デュラハン
今日もまた、愛馬が騒ぐ。
さあ、また出かけなければならない。
ドレスをはためかせ、手綱を取る。愛馬の背に跨がり、見える景色は少し斜めだ。
「良い子だ、良い子だ。コシュタ。さあ、走れ!」
私はコシュタを撫でてやる。
首の無い愛馬。コシュタ・バワーを。棺を乗せた、可愛い首無し馬。
私はデュラハンという妖怪だ。寿命の尽きる者のもとへ行き、『死』を知らせることが私の使命。死神のようなものだ。
最も、死神のように魂を刈り取る様なことはしない。
『死』を知らせ、理解させる。ただそれだけだ。
無理に連れて行くようなことはしない。
びょうびょうと、空気を切る音がする。また、コシュタが呻いているのだ。
切り離された首は、嘶くことも出来ずにただ呻くのみ。 いつもそうだ。こいつは、私に『仕事』が出来たとき悲しげに呻く。
「やさしいな…おまえは」
月もない暗闇、コシュタのひづめの音だけが響く。
仕事をするのは、真夜中と決めてある。人に姿を見られたく無いからだ。
もし見られてしまったときは、私は見た者の目を潰さなければならない。そんなことは勿論、したくは無い。
だから、暗闇の中、仕事に出る。
万が一の事を思い、私は手綱を握る。これを当てれば、見た者の目は潰れる。
使わずにすめば良いのだが…。
私は一軒の家の前に止まり、愛馬から降りた。
頼む。戸は開けてくれるな、と祈りながら。(妖怪が祈るというのも可笑しな話だが)
だが、祈りむなしく戸は開いた。
一人の少年が、そこに立っていた。
首を明後日の方に向け、手綱を振るおうと腕を高く上げる。刹那、
私は気付いた。その少年の目が、ほの白く閉じられていることに…。
この子は、目が見えないのか。私はほっとして手綱をおろした。
「知らない匂いがする。馬の、ひづめの音も聞こえる。…だれか、いるの?」
念の為、コシュタの背に積まれた棺を見た。
小さな、棺。子供のための棺だ。
口を開き、言葉を紡いだ。
「我が名は、デュラハン。お前に知らせる事があって来た」
「ぼく、セディ。…お姉さん、ちっちゃいんだね。ぼくの胸の辺りで声がするよ」
その言葉に、今更のように自分の姿を思い出す。
私も、コシュタ・バワーと同じように首無しの姿だ。最も、全く無いわけではなく、左手に生首を抱えている形をとっている。
「セディ。お前は目が見えないから、特別に話そう。私は自分で自分の生首を持っているんだよ」
セディは首を傾げた。そして、聞いた。
「ぼくを、連れに来たの?昔、おばあ様から聞いたんだ。馬に乗った、首の無いゆうれいの話。人の魂を取っていくって」
「違う!…それは違う。私は、『知らせる』だけだ。魂を刈り取るものは、他にいる」
言いながら、自分自身を嫌悪した。
誰だって、前もって自分が死ぬ事など知りたくは無い。
知らせてくれぬ方が気楽だろう。
ある意味私は、死神以上に忌み嫌われる存在なのだ。
「近い内にぼく、死んじゃうんだね…」
セディの声が沈んだ。
「確かに、伝えたぞ。こわがるな。死神は、優しい。御伽噺のように、おそろしくはない」
私は、踵を返した。その時だ。
「…待って!」
セディがドレスの袖をつかんでいる。
やはり、小さな子供。怖いのだろうか。いや、こわがるなと言う方が無理かもしれない。
今まで私が『死』を告げた者たちは皆、一様に怯え、私に怒りをぶつけ、呪詛の言葉を投げつけた。
周りから勇敢だと言われている騎士もいた。そいつは無様に怯え、娘のように泣きじゃくった。
また、ある者は皆から尊敬されている賢者だった。
そいつは私を罵り、神罰が下ると言った。
大人でさえそうなのに、まだ幼いセディには耐えられぬほどの恐怖なのだろう。私は出来る限り、優しい声音で言った。
「セディ?死ぬということは、お前が思っているより怖くはない」
ドレスを握り締める力は、益々強くなった。
「ううん、ぼくお願いがあるんだ。あのね…お姉さんのお馬に乗せて!」
「コシュタに…?」
変な子供だ。今までそんなことを頼む人間はいなかった。
コシュタも戸惑うように、ひづめを鳴らしている。
「お願いだよ。ぼく一度、馬に乗りたかったんだ。いつも、『危ない』って言われて、外に出して貰えなかったの。お願い、一回だけ、一回だけ乗せて…」
青白い顔から必死さが滲んでいる。私は根負けした。どうせ長くもない命。幸い、今夜は月もない。一回だけなら。
セディ…甘んじて、お前の願いを聞こう。
コシュタは明らかに困惑していた。それはそうだろう。
こいつに、私以外の者が乗る事など普通有り得ないのだから。
「セディ、落ちるな。私が抱いててやる」
左腕を、セディの身体にまわす。細い、からだだった。
「お姉さんの首、ぼくが抱っこしててあげる。ほら、そしたらお姉さんは、まっすぐ前をみられるでしょ?」
私は初めて、まっすぐな景色を見た。セディに抱えられて、まっすぐな景色を見た。
見なれた筈の景色が、初めて見るもののようだ。
「セディ、怖くはないか?」
「ちっとも。風が気持ちいいし、色んな匂いがする。あ、お姉さん、ここは森だね。お父さんがいつも切って来る木の匂いがする。葉っぱの匂いがする。…きっと、きれいなんだろうなぁ…」
「ああ、木というものは皆きれいな姿だ。命に溢れた、きれいなものだ」
「お姉さんもきっと、きれいだね」
その言葉に、私は困惑し、笑う。
「さっきも言っただろう。私は不気味な姿をしている。首の無い化け物だ」
そう、私は不気味だ。己の姿を恥じ、見た者の目を潰してしまう醜い化け物。
「ぼく、そうは思わないよ」
そう、セディは言った。
「お姉さん、きれいな声だもの。きっと、きれいだ」
「セディ」
私は戸惑った。そんなことは考えたことも、ましてや言われたことも無かった。
言葉を振り払うように、手綱をさばく。
「走れ、コシュタ!コシュタ・バワー!」
明日、死神に頼もう。この子が楽しい夢を見ているうちに来てくれと。セディの魂は、安らかに眠っているうちに刈ってくれと。
痩せたセディの身体を抱きしめ、心の底からそう思った。