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Short story 4  作者: 怜悧
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飲み会に参加するのをやめたとき、ふと、ひとりの顔が頭をよぎった。

「じゃあ、また来週。」

そう言って去っていく同僚に、おつかれ、と返事をして香菜は自分の席に座った。

週末の金曜日、休みを前にして職場の雰囲気もちょっと変わる。

早めに仕事を切り上げて定時で退社し、いつもよりちょっと気合を入れたかわいい服装をして、街に出かける。

買い物したり、食事をしたり、デートしたり。

もちろん合コンという名の飲み会も含まれる。

今日は同僚から合コンに誘われていたのだが、どうしても気乗りがせず、体調が悪いという理由で断った。

ことさら体調が悪いわけではない。予定があるわけでもない。

本当に、ただの気分の問題だった。

というのは、3日前にある同僚に言われたひと言が原因だった。



『伊佐美は、この先何か考えてるの?』

この先ってどういうこと、と香菜は彼女に聞いた。

『この先の人生のことよ。ここの会社にいたってどうせわたしたち女性は今の雑用が続くだけで管理職まであがりっこない。あんた、何か資格とか持ってるの?』

そう言って、1つ年上の彼女はふーっと煙草の煙を吐いた。

車の免許くらいですけど、と香菜は正直に答えた。

すると彼女は香菜を一瞥して、興味なさそうに視線を煙草に向けた。

それが自分を馬鹿にしたように見えて―実際馬鹿にしているのだと思う―、内心腹が立った。

『あたしは嫌よ。』

また、ふーっと長く煙を吐き出して彼女は言う。

『あたしはここにいる間に資格とって外資に転職して、キャリアアップする。あんたみたいに、平凡じゃ満足できない。』

その言葉にかちんときて言い返そうと思った。

・・・が、言い返す言葉が何もないことに気づいた。

自分は大学を卒業してこの会社に就職して、周りについていこうと必死になって仕事をしているうちに5年の歳月が流れた。

別に向上心がないわけでもない。

ただ単に次から次へと現れる新しいことに対応しようとしているうちに月日が過ぎてきたから、今の会社をやめるなんていう発想が全くわかなかったのだ。

『ま、気楽でいいわね。そのうち結婚でもして仕事やめようってくらいなんでしょ。まあわたしは仕事も恋愛も妥協する気はないけどね。』

そう言って彼女はぐりぐりと灰皿に煙草を押し付けて立ち上がり、ふ、と口元に勝ち誇った笑みを浮かべて悠然と去っていった。



はあ、と小さくため息をついてインターネットを開いた。

検索ボックスに『資格』と入れて、Enterキーを押す。

すると瞬時に『資格』に関するサイトが無数にリストアップされる。

適当に開いてみるが、資格の種類もいろいろあって、いったい何に役立つのかもよくわからない。

文学部卒の香菜が持っている資格は本当に自動車の免許だけで、特殊な資格はゼロ。

ただしこれから何か資格をとるにしても、何かやりたいことがあるわけではない。

こんなんじゃ、いつかここでも仕事が続けられなくなるだろうか。

いったい自分はどうして仕事をしているのか、そんなこともわからない自分が情けなくて、大きくため息をつきながらインターネットを閉じた。



もう今日は家に帰ろう。

そう思ってパソコンの電源が落ちたのを確認し、鞄を手に席を立つ。まだ残っている数人に声をかけて、会社を後にした。

「伊佐美。」

声を掛けられたのは会社を出てすぐのところだった。

「深沢さん。」

声を掛けてきたのは営業の深沢幸人。

「今帰りか。」

「はい。深沢さんは?」

「ちょうど外回りが終わったところ。10分待ってろ、すぐ戻る。」

ぽん、とわたしの肩に軽く触れて、彼は急ぎ足で会社へ入っていった。

(待ってろ、って言ったよね。)

どうしたんだろう、と思って会社のエントランスで待っていることにする。

本当は、自分の名前を呼ばれた瞬間、思い切り心臓が跳ねたのがわかった。

声でそれが誰だかわかったからだ。

そして、飲み会の出席を断るときに思い浮かんだ顔が、彼だったからだ。

どうして彼の顔が思い浮かんだのか。

理由はもちろんわかっていた。



深沢は香菜の3年先輩にあたる。

とはいえ、部署も違えば同じ会社でもほとんど接点はなく、今年に入るまで言葉を交わしたこともなかった。

ただ、顔だけはなんとなく覚えていた。

エレベーターや食堂で見かけていたので、同じ会社の人という認識だけは持っていたのだ。

言葉を交わすようになったのは偶然だった。

友人に誘われて飲みに出かけ、たまには雰囲気を変えようということで連れて行かれたのがダーツバーだった。

見よう見まねで友人が放るように投げてみるが、的にささりもせず、ぽつりと下に落っこちる始末。

それでも面白くて続けていると、隣から、ストンという気持ちのいい音が響いてきた。

ふと目を向けるとストン、とダーツは的に吸い込まれた。

それを投げていたのが深沢だったのである。

顔をみてすぐに同じ会社の人、ということに気づいた。

同じ会社というだけでちょっと気まずくなり、特に問題があるわけでもないのだが、どうしようかと焦った。

しかもそのときの深沢の表情が不機嫌そうに見えたので、余計に何かまずいんじゃないだろうか、という気になったのだ。

それを打ち破ったのは彼のほうだった。

『同じ会社、だよな。』

『・・・はい。』

『ダーツは初めて?』

『・・・はい。』

綺麗なフォームで彼の右手を離れたダーツは、見事に的の中心に当たった。

よし、と言って彼は嬉しそうに笑った。

子供みたいに笑うんだ。

それが香菜の、そのときの深沢の印象だった。


順番が逆ですが、Short story 4を出すことにしました。

これは3部で完結の予定です。

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