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恐ろしくて声が出なかった。
耳に響く肉を易々断つ残酷な音。
今しがた旗でも突き立てるような気安さで建物ほどの体躯があった大型の魔獣の首に、建物の鉄骨のような大きさの鈍く大きな刃を差し込んだフルプレートの騎士を見上げ、俺はただただ絶句していた。
燃えるような夕陽の色に輝く白銀の鎧にはべっとりと魔獣の赤や青の血がベッタリとこびりついていた。
まるでペンキをひっくり返したような、いっそ滑稽な姿だったが俺は決して笑えなかった。
たった一人だ。
馬車を囲う大小様々なおぞましい魔獣の亡骸の数は十数余りもいる。
王都の騎士団では一個大隊も全滅させられるようなおぞましい魔獣の群れをその人はたった一人で殲滅してしまった。
何が恐ろしいって、まるで赤子の手を捻るような易さであのおぞましい魔獣の群れを捻り潰したこと。
魔獣の群れに襲われ狂乱する俺たちにたった一つの傷すらも負わせずに守り切った上でだ。
俺と同じようにガタガタ震える御者や騎士たちを魔獣の上から睥睨したフルプレートの騎士はやがて近所で買い物をする平民の主婦のような動きでひい、ふう、みいと怯えて震える俺たちの数を数えた後、改めて魔獣の亡骸を同じように数えて見渡した。
「……いかん、これをひとりで持って帰るのはさすがに無理だ」
やがてフルプレートの騎士がそうぼやく。
兜越しの声はくぐもっていたが、想像していたよりもずっと高い声音だった。
フルプレートの騎士は困ったように顎に手を当てて、悩ましげに首を傾ぐ。
「困ったなあ。なあ、そこの坊ちゃん、ちょっと答えてほしいんだけど」
「え、あ、は……お、俺ですか?」
思わぬ形で指名され、俺は動揺に声をひっくり返す。
するとフルプレートの騎士は兜の奥でくつりと喉を鳴らした。
不思議と人好きする笑みが兜の向こうに浮かんでいるのが見えるような音だった。
「そっちの馬車にどんだけ積んでいい?」
「…………は?」
「いや、ここにあるの全部貴重な資材だからできることなら捨て置きたくないんだわ。で、どれくらい乗せていい?」
俺は沈黙する。
こちらの色良い返事を期待しているフルプレートの騎士の場違いな質問にどう答えていいのか。どう答えるべきなのか迷い、思いあぐねる。
傍らの御者や護衛騎士たちが俺の返答を縋るような形で見つめている。
「………こ、この、馬車は」
「うん」
「ドラゴニア辺境伯に婿入りする侯爵令息を運ぶ馬車なので、魔獣の積載をそもそも想定してないんですが……」
「あっ、そうなの? ……………えええ、そうなの!?」
俺の返答にフルプレートの騎士は一度気安く頷いた後、一拍置いて俺の言葉の意味を理解したように素っ頓狂な声を上げた。
そうしてフルプレートの騎士は慌てて魔獣の上から飛び降りてくると俺の肩を掴んで叫んだ。
「うちの婿殿の!? 大丈夫!? 婿殿は生きてる!? よもや婿入りする前に死なせたなんて目も当てられない! 婿殿は無事!? どの人!?」
「お、おお、落ち着いてください!」
俺の肩をガクガク揺するフルプレートの騎士に俺は目を回しながら言う。
するのフルプレートの騎士はハッと我に返って「し、失敬」と俺のことを手放してくれた。
俺はこほんと咳払いをして、目の前のフルプレートの騎士を見下ろした。
そう、目の前にやってきたフルプレートの騎士は想像以上に小柄だった。
俺の目線ほどの高さの身長に、俺は顔をしかめながらもフルプレートの騎士の質問に答えることにした。
「……名乗るのが遅れました。俺がダルタンシア侯爵家よりドラゴニア辺境伯家に婿入りすることになりましたリオネルです。リオネル・ダルタンシアと申します。此度は命をお救いいただきありがとうございました。この場の一同より感謝を申し上げます」
そうして俺が一礼をすると、後ろに控えてきた御者や騎士たちも俺に倣って礼をした。
「……して、貴方のお名前を伺っても? どうやらドラゴニア辺境伯に連なる方とお見受けしましたが」
そう問えば、ぽやんと俺の顔を見つめていたフルプレートの騎士がハッと我に返って「ああ」と頷いた。
フルプレートの騎士が兜に手をかける。
そうしてフルプレートの騎士がそれを脱ぎ払えば、俺たちは思わず「あっ!」と声を上げてしまった。
夕陽に癖っ毛の強いアッシュグレイの髪がふんわり舞う。
白い頬に一筋、大きな傷跡が目について、次いで少々きつく釣り上がった一重の琥珀色の瞳が笑みを形作るように弧を描いているのが飛び込んだ。
その目元にも深い斜め傷の痕が残っていたが、不思議と様になっていた。
淑女らしかぬ歯を見せる明るい笑顔。
そう、フルプレートの騎士の中身は女性だったのだ。
ついでに言うならこの傷跡のある顔の特徴を自分は釣り書きで知っている。
「初めまして、リオネル・ダルタンシア侯爵令息。あたしがアンバー・ドラゴニア辺境伯だ。以後よろしく頼むよ、我が婿殿」
そこに立つ人は、これから俺が婿入りする予定のドラゴニア辺境伯に違いなかった。




