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Short story 4  作者: 怜悧
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わたしはぽつぽつと、3日前に言われたことを話した。

自分のスキルアップなんて考えもしなかったけれど、ちゃんと目標を立てて資格をとったりしたほうがいいのか、情けないことに先のことは何も考えてないことに気づいた、と。

彼はちゃんと、わたしが話し終わるまで静かに聞いてくれた。


「確かに彼女の言うことも一理あったんです。確かに、そろそろ人生設計も考えなきゃいけないんです。でも、このまま一生この会社にいるかどうかもわからないけど、結婚してやめるかどうかも今の段階ではわからないんです。自分がどうしたいのか、何もわからない。それって、やっぱりだめですよね・・・。」

口に出すと余計情けなく思えて、ずんっと気分が重くなった。

うつむいてテーブルを見つめる。

と、ぽん、と頭の上に何かがのった感触がした。

そのまま撫でられて、彼の手だということに気づく。

あったかくて大きくて、嬉しくてどこか安心する。

でも妹にされてるみたいで、すごく、すごく胸が切なくなった。

それでもその手を離さないでほしいと願うわたしがいる。


「伊佐美、ほかと比べる必要はない。」

「・・・」

「人の生き方は人それぞれだ。満足の仕方も人それぞれ。」

「・・・」

「伊佐美はこの5年一生懸命仕事してきたんだろ。それこそ、転職なんて考えつかないほどに。」

「・・・はい。」

「俺も、ほかの誰も、伊佐美が妥協してるなんて思ってない。むしろ向上心があったからこそここまで頑張ってきてるんだと俺は思う。」

「・・・ありがとうございます。」

「まあ俺も偉そうなこと言えないけど、焦る必要はない。もし伊佐美がやりたいことを見つけたら、そのときは資格を取るなりなんなりして別の道を進めばいい。でもそれまではこのまま進んでみてもいいんじゃないか?もしかしたらこの会社でやりたいことを見出す可能性もあるんだ。だから、ゆっくり決めればいい。」


その言葉に、一気に涙腺が決壊してしまった。

ぽつり、ぽつりと涙が流れ、止めようとしても止められなくて、次々にテーブルの上に落ちていく。


「伊佐美、」

涙に気づいたんだろう。心配そうな声がかかる。

「悪い、なんかきつい言い方したか。」

「ちが、」

涙声でうまく言えなくて、懸命に首を左右に振る。

そうじゃなくて、あなたの言葉が嬉しかったから。

ありがとう、心配しないでいいから。言いたいのに、言えない。

頭の上に置かれた手が位置を変えて後頭部に周り、くいっと前にひかれる。

こつん、と頭がなにかに押し付けられた。

「もう少しきちんと泣け。」

その声はわたしの頭が押し付けられた場所から響いてきた。

そしてああ、彼の胸だ、と理解したら余計に何か安心して涙が出てきた。



「すみません、こんなに泣いてしまって。」

5分くらいだったと思う。

とりあえずは泣き止んだ様子を察して彼はそっと香菜を離して顔を覗いた。

「たまには泣いたほうがいい。」

そう言った彼の顔は優しくて、また涙が出そうになる。

「あんまり優しくされるとまた涙が出ます。」

「それなら涙が枯れるまで優しくするから我慢するな。」

そんな台詞が彼から出てくるとは思わなくて、びっくりして涙が引っ込んだ。

どうやら言った本人も恥ずかしかったのか、目をそらしたのを見てちょっとおかしくなった。

こうやって器用なところと案外不器用なところが同居している彼のことがいつの間にか好きになっている。

その彼のそばにいるのが自分ではないだろうことは残念だけど、今日のことはずっと忘れないだろうと思う。

「深沢さん、ありがとうございます。」

おそらくは涙でぐしゃぐしゃな顔で、一応笑顔を作りながら言ったつもりだけど。

一瞬、彼が切ない表情をした。

それから一息吸って、ぴたりと真剣なまなざしでこちらを見つめた。

見つめられて、どきり、と心臓が跳ねた。


「伊佐美。」

「・・・はい。」

「もう少し、気を抜いてくれないだろうか。」

「気を抜く、ですか。」

「俺の前ではもう少し気を抜いてほしい。」

「・・・深沢さん?」


がしがし、と頭をこすって、深沢が唸る。


「そうじゃない、俺の前だけではもっと気を抜いて欲しい。」


「えっ?」


「俺は、伊佐美と一緒にいると気を抜ける。自分らしくいられる。だからそれと同じように、お前にとっても俺がそういう存在であってほしい。」


「・・・」


「好きなんだ。」


深沢の言葉を聞いた瞬間、今まで悩んでいたことや泣いていたことが全て、頭からふっとんだ。

突然のことに驚いた、というのが本音で、驚きすぎて思考が停止したのだ。


「・・・伊佐美?」

反応がないのを心配したのか声がかかって、我に返る。

まだ混乱したままの頭で、かろうじて香菜は言葉を紡いだ。


「え、っと・・・今だってこうして深沢さんに甘えてます。気を抜いたらますます深沢さんに甘えてしまいそうで…。」


言い終わった瞬間、何を言ってるんだろう、と思いあたふたする。

もちろん、そこに自分の想いがこぼれてしまっているなんて気づきもせずに。


「伊佐美なら、どれだけ甘えてきても構わない。」


真剣なまなざしがゆるみ、彼の目尻がゆるやかに下がる。

そんなに優しくて熱のある視線を受けて、顔が赤くならないはずがない。

テーブルの下で両手をぎゅっと握り合わせ、視線を落とした。


「答えを急ぐつもりはない。けれど、今のところ、少なくとも俺を嫌いではないか?」


うかがうように、心配そうに彼の声が響く。

嫌いではないか、なんてまるで自嘲するような台詞を言わせてしまうなんて。

わたしの答えは最初から決まっているのに。

こうして一緒に時を過ごしたいのも、甘えたい人も、ただひとりだけ。

それは、今、伝えないといけない。


うるさく鳴る心臓に落ち着けと命令するように、何度も何度も息を深く吸う。

よりいっそう強く手を握り締めて目を閉じ、心を決めて目をあけて顔を上げると、どこか緊張した面持ちの深沢がこちらを見ていた。


「嫌いではないです。」


なんとか絞り出した声は小さかったけれど、彼には届いたようで、目に見えて彼の顔に安堵が広がった。


「それに、わたしが甘えたいのは、ひとりしかいません。」


そう言うと、安堵した深沢の顔がまた引き締まる。


「深沢さん。」

「なんだ。」


しっかり、彼の目を見る。


「あなた意外に、甘えたいと思う人なんていません。」


そう言うと。

深沢の表情がまるで信じられないとでもいうように茫然としたものになった。

「ほんとか・・・?」


気持ちを伝えることに全精力を使い果たした香菜は、こくん、とうなずくのでもう精一杯で。


でもうなずいた瞬間、ふたたび香菜は彼の胸の中にいた。

胸の中から見上げた深沢の顔はきらきらした笑顔で、それを目にした香菜は、ああ、彼のこの笑顔に落ちたんだな、と思った。





今回は、あんまり腹黒な男性ではありません(笑)。

最初に書いた時の「話の終わり方」がしっくりこなくて、書きなおすのにずいぶん時間がかかってしまいました。

読んでいただいてありがとうございました。

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