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 結論から言うと、ゴルドー・ドラゴニアの言う通りに傷もの令嬢は一時間きっかりで戻ってきた。


 その身に魔獣の返り血を全身にべったり浴びて帰ってきたその姿を見た時にはうっかり令嬢の如くに卒倒しかけたが、なんとか堪えて絞り出すように「おかえりなさい……」を告げることはできた。


 彼女は青褪めながらも挨拶を告げた俺に破顔し親指を立てて今回の魔獣がいかほどだったかを滔々と語り始めたが、俺はそんな笑顔の報告よりも早く風呂に入って返り血を流してきて欲しかった。


 とりあえずその場は傷もの令嬢がサーシャにどつかれて風呂に引き摺られていったことで終わりを告げた。


 普通のメイドだと思ってたけど、あのメイドも実は普通のメイドじゃなかったな。

 何、辺境ってああいうのしかおらんの? マジで? 俺本当にやっていける???


 今からもう胃が痛い。


「……はあ」


 部屋に戻り、深々とため息をつく。

 ベッドのふちに腰掛ければ、思いの外深々と体が沈んだ。


 昨日も思ったが、辺境の田舎と侮るのも憚られるほどにこの寝具は質がいい。


 寝具だけではない。

 多少古びてはいたが、この部屋の家具はどれも質が良く、王都にあるダルタンシア侯爵家のものよりもずっと高級な値がつけられるものと伺えた。

 むしろ古びているからこそアンティークという呼べる高級品だ。


 手入れも行き届いていて、大切に使われているのがわかる。

 ドラゴニア辺境伯一族が粗野な振る舞いをしているが、それでもそれだけで彼らが物を大切にし、丁寧な生活をしているのが窺えるようだった。


 なんだか少しチグハグではあるが、正直俺が思い描く彼らの生き様は領主としての理想に近いものを感じた。

 俺の住んでた王都とはまるっきり常識がかけ離れているが。


「あーっ、さっぱりしたぁー!」


 ……せっかく俺が評価を頑張って好意的に改めようとしているのに。


 ノックもなしに俺にあてがわれた部屋の扉をバーンと開けて入ってきた薄着の女。

 キャミソールにショートパンツというあられもない格好で現れた傷もの令嬢に頭痛を覚えた俺はそっと立ち上がると彼女の肩に手近にあった自分のナイトガウンを羽織らせた。


 途端に傷もの令嬢がきょとんとした顔をして俺を見上げるから、俺はできるだけ彼女の肌に目を向けないようにして前を閉じる。


「……風邪を引きますよ」

「おう、婿殿は紳士だな。ありがとー」


 やれやれとため息をつきたくなる気持ちを押し隠してそう告げれば、やはり彼女はにっかりと歯を見せて笑いかけた。

 その顔から顔を背けるようにして、俺はそっと彼女から離れた。


「それでいかがいたしましたか? 俺に何かご用で?」


 俺は備えつけられたティーセットを手に取り、茶を淹れる。


 ……第一王女の婚約者だというのに、執事みたいなことができるようになってしまったのはひとえにセリーヌ姫の存在のせいだった。

 彼女にねだられるがまま、お茶を入れ、お菓子を用意し、とやっていたらいつの間にか身についてしまった。


 彼女にお茶を渡せば、またにっこりとした笑顔が返る。


 俺は目を背ける。

 やはりなんだか煩わしい気持ちがむくむく湧いてしまう。


「そうそう、あのさあ、婿殿。昨日は疲れてただろうから遠慮したけど、今日って初夜? になるじゃん。あたしのこと抱ける?」

「ぶっ」


 女があけすけに言うことじゃない。

 いや、娼婦とか平民だったらあるいはそういうことを言えるような空気があるのかもしれないが、今まで未来の王配として教育を受けていた俺は王宮に参内する貴族の淑女しか相手にしてこなかった。


 だからこんな物言いする女に思わず怯んでしまった。


「どう? 婿殿」

「どっ……どう、と言われましても」


 じっとこちらを見つめる傷もの令嬢に俺は戸惑って彼女を見返した。


 抱く? 初夜? あ、なるほど。だから彼女はこんな薄着で乗り込んできたのか。納得。

 いや違う! 納得してる場合じゃないだろ、俺! しっかりしろ!


「その、俺は……」


 どう答えるべきか困り果てた俺は言葉を濁す。


 そもそも考えれば、彼女は何ひとつおかしなことを言っているわけではなかった。


 何故なら俺がこの辺境に来ることになった理由はそもそもが彼女と結婚をしたから……もっと具体的に言うと、種馬の役割をするためだ。彼女と子を成し、ドラゴニア辺境伯の血筋を絶やさないようにするため。

 それ以上の役割はない。


 だからこうやって俺の寝室を訪れた彼女の言うことは正しいのだ。


 それがまだ挙式も上げておらず、昨日出会ったばかりの男女であったとしても、だ。


 大体彼女の結婚は二度目。俺も婚約破棄されてここに送られた身。挙式を上げる必要性もないのだし。


「………その、けれども、それであなたは良いのですか? 普通、女性は……嫌なものではないですか? 昨日出会ったばかりの男に肌を許すなど」


 悩んだ挙句、俺は卑怯な文言を口にした。

 自分の意思を話さず、彼女に嫌だと言わせようとしたのだ。


 すると彼女はぽかんと呆気に取られた顔をした。

 それからうーん、と顎に手を当てて考え込む。


「どうだろう? あたしは選べる立場ではないからさ。あたしは例え相手がどんな人でも、迎えた婿殿と子供を作らなきゃいけない」

「そんな義務的な……確かにお立場は理解しますが、でもそれは寂しくないですか? 心の通わない相手と子を成すことは」

「それはまあ、そうだけど」


 そう言った彼女はふと俺の方へと歩み寄ると、その手を俺の頬に触れさせた。


 固く骨ばった……淑女とは程遠い戦士の手のひらだった。


「あたしは婿殿を気に入ったからなあ。こんなに良い男に抱かれるのは本望だ」


 真っ直ぐに俺を見つめる琥珀色の瞳。

 その瞳に捉われた俺はぐ、と息を詰めて彼女のことを見下ろす。


 平常を装おうとしたが、どうにも表情筋がビクビクと動きそうになる。

 心臓がざわめく。ぞわぞわするのがとても嫌な感じで、飲み込もうとしたけれどどうしてもできなかった。


「…………申し訳ありません」


 俺は結局彼女の肩に手を置いて、突き放すように距離を取ってしまった。

 罪悪感から視線を背けたまま、俺はかぶりを振った。


「そうおっしゃっていただけるのは光栄なのですが、ちょっと、俺の方の気持ちがまだ……女々しいことを言っている自覚はあるのですが」

「あ、そう? じゃあ、しょうがないな」


 俺が言えば、彼女はあっさりと引いた。

 あまりにもあっさりとしているから逆に拒絶した俺の方が戸惑った。


「は……? いや、その、しょうがないって……」

「だって婿殿、嫌なんだろ? じゃあしょうがないじゃん。無理強いしないよ」

「いやいやいや」


 あまりにも呆気なく引くから、拍子抜けした俺は思わず眉をひそめて彼女を見返す。


「貴女は……その、気になさらないのですか? 初夜を迎えたのに夫婦生活がないことを」


 拒絶した身であんまりなことを言っている自覚はある。

 そんなこと言うなら拒絶するな、だ。


 でもあんまりな俺に対してそれでも彼女はあっけらかんと笑った。


「何で? 別に良くない? 嫌なのを無理強いさせる趣味ないよ、あたし」


 ううん、王都と辺境の常識が違う。


「大体、婿殿もさ、もし相手があたしじゃなくて、婿殿の好みの女性だとして」

「え、あ、はい」

「たとえばその子がすごく怖がって嫌がってたとしたら、強要する?」

「それは……」


 しない。できると思えない。

 初夜にしないという一時の恥をかいたとしても、それでもその先の信頼関係を失う方が愚かだろう。


 ……ああ、なるほど。つまりそういうことなのか。


「……ご配慮、感謝いたします」

「婿殿、固いよー。いいんだよ、私、婿殿のそういうところ、すごく好きだよ」


 頭を抱えてしまった俺の肩を、彼女は無遠慮にバシバシと叩いた。痛い。


「すごく乙女なロマンチックで純情なのは悪いことじゃないよ。まあ、あたしとの夫婦生活はまだ先あるからね。これからゆっくり行こうね」


 言い方。せっかく少しは好感持とうとしてるのにすぐに落としてくるな、この人。


 俺はついに彼女の前で深々とため息をつくと、短く「そうですね」と返してお茶のおかわりを淹れてやった。


 すると嬉しそうにニヨニヨと締まりのない顔で笑う。


「……ところで今宵はどうされるのですか? せめてここに泊まってはいかれますか?」

「ううん、自分の部屋に戻るよ。婿殿もあたしがいたら眠れないだろうし」

「重ね重ねのご配慮痛みいります」

「いいから、そういう固いのなしにしてって。ふふふ、婿殿は丁寧な人だね」


 俺が丁寧なのではなく、単にそちらの距離の詰め方が気安すぎるのだと思う。


 ……また俺はため息を漏らしそうになる。

 俺は本当に無事に彼女との良き関係を構築できるのだろうか。


 先行きは不安しかない。

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