「真実の愛」を目撃した王太子夫妻の見解
真実の愛。
なんやそれ、今世でも流行語大賞ってあんの?
もちろん、この国にそんな賞はない。
前世の記憶にある言葉が、つい頭をよぎっただけである。
◆
数日前のことだった。
王太子妃は、定期的に孤児院を視察していた。
表向きは、王家の慈善活動の一環である。
けれど、それだけではない。
若い令嬢たちに福祉の現場を知ってもらい、夜会や茶会だけでは得られないつながりを作るため。
そして、慈善を一時の流行や飾りではなく、貴族の務めとして意識してもらうためである。
その中でも、アメリア・フォルクナーはよく目についた。
子どもたちの名前を覚え、以前渡した本を読めるようになったかまで確かめている。小さな子が転べば、裾が汚れることも気にせず膝をつく。
(よく見てんなぁ)
王太子妃は、そういうところを好ましく思っていた。
その日も、孤児院の庭では令嬢たちが子どもたちと話していた。
だが、その中にいるアメリアの表情だけが、どこか暗かった。
いつもなら穏やかに微笑んでいるはずの顔に、影が落ちている。
子どもに話しかける声も、普段より少し沈んでいた。
王太子妃はそれを見逃さなかった。
「アメリア嬢」
「!……王太子妃殿下」
慌てて礼を取るアメリアに、王太子妃は穏やかに微笑んだ。
「どうかなさいましたの?」
「いえ……何でもございません」
「そうは見えませんわ。あなたがそんな顔をなさるなんて、珍しいもの」
アメリアは困ったように視線を落とした。
「殿下のお耳に入れるようなことでは……」
「わたくしだから、聞けることもありますでしょう?」
王太子妃は、声を少しだけ柔らかくした。
「友人やご両親には話しにくいことでも、少し距離のある相手になら話せることもございますわ」
その言葉に、アメリアの睫毛が震えた。
しばらく黙っていたアメリアは、やがて小さく口を開く。
「……婚約者のことでございます」
アメリアはぽつりぽつりと話し始めた。
婚約者であるエドガー・ヴァレントンが男爵令嬢ミレイユ・デュノワと親しくし、それを王太子夫妻の過去になぞらえて正当化しているのだという。
話を聞き終えた王太子妃は、変わらず微笑んでいた。
(嘘やん)
内心では、見事に動揺していた。
(噂で美談になってるとは聞いてたけど、真似する奴おんのかい)
しかも、真似しているのは愛を貫いた部分ではない。
家同士の調整も、補償も、名誉への配慮も、責任も、すべて抜け落ちている。
(愛で臭いものに蓋したらあかんやろ……)
王太子妃は扇を閉じた。
「心配しなくてよろしいわ。王家は、そのような理由で一方的な婚約解消を認めたりいたしません」
「……ありがとうございます」
「ですが、アメリア嬢。
あなたは、その方との婚姻を望んでいらっしゃるの?」
アメリアはすぐには答えなかった。
目を伏せ、唇を結ぶ。
(……まぁ、そりゃ嫌やろな)
「もし、あなた自身が婚約解消を望むのであれば、その時は受け入れなさい」
「ですが……」
「その後の縁談については、わたくしが責任を持ちます。
あなたのように有望な方を、王家は大切にしたいのです」
それに、フォルクナー家は新興貴族として力を伸ばしている。
福祉にも熱心で、王家の方針とも合う。
その令嬢であるアメリアが、古い家柄を鼻にかけるだけの男に踏みにじられて終わるなど、王家にとっても好ましくない。
アメリアの目が、少し潤んだ。
「王太子妃殿下……ありがとうございます」
◆
そして、王太子主催の春の夜会。
若い貴族たちが集まる華やかな広間で、それは起きた。
「皆の前で申し上げたいことがあります!」
広間のざわめきを切るように、エドガー・ヴァレントンが声を張った。
彼の隣には、男爵令嬢ミレイユ・デュノワが寄り添っていた。
二人とも、妙に晴れやかな顔をしている。
エドガーは高らかに宣言した。
「私は、アメリア・フォルクナーとの婚約を破棄します!」
王太子がわずかに眉をひそめた。
「……何だ、あれは」
「真実の愛だそうですわ」
(……ほんまにやるんかい)
驚きの声があちこちで漏れる。
若い令嬢たちは顔を見合わせ、年長の貴族たちは一斉に表情を硬くした。
(そらそうやろな……)
ここは王太子主催の夜会だ。
ただの私的な集まりではない。
その場で婚約破棄を宣言するなど、よほどの理由と手続きがなければ許されるものではない。
だが、エドガーはそれが分かっていないのか、気分よく続けた。
「私には、真に愛する相手がいます。家の都合ではなく、自分の心に従いたい」
彼はそう言って、ちらりと王太子夫妻の方を見た。
(こっち見んな)
だが王太子妃は、完璧に微笑んでいた。
エドガーの隣で、ミレイユが胸に手を当てた。
「わたくしたちは、心に嘘をつけなかっただけなのです」
王太子が何かを言おうとする。
おそらく、咎めるのだろう。
だが、その前に王太子妃が口を開いた。
「まあ、素晴らしいですわ」
広間が、しんと静まった。
エドガーとミレイユの顔がぱっと明るくなる。
(ちょうどええわ)
王太子妃は、ゆるやかに視線をアメリアへ向けた。
「アメリア嬢。あなたはどうなさるの?」
アメリアは、静かにスカートの裾をつまんだ。
そして、深く一礼する。
「……お受けいたします」
その瞬間、エドガーとミレイユは勝ったような顔をした。
王太子妃は、ほんのわずかに王太子へ視線を流した。
(殿下、出番やで)
王太子が、静かに口を開く。
「では、慰謝料と賠償については、滞りなく用意するように」
二人の顔が固まった。
「……えっ」
「有責はそちらだ。ならば、支払うべきものを支払うのは当然だろう」
王太子の声は淡々としていた。
「いや……ですが、これは真実の愛で……」
「だからこそ、ではないか」
王太子は平然と言う。
「それほど尊いものだと主張するのなら、相応の代償を惜しむべきではあるまい。金で済むのなら、むしろ安いものだ」
「ええ、本当に」
王太子妃も、にっこりと微笑んだ。
「婚約者を捨てて別の方を選ぶというのなら、なおのこと筋は通さなければいけませんわ」
エドガーの顔色が変わる。
「ですが、王太子殿下だって婚約者を退けて今の妃殿下をお選びになったではありませんか!」
ミレイユも悲痛そうな声を上げた。
「そうですわ……! どうしてわたくしたちだけ責められるのです!? 同じように愛を選んだだけでしょう!?」
広間の空気が凍りついた。
王太子の横顔が険しくなる。
だが、王太子妃は少しも表情を崩さなかった。
「わたくしが殿下に選ばれたのは、王家に迎えられるだけの責任と役割を果たせると判断されたからです」
ミレイユが言葉を失う。
王太子も静かに続けた。
「何か勘違いしているようだが、あの時も婚約解消は王家と公爵家の間で正式に取り決められた」
(……よかった、殿下。覚えとるやん)
王太子妃は扇を閉じた。
「あなた方の気持ちを否定するつもりはありません。ですが、婚約は家同士の契約です。何の負担もなく解消できるものではございませんわ」
王太子妃が軽く視線を送る。
控えていた書記官と侍従が、すぐに前へ出た。
「記録を」
「はっ」
エドガーがぎょっとする。
「き、記録とは……」
「婚約破棄の宣言と、その理由ですわ。後で言った言わないになっては困るでしょう?」
ミレイユの顔が青ざめた。
「そんな……」
「あら。真実の愛なのでしょう?」
王太子妃は優雅に微笑む。
「ならば、記録されても困ることはありませんわね」
広間のあちこちで、押し殺したような笑いが漏れた。
エドガーもミレイユも、先ほどまでの晴れやかさを失っていた。
やがて、侍従に促され、二人は半ば引き立てられるように下がっていった。
(愛が認められたのに、喜ばんのかーい)
◆
「まさか、我々の夜会で婚約破棄するとはな」
夜会が終わった後、王太子は深く息を吐いた。
「いったい何を考えていたのか」
「あら、それは殿下のせいでは?」
「え?」
「殿下も、婚約破棄は玉座でなさいましたでしょう」
王太子は黙り込んだ。
「もっとも、殿下には、わたくしという大変優秀な後始末係がおりましたけれど」
「……返す言葉もない」
(分かっているならよろしい)
「それに殿下も、最初はわたくしにずいぶん分かりやすく鼻の下を伸ばしておいででしたわ」
「……覚えていない」
(ほんまか?)
王太子妃は優雅に微笑んだ。
「まあ、そういうことにしておきましょう」
王太子は少し困ったように笑った。
「だが、君を大切にしていることは間違いない」
「ええ、存じております」
王太子妃はグラスを掲げ、小さく微笑んだ。
「では、今後は真実の愛という言葉の取り扱いに、もう少し気をつけましょうか」
流行語として扱うには、少々重すぎる。
真実の愛とは、責任を引き受ける覚悟の名である。
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◆アメリア視点
王家を真似て婚約者が「真実の愛」を語り出したんですけど
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