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「婿殿」


 俺が頭を抱えてもう一度ため息をついた時、執務室の扉が開けられた。

 老年に差し掛かったというのに未だ衰えを見せない大柄な体の戦士。ゴルドー・ドラゴニアだ。


「まーた眉間にシワ寄せて。そんなことでは早く老けてしまうぞ」

「……ご心配ありがとうございます。俺の悪い癖ですね」

「相変わらず婿殿は可愛げがない。そこはもう少し言い返してこんかい」


 苦笑いで答えれば、彼はそう言ってため息をついた。

 俺はそう言われても曖昧に笑って濁し、持っていた書類を端に避けた。


 ゴルドー・ドラゴニアがその書類に気が付き、手に取る。


「なんじゃ、まだ向こうは揉めとるのか。とっととライゼンに決めてしまえばよいものを」

「そうですね……そうなれば良いのですが、難しいのでしょう。ドラゴニア辺境伯が王座を求めればライゼン公爵家は譲らざるを得ないのでしょうし」

「わしらはそんなもん、求めたりせんよ」


 いやにはっきりと言う。

 彼は忌々しげに書類を執務机に放り、深くため息をつく。


「ドラゴニアはドラゴニアである限り、この地を離れることはできん」


 随分と含みのある言い方だ。

 俺が怪訝に眉をひそめたのを見て、ゴルドー・ドラゴニアは自分の頭をガシガシと掻くと「茶ァ」とサーシャを呼びつけた。

 どうやら長くなる話らしい。


「ドラゴニアである限りこの地を離れられないというのは……辺境伯としての心構え、というわけではなさそうですね?」


 サーシャが茶を持ってきて下がったタイミングで俺はそう問いかける。

 すると彼は茶を一口すすって頷いた。


「そもそもな、ワシらが化け物じみた力を有してると思う?」


 ………自覚あったんだ。


 違う。いかん。そこじゃない。

 ついつい当たり前のように受け入れていたが、やはりそもそもそれはおかしいことだったのだ。


「……魔獣を退治するうちに積み上がった経験だから、ではないのですね」

「そんなんだったら今頃辺境地に住む誰もがワシ並みじゃあ、たわけ。ちゃんと要因は他にあるわい」


 ゴルドー・ドラゴニアがそう言って俺を睨む。

 まったくやれやれ、これだから若造は。みたいな爺の視線に俺は誤魔化すように笑って茶をすすった。


「この下じゃ」

「この、下?」


 ゴルドー・ドラゴニアがドンドンと床を叩くように足を踏み鳴らす。

 俺はきょとんとして足元を見る。


「竜がな、眠っておる。太古の昔にドラゴニアの先祖が退治した邪竜がな」

「邪竜……」


 なんだか御伽噺じみた話になって、俺はぽかんと聞き返す。


「そう、邪竜じゃ。ドラゴニアは竜の眠りを守る夢の番人。竜をこの地に繋ぎ止める楔。故にその血が竜と繋がっているから超人的な力を持つ」

「……御伽噺みたいですね」

「そうじゃな、こればかりはドラゴニアの血筋にしかわからぬ感覚だろう。だがな、確かに竜はこの下に眠っているんじゃ。そもそもこの地に魔獣が溢れるのも、その影響と言っていい」

「竜の……」


 確かに言われてみたらそうだ。

 他の地ではこれほど多くの魔獣が溢れているなど滅多に聞かない。


 本当にここだけなのだ。魔獣が群れをなすほど多く集い、大きな被害を与えるほどの群れが頻繁に現れるのは。


 だがその要因が眠る竜だとは。


「故にこの地を離れたりはせん。例え一度離れたとしても、必ずここに戻る。それがワシらの本能……というのか。ドラゴニアは決してこの地を離れられないんじゃ」

「それは……」


 俺は返答に窮する。


 それは果たしてどう見ればよいのだろう。

 この地を決して離れられないほどの結びつき。生まれ落ちた時から定められた運命。


 それは特別な祝福と呼べるのか。呪われた鎖なのか。


「安心せい。ワシはな、この地が好きでここにおる。孫娘もきっとそうじゃ。それを守護する力は願ってもないものよ。気に食わんやつを簡単にぶっ飛ばせるのもスカッとするもんだ」


 ガハハと大口を開けて笑うゴルドー・ドラゴニアに俺はなんて顔をしていいのかわからずに、きっと変な顔で笑みを返した。


「……安心したか?」

「……え?」

「なんじゃい、孫娘が王になってこの地を去っちまうかもとヒヤヒヤしとったじゃろ。取り越し苦労っちゅうやつじゃ」

「え……ああ……」


 ゴルドー・ドラゴニアの言葉に虚を突かれた俺は思わず瞬く。


 そんな俺の反応に彼は「ふむ」と頷くと、


「ではもうひとつ、婿殿の心配を杞憂とお教えしておこうかの。ドラゴニアはな、これと決めたものしか愛せんのだ」

「………は、はあ?」

「狼が生涯の番をただ一人と定めるように、ドラゴニアのものも生涯愛するものはただ一人だけなんじゃ。竜の執着する気質が影響しておるのかな」

「? ???」


 彼が何が言いたいかわからず、俺はただ怪訝に眉をひそめてしまう。

 それがどうした? だ。


「ここだけの話だけどな、孫娘が前にワシにこう漏らしたんだ。“ドラゴニアの血はあたしで途絶えるかもしれない”とな」

「それ、は……穏やかな話ではないですね……?」

「なんじゃ、他人事みたいに。婿殿のことだぞ」

「……ええ?」

「あのなあ……」


 ゴルドー・ドラゴニアが呆れたようにため息をつく。


「孫娘は婿殿しか目に入っとらんっちゅう話じゃ。あいつはもう婿殿としか番わんと決めておるぞ」

「っ……」


 ゴルドー・ドラゴニアの言葉に思わず呼吸が止まる。


 彼女が、俺を?


 そう思ったら不意に動揺に似た不可解な感情が一瞬で胸に溢れかえっていっぱいになってしまう。

 とても平常ではない自分の様子に戸惑い、俺は思わず何かで溢れかえる自分の胸を見下ろした。


「婿殿だってそうじゃろ。孫娘を憎からず想っているのなら、孫娘に自分の代で血を途絶えさせるなんて言わせんでくれ」

「……………え」


 ゴルドー・ドラゴニアの言葉はたっぷりと時間を使って咀嚼したというのに、俺は理解することに失敗をした。


 この人は何を言っている?


 呆然としてしまった俺にゴルドー・ドラゴニアは深々とため息をついた。


「なんじゃあ、ワシが気づいとらんと思っとったか? なんだかんだ孫娘を好いとるのはバレっバレだぞ、婿殿。気づかぬは本人ばかりとはよく言ったもんじゃな」

「ま、待ってください……!」


 ゴルドー・ドラゴニアが続けた言葉は俺にとって混乱をもたらした。


 俺が彼女を好いている? そんな……まさか。

 だって俺は彼女に対してそんな気持ちを抱いたことなんて。


 と、否定しかけて、俺はふと彼女のことになると動揺ばかりしている自分を思い返して頭を抱えた。


 わからない。この動揺は、煩わしく思いながらも不快でなかったこの気持ちは彼女への好意だったのだろうか。


 戸惑い、動揺し、無様に狼狽えているとゴルドー・ドラゴニアがクツクツと喉を鳴らして笑うのが聞こえた。


「照れんでもよいよい。いやあ、若いのう」


 照れている? 誰が? 俺がか?

 そう言われて俺は自分の顔が熱を持っていることに気がついて、余計に混乱した。


「待ってください。本当に……少し、整理する時間をください……」


 絞り出すようにそう伝えれば、ゴルドー・ドラゴニアが「おや」と片眉を上げた。


 怪訝そうにする彼を構う余裕などない俺はただ熱くなった顔を隠すようにして頭を抱える。

 久しく頭がパンクしていた。


「……端から見て、俺は彼女を好いているように見えるのですか?」

「まあ、なんとなくじゃがな。婿殿、孫娘を好きにさせておるじゃろう。婿殿の性格なら、本当に好いておらん女にベタベタされるのは好まんだろうに」

「……どうでしょう。相手が妻だからそうさせていると思われませんか? そもそも……好いているならもうとっくに俺たちは本当の夫婦になっていると思いますが」

「普通ならなあ。でもお前さんはむしろ逆じゃろ。大切だと思うからこそ、きちんと互いに想い合ってると確信できなければ逆に手を出せないのではないか? ん?」

「……俺を買い被りすぎですよ」

「照れるな照れるな。ロマンチスト、大いに結構ではないか。そういう男はモテるぞう」


 そうして彼は大口を開けて笑う。

 俺が濁すように曖昧に笑えば、ふとゴルドー・ドラゴニアは豪快な笑顔をひそめ、こう問いかけてきた。


「……冗談はこの辺にして、実際どうじゃ?」

「……どう、とは?」

「孫娘に触れられることは不快でないのだろう?」

「それは……」


 多分、不快では、ないと思う。


 煩わしいような不可解な自分の気持ちに振り回されることに不快感はあっても、彼女が触れてくること自体に嫌悪や不快はない。


「では好いておらん女に触れられることはどうだ?」


 そう問われ、俺はふと記憶を探る。


 セリーヌ姫の婚約者であった頃を遡るが、その頃あまり女性に触れるようなことはまるでしていなかったと思い出す。

 王女の婚約者なのだからと誤解を招くような行動をしないように心がけていたし、セリーヌ姫に対してもエスコートやダンスで触れることはあってもそれ以上はしなかった。


 俺はセリーヌ姫の婚約者ではあったが、恋人ではなかったのだなと今更ながらに思った。


 記憶をもっと遡る。


 ……ああ、そういえば、と思う記憶がひとつだけ心当たりがある。


 兄が結婚し、義理姉を家に迎えたばかりの頃だ。

 あの頃は兄は爵位を継承するべく本格的に父の仕事の引き継ぎを始めた頃で、その前の結婚式の準備からとても忙しくしていた。


 それが義理姉には不満だったのだろう。

 兄に構ってもらえない寂しさからか、当てつけのように俺に馴れ馴れしく触れ、迫られたことがあった。


 あの時の性的な接触を求める彼女にゾッとするほどおぞましい嫌悪感が込み上げたは今でも生々しく思い出せる。


 俺はその嫌悪感から彼女をすげなく払い、それに腹を立てた彼女は兄や父に俺に迫られたのだと告げ口して、それから家族の視線が…‥主に父と兄の視線が冷たくなったんだったか。


 だからこそセリーヌ姫に陥れた時に、俺はそういう奴なのだと呆気なく家族に見捨てられたのだ。


 閑話休題。


「……確かに、性的な接触に嫌悪感を覚えたことはあります」

「やはりなあ。婿殿はそういうところ、潔癖そうだと思ったわい」

「潔癖……ええ、そうなんでしょうね」


 ゴルドー・ドラゴニアの言葉に俺は自分自身の情けなさに苦笑した。

 ウィリアムほど節操のないのはどうかと思うが、種馬として婿入りしたものが役目を果たせないほどに潔癖でいるのはただただ情けない。


「そういう男が接触を許すのは、やはり愛しているからに他ならないと違うか?」


 ゴルドー・ドラゴニアがにんまりと笑んで問いかけた。


 愛しているの言葉にまた動揺する。

 顔が熱い。自分が自分でないみたいな感覚に陥って、俺は手で目元を覆って項垂れた。


 ああ、うん。でもそうだ。


 随分と気づくのが遅かったが、彼女に対する煩わしいという感覚はただ落ち着かずに胸が騒いでいただけ。


 どうしようもないくらいに理性的でなくなる自分を律するために、無意識にずっと目を逸らして気がつかない振りを続けていただけで、俺はきっと初めて彼女に会い、笑顔を見た時から彼女に惹かれていたのだろう。


 うわあ……なんだこれ。自分が自分で恥ずかしすぎる。


「はっはっはっ、若いのう。青春というやつだな!」


 耳まですっかり熱くなってしまった俺を見て、俺に恋心を自覚させたゴルドー・ドラゴニアが高く笑い声を上げる。

 彼の高笑いに反論できるほどの余裕は、今の俺にはまるでなかった。

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