20
傷もの令嬢……いや、アンバー様への想いを自覚してからというもの、俺の精神状態はまるで思い通りにならなくなった。
ふとした瞬間に彼女のことが思い浮かび、叫び出したい衝動に駆られる。
彼女が視界に入っただけでずっと目で追い回し、仕事に全く身が入らない。
なのに彼女がいざ近づいてくると喉はひりついて言葉が出なくなるし、緊張に体が竦みあがって慌てて逃げ出すことになる始末。
厄介。この上なく恋という感情は厄介だ。
婿殿がここまで純情だとは思わなかった、はゴルドー・ドラゴニアの言葉だ。
自分だってここまでダメになるほど自分の感情に振り回されるとは思わなかったよ。
「…………はあ」
「随分と深いため息じゃないか」
深くため息をついた時、ふとウィリアムのせせら笑いが聞こえて俺は顔を上げた。
相変わらず腹が立つほどに綺麗な顔がニヤニヤと嘲笑いながら俺を見つめている。
「どうしたんだい? 悩み事なら僕が聞いてあげようか?」
「あなたに話すような悩みはまったくありませんので結構です」
「あっは、つれないね。王配だったくせにここまで愛想がないのは笑えるよ」
「…………俺に何か用ですか? ないなら仕事をしたいので下がってください」
「冷たいなあ、用ならあるよ。アンバー様が君をお呼びだよ」
彼の言葉に俺は眉間に皺を寄せる。
睨むように見つめる俺の視線を軽く受け流して、ウィリアムは相変わらずにやつく。
「最近、君たちの間は大分拗れているじゃないか。アンバー様はそれを気にしていてね。一度ちゃんと腹を割って話したいそうだよ」
ウィリアムのせせら笑いを見返して、俺は沈黙する。
あり得ない話、ではないか。
彼女ならここ最近の俺の様子を訝しむだろうし、だったらちゃんと対面で話をしようとするだろう。
「……彼女は今どこに?」
「ふふ、ついておいで」
俺が問えば、ウィリアムはそう言って先導して歩き出した。
口頭で伝えてくれればよいものを。
でもこれも彼の計算なのだろう。多分、俺と彼女を二人で会わせないためだ。
俺たちの話し合いに首を突っ込み、引っ掻き回して余計に拗れさせるつもりなのだろう。
どうにかしてウィリアムに席を外させて二人で話をできるようにしなければ……
いや、でも……彼女と二人で話して、俺は大丈夫なのだろうか?
あれから目が合うだけで言葉が上手く出てこなくなるというのに。
不安ばかりが胸中に広がって、悶々と思い悩んでいると、先を行くウィリアムが足を止めた。
「……ここにドラゴニア辺境伯様が?」
ウィリアムが足を止めたのは屋敷の裏手にある断崖絶壁だった。
眼下に広大な森林地帯が広がっている。
アンバー様の姿がどこにもないことに俺は怪訝に眉をひそめてウィリアムを見る。
ふと嫌な予感がした。
「……っ!」
だがその予感は遅い。
とん、とウィリアムに押されて俺の体は浮遊感に襲われた。
崖下に吸い込まれそうになって、咄嗟に断崖絶壁の淵に手をかけて落下を免れる。
「何を……!」
「何をって、邪魔者を消すんだよ」
淵にかけた手をウィリアムが底の硬い革靴で踏み躙ってきた。
こちらを見下すウィリアムの表情にはまるで変化がない。いつものせせら笑い。
「いやさ、色々とやってみたんだけどね、やっぱりどうにも効果が薄くてさ。あんな野蛮な女には勿体ないくらい夢を見させてあげてるのにさ」
「言っただろう、彼女はお前の手に負えるような存在じゃないと……!」
踏み躙られる指が痺れて崖から離れる。
それでも何とか片手で落ちないように必死で崖に縋る。
ウィリアムは当然そちら側の手も踏みつけ、ぐりぐりと躙った。
「そうだね。でも僕は考えたんだよ。さすがにあのじゃじゃ馬も愛する者を失えば弱るだろう? その隙を突かれたら陥落すると思わない?」
「……! 下衆が……!」
「いくらでも言えばいいよ。貴族社会は騙し合いと蹴落としあい。落とされた方が悪いんだ」
にっこりと微笑むウィリアムの顔は無邪気な天使のよう。だからこそ余計に腹立たしく思う。
「それに君、随分とわかりやすく彼女に感情を露わにするようになったじゃないか。あれ、困るんだよね。彼女と君の間に付け入る隙がなくなりそうだから。そういう意味でも君は早々に消えてもらいたいんだ」
「ウィリアム……!」
彼に踏み躙られる手が痺れてきた。
それでも悪あがきとばかりに先ほど崖から離れてしまった手で彼の靴を掴む。
ウィリアムの顔色はやはり変わらない。うすら寒い天使の微笑みだ。
「そう、あと一つ、君を突き落とす理由、教えてあげるよ」
「は……?」
「君さ、前に僕のことを嫌いと言っただろう? 僕もさ、君のこと大っ嫌いだったんだよね」
そうしてウィリアムはひと息に俺の手をグシャリと踏みつけた。
とどめの一撃に俺の手は完全に断崖絶壁から離れて崖下に吸い込まれていく。
「ウィリアム……ーー!」
俺は声の限りに怒鳴る。
ウィリアムは相変わらずニコニコと微笑みながら俺を見下していた。




