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 俺を睨む視線をまっすぐに見据えれば、セリーヌ姫はますます憎悪を滾らせるようにギッと俺を睨みつけた。


「あなた、まだわたくしに口答えできる身分でいるつもりなの。何様のつもり?」

「口答えだなんて。俺はただその身をこの国に……王家に忠を尽くす者をあなたに軽んじてほしくないだけです。それはいずれあなたの首を締めることに繋がりますので」

「それを口答えっていうのよ!」


 そうしてセリーヌ姫は癇癪を起こして閉じた扇を俺に向けて投げつけてきた。

 癇癪のままに投げつけられたそれは俺の額にぶつかり、床にカラランと音を立てて落ちる。


 か弱いセリーヌ姫の腕力では大した痛みにはならない。


 俺は黙って落ちた扇を拾い、軽く埃を払って彼女に差し出す。

 かつて幾度となく繰り返した行為で、もう慣れたものだ。


 と、その時だった。


「婿殿〜」


 間の抜けた声が響いて、この場が波を打ったように静まり返る。


「お腹すいたよう、ご飯まだぁ?」


 スカートをたくし上げ、慣れないヒールのせいでひょこひょこと剽軽な動きで傷もの令嬢が俺の方へと歩いてくる。


 ああ、こんなタイミングでなんと間の悪い。


 一瞬だけ静まり返った場がまたヒソヒソと囁き声で騒がしくなる。

 明らかに侮蔑や嘲笑に満ちてしまったこの場に、俺は歪みそうになる顔を取り繕って彼女の元へと走る。


「申し訳ありません。少々話し込んでしまいまして」

「ああ、お話し中だったの? そりゃごめん。邪魔しちゃったね」

「……ドラゴニア辺境伯様、あちらのお方はセリーヌ第一王女殿下でございます。ご挨拶を」


 ニコニコと笑う傷もの令嬢に俺はそう囁けば、彼女はニコニコ顔をきょとんとさせてセリーヌ姫に視線を向けた。

 セリーヌ姫は麗しい美貌を侮蔑に染めて傷もの令嬢を睨みつけていた。


「……セリーヌ姫様、初めまして。不詳、ドラゴニア辺境伯を継ぎましたアンバーと申します。この度はお誕生日おめでとうございます」


 彼女の取った礼は淑女の礼ではなく、胸に手を当てる臣下の礼だった。


 慣れぬヒールのせいで腰を曲げた時にバランスを崩しそうになってたたらを踏む。

 危なっかしさに俺は慌てて彼女のことを支えた。


「……ふうん、噂に違わぬ野蛮な山猿だこと」

「セリーヌ王女殿下っ」


 傷もの令嬢を頭の先から爪先まで何度もしげしげと眺めたセリーヌ姫の言葉に俺は思わず声を上げてしまう。

 だがその一方で傷もの令嬢はまったく意に介した様子もなくニコニコと笑い返していた。


「まあ、でも誰彼構わず令嬢に手を出していた猿のようなあなたにはお似合いなのではなくて? こんな礼儀作法もなっていない田舎の山猿、割れ鍋に綴蓋というやつね」

「婿殿とお似合いってお姫様に言われると照れるなあ」


 セリーヌ姫の侮蔑はまるっと無視して、傷もの令嬢は都合のいいところだけ受け取って照れたように笑う。


 俺もセリーヌ姫もその厚かましさに唖然として彼女を見つめ、俺たちのことを観劇でも楽しむように見ていたものたちも密やかな囁きを交わしていた。


 けれども傷もの令嬢はニコニコ笑ったままだ。

 それはまるで道化のよう。


 彼女が好奇と嘲りの目に晒されていることが何となく耐えられなくて、俺は何とかこの場を辞す言い訳を捻り出そうとしたところで、


「ここにいたのか、僕の愛しいセリーヌ」

「ああ、ウィリアム」


 この場にまた新たな人物が現れて、セリーヌ姫は嬉しそうに頬を染めて彼の腕をその身に巻きつけた。

 ピッタリと寄り添ってただならぬ仲を堂々見せつけるようにする二人にため息が漏れそうになる。


「……お久しぶりです、ベルフェゴル公爵令息」

「相変わらず固いね、ダルタンシア侯爵のところの令息は。ああ、今はドラゴニア辺境伯に婿入りしたからリオネル・ドラゴニアになるんだっけ? 元はセリーヌ姫様の婚約者ともあろう人が随分な凋落ぶりだよね」


 呼吸をするように嫌味をぶつけてきたこの男、ウィリアムはベルフェゴル公爵家の三男だった。


 柔和で優しげな印象を与える翠の垂れ目。高く筋の通った鼻梁。フワフワとしたカールを描くプラチナブロンドの髪は艶があり、美しい。

 まるで稀代の彫刻家が腐心して作り上げたかのような美を体現する天使のような見た目の男だが、その裏側は権力欲が強く自分本位で他者を蹴落とすことに戸惑いがない男だということを俺は知っている。


 かつて俺は耳障りの良い言葉しか言わないこの男をセリーヌ姫に近づけさせまいと苦心していた。

 彼女を目を覆い、堕落させ、自分のいいように彼女を操ろうとする魂胆が見えていたからだ。


 だが俺がいなくなった後に彼はあっさりと彼女を籠絡してその隣を勝ち取ったらしい。


 それがかつての俺が苦心してきたことが徒労だったのだと突きつけられるようで、俺はがっかりした。


 国王陛下はこのことをどう思っているのだろう。

 いくら娘が可愛いとはいえ、このような男を近づけさせればその可愛い娘がいずれ手酷い目に遭うだろうとは思わないのだろうか。

 それだけならまだしも、今自分が背負って守らねばならない国民が割を食うかもしれないと少しでも思い至らなかったのだろうか。


「リオネル、わたくしたち結婚するの」


 それは予想の範囲だったが、セリーヌ姫が口にしたことで確定事項となって、周りのものたちもざわりと騒めいた。


「彼ね、あなたとはまったく違うのよ。優しくて頼もしくて、わたくしのために何でもしてくれるわ」

「もう、セリーヌ。それは後で国王陛下が発表するまで内緒の約束だったのに、そんなあっさり教えてしまったら驚かせ甲斐がなくなるじゃないか」

「ごめんなさい、ウィリアム。でもこの男には私の口からはっきりと伝えたかったのよ。わたくしの隣にもうお前の居場所はないのよ、って」


 ウィリアムに向き直り、その首に細い腕を絡ませて微笑むセリーヌ姫にウィリアムは甘やかに「君はとても残酷だね」と囁く。


「………ええと、二人は結婚するんだ? おめでとう」


 空気を読まない傷もの令嬢がふとそう口を挟んだ。

 セリーヌ姫が煩わしさを隠しもせず、傷もの令嬢を見た。

 でもやはり傷もの令嬢はそれをものともせずにニコニコしたままだ。

 それが余計にセリーヌ姫の不興を買う。


「そうよ。あなたに差し上げたお古なんかよりもずぅっと格好良くて素敵な人なのよ。いつも華麗にエスコートをして、わたくしの知らない楽しいことをたくさん教えてくれるのよ。この間だって面白いカードゲームを……」

「ああ、愛しいセリーヌ、それは僕らだけの秘密だろう?」


 セリーヌ姫の言葉を遮るようにウィリアムが人差し指で彼女の唇を押さえて優しく諭す。

 だが完全に遮ることのできなかったセリーヌ姫の言に俺は内心で青褪めていた。


 カードゲーム。それはよもや賭博ではなかろうか。


 俺と同じようにそこまで思い至った周りのものたちもますます密やかに囁き合っている。


 王族。それも唯一の王位継承者である彼女がそのようないかがわしい遊びに興じるなどスキャンダルもいいところだ。

 それに何より恐ろしいのは、彼女はきちんと限度を弁えて賭け事をしているか、だ。


 俺の知る限り、セリーヌ姫はそのような遊び方ができる人ではない。

 とにかく際限なくお金を使い、派手に着飾り遊ぶ。そのお金がどこから来ているものなのかを全く理解せずに。

 彼女の、この国の行く末に頭痛ばかりか眩暈まで覚えた俺はふらつきそうになる。


「……ふうん、そうなんだ。それは良かったね」


 気をやりそうになる俺の意識を繋ぎ止めたのは隣にいる傷もの令嬢だった。


 彼女は俺の手を握り、笑う。

 ニコニコとした道化のような笑顔が、哀れな子どもを見つめるような大人びた笑顔に変わったのがわかったのは俺だけだったろう。


 質の変わった笑顔に思わず彼女の横顔を見つめれば、彼女はその笑顔のままでこう言葉を続けた。


「まあ、お陰様であたしは婿殿をもらえてすごく助かったよ。婿殿はね、あたしの領地の道をならし、水路を整備して、よりよく人が働けるように改革してくれた。魔獣討伐も兵の損耗がなるべく少ないように気遣って、最近じゃあ魔獣が繁殖しすぎないように研究も進めてくれている。婿殿が来てからの一年、少しずつ色んなものが上向きになってきたんだ。もう一度言うね。ありがとう、お姫様。あたしにはもったいない人を寄越してくれた」


 ぎゅ、と俺の手を握る傷もの令嬢の手のひらのあたたかさに俺は呼吸を止めていた。

 この一年、俺は彼女の夫という役割から逃げる罪悪感から解放をされるために、ただがむしゃらにやってきただけだ。


 なのに、ああ、この人はどうして。


 あまりの眩しさに言葉を失っていれば、彼女は改めてセリーヌ姫たちに深々と腰を折った。

 俺の手を握って支えにしているからか、今度はたたらを踏むような無様はなかった。


「では失礼。このまま私たちがお姫様を捕まえたままでは他の人に申し訳ないからね」

「ま……待ちなさい!」


 俺の手を引いてこの場を後にしようとした傷もの令嬢をセリーヌ姫が呼び止める。


「この……無礼者! わたくしに楯突くとどうなるか、お父様が黙っていないわよ!」

「楯突く? 昔から変わらずドラゴニア辺境伯はこの国を守護し続けてるよ」


 セリーヌ姫の言葉にさらりと返し、彼女は俺の手を引いてヨタヨタ歩く。


 俺は慌てて彼女のそばに寄り添って歩くのを支えれば、彼女は俺の顔を見上げてにっこり笑った。

 その笑顔が変わらず眩しくて、俺は目を細めて微笑みを返すとそっと視線を背けた。


 なんだかひどく疲れを自覚した。

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