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ぶぉん、ぶぉんと風を切る音に俺は目を覚ます。
婿入りのために無事にドラゴニア辺境伯邸に辿り着いた翌朝。
俺は聞き慣れない音に顔をしかめて窓に近づく。
窓の外は高い壁と崖下に広がる広大な森林地帯が見えて、つと視線を落とせば広い平坦な庭が見えた。
そこでかの傷もの令嬢が素振りを行なっている。
昨日、大型の魔物を易々と裂いていた大きな鉄片のような剣を何度も、何度も振るっている。
いや待て、あの細腕でなんであんなもの振るえんの? 彼女ってやっぱり人間じゃないな?
唖然と顎を落としていれば、ふと彼女がこちらの視線に気がついて顔を上げた。
目が合うと途端ににっかり笑って手を振ってくる。
思わず歪みそうになる顔をどうにか微笑みに変えて手を振り返せば、不意に彼女に向かって何かが肉薄した。
「危ない……!」
声が届くはずないのに俺は思わず叫び、窓にへばりつくようにして彼女を見つめる。
甲高い音が響いた。
「何を余所見しとるかあ!」
「うっせ! 祖父様うっせえ!」
窓は閉じているのにその窓をビリビリと震わすような怒号と、その怒号に負けじと叫び返す傷もの令嬢の声が響き渡る。
「色気付いとんじゃあないぞ、このアバズレ! 婿殿迎えて浮かれとる暇あるならもう少し腕磨かんかい! 守るもんが増えるんじゃぞ!」
「わかっとるわあ、クソジジイ! 見とけ、今日こそ一本取ったるわ!」
「言うたなあ!」
そんな怒声を浴びせながら大柄な白髪白髭の武人と打ち合い出す様に俺はただただ唖然と顎を落とすしかない。
いや、本当に何これ。とんでもないところに婿入りしたな、俺。
俺は剣に明るくないけど、明らかに二人が持っている武器がごく普通の人間が扱うような重量の武器でないことはわかるし、何よりあの二人の動きが人間じゃないこともよくわかる。
……もしかして辺境ってこれが普通なの?
「失礼いたします」
と、唖然と窓にへばりついていると、控えめなノックの音が響いてメイドがしずしずと入ってきた。
「リオネル様の御付きになりますメイドのサーシャと申します。身支度のお手伝いに参りました」
「あ、うん……よろしく頼むよ」
ぺこり、と頭を下げたメイドに俺はなんとか頷く。
艶やかな黒髪を綺麗に纏め上げ、シニヨンキャップを被せたメイドの歳の頃は三十代くらいに見えた。
婿に当てがうには少し若いかもするが、それでもごく普通のメイドだ。
なんだかそれにホッとするのも束の間。
「……婿様、失礼いたします」
途端に彼女は素早い動きでガラガラと雨戸を閉じ、サッサッとカーテンを引く。
せっかくの朝日差し込んで明るかった部屋が一瞬で真っ暗だ。
俺が「ん?」と顔をしかめている間にサーシャはランタンに火を灯し、それから俺に向き直った。
「いけませんよ、お館様と先々代様が戦っているのに雨戸を開けておいては。窓が割れたら怪我をなさいます」
「……ええっと……窓が割れるようなことが起きるの?」
「それはもう、たびたび」
「……………それは、凄まじいんだね?」
「ええ、二匹の竜が暴れるようなものですから」
さらっと告げるサーシャに俺は改めてとんでもないところに来てしまったと後悔していた。
・ ・ ・ ・ ・
「さて、ようこそいらしてくれた、婿殿。ワシがゴルドー・ドラゴニア。アンバーの祖父だ。昨日は不在にしていてすまなんだな。討伐遠征より帰り着いたのが今朝方でな」
「いえ、お構いなく。討伐遠征とはお疲れ様でした」
「ははは、労いありがとう。この度は不祥の孫娘、アンバーとの婚約を結んでくれてありがたく思う。婿殿のような優しい男を迎えられて孫娘も幸せだわい」
朝の身支度を終えて食堂に通された俺は、そこで表で傷もの令嬢と激しく争っていた大柄な武人と相対することになった。
上座に堂々座る武人の隣にはぶすくれた顔の傷もの令嬢が座っている。
その額や肩や腕に包帯が巻いてあるところを見ると相当手ひどく祖父にやられたらしい。
……いや、孫娘に怪我させる祖父ってどうなのよ。
王都の貴族の常識から外れまくった辺境の状態に俺はただただ戸惑うばかりだ。
「……また一本も取れなかった……」
「お前はまだ脇が甘い!」
ぷくぅと膨れてぐすぐす鼻を鳴らす傷もの令嬢は葉物野菜をちびちびかじっている。ウサギみたいな仕草だった。
祖父のゴルドー・ドラゴニアがバシンと彼女の背中を容赦なく叩いた。
「大体ええ格好しいしようとしてワシから一本取れるか、たわけ。本当に浮かれおってからに」
「だってえ……婿殿にいいところ見せたかったぁ」
いや、サーシャに雨戸バシバシ閉められてたから全然見えてなかったんだけど。
けれどもそれを言うには無粋な気がして、俺は力なく「ははは……」と笑うだけに留めておいた。
「それで婿殿、昨日はよく眠れたか?」
「ええ、お陰様で」
本当は魔獣に襲われる悪夢を繰り返し見ていてあまり眠れた気はしなかったのだが、無難にそう答えておいた。
その答えにゴルドー・ドラゴニアは大口を開けて「ドワッハッハッハッ」と笑った。
唾。ちょ、唾飛んでる。
「そうかそうか、思った以上に胆力のある男よな。王都の連中っちゅうもんは大抵魔獣の群れに襲われたらチビり倒してもう帰りたいって震えるもんなんじゃがなあ」
だろうな。俺も昨日からずっと帰りたい。
ちなみに俺をここまで護衛してきた御者と護衛騎士たちはここに来た早々に泣きながら辺境伯家の兵士に付き添われて帰っていった。羨ましい。
「だが気に入ったぞ、婿殿。その胆力があるならここでもやっていける。ワシが太鼓判を押そう!」
「あ、あはは、ありがとうございます」
「祖父様! 加減! 婿殿壊れるだろ!」
バシバシと俺の肩を叩くゴルドー・ドラゴニアを見て傷もの令嬢が声を上げる。
助かった。肩が外れるかと思った……
「まったく。あたしの婿殿を祖父様の不注意で壊されたらたまったもんじゃない」
「ふ、よほどこの男を気に入ったのだなあ」
「そりゃそうだよ。これだけ良い男なんだから。一目惚れしたんだ、あたし」
そうして傷もの令嬢がうっとりと俺の顔を見つめた。
熱のこもった視線を向けられた俺はただ笑って「光栄です」と返す。
……正直、彼女から向けられる好意はやはり煩わしいと思った。
と、ふと傷もの令嬢の背中をゴルドー・ドラゴニアが思い切り叩いた。
「まったくデレデレしおってからに。さて、では婿殿、今日の予定だが、お疲れでなければ色々案内をして回りたいのだがいかがかな?」
「それは助かります。ぜひお言葉に甘えさせてください」
「うむうむ、任せておけ」
ニコニコするゴルドー・ドラゴニア。それに反して「あたしの婿殿なのに」と膨れる傷もの令嬢。
まさに祖父と孫娘を体現する二人に俺はただただにこやかな笑顔を取り繕っていた。




