第一幕 天下争乱 -将軍弑逆-
永禄八年(一五六五)五月十九日。
京・二条御所
洛中にて変事が起こった。足利幕府十三代将軍・足利義輝の住まう居館が突如、軍勢に襲われたのである。
御所を囲む軍勢は、旗印から京畿一帯を領する三好家の手によるものだと判別できた。また蔦の家紋を記した旗も翻っている。これは三好家中でもその名を轟かせている松永氏の軍勢を表していた。
御所を襲撃している兵は一〇〇〇足らずだが、三好勢は将軍を逃がさぬよう洛中全体に兵を配備しており、その数千にも上る。対する義輝側は一〇〇から二〇〇余り。それも女子供を合わせた数で、闘える者はずっと少ない。この異変に僅かながら洛中にいた幕臣らが駆けつけてはいたものの焼け石に水であり、御所の囲みを突破して義輝の許へ辿り着ける者などは誰一人もいなかった。まさに多勢に無勢。義輝の死は絶対であった。
「さて、余の信じてきた力がどれ程のものか試してくれようか」
ただ義輝も座して死を待つ気はなかった。
足利義輝、御年三十。幕府の、武家の長として衰退の一途を辿る将軍家に歯止めをかけ、復権を目指す最中で己を高めることを忘れなかった。その甲斐もあり、故事、礼式に精通、武家の長として恥ずかしくないよう剣術を始めとした武術を悉く修めた。南蛮渡来の鉄砲もなかなかの腕前と自負している。
しかし、それまでだった。結局は個人の域を出るものではなく、読み漁った兵法書も用いる機会なく死を迎えようとしている。それほどまでに時代は義輝に残酷だった。
前年に天下人として長く京に君臨した三好長慶が死に、将軍親政を目指して反撃に出ようとした矢先のことだった。いま少し時間があれば、逆転も可能だったかも知れない。
「もはや考えても詮無きこと!最期は思う存分に暴れてくれようぞ!」
この状況に於いても逃げ出さず忠義を尽くしてくれている家臣たちが如何に時間を稼いでいようとも、この場で自害して果てるような真似はしない。せめて一矢を報いる。それが虐げられてきた義輝が見せる最期の意地だった。
「童子切安綱、大般若長光、大典太光世、鬼丸国綱、九字兼定…………」
もはや宝物としか見られなくなった先祖伝来の名刀の数々を義輝は次々と畳へ突き刺し、本来の形で使用しようというのだ。天下に名高き名刀と塚原卜伝と上泉信綱に認められた己の業。それが何処まで三好相手に通じるか、試す最後の機会。
「五月雨は、露か涙か、不如帰、我が名をあげよ、雲の上まで」
征夷大将軍・足利義輝、最後の戦いが始まった。
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ここは洛中に布陣する三好左京大夫義重の陣内。後に義継と改名する若き三好の棟梁は、苛立ちを募らせていた。
「ええい、将軍はまだ討ち獲れんのか!」
先程から何度も同じ言葉を義重は辺りに喚き散らしていた。戦闘が始まってより半刻(一時間)余りが経過しているが、小勢の将軍方を大軍かつ奇襲したのにしては時間がかかっていた。
「少しは落ち着かれよ、左京大夫殿」
「されど日向守。義久めの為体は目に余る。こちらからも援兵を出すべきではないのか?」
義重は戦闘の遅滞を御所襲撃を命じた重臣・松永久秀の嫡子である義久の不手際と断じた。それを日向守と呼ばれた三好一族の筆頭格である三好日向守長逸はゆっくりと首を横に振り、若い義重を諭すように話し始める。
「よいですか。此度のことは理由はどうあれ将軍を殺すのです。天下に悪名を轟かすことになりましょう。なればこそ、その悪名を義重殿が背負うことがあってはなりませぬ」
つまり長逸は自らは兵を繰り出さず、将軍暗殺を松永一手に行わせようというのだ。そうすることによって将軍殺しの汚名は松永が着ることになり、三好家は潔白とまではいかぬとも下手人ではなくなる。それなら後々に新将軍を擁立した後に政敵・久秀を追い落とすことも可能と踏んだのだ。だからこそ共謀した振りをして将軍暗殺に手を貸していたのだった。
長逸は冷静にこの戦いの意味を話していたが、実は内心で少し焦っていた。それは将軍方の予想外の反撃が理由だった。
(このままでは松永勢は全滅するやもしれぬ。そうなれば嫌でも我らの軍勢を繰り出さねばならん)
四方の門から雪崩れ込んだ松永勢だったが、小笠原民部少輔、一色淡路守らといった幕府奉公衆の反撃に為す術もなく討たれていた。何故なら主たる義輝も武術に秀でていたが、その稽古に付き合っていた奉公衆らも揃って武術に秀でた者たちだったからである。一騎当千とまではいかなくとも一人で雑兵の二人や三人を相手にするなど奉公衆らにとっては造作もなく、一人で十人を斬った猛者すらいた。だがその奉公衆も圧倒的な数の暴力を前に力尽き、次第に数を減らしていっている。
「公方様が庭先での抵抗を諦め、御所の奥へ後退しております」
この続報に長逸は胸を撫で下ろした。どうやら計画通りに事は運ぶ、と。だが、そんな思惑は次に飛び込んできた報せですぐに吹き飛んでしまった。
「も、申し上げます!将軍方と思われる一団に御所への侵入を許しました!」
「何じゃと!?」
長逸は耳を疑った。洛中には数千にも及ぶ自軍が展開している。御所を囲んでいるのは松永勢だけとはいえ、囲みを突破できるだけの人数が発見されず近づける訳がない。
「敵の数は分かるか!?」
「そ…それが……僅か十人足らずでして……」
「阿呆が!その程度で狼狽えるな!」
長逸が床几から立ち上がり、使番の肩を思いっきり蹴り飛ばす。その後ろで義重は"義久めがここまで戦下手とは知らなんだ"と呟きながら"日向守も落ち着け"と先ほどとは反対の立場で言葉をかけた。
「ふん!」
憤慨しながら自分の席に戻った長逸は、蹴り倒した使番に"将軍もろとも御所内に進入した一団を討て"と命じた。後にこの判断は間違いだったと長逸は悔いることになる。
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場所は変わって御所内。自らの命が途絶える瞬間まで忠義を貫いた者たちを見送り、一番奥の広間まで退いた義輝は、ここで一人瞑想に耽っていた。
(残るは余ただ一人か。皆、大義であったぞ)
周囲に味方の姿はなく、あるのは無数の人垣。十は軽く超えた屍は義輝が後退してきた際に追ってきた三好の兵だった。全て返り討ちにした義輝の手には、その激闘を示すかのように曲がった刀が赤い鮮血を垂らしていた。
「いたぞ!将軍だ!」
追撃してきた三好兵の一人が大声で叫ぶ。わらわらと集まってくる仲間と共に部屋へ踏み込もうとした矢先、まるで命の危険を本能で察した猛獣の如く足を止めた。
「どうした?来ぬのか」
「ひっ!?」
義輝はギロリと雑兵を睨みつける。そこには先ほどまでの戦意はなかった。ほんの僅か前、将軍を発見した松永兵は"一番手柄"と勇んで斬りかかってきた。それを一瞬の間に斬り伏せ、二人、三人、四人と倒していった。だが誰一人として義輝に手傷を負わせることは出来ない。雑兵共は皆、一斉に恐怖した。
「来ぬならばこちらから参るとしよう」
動と静。先ほどまでその場から一歩も動かなかった義輝が新たな刀を畳から引き抜くと、屍の人垣を飛び越えて一目散に松永兵に接近する。
そして怯える足軽を上段から一閃。バッサリと真っ二つにした。
侍大将が用いる筋兜ならいざ知らず、足軽程度の陣笠では義輝の一刀から頭部を守ることなど出来ない。ましてや義輝の持っているのは数ある刀の中でも名刀と呼ばれる業物である。陣笠は綺麗に二つに割れ、頭部からは鮮血が飛び散った。
返り血を浴びた義輝の姿はまるで仁王の如く、周囲を凍り付かせた。義輝は隣の足軽を横一線に斬りつけて蹴り倒し、刀身を胸部に突き立てた。さらに睨まれた足軽は持っていた手槍を力なく繰り出すが、それは軽々と躱され、脇差しで脇腹を刺された。
「ふ……、たわいもない」
屋内であることから義輝を一度に襲える人数は限られている。多対一になったところで一人で百人と戦うわけではない。かといって槍や刀を屋敷内で振り回すのは向いておらず、六尺五寸の間隔で建てられている柱が邪魔をする。だが義輝だけは己の間合いと刀身の長さを完全に把握しており、自邸ということもあり、まるで障害物などなかったかのように刀を振り回せている。
「弓で射るのじゃ!」
足軽の一人が叫んだ。
「ふん……」
その義輝相手に満足に戦える者など現れず、震えた手で弾く弓など躱すのは造作でもなかった。
突然に虚無感が、義輝を襲う。
存分に暴れて斬り死にしてやろうと意気込んでいたものの、実際に戦ってみれば力の差は歴然としていた。戦っても戦っても一方的に相手を斬るだけ。しかもここから見える敵の半数近くは戦意を失いかけている。
(これを斬ったところで、余の心は晴れまい)
ここらが潮時、やはり自害して果てるか。そう思った瞬間だった。遠くから大きな足音が近づいてくる。明らかに集団だ。敵の増援かとも思ったが、どうやら違うらしい。松永兵の様子がおかしい。
途端、いくつもの呻き声が上がり、足軽たちが倒れる。逃げる者が多数でた。
「ご無事か!公方様!!」
「な……勢州!?」
驚いたことに現れたのは、義輝の師・上泉伊勢守信綱その人であった。
「おやおや、こりゃ随分と暴れたようじゃな」
「卜伝殿もか!」
「息災かな、大樹公」
続いて現れたのは塚原卜伝。これもまた義輝の剣の師である。流石というべきか、この状況に於いても周囲を眺め、軽口を叩く余裕がある。
「どうしてここへ?」
「話は後じゃ。まずは……」
と卜伝が言い終わる前に、背後から松永兵が二人に襲いかかった。
卜伝は背中に眼がついているかの如く自然な流れで斬撃を刀で防ぐが、受けた衝撃で刀が折れてしまった。ここに来るまで何人も斬ったのだろう。無理もない。刀身に限界がきたのだ。しかし、折れた刀で素早く相手の懐に入り、首筋をバッサリと斬った。また信綱は途中で失われたと思われるが、初めから刀を持っておら、掌底で相手に胸元を一撃して怯んだ隙に脇差しを抜き、甲冑に覆われていない脇の下から心の臓へ突き刺した。
さらに二人へ松永兵が襲いかかる。二人の危険を察した義輝が後方へ飛び、畳に突き刺してあった刀を二振り引き抜くと、そのまま二人に投げ渡した。
「師!童子切、大典太にござる!」
「ほう……これが……」
「……天下五剣か!」
刀を空中で受け取った二人はそのままの勢いで松永兵に斬撃を繰り出す。するとまるで豆腐を切ったかのように斬れるではないか。鎧も兜もあったものではない。
「……見事な切れ味よ」
「塚原殿。悠長に感慨に浸っている時間はありませぬぞ」
「お……おお、そうであったな。大樹公、我らが来た意味、判るであろうな」
「御所よりの脱出。つまりは余に生きよ、と申されるか?」
「さてな。されど大樹公が脱出されなければ、儂と勢州はここで死んでしまうな」
そう言いつつも卜伝の目は笑っていた。これを見て義輝は"師には敵わぬな"と呟き、死に場所と決めていた御所を脱出することに決めた。過程はどうあれ、大恩ある師二人を自分の運命に巻き込む訳にはいかなかった。
「北へ落ちる。よいな」
「承知!ならば余が先導いたす」
一斉に義輝ら三人が走り出す。すると先ほどまで凍り付いていた一部の松永兵も動き出した。流石に逃がす訳にはいかないと感じたのだろう。しかし、義輝らに松永兵が追いつくことは出来なかった。松永兵は御所内は不案内であり、何処をどう曲がれば北口に出るか知っている義輝の方がどうしても早い。また何故か義輝が進む先には敵兵の姿はなく、あるのは死骸だけだった。これを不思議に思った義輝だったが、庭先に出たところでその答えに出会すことになった。武士の集団が松永兵と戦っていたのである。しかも武士の集団は皆が皆、目を見張るほど強く相手を圧倒していた。
「豊五郎!退くぞ!」
「叔父上!」
信綱が集団に加勢するが、信綱の加勢を必要としないほど既に一方的な展開だった。彼らが御所内の松永兵を倒したのだと義輝が理解するのに時間はかからなかった。
「彼らは柳生。我らの味方じゃ」
「柳生!?松永家中の者ではないですか!」
義輝は柳生の名を知っていた。何せ目の前にいる信綱本人から"柳生の者を弟子にしている"と以前に指南して貰っていた時期に聞いていたからだ。その柳生、今となっては当主である宗厳を始め主立った者は信綱に弟子入りしており、驚くべき戦闘集団へと変貌していた。それが今、義輝の味方として眼前にいる。
「細かいことは後じゃ。北門の近くに塀の一部がまだ普請中の場所があるじゃろう。そこから逃げるぞ」
義輝の住む二条御所は増築中であり、特に掘や土塁など外周部分を堅固にするために普請の最中だった。それもあらぬ襲撃に備えるためだったが、普請が終わる前に襲われるという結末に至ったのは皮肉としかいいようがない。
義輝一行が北へ走り出す。敵も追っては来るが、幸いにも四方に散らばっており、特に正門周辺に集まっていたことから向かう先に敵は殆どいなかった。僅かにいた兵は全て斬り伏せられており、義輝らは塀の隙間から出り、土塁を飛び超えて路地に逃げる。流石に義輝たちの動きは北門に陣取っている兵たちには見つかっているが、周囲に恐れる程の敵勢はない。
「こちらへ」
柳生の手の者の一人が近くの民家に隠してあった馬を牽いてくる。これで脱出しようというのだろうが、馬は四頭しかいなかった。
「公方様に付き従うは私と塚原殿。それに疋田豊五郎の三名にござる」
「柳生の者は?」
「公方様もご存じのように柳生は松永の配下です。これ以上の手助けは宗厳殿の立場を思えば無理にござる。されど柳生の者が公方様をお助けしたこと、忘れぬようお願い仕ります」
「うむ、覚えておこう」
四人は馬に跨がり、東に向けて走り出した。もちろんこれを松永兵は追いかけることになるのだが、互いの距離は広がるばかりだった。洛中は碁盤の目のように整備されており、基本的に直線で走ることができる。そこで差が出るのは馬の質であった。義輝たちが乗る馬は実のところ柳生の者が御所近くにあった将軍家の厩より拝借したものだったので、全て地方の大名から献上された駿馬である。逆に追う松永兵は騎馬を許されたとはいえ身分の低い者が乗る駄馬であり、完全武装をしているために重い。その差が、距離となって現れていく。
義輝たちは五条大橋を越えて山科へ向かう。不思議とその先には三好勢の姿はなかった。何故なら、松永の使番に扮した柳生の者が"将軍は伏見へ逃亡した"と偽りの報せを送り、義重と長逸は全軍を南へ向けていたからである。
【続く】
初投稿、やま次郎と申します。
元々こういう小説が好きでいろいろと妄想(笑)しているネタがいくつもあり、どこかで書いてみたいと思っておりました。こうやって物語を書くのは初めてなのでアドバイスなど頂ければ幸いです。
また架空戦記なので史実と違う状況(設定)も今回の塚原卜伝、上泉信綱、柳生のように今後も現れます。史実の雰囲気をぶち壊すような真似はしないと思いますが、何せただの歴史好きなだけなので、そこら辺はある程度広いお心で読んで頂ければと思います。
さて、参考までに永禄の変頃の各地の情勢を下記に書いておきます。
永禄八年(1565)
上方では三好長慶(前年に死去)が死んだばかりで権力の空白が起こっている。
中国では毛利元就が尼子の月山富田城を猛攻中。
東海では織田信長が美濃攻めの真っ最中。途中、伊勢にも手を出している。
甲信越では武田が上杉と直接対決から外交戦へと路線変更。上杉は関東重視の方針。
関東では北条家が対上杉、対里見戦で一進一退。
奥羽では伊達と最上が融和。蘆名が武田と組んで上杉にちょっかいを出している。
九州では大友が北九州を席巻中。島津は薩摩、龍造寺は肥前統一前。
また今回の永禄の変で記述していない義輝の妻子がどうなったかですが、これは史実通りとしています。
生母・慶寿院 自害
正室・御台所 捕縛
側室・小侍従 殺害
子息・輝若丸ら三人(二人?)殺害
最後に個人的なことですが、好きな武将として「時代(条件)が違えば、評価の変わっていただろう」という境遇の武将が好きだったりします。
例えば…
足利義輝(室町幕府が江戸幕府のように盤石なら名君?)
毛利隆元(毛利三矢が健在なら対織田戦線が変わった?)
織田信忠(信長が横死せず、普通に天下を引き継いでいたら?)
松平信康(切腹せず、関ヶ原あたりを迎えていたら?)
武田義信(彼が武田を継げば信玄のように四面楚歌に陥ることもなかった?)
長宗我部信親(彼が存命で関ヶ原を迎えていたら?)
三好秀次(彼が生きていれば家康の天下はなかった?)
ま、このように二代目辺り武将が好きなのですが、この辺りは次回作(もうかよっ!?)で書くかも知れませんね。あっ、でもオーソドックスに信長とかも好きですよ。(でも信玄よりは謙信の方が好きです。それは物語の途中からも出てくると思いますが…)
以上、今後とも宜しくです。