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俺が辺境伯に婿入りする事の発端は俺の元婚約者になるのだろう。
俺の元婚約者はこの国の第一王女であり第一王位継承者。現国王の唯一の子であり、現国王、王妃ともに目に入れても痛くないほどに可愛がられているセリーヌ姫だった。
ダルタンシア侯爵家の次男坊である俺にとっては家柄的にこれ以上ないほどの良縁だった。
何故こんな良縁が舞い込んだかといえば、セリーヌ姫がそう望んだからだ。
俺が八つの頃。父と兄に連れられて王宮に登った俺は当時四つのセリーヌ姫と初めて出会った。
庭先で薔薇の花を摘もうとして指を棘に刺して泣いていた彼女を誰と知らずに手当した。
それが彼女にとっては王子様みたいに映ったらしい。
そうして彼女が散々父である国王に我儘を捏ね、俺を結婚相手に望んだわけだ。
こうして王配に押し上げられた俺は将来の女王の補佐としての研鑽を積むことを余儀なくされた。
ただ家柄的に良縁だったとはいえ、俺個人にとってこの婚約は地獄だったことは否めない。
何せただでさえ王族に連なるための教育は大変だというのに、義理の父になる国王からは「よくもうちの可愛いセリーヌちゃんを」とハンカチーフを噛み締めながら睨まれるし、当の女王になるセリーヌ姫は勉強嫌いでまともに女王の教育を受けようとしない。
つまり彼女の補佐する俺にセリーヌ姫の分までしわ寄せが回ってきてろくに自由時間なんてもらえなかった。
そしてささやかな自由時間はセリーヌ姫との親睦を深めるために使わなくてはならない。
詰め込み勉強よりもこっちの方がずっときつかった。
セリーヌ姫は父親である現国王と母親である王妃にとにかく甘やかされており、何でも願いを叶えてもらっていた。
つまり、超がつくほどに我儘だったのだ。
少しでも思い通りにならないとヒステリックに癇癪を起こし、俺も散々物を投げつけられたり叩かれたりと当たられまくった。
それでも婚約者なのだからと頑張って歩み寄ろうと努力はしてきたのだが、俺にできることだって限界はある。
例えば会う時間が少ないとか、わたくしが呼んだらいち早く駆けつけなさいとか。
だったら俺の負担を軽くするために少しでも自分でも学ぶ努力をしてほしかった。
とはいえこれだけなら恋する人に会えない寂しさで可愛い我儘を捏ねていると微笑ましく見れたけれど、残念ながらそれだけでセリーヌ姫の我儘は止まらない。
豪華なドレスが欲しい。宝石が欲しい。今度はあれをプレゼントして。
到底、いち侯爵令息が買うには遥かに予算を超える代物をねだってくる。
あれをして、これをして。婚約者ではなく使用人みたいに命令される。
逆に勉強は嫌。あれは食べたくない。あんな人とお付き合いするのは絶対しない。あの教育係は嫌なことばかり言うから言うこと聞きたくない。
そんな風に我儘言いまくる彼女をとにかく宥めすかし、諭し、時には叱りつけた。
だがどうやらそれが彼女にとってはお気に召さなかったらしい。
憧れていた優しい王子様のような婚約者像から外れて口うるさく小言を言う男を、セリーヌ姫は次第に鬱陶しがるようになった。
彼女が煙たく俺を遠ざけたがっているのは気がついたけれど、その頃の俺は未来の女王の婚約者として義務感に駆られて彼女に口うるさくしてしまった。
俺くらいしか彼女に物を言える人がいなかったのだ。
周りの使用人は口を出せば解雇されてしまうから物を言えず、唯一物を言えそうな国王は娘にベタ甘。
母親の王妃も同じく「王配がしっかりしてれば問題ないわ。女の子は元気な子を産んで、ニコニコしてれば大丈夫よ」と王妃と女王の違いをまるで理解せずに公言を憚らない。
王族に苦言を呈す立場の国の重臣は忙しく、あるいはうつけの女王を傀儡にすべく何も言わない。
だからこそ俺は、たった唯一だからこそセリーヌ姫に何度も何度も彼女に将来の女王の立場の自覚を促し続けた。
けれども、そんな俺に待っていたのは婚約破棄という現実だった。
「あなた、自分の立場をわかっていないんじゃない?」
ある国王主催の夜会にて、俺は衆目の最中でセリーヌ姫にそう告げられた。
「わたくしに選ばれた立場のくせにわたくしに物を言うなんて生意気なのよ。わたくしの婚約者でなければ、たかが侯爵家の次男の身の上のくせに」
それはそうだが、それでも俺にだった今まで王配として学んできた矜持があった。
当然、彼女にも言った。
幼い頃から王の補佐をするために学んできた俺には、補佐する王が間違ったことをするのなら諌める義務があると。
だが彼女は俺の言葉に嫌悪に顔を歪め、こう続けたのだ。
「あなたのそういうところが気に食わなかったのよ。初めて会った時は王子様みたいだと思っていたのに……騙されたわ」
そんな今更なことを言われても困る。
そもそも勝手に俺のことをそう勘違いしたのはそちらだと言いたかった。
だが次の彼女の言葉で俺は飛び上がるほどに驚くことになる。
「騙されたといえば、わたくしだけではありませんのよ。あなた、身分を隠して数多の令嬢に手を出していたんですってね! 自分の種をばら撒いて歩くなんて、王配が聞いて呆れるわ!」
はあ!?
彼女の下品な言葉を嗜めることもできず、俺は彼女の口から飛び出した言葉に目を剥いた。
そんなこと、身に覚えが一切ない。
大体俺は王配になるための勉強やセリーヌ姫の放棄した公務を片付けるべく奔走しているのだ。そんな暇などまるでない。
なのに彼女がサッと手を挙げるとその後ろに何人もの見知らぬ令嬢が進み出て俺の醜聞を証言し始めた。
何が起こっているのか理解できず、俺が真っ青になって反論できぬうちにこの騒動を眺めていた野次馬たちがザワザワヒソヒソと騒ぎ始める。
知らない。そんなことまるで知らない。
俺は懸命に訴えたが誰もが俺に白い目を向け、信じてくれようとしない。
ここに俺の味方はいないのだ。
トドメとばかりに国王が娘を蔑ろにして数多の令嬢に手を出すとはと怒り心頭に発し、俺を断罪した。
こうして俺は王配のくせに数多の令嬢を籠絡して回った人でなしの烙印を押され、実家に戻されることになった。
父は怒り、母は泣いた。
兄弟姉妹も白い目で俺を見て、俺の居場所はどこにもなくなった。
そんな風に針の筵で過ごしてひと月。
王家から……というよりセリーヌ姫から一通の紹介状が届いた。
結婚の紹介状だ。
相手は「傷もの令嬢」と呼ばれる社交界でも触れてはならない禁忌の令嬢との結婚の打診だった。
否、打診とはあったがこれは居場所のない俺にとってはほぼほぼ命令に等しかった。
傷もの令嬢。
魔獣や隣国といった外敵から王都を守り続ける守護者ドラゴニア辺境伯家の一人娘。
数年前にドラゴニア辺境伯を継いだばかりの訳あり令嬢だった。
滅多なことでは社交界に顔を出さないかの令嬢は、令嬢にあるまじき傷だらけの顔と体で淑女としてのマナーも立ち振る舞いもなっていないという。
野蛮な辺境の地にいる山猿のごとき女。
そんな風に揶揄される彼女が先日、結婚していた男と離縁したから新たな婿を探し始めたのだとか。
だがこう言っては失礼だが、正直彼女はどれもこれもがアウト。
顔や体の傷。淑女のマナーがなっていない。これだけならまだしも……というか、相手が非の打ち所がない美人だろうとも躊躇する魔獣の多い危険な田舎への婿入り。
せめて婿入りに結納金は多額を払うと言っているのが救いだろうか。
だがこの条件でまともな男が引っ掛かるとは到底思えない。
そう……そんな女をセリーヌ姫は俺に当てがってきたのだ。断れないとわかっていて。
間違いなく嫌がらせだろう。
今までの小言を言っていた恨みだろう。
意地の悪い「あなたのような男に最高の結婚を用意してあげたわ。感謝なさい」の文字に彼女のにんまりとした笑みが透けて見えるようだった。
俺の父であるダルタンシア侯爵は結婚の紹介に軽く眉をひそめたが、それでも俺を早めに厄介払いしたかったのだろう。
俺の返事を聞く間もなく結婚の了承をしてしまった。
まあ……いいんだけどさ。俺もこの針の筵な家を早く出たかったわけだし。
けどまあ、それが辺境地になるとはなあ。
まあ、セリーヌ姫の相手をするのも、山猿のような野蛮な令嬢を相手にする方もそう変わらんだろ。
そんな失礼なことを、俺は釣り書きを眺めながら思っていた。
釣り書きの中のアッシュグレイの髪の顔に傷のある女は令嬢の釣り書きとは思えない、まるで騎士のごとき勇ましい顔をしているのがただ印象的だった。




