢が担当するのは順当なところだ。


(だが実際のところ三淵殿を疑っているのだろう)


喜兵衛は久秀の心中を忖度した。


若州勢はともかくとして、義昭が集めた軍勢は藤英の麾下にある。これが山崎へ向かえば、背後で寝返りが起こるかも知れず、久秀の策は内側から崩れることになる。それを懸念し、久秀は義昭のみの動座を願ったと喜兵衛は察した。


久秀は義昭の動向の他、いくつかの事を指定してきた。


一つは藤英が京に留まって二条の留守を守ること。政務に通じている藤英のことを思えば、この人事は正しく思える。しかし、当然なように手勢は与えられずに松永の者が数十名ほど宛がわれるだけとなると、治安は確実に悪化し、混乱に乗じて都は暴徒どもの巣窟となる。都の近くで戦となるのだ。止めようがない。せっかく集めた軍勢であるが、久秀によって切り離され、藤英は手足を()がれることになった。


「某は構いませぬ」


意外にも藤英は、久秀の命令をすんなりと受け容れた。


(これは好機だ。見張りが付くとはいえ、広大な京の治安を治めるには圧倒的に数が足らぬ。戦が始まれば、御台様らを救い出す機会も訪れよう。それにはまず、関白殿下の協力を仰がねばなるまい)


義輝派である近衛前久は義昭の荘園返還を拒否したが、義輝によって公家一の所領を与えられている。しかも義輝派である近衛家と一条家の家礼を合わせれば七十を越え、糾合すれば相当な人数を集まると思われた。御台所は近衛家の出身なので、前久は率先して協力を申し出るだろう。


「京の治安を預かるとなれば、まずは山崎で戦が起こることを公家衆にも御報せ致さねばなりませぬ。その旨、二条様にお取り計らいをお願いしたいのですが」

「和州の申しようは尤もじゃ。なれど余は戦支度で忙しい。一切を和州に任せよう」

「ならばいま一つ。どのような状況になろうとも帝には心安らかに御過ごし頂かねばなりませぬ。それには関白殿下の御協力は不可欠です」

「関白殿下にか……」


前久の名が出た途端に義昭の表情は曇った。前久は義昭への協力を全て拒んでおり、義輝派として朝廷で活動している。そのため、義昭の印象はよくなかった。


「御心中は御察し致します。されど此度の件は帝の御身に関わりのあること故、関白殿下も否とは申しますまい」

「相判った。その件も和州に任せる故、よきに計らえ」


渋々義昭は藤英の申し出を受けた。義昭のお墨付きを貰ったことで、藤英は前久と繋ぎを取る名分を手に入れることに成功する。横で聞いていた喜兵衛も朝廷の事は疎いらしく藤英の企みに気付くことはなかった。


次に久秀は足利義氏を丹波口守備の総大将に任じ、副将は武田信景とし、喜兵衛が軍監として入ることを求めてきた。


「喜兵衛殿に丹波口へ向かえとは、どういうことにござろうか」


義昭の了承を得た以上、急いで話題を変えたい藤英が訊ねた。


(厄介払いか)


丹波口出陣に喜兵衛は率直にそう感じた。


久秀にとっては喜兵衛も邪魔なのだ。信玄の眼である喜兵衛が自分を見張っていることを久秀は気付いている。気付いていながら放置していたところもあるが、ここに来て排除に動いた。自らの手勢を持たない喜兵衛にとって、武田と同族である若州勢に協力することは理屈の上では不思議なことではない。しかし、丹波口に行けば久秀の行動は判らなくなる。


また義氏を起用するという手も久秀らしい嫌らしい策だった。


丹波口の敵大将は足利晴藤で、義昭の弟である。直接の血の繋がりはないが、同じ足利公方である義氏へ対する情が晴藤にないわけではない。かつて久秀は阿波・勝瑞城で一年近く見てきた晴藤の人となりから身内の情に弱いと睨み、義氏を前面に立たせることで攻撃を鈍らせようと画策した。


「武藤、率直に聞くぞ。丹波口、如何ほどの兵がおれば守りきれる」


唐突な義昭の問いに、喜兵衛は目を丸くして驚いた。まさか義昭から合戦での質問が出てくるとは思わなかったからだ。その理由を、義昭は想いを乗せて述べる。


「余は何としても兄上と戦いたい。もう一度、勝利を手にし、今度こそ征夷大将軍の座に余が相応しいことを天下に示す。されど山崎に兵を伴わねば、それも叶わぬ」


義昭の決意を聞き、喜兵衛は暫し思慮に耽てから返答する。


「手前が自由に出来る兵が五百もあれば、十日間は支えて見せましょう」


断固として喜兵衛は答える。その力強い答えに義昭は満足そうに頷いた。


丹波口で勝ちを得るのは難しいが、敵を数日間だけ押さえるなら話は別だ。久秀の行動は理解し難いが、幕府方に勝利するという点に於いては信頼に足ると喜兵衛は考えていた。まさか久秀が義輝を殺せるなら、敗北すら受け容れるつもりでいることに流石の喜兵衛も気付けなかった。


「ならば和州のところから兵を割いて与えよう」


こうして義昭は一五〇〇を率いて山崎へ進むこととなり、丹波口には若州勢二〇〇〇と足利義氏を大将とする喜兵衛の五〇〇が向かうことになった。久秀が何と言おうとも、この決断だけは口を出させない。


固い決意を胸に義昭は戦場へ赴く。


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六月朔日。

摂津国・花隈城


ついに将軍・足利義輝は幕府方大名を糾合し、謀叛方と最終決戦に及ぶ決断を下した。前回の幕府方は主に上方の大名が中心だったが、今回は大きく陣容が変わっている。織田信長の不在はあるが、織田軍は健在だ。細川藤孝や朽木元綱、御牧景重、長宗我部元親ら四国勢が参陣。他にも毛利家から小早川隆景が水軍を率いて駆けつけてきている。まさに西国の総力を結集した形となった。


一ノ谷は参集する兵で充満し、窮屈な思いを強いられていた。一時はなかなか下されない出陣命令に苛立ちを覚える兵が溢れ、侍大将たちは統率に難儀したものだが、いざ出陣となると兵の指揮は否応にも高まった。これならば必ずや勝利を手にすることが出来ると誰もが感じていた。


「敵は鷹尾城から後退した模様。手勢の一部が伊丹と石山本願寺に入っております」


義輝が一ノ谷から軍勢を動かしたとき、鷹尾城の無人斎道有は城を捨てて後退した。追撃すべしとの声も上がったが、これを義輝は斥けた。幕府方が一ノ谷に布陣した理由が、その答えであった。


幕府方は狭い一ノ谷に布陣しているので当然なように出陣時の隊列は長蛇となる。道有は撤退に際して雑賀・根来衆に殿軍を命じ、出てくる部隊から頭打ちにする狙いだ。道有の采配で幕府方は追撃を断念するしかなくなった。


「せっかくの兵力を悪戯に消費すべきではない。ここで追撃をせずとも我らの優位は崩れぬ。焦る必要はない」


まるで自分に言い聞かせるが如く、義輝は末端の兵に至るまで追撃の禁止を通達する。決して不可能だからという理由を口には出さなかった。結局、幕府方は謀叛方の後退を見送ることになり、謀叛方は無傷で兵を退くことになった。


一先ず義輝は鷹尾城へ一隊を派遣して接収させ、街道を進んで、かつて伊丹・大物合戦で本陣を置いた瓦林城へ入った。


(ようやく戻ってきた)


心の中で、義輝はひっそりと呟いた。


衝突はなかったが、以前の勢力範囲を取り戻したことで義輝は再起を果たせた喜びを密かに感じていた。この半年は義輝にとって数年に感じられるほど長く、瓦林城はその原点だった。ここから再起を。義輝の自らの気持ちを次の段階へと移行させる。


「如何なされますか」


瓦林城で幕府方は軍評定を開いた。その席で宗厳が義輝へ訊く。柳生の忍びを通じ、謀叛方の動きは凡そ掴んでいた。


伊丹には池田旧臣の荒木某なる者が入っており、籠もる兵の数も大したことはないようだ。但し、石山本願寺には一向門徒がそのまま移動したようで、元々いる者も合わせれば一万六、七〇〇〇程の数だと思われた。他は全て、山崎に布陣しているらしい。


「久秀も山崎か」

「山崎の地に蔦紋が翻っていることを手の者が確認しております」


蔦紋は松永家の家紋である。幾度となく通った地の情景を義輝は思い浮かべる。


天王山の脇に桂川が流れ、その狭い間を西国街道が通り、勝龍寺の城が隘路を塞ぐ様にして築かれている。となれば、まず間違いなく謀叛方の本陣は勝龍寺城になる。あの辺りは雨が降ると沼地になるところが多く、軍勢の足が止まったところに矢弾を浴びせるつもりなのだろう。どうやら楽に勝たしては貰えないようだ。


そうは判っていても摂津からは京へ向かうには、ここを通るしか道はなく、回避は不可能だった。


「上様。伊丹城は是非とも某めを先鋒に!」


願い出たのは、池田勝正である。前回の合戦で村重と戦い、敗北を喫している。しかも居城を破却され、帰る場所すらも失った勝正の気は、ここで晴らさねば収まらなかった。


「和田侍従の命に従うなら、任せてもよい」

「……侍従様の」

「嫌なら外れよ。他の者に任すだけだ」


負い目から勝正は目を伏せた。過去の敗北は勝正の命令違反が原因である。それを義輝は二度も見過ごしはしない。元々予め陣立ては考えてあり、摂津は和田惟政に任せるつもりでいる。それに勝正も含まれているが、そのまま任せるほど義輝は寛容ではない。釘を刺すことを忘れなかった。


「…畏まりました」

「ならば和田侍従、聞いた通りだ。民部大輔の他、備中と備前の者どもを寄騎と致し、伊丹城を攻めよ」

「承知いたしました」


惟政は深々と頭を下げる。前もって報せていただけに動揺はないが、僅かに悔しさが窺えた。摂津衆は先の合戦で大きな痛手を被っており、決戦には不向きと義輝は断じていた。摂津のことは代官たる惟政の役割だが、武門としての矜持は惟政にもあり、勝正と同じく戦場で借りを返したいと考えていた。勝正と違って荒木に対する遺恨はない。伊丹城に残されたのでは、その機会も失われる。しかし、幕臣という立場から惟政は義輝の命令を拒めなかった。


「上様。和田殿に伊丹を任されるということは、抑えの兵を置いて山崎へ進まれるので?」


そう訊いたのは、一色藤長だ。義輝が山崎に進むのは反対のようだった。


「無論だ。石山本願寺にも一手を差し向ける」

「ですが危険にございます。我らが山崎へ進まぬとも、丹波におわします左中将様が洛中へと攻め入れば、敵は退くしかありませぬ。戦わずして勝利を得られまする」

「考えが甘い。余が山崎まで進まねば、久秀はいつでも丹波口に大軍を振り向けられるのだぞ。晴藤が丹波口を突破するには、余が山崎で久秀を引き付けておればこそだ」


そう言う義輝であるが、到着と同時に合戦を始めるつもりでいた。何よりも義輝は自分の手で決着をつけることを望んでいた。これは単に義輝の拘りというだけで簡単には切り捨てられない。きちんとした考えがあってのことだ。


「余が山崎へ進むことで、余が謀叛方など恐れておらぬことを敵味方に印象づける事となろう。敵は恐れ戦き、味方は奮い立って余に勝利を献上するはずだ」

「まさしく、その通りで」


これに隣で聞いていた浅井長政が同意を示す。これに吉川元資や長宗我部元親なども続いた。彼らも戦場では兵と共に身を投じ、戦ってきた者たちだ。大将たる者が前線に出らずして、兵の士気は高まらないと考えている。一方で藤長にすれば、将軍である義輝を同列に捉えては欲しくないという思いがある。蒲生賦秀や朽木元綱などが藤長に同調して諫言したが、義輝は聞き入れられなかった。最後まで義輝が意思を変えなかったことで、山崎出陣を押し切った。


「石山本願寺の抑えには、織田勢に命じる。柴田、よいな」


義輝が織田軍二万五〇〇〇を率いる柴田勝家に命じる。石山本願寺は寺院とはいえ、堅固な城郭を備えており、伊丹と違って攻略は求めてない。山崎で合戦が行われている間だけ背後を衝かれなければいい。本願寺のことは京を回復して後に取り組むつもりであった。ただ本願寺にはかなりの人数が入り込んでいることからして抑えにも纏まった兵力が必要となる。それは幕府方に於いて織田勢以外にはない。


「御屋形様より上様の命に従うよう言いつけられております」


勝家はそう答えたのみだった。何やら自分の主は一人だけだと言わんばかりである。不遜な態度ではあるが、気にする必要もないとして義輝は織田勢から鉄砲隊の一部を割くように追加で命じた。


「恐らく山崎には雑賀・根来など砲術を得手とする者たちが控えておる。それに対抗するには、織田の鉄砲が不可欠じゃ」

「ならば滝川儀太夫なる者を御遣わし致します。何なりとお使いあれ」

「左様か。では代わりに播磨守を遣わす。播磨守、そなたは余の目と耳となり、石山の動きを逐一報告せよ」

「畏まって候」


蜷川親長が頭を下げながら言った。それに義輝は小さく頷いた。視線を小早川隆景のところへ移し、続いて命令を下す。


「水軍衆は石山の包囲を支援せよ。小早川、毛利水軍の力を見せて貰うぞ」

「はい。我が水軍の底力、勝利を以って上様に御示し致しましょう」

「よう申した。流石は陸奥守の子ぞ」


頼もしい返答に義輝は微笑み、隆景も歴戦の将らしく堂々とした構えで応じた。


こうして幕府方は伊丹城へ和田惟政ら一万二〇〇〇を送り込み、石山本願寺へ蜷川勢と織田勢の二万六〇〇〇を派遣、安宅信康、小早川隆景ら水軍衆は海から石山を圧迫することになった。義輝は残る全軍を率いて、決戦の地・山崎へ向かう。


義輝と久秀。因縁の対決の火蓋が山崎で切って落とされるのは間もなくのことだった。




【続く】

さて決戦の地は山崎となりました。本能寺の変後、天下分け目の合戦の舞台で知られる土地ですが、状況からして戦場に選ばれるのは不思議ではないかと思います。寡兵で大兵を討ち破るには、この地しかありません。そこで久秀は策を弄している様子。これが一体なんであるかは合戦の中で明らかになる予定です。また本文中にある家礼とは武家の世界に於ける家臣と同じで、家礼=家臣と考えて頂いて結構です。公家の世界にも武家と同じく主従関係があるということです。(例:将軍家と繋がりが深い日野家は近衛家の家礼です)


また信長の動きについて久秀が解説してくれていますが、あくまでも久秀の考えということをお忘れなきように願います。もっとも一部は本質を衝いているところもあり否定はしませんが、一応信長は幕府方を貫くつもりです。ですが、信長自体の登場は今章ではもうほぼありません。次は合戦がいよいよ始める話となります。ちなみに有岡城と石山本願寺での戦いはサラッと流す程度で本格的に描かない予定です。それまで書いてしまうと恐らく二幕ほど多くなってしまうからです。


尚、今章は四十九もしくは五十幕で終わる予定です。今回で百回を迎えることから考えれば、今章だけで半分近くを使っている計算となります。拙作では一番長い章になりますので、次章からは長くても二十幕ほどになると思います。(気が付いたら一年も同じ章を書いている…)中には整理をしたらというご尤もなアドバイスもあったのですが、前後編という分け方しかできないと思うので、やっていません。申し訳なく思います。


そんな中で第百回の今回は二話分のボリュームとなりました。次回からは通常に戻る予定ですが、この場で改めて御礼を申し上げたく思います。ここまで書いてこられたのは偏に見て下さっている方々の御陰でございます。気が付けば2件のレビューに200件以上の感想、お気に入りは900件を突破しております。総アクセスも1,000,000を軽く越えており、驚くばかりです。引き続き完結まで頑張って書いていくつもりですので、応援を宜しくお願いします。

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