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 結局あれから俺は二週間寝込んだ。


 結構厄介な風邪だったのもあるが、傷もの令嬢が俺に対してやけに過保護だったせいもある。

 もう熱も下がり、起き上がれるようになったというのに病み上がりが一番危険とベッドから出してくれなかったのだ。

そうしてようやく彼女の許可が降りた時、俺は積み上がっていた仕事の量に深くため息をつくことになったのだった。


 いや、そんなことはどうでもいい。数日根を詰めれば片付く程度の問題だ。

 そんなことよりも問題は、


「やあ、ダルタンシア侯爵家の令息。相変わらず不景気そうな顔して」

「…………ベルフェゴル公爵令息」


 堂々とドラゴニア辺境伯の屋敷に居座り、紅茶を傾ける天使の如き美貌の男の姿。


 彼、ウィリアムはこの屋敷に客人として数日前から滞在している。


 目的は無論、傷もの令嬢だった。

 彼は王位継承権の転がり込んだ彼女の存在をいち早くに嗅ぎつけて、ほとんど押しかける形でここにやってきた。


 セリーヌ姫から彼女にあっさりと乗り換える様子に、セリーヌ姫には元から愛情など何もなかったのだろう。

 知っていたことではあったが、セリーヌ姫のことを思うとやるせない気持ちになった。


 少なくともウィリアムの手管に堕ちたセリーヌ姫の方は情を持っていたはずだ。


「まあ、気持ちはわからなくもないよ。お前はセリーヌのことを少なからず想っていた男だからね。僕を見て思うところはあるだろう」

「……セリーヌ王女殿下のことは関係ありません。俺は単にあなたが嫌いなだけです」

「あっはは、はっきり言うね。何だ、次の女も盗られそうと思ってる?」


 小さなため息と共にそう告げれば、彼は面白がって笑う。


 誘惑する蛇のような狡猾な笑みをその美貌に浮かべるウィリアムはいやに様になっている。

 俺はうんざりとしながら彼となるべく離れた席に腰掛けると横柄に腕を組んで彼を見やった。


「盗られるも何も、彼女はあなたの手に負えるような方ではありませんので」

「へえ、大層な自信じゃないか。夫の余裕ってやつ?」

「まさか。言葉通りですよ」

「ふぅん……」


 俺の言葉に彼はニヤニヤと笑う。


「結構なことじゃないか。そういうじゃじゃ馬ほど、乗りこなした時に快感があるんだよね」


 ぴくり。と思わずこめかみが動く。

 不可解な感覚だが、湧き上がったのは不快とわかった。


 俺が彼を睨みつけるようにすれば、彼はしたり顔で笑う。


「余計に欲しくなった。ねえ、僕は彼女を落とすよ。何、君だって彼女を本気で愛しているわけじゃあないだろう? 君たち、寝室だって分けて、いまだに夫婦の営みをしていないんだから。白い結婚でも目指しているのかな? それなら僕が持っていっても問題ないよね?」

「別にそんなわけじゃ……」

「じゃあどういうわけ?」


 ウィリアムの問いに俺は思わず言葉に詰まった。


 彼の言う通り、俺と傷もの令嬢の間はいまだに清いまま。寝室を分けて別々に寝ているのも事実だ。

 俺は夫とは名ばかりで彼女に世継ぎを作るという、その仕事を果たせていないのだ。


 俺が唇を噛んで視線を落とせば、ウィリアムの笑みが深くなる。


「まあまあ、気持ちはわかるよ。あんな傷だらけの顔に体。気品もない山猿、食指が沸かないよねえ」

「っ………」


 違う、そうではないと咄嗟に言葉にすることができなかった。

 そんな俺をウィリアムがせせら笑う。


「正直ものだね、相変わらず」


 ひりついた喉は相変わらず否定の言葉を吐くことができなかった。



 ・ ・ ・ ・ ・



 窓の外に粉雪が舞う。

 厚い雲に覆われた灰色の空と緩やかに白く色を失っていく景色。


 窓に近づけばひんやりと冷えた空気が肌を撫でて、俺は思わず身震いした。

 深くため息をつけば窓が白く濁るように曇る。


 その向こう側にアッシュグレイの小さな頭とプラチナブロンドの髪が並んでいるのを見つけて俺は手のひらを冷たい窓につけた。

 冷たく冷えた窓は俺の手のひらから体温を奪い、不意に胸に滾った激情を鎮めてくれる。


 俺はまぶたを閉じ、そっと窓から離れるように手のひらで窓を押して執務机に戻る。


 何故だか陰鬱な気持ちが続いている。


 あの時、ウィリアムに彼女と夜を共にしていないことを指摘されてからだ。

 彼女のそばにいるのが妙に居心地が悪くなり、俺は自然と彼女と距離を取った。


 そこに付け入るように彼女の隣に収まったのがウィリアム。

 最近ではよくああやって仲良く隣に並んでいるのを見かける。


 それを見ると俺の胸には不意に滾るような激情が溢れて、それからすぐに冷えて陰鬱な気持ちが残る。

 まるで岩の塊がずっと胸にのしかかるような重たく不快な感情に俺はただ頭を抱えていた。

 今までも不可解な感情に煩わされることはあったけれども、こんなに不快な感情は初めてだ。


 俺は頭を振り、彼らのことをどこか思考の端に追いやる。

 どうせ突き詰めようとするとまた霧散するのだ。


 俺は気を紛らわせるためにペンを執る。

 こんな精神状態では仕事なんて捗らないとわかってはいたが、そうでもしないとやっていられなかった。


 ドラゴニア辺境伯領のことを粛々と片付けて、その後に触れた王都の現状の報告書に触れた時、俺は顔をしかめてしまった。


 王都はまだ揺れている。

 どうやら今、次期王位継承者として派閥が二分化しているらしい。


 一方は先代国王の妹姫を母に持つ由緒正しい血筋の持ち主であるライゼン公爵を擁立する派閥。国王に担ぐには申し分ない実力の持ち主で、彼には男児も二人ばかりいたはず。王族として続く血筋には申し分ない。


 もう一方はもちろんドラゴニア辺境伯・傷もの令嬢を担ぎ上げようとする派閥だ。

 ゴルドー・ドラゴニアがたった一騎で負かした家というのがこのライゼン公爵家であり、つまりはライゼン公爵家はドラゴニア辺境伯家に頭が上がらない。


 故に彼女が望めば王座は十分に彼女に転がり込んでくる状況。


 それを見越して彼女を担ごうとしているものは多い。その筆頭がベルフェゴル公爵家であり、彼女をその気にさせようとウィリアムが送り込まれたというわけだ。


 今のところ彼女はそれを固辞してはいるが……この先はどうなるかまだわからない。


 甘やかに、女性受けする耳障りの良い言葉を並べて傷もの令嬢を口説くウィリアムを思い出す。


 ウィリアムに対して彼女は手に負える存在ではないと啖呵を切りはしたが、彼が彼女のそばにいると少しずつ不安が忍び寄った。


 彼女は女性扱いというものに憧れがあった。

 最初にこの家に来た時の彼女のはにかみ顔を思い出すと苦い気持ちが沸き上がる。


 彼女もまた女性なのだ、と。

 そのことを思い出すとウィリアムが彼女を口説き落とす可能性がふと現実になる気がして俺はまぶたを閉じて深くため息をついた。


 本当ならウィリアムを遠ざけるべきなのだろう。嫉妬に狂った夫の醜聞を被ってでも、ウィリアムを王都へと追い返すべきだと頭では理解している。


 王座は彼女に苦労や重荷を背負わせるだけで、きっと何ももたらさないことも。

 だが、けれどもそうできないのは彼女とウィリアムが並んでいるのを見るとどうしても喉がひりついて動けなくなるのだ。


 胸が嫌な感じにざわついて、平常心でなくなる。

 その状態で吐く言葉は感情的で聞くに耐えないものになるのだとわかってしまうから、俺は結局彼らから目を逸らすように逃げることしかできない。

 そんな自分があまりにも不甲斐なくて腹立たしいし、不可解で戸惑う。


 俺は一体どうしてしまったというのか。

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