15
カラカラ、ガタガタ。車輪の音が響く。
セリーヌ姫の誕生祭を終えて、俺たちはドラゴニア辺境伯領への帰路に着いている。
整備された道からやがて整備不良の悪路へと差し掛かるこの辺りは王家と懇意にしている貴族領を抜け、辺境地にほど近くなる領境の辺りだった。
ふとこつんと俺の肩に小さな頭がもたれる。
ガタガタ揺れる馬車の中だというのに、隣の傷もの令嬢はぐーすかと寝息を立てていた。よくもまあ、この悪環境下で眠れるものだ。ある意味感心してしまう。
俺はため息をつき、ガタンと揺れる度に頭が落ちそうになる彼女の肩に腕を回し、俺の肩から落ちないように彼女の頭を抱くように支えた。
小さな頭。指先に触れたアッシュグレイの癖毛はふわりと空気を含んでいるが少し固くてゴワゴワ。野良犬を想起させる。
これでもセリーヌ姫の誕生祭の直前に少しでも美容室で磨き上げてもらったはずなのだが、長年戦いに明け暮れて血と埃に塗れてきたものは一日二日でそう綺麗になるものではないということだろう。
でもこちらの方が彼女らしい。
化粧を落とした顔にはっきり残る傷痕を目に映すとほんのわずかに心臓が騒いだ。
居心地の悪くなる煩わしいような感情がむくりと鎌首を跨げる。
ああ、まただ。
俺はその感情から目を逸らすようにして、彼女からも視線を背けると唇を固く引き結んだ。
「……んん……」
馬車が大きく揺れると彼女が小さく寝息を漏らす。
よく耳をすまさねば馬車の車輪の音にかき消されそうなほど小さい声を探すようにじっと耳をそば立てている自分に、俺は気がついた。
深くため息が漏れそうになる。
何なんだ。本当に何なんだ、これは。俺は一体どうしてしまったというのか。
煩わしくて鬱陶しい、苛立ちにも似た感情。正体の掴めない気持ち悪さはあるけれど、嫌悪はない。
その正体を突き詰めようとすると途端にそれは霧のように掴みどころのないものになって、消えてしまう。
けれどもそれは大抵、この傷もの令嬢に起因するものと薄々勘付いてはいた。
彼女に触れる。笑う彼女を見る。彼女の言葉を聴く。
でもそれがいつも毎回かというとそうでもない。
何か、ふとした瞬間。不注意で些細な棘が刺さるように、その感情は俺の胸にフッと訪れた。
「………婿殿」
物思いに耽っていると、ふと小さな頭を抱く俺の手に傷もの令嬢の固い手のひらが触れた。
何事かと俺が問う前に彼女は俺の手に触れた手とは逆の手で俺を制するように真っ直ぐと俺の胸の前に腕を伸ばす。
その瞬間、馬の嘶きと共に馬車が大きく揺れて、俺の体は座席から浮いて転がりかけた。
傷もの令嬢が制してくれなければ実際転がっていただろう。
「何だ……!?」
「敵襲。でも大丈夫、落ち着いて構えてて。あたしが必ず婿殿を守るから」
驚きに声を上げる俺に傷もの令嬢が冷静に答えた。
それと馬車の扉が乱暴にこじ開けられたのは同時だった。
「はぶっ……!」
顔を見せた盗賊崩れが何かを言う前に傷もの令嬢が狼藉者の汚い顔に拳をめり込ませた。
「婿殿はここにいて」
吹き飛ぶ盗賊。およそ令嬢の細腕の力とは思えないほどの勢いで遠くに吹っ飛ぶ盗賊を追うように彼女が馬車の外に躍り出た。
俺は思わず彼女を追うように座席から立ち上がり、外の様子を伺う。
馬車はたくさんの盗賊らしい身なりの男たちに囲まれていた。
前の方を見やれば馬は怯えてその場でたたらを踏み、御者は御者台でぐったりとその手を落としていた。おそらく彼は命を落としている。
「なんだ、この女……!」
「そいつがターゲットだ! さっさとやっちまえ!」
「素手の女なんぞに……ぐああっ!」
盗賊たちの悲鳴に俺は改めて彼らの方へと視線を向ける。
そこはまるで灰色の嵐が巻き起こったような有様だった。
表情の一切を落とした傷もの令嬢がひとり、素手で盗賊を圧倒している。
死神が舞うような動きで馬車を囲う盗賊を殴り飛ばし、蹴飛ばして、時には腕をその首に巻きつけて首を折る。
飛来してきた矢を振り返ることもなく掴み、投げ返せば吸い込まれるように矢を放った盗賊の額に突き立った。
「こ、こいつ、化け物か……!?」
「バカ! 人質だ、人質を取れ! 馬車に残ってる男を盾にしろ!」
暴れる傷もの令嬢に泡を喰った盗賊の声に傷もの令嬢がゆらりと顔を上げる。
そして俺の方へと向かおうとしている盗賊に向けて、今胸ぐらを掴んだ盗賊を投石でもするように思い切り投げつけた。
盗賊は「ぎゃん!」と悲鳴を上げて、二、三人まとめてもんどりを打って倒れ込む。
と、その時、馬に鞭を打つ音と共に俺が乗っている馬車が急発進した。
俺はバランスを崩して馬車の中に転がる。
「は、はは、やった! 人質さえ取ればこっちのもんだ!」
御者台から盗賊の声が聞こえる。
どうやら御者の死体を蹴り落としでもして馬車を乗っ取ったらしい。
だが俺が何か行動をするより前に御者台で響いていた勝ち誇るような盗賊の笑い声が不意に途切れて悲鳴に変わった。
「ひっ! な、何で馬車の速度に追いつ……っ!」
ひしゃげた蛙のような悲鳴もなく、何かが潰れる音がした。
俺は思わず顔を歪めて固唾を飲んでいれば、やがて緩やかな速度で馬車が止まる。
ああ、きっと彼女だ。
「婿殿、大丈夫? 怪我してない?」
そう思った時にはいつもの様子でひょっこりと傷もの令嬢が俺の前に姿を現した。
彼女の顔を見て、俺は詰めていた息をゆっくりと吐く。
「俺は大丈夫です。あなたは?」
「あの程度、朝飯前」
にんまりと歯を見せて笑う彼女に俺はただ眉尻を下げて微笑み返すだけに留めた。
元々が魔獣の十数匹をひとりで殲滅するような人だ。
たかが盗賊の十や二十を素手で制圧することなど本当に簡単な仕事だったのだろう。
俺が馬車の扉から外に出れば、少し後の方で惨憺たる有様が広がっていた。
「……全員殺してしまわれたのですか?」
「いや、何人かは生かしてる。お話ししなくちゃいけないからね」
俺が眉をひそめて問えば、彼女はいつものなんてことない調子で返した。
彼女の細いが頼もしい背中を追いかけるように後をついていけば、彼女は折り重なるように倒れている盗賊を片手で持ち上げて、その下の盗賊へとにっこり笑いかけた。
「やあ、ご機嫌よう。熱烈なアプローチありがとう。君のお名前とお所を伺おうか」
「ひっ……」
傷もの令嬢の笑顔に盗賊の下に重なって倒れていた盗賊が怯えてガタガタ震え出す。
「もう一度聞くね。君たちはだ・あ・れ?」
「お、おおお、俺はジャックです!」
笑顔で凄む彼女についに泣き出した盗賊はそれを皮切りに洗いざらいを吐いた。
曰く、自分たちは王都で雇われた暴漢であり、とある高貴な身分のものに顔も体も傷だらけのご令嬢に少し痛い目を見せ、貴族令嬢としての致命的な傷をつけるつもりだったのだと。無論、その傷とは女性の尊厳を奪うことを指す。
そしてその様子を彼女の夫……つまりは俺にまざまざと見せつけるつもりだったとも言った。
なんと悪趣味なことだ。
「で、その高貴な身分ってだあれ?」
「知らない! ……本当に知らないんだ! 俺たちに話を持ってきたのは執事っぽかったが、どこの誰とは一言も言わなかったし、俺たちも聞かなかった! そういうもんだろ、こういうのって!」
「…………まあ、そこは信用してよさそうですね」
この暴漢どもは数はいるがおそらくはトカゲの尻尾だ。そんな末端に自ら身分を明かすなど、愚か者がすることだ。
「それはそうとして、いくら積まれた?」
「ま、前金で銀貨五十枚……残りは成功報酬で……」
「なるほど……いかがいたしますか?」
ガタガタ震えながらも俺の問いに答えた盗賊の答えを聞いて、俺は傷もの令嬢へ判断を尋ねた。
成功報酬を支払うというのなら、高貴な身分という雇い人……まあ、これも使いっ走りだろうがここから雇い人を手繰れるだろう。
あるいはこの男を官憲に突き出し、その後のことはくれぐれもと言い含めて国に委ねてドラゴニア辺境伯領へ戻るということもできる。
「じゃ、その雇い人にお金をもらうところに案内して」
「は、はいいい!」
即答だった。
傷もの令嬢の言葉に盗賊は泣きながらとてもいいお返事をした。




